We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.   作:Towelie

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 8月30日


 吾輩は──猫である。

 有名な漱石の一文だよね。

 オオモト様は──座敷童。

 この町で一番最初の、猫じゃなくて座敷童。
 この人からすべてが始まったんだ。


 ──じゃあ。

 ()()()は?

 わたしも──座敷童、そうだったよね。

 にわかには信じられなかったけど、多分そうだね。
 オオモト様だけじゃない、町のみんなもそう認識していたから。

 でもそれを知ったのは割と最近のことなんだ。
 吉村さんも知ってたみたいだし、町で知らなかったのはわたしだけ、なのかもね。

 だったら、燐は、燐はなに人かな?

 インド人! じゃないよね。

 燐は──普通の人。

 普通の女の子だよね。

 じゃあ……なんで普通の女の子がわたしの前から居なくなっちゃったのかな。
 何の痕跡も残さないで、ちょっとずるい……っていうか唐突だよね。
 事前に何か言ってくれればよかったのに、一人で居なくなっちゃうなんて、あり得ないよ……。

 それとも、わたしの気が狂っちゃったのかな?
 突然変な幻覚を見た──とか、なんかのトリックとか……わたしあのドラマ結構好きなんだよね。

 あ、ごめんごめん話が変になっちゃったね。

 だって、燐はすぐそばに居て、あの時だってわたしに……!

 わたしに……。
 燐は何をしたんだっけ?

 実は良く覚えていないんだよね。

 出来れば、あとでこっそり教えてほしいな。
 誰にも言わない、二人だけの秘密にするから、ね。

 わたしが起き上がったとき、燐は居なくなっていたよね。
 カバンも靴も匂いさえ残さずに。

 だから今だによくわからない出来事なんだ。
 夢、というよりも悪夢にずっとうなされているような気がするよ。

 やっぱりちゃんと薬を飲んだ方がいいのかな……。

 後でまとめて飲むからいいとしよう。

 うん。

 そういえば、オオモト様はオカルトなんて存在しないって言っていたけど、わたしはそっちの類の方が信憑性がある気がするんだよね。

 わたしの座敷童の呪いの力が反転して燐に降りかかってしまった、とか?
 そんな感じの出来事、やっぱり祟りとかそういった感じなのかなぁ。

 燐、呪いが来た感じとかあった?

 わたしが普通の女の子になんてなろうとしたから、その罰がわたしでなく燐にいってしまったんだとしたら、神様も意地悪なことするよね。

 でも、神様ってオオモト様のことかな? あの人、結局何なんだろうね。
 肝心なことを言わないで居なくなっちゃったし。

 でも、なんか燐と同じような感じがするんだ。

 それでね、一時期、本気でお祓いや祈祷を頼もうとしたこともあったんだよ。
 そのことを吉村さんとかカウンセリングの先生にも相談してみたんだけど、まともに取り合ってくれなかったんだよね。

 こっそり一人で頼めばよかったかも。

 やっぱりわたしは普通じゃないのかもしれない。
 それは座敷童とか関係ないのかも?

 だってもう幸運を呼ぶ力なんてなくなっているのにそれでも普通の女の子とは何か違うんだ。

 燐、普通ってなんだろうね。

 わたしは燐を普通の女の子として見ていたんだよ。


 でもね。

 気を悪くしちゃうかもしれないけど。

 燐は──本当に普通の女の子だったのかな。

 別のグループの子たちと友達になったけど燐とは明らかに違うんだよね。
 上手くは言えないけど、彼女たちと燐は何かが違う、そんな気がするんだ。

 それはわたしの主観だけじゃない気がする。
 良くわからないけど根の部分が違う気がするんだ。

 燐は普通じゃない、でもそれは悪い意味じゃなくて、むしろ特別な方で。

 わたしも小さかったころ、周囲の子との違いに悩んでいた時期があったんだよ。
 前に話したことあったかな?

