We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life. 作:Towelie
夜明け前の空に小さな穴が開いていた。
それは月でもなく、星でもない。
ただの毬。
小さな鈴の音を響かせながら手毬が虚空に舞っていた。
くるくると回転を繰り返しながら、様々な色の幾何学模様を藍色の空に映す。
その古風な感じがこの山に囲まれたひなびた町の情景と幾分マッチしていた。
頂点近くまでのびきった毬はその場で留まることなく、力尽きたように落下をし始める。
それは普通の動作だったから。
だから女性はそのまま少女の手の中に収まると思っていた。
それは必然の動きではなく、偶然と言うほど仰々しいものでもない。
ごく普通の微量なエネルギーによるもの。
むしろそれは慣習の類だった。
本を読むためにページを捲るように、投げた毬を受け止める手の動き。
それらは好奇心から来るものだ。
例え、毬を取りそこなったとしても、手はそれに準じた動きになっているのだから。
だから、女性は驚いてしまった。
蛍は落ちてくる毬を拾おうとする気もなく、ただその場に立ち尽くしていたのだから。
両手は力なく垂れ下がっているだけで、受け取る気配も見せずにただ立っているだけだったから。
毬は、ぽーんと少し間の抜けた音を立てて大きく跳ねると、何度かバウンドしたのち、地面に転がった。
そのままころころと坂を下って女性の足元まで転がってくる。
それに僅かな既視感を覚えると、女性は軽くため息を付いて、腰を屈めて毬を受け止めた。
ちりん、とお礼を言うように毬の中の鈴が小さく反応する。
幼い子供の様な可愛げのある毬に女性は応じる様に微笑んだ。
そのまま手毬を拾い上げると、蛍の方に視線を移す。
蛍は空の一点を見つめながら、毬の方に気もくれずに立ち尽くしたままだった。
何かあるのか、と女性も蛍が見ている方角に視線を送る。
そこには黒い空があるだけで、月はおろか星さえも消えてしまっていた。
それでも蛍はじっと空を見つめている、その体が僅かに震えているように見えるのは気のせいだろうか。
さすがに不審に思ったので女性は毬を手に蛍に声を掛けた。
「どうしたの? 何かあったの」
蛍は何も答えない。
蛍の様子が明らかにおかしかったので、女性は坂をゆっくりと歩きながら蛍の元に近寄ろうしたとき。
「ごほっ、ごほっ」
蛍は口に手をあてがいながら咳きこみ始めた。
なかなか咳が止まらないのか、身体をくの字に曲げて嗚咽を繰り返すと、膝から崩れ落ちる様にしゃがみ込んでしまった。
突然の事態に、女性はわけもわからず声を荒げた。
「ちょっと! 大丈夫なの!?」
手毬を小脇に抱えて、女性はしゃがみこんでいる蛍に駆け寄った。
何があったのか、蛍は肩で息をしていた。
それは女性が蛍を見た中で一番疲労しているように見えた。
ほんの少し前まで元気そうにみえた少女は、突然歳を取ったかのように衰弱しており、目も虚ろになっていた。
毬が地面に落ちるまでの僅かな間に、蛍は別人のように生気を失っていた。
息をするのも辛いのか、ぜいぜいと苦しそうにしている。
女性は蛍を楽にさせるように、地面に寝そべるような格好にさせるとその頭を膝の上に乗せた。
軽く手を握ると蛍の手は氷のように冷たくなっている。
それなのに額は火傷するかのように熱くなっていた。
蛍の目が何かを訴えかけている、そう直感で思った。
「大丈夫、軽い立ち眩みだと思うから、このままじっとしているといいわ」
蛍の思いを察して女性はそういった。
張り付いた前髪を優しく払ってあげると、蛍は小さく首を横に振った。
「お水が欲しいのね? ちょっと待ってて、車にまだペットボトルの水が残っているはず……」
女性が少し身を上げて停車している軽自動車のほうに視線を上げたとき、腕を掴まれた。
とても冷たい手、それは掴まれたのが分からないぐらいに力のないものだった。
女性は顔を戻すと、蛍は先ほどよりも少し強く首を横に振っていた。
「違うの? じゃぁ……」
女性が頭を巡らそうと空を見上げると、小さな声が耳朶を打った。
始めそれが蛍の声だと気づくまで少し時間を要した。
それぐらい、小さな声だった。
周囲の虫の音のほうが大きいぐらいの、か細い声で蛍は話し出した。
「違う、んです……わたしが、わたしが、ころして……しまったんです……だから、ごめんな、さい……」
女性には蛍が何を言っているのかまるで理解できなかった。
(ころした? この子、ころしたって言ってたわよね? こんな虫もころさないような子がなにをころしたというの??)
