We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 ()()を何と形容したらいいのだろう。

 強いて言うのなら、トカゲ人間?
 それか、ヤモリか?

 しかし、爬虫類というには何か違う。
 体つきは人の、女性のように見えるのだが。

 何と言うか。

(人の身体に、無理やりトカゲの頭を乗せたみたいな感じなんだよね……)

 おぞましい人体実験の鳴れの果てみたいに。

 だって、人と爬虫類の中間なんて存在が果たしているのだろうかと思う。
 そんなのファンタジーの住人ぐらいだし。

 リザードマン……確かそんな名前だった気がする。

 呼び名なんてこの際どうでもいいことだろう。

 正体よりも、挙動というか動向の方が気になってくる。

 どうするつもりなのか。

 きっと、こちらに来るだろうけど。

 むしろそれしかない。

 わざわざ天井から目の前にまで降りてきたわけだし。

「ハァァァーー」

 トカゲの頭をした白い人影が突然、息のようなものを吐きだした。

 それと同時にぽたぽたと涎のようなものが床に落ちる。

 こちらをみて舌なめずりをしている。

 そう見えた燐は。

「蛍ちゃんっ!!!」

「わっ!?」

 何かを察知したのか、燐は列車の床でまだ膝をついている蛍の手を強引に取ると、近くの座席の裏へと隠れた。

 今更そんなことをしても、もう互いに姿を見られているのだから、全く意味のない行為ではあるのだが。

 それでも、あのまま異形の前に身を晒し続けるよりかはまだましだ。

 実際、直視するのも躊躇われるほどのおぞましさが、あの何かからは感じ取れたのだから。

「はあっ、はあっ、はあっ」

 燐の腕に抱かれながら蛍が肩で息をする。

 何とか呼吸を堪えようと手で口を覆うもなかなか収まってはくれない。

 ちょっと移動しただけなのにものすごい疲労感を感じた。

 いきなり腕を引っ張られたのもあるのかもしれないが。

 対して燐は呼吸を低くして固唾を飲む。

(すぐには追ってこないみたいだけど……!)

 だからって安心なんかできない。

 ナニカのことを知っているから余計にそうだった。

 知っていても分からないことばかりだけど、分かったところで特に意味なんかはないのだろう。

 普通に生きていたら何の役にも立たないことなのだし。

 だが、それでも分析しないといけない。

 生き残るために。

(激しく動き出したと思ったら、急に止まったりする……顔がないから反応が読めないんだと思うけど)

 見た目だけは人みたいだけど、その挙動は昆虫のような不可思議さがある。
 
 単純明快のようにみえて、いまいち目的がはっきりしないというか。

 守るようにぴったりと蛍に密着しながら、燐は横目に様子を窺いつつそんなことを考えていた。

「……………」

 ヤモリの顔を持つ白い人影は、おおきな赤い口をぱっくりと開けたまま、何もせずに立ち尽くしている。

 まるで電池が切れたように微動だにしない、白いトカゲの人影。

 そうすることに何の意図があるというのだろう。

 習性とかの問題なんだろうか。
 頭部がアレなわけであるし。

 だが、かえって静かなことが不気味でもあった。

 二人が隠れているところまではまだちょっと距離はあるけれど。

 列車内にいつの間にか入り込んできたようだし、向こうがその気になれば一瞬に目の前に現れることなど造作もないことだろう。

 なので、片時も目を離すことができない。

 蛍のことは気になるけど、とりあえず無事なようだから。

 燐は、瞬きすらも忘れたように人影を見つめ続けた。

(これはもう、幻覚なんかじゃないよね……あの時のヤモリかは分からないけど)

 血走った目で鋭く人影を睨みつけている燐の隣で、蛍は困惑した顔のまま燐の横顔を見つめる。

 現実のものとしてアレはそこにいる。

 地底の湖で、一度姿を見たものがまたなんでここにいるのか。

 その意図は分からないことだけれど。

 嫌な想像をしてしまったのか、蛍の表情が一瞬青ざめる。

「…………」

 人影が破ったと思われる窓からはさっきからビュービューと風が入り込んでいた。

 出る場所を求めるように、ひんやりとした風が室内をかき混ぜていく。

 それでも、車内に蔓延るこの澱んだ空気は取り除けない。

 むしろ、重くのしかかってくるような。

 そんな緊張感が周囲にあった。

 その事実が二人の心をじくじくとささくれ立てていく。

 ──動きたくとも動けない。

 だったら、どうしよう? 
 どうしたらいい?

 わたしに何ができるんだろう??

 思考はぐるぐると回り続け、疑問だけはとめどなく浮かび上がってはくるけれど。

 実際にはなにもできず、時間だけが刻々と過ぎていく。

 蛍は、助けを乞うかのように燐の手を強くにぎった。

 いつもとは違い、指が上手く噛み合わないのは燐が少し幼くなってしまったのも影響しているのだろう。
 
 それは蛍だけではない。

(蛍ちゃん、も……?)

 燐のほうも、指先がおぼつかないほど震えていた。

 これまで顔のない人影や、それよりも遥かに巨大で凶暴なヒヒと対峙してもここまでの震えを感じたことはなかった。

 どうしてなんだろう。

 得体のしれない不気味さを感じたからだろうか。

 表情が見えないのは、ほかの人影たちと同じなのに。

(際立っているからかも……存在っていうか、(いびつ)さが)

 見れば見るほどそう思う。

 人とも動物とも違う、なにか別の個体のように思える。

 異なった種族と言うか、どこか遠い星から来た異星人のようで。

 燐は雪山で出会った、あの浮遊する巨大なクラゲなんかよりも怖い存在ではと思っていた。

 単に、身近の脅威だからかもしれないけれど。

(燐だって……怖がっている? それなのにわたしは……)

 自分だけはないことに微かな安堵を感じ取ったのか、蛍は一度息を軽く吐くと、今度はしっかりと燐の手を握り返した。

 この感触こそが唯一の現実であるかのように、きつね耳の少女の瞳を見つめながら。

 多少姿が変わってもこの手の感触は変わることは無い。

 どんなに目を背けても、否定しようとも、あれが消えることがないように。

 この手も、異形のものも現実に存在している。

 ヤモリの頭をした人影が来た目的は一体なんなのか。

 できれば、考えたくはない。
 どうせろくでもないことだろうし。

 それならいっそのこと燐だけを見ていればいい。

(そうだよ。まだその方が……)

 その意図が伝わったのか燐はこちらを振り返って小さく頷く。

 だがすぐに人影の方に向かい直った。

 白い異形の化け物は、無機質な人形(マネキン)のように呆然と佇んでいる。

 頭を除けば女性のような体つきではあったが、その表面はつるんとしており、ところどころがひび割れており、中からは赤黒い皮膚が見え隠れしている。

 衣服のようなものは何も纏っていないので、まるでガラス細工の人形のように見えるけれど、実際はそうではないのだろう。

 これまでの経験から二人ともそう思っていた。

(いっそのこと、どっかに行っちゃったらいいのに……!)