 でもね、結局これと言った答えは出なかったけど、一つの指針みたいなものは出来たんだ。


 それは、燐。

 燐という名前の元気な太陽がわたしに方向性を示してくれたんだよ。

 周囲との違いなんて気にすることもなかった、燐といれば毎日が楽しかったから。

 だからね、わたしは燐ともっと普通な、対等の関係になりたかったんだ。

 わたしにとっては少し、ううん、結構思い上がった考えだったのかもしれないけど。
 それでも、あなたと一緒にいたかったんだ。

 燐の肩を並べ合える存在であることが、わたしの幸せなんだよ。

 燐の幸せはわたしの名前を呼ぶことって言ってたけど、それは多分、嘘だよね。
 わたしを悲しませないための優しい嘘。

 燐らしいよね。

 燐はきっと自分の幸せよりも、周りの人を幸せを願うんだよね。

 前からそういう考えだったよね、燐は。


 だから好き、なんだけど。

 あ、そういう好きじゃないよ、人として好きってこと。

 でも、誰よりも好き、だよ。

 そういえばね、最近友達と良く話すことがあるんだけど、大抵カレシとかそういう恋バナになっちゃうんだよね。

 クラスでも付き合ってる人とかいるみたいだけど、わたしはそういうの無理っぽいなぁ。

 隠れファンとかいそうとかみんなに言われてるけど全然嬉しくないんだよね、むしろちょっと怖いかも……。

 わたし燐が男の子だったらなぁ、って思うことがあるんだ。
 なんか男子より男子してるっていうか、あ、変な意味じゃないよ。

 いつもわたしを守ってくれるし、話も面白いし、頭だっていいし、運動神経だって……。

 とにかく、わたしの理想像なんだよね燐は。

 燐と一緒に暮らすことになったらきっと毎日がきらきらして楽しいだろうなーとか妄想することもあるんだよ。

 でも、燐には聡さんがいるから。


 だから妄想のままで終わらせてもよかったんだけどね。

 せっかくだから書いてみたよ、これが最後の日記になると思うし。



 あのね、あれからずっと考えていたことがあるんだ。

 なんでわたしたち二人だけが何の影響も受けなかったのかって。
 だって、みんな何かしらおかしくなっていたんだよ。

 町の人だって、あの大川さんだって……聡さんだってそうだった。

 わたしたちを除いてみんな欲望のままに行動していたんだよ。
 それはサトくんだって例外じゃなかった、はず。

 これってやっぱりわたしのせいかなって思ってるけど、これといった確信がないんだ。

 でも座敷童が関係しているのは間違いないよね。
 それに三間坂家も……。

 だから、わたしのせいだよね。

 ごめんね、燐をずっと怖い目に合わせちゃって。
 知りたくないことも見たくないものもあったよね。

 わたしのせいだけど、わたしじゃどうにもならなかった。

 でも、もしあの時、帰りの電車で燐がちゃんと起きて、燐とそのまま分かれていたら……わたしはきっと、聡さんと……。

 ごめん、変な事言ってるね。

 ~したらとか、意味ないよね、本当に。


 だからごめんね燐。
 

 わたしはあなたに罪滅ぼしがしたい、わたしに出来ることならなんでもする。

 だから、戻ってきてほしい。

 燐、あなたのいる世界がわたしの幸せなんだよ。

 あなたが空の彼方にいるのなら、わたしもそこにいく。

 だから、少しの間待っててほしいんだ。
 必ずあなたの傍に行くから。


 でも、一つだけやっておきたいことがあるの。

 最後にそれが知りたいんだ。


 あなたをころした人のこと。

 わたしは燐が自分から居なくなったなんて思っていない。
 燐はそういう子じゃないってわたしが一番良く知ってるから。

 誰よりもずっと燐のことを知っているつもりだから……。

 だから、その原因を突き止めてから会いにいくね。

 じゃあね、燐。


 ────
 ───
 ──



J'ai tué la fille

 

 紫のヴェールが黒い天幕を外に押し出すように、山の稜線の東側から白い線とともに薄っすらと染み出していた。

 

 今の空と同じような色合いのネイビーの軽自動車が山間の町をほどほどのスピードで走っている。

 

 女性は先ほどから何も言わず、ステアリングを握っている。

 

 目的の場所はそう遠くないのか、走りにはゆとりのようなものが感じられた。

 

 蛍は窓の外に映る見知った風景を他人事のように眺めていた。

 

 その横顔には後悔も何もなかった。

 

 ただ、一つの憂いの様なものは影になった目じりから伝わっていた。

 

 この夏の間、自分でも驚くほどの行動力を見せたと思う。

 

 顔見知り程度だった友達ともショッピングに行ったり、映画を見たりもした。

 

 あれだけ苦手だった運動も自主的にやり始めた。

 

 それでも毎朝欠かさずウォーキングを続けられるとは自分でも思わなかった。

 

 これまで大した関心を向けなかったものにも興味を示すようになった。

 

 燐があれだけ楽しそうに話していたトレッキングだって、自分からやりたいと思ったことは一度だってなかった。

 アウトドアショップにだって一緒に回ったのに、わたしは何の興味も湧かないまま、燐と一緒にいることだけを楽しんでいた。

 

 わたしは燐にしか興味が湧かなかったのだ。

 

 だが、燐が居なくなってから、急に興味を持ち始めた。

 アウトドアグッズもトレッキングも。

 

 それはある意味当てつけだったのかもしれない。

 

 燐の真似をすることで、燐が来るきっかけになればいいと本気で思っていた。

 

 結局何の意味もなかったけど。

 

 

(だったら、わたしは何のために一日中歩き回ったのかな……?)

 

 何の答えも、何の成果も得られない僅かな時間の家出。

 残ったのは疲労感と倦怠感、それと眠気。

 

 無意味なことと言われればそうなのかもしれない。

 

 わたしは無意味に無作為に生きてきたのだから。

 

 今更なことだった。

 

 これでもやるだけのことはやった。

 後悔はしていない。

 

 これが現実なんだと言うならばそうなのだろう。

 

 何も変わらない現実。

 

 なにをしたらわたしは、燐は幸せになれるのだろうか。

 

 

 

 物憂げな表情で窓の外を見る蛍。

 その様子に女性は何かを喋ろうと口をもごもごさせてみるが、この空気に合う適切な話題が見当たらなかったので若干間抜けな感じになってしまった。

 

 恥ずかしさを隠す様に運転に集中するも、その憂いのある表情が視界に入ってしまう。

 どうしたものかと思案する女性。

 

 すると突然忘れかけていた警戒心が急に脳裏に湧いてきて女性は少し戸惑いをみせる。

 

 こうしていると普通の子なのだが、あの峠の頂上付近であったときはもっと思い詰めた表情をみせていた。

 それは一朝一夕な衝動的なものとは違い、もっと根深いものに見えたから無理やりにも連れてしまったのだけど……。

 

(ここまで来てこんなこと考えたくはないけど、大丈夫よねこの子。あの時、警察に通報しておけばよかった! なんてことはないと思っているわよ。結果はどうであれ、これでよかったんだわきっと……)

 

 にしても……。

 

(縁起でもないこと考えるなんて……どうかしてるわ、わたし!)

 

 邪な考えを戒めるように自身の頭を軽く小突く女性。

 

 不可思議な音に反応して蛍が視線を運転席側に向ける。

 

 女性は蛍の視線に気付かないふりをして黙ってステアリングを握っていた。

 蛍は不思議そうに首を傾げるが、運転に集中しているように見えたので特に何も言わなかった。

 

 

 車内はしばらくの間、音がなかった。

 

 空調が運転席と助手席との間に心地よい風を流す。

 それは様々な香りが混ざり合って、微妙な空気感を出していた。

 

 運転席の女性は、なんとなく外の空気が吸いたくなって窓の開閉ボタンに手を掛ける。

 

 低い音と共に、左右の窓が開いていく。

 空調よりも涼しく、そして爽やかな風が車内の嫌な空気を押し流した。

 

 小鳥のさえずりや、虫の声、それらが狭い軽自動車の中に入り込み、そのまま抜けていった。

 

 新しい日の声と空気が、二人の会話の代わりを務めていた。

 

 二人は自然に顔を見合わせると、お互いに微笑んだ。

 

 

 軽自動車は澄んだエンジン音を響かせて緑の田畑に挟まれた道を行く。

 

 フロントガラスに映る二人は本当の親子のように仲睦まじい姿を透明なファインダーのように鮮やかに見せていた。

 

 

 …………

 ………

 ……

 

 

 まだ薄暗い朝の時刻。

 