言葉の真意を確かめたかったが、急に弱々しくなった蛍の瞳を見てると何も言えなくなってしまった。
代わりに別の言葉が頭に浮かんだ。
「少し水分を取った方がいいわね。ちょっとここで待っててね、今取ってくるから」
何かから逃げる様に女性が立ち上がろうとすると、蛍のか弱い手が再度女性を引き留める。
そうじゃないと、言わんばかりに目を見開いたままで。
蛍の予想以上の頑固さに根負けした女性は蛍と向かい合うことにした。
この少女は何かとても大事なことを話そうとしてると思ったから。
だから小さく冷たい手を癒すようにぎゅっと強く握りしめてあげた。
「あの、あなたは……燐の、お母さん、ですよね?」
蛍のその言葉で女性は蛍が何を言わんとしているのかを大体想像できた。
でも、それは先ほどの言葉とは関係ないものと考えていた。
女性は一度息を吐くと、微笑みながら答える。
これまで出したことのないぐらい明瞭な声で。
「ええ、そうよ蛍ちゃん。何度かあったことあるわよね、家に遊びに来た時に」
女性は記憶を巡らせながら蛍に語り掛ける。
そこには虚勢も威圧もなく、ただ普通に、娘の友達に聞かせる声のトーンで話していた。
その声を聴いて蛍は力なく微笑んだ。
瞳を嬉しそうにほころばせているが、口は小さく動くだけだった。
「やっぱり、そうですよね……良かった、間違ってなくて……あっ、ちゃんと挨拶してなかったです、ごめんなさい……三間坂、蛍です……」
「いいのよ、そんなこと。それより、苦しくない? やっぱりお水取ってくるわ」
「でも……」
「いいから、たまには言う事聞きなさい」
「え。あ、はい……」
母親が娘に言うようなその口ぶりに蛍は呆気に取られるも、素直に返事をした。
(なんだか、本当のお母さんに怒られたみたい……)
本当のお母さんになんかあった記憶もない。
それでも、そう思っただけでなんだか気持ちが少し落ち着いたような気になった。
「まだ寝てたほうが良さそうね。これ枕になるかしら?」
女性は毬を軽く叩いたり両手で押したりして、何かの実験的なことを始めていた。
すると何か確信があったのか、膝に乗せていた蛍の頭を少し持ち上げて、空いたスペースに手にしていた毬を素早く差し入れた。
「……?」
蛍は何をされたのかよくわかっておらず、後頭部の不思議な感触に首を傾げた。
毬は意外にも蛍の体重を絹の糸の繊維だけで受け止めていた。
手毬は伸縮性があるのか形を変えることなくその丸い姿のまま、地面の上で安定した枕となっていた。
あまりにも上手くいったので女性は自分でも関心するほどだった。
蛍は顔を見られていることに恥ずかしさを覚えて手で覆い隠したくなったが、絶妙なバランスで毬に頭を乗せていることに不安を感じて、手を動かすこともままならなかった。
「ちょっとだけそのままをキープしててね。すぐ戻ってくるから」
言うは早いが、女性は身をひるがえすと止めていた軽自動車に駆け出していた。
「あ、ありがとう、ございます……」
熱に浮かされたような顔を僅かに上げて、蛍は感謝の思いを消えかかりそうな声で伝える。
その小さな声が届いたかどうかは分からないが、女性は此方を一瞬振り返る小さく手で合図をした。
その様子に目で合図を送ると、蛍は眼前に広がる黒い空をぼんやりと眺めていた。
空は明るさを取り戻すかのように、グラデーションを繰り返しながら夏本来の色に近づきつつあった。
(このまま待ってれば、夜は明けるんだよね……)
いつまでも続くかと思われていた終わらない夜、蛍はあの夜のことを思い出していた。
今とは違う作りものの世界、そことは違うことを改めて知った気がした。
普通なことだけど、それがなぜか嬉しかった。
普通に朝を迎えられることの喜び。
あの世界とは違う、現実的な空の色を蛍は自然と待ちわびていた。
風も、鳥の声も、虫の騒めきも。
何もかもが写実的で、当たり前の中で流れている。
燐もわたしも渇望してならなかった
それはどこまでも果てしなく。
先を見通せるなんてことはなく、ずっとずっと続いているんだ。
蛍は鼻から息を吸い込んでみる。
小さな肺の中に新緑と夏の情景がなみなみと注がれる。
少し気持ちが落ち着いてきた気がした。
蛍は頭の下にある毬の感触を確かめながら、少し憂鬱な表情で頭を巡らせていた。
それはもっとも言いたくないことで、言わねばならないことだったから。
(燐のお母さんになんて言ったらいいのかな……)
蛍は右手を胸元に当てて考え込む。
左手は無意識に額と瞼の間に乗せていた。
目隠しをするようなその仕草はなんとも憂鬱げに見えた。
手の隙間から空を見やる。
青と黒の混ざった抽象画に薄暗い色の雲が点々と落ちていた。
きっと数時間で夜が明けて朝が来るだろう。
そうなればいつもの世界が始まってしまう。
ただ流されるだけの怠惰な日常が。
その前に答えを出しておきたい。
答えは自分の罪。
無知で無思慮でどうしようもない自分がした、許されない罪の事だった。
蛍は瞼を閉じて嘆息する。
自分の生まれ持った力が無意識に行なったことだとしても罪は消えないのだと。
(わたしは一番大切なものを、一番残酷な方法でころしてしまったんだね)
悪意でも善意でもない、願いを叶えるというやり方で。
彼女が望んだ方法でころしてしまったのだと。
暗い空が滲んで見える。
森の匂いを含んだ風が頬を撫でて、長い髪を静かに揺らしていた。
(なんとしても言わなくちゃ……きっとわたし、すごく後悔すると思う)
でも、なんて言ったらいいのだろう?
さっきはつい、うっかり喋っちゃったけど、冷静になってみるとかなり突拍子もないことを口走っていたことに気付く。
(ちゃんと説明しないと。そういえば
蛍は一瞬、楽観的な考えが浮かぶが、それをすぐに打ち消した。
仮定を出すことが出来るがそれだと色々と辻褄が合わなくなってしまう。
そんな都合のいいことなんてあり得るはずがないし。
それに。
考えうる限りの手を尽くしても燐に繋がる手掛かりは残っていなかったから、その線は薄かった。
(でも、燐のお母さんが今ここに居るんだから、ひょっとして!?)
楽観的な考えと悲観的な考えの両極端が蛍の頭の中で何度も鬩ぎ合う。
どの道聞くしかないと蛍は決意した。
「はぁ、はぁ、大丈夫? 気持ち悪くなってない?」
蛍が仰向けのまま頭をフル回転させていると、意中の人が息を切らせながら舞い戻ってきていた。
坂を全力で登ってきたのだろう、額には汗が滝のように流れていた。
右肩には可愛い絵柄のあのトートバッグを下げている。
「寝心地悪かったでしょ。それともこの毬の方が枕として優秀だったりして」
「いえ、そんなに、寝心地良くはなかったです」
女性のノリに合わせて蛍は答える。
蛍この女性──燐の母親に、母性と友達的な感覚を同時に感じていた。