 少女達がいる座席の後ろは、列車の運転席とを隔てる壁があり、乗客が掴まるための金属製のポールが備えてあるだけ。

 逃げ道があるとしたら通路を通って後ろの車両に行くしかない。

 しかし、そこにはアレが立ちふさがっている。
 
 これを避けて進むなんてことは到底できるものではない。

 しかも列車はトンネルの中を走行しているのだから、窓を割って脱出することもできなかった。

 つまり、逃げられない。

 ──どこにも。

 ガタンゴトン。

 車内で何が起ころうとも古ぼけた列車はそのままの速度で走り続けていた。

 ……
 ……
 ……

(だからって、諦めるなんてことは……)

 そんな事はするつもりはない。
 しかし、どうするべきか。

 このまま相手が動くのを待っていても埒があかないだろう。

 状況がちょっと先送りになるというだけで。

(そういえば……)

 こう着した状況を打開すべく、蛍は口に手を当てて逡巡する。

 あの白い()()()を目撃したときから気付いていたことがあった。

 連中は人の姿をしてはいるものの、人としての大事なものが欠けている。

 それは──器官。

 眼や耳、鼻に該当する部分はなく、あるのは大きく裂けた口ただ一つだけ。

 つまり、対象を知覚するものが一切ないのだ。

 それなのになぜかこちらをまっすぐに追うことが出来ている。

 それはあのヒヒとて例外ではなく、目が見えない状態になっても迷うことなく正確に追いかけることが出来ていたのだから。

 何らかの方法で対象となるものを感知できているのだろう。

 それが何かは分からないままなのだけど。

(そして──多分、コイツも)

 分かっているのだろう。

 顔面にはざっくりと裂けた巨大な口以外には器官はなく、女性のような乳房や臀部があるようだけれど。

 それらに何の意味もないのだろう。

 それなのにだ。
 見られているという感じはひしひしと伝わってくる。

 諦めた獲物がすごすごと出てくるのを待ち構えているように、一切ブレずにそこに留まっている。

 唯一の逃げ道を塞ぐように。

 そこに燐は狙いをつけるも。

(これって、チャンスなのかな……それとも)

 しかしまだ迷いはあった。

 差し詰め、蛇に睨まれた蛙のような状態であった。

 一秒ごとに頭がひりついてくる。

 緊張で口喝を覚えたのか、蛍はごくりと唾を飲み込んだ。

 そのちいさな音ですら向こうに聞こえているのではないかと思い込んでしまう。

 何かが始まりそうで、何も起こらない。

「…………」

 これは一体、何の静寂だというのだろう。

 意外なほど長くこの膠着は続いている。

 このまま何事もなく、どこかの駅にでも列車が停車してくれれば。

 そう願ってしまうほど動きがなかった。
 お互いに。

 生きているのかどうかすら分からないほどの静寂が流れている。

 列車の走行音が無ければ、時間が止まっているのではないかと錯覚しうるほどに。

(やっぱり、ヤモリだから……?)

 中々動かないのはそういうことなのだろうか。

 蛍は、嫌悪を露わにしながらも、こわごわと人影をみつめる。

 落ち着きを取り戻したのか、先程よりもしっかりと、白い見ている。

 それでも無意識に膝ががくがくと震えてしまう。

 蛍は困った顔で俯くも、燐の手をぎゅっと握りしめた。

(でもトカゲっぽいのは顔だけて……あとは人間なんだよね……)

 自分達よりも一回りほど大きいだろうか。頭からつま先まで見て蛍はそう思った。

 何だろう。
 
 ヤモリみたいな何かをみた瞬間から沸き上がってくるこの違和感とは。

(どこかで、見たことがあるっていうの……)

 あれは、こちらを確認してから出て来たようだった。

 頃合いを見計らったように。

 それはつまり。

(わたし達を見つけたってことだよね?)

 多分ずっと探していたんだろう。

 もしかしたら、小平口町であったあの異変の夜のときからかもしれない。

 あの時、列車の窓にへばりついていた一匹のヤモリ。

 はじめ気になっていたのは、奇妙な模様の翅を持っていた蛾の方だったのだけれど。

 それを丸のみにしたヤモリの方がよっぽどおかしかったのだ。

(だって、歯が……!!)

 それがどういうわけだが、目の前にいる。

 大きな赤い口からは、人間のような白い歯がみっしりと生えているので見間違いはないだろう。

 なので蛍はそう結論付けた。

 荒唐無稽すぎて流石に燐には言えないことだけれど。

 しかし燐も蛍とそう変わらない意見を持って何かを見ていた。

(何の目的かはまだわからないけれど、わたし達を追ってきたんだよね……)

 燐は異変のときのヤモリを見ていないから、それは知らなかったようだけど。

 地底湖の時に見た白い人のようなものがここまで追ってきたのだろうと。

(……っ!?)

 燐の肩越しに覗いてた蛍が急に首をひっこめた。

 アレと目が合ってしまった。

 瞳に相当する器官はないのに、蛍がそう思ってしまったのは、トカゲの顔を持つソレがこちらをふり向いたように思われたからだった。

(だけど、今、笑った……!?)