 温度差からか霧状のものが雲の様に浮かんでいた。

 それらは高低差がある小平口町ではこの時期の朝に良く見られる光景だった。

 

 町の中心地に近い大通りの一角。

 その路肩に車は停車していた。

 

 道を照らしていた生きもののような丸いライトは生気を失ったように消え、代わりにハザードランプがかちかちとリズムを刻む。

 

 大通りの道は左右に街燈が灯っていた。

 等間隔に真っすぐ続いていて、さながら空港の滑走路のように整然としていた。

 その先には町で唯一の駅がある、ひなびた町でのまともな交通機関。

 

 その駅へ続く道すがらの信号のない十字路、左手の坂を登った先に蛍の家があった。

 

 まだ夜明け前の閑散とした街の風景は、ちょうど朝と夜の境界線にはさまれたような奇妙さがあった。

 

 朝でも夜でもない曖昧な時間。

 

 新緑の生い茂る山の頂は、黒い闇の中で朝日が訪れるのをじっと息をひそめて待ち続けていた。

 

 蛍は自分から車を降りていた。

 女性に声を掛けられる前に、さっさとシートベルトを外して車外に出ていた。

 あれだけ手こずった靴紐も軽くだが結ばれていた。

 普通に歩く分なら問題ないだろう。

 

 山からの涼しい風が蛍の二つに結わいた髪を柔らかく撫で上げる。

 

 蛍は窓を開けた時、自分の髪が大きく広がっているのを見て、慌てて髪をゴムで止め直していた。

 ポケットに仕舞っておいたキンセンカの髪飾りも両側に付けられていた。

 

 結局髪飾りも想いも捨て去ることが出来ず、表面上は家を出る前と同じ姿のままだった。

 それはあの異変の後の小平口町の様子と同じで、そのことを理解できるのは殆どいないのだ。

 

 同じだと思っているのは、ただの思い込みなのに。

 

 

(結局、戻ってきちゃった……)

 

 蛍は感情のない顔で坂を見つめていた。

 

 それほど急な坂ではないのだが、坂の先には見通せないほどの霧状の白い(もや)がちりちりと浮かんでいる。

 それはなんだか遠い異国の地を思い浮かばせる幻想的な光景だった。

 

 家を出てほんの数時間程度しか経っていないはずのにひどく懐かしく感じる。

 

 それほどまでに感慨深いものがこの地にあるのだろうか。

 わたしはこの町に裏切られたというのに。

 

(何で戻ってきちゃったんだろう。もうここには何もないのに)

 

 帰ってくるつもりなどなかったのに、結局戻ってきている。

 そのいい加減さがなんとも滑稽だった。

 

 流されるまま、気持ちの決着さえもつけぬまま、何食わぬ顔で家に帰ろうとしている。

 

 自分の人生の縮図を見ているようで、なんだか妙におかしくなった。

 

 並々ならぬ決意をもってこの時を選んだはずなのに、人の優しさに少し触れただけで簡単に絆されてしまう、軽薄さがおかしかった。

 

 それは紙のように薄い感情。

 

 風が吹くだけで簡単にひっくり返り、自分さえわからぬ方向に飛んで行ってしまう、いい加減なもの。

 

 そこには裏も表もなく、ただ流れていくだけ。

 指針があるようで実際はなにもない、ただ意味もなく裏と表を繰り返すだけの存在。

 

 結局、何物にもなれない、なり切ることも出来ない。

 きっと、それがわたしの本質なんだ。

 

 誰かがいて初めて行動する意味が生まれる。

 わたしはもともと依存体質なのかもしれない。

 

 吉村さんが来てくれるから食事をする気になれるし、燐が喜んでくれるなら何でもやろうと思うようになった。

 

 誰かの為を言い訳にして、わたしは今まで生きてきたんだ。

 

 その曖昧で適当な考え方が周りにいる人に不快感を与えていたのだと思う。

 今だって無意味に行動して、他人に迷惑をかけてしまったわけだし。

 

 だから燐はわたしの前から居なくなってしまったんだ。

 わたしが迷惑をかけてしまったから、わたしが重く感じられるようになったから。

 

 でも、わたしは燐が好きなことをやめられなかった。

 友達であり、親友であることをやめることができなかった。

 

 それどころか、それはもっと強いものに変化しようとしていた。

 

 彼女のもっと深い存在になりたかったんだと、思う。

 

 だからこそ彼女は、燐はわたしの前から居なくなってしまったんだろう。

 

 でも、それは拒絶ではないことは知っている。

 手は離れてしまったけど、突き放されたわけではない。

 そもそも燐はそういう子じゃないから。

 

 二人の、わたしの事を思って離れていったんだろう、きっと。

 

 そういう意味では彼女とわたしの想いは一緒だった、そう信じたい。

 

 ──信じる、なんてそんな言葉もう意味はなさないのかもしれない。

 

 わたしは彼女のことを受け入れる必要がある。

 冷たく固くなった氷が解ける様に。

 

 それはまだ固く、そう簡単に溶けるものではないが、それでもやらないといけないのだ。

 

 そうじゃないとわたしはまた同じことを繰り返すだろう。

 あのときの白い影がわたしの家を荒らした時のように。

 同じようなことを何度も繰り返して、やがていずれは……。

 

 それはそれでありだとは思う。

 もうこの世界にわたしが求めるものはないのだから。

 

(でも、それは燐の望んでいたことじゃない)

 

 そんなことはずいぶん前からわかっている。

 ただ納得できなかっただけ。

 

 出会いがあるから別れがある。

 それを認めるのに二ヶ月近くかかってしまった。

 

 だからこそいいのかもしれない。

 割り切れない思いほど強く、今もずっと心に刻みついているのだから。

 

(燐、わたしはどんなことがあってもあなたを忘れない……ずっと、あなたの名を覚えているから……)

 

 少しづつ肩の力が抜けていくのが分かる。

 わたしは意地になっていたんだろう。

 

 苦しいことに蓋をして、燐に合えると信じて色々やってきたんだから。

 きっと彼女の笑顔に合えると信じていたのだから。

 

 無意味だったのかもしれない。

 けれどもやるだけのことはやったという達成感はある。

 

 まだ辛いけど、前を向くことを諦めないと思えるようになったから。

 わたしさえ、彼女のことを覚えていればいいんだ。

 

