「壊れた」わたしと「壊れる」彼女 改訂版   作:間川 レイ

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「壊れた」わたしと「壊れる」彼女 改訂版

1.

 

この世界についてどう思う?

 

わたしはこう聞かれたらこう返す。

 

誰も彼もが他人と同じであることに安心を求める社会。まるで鏡の国に紛れ込んでしまったような、そんな悪夢のような世界と。

 

 

 

この世界はわたしにとってとてもとても窮屈で。息苦しくて。ああ、なんてこの世は退屈なのだろうと、わたしは生まれた時からそう思っていた。

 

 

 

でも誰も、その感情を理解してはくれなかった。

 

 

 

父も母も。祖父も祖父母も。先生や周りの大人だって、誰も。彼らは口をそろえていった。そんなのは若者の気の迷いだよ、じきに気にならなくなる。あるいは、そんなことを考えるなんて、よっぽど暇なんだな、なんて。心底こちらを見下した目を向けられた。自分がどれだけ恵まれているかも知らずに身勝手なもんだ、なんて。そんなことを言われたりもした。

 

 

 

ああ、うるさい。うるさい、うるさい、うるさい!

 

 

 

どれだけわたしが苦しんでいるかも知らずに!そう叫びたかった。そう叫んだ。誰も、わたしをわかってはくれなかった。

 

 

 

だからわたしは、カラダを売ることにした。別段、セックスが好きで好きで仕方がないわけではない。

 

ただ、このどうしようもなく息苦しい、退屈な世界を壊したかった。めちゃめちゃのぐちゃぐちゃに、すべてを台無しにしてみたかった。この世界から逃げ出すために。くそ面白くもないこの人生を、少しでも刺激的にするために。この空っぽでがらんどうな心を埋める、何かを求めて。

 

 

 

そのための方法が、私にとってカラダを売ることだった。

 

 

 

最初のころはまあよかった。それなりに気持ちいいし、お金ももらえるし。それに何より、刺激的だった。知らないオジサンに可愛いね、なんて言われて。わたしの未成熟なカラダが不可逆的に犯され汚されていく。そんな背徳的な喜びに、心が仄暗く震えた。

 

 

 

でもそんなのは最初だけ。次第にそんな日々も日常になる。非日常が日常に。得られるのは仮初の愛ですらない。私の中に精を吐き出せば男はもう知らんぷり。私の心はいつものようにがらんどう。孤独なんてちっともいえやしない。世界は閉ざされていて、灰色のままだ。

 

 

 

ああ、本当につまらない。すべてがくだらない。こんなつまらなさを打破するために激しいプレイもやった。非合法すれすれの危ない薬にも手を出した。でも何も変わらない。私の心は空っぽのまま。どうやってもこの退屈な世界からは逃げられない。この息詰まる絶望的な世界から逃げ出すには、もう死ぬしかないんじゃないか。そんなことを思った。だから首を吊った。手首を切った。でも最後の最期でビビッて死ねずにいる。

 

 

 

そんな生きながら、死んでいるような日常を送っていた、ある日。

 

 

 

私は彼女に出会った。

 

 

 

 

2.

 

あの日はちょうど、大型の台風が直撃してきた日のことで。大学の授業も半休になり。誰もが足早にキャンパス内を足早に歩く中。

 

一人の女の子が声をかけてきた。

 

「ねえ、あなたが麗って子?」と。

 

そこにいたのは一人の少女といっていいほどの年齢の女の子。肩口まででそろえられた髪と、大きめでくりくりとした目が相まって、可愛らしい、そんな印象を与える女の子がそこに立っていた。やけに黒々とした、光のない目をこちらに向けて。

 

私は彼女のことを知っている。

 

 

 

名前を後藤結。この学校随一の有名人だ。その美貌や、度々論文を有名な学術雑誌に投稿しては、賞を受け取る才女だからという理由ではない。その色香に惑わされた男たちや、その才能を見込んだ色んな研究グループが声をかけながら、そのどれもに靡かず徹底した孤立を選んだ孤高の少女。そんな徹底した孤立の精神が、彼女を有名人にしていた。そんな孤高な少女が私に声をかけてきた。