それは友達の母親という感覚ではなく、むしろ本当の母のように思えていたから、少し甘えたような声になっていた。
「そう? じゃあまた膝に乗せてあげるわね。あ、はい、お水。ちょっと減ってるけどタオル濡らすのに使っただけだから。それともスポーツドリンクのほうがいいかしら?」
女性はバッグからペットボトルに入った水とスポーツドリンクを交互に取り出す。
蛍は小さな声をあげた。
異変のあった夜、燐が自販機でカフェオレを注文したのに出てきたのは何故かスポーツドリンクだった。
カバンから出てきたのはそれと同じデザインのものだったから、とても驚いてしまった。
(何の変哲もないスポーツドリンクだけど、確か燐のお父さんが良く飲んでたって言ってたよね……)
蛍の目線が手の中のスポーツドリンクに注がれていることに気付いたので、女性は蛍とペットボトルを交互に見渡すと、にこりと微笑んだ。
「はい、どうぞ。スポーツドリンクが飲みたいんでしょ。じゃあ、わたしは水を貰うわね。急いできたから汗かいちゃったのよ」
女性はそういうと蛍にスポーツドリンクを手渡して、自身はペットボトルの水に口をつける。
顔に似合わない豪快な飲みっぷりに蛍は目を丸くして見つめていた。
「あー、お水冷たくて美味しい! わたし、今ぐらいの時間が一番好きなのよ。夜でも朝でもない。朝焼けの気配がする紫色の空の色が。なんて、変な事言ってるわね」
「変じゃないですよ。わたしもこの空の色好きです。なにかが始まりそうな感じがして」
「そうね。これから一日が始まるのよね」
二人は言葉なく、ただ空を眺めていた。
夜明けを待つような素振りを見せながら、そうではない、そんな曖昧な空の色に惹かれていた。
慎ましやかな街燈の明かりがよく知る町を異国的に彩る。
夜の湿った空気が消え去って、夏の朝のしっとりとした空気に変わった気がした。
蛍もキャップを外してスポーツドリンクに口をつける。
ほろ苦い甘みと清涼感。
燐も同じ味わいを感じていたのかな、そう思うことが懐かしく、感慨深かった。
そしてあの時のことを思い出す。
自販機の前でそれぞれペットボトルを持ち、白い月明りの下で語り合ったときのことを。
あのとき、燐は自分の父親のことを話してくれた。
あの時の燐は寂しそうだった、けれど目線は穏やかに見えたんだ。
だから胸の内を話してくれたんだと思う。
カフェオレじゃなくてスポーツドリンクが出てきたのは普通は間違いなんだけど、あのときの燐とわたしにとっては間違いじゃなかったと思ってる。
燐は世間一般でいう平凡な家庭を望んでいたんだろう。
そんな些細なことさえ叶わない世界に悲観していたんだ。
だからこの世界から燐は居なくなってしまった。
要因はそれだけじゃないと思うけど、一因はあると思う。
(わたしはあの時の燐の思い出を覚えてる。でも、燐のお母さんは……?」
あの、
実際、あの聡さえ覚えていなかったのだから、もう知っているものはいないと思っていた。
だけど。
(あの時の燐のお母さんって、何処に行ってたんだろう? 燐の話だと留守にしてるって言ってたけど)
蛍の推論では離婚関係ではないかと思っている。
燐の話だとそのせいで週末は家を空けがちだと言っていたから。
──燐の事が心配じゃなかったのかな?
余計なお世話だと思うが、どうしても気になってしまう。
両親の面影さえない蛍には到底分からないことであるのだけれど。
だからこそ余計に”母親”の気持ちが知りたかった。
──聞いてみたい。
好奇心が沸々と湯水のように蛍の内側から湧きあがってきた。
他人の気持ちに土足で入るのは良くないことは知っている。
(でも、燐はわたしの親友だから、だからやっぱり聞いておきたい)
「蛍ちゃん、頭にタオル乗せるわね……ん? どうかした? なにか難しい顔をしてるようだけど」
「あ、いえ。気にしないでくださいっ!」
心の内を覗かれたみたいで、蛍は思わず誤魔化す様に大きな声を上げていた。
「あら、そう」
興味なさそうな返事を返すと、女性は柔らかな手つきで蛍の前髪を左右に軽く寄せて、その露わになった額に水で濡らしたハンドタオルを丁寧に乗せた。
タオル越しに水の冷たさが伝わってきて、火照った頭を心地よく冷やしていく。
それがとても気持ちよくて、蛍は軽い眠気に誘われた。
蛍は微睡みの中で、女性の顔を見やる。
親友のような優しい、慈しむような瞳。
それが蛍の視界いっぱいにあった。
鼓動が小さくどきり、と鳴った。
(燐のお母さん、凄いよね。なんでも出来るしすごく優しいし。でもそれって燐と同じ、だね。親子って何かしら似てくるんだね……)
蛍には親子で過ごした思い出がなかったから。
母も父も物心つく前に居なくなったのだから仕方がなかった。
その役目は別の人、家政婦の吉村と、世話役の大川が引き受けることになった。
でも、この二人がほんとうの親でないことは直ぐにわかっていた。
今となってはそれは座敷童としてのものだったのかもしれない。
人との違いを嗅ぎ分ける能力が最初から備わっていた可能性がある。
特別なものとそうじゃないものの違い。
それが出来るのは特別なものだけ、普通の人には見分けがつかない。
だからこそ特別な人は苦しんでしまうのかもしれない。
蛍には分かっていたけど苦しむことはなかった。
だって何も求めなかったから。
何も期待してなかったから。
だから周りの人が思うほど辛いとも寂しいとも思うことはなかった。
でも今はちょっと違う。
楽しいことも、嬉しいことも知ったけど、辛いこと悲しいことも分かってしまった。
わたしはいつの間にか”特別”じゃなくなっていた。
でも、自分ではそう思っていただけで、みんなと一緒じゃなかった。
わたしは、特別をやめることができるんだろうか?
(だったら、燐は、燐も……特別、なの? 燐のお母さんに聞いたら分かるのかな……)
燐が飲んでいたのと同じスポーツドリンクに口をつけながら、彼女の母親の膝枕の上に頭を乗せながら考え込む。
この人にどういった聞き方をしたらいいのか、蛍には中々に難しい問題だった。
なのでここは思い切って率直に聞いてみることにした。
もしかしたら機嫌を損ねることになるかもしれない。
けど、だからと言って黙っているわけにもいかなかったから。
ここで聞かなかったらきっと後悔する、そう蛍は感じていた。
「あ、あの……聞いても、いいですか?」
蛍はおずおずとことさら慎重に女性に話しかける。
「ん、なにかしら」
蛍の顔色が少し良くなってきたことに安堵したのか、女性は優しい声で答える。
素直に美しい人だと思った。
その自然な優しさが燐とそっくりであることに蛍は今、気付くことができた。
「あ、え~と、その、お、おこ……」
「おこ?」
(ゆ、勇気ださなきゃ……!)