 一瞬だがそう感じた。

 それは余裕の笑みだったのだろうか。

(やっぱり何とかしてアイツを突破するしかない……! でもそれには)

 たとえ一瞬だけでもアレの気を逸らさないと。

 燐がそう決意を固めて握りこぶしをつくって、蛍にそう提案しようとしたときだった。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」

「ひいっ!!!」

「な、なにが起こったのっ!?」

 突如、悲鳴のような声があがり、蛍と燐はつい叫び出してしまう。

 蛍は目を大きく見開いていて口をぱくぱくとさせていた。

 何が起こったのだろうと、二人は顔を見合わせる。

 だが、すぐにそれはわかった。

 爬虫類の頭をもつ人影が口を大きく上へと開けて、叫んでいたのだ。

「ニギャアアアアアッ!!」

 獣というか猫に似た声を叫び続けるナニカ。

 その咆哮は列車内に木霊して響き渡る。

 少女達はたまらず耳を手で塞いだ。

「この声って……!? うううっ……!」

 蛍は何かを思い浮かべようとしたが、うるさすぎてどうしようもない。

 目をつむって蹲ってしまった。

「いやああぁっ! 何なのよこれっ!!」

 燐も背中を丸くして蹲ると、()()()()()を手で覆い隠し、人の耳の方は曲りまげた膝で挟み込んでいた。

 咄嗟の事だったとはいえ、うまいこと全部の耳を抑えることができていた。

 だが、その程度のことではこの音から逃れることができない。

 わんわんと頭の奥から叫び声が鳴り続ける。

 まるで鼓膜を貫通してくるかのように、ちっとも収まってはくれない。

 とても五月蠅いことは確かなのだが。

(これって、あの音と同じ……?)

 燐が思い浮かべたのは、洞窟のボートに乗っていたときに聞いた声のことだった。

 頭を掻き毟るような音が急に流れてきて、燐は船上で悶絶することになってしまった。

 その時のものとこれが似ているなと思った。

 音感がそこまであるわけではないけど、耳障りなところとか。

「何の音なのこれっ……!!」

 蛍も顔を歪めて耳を抑えていた。

 苦しそうに悶えながらぎゅっと目をつむっている。
 蛍にもこの声は聞こえているようだった。

「ゲッゲッゲッゲッゲッ!!」

 何かは、長く白い喉元をぶるぶると震わせて、奇妙な鳴き声を延々と続けている。

 ヤモリってこんな声で鳴くんだっけ、そんな素朴な疑問が蛍の脳裏に浮かぶも、騒音に意識がすぐに掻き消されてしまう。

 まるで何かを呼ぶように叫び続ける人影。

「も、もう止めてよっ……!! これ以上は」

 頭がどうにかなりそうになる。

 蛍は亀のように丸くなって何もかも一切シャットダウンしたいと願ったほどだった。

 少女達が限界を迎えてしまいそうだと思った瞬間。

 急に音が止んだ。

「……!?」

 燐と蛍は苦悶の表情を解いて耳からゆっくりと両手を離すと顔を見合わせた。

 何が起こったんだろうと。

 すると。

「……っ!!!!」

 燐はすぐに言葉が出ずに絶句して口を大きく開けていた。

 やかましいのがようやく止まってくれたのは良かったのだけれど。

 それよりももっと酷いことになるなんて。

「嘘」

 蛍はぽつりと呟く。

 思考停止したようにその光景をぼうっと見つめていた。

 車内に居るトカゲ頭の人影は一体だけ。

 それは間違いようがない事実だったのだが。

「何で、数が増えているの!?」

 燐は困惑した顔でそう疑問の声を飛ばす。

 ついさっきまで一体しかいないと思った人影が、複数に増えていたのだ。

 見ただけでも爬虫類の頭を持つ人影は4……いや、5体いた。

 1匹天井に張り付いている。
 最初にみたときのように。

「まさか」

 あのサイレンのような声は、自分たちの仲間を集めるためのものだったのだろうか。
 その為に叫んでいたのだろうと。

(もしかして、最初から居たってこと!?)

 そうとしか考えられない。

 よく見ると列車の窓が更に何枚か割られていることに気付く。

 声が大きすぎて窓ガラスが割れたことにすら気付かなかったみたいだった。

(窓から入って来たっていうことは──)

 外にいたということになる。

 列車の車体にでも張り付いてたんだろうか。
 あるいはトンネルの壁にとか。

 ヤモリのような姿なのは頭だけでなく、生態もそれに近いことをうかがわせた。

「アハァ、アハァ、アハァ」

 苦笑いのようなため息が零れた。
 
 もちろん、蛍でも、燐の唇から出たものでもない。

 増えた人影がふいに出したものだった。

 嘲笑しているのかもしれない。

 自分達に対して絶対的に有利な立場となったわけだし。
 歓んでいるのかも。

(……あ)

 一瞬、眩暈が起きたみたいになって指先でこめかみを抑えた。

 たまたま列車の揺れが大きかったせいでそうなったのか。

 ぐらりと視界が歪んで見えた。
 
 ──或いは。

 この事象に対して脳が拒絶反応を示したせい……なのだろうか。

 何にしても。

(……気持ち悪い)

 見ているだけなのにそう思った。

 ……
 ……



A Skeleton in the Closet

 

 ドクン、ドクン。

 

 心臓が、張り裂けんばかりに高鳴っている。

 

 目の前の景色がどろどろと溶けていくような感覚に燐は胸騒ぎを覚えて、掴むようにして小さな手を胸元に押し当てた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 早鐘を打ち続ける鼓動が、やけに大きく聞こえる。

 

 何とか落ち着かせようと細かく呼吸を繰り返した。

 

 それでももう、この状況がもとに戻るようなことはないのだろう。

 

 どんなに息を落ち着かせても、瞬きを繰り返しても、景色が変わるようなことはなかった。

 

(ちょっとの合間にこんなことになっちゃうなんて……)

 

 ついさっきまで、ちょっと変わった列車での二人っきりの穏やかな時間が流れていたのはずだったのに。

 

 トカゲの頭をした異形が唐突に出てきてからは、その状況は一変してしまった。

 

 人影の叫びに耳を塞いでいる間に、その数が増えてしまう事になるなんて。

 

 一体だけでも厄介に思えるものなのに。

 

 こんなの誰だって想像すらできないことだろう。

 

 悪夢だと思えるようなことにそれの上塗りだなんて。

 不条理だとしか言いようがない状況に。

 

 しかし、どうして連中はここに現れたのだろう。

 

(まさか、餌だとか思ってないよね!?)