 

 

 

「あんた後藤でしょ。有名人だ。なんでわたしなんかの名前知ってんの」

 

わたしはぶっきらぼうに返す。無礼な物言いだとわかってる。でも、見知らぬ他人に何と思われようとどうでもよかった。

 

 

 

彼女はくすくすと笑っていった。目だけは私をじっと見つめて。

 

「そう。結って呼んで。私、あなたに興味があるの。あなた、カラダ売ってるんだって?」

 

 

 

ああ、またこの手合いか。私は内心嘆息する。たまにいるのだ。わたしがカラダを売っていることをどこからか聞きつけてちょっかいをかけてくる奴が。そうした下劣な手合いは優等生にもいるということか。本当にうっとうしい。

 

 

 

「そうだけど。それが何。あんたに関係あるの」

 

冷たく返す。どこからわたしのうわさを聞き付けたのか、なんてどうでもいい。年頃の女としては、自分について調べられていることを不気味に思うべき場面なのだろう。だがそんなこと、心底どうでもよかった。

 

 

 

そして、わたしが体を売っていることを認めた相手の反応は二つに一つだ。珍獣を見る目を向けてくるか、それとも汚いものを見る目を向けてくるか。

 

 

 

「ふうん、そう。」

 

 

 

だが彼女はそうしなかった。わたしの返答を聞くと何かを思案するようにその形のいい顎に指を載せる。くるくると自分の長めの髪をもてあそぶ。1分、2分。沈黙が続く。その間も彼女はじっとわたしの顔を見つめて何かを考えているばかりだ。次第に私も焦れてきた。

 

 

 

「ねえ、用がないならー」

 

「ねえ、あなたに聞きたいことがあるの」

 

 

 

そして言った。そのふっくらとした、血を吸ったように真っ赤な唇を開いて。

 

「あなた、この世界は好き?」

 

と聞いてきた。

 

 

 

目の前の子は一体何がしたいのか。そんな不信の念なんて一瞬で吹き飛んだ。まるで私の心中を見抜いたような、その質問はわたしにとってあまりに青天の霹靂で。わたしは思わず固まっていた。

 

 

 

そんな私に何かを感じ取ったのか、2,3度うなずく彼女。

 

「ああ、やっぱり」そんなことを微笑んで言う。その微笑みはなぜだがとても妖艶で。

 

やっぱり何だというのか。そんな言葉が飲み込まれてしまう。

 

 

 

「ねえ、麗さん」と彼女が続ける。どこまでも沈み込むような黒々とした目で、私を覗き込みながら。

 

「私、あなたを買いたいな」

 

 

 

 

3.

 

わたし、馬鹿なことしてる。そんなことを思いながら彼女の背中を追いかけていく。片手に万札を握りしめながら。本当なら無視してもいいはずだった。「悪いけど、他をあたってくれる。」その一言で済むはずだ。いくら私の名前が知られているとはいえ、どこでわたしの名前を知ったのか。どうしてわたしが麗だとわかったのか。普段なら絶対に疑問に思わないことであっても、今だけは疑問が尽きない。でも不思議と聞く気がしなかった。聞いてもはぐらかされるだけだろう、そんな気がする。そんな得体のしれない彼女の後をのこのこついていくなんて馬鹿な話だ。我ながらそう自嘲する。

 

 

 

それに、と彼女の身なりを見やる。顔つきは幼い。18、19ぐらいか。それより下にすら見える。唇には赤く朱がさしてあり、服にはお香が焚きこめられている。身を包むのはあまりファッションに詳しくない自分でも知っているようなブランドものばかり。輝くような横顔も、たおやかな手足も、はた目から見ればかわいいお人形さんのよう。でも、ふとした時見せる表情が、彼女がどんな人間かを掴ませない。

 

つまりは私とは別の人種。うかつに手を出して、どんな面倒ごとを招くかわからない女。あるいは彼女の思わせぶりな態度だって、私をどこかへ連れ出すための罠かもしれないだなんて。そんな益体もないことを考える。痛い目に合うのは嫌だな、なんてことをぼんやりと考える。

 

 

 

だが、それでもついていくことにしたのは、彼女の発した「やっぱり」という言葉が気になっているからだ。やっぱり、何だというのか。もしかしたら彼女も、この世界が嫌いなのではないだろうか。もしもそうなら、私は。そんな一縷の希望を託して。

 

 

 

 

4.