蛍は息を飲み込むと、焦燥感に突き動かされたように思いの丈を言葉に変えた。
「ええっと、お、お、お子さん! そ、そう、お子さん産んだ時ってどうでしたかっ!? やっぱり、苦しかったですかっ!」
蛍は、本当は一言づつ言葉を選んで話し出す……つもりだった。
流石に直接的に聞くのはちょっと難しい気がしたので、当たり障りのない話題から入るつもりだったのだ。
これでも。
だが、口から出たのは回りくどい質問とは、遥か上を行く突拍子すぎる質問だった。
蛍は自己嫌悪から今すぐにでも女性の前から消え去りたくなった。
「えっと……蛍ちゃん?」
蛍の質問の意図が全く分からず、女性は眉を寄せて蛍の顔を覗き込んだ。
蛍はすっかり動揺してしまい、どういった表情を見せていいのか分からず、とりあえず普段めったにやらないような愛想笑いを即興で作ってみせた。
顔を赤くしながらこめかみを小刻みに動かして、口角を無理に吊り上げる蛍の笑みは、傍目から見ても痛々しいものであった。
「あはは」
「あははは……」
顔を見合わせて互いに笑いを浮かべる。
はあ、と大きなため息を付く女性の仕草に蛍は反射的に身を竦めてしまった。
「あ、あの~」
その後の沈黙に耐えかねて、おずおずと蛍から声を掛けた。
──すると。
「あははははっ!!」
女性は綺麗な顔を歪ませて大声て笑い始めてしまった。
「えっ?」
蛍は思考が停止したように固まってしまった。
「あはははっ!! ごめんなさい。急にそんな質問してくるからおかしくなっちゃって」
よほど”ツボ”に入ったのか笑い声はなおも収まることなく女性は文字通り腹を抱えて笑っていた。
「は、はい」
蛍は顔を真っ赤にして、照れ隠しするようにペットボトルの水に口をつけた。
水を飲んでもまだ羞恥心は収まりそうになかった。
「あー、ごめんごめん。ついおかしくって。でも、こんなに笑ったの久しぶりかもしれないわね」
「……? そうなんですか?」
「ええ、ここのところ忙しくって、笑ってる暇も泣いてる暇もなかったのよ。だからちょっとすっきりしたかも。ありがと」
「あ、いえ。喜んでいただけたのなら良かった、です」
何といっていいか分からず、蛍は適当な言葉でお茶を濁した。
「それで、出産のときの話ね。確かに苦しかったわ。もう死んじゃうんじゃないぐらいに苦しくてねえ。そしたらね”アイツ”立ち合いにも来ないのよ! 仕事が忙しいって。子供と仕事どっちが大事なのかってねぇ」
「はい……」
「まったく、男なんて子作りだけ一生懸命で、いざ生まれるってなると怖気づくんだから、まったく……大体……あ、ごめんなさい。蛍ちゃんにはまだ早い話だったわね」
「あ、えっと……多分、大丈夫です? わたしももう高校生ですし」
蛍は伏し目気味に俯くと空のペットボトルを両手で弄んだ。
ぺこっ、と大きめの音がして、蛍は思わず慌ててしまった。
「そうね。蛍ちゃんもうちの子も同い年だものね。こういう話しぐらい普通にするわよね」
「あのお子さんって……」
意図せずにして理想的な話の流れになったので、蛍はここぞとばかりに話を振ってみた。
「ええ、
ため息交じりに当時の事を振り返る女性に、蛍は感慨深くなっていた。
それは共感や同情からではない。
(燐がいるの……!? でも、本当に……どうしよう)
嬉しいはずなのに、喉から声が出てこない。
急に過呼吸に襲われたようになり、蛍は鼻から呼吸を繰り返した。
「すー、はぁ……」
ちゃんと息が出来るようになると、とたんに心が弾け出すように高鳴っていくのがわかる。
心臓の鼓動がステップを踏むようにほのかな暖かさと共に聞こえるほど鳴り出している。
蛍は気持ちを落ち着かせるように胸元でペットボトルをぎゅっと握りしめた。
ちゃぽん、と言う水音が心の揺れを表しているようで余計に恥ずかしさを感じる。
唐突に目頭が熱くなる。
それは純粋な感情の昂り、それが涙腺を刺激して温かな雫を蛍の目元を溢れさせる。
理由など必要なかった。
驚きと喜びが混ざり合った感情が頬を伝いとめどなく流れていく。
「ど、どうしたの!? どこか痛むの??」
突然涙を流した蛍に心配そうな声を掛ける女性。
「……大丈夫です。ただ嬉しかっただけですから」
流れる涙を拭おうともせず、女性の目を見ながらそう答えた。
蛍の瞳には純粋なものしか映っていなかった。
「そう、わたしもあなたが元気になってれて嬉しいわ」
そう言って蛍の髪を撫でる。
蛍は今、この瞬間がとても幸せだった。
「そういえばその髪飾り綺麗ね。キンセンカがモチーフなのかしら」
「あ。はい……」
蛍が惚けていると、不意に女性が蛍の髪飾りを気にしだした。
だが、蛍としては……。
(もっと燐のことが聞きたかったんだけど……)
何とも煮え切らない感情があったがとりあえずそれは胸の内に閉まっておいた。
だっていつでも聞けることだから。
それは今じゃなくても良いと、この時は思っていたから。
「これは家政婦の人がくれたんです。こういう綺麗なの集めるのが好きだったから。でも……」
「でも?」
「えっと、キンセンカってあまりいい花言葉じゃないじゃないですか。小さい頃は気にならなかったんだけど、今となってはその……」
蛍は少し口ごもった。
実のところほんの少し前まではお気に入りの品だったのだ。
だが、自身が座敷童だったことや、友達が、燐が居なくなったこと、そういった不条理の積み重ねがお気に入りだったキンセンカの髪飾りを嫌なものに転嫁させていた。
一種の八つ当たりだったのかもしれないが、そういったものがないと精神を安定させることが出来なかったとも言える。
それに結局手放すことは出来なかったわけだし。
「キンセンカの花言葉って別離とか悲嘆だったかしらね。でもあれって……ねぇ、蛍ちゃん。あなたって日本人よね?」
「えっ!? あ、はい。多分」
この”多分”は曖昧な言い回しや、言葉の綾ではない。
人類かどうかの部分での多分だった。
かなり壮大なニュアンスを含めたものだったが、それを察することが出来るのはせいぜい蛍と燐ぐらいだろう。
(そもそも座敷童に国籍とかそういうのあるのかな……)
「まあ、そうよね。名前からして”蛍”だしね。で、キンセンカの花言葉なんだけどあれって良くない花言葉は大体ギリシャ神話からなのよね。だから日本人であるわたし達には関係ないのよ。そう思えばちょっと楽にならない?」
「えっと、まあ、そうですね」
持論を展開する女性に蛍は同意するように頷いた。