 誰かにそのことを伝えなくてもいい、むしろ伝える気もない。

 

 その決意が出来れば、無謀な行程も意味のあるものになってくる。

 

 

 この町もそうだ。

 

 プラットフォームを突き破る大きな穴も、荒らされたはずのわたしの家も、全て嘘のように元通りになっている。

 

 それは最後の幸運の力によるものなのか、得体の知れない神様の気まぐれなのかはわからない。

 

 ただ、町は新しく生まれ変わろうとしている。

 

 だからわたしは目を逸らさず新しい小平口町を受け入れなくてはならない。

 三間坂の姓を名乗っているからとか、”座敷童”だったとかそういうことじゃない。

 一人の住民として受け入れる必要があるのだと思う。

 

 幸運の力も座敷童の伝承もなくなった小平口町。

 そこに何の価値があるのかはわからないけど、それでも町は残り続ける。

 

 少しの間に大分変化してきているど、それでも町は在り続けるんだ。

 

 蛍は初めてこの町が好きになった気がした。

 

 いい思い出はあまりないけど、それでも生まれ育った町だから、だから大事にしたい、そう思えるようになった。

 

 

「えっと、ここで良かったのよね? それとも、家の前まで行った方がいいかしら」

 

 蛍が物憂げな顔で考え込んでいると、いつの間にか女性が隣に立っていた。

 

「あ、いえ、ここで十分です」

 

 蛍は意識を戻すと女性に振り返った。

 

「そう、ならよかったわ」

 

 思い詰めていた表情の蛍の顔に僅かに生気が宿っているのを見て、女性は少し安堵した。

 

「はい、色々お世話になりました」

 

 特に何も言っていないのに、”どうしてこの場所で停車したのか”、なんて、わざわざ聞かなくてもわかっていた。

 

(”この人”は”わたし”を知っているんだ。そして”わたし”も”この人”を知っている……)

 

 それ以外の答えはない気がしていた。

 

 まだ煮え切らない思いがいくつか浮かんだが、蛍がそれを口にすることはなかった。

 

 それは女性から特に何も言ってこなかったから。

 

 だからお互いに他人のふりをしていたんだと思う。

 その方が余計な気を使わなくていいと思っていたんだろう。

 それは偶然にも同じ思いだったから。

 

 だから一緒に居て苦にならなかったんだ。

 

「わたしね」

 

 女性は軽く髪をかきあげて話し始める。

 

 澄んだ花のような香水の香りはすっかりなくなっていた。

 蛍はそれが別れの合図だと思った。

 

「あなたには悪いけど、自分のしたことを余計なお世話だとは思っていないの。こういうの偽善っていうのかしらね。でも放ってはおけなかったのよ」

 

 腰に手を当てて女性はそう言い切った。

 

 水分を含んだ風が二人の頬を撫でる。

 

 香水の香りが鼻まで届き、蛍は少し驚いた表情を見せた。

 

「何があったのかは聞かないわ。わたしだって色々あったし。でも、まだまだこれからなんじゃない、恋も人生も。これからが一番楽しくなる頃なのよ。って、わたしもまだまだかしらね。もう三十超えてるのだけど」

 

 女性は肩をすくめて、自嘲気味に乾いた笑いをみせる。

 そのおどけた様子に蛍も小さく微笑んだ。

 

 空の色が少しづつ変化していく。

 その急な変化は天候の崩れとは違った不安を女性の中に植え付ける。

 

「ねぇ、大丈夫? なんなら一緒に付いて行ってあげましょうか。ちゃんと説明すればきっとわかってくれるわよ」

 

「あ……」

 

 女性の気遣いに蛍は口に手を当てて、何かを堪えるようにした。

 

 それは急に湧き出てくる感情で、蛍の心を(さざなみ)のように何度も揺らす。

 

 憂いを湛えた女性の瞳は、彼女とよく似ていた。

 大好きな親友の瞳と同じ輝きをつぶさに感じられたのだ。

 

 芯の強そうな真っ直ぐな瞳は波の様に揺れ動いて小さな陰りを映す。

 

 燐とは違った、母性とか、慈愛とかそういったものも含まれていた。

 

 それは蛍が知らない母の瞳。

 青いドアの家のあの人とも違う瞳だった。

 

「……っ」

 

 蛍は両手で口元を抑えると、涙がこぼれない様に小さく俯いた。

 

 込み上げてくる感情が、少女に一つの答えを導き出そうとしていた。

 

 蛍は顔も見たことがない、母親の最後の言葉を聞いた気がした。

 

 それは”名前”。

 

 母親が自分の名前を呼んだとき、その姿が霧のように消えたことを蛍はまだ目の開かぬうちに分かっていたのだ。

 

 蛍は自分の運命を既にわかっていた。

 自分も多分こうなるのだと。

 

 だからこそ、母親の本当の暖かみを今初めて知ることができた。

 それは今まで感じたことがない、安らぎを与えるものだった。

 

 蛍の様子に女性は戸惑いをみせて、再度何か声を掛けようとした。

 

「ねぇ、上まで一緒に──」

 

「いえ、大丈夫です。わたしもう子供じゃないです、からっ」

 

 女性が言い終わる前に、蛍が声を出した。

 俯いた顔を真っ直ぐに向けて、瞳を赤く晴らしながらはっきりとわかる笑みを作っていた。

 赤みを帯びた頬には涙の後が一筋残っていた。

 

 虚勢でも空虚からでもない純粋な想いからの言葉。

 

 きっとわたしが本当に欲しかったものはこれなんだと思う。

 

 ”自立”なんていう形式ぶった概念ではなく、もっと自然な答え。

 大人になるっていうことはきっとこういうことなんだと思う。

 

 子供と大人の境界線があるとするならば、それはきっと、何かを捨てたり変えたりすることじゃない。

 

 自分なりの方向性を見定めることなんだと、蛍はやっとわかった気がした。

 

 生きることに目的や理由なんてない。

 そんなことを気にするから余計に生きづらくなると昔の哲学者は言っていた

 人は何のために生まれたなどど考えること自体がおこがましいと。

 

 だったら、わたしはずっと燐を探し続ける。

 それが世界中を回ることになっても、たとえわたしがお婆ちゃんになったとしても、一生全てを掛けて彼女を探し求める。

 