 

危惧したような展開にはならず。「あまり片付けられてないけど」。そんな言葉とともに案内された彼女の家は、ごくありふれた学生マンションだった。シンプルな色合いのカーテンにベッド。目につくのは床にまであふれている大量の蔵書ぐらいか。

 

 

 

「本、読むんだ」。

 

 

 

わたしはぽつりと言った。初めてわたしから声をかけた気がする。

 

彼女はその言葉に小さく微笑むと、「本、好きだから」と呟く。

 

本はわたしも好きだ。このつまらない世の中からわたしを連れだしてくれるから。ちらりと本棚を除くと私が好んで読んだことのある本の数々。「1984」。「すばらしい新世界」。どれもこれもが窮屈で最悪な世界を描いた作品。本の趣味は悪くないみたいだ。ちょっぴり好感を抱く。

 

ふと、本棚の1冊の本に目が向いた。

 

私が目を丸くすると、彼女は小さく微笑んだ。

 

 

 

「何か、気になる本でもあった?」

 

「え、えっと…」

 

 

 

私が口篭ると、彼女はひょいっとその本を手に取った。

 

 

 

「ああ、伊藤計劃の『ハーモニー』。私、この本好きなの」

 

 

 

伊藤計劃。SFの天才。わずか3作を残してこの世を去った、悲劇の天才。破滅的な、虚無的な文体が素晴らしい。わたしも伊藤計劃が好きだ。そしてハーモニーは大好きだ。

 

 

 

「いいよね、ハーモニー」

 

 

 

私がいうと彼女は少し驚いたように目を見開いて。やがて花開くようににっこりとほほ笑んだ。素直に笑えば可愛いんだな、なんて。そんなことをぼんやりと考える。

 

 

 

「ハーモニーは素敵。そこには痛みもなく、苦しみもなく。誰もが思いやりに満ちていて、社会も優しさに満ちている。」

 

 

 

小さく口角を吊り上げて。

 

 

 

「でも、でもね」

 

 

 

ほんの僅かな敵意を込めて。

 

 

 

「それはとても息苦しい社会。人のやさしさで窒息する。人の思いやりで絞め殺される。」

 

 

 

静かな憎悪に声をふるわせて。

 

 

 

「まるで、今の世の中みたいじゃない?」

 

 

 

歌うように呟いた。

 

 

 

ああ、やっぱりこの人は。そんな風に思う。

 

語られるのはまさに私がハーモニーを読んで感じたこと。

 

あの世界は地獄だ。人の思いやりで世界が作られていて、思いやりで人が押しつぶされる。

 

この世界だって同じだ。この世界だって無数の善意でおおわれている。あなたのために、あなたのことを思って。そんな言葉が氾濫している。そんな言葉たちがわたしたちを縛る枷となり、私たちの首を絞める縄となる。この世界だって、十分過ぎるほどに地獄だ。

 

 

 

もしかしたら、もしかしたら、彼女は。

 

雷にうたれたような心地がした。

 

何度も何度もうなずくわたし。そんな私に、にっこりとほほ笑む彼女。そんな何気ない動作にさえ、胸が高鳴る。

 

 

 

「ねぇ、麗さん。もう一度聞くよ。」

 

 

 

彼女の呼びかけに、私は黙って頷く。

 

 

 

「あなた、この世界は……好き?」

 

 

 

この世界が好き、だなんて。口が裂けても言えるわけがない。彼女の問いかけに、私は黙って首を振った。

 

 

 

「そう。」

 

 

 

彼女は静かに返答する。その様はどこか暗くて。儚くて。

 

 

 

「奇遇ね、私もよ」

 

 

 