「それにほら。ネットで調べたんだけど、キンセンカの花言葉には太陽や健康、あと幸福があるみたいよ。もしかしたら家政婦さんもそっちの意味であなたに渡したんじゃないかしら」
「太陽、幸福……健康」
蛍はその言葉を反芻してみる。
「こういうのは気の持ちようなのよね。ほら、”病も気から”っていうじゃない。何事も受け取りかた次第なのよ」
燐の母親の言葉はあのとき燐が発したことと同じだった。
だから蛍は驚いた。
(あぁ、”そういうとこ”やっぱり親子だよね)
その偶然の一致がなんだか面白くって蛍はくすくすと笑いだした。
なんで蛍が笑っているのか分からず女性は当惑の表情で蛍をみる。
蛍は見られていることに気付くと、恥ずかしそうに頬を綻ばせた。
「くすっ、”健康も気から”。そういうこと、ですよね」
蛍のからかうような問いにわずかな違和感を覚えたが、それが何なのか分からなかったので、話にのってみることにした。
「ええ、そうよ。蛍ちゃん面白い回し知ってるわね」
「はい。友達に教えてもらいましたから」
「そう」
元気に笑う蛍を見て、自分がやったことに間違いはなかったと女性は思った。
二人は至近距離で顔を見合わせて笑い合った。
燐ともまたこうやって話すことができるかもしれないと思うと、蛍の胸はまた弾むように高鳴った。
────
───
──
「わたし、死にそびれちゃったみたいです……」
蛍が普段の会話のトーンでぽつりとつぶやいたものだから、一瞬何を言ってるのか分からかった。
女性は蛍の言葉に頭を巡らせるのが精一杯で言葉をつぐむことが出来ずにいた。
「別に死にたいわけじゃなかったんです。ただ、それしか知らなかったから」
蛍が何を言わんとしているのか皆目見当も付かないが、やはりあの峠でのことはそういうことだったのだと、女性は今更のように理解した。
「今はその……大丈夫なの? 何か吹っ切れたとか?」
探り探り言葉を作っていく。
それは腫れ物に触るような感じとは違い、優しく包み込むイメージで。
「そうですね……」
蛍は女性に体を預けながら目を細めて遠くを見た。
ちょっとの間二人に沈黙が落ちる。
女性は蛍が何か決心を持って話そうとしている。
そんな気がしたので、肩の力を抜いて待つことにした。
一方蛍は、どのように話を進めたらいいのかわからず、さっきから頭の中を無為にぐるぐるとかき回していた。
この人が燐のお母さんであることはわかった。
というより、お互いに顔見知りだった。
それなのに今になって思い出すということは……何かが”切り替わった”のではないかと蛍は思っていた。
あの
例えば……この手毬とか。
蛍は空になったペットボトルの代わりに毬を手にしていた。
見覚えのある幾何学模様の手毬。
紛れもない、オオモト様が持っていた毬だ。
(わたしがまだ座敷童だから? それとも燐だけでなくオオモト様もこの世界に?)
いくら妄想をつづけても答えは出そうにない。
それよりも。
(燐のお母さんにもっと話を聞いたほうがいいかもね。燐の話を)
もし燐が居るというのなら、学校にも来ず、何も連絡をしてこないのか。
(やっぱり、わたし嫌われちゃったのかもね。きっとわたしが原因なんだ)
それでも燐を一目見たかった。
そう、燐が元気でいるならそれでいいんだ、それがきっとわたしの幸せ。
蛍は燐の母に話す内容を心に決めた。
蛍は上体を少し起こして女性と向かい合う、その瞳には決意の色があった。
意を決して口を開こうとした時、別の言葉が蛍の言葉を遮った。
「あの……なにかあったんですか? こんな、地面に座り込んで」
背後から急に声がかけられた。
女性の声。
二人に声を掛けたのはエプロンをつけた少し小柄な壮年の女性だった。
「あ、ごめんなさい、ちょっと立ち眩みになったみたいで。でももう大丈夫みたいです」
燐の母親は地べたに座り込んだまま、首だけを声の方へ向ける。
そこには自分よりも幾つか歳の上の女性がいた。
小柄なその人は少しくたびれた表情で髪を後ろに束ねていた。
焦っていたのか、綺麗に束ねていたと思われる髪が解れてきている。
エプロン姿と相まって、年齢以上に女性を老けさせていた。
聞き覚えのある声に蛍は緊張感を覚えて急に起き上がると、燐の母親の肩越しに声の方を見る。
「あっ!」
蛍は声を出してしまった。
見覚えのある、良く知った顔だったから。
でも、ここいるはずのない人だったから驚いた。
人影もこちらを見る、お互いの存在に気付くと叫び声にも似た声を上げた。
あまりに大きな声だったのでご近所迷惑になることを気にするほどだった。
「ほ、蛍ちゃん!?」
それは紛れもない、家政婦の吉村の姿だった。
…………
………
……
「──初めまして、最近この町に越してきた、”
「まあ、あなたがそうなの。噂は聞いているわよ町長相手に直談判して土地を確保したとか聞いてるわよ。やり手らしいわね」
「いや、あはは。なんか変な風に伝わってますね。そんなのじゃないですよ、至ってフツーの人ですから。それにパンの方も全然素人同然でして正式にオープンできるかも分からないぐらいなんです。それにしてもわたしてっきりあなたが蛍ちゃんのお母さんかとおもったんですよ」
「いえいえ、とんでもない。わたしだってただの家政婦なんです。蛍ちゃんのお母さんなんてそんな……。それにしても、苦労なさってますのね、独学でパン屋さんを始めるなんて。見た目以上に大変なんでしょパン屋さんって? それに確かお子さん連れでしたよね? 確か……」
以外にも初対面ながら馬が合っているようだった。
まるで旧知の親友のようにとめどなく話している。
”彼女たち”は取り留めのない会話、所謂”世間話”をかれこれ30分以上も続けている。
蛍のことなどそっちのけで。
蛍は適当に相槌を打っているだけだった。
同性の会話なのだけど、なんとなく入り込めかった。
大人の会話に混ざれない辺り、蛍はまだ子供なんだと実感した。
自己紹介から始まった会話はやがて目の前の蛍の話題になる。
蛍は気まずさを覚えて、ただ黙って俯いていた。
それを見かねたのか”咲良さん”は”わたし”が不利になるようなことは一切言わなかった。
それどころか。
「すみません、わたしが蛍ちゃんを連れ回しちゃったんです。だから蛍ちゃんは悪くないんです。蛍ちゃんがすごく可愛かったからついナンパしちゃったんです!」
虚偽の報告と、ぎこちないウィンク。
そんな大人の気遣いに蛍は困った顔で、でも感謝の瞳を向けて微笑んだ。
蛍が出来る精一杯の感謝の表現だった。
「そうですか……でも、わたしはただの家政婦ですから無事ならそれで良いんです」