 まだ彼女のことを覚えている限りそれはずっと続けることがわたしの生きがいなんだ。

 

 すごく単純なことなのに、ずっと答えが出せずにいた。

 夏休みが終わったら、もうすべてが間に合わないと思い込んでいた。

 

 そうじゃなかった。

 むしろこれからが始まりなんだ。

 

 もし彼女をどこかで見つけたら何を話そう。

 泣きついちゃうかもしれないし、もしかしたら引っ叩いちゃうかもしれない。

 

 どうであれ、それは楽しみでもあるし生きがいでもあるはずだ。

 

 わたしは生きる目標があった。

 それはきっと幸せなことなんだ。

 

「……そうね、今のあなたはりっぱな大人だわ、ごめんなさいね。ちょっと自信がなかったのよ。最近そういうことがあったばかりだったから。でも一つだけ忠告しておくわね」

 

「はい」

 

「あなたは何かとても大切なことをしようとしてるみたいだけど卒業だけはしておいた方がいいわよ。学生生活でもとりあえずやり遂げることはなにかの支えになると思うから。最近同じこと言ったばかりなんだけどね」

 

 女性は肩をすくめると、今乗ってきたばかりの軽自動車を見つめる。

 朝靄の煙る町に車のハザードランプの音だけがサイレンのように規則的に鳴り続けているだけだった。

 

「もしかして、お子さん、ですか」

 

 蛍はなんとなく気まずさを覚えてつい余計なことを聞いてしまったと少し後悔した。

 この人は気を使ってこちらのプライバシーに踏み込んでこないのに、こちらから勝手に土足で踏み込むなんて……。

 

(わたしって自分で思っていた以上に我がままでデリカシーないんだな……)

 

 蛍が軽い自己嫌悪に陥っているのを察したのか、女性は暗い影をさっと振り払って蛍に向き直る。

 

「ええ、でも心配いらないわ、もう解決済みのことだし。それに、あなたと同じで芯は強い子みたいだから」

 

「そう……なんですか」

 

 自分から聞いておいて雑な返事になってしまったが蛍は内心、安堵していた。

 

「うん、親になるのってとっても大変なのよ。あなたも分かる日がくるでしょうね。もっとも、あなた可愛いから彼氏とかいるんでしょ」

 

 見かけによらず意地悪な質問をしてくる女性に蛍は慌てたように手を振った。

 

「い、いえ、カレシなんてそんな……わたしにはそんなの」

 

「いらない、とか言っちゃうのこの可愛い容姿で? うーん、勿体ないなあー。わたしが男だったら……ってそういうとこがわたし、おばさんっぽいのか? うーん、今風な多様性を身に着けないとねぇ」

 

 割とどうでもよさそうな事を真剣に考え込んでいる女性に、蛍はすっかり慣れた様子で苦笑いを浮かべた。

 

(やっぱりこの人といるとなんか落ち着く。自然体でいられる気がするよ。それって、燐と一緒にいたときと同じみたいな?)

 

 蛍は自分でもよくわかっていない違和感の正体に気付いた気がした。

 

 けれどもそれを追求しようとはしなかった。

 もう進むべき道は見えているのだから。

 

「あ、その、いろいろお世話になっちゃいました。わたし家に帰ろうと思います」

 

 蛍は今だに考え込んでいる女性に声をかけて、恭しくお辞儀した。

 

「あ、っと、うん! そうね。親御さん心配してると思うけどちゃんと話せば伝わるから。親ってなんだかんだ言ってそういうものだから。あなたなら大丈夫よ」

 

「はい!」

 

 蛍は自分の両親の事を言うことはしなかった。

 それは親であるこの人の事を信用していたから。

 だからその言葉は今の蛍にはなんとなくだけど理解することが出来た。

 

 両親の代わりに自分で自分を心配すること、そして自分を大切にすること。

 蛍はそう解釈することにした。

 

「えっと……」

 

 蛍は何か言おうとしたのだが、言葉が浮かんでこなかった。

 ここまでしてくれたのに、言葉以外何も返さないのは失礼に当たる気がしたが、この女性にはそういうことは不要だとは思っていた。

 それでも何かをしてあげたかった。

 

 親友によく似た親切な人に。

 

「気を使わなくてもいいわよ。わたしもこの町の住人なんだし、何かあればあなたを頼ることがあるわ」

 

 蛍がまごまごしている間に、その心情を察したのか女性は肩をすくめながらそう蛍に言った。

 

 先に言われてしまうとそれ以上なにも言うことが出来ず、蛍は。

 

「はい……」

 

 そう返事を返すことしか出来なかった。

 

 それ以上お互いの間に何も言うことはないというかのように、女性は蛍に背を向けて運転席のドアを開けた。

 

 蛍はしばらくその様子を黙ってみていたがやはり何も言うことが出来ず、代わりにもう一度頭を下げた。

 

 そんな蛍に女性は軽く手を振って微笑み返す。

 

 偶然出会った二人の別れの挨拶だと、蛍は思った。

 

 蛍も女性に背を向けて坂道を歩き始める。

 解いた靴紐は軽く縛って置いたので、今度は易々と外すことが出来るだろう。

 問題があるとすれば鍵を投げ捨てたことだが、家のポストの裏辺りにある石の下に合鍵を隠してあったので誰かが持ち出さなければ多分大丈夫だろう。

 

 むしろ今の蛍には家の窓ガラスを割ってでも入る気概さえあるのだから。

 これまでなかった希望が蛍の中に生まれていた。

 

 簡単なことのはずなのに上手くいかないこと。

 

 そんなものはこの世にいっぱい溢れている。

 いつだってそうなんだ。

 

 それを不条理などの概念で定義づけるから、ややこしくなる。

 

 ただシンプルであればいい。

 

 やる気があるかないか、結局はその二択なのだから。

 

 わたしは──見つけるために生きる。

 

 自分にとっての本当に大切なものを見つけるために。

 

 だから今は学校に行く。

 まだ電車に乗るまでに時間はあるはずなので、少し眠ってから行こう。

 

(あ、電車で寝ればいいか。幸い制服だし……宿題は持ってないけど)

 

 だったらなんとしても家に入らないと。

 