あまりにも、眩しかった。

 

 

 

「うん、嫌い、嫌い、大嫌い。」

 

 

 

彼女はあっさりと答える。何でもないことのように。

 

 

 

「こんな世界、大嫌い」

 

 

 

目に掠れた憎悪を宿しながら。

 

 

 

ああ、この人も同じなんだ。この人も、この世界が息苦しくてたまらないんだ。私と同じように。私は一人じゃなかった。結は続ける。

 

 

 

「○○しなければいけません、××してはいけません。みんな△△しています。引かれたレールの上をきちんと走れる子がいい子です。負け組に未来はありません。」

 

 

 

嗤うように。揶揄するように。

 

 

 

「こんなもの呪いだよ。私たちは空気に縛られて生きているんだ。形のない、空気という化け物に。私たちは自分たちを押し殺して生きている。それが大人になることだって教わって。でもそうやって自分を押し殺していった先に何があるの。」

 

 

 

歌うように。呪うように。

 

 

 

「答えは『何もない』。そこにあるのは画一化された個人のみ。それは私であって私じゃない。そこには魂がない。かけがえのない、21グラムの魂が。」

 

 

 

歌う。謳う。

 

 

 

「私はね、麗。こんな世界壊れてしまえって、ずっとずっと思ってる。『私』は『私』でしかないというのに、私が私でいることは許されない。私のありたい自分であることが許されない。すべては、大人たちのいう『よい子』という枠にあてはめられて。」

 

 

 

そんなことをいう彼女の目は、どこまでも虚無的で。

 

 

 

「でもその辛さを誰もわかってくれない。あなたは恵まれていると、何も知らないくせに当たり前を押し付けてくる。それが優しさなのだと、愛なのだと宣って。息苦しい。肺が崩れてしまいそうな程に」

 

 

 

わたしはうなずく。何度も何度も。そう、この世は地獄だ。人の思いやりで押しつぶされる。人の「優しさ」に窒息する。そして誰もこの辛さをわかってくれなかった。そう、誰も。誰も。

 

これまでは。

 

 

 

「あなたもそうだったんでしょう? 麗。」

 

 

 

優しく微笑む結。その言葉は心底いたわりに満ちていて。そのいたわりの心がわたしの乾いた心にしみいってくる。目から水滴が零れ落ちる。何粒も何粒も。

 

 

 

「辛かったでしょう。こんな世界で一人生きてくるのは」

 

 

 

その微笑みはまさに慈母とでもいうべきもので。

 

 

 

「おいで」

 

 

 

結は突然、わたしの身体をやさしく抱き寄せた。トクン、と心臓が小さく跳ねる。それは今までのときめきとはちょっと違っていて。「ちょっと……!」とっさに抗議の声を上げる。

 

 

 

「あなたは十分頑張ったよ」

 

 

 

優しく頭を撫でられる。結の掌の体温がわたしの頭に移る。その熱はわたしの身体に染み入ってくるようで。トクントクン。心臓が跳ねる。移された熱が心臓の鼓動に乗って全身に広がる。気づけは私は泣いていた。赤子のように、わあわあと。

 

 

 

「あなたは一人ぼっちじゃないんだから」

 

 

 

彼女の言葉がわたしの心を埋め尽くす。まるで、胎内にいるかのような。ぬらりとした温かさが私を包む。

 

 

 

わたしは結の背中に手を回す。結も私の背中に手を回す。ぎゅうぎゅうと抱きしめる。ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。息苦しいぐらいに。強く、強く。

 

服越しに結の体温を感じる。熱い。溶けそうになるぐらい熱い。結の心臓の鼓動を感じる。トットットと弾むようなわたしの鼓動。ドッドッドっと落ち着いた結の鼓動。わたしの心臓と結の心臓の鼓動が同期する。

 

 

 

サラリと頭を撫でられる。暖かい手のひら。優しく撫でるその手のひらがとても気持ちがいい。心が安らぐ。まるで母親に抱きしめられているような。そんな無限の安らぎ。その無限の安らぎの中に、わたしの意識は溶けていく。どこまでも。どこまでも……。

 

 

 

5.