意図を察したのか吉村もそれ以上追求しなかった。
だが、蛍は家政婦の吉村がとても心配性なのを知っていた。
だからかなり無理をしていることが分かっているだけに申し訳なく思った。
それに多分、机の上の書置きを見ただろうし。
今はいいが後で何か言われるかもしれない。
自業自得なので何も言い返すつもりもないけれど。
「それじゃあ、蛍ちゃんをお任せしてもいいですか。わたしこれからひと眠りして、すぐパンの仕込みをしないといけないので」
「はい、わたしが責任を持って蛍ちゃんを家に帰しますから、ゆっくり休んでてください」
自分の事で大人たちが気をもんでいる、それが蛍にはもやもやしてたまらなかった
だから早く話を切り上げて欲しくて、ようやく蛍が一歩前にでる。
「あのっ、えっと……」
何と言っていいかわからず、誤魔化すように手をもじもじとしていると、蛍の頭にふっと影が落ちた。
「蛍ちゃん」
蛍の頭に柔らかく手が乗せられる。
掌から愛情が伝わってくるようで、蛍はうっとりと目を細めた。
「お店、来てよね。まだオープンまで時間掛かるけど、いつ来ても歓迎するから。その時は美味しいパン、御馳走するからね。あ、それと……」
咲良は蛍の頬に頭を寄せると耳元で囁いた。
蛍は言葉の衝撃で視界が真っ白に染まった。
そして一言一句を噛みしめる様に何度も頷くと、そっと胸元で手を組んだ。
大事な、とても大事なものを胸の奥の小さな引き出しにしまうような仕草で。
蛍は小さく、そして喜びからの微笑みを作った。
その笑顔は咲良が見た今日一番の蛍の笑顔だった。
「それじゃあ失礼します。バイバイ蛍ちゃん。お店、絶対来てね。あ、オープンしたら大繁盛で行列が出来ちゃうから、出来ればオープン前に来てね、約束」
咲良が小指を差し出すと、蛍もおずおずと小指を差し出す。
絡み合う二つの指、そのことは蛍の幼いころの他愛もない一瞬を垣間見たような気がしていた。
指が解かれたとき、蛍も咲良もなんとなく微笑んだ。
言葉のない二人のやり取りに吉村は少し寂しそうな顔で見守っていた。
咲良は坂を下りながら待ちぼうけをしている軽自動車の元に帰った。
坂の途中でこちらを振り返ると、子供のような顔で大きく手を振った。
軽自動車の低いエンジン音はするが、すぐには発車しなかった。
すると咲良が運転席の窓から身を乗り出して声の限り叫んでいた。
近所迷惑など省みずに。
「今日は楽しかった!! またドライブしましょう! 今度は
咲良はまた大きく手を振った。
蛍はまともにその顔を見ることが出来ず、片手で目元を覆いながら女性に向かって弱々しく手を振った。
ちょっと強引な人だったけど、とても優しい、とても”素敵な人”だった。
蛍は今日の事をきっと忘れないでいようと思う。
無謀と挑戦と偶然が重なり合ったこの日を。
ほんのちょっぴりの奇跡が起きた日の事を。
「──ねぇ、蛍ちゃん、今日は学校どうする? 二学期って確か
吉村さんと連れ立って坂道を上る。
そういえばこうやって二人で話しながらこの道を歩くことがずいぶん久しぶりな気がする。
前に一緒に帰ったのっていつの頃だっただろうか。
なんだかちょっぴり新鮮な気分だった。
「蛍ちゃんは夏休みの課題全部終わってるのよね。だったら今日は休んでもいいんじゃないかしら。わたしから学校に連絡しておくけど」
心配そうな顔で見つめる吉村さん。
この人はいつもそうだ。
なるべくわたしに無理をさせないように便宜を図ってくれていた。
例えそれがわたしの正体を知った上でのことだったとしても、それでもわたしの世話を良くしてくれたのだから感謝してる。
今だってそう。
どうしてだか知らないが、わたしが帰ってくるのを待っていたようだし。
これじゃあ家政婦さんというよりも、まるで……。
「あまり顔色が良くないみたいだし、学校は明日からでもいいんじゃない。どうせ今日は始業式ぐらいでしょ?」
あんまりしつこく聞いてくるものだから、いい加減わたしの考えをのべることにした。
「ううん、今日はなんとしても学校に行きたいんだ。確かめる、じゃなくて、どうしても知っておきたいことがあるんだ。きっと
「友達ってあれでしょ、いつも蛍ちゃんと一緒にいる元気な子。そういえば最近見てなかったからどうしたのかと思っていたのよ。喧嘩でもしたのかと思ってたけど……」
吉村の思いがけない言葉に蛍は驚いたように立ち止まる。
そして泣き笑いのような顔で吉村に微笑んだ。
「ふふっ、もう変な事言わないでよ。わたしが”友達”と喧嘩なんてするわけないじゃない」
「そ、そうよね。あなた達、いつも仲良かったらそんなわけないわよね」
不思議な顔で微笑む蛍に吉村は一瞬たじろいでしまう。
でも、蛍の口調はとても穏やかだったのでそれほど気にはしなかった。
「うん、そうだよ。だって好きだから」
蛍は自然にそう答えた。
躊躇いも恥じらいもなくただ普通な感じで。
普通の会話をしている。
そんな当たり前のことすらこの人と出来てなかったのだ。
互いにどこか溝を作っていた。
わたし達は特につながりのない他人だったからそれは当然なんだけど、一緒に過ごす年月がどれほど経っても関係に変化はなかった。
でも、それはあの狂った夜が来る前までの話。
今はなんだか妙に距離が近くなった気がする
干渉するも、されるのも苦手だった。
でも、燐と出会ってから変わった気がした。
それは別れた後も。
吉村さんが迎えに来てくれたとき素直に嬉しかったから。
この人が待っていてくれたことで、わたしは家に帰る理由が出来たんだ。
わたしはまた変われたんだ。
燐以外の人にも心を開くことが出来た。
それが嬉しい。
”ただいま”と言うことが、”お帰り”と言ってくれる人がいることに素直に嬉しいと言えるようになった。
だからね。
「ありがとう。吉村さん。わたしの事を待っていてくれて、大好きだよ」
「なに、もう、変なこと言わないで蛍ちゃん……恥ずかしいわ」
「うふふ、吉村さん照れてる。ちょっと意外」
「も、もう! 大人をからかわないでちょうだい」
ね、やっぱり楽しい。
生きてるってこういうことなんだね。
なんかやっとわかった気がする。
でもね、もし、もしもだよ。
もし、わたしが燐をころしたことを責められたら、今度はわたしがころされようかと思うんだ。
だって不公平だし。
それに自分で、じゃなくて、彼女の手、燐の手でころされたい。
大好きな人にころされたらきっと、納得出来る気がするんだ。
(そういえば燐は笑顔だったよね。わたしにころされて嬉しかった、とか?)