 蛍は数時間後の学校の事を考えながら坂道を一歩ずつ上がっていたそのとき、背後から声がした。

 

「蛍ちゃん!!」

 

 少し驚きながら振り返ると、さっきの女性が息を切らせながら駆け上がってきていた。

 

 蛍は女性の言葉の意味がわからず、思考が停止したように凍り付いていた。

 

「はぁ、はぁ……これ、うちの店の名刺。今週はまだオープン出来ないけど、近いうち開けるからその時は是非来てほしいの」

 

 そういって女性は小さな青いカードを蛍に手渡した。

 蛍はロボットのようなぎこちない動きでそれを受け取る。

 

 綺麗な青のカードは、一目見ただけでも印象に残るほど風味のいい色彩をしていた。

 そこには白い文字で住所と、そしてその店の名前らしきものが書いてあった。

 

 蛍はそれを指でなぞりながら声に出して読んでみる。

 

「青いドアの家……」

 

 聞き覚えのある言葉だった。

 だが、少し不可解なことにその前に空白が多く用意されていたのだ。

 

 不自然な文字の配列に、蛍は青いドアの家の由来を聞く前にそちらのほうが気になっていた。

 

「あの、なんでこんなに空白が空いているんですか?」

 

 蛍の素朴な疑問に女性は痛いところをつかれたような顔で苦笑いをした。

 

「実はまだ正式な名前は決まっていないのよね。だからとりあえず娘がどうしてもつけたいといった、”青いドアの家”だけは書いておいたのだけれど……」

 

「娘さん、ですか……?」

 

「そう、言ってなかったっけ? まあいいわ。あの子、夏休み前に何かあったみたいだったみたいで学校にも行きたくなかったみたいなの。で、夏休み中、気晴らしを兼ねて店の手伝いをさせてあげたらすっかりはまっちゃったみたいでね。”学校に行かないでパン屋やる”って聞かないのよ」

 

「はあ……」

 

「だからね、進路のことはとやかく言うつもりはないから、せめて卒業だけはしておきなさいって言っておいたのよ。まあ、わたしもそういうこと言えた義理はないんだけどね。娘の意見をなにも聞かないで離婚しちゃったしね」

 

「え……」

 

「あ、これも言ってなかったかしら? 別に隠すつもりはなかったんだけど。でも、まあ生き方なんて一つじゃないんだから、いろいろなことを勉強しなさいって娘にはいっておいたの。まあわたしににて頭はいいからどんな職業でも大丈夫そうなんだけどね。運動神経もいいし。なんだか親ばかみたいね、わたし」

 

「娘さんのこと、好きなんですね」

 

 矢継ぎ早に話す女性に蛍は微笑ましさと、いわゆる家族愛的なものを感じた。

 

 それは忘れていた家族の暖かみを蛍の胸中に思い起こさせるほどの愛のこもった言葉だった。

 

 だから蛍は自然な笑みでそう結論づけた。

 

「あ、まあ、ね。わたしの子供だしね。自分の子が嫌いなんて親はいないと思ってる。理想論かもしれないけどね」

 

 的を得た蛍の言葉に女性は一瞬口ごもったが、少し照れたような表情で答えた。

 

 その様子からその子が本当に愛されていることがわかった。

 

 相思相愛とはこういうことを言うのだろう。

 わたしは彼女とこういった関係になれていたのだろうか?

 

 わたしの一方的な思い込みで彼女を苦しめていたのではないだろうか。

 

 もしかしたら愛情の取り違いをしていたのかもしれない。

 愛情とは依存とは違うはず。

 

 互いを想い慈しんで、そしてそれぞれの考えに基づいた生き方をするのがいい関係なのではないだろうか。

 

(燐──わたしは、あなたの目にどう映っていたのかな。わたしはずっとあなたを見てきた。込谷燐という唯一無二の存在、親友のことを。わたしは、三間坂蛍は、あなたにとってどういう存在だったのかな)

 

 わたしは燐の傍に居られればそれでよかった。

 でも、燐は? 燐は……わたしから離れたかった。

 そう、だよね?

 

 だったら、わたしがあなたを探し続けることは苦しめるだけなのかも。

 

 やっぱりわたしは──。

 

「こらっ」

 

 蛍の頭上に何かが落ちてきて、ちょっとばかりの吃驚と、ほんのりとした痛みがあった。

 

 顔をあげると、女性が少し眉を吊り上げてこちらを見ていた。

 右手は蛍の頭に乗せられている。

 

 蛍はこの人に何かされたんだと思った。

 叩かれた、というよりも少し強めに手を頭に乗せられたといった方が正しく思える。

 そのまま、頭をわしわしと撫で擦られる。

 少し強めのスキンシップに蛍は軽く目を回した。

 

「ダメよそんな顔してちゃ、せっかくの美人が台無しになるわよ。二学期なんだからちゃんとしなさい。新学期からそんな顔だと友達に笑われちゃうわよ」

 

 蛍の顔を覗き込むと、片目でウィンクする。

 なんだか本当の母親に言われているみたいで、蛍は胸の奥が桜色の熱を帯びたように、ほんのりと暖かくなった。

 

「はい……」

 

 蛍は嬉しさを胸の奥にしまって、このめくるめくような瞬間をことさら大事に扱った。

 

 この女性は母親だけでなく、父親の側面も持っているように思えたから。

 

「うちの子も一時期暗かったのよね、まったく。だったら喧嘩なんかしなければいいのにね。そう思わない?」

 

「あ、えっと」

 

「ねぇ、蛍ちゃん。もしかしてうちの子と喧嘩したんでしょ? 最近全然連絡もとってないみたいだし。どうしたのかなーって思っていたのよ。まったく、誰に似たんだが、頑固でねぇ。自分から謝れる子にしたつもりだったんだけどね」

 

(やっぱり名前、知ってる?)

 

「あ、あのわたしの名前……」

 

「ええ、蛍ちゃんでしょ。髪を下ろしているから初めは分からなかったけど、結わいた髪を見た時、やっぱりって思ったのよね。うちの子がお世話になってるのに、なんですぐに気づかなかったのかしら……こういうの接客業じゃ致命的なのにね」

 

 なぜ今まで気付かなかったのか、蛍もこの女性とは初対面ではなかった。

 

 漠然とそういう気がしていたが、実際には顔見知りと認識すら出来なかった。

 

(やっぱり、わたしも知っていたんだこの人のこと。なんで思いださなかったのだろう。容姿とか声で気付いてもいいはずなのに。でも、わたしだけじゃない。この人もついさっきまで気付いていないようだった?)