 

いつの間にかわたしは、泣きながら眠っていたらしい。目を覚ますと、結に膝枕されていた。慌てて飛び起きる。「もっと休んでいてもよかったんだよ」そんなことをいう結。そんな何気ないやさしさに、心が締め付けられる。ああ、わたし、この人のこと好きになったんだ。そんな事実にふと気づく。ふと目と目が合う。微笑みあうわたしと結。そんな何気ない時間が、とても心地がいい。

 

 

 

どれほどの時間がたっただろう。いたずらっぽく微笑む結。「じゃあ、しよっか」。なにをと聞き返す必要もない。「うん」とうなずくわたし。

 

 

 

「私、シャワー浴びてくるから」

 

 

 

わたしの涙でぐしょぐしょになったシャツを脱ぎながらシャワールームへ向かう結。すぐにシャワーの音が聞こえてくる。

 

 

 

その音を聞きながら、わたしは自分がここに「買われて」やってきたことを思い出す。わたしと結は友達ですらなければ、恋人ですらない。ただの客と娼婦。その事実に、思わずずきりと心が痛む。結にとって、わたしはただの一夜のパートナーに過ぎないのかもしれない、なんて。そんなのは嫌だった。

 

 

 

せっかく自分をわかってくれる人に出会えたというのに。心の奥底にどす黒いものがたまる。結はわたしにとって一人きりの理解者なのだ。誰にも渡したくない。渡さない。

 

そんな素敵な人との出会い方がこんな形だなんて。涙があふれそうになる。

 

 

 

でも私は泣かなかった。今泣けば、結に聞かれてしまう。心配した結が飛び出してきてしまう。泣いている私を見れば、結はきっとわたしの泣いている理由に感づいてしまう。そうなれば、ついさっきまでのわたしたちではいられない。あくまで、私と結は客と娼婦なのだ。そこを勘違いしてはいけない。涙をごしごしとぬぐう。鏡の前で笑い方の練習をする。ひどい顔だ。

 

 

 

「シャワー空いたよ」なんて言いながら結が出てくる。わたしは今、ちゃんと笑えているだろうか。

 

 

 

 

6.

 

シャワーを浴びて、肩甲骨のあたりまで伸びた長めの髪を、丁寧に拭い香油を垂らす。

 

 

 

バスタオルで体を隠すことなく、部屋で待つ結の元へ向かう。ベッドの上で待つ結は、とても美しかった。余分な肉のついてない白い裸体はさながら大理石の彫刻のようで。肉付きがいいぐらいが取り柄の自分の体が見劣りするように思えてしまう。思わず足をとめるわたし。でもそこでかけられる「とっても綺麗だよ」という言葉に、胸が暖かくなる。ゆっくりと視線が私の体をなめていく。その視線が大きめの胸のところで止まった時、ズキリと胸が傷んだ気がした。

 

 

 

そんな思いを悟らせぬよう足早に結の待つベッドの脇に腰掛ける。どちらともいわぬうちに、お互いがお互いの首に腕を回し、唇を重ねる。最初は小鳥のついばむようなフレンチ・キス。やがて舌を絡ませるディープキス。溶け合う体温。重なる鼓動。永遠とも思われる時間が過ぎた後で唇を離す。糸を引く唾液のアーチが煽情的。せめて今だけは私だけを見ていて欲しい。そんな思いをおさえ、わたしは結をゆっくりとベッドに押し倒した。

 

 

 

 

7.