そんなわけないか。
わたし、すごく自分勝手なこと考えてる。
でも、わたしは燐にころされてもいいんだけどね。
それこそすごく残酷な方法でも良いんだよ。
手足をもがれたり、火あぶりにされてもいい。
エッチなのは……うーん、燐が相手をしてくれるんだったらいい、かな……。
でもまあ、わたしの方が先にころしちゃったんだから、言い訳にもならないんだけどね。
やっぱりわたしって重いのかな……? 燐に依存したいわけじゃないんだけど……。
好きって気持ちって意外と重いのかもね。
それともわたしってかなり執着が強いのかも。
燐も一途って言ってたけど、わたしもかなりのものかもしれないね。
もしかしたら燐よりもずっと強いのかもしれない。
こーゆーのって自分じゃどうしようもないんだよね。
なんていうか距離感っていうか気持ちが止められないっていうか。
恋する乙女ってこんな感じなのかな?
恋したことがないから良くわからないけど、燐とだったら……。
あ! いやいや、こういうのが重いんだよね。
でもねぇ……。
そうだ! 吉村さんに相談してみよう。
吉村さん家庭的だからこういう話し得意そうだし。
それに。
吉村さんだけじゃなく他の人を頼ってもいい、そんな気がするんだ。
大川さんとか男の人とか、前よりもずっと距離を置くようになっちゃったけど、そういう考えって子供っぽいよね。
人の一側面だけみて全てを知った気になってるのってやっぱり良くない気はするんだ。
まだちょっと難しいけど、せめて今までぐらいの関係には戻したいと思ってるんだ。
吉村さんにだって色々打ち明けたいと思ってる。
だって吉村さんはずっと見ていてくれたから。
それこそ、”ほんとうのお母さんみたい”に。
吉村さんといろんなことを話してみたい。
ねぇ、燐。
吉村さん、わたしのお母さんになってくれるかな?
いきなりこんなこと聞いたら引かれるかもしれないけど……わたしは前から考えたことなんだ。
オオモト様には悪いと思ってるけど、吉村さんのほうがお母さんに近い、気がする。
何かいい知恵があったら教えて欲しいな。
あ、燐の事を吉村さんに聞こうと思ってたのに、なんか変なことになっちゃったね。
とりあえず。
燐が……学校に来てくれると。
いいな……。
…………
………
……
「ねぇ、蛍ちゃん。とりあえず一度寝てからどうするか決めるといいわ。いつもの時間になったら一度起こしてあげるから。それと朝食はいつものパンでいいのよね……?」
さっきから蛍が黙っているのは、きっと疲れからだろうと思った。
家政婦の仕事を終えて一度帰宅したのに、また蛍の家に行ったのは何か勘が働いたからだった。
鍵は案の定掛かっていたが、念のため作って置いたスペアを持っていたので、何とかなったが、やはりもぬけの殻だった。
机に置いてあった手紙には友達に会いに行くことと、とても重要なことが端的に書いてあった。
何かあったときの相続とか財産分与の事だった。
それは全て”わたし”宛てになっていることが書いてあった。
だからあれは遺言だったのだろう。
でも、大事にはしないでと書いてあったから、それに従っただけ。
別に土地や財産が欲しいわけじゃない、そうほんとうに欲しいのはきっと……。
蛍ちゃんは一度決めたらなかなか変えない頑固さがあるのでとりあえずやんわりと提案してみる。
彼女はこの案をのんでくれるだろうか?
(そういえば友達に会いに行く書いてたわよね。仲のいい友達? 確か……そう”燐ちゃん”。燐ちゃんって言ってたわよね。そういえば苗字って込谷……もしかしてさっきの人も込谷だったわよね? こんな偶然ってあるのかしら)
あの子、ずっと蛍ちゃんと仲良かったのに、この夏休み中一度も家に遊びにこなかったわね。
遊びにいく約束もなかったみたいだし、やっぱり喧嘩でもしたのかしらね。
ちょっと気が引けるけど聞いてみたほうが……いいのかしら。
でも、彼女なら蛍ちゃんのメンタルを支えてくれると思うのよね。
いつも元気ではつらつとしてたから。
それに、あの子がいたから蛍ちゃんを都市部の学校に通わせることが出来たんだし。
彼女なら蛍ちゃんを守ってくれる、そう見込んだからこそこのひなびた町から蛍ちゃんを外の学校に行かせることが出来たのよね。
でも……なんで”外の学校に行かせることが問題だったのか”はよく分からないのよね。
(とにかく、もし本当に喧嘩したのなら話を聞いてあげないと。蛍ちゃん、燐ちゃんと一緒にいるときすごくキラキラしてた。内気な蛍ちゃんが変わったのは多分彼女のおかげなのよね)
「ねぇ、蛍ちゃん。あなたやっぱりあの子……えっと、燐ちゃんと喧嘩したんでしょ? だって最近家に遊びにこないし、それに………」
あら?