 

 蛍がいくら頭を巡らせても、それに関する答えはでなかった

 

 とても大切なことのはずなのに、なぜか頭に何も浮かんではこない。

 蛍は大事なパズルの最後のピースを見つけられずに悶々としていた。

 

 蛍がひとり懊悩していると、女性は思いついたように手を叩いた。

 

「そうだ、忘れてた。これ蛍ちゃんのでしょ? あの時拾ったから返すわね」

 

 そういって女性は何かをポケットから取り出すと、蛍の目の前に差し出した。

 

 ──それは丸い物体だった。

 

 蛍はそれで、すっかり忘れていた大事なものを思い出していた。

 元に戻したら何かが切れてしまいそうな気がして、結局その丸いままの姿で持っていた、二人の紙飛行機の成れの果て。

 

 丸めてしまったのは自分のせいだけど、それでも大事に持っていた思い出の品。

 紙飛行機のままだったら、きっと持ち運ぶなんてしなかっただろう。

 

(そういえばあの時、ポケットから転がり落ちたんだっけ。わざわざ拾っていてくれたんだ)

 

 蛍は女性の心遣いに感謝するとともに、ずっと大事にしようと思った。

 このノートの切れ端が二人を繋ぐ唯一の絆だったから。

 

 もし無くしていたらきっと物凄く後悔していただろう、燐とわたし、二人の想いを乗せたものだったから。

 

(でも、もう飛行機の形じゃなくなっちゃったから、燐、怒っちゃうかもね)

 

 それでも良いんだ、だって形を変えても二人で飛ばしたことに変わりはないのだから。

 体のいい言い訳かもしれないけど、それでもよかった。

 

(もし燐に怒られるなら、それはとても嬉しいことだし)

 

 だから彼女に合うその日まで大事にとっておこう。

 空から落ちてきた、そそっかしい幽霊の忘れ物を。

 

 持ち主に届けるまで、わたしはこの世界に留まればいいのだから。

 

 

 蛍はその思い出の品を受け取るべく、両手を伸ばす。

 

 女性は小さく笑って、掌にそれを乗せた。

 

(え……!?)

 

 それは確かに丸い形だった。

 

 けれども、明らかに違うもの。

 色も、形状も、そもそも大きさが違う。

 

 だが、蛍には見覚えがあるものだった。

 

 むしろこちらのほうが()()()があるといってもいい。

 それぐらい印象が強かったから。

 

 丸い球、それは確かにノートの切れ端を丸めたものだった。

 わたしがどうにもならない不条理にすべてをぶつけた結果そうなったはずなのに。

 

 これは明らかに違うものだ、わたしのものじゃない──。

 

 これはあの人が大切にしていたもの。

 

(オオモト様が持っていた……手毬!?)

 

 それは蛍の手の中に確かにある。

 現実的な重さで手のひらの上に転がっていた。

 

 蛍は慌てたように女性に尋ねた。

 

「あ、あのっ! これって本当にあの時に転がったものなんですかっ!?」

 

「え。ええ、そうよ。確かにあの坂の上で転がってきたのよ。暗闇の中から急に湧き出たように転がってきたから、ちょっとびっくりしたのよ。でも転がってきた方向にあなたがいたから……」

 

 捲くし立てる要は蛍の剣幕に少し驚いてしまったが、女性はあの時のことを想い返す様に蛍に言って聞かせた。

 

「あの、他にはなにもなかったですか? その、同じような形の丸い紙、とか」

 

「わたしはこれしか見てないわ。ほかに別に落としたものでもあるの?」

 

「いえ、その……」

 

 女性の素朴な疑問に蛍は口ごもる。

 説明のしようがなかったから。

 

 あの紙飛行機の成れの果てが手毬になったとは到底思えない。

 

 不可思議な現象があるこの地においてでも、そう思った。

 

 今、手のひらで包み込んでいる手毬は蛍のスカートのポケットには明らかに収まりきらない大きさに見える。

 

 でも、この女性は転がってきたものはこれだけだと言っていた。

 嘘をついているようには見えないので確かにこの手毬が転がってきたのだろう。

 

(でも、わたしは紙の球しか持ってきていない。それに最後に青いドアの家に行ったときにはオオモト様と一緒に手毬もなくなっていた、はず……?)

 

 なんだろう、記憶が曖昧になっている気がする。

 これまで正しいと思っていたことが揺らいでいくような、そんな不安定な気持ちに蛍は駆られた。

 

 何かが変化していくような感覚。

 それは何かを試す様な感じで選択を迫れてるような一種の脅迫的なものがあった。

 

「これ以外にはなかったけど、暗くてわからなかったかしら?」

 

 女性は蛍が手の中の手毬を呆然と見つめていることに不思議がったが、おもむろに手毬を取ると、無造作に上空に放り投げた。

 

 蛍が気付いたとき、毬は暗い空に緩やかに浮かんでいた。

 

 深い藍色の空に白い毬が舞い踊る。

 様々な色の糸でかがられた幾何学模様が、回転するたびに違った表情をみせる。

 

 蛍はその光景に微かな既視感を覚えた。

 

 青いドアの家でオオモト様がしていたこととまったく一緒だったから。

 とても単純なことなのに鮮烈にそれを覚えていた。

 

 女性はなにが気に入ったのか、何度も毬を宙に投げる。

 

 手で受けるたびに毬はぽん、ぽんと軽快に鳴った。

 だが、それだけではなく、ちりん、ちりんと聞きなれない音も混ざっている。

 

 わざわざ耳をそばだてることもないぐらいそのはっきりとした音色は、毬の中から聞こえてくるように感じた。

 

 その小気味よい音を鳴らそうと女性はより高く毬を上に投げた。

 薄暗い背景をばっくに、手毬は小さな月のように、その姿を宙に晒す。

 毬の表面の幾何学模様が回転に合わせて華やかな模様を形作る。

 

 蛍はもどかしい思いで、少し急かす様な声色で女性に声をかけた。

 