 

 あの大きな口を見ているとあながち間違いではないような気はする。

 

 ずるり。ぺた、ぺた。

 

 巨大な爬虫類のような頭部をもつ何か達は、アンバランスな体を左右にふらふらと揺らしながら、奇妙な音を立ててうろうろとしていた。

 

 ゆっくりと足踏みをするようにして辺りを見渡している。

 

 その瞳はないはずのになぜだろう。

 

 連中の思惑のようなものが感じとれてしまうのは。

 

 きっと、体の隙間から欲望が零れ出ているからなのだと。

 

 燐も蛍も肌でそれを感じとっていた。

 

「ギィギィギィギィ」

 

「ケケケケケケケケケ」

 

 人影たちは、奇怪な声を発しながら蠢いていた。

 

 笑っているように聞こえるが、言葉には一切なっていない。

 

 それだけなのだが、燐には気になることがあった。

 

(どうして、口が動いていないんだろう)

 

 笑い声のようなものは確かに聞こえるのに、あの大きな口がまったく動いていないのは。

 

 顔の半分以上が鰐のような巨大な赤い口で占められているというのに。

 

 半開きにはなっていて歯にあたる部分は垣間見えるけれど、口はそれ以上開いてはいない。

 

(まさかだとは思うけど、違う場所から声が出てるとか?)

 

 ひょこんと顔をのぞかせた蛍も首を傾げてそんな事を考えていた。

 

 こんな状況で気にすることなのではないのだろうけど。

 

「ウシャアアアアァァーーーーー!!」

 

 その中の一体が急に威嚇するような声をあげた。

 

 これも、ヤモリが発するような音ではないはずだが。

 

 攻撃する意思を示すかのような鋭く甲高い叫びに、驚いた少女達はさらに小さく身を縮こませる。

 

(こんなの……どうしたって動けないよ……)

 

 何をどう言われても、燐も蛍も黙りこくって蹲ることしかできない。

 

 だが、いくら少女達が気配を殺そうとしても、向こうは完全にこちらの存在を捉えているのだから、無意味なことではあった。

 

 ニタニタと顔を歪ませて、いくつもの白い頭がこちらを見ている。

 顔のない表情で。

 

 いつまでそんなところに隠れているつもりかと言わんばかりに周囲を包囲しはじめる。

 

 どの道、そんなに大きくはない車両なのだから簡単に取り囲むことはできるだろうが。

 

 それでも。

 この小さなスペースから出ていくことは出来ない。

 

 何より怖いことだし、それに出て行ったところでろくに何もできやしないのだから。

 

 なので。

 

 いくら罵倒されようとも、むざむざアイツらの前に出ていくことは無防備な少女たちには自殺行為に等しい事柄だった。

 

(どうして、こんなことになるの……)

 

 おぞましさと戦慄に蛍は吐き気を覚えて、手で口元を抑えた。

 

 燐は心配そうに蛍を見ながら歯噛みする。

 

(何処からこんなに来たっていうのよ……!!!)

 

 こんなにいたら本当にどうしようもない。

 

 巣穴でも近くにあったのだろうか。

 

 これには燐も参ってしまう

 

 内心で頭を抱えてしまうほど。

 

 初め、一体だった人影が訳がわからないうちに増えてしまった。

 

 見える範囲でのことなので、もしかしたら他にもいるかもしれないが。

 

 どこかで息をひそめている可能性は十分考えられる。

 

 考えたくはないことだけれど。

 

 それよりも今は。

 

 この、増えてしまったトカゲの何かをどうするかの方だった。

 

 少なくとも5体は居る。

 

 床に這いつくばっているものもいれば、天井に張り付いたままこちらを見ているのもいる。

 

 列車内のどこを見ても化け物しかいない。

 

 唯一、背後には何もいないけれど、そこには客車と運転席とを隔てる冷たい壁があるだけで。

 

 向こうへ行くドアのようなものはなかった。

 

 つまりは──袋小路。

 

 背中が凍り付いたかのようにぞおっとなってしまった。

 

 まだ一体だけのときなら、隙を見て隣の車両に逃げようかなんて考えていたけど。

 

 それはもう無理なことだった。

 

 人影の数が増えてしまったが一番大きいが。

 

(よくよく考えてみたら、コイツらって列車の外からでも移動することができるんだよね……)

 

 そうなると、例え他の車両まで逃げおおせたとしても意味を成さないことになる。

 

 だって、窓ガラスを破って壁を伝うことが出来るみたいだから。

 

 走行中の列車から外に出て更にそこから移動なんて、自分達には到底無理なことをこいつらは平然とこなすことができるのだった。

 

 どこへ逃げても追いかけてくる。

 

 欲望を叶えるためだけに。

 

(ここから、もう出たくない……)

 

 懇願するように蛍は燐の手を強く握る。

 

 燐も同じように蛍の手を握りかえした。

 

 二人の想いは完全に一緒だった。

 だが、それだけ切羽詰まった状況であることを示していた。

 

 身を隠せる程度の狭い空間に閉じ込められているという現実が今のふたりの全てなのだと。

 

 気付かれているのかいないのか、ハッキリとは分からないけれど。

 それだってもう時間の問題だろう。

 

 連中がその気になれば、こんな所とっくに襲われているだろうし。

 

 さっきから人影の動きがやけに鈍いのは不明だけど。

 

(まさか、また仲間を呼ぶつもりなの……!?)