吉村は後ろを振り返ったまま立ち止まった。
結構な登り坂はもうほとんど登り終わっている。
坂の頂上付近にある三間坂の家はその荘厳そうな門構えをつぶさに見せながら、夜明け前の空と変わらない静けさで佇んでいた。
この家で家政婦をしている吉村は今登ってきたばかりの坂へふらふらと引き返すと、そこから見える町並みを見下ろした。
ロータリーを囲むように並べられたミニチュアの家々がつぶさに見える。
その横にはコバルト色に光る川とが坂向こうの山の稜線に白と朱色の橋を架けていた。
遥か上空にはひときわ白く光る星が登っていた。
明けの明星だった。
その偶然の美しさに興奮と感動が同時に襲い掛かる。
胸の高鳴りは星を見つけたことの喜びかそれとも別の感情なのか。
自分のことなのによくは分からない。
ただ。
視界が泡のように滲んでいた。
綺麗なものを見たからだと思ったし、もしかしたらそれは歳のせいかもしれない。
最近はちょっとしたことでも涙もろくなっている、そんな気がしていたから。
でも、最近泣いたのはいつの頃だったのだろう。
夜明け前の僅かな時間にしか見ることが出来ない景色。
それは一枚の絵のような美しさ、それを独り占めしている気がして無意味な罪悪感を感じる。
虫の音がコーラスのように静かに耳朶に響き渡る。
その音に惹かれたように、小さな黄色い光が目の前を悠然と通り過ぎた。
発光した黄色は物憂げにひらひらと舞い踊っている。
何かを探しているようで、特にこれといって決めてないような曖昧な感じで。
一匹だけでなく、複数いればもっと綺麗なのにとつい考えてしまった。
けれどもそんな人間的な情緒など構うことなく、光は単独飛行を繰り返している。
その懸命さに一瞬、胸が締め付けられる思いがした。
だからこれでいいと思った。
迷子になった小さい光。
今にも消えそうな淡い光を藍色のキャンパスに描いている。
きっとこの子は”幸せ”なんだと思った。
でも、それほど間違いでもない気もする。
わたしは夜明け前の情景に、この小さな光にしあわせを感じているから。
女性は初めてしあわせを実感した気がした。
────
───
──
はい。激動の2020年も今日でとうとう終わろうとしてますねぇ……。
今回のお話も今年で終わりにしたかったんですけどねぇ……相変わらず適当にやってます。
さてさて、今年はどんなことがありましたか? まあほとんどの人が新型コロナウィルスのことを言及しますよねぇ。
二月ぐらいまでは対岸の火事のような出来事で見てた人も多いかと思われます。それが今ではここまで生活に影響を及ぼす存在になるとは思いも寄らなかったですよー。いやぁ、怖いというよりも、今だに信じられないというか、収縮することなんてあるんでしょうかねぇ。
これまで様々な伝染病が流行ったわけなんですが、実態が分からないのとやけに致死率が高いのは流行り病の共通点なんでしょうか。なんにせよワクチン待ちなんでしょうねぇ。
その前に入院するだけの病床が足りなかったり、ウィルスの変異体が出てきたりと、ウィルスを題材にした小説みたいな方向になってるのは何かの偶然なのですかねぇー?
クライマックスからのハッピーなエンドを期待してます。
私的には今年は金運が良くなかったです……。
財布は落としちゃうし(結局見つかってない!)、PCが壊れて新しいのを買う羽目になるし……まあ、二つの案件とも自業自得の面が大きいんですけどね……それだけにやるせなかったりですよーー。
まあ、給付金が出たからある程度は補填出来たんですけどね。
あと、今年はマスクイヤーでしたねー。どこに行くにもマスクが必需品と化してましたねー。
わたしは秋口から春先にかけてマスクを着用する習慣が出来ていたので、マスク不足にはならなかったのですけど、一時期は本当にマスク不足で大変な思いをした方もいると思います。マスク買うために行列や転売なんかも横行しましたしねー。
今年の一月あたりまではマスクの価値なんて全然なかったのに、今や生活必需品にまでなってしまうとは……こんなことになるとは誰が予想できたのでしょうか。
流石に占い師の方でもそういったことを言ってる人はいませんでしたね。芸能人の結婚とか新元号を当てたと言ってる方はいるんですけどね……。
こういったグローバルかつワールドワイドなことを予想するのは難しいんでしょうきっと。
それにやはり占い師の方に聞く人もいるみたいなんです。”コロナ禍はいつ収束するのか”と。しかもそれが真剣に聞いてくるものだから余計に困るって言ってましたね。まあ、終わってもないことを終わるっていうのにはやはり抵抗と思います。
それに個人的ですが、占いとか予言とかいうものは後出しじゃんけんのようなものと思ってます。当たるか当たらないとかではなく、そういった言葉を楽しむものと思って見てますのでー。
それにしても夏場のマスク着用がこんなに苦しいものだとは思わなかったです。冷感マスクとか初めはそれこそ冷ややかな目で見てたんですよ。こんなの作って何か意味あるのかな、って。
でも、いざ自分で付けてみると大変快適でして、洗えばまた使えることもあってか、暑い日の外出では大変お世話になりました。
そしてソーシャルディスタンス、いわゆる”密”の回避ですね。
これにはまだ研究の余地といいますか、もう少し厳密化したほうが良さそうに思えます。
ちょこちょこスーパー銭湯に行ったりすることもあるのですが、密回避にはあまりなってないような気がします。っていうかみんな普通、もしくは普通以上に喋ってるんですけど……間隔を開けましょうとか喋らないようにとか張り紙がしてあるんですが、大して効果を発揮していないようなのです……。
数人の仲間と一緒に来るから気が大きくなっちゃうのかもしれないですけど、もう少し静かにしてほしいとは思ってます。夜の外食なんかも同じ感じかもしれないですね。
あとはオリンピックを含めたイベントの中止や延期が多くありましたね。この分だと来年になってもそれほど大幅な変化は望めそうになさそうですし、無観客もしくは少人数の観客でのイベントがデフォになるかもしれないですねー。
オリンピックもその方向が妥当かと思います。
2020年はある意味仕方がなかった年とも言えますね。暗い話題ばかりだったのはご容赦ください。
と、だらだら書いてたらいつの間にか年が明けてました……。
★明けましておめでとうございます☆彡
今年も恐らくwithコロナでしょう。残念ですが……。
ですのでとりあえず自分の身を守ることを最優先にしたほうがいいです。当然他の人に迷惑を掛けないのが前提なんですがっ。
コロナが収まるかどうかよりも、自分とその周りにいる人達がいかにストレスなく日常生活を過ごせるかが重要だと思ってます。
私的に今年を快適に過ごすポイントは”迂闊”ではないかと思ってます。
迂闊な事を言わないとか、迂闊な行動はしないーとか、そういった感じで迂闊さを無くせば割と快適に過ごせる……かな? でもうがい手洗いは忘れずにですよー。
あ、あと。上の方で軽くディスってる気がしますけど占いもやっぱり良いかと思います。なんでも鵜呑みにするのではなく、ちょっとした行動の指針にするのも良きかと思ってます。
ですが、色々種類があってよくわからないと思います。特に星座占いなんかは占い方によっては真逆の運勢になってることもありますしねぇ……。
で、私も色々な占いを見てきて結構試してみたりもしたんですけど、その中でこれはっっ! 的なものがあったので紹介してみたいと思います。
鬼滅の刃占いじゃないですよ~。それにステマでもないです~多分。
結構有名だとは思うんですけど”しいたけ占い”とか言うのが個人的に結構当たってるような気がします。
いわゆる12星座占いなんですけど、なんか言い当ててるといいますか……特に2021年度の占いが当たってるような気がします……まだ2021年始まったばかりなんですけどねー。
無料なのにテキスト多めで見てるだけで面白い気がしますので一度見てみてもいい、かな……とかとか。無料ですしっ!(無駄に2回言いました)
ともかくっ、今年も気持ちよく一年を過ごしていけたら良いですね!
それでは~。
今年もよろしくお願いします。