「あ、あのっ、やっぱりそれわたしのですっ。だ、だから、その、もう……」

 

 蛍はこれ以上女性が毬で遊ぶ行為が怖くなった。

 

 これがもしオオモト様の持っているものと同じだったとしたら、この地にまだ座敷童の力が残っていることになる。

 そんな気がしたからだった。

 

「あら、ごめんなさい。つい童心に帰ってしまったわ。はい、あなたにかえすわ」

 

 蛍の焦ったような物言いに、女性は慌てて遊んでいた手を止めて蛍に再度手毬を返した。

 

 手の中で静かにたたずんでいる手毬。

 蛍は一瞬、じっと見つめると、おずおずとした手つきで毬を両手で静かに降ってみた。

 

 ちりん、ちりん。

 

 虫の音の様な静かで耳障りの良い音が、手毬の中から確かに聞こえてくる。

 

「中に鈴が入っているのかしらね。可愛い音色ね」

 

 女性の言葉に同意するように蛍は頷くと、おもむろに毬を上空に踊らせてみた。

 

 ちりん、ちりん。

 

 可愛らしい鈴の音が舞い上がる手毬を音で彩る。

 その色相が変化する模様を見た時、蛍の脳裏にある考えが浮かんできた。

 

(きっと、この毬が幸運の概念そのものだったんだ……)

 

 手毬の外側の糸はこれまでこの土地で培ってきた幸運。

 それを紡いでいるのはわたしより前のオオモト様……つまりは座敷童の力。

 

 今、その中心にあって小さな音色を奏でているのは、小さくて儚い鈴の音。

 それは、多分燐の声。

 

(そういうことだったんだ……)

 

 わたしの前から燐が居なくなったわけじゃない、ましてや幽霊になんてなるはずもない。

 

 もっと単純なことだったんだ。

 

 

 ──わたしが見えなくなっただけ、聞こえなくなっただけなんだ。

 

 燐の姿も、声も、すぐ近くにあるのに、何も見えなくなってしまったから。

 何も聞こえなくなってしまったからなんだ。

 

 ()()()が自分の足元ばかり見ていたから。

 

 だから……なんだ。

 

 そう、わたしはきっと盲目になっていたんだ。

 

 一番大事なものを見ていたつもりなのに、肝心なものが見えてなかった。

 

 彼女の幸せを願っていたはずなのに、結局は自分のことしか見えてなかったんだ。

 

 だから燐が教えてくれたんだ。

 自分の存在を無くすことになっても。

 

 幸せの大切さ。

 

 それをわたしに教えてくれただけなんだ。

 

 

 なんてことはなかった。

 

 

 

 わたしが、少女を──燐をころしてしまったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ────────

 ──────

 ────

 

 







先々月の半ば辺りからハンドケアマッサージ機なるものを使っているのですが、値段の割に結構満足度が高いです。
たまたま行ったホームセンターで新品なのに半額と言う、所謂在庫セール品だったんですが、前から気になっていたのでついつい買ってしまいました。

以前、店頭でお試しでやったことがあってちょっと気になってはいたんですけど、買うにはちょっと値段が、となっていたんですけど、半額ならということで買ってみました。
安物の割にはいい仕事してると思いますっ。ほぼ毎日使ってますしねぇー。

ですが、安いのには何かしらの理由があるわけでして……。

・コードレスなのは良いのですが、充電式なのにバッテリー残量が分からないとことか。
・軽いんだけどちょっと形が大きすぎるとか。
・ボタンの効きがあまりよろしくないとか。
・専用ポーチと汚れ防止のビニール手袋が付属していたのですが、手袋は4枚程度しか付いてないし(既存のビニール手袋で代用可能?)、ポーチはサイズがピッタリすぎてとても使い物にならなかったり。
・3種類のマッサージが楽しめるんですがその中の一つが”骨を折る勢い”でマッサージしてくるところとかとかとか……。

と、まあ色々粗は目立つのですが、それでも重宝してます。一応3段階の切り替えも出来ますし、この時期にはありがたいヒーター機能も付いてますしねー。
っていうかわりと普通の機能かもしれないですね。でも、コスパは良い気がします。

スマホ片手にハンドマッサージ……はそこそこプチ贅沢な気分に浸れます。

ただ、前にお試ししたのはフランフランのものだったので、あちらのほうが多分、性能が良い気がするー。
フランフランで売ってるヒータールームブーツも冷え性の私にはちょっと気になるアイテム……でも1時間しか暖かさが持たないのがなぁ……。


★青い空のカミュ。

DL版が、現在50%OFFセールをしてますねー。結構久しぶりっぽいかもー。
でも、美少女ゲームのサブスクリプションにも入っているのに、半額でも買えるとか、太っ腹
かな? サブスクで”青い空のカミュ”が気に入ったのでしたら、今がお買い得かと思われます。

でも、多分新春セールやりますよね? やっちゃいますよねー?
……まあ、確定ではないと思いますので、買いたいときに買ってしまうのがいいかと思われます(同じことを毎回言ってる気がしますがっ)

あ、もちろんkai-softの回し者じゃないんですよー。ただの通りすがりの狂信者なだけですからー。


★ゆるキャン△

ゆるキャン△ SEASON2放送までもう既に1ヵ月切ってますよ───!! 時が経つのは本当に早いですねぇ。特に今年は世界的に大変な一年だったのに、それでも等しく時は流れるんですねぇ……感慨深いです。

で。2期の新たなメインビジュアルが公開されたのですが……伊豆キャンまで確定みたいですね──。
そうなると、劇場版は大井川キャンプと千明の断髪式あたりになるのでしょうか。それともアニメオリジナルエピソードでしょうか……期待半分、不安半分、ですねぇー。

それにしても、ゆるキャン△ の2期はかなり期待されてるっぽい? なんかイベントやらグッズやらが満載なんですけどー。
深夜アニメの2期はまったくと言っていいほど宣伝されないのが定説かと思ったんですが……新型コロナのせいもあって、新作アニメがリリースし辛い事情も? あるのかもしれないですね。
今頃”ソロキャン”が流行語に入ってしまうぐらいですし、キャンプブームも相まって期待値はそうとう高いのかもしれないですねー。

なんにしても、来年の楽しみがあるのは良いことです~。


それではでは~。
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