 

 いくら何でもあり得ないことだとだろう。

 

 だが蛍はそれを想像してしまう。

 

 もし、これ以上ヤツラが増えたら、それほど広くもない電車内が人影だけでぎゅうぎゅうになってしまう。

 

 それこそ阿鼻叫喚ものだ。

 

 眩暈すら覚えそうになり、暗い考えを打ち消すように蛍は首を横に振る。

 

 その隣で燐はさっきからぶつぶつと小声で呟いていた。

 

(もし、時間を止めることができたら……それか時を巻き戻すとかでも……)

 

 絶望的な状況に、燐はついそんな妄想をしていた。

 

 もちろん──そんな大それた事はできるはずもない。

 

 いくら燐がキツネの、半獣の姿をしていても、無理なものは無理なのだった。

 

(わたしは……いったいどうしたらいいんだろう)

 

 蛍は溜息をつくと眉を寄せて考える。

 

 それは今の状況を打開することではなく、この状況を招いてしまったことへの事だった。

 

(きっとわたしがこの状況をつくってしまったんだ……わたしの思ったことが全部……)

 

 ここまでの悪夢を想像した覚えはなかったが、多分色々な要因が重なってこうしまったんだろうと。

 

 わけの分からない世界にずっと囚われたままになっている。

 

 どこに行けばいいか分からず彷徨ってはいるが、出口なんかはもうないのだろう。

 

 奇妙な世界でずっと二人で。 

 

 異形の人影なんかも現れてしまった。

 

 あの夜の残滓が様々なものを呼び起こしているのだろうか。

 

 まだ見たことはないけれど、雲のように漂う巨大なクラゲなんかもいるようだし。

 

 けれど、どうしてなんだろう。

 

 これがせかいのおわりの、はじまり?

 

 そういうこと?

 

 それで現実も、自分たちもおわりに?

 

(…………)

 

 いくら考えてみたところで答えがでてくるはずもない。

 

 だって自分で分からないことなのだから。

 

 だけど、兆候のようなものはあった。

 

 異変が終わって町に戻ってきてしまったときに気付いたことだった。

 

 あの町で起きた現実離れした出来事の数々を、覚えていたのは自分だけ。

 

 みんな全部忘れてしまっていた。

 

 何事もなかったかのように平然と日常を送っている。

 それは今も。

 

 つまり、それって。

 

(わたしが……異変になっちゃたんだ。だからわたしの周りだけが変なことに)

 

 まだ──座敷童(ざしきわらし)みたいだから。

 

 幸運を呼ぶ力がまだちょっとだけ残っていて、その代わりに周囲がすこしおかしなことになる。

 

 それにしては影響が強すぎるような気はするけれど。

 

(確か、少女(こども)のうちだけって言ってたような気が)

 

 そのおかげで、燐やサトくん、そしてオオモト様ともまた会うことができたとも考えられる。

 

 でも、それが良くないこと、だったのだろうか。

 

(きっとそうだよね。だって……わたしには過ぎた願いすぎるもん)

 

 大好きな人たちが戻ってきてくれたことは素直に嬉しいことだとは思う。

 

 全てをなげうってでも欲しい、かけがえのない大事なものだったから。

 

 でも、その結果がこれなら?

 

 それが、世界をおわらせる原因をつくってしまったり、いまみたいに燐を窮地に追い込んでしまっているのだとしたら。

 

(わたし、は……)

 

 せかいのおわり。

 

 確かにそう言われたけど。

 

 本当に、終わっちゃうのものなのかな。

 

 全部? それとも一部分でのこと?

 

 あの町のできごとのように。

 

 正直、漠然としすぎててよく分からない。

 

 でも。

 

(それって……どこのせかいのことなんだろう……)

 

 ……

 ……

 ……

 

 何も、できないのだろうか。

 

 何でもいいからこの状況を打開する取っ掛かりみたいなものが欲しい。

 どんな些細な事でもいいから。

 

 血走った瞳で燐は周囲に視線を巡らせる。

 

 この車両の中には使えそうな道具の類や武器は見当たらなかった。

 

 消火器のようなものはおろか、非常用のドアコックすらついていない。

 

 列車の出入り口の扉は固く閉ざされたまま。

 

 でも無理矢理にこじ開けたところでここから逃げ出せるはずもない。

 

 なにより列車はまだ走行中で、暗いトンネルの中を走っているようだから。

 

 これはもう万事休すか──。

 

 ぽつんとその言葉が頭の中で浮かび上がる。

 

 これから、どうなってしまうのだろう。

 

 先のことを考えると嫌な方向の想像しかできないでいた。

 

「キャバ、キャバ、キャバ、キャバ」

 

 何が楽しいのか、人影の一体が奇妙な叫び声をあげた。

 

「ひいぃっ!!?」

 

 思わず小さく叫ぶ蛍。

 慌ててその口を手でふさいだ。

 

 すると、それに合わせたかのように他の人影も鳴き始める。

 

「ガラガラガラガラ」

 

「ゲロゲロゲロゲロ」

 

 終わったと思った人影たちの声がまたしてきて、燐は驚いて目を大きく見開く。

 

(な、なんなの?)

 

 蛍も口元をおさえたまま、恐る恐る人影を見つめている。

 

 ヤモリのような頭を持つ異形たちは寄り集まって鳴き続けていた。

 

 会話でもしているのだろうか、まるで共鳴をするかのように人影は奇怪な声で次々と鳴きだしていく。

 

 突然始まった不気味な声の合唱に少女達はまた耳を塞いだ。

 

(これって、あの時の……!)

 

 燐は小舟に乗っていたときのことを思い出して顔をしかめた。

 

 あのとき、耳の奥にまで反響するように聞こえてきた音はこれだったのだと。

 

 サイレンとも叫び声ともつかない甲高い音の正体は、複数の人影が出していたからだったのだと思った。

 

 トカゲやヤモリはこんな事はしない。

 

(こんなの、蛙の……ううううっ!!)

 

(いやあぁっ……もう止めてよおっ……!!!)

 

 蛍と燐は心の中で叫びながら眉根をぎゅっと寄せて身を捩る。

 

 耳を塞いだ程度ではこれを遮断することができないのは知っているけど、それでも直接聞くには到底堪えがたいものだった。

 

 これも威嚇かそれとも歓喜の声なのか。

 

 ギューギュー、ゲーゲーと鳴き喚くナニカ。

 

 異様な声の不協和音に対して二人ができることといったら、早く終わってくれることを祈ることだけだった。

 

 もしこの間に襲われたりしたら本当にひとたまりもないのだろうが、その思考ですらもかき乱されてしまうほど、うるさくてたまらない。

 

(また、仲間が増えるようなことになったら本当に………ううっ……!!)