 

結とのセックスはとてもよかった。何度も達したし、達させた。ベッドはお互いの体液でドロドロだ。そのエロティックな光景に、蕩けた結の表情が脳裏をよぎり、下腹部の肉がじゅん、と熱くなった。

 

 

 

そのドロドロなベッドの上で、わたしたちは色んなことを話した。大学のこと。将来のこと。そして、わたしが体を売る理由。

 

 

 

「やっぱり、そうだったんだね」と彼女は言った。歌うように。

 

 

 

「貴方を一目見た時、もしかしたら、私と同じなんじゃないかって、そう思ったんだ」

 

 

 

彼女は続ける。その虚無的な笑みを深くして。

 

 

 

「もしかしたら、貴女なら、私を理解してくれるかも、なんて」

 

 

 

微笑みながらわたしの頭をなでる結。その手がこそばゆくて気持ちがいい。もっと撫でてほしいとさえ思う。ポカポカと心が暖かくなる。そんな期待に応えるようにわたしの頭をなでながら結は言う。

 

 

 

「思うんだけどさ」

 

「何時しかこんな感情にもなれてしまうとおもうの。レールの上を歩くのは当たり前、空気に従うのは当たり前。でも、そうやって自分を押し殺していて生きていると言えるの。そうやって生きているのは私っていえるの。私はそうは思わない。そうやって生きているのは私でいて私じゃない。そこには魂がない。私は私でいたい。私は私のまま死にたい。」

 

 

 

「それにさ」彼女は続ける。どこまでもどこまでも虚無的な笑みを浮かべて。

 

「皆が今の世の中が永遠に続くものだと思っている。永劫に変わることなく。それでいいと思っている。誰もが空気に従って生き、レールから逸脱しないようにする生き方が正しいと。私にはね、それがたまらなく気に食わない。」

 

 

 

彼女は微笑む。はにかむように。

 

 

 

「私はね、麗。『永遠だと人々が思っているものに不意打ちを与えたい。止まってしまった時間に一撃を食らわせたい。』……ただの引用なんだけどさ。」

 

 

 

「だからさ。」イタズラっぽく微笑んで。まるでなんでもないことを告げるように。

 

 

 

「一緒に死んでみない?私、一人で死ぬのは怖いけど、あなたと一緒なら死ねる気がする。この世界に、こんな世界はもう嫌だって、二人で静かに怒鳴りつけてやるの。」

 

 

 

一緒に死ぬ。ああ、なんて甘美な言葉だろう。魂がゾクゾクと震える。その未来像はたまらなく魅惑的だ。きっとこのたくらみは成功する。私たちの死はきっと世界に少なからずの傷跡を残すはずだ。きっとこの退屈な世界も変わらざるを得ない。

 

 

 

ああ、きっとこの人に出会う前なら私は一も二もなくこの話に飛びついていただろう。

 

 

 

 

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは結の目を見返す。どこまでも透き通った、すべてを見透かすような目を。

 

「わたしは、……もう少し、貴方といたいな。あなたと一緒なら、この退屈な世界でももう少し生きていけそうな気がするから」

 

 

 

わたしがこう告げた時の結の目を、わたしは一生忘れないだろう。告げた瞬間、目をよぎるのは衝撃、怒り、失望。無数の感情。色んな感情が現れては消えてゆく。だが、それも落ち着くとふっと諦めたように微笑んで言った。

 

「あなたが言うなら、それも悪くないかもね」

 

 

 

胸がトクリと跳ねた。今度は心地の良い跳ね方だった。

 

 

 

そのあとは、とりとめもない話をして、lineを交換してから分かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結が死んだのは、それから3日後のことだった。

 

 

 

 

8.

 

結が死んだ。駅のホームで転落したおばあさんを助けて、自分はやってきた列車にひかれて死んだらしい。即死だったそうだ。警察は事故死だと言った。不幸な事故だと。

 

「事故死」。その言葉を素直に信じきれないわたしがいる。

 

 

 

わたしは、「置いていかれた」と思った。

 

ともに生きるといってくれたのに。もう少しお金がたまったらルームシェアでもしようという話で盛り上がったのに。

 

 

 

わたしはまた一人ぼっちになった。私も死のうと思った。

 

 

 

でも、別れ際にいわれた一言が頭に残っていまだに死ねずにいる。「せっかく生きていく気になったんだから、その責任はとってね」

 

 

 

責任を取るとは何だろう。死ねば責任を取ることになるのだろうか。それがわからずに死ねずにいる。

 

 

 

 

台風が来るたびに思い出す。わたしが唯一愛した人のことを。一度きりの夜のことを。




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