swordian saga   作:佐谷莢

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原作以前
プロローグ——覚醒


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 ぼんやりとした視界は、蒼穹そのものに染まっていた。

 雲ひとつどころか、空そのもの以外に何も見えない。

 そう、空以外……

 

「!?」

 

 瞳がまん丸になるまで見開き、勢いよく飛び起きようとして。

 

「~~!」

 

 失敗した。

 全身に走る激痛に声もなく硬直し、そのままどさりと地面に背中を打ちつける。

 その衝撃は無論全身に響き、彼女の意識は再び遠のいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして。

 揺らぐ意識を安定させ、深呼吸を何度も繰り返した彼女は、周囲の状況よりも先に己の体の様子から探ることにした。

 四肢に欠損はなし、損傷過多であるものの全身の神経系列に目立った問題はない。

 損傷内容は挫傷、裂傷、擦過傷、ついでに倦怠感。

 出血程度は、軽くは無いが命に関わるほどでもない。

 どうやっても片目が開かないことが気になったが──反対が使えるのでよしとする。

 瞳に映るのは、空ばかりではない。

 その空を囲むように茂る木々。

 横たわった体を受け止めているのは、温もり溢れる大地と自然そのままにすくすく育った雑草郡である。

 どこかはわからないが、少なくとも雪国ケテルブルク周辺ではない。彼女が知る限り、ケテルブルクでさえなければこのような場所、いくらでもあったはず。

 此処まで確認して、彼女は初めて唇を震わせた。

 

「……なんで。生きてる?」

 

 そう。先ほどまで、極寒世界の地下に潜り込み、世界の命運をかけた決戦を前に、結果として敗北──間違いなく死亡した、ハズだった。

 未だに痺れが残る左手で、頭に触れる。どこもかしこも、損傷はない。

 ふと、違和感を覚えて視線を移動させる。

 最低限整えられた爪、か細い指。

 何の変哲も無い自らの手があることを確信していた心は、あっけなく裏切られた。

 

「……何、これ」

 

 爪にも、指にも問題はない。指が一本当たり前のように増えたとか減ったとか、そういうこともない。

 問題は、手の甲だった。

 左手の甲を覆わんばかりに水晶じみた丸いモノが張り付いている。

 表面はゆるやかにして滑らかな弧を描いており、どうやら彼女が以前、時折だが利用していたカラーレンズを巨大化させ、乳白色という色素を沈殿させたような物体だということが判明した。

 爪を立てて直ちに剥がそうとしても、左手が鈍い痛覚を訴えるばかり。

 ともかくこのだるい体を何とかしようと、彼女は三度(みたび)唇を震わせた。

 

「……命よ、健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──

 

 展開された譜陣が、だらしなく横たわった体に敷かれる。

 吹き上がる輝きが全身を包み込み、刻まれたすべてをまんべんなく癒す──はずだった。

 

「……あ、れ?」

 

 回復どころか、譜陣すら生まれない。輝きの欠片も、発生する気配は無い。

 音程を外したか、それとも。もう自分の体は譜歌を奏でることもままならないほど消耗しているのか。

 ……後者であるような気がしてならない。

 再び、空しかない天井を見上げて、首を傾げる。

 いつも見慣れていたはずのあれは、一体どこへ消えてしまったのか。

 

『……ねえ』

 

 耳の奥で声がした。

 とうとう幻聴まで、と自分を取り巻く不自然な環境を嘆いて瞳を閉ざす。

 譜石帯のない空、発動しない譜歌、なぜか生きている自分。

 これは誰が脳裏に描いた夢なのだろう。それにしても中途半端な夢だ。

 どうせ夢なら、彼にも傍にいてほしかったのに──

 

『ねえ、そろそろ応えて』

「このあたり……かしら。先ほどの歌声は……」

 

 再び遠のく意識の中、妙に近くで女の甲高い悲鳴が、聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血まみれの女性を見るなり、フィリア・フィリスはお約束のように悲鳴を上げた。

 

「な……な……!」

 

 ふたつのおさげを揺らして、おそるおそる足を踏み出す。

 物心ついたときから神殿を出たことがなく、巡礼の経験もないフィリアにとって今しがた耳に届いた歌声はとても新鮮に感じた。

 それでなくても、歌といえば賛美歌しか知らない彼女である。

 興味を覚えて近寄った先に、このような光景を眼にすることになろうとは、想像もしなかっただろう。

 

「あ、あの……」

 

 自分の悲鳴を耳にしても、ぴくりとも反応しない女性に、おそるおそる声をかける。

 手を伸ばせば触れる距離に到達しても、彼女に変化はない。

 端整な、見慣れない顔立ちの女性だった。

 ともすれば少女と呼べるようなあどけなさすらあり、その身に散らばる緋色の雫さえなければ、まるで眠っているかのような表情である。

 そよ風に弄ばれる髪は神殿のような白亜とはまた違う、極寒の日にうっすらと中空を舞う雪の色。

 すべてのボタンがなくなった外套に身を包んでいるが、武器を持っているようには見えない。さりとて、護衛の人間とはぐれた巡礼者にも見えない。

 そばに荷袋が転がっている辺り、旅人ではないかと予想はできたが──

 そこへ。

 

「おい、どうしたんだ?」

 

 青年を過ぎ、壮年に近づきつつある男の声と共に茂みが鳴る。現れたのは、フィリアの同僚にして同じ司祭、バティスタ・ディエゴの姿だった。

 魔物が跳梁跋扈するこの世の中、このストレイライズ神殿近郊の山林でもそれは例外ではない。戦いの術を持たないフィリア司祭が薬草摘みに出るため護衛にと、彼は借り出されていた。

 彼は立ち尽くすフィリアと、その傍らに横たわる女性を見て瞬時に状況を把握している。

 

「ははあ。行き倒れか、魔物に襲われたか……死んでるのか?」

「ええと……」

 

 その言葉に、フィリアは思い出したかのように倒れた彼女の首筋へ手をやった。

 

「あ、おい!」

「……脈は、あります」

 

 その後、彼女は二人の手によって、神殿へと搬送されている。

 しかしこれは、かの二人しか知らない話。

 

 

 

 

 

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