 

 それでもこの苦しみから早く逃れたい。

 

(早く、おわってよぉ……!! どんな形でもいいから──)

 

 もう限界寸前だった。

 

 ともすれば、自分達の方からも叫び出してしまいかねないほどの苦痛が頭の奥にまでがんがんと響き渡る。

 

 まだハンマーで頭を叩かれたほうがマシなぐらいに。

 

(もう、わたし倒れそう……!)

 

 蛍は、ボートでの燐の気持ちが少し分かったような気がした。

 

 生き地獄のような時間がこのまま延々と続くかと思われたが。

 

(あれっ……?)

 

 唐突にそれは止んだ。

 

(どうして、急に……)

 

 その疑問はともかく、おわってはくれたのだ。

 

 またも聞きたくない音を延々と聞かされてしまって、燐も蛍も焦燥しきったようにぐったりと壁に寄り掛かった。

 

 ……

 ……

 

 無防備に休んでいる余裕なんて無いのは分かってはいたが、意識をもとに戻す時間が必要だった。

 

 耳鳴りというか、耳の奥が痙攣しているような感じがする。

 

 強く耳を押さえてしまったからだろうか、掌がじんじんと熱を帯びたように脈打っていた。

 

 また不快な音を聞かされてしまった。

 それも今度は複数の人影から。

 

 無遠慮に耳の奥までかき回されて身も心も疲弊していたが、それでもちゃんと見ないといけない。

 

 自分たちは今、完全に追い詰められていて、人影達はどうなったのだろうという悪夢のような現実を。

 

 こっちにはこなかったみたいだけど。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうなったの?」

 

「わかんない……けど」

 

 燐と蛍は必死に呼吸を整えながら、顔を見合わせた。

 

 互いに顔は少し青ざめてはいたけれど、瞳をまっすぐに向けて頷きあう。

 

 静けさが戻ってくれたことについ安堵してしまうが。

 

(でも、声が止んだって言うことは……)

 

 燐は座席の裏の影から顔半分だけをだして、そっと様子を窺う。

 

 トカゲ頭の人影たちはまだそこにいた。

 

 何もせずに呆然と立ちすくんでいるだけに見える、が。

 

(さっきみたいに、数が増えるようなことはないみたいだけど……)

 

 蛍もひょこんと首だけを出して周囲を見渡す。

 

 未だ天井に張り付いているのも含めて、人影の数は依然五体のままだ。

 

 燐の手を強く掴みながら蛍はほっと胸を撫でおろす。

 

 しかし状況が好転するようなことにはなってはおらず、この現状が維持されたままなので、到底安堵できる状況ではなかった。

 

(むしろ、これからが本番、なの?)

 

 ふいに燐はそう思ってしまう。

 

 それはあながち間違いなことでもないのだろう。

 

 残念なことだけど。

 

 連中はどこかに行くようなこともなく、ここに留まっているわけだし。

 

 するとあれは準備?

 

 狩りをする前に鼓舞するように雄叫びでもあげていたのだろうか。

 

 獲物を確実に仕留め、そして歓喜の声をあげる為に。

 

(知能なんか何もなさそうにみえるけど)

 

 あれは力と欲望だけが発達したものらしいから、協力して何かをするような知恵が備わっているようにはみえないのだが。

 

(仲間を呼んだみたいだし、何もしないで帰るってことは無いんだろうなあ……)

 

 その可能性は限りなく低いだろう。

 

 蛍はため息をつく。

 

 悪意のようなものは外見からでも見て取れるわけだし。あの人間のような歯だってその為のものなんだろう。

 

(じゃあ、どうするかって話だけど)

 

 話して分かってくれるようなら良いんだろうけど。

 

 ちらりと燐は連中の動向を窺う。

 

 さっきから動物のような鳴き声しか出していないし、そもそもコミュニケーションを取れそうな感じはまるでしない。

 

 列車という密室の中では、少女たちがやれることなどあまりにも限られていた。

 

 全てはもう──おわってしまった。

 

 そういう事なんだろうか。

 

(オオモト様は、前にそんな事をいっていたようだけど……)

 

 蛍は前に聞いた言葉を脳裏に浮かべるも、すぐに唾とともに飲み込もうとする。

 

 喉がからからに乾いているせいか、なかなか飲み込めずいたが。

 

 それでも何とか無理矢理に喉を動かした。

 

 その音が聞こえてしまったのだろうか。

 

「あっ!?」

 

 人影が、一斉にこちらへと振り向いたのだ──。

 

 目のない爬虫類の顔でこちらを振りむくと、そのまま真っすぐに歩をすすめた。

 

 さっきまでやかましく鳴いていたのがウソのように、何も言わずこちらへと向かってくる人影。

 

 ぞろぞろと無言のまま、一切迷いのない足取りで。

 

 遊びはもうおわりだと言わんばかりに。

 

 燐と蛍にしてみれば、その様子は恐怖そのものでしかなかった。

 

(こっちに、来ちゃうっ!!)

 

 口から心臓が飛び出てしまうのではないかと思うほどの激しいショックを感じた蛍は、両手でぎゅっと胸を抑える。

 

 正面の通路からだけでなく、すぐ上の天井からもそれは近づいてくる。

 

 だらだらと粘つく液体をだらしなく口から垂らしながら、列車の湾曲した天井を這うようにして移動している。

 

 その在り様は巨大なヤモリそのものだった。

 

(どうしよう、このまんまじゃ……)

 

 化け物相手に成すすべもなく蹂躙されてしまうことだろう。

 

 想像した悪夢が、いよいよ現実のものとなろうとしていた。

 

 この世界が現実のものかはよく分からないけど。

 

 痛みや息苦しさを普通に感じるのだから、すべては夢の中という逃避はもうできそうになかった。

 

(きっと、もうダメなんだね……それだったら……)

 

 連中を止める術は、もうない。

 

 少なくとも自分にはできそうにない事だった。

 

 何かしたくとも時間も状況も、何もかもが手遅れで。

 

 こうして考える合間があることが不思議なくらい。

 

 悪趣味に、もがき苦しむ時間を与えられている。そういうことなのだろうか。

 

 だったらせめて、この中の一匹ぐらいは道連れにしておきたい。

 

 それで状況が好転するとはさすがに思えないが、もうじっとなんかしてはいられそうにない。

 

(せめて、蛍ちゃんだけでも……!)

 

 自分のやろうとしていることに素直に従ってくれるとは思わないけれど。

 

 もう、そうするしか他なかった。

 

 燐は少し悲しそうに天井を見上げる。

 

 あえて人影を見ないようにしてそこの模様だけを見つめた。

 

(蛍ちゃんを騙す形になっちゃうけど……前もそうだったから)

 

 人影の集団の中に突っ込んでがむしゃらに暴れ回れば、無事では済まないだろうが、ちょっとの時間稼ぎぐらいはつくれるだろうと。

 

 そっと手のひらを開いてみる。

 

 子供のような小さな手は自分のものじゃないみたいだけど。

 

 ちゃんと思うように指は動く。首や脚だって普通に。

 

(頭の耳としっぽもまあ……動くようだけどね)

 

 特に意味なんかないと思ってたけど。

 こんなんでも一応役にたっているような場面はあった気はする。

 

 制御とかは上手くできないけど。

 

(せめて足止めぐらいはできれば……)

 

 燐は軽く自身の尻尾に触れると。

 

「ねぇ、蛍ちゃん」

 

 貝のようにじっと口を閉じたままにしている蛍にそっと耳打ちをした。

 

「ごめんね燐。これもきっとわたしが原因じゃないかって思うの」

 

 蛍は燐と目を合わせずにそう切り出すと、燐の返事を待たずに話つづけた。

 

「わたしが、全部悪いの……おわりを願っちゃったみたいだから、だからね」

 

 たどたどしく唇を動かして何とか言葉を紡ぎ出していた蛍だったが、途中で俯いてしまう。

 

 言葉がうまく伝わらないもどかしさに胸が張り裂けそうになった。

 

「蛍ちゃん、あのね」

 

 燐は困った顔で微笑むとそっと蛍の手を握った。

 

「燐」

 

 小さくて柔らかい肌の温もりを感じて、はっとなった蛍は少し赤く腫らした瞳で燐を見つめた。

 

「何とかさ、隙を見つけて隣の車両に逃げちゃおうよ」

 

 その言葉に一瞬目を大きく見開く蛍だったが、すぐに首を横に振った。

 

「多分、無理だと思う」

 

 通路は完全に人影で塞がっている。

 

 座席を飛び越えて行ったところですぐに捕まってしまうだろう。

 

 燐は軽く笑うと。

 

「分かってる。けど今はこれしか方法がないと思うんだ」

 

 結局燐は、最初に思いついていた策を提案した。

 

 人影が増えてしまい多勢に無勢であったし、何より蛍を守りながら戦うとかできるものではない。

 

 後ろの車両へ逃げることしかもう道はない。

 

 逃げれるところまでとことん逃げる。

 

 どこまで電車は続いているかは分からない。

 

 もしかしたらすぐに行き止まりになるかもしれない。

 

 それでも、足掻くしかない。

 あのときヒヒが言っていたように。

 

 一瞬の最後のときまで足掻きつづけてみせる。

 

 ただし、向こうに行くのは蛍ひとりだけ。

 

(わたしはここに残って、蛍ちゃんが逃げるまでの時間を稼げればそれでいい……!)

 

 そのあとのことは何も考えていないので、具体的なことは言えなかったのだが。

 

 燐はまっすぐに蛍を見つめた。

 

 一刻の猶予もないほどの切羽詰まった状況ではあったが、燐は真剣な眼差しというわけではなく、むしろ慈しみをもった柔らかい視線で蛍の目をみる。

 

(燐……もしかして)

 

 その表情から察したのか蛍は燐の両手をゆっくりと握る。

 

 指先はまだかすかに震えていて、そんなに強くは握れないけど。

 

 それでも、この手を離すつもりはない。

 

 とてもたいせつな。

 本当に大事なものだから。

 

 絶対に放したくはなかった。

 

「蛍ちゃん?」

 

 何も言わず強く手を握り続ける蛍を、燐が不思議そうに顔を覗き込む。

 

 蛍は顔を上げて苦笑いを浮かべた。

 

「どこまでも、二人一緒だから、ね」

 

 燐を見つめ返しながら、そっと呟いた。

 

 出掛かった言葉を飲み込んで、燐はこくりとちいさく頷いた。

 

 ほとんど明かりのない、暗闇の列車。

 

 消えた色彩の中で、白い影たちだけが蠢いている。

 

 大きな頭をがくがくと揺らして。

 

 あの化け物に捕まってしまったら逃れることなんかはできないだろうから。

 

 決断をするしかなかった。

 

「じゃあ、タイミングはわたしが決めるからね。蛍ちゃんいい?」

 

 そう言うと燐は息がかかるほど顔を寄せて、蛍の返事を待つ。

 

「うん」

 

 燐の目を見て蛍は深く頷いた。

 

 今の燐の方が蛍よりも大分小柄な身体となってはいたが、意思の強さなんかは変わっていない。

 

 瞬時に状況を判断して実行に移そうとすることにも。

 

 燐にならなんでも任せられる。

 

 こんな、どうしようもない状況だって燐と一緒なんだから、きっと大丈夫。

 

(そうだよ、燐と一緒ならきっと大丈夫!)

 

 そう、思い込むことしか蛍には選択肢がなかった。

 

 自分には、特別な力もこれといった妙案が閃くわけでもないし、むしろ足手まといだとすら思っているのだから。

 

 しかし、後ろの車両に行く道はひとつしかない。

 

 その唯一の道を異形の人の壁が塞いでいる。

 

 あれを突破して逃げることなんて本当にできるものなんだろうか。

 

 つい、他人事のように考えてしまうけれど。

 

(わたしが燐の足を引っ張らないように頑張らないと……!)

 

 そうは言っても、仮に体当たりをしてみたところでびくともしそうにない。

 

 それどころか真っ先に自分が捕まってしまう気がする。

 

 それこそ本当に足手まといだ。

 

 蛍は、嫌な想像を勝手して不安に駆られてしまう。

 

 燐のことを信頼していると思った矢先のことなのにと、内心で謝罪をした。

 

「アハアハアハアハ」

 

「……っ!!」

 

 人影がおぞましい声をあげる。

 

 まるで面白い玩具を手に入れたみたいにゲラゲラと笑っていた。

 

 それにつられたかのように他のナニカ達も笑いだす。

 

「ハハハハハハハハ」

 

「イヒヒヒヒヒヒ」

 

 嘲笑をするかのように抑揚を織り交ぜた下卑た笑い声が車内に木霊する。

 

(何が、そんなに可笑しいっていうのよぉ……!)

 

 口の端をゆがめて笑う人影たちに、燐は毒づくように唇を尖らせた。

 

 恐怖よりも怒りの方が湧いてくる。

 

 それが自分達に向けてのものだということを燐も蛍も気付いていた。

 

 それでも、言い返すような下手な真似はせずにじっと黙って我慢した。

 

 大声で叫び返したらどんなに楽だろうかと思うぐらいに腸が煮えくり返っている。

 

(わたし、苛立っているの……? でも)

 

 自分でも珍しいとすら思ってしまう。

 

 さっきから蛍の唇がぴくぴくともどかしそうに震えていた。

 

 あれの笑い声を聞いていると、固く締めたはずの上唇と下唇が自然と解けていきそうになる。

 

 動物のような声しか出せないと思っていた人影だったが、その笑い声だけはやけに人間っぽく聞こえる。

 

 そのせいだろうか、あいつ等の声を聞くたびに無性に腹が立ってくるのは。

 

 自分だけでなく、燐も馬鹿にされているように思えてしまうから?

 

(何で、笑われないといけないんだろう、何もしていないのに)

 

 実際に暴力を振るわれるのはとても嫌なことだけど、言葉の暴力で殴られるのも嫌なことなんだ。

 

 何でそれが分からないんだろう。

 自分たちだって同じ目に合うのは嫌なはずなのに。

 

 蛍はぱくぱくと口を開け閉めさせて小声で呟いていた。

 

 過去にあったできごとがそうさせているのか、なかなか口が止まってくれそうにない。

 

 いっそのこと、この唇ごと誰かが塞いでくれたらいいのに。

 

 そんな事を考えて蛍は、隣にいる燐の口元を凝視してしまう。

 

 こんな状況なのに何を考えているのと思ってしまうも、それでも可憐な燐のピンク色の唇から目を離すことができない。

 

 そのおかげで口の動きは止まったが。

 

「あっ」

 

 僅かに燐の唇が動く。

 

 はっとなった蛍は思わず燐の手を強く握った。

 

 二人の手が引っ付いて二度と離れなければいいのに。

 

 そう願いながら、蛍は顔を上げて飛び出す準備をする。

 

 きっと、一瞬の隙しかないのだろう。

 

 そのタイミングを逃したら多分、命取りになる。

 

 小平口町での異変の時に唯一学んだことだ。

 

 これまでサバイバルの経験なんてまるでなかったし、危ないと思ったことは自分から避けていたから。

 

(あれ……? いま何か……)

 

 気のせいだろうか黒い影のようなものがみえるような……?

 また変なのが出てきたのだろうか。

 

 ナニカの後ろでちらちらとそれが見え隠れしている。

 

 割れた窓の向こう側の景色がそうさせているのだろうか、それとも別の何かが。

 

「…………」

 

 何を思ったのか蛍はいきなり立ち上がった。

 

 隣で起こった突然のことに燐は大きな目を丸くさせる。

 

 もっとはっきりと影を見ようとして蛍は周囲をまざまざと見渡すも、映るのは黒い背景に浮かび上がる白いトカゲ頭の人影だけ。

 

 輪郭がはっきりとわかるほど連中はすぐそこにまで来ていた。

 

「……蛍ちゃん!?」

 

 予期しないことに慌てた燐も立ち上がってしまう。

 

「あれ、わたし」

 

 我に返った蛍が気付いたときはもう遅く。

 

「ウホッ」

 

 無防備に晒された二人の姿を見て歓喜の声を上げると同時に、にちゃりと嫌な音を立ててヤモリの赤い口が大きく広がる。

 

 少女達をそのまま丸のみするかのように、限界まで口を開けて迫る。

 

 焦燥感に駆られた燐は、蛍の腕を掴んでもう一度隠れようとしたが。

 

 その前に。

 

 白い異形の手が横からにゅるりと伸びてきた。

 

 ……

 ……

 ……

 






▪生存報告~~~

──に、なってしまうんですかねえー。まあ、3か月近く更新が無かったからそうなってしまうのかもですねぇ。
そう言う事でお久しぶりです。何とか生きていました。

それまで何をしていたかといいますと……夏の間に生活リズムが一変してしまった感じですねー。外に出ることが多くなったせいか中々が体がついていけないみたいで、家に帰ってきたら即寝てしまうようなことに。
でも、最近になってようやく慣れた感じかもです。現実って大変でめんどいですねーー本当にーーー。


そういえば、8月11日まで青い空のカミュがサマーセールで1500円だったのですがーーー更新が途絶えているあいだに終わってしまいました……>< でもまたあると思うのでその機会の時は早く報告したいかもですーーー。


▪ポモドーロタイマー

いまいち気力が湧かない感じが続いたのですけど、ポモドーロタイマーを導入してみたら意外といい感じに捗るようになったみたいです。

ただ私は時間管理が下手なので、MEMORY OF MEMORIE A CHILL STORYというゲームアプリをつかってやっています。異世界の魔法使いの少女と一緒に作業をするというもので、タイマーを作動させると経験値が溜まって、ちょっとしたストーリーが見れるとともに背景とか天候とかのアンロックが解除されていく形のものになっております。
こういったアプリは何個かあるようですけれど、これのストーリーが気になるのでそれまでは続けられそうな感じがしますー。女の子の仕草が可愛いのもあるのかもしれませんが。


とても暑くなったと思ったら急に涼しくなったり、ときには地震だったり洪水被害だったりと忙しない日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

私はなんとか元気でやっております。更新頻度は多分遅いままでしょうが、それでも何とか終わりまで書ききりたいですねぇー。


それではではではでは~。


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