紫電を掴むかと思われたジョニーの手が、差し出していたフィオレの腕を掴む。
意表を突かれたその瞬間に腕を引かれ、有無を言わさず抱き寄せられた。はずみで取り落としそうになった紫電を慌てて握り直す代償として、ジョニーの胸の中へ収まる羽目となる。
「ぐぇっ」
「……色気がねえなあ」
咄嗟に振りほどこうともがいたものの、がっちり抱きしめられてしまい身動きが取れない。
「……あの、ジョニー」
「んー?」
「これは一体何の真似」
「いやなに、別れのハグって奴さ。元気でな。一緒に旅ができて、楽しかったぜ」
とか何とか彼はほざくものの、いつまで経っても解放される気配がない。ともすれば紅潮しそうな頰を、震えそうになる身体を叱咤して、努めて平静を演ずる。
怖いわけではないが、非常に、気恥ずかしい。皆撤収済みでよかったと、フィオレは心から安堵した。
「……っ」
「そう嫌がるなよ。潔癖症なのか?」
「いえ、そういうわけでは」
「じゃあ構わないよな」
こういった時、男と女の歴然たる力の差を痛感する。
もしも敵対、あるいは嫌悪を持って接する相手ならば持ちうるすべてを以ってして徹底抗戦をするのに、ジョニーはその範疇に入らないのだ。もしこれをヒューゴにやられたら、フィオレは何か考える余地もなく刃物を手にして徹底抗戦の構えをとっていたことだろう。
その事実が、今はもどかしい。
こうなったら彼が満足するまで我慢するしかないか、と諦めかけ、急に頭へ妙な感覚を覚える。
気付けば帽子は取り払われ、ジョニーはフィオレの髪に顔を埋めていた。
「人の頭のニオイかいで楽しいですか?」
「頭じゃなくて、髪な。にしても冷静だなお前さん。こーいう時はちっとくらいドキッとしたってバチは当たらんぜ」
鼓動の話をしているなら、実はとっくにフル稼働している。普段より早い脈を打つ心臓の気配を悟られていないのは幸いだった。
しかし、今の言い草は奇妙である。
「バチが当たらない、というのは?」
「そのまんまの意味さ」
わけがわからない。
ただ、それを問い質すのは何故かはばかられた。
知りたいが怖いような、それ以上踏み込んだら底なし沼にはまりそうな……
「──そろそろ、怒ってもいいですよね」
「わかった。俺が悪かった」
声音が豹変したことで、いよいよフィオレの機嫌を損ねたと判断したのだろう。それまでの態度を翻し、ジョニーは緩やかに拘束、否抱擁を解いた。
間合いを取りつつ帽子を拾い上げようとして、ジョニーに先を越される。
キャスケットを片手で弄びつつ、彼はフィオレの顔を見つめていた。
「何ですか?」
「お前さん、今ので何とも思わなかったのか?」
「お別れのハグに、一体何を思わなければならないのですか」
もう会うこともないだろう、と寂寥の念を覚えればいいのだろうか。
困惑を隠さないフィオレの解答に、ジョニーは盛大なため息をついて肩を落とした。
見ていて妙に腹の立つそのため息は何なのかと、今度こそ問いかけようとして。
「決めた。今のハグで気分を悪くさせたのと、これまでエレノアの面影を勝手に重ねて悪かった」
「へ?」
会話の運びにまったくついていけず、フィオレはただ間抜けた音を洩らす。
やっぱり重ねていたのか……とちょっぴりイラッとしたのはこれよりしばらく経ってからのこと。今はただただ、首を傾げることしかできない。
それすらも気にした様子はなく、ジョニーは驚くべき一言を放った。
「その詫びに、紫電はしばらく貸しとくぜ。まだ必要だろ? グレバムとかいうのを追いかけにゃならねえんだから」
「ジョニー……」
「貸すだけだからな。ちゃんと返しに来いよ? 持ち逃げした日にゃ、地の果てまで追いかけてとっ捕まえてやるからな」
ほれ、と帽子を渡される。
それを受け取りつつも、フィオレはその申し出に否を唱えることはしなかった。
対グレバム戦において馴染んだ武器があることは、非常に心強いから。
「──お気遣い、感謝します。もう一度お会いしましょう……私が生きていたら」
「おいおい。冗談でもそういうことを抜かすもんじゃねえよ」
「生きていれば必ず嘘をつきますから、せめて必要のない時くらい誠実でありたいんです。でも、紫電だけは必ずお返ししますよ。これだけはお約束します」
紫電を剣帯へ戻し、帽子を被る。
抱き寄せられた際、わずかに崩れた胸元や襟を直し、フィオレはそっと右の手を差し出した。
「お元気で。ご同輩」
「お前さんもな」
しっかりと交わした握手は、ほんの一瞬のこと。
きびすを返し、階段を下りて扉をくぐる。その間、フィオレは一度たりとも振り返らなかった。
片時も離れないジョニーの視線を、何故だか見てはいけない気がしたから。
フィオレが一同と合流したのは、それから少し後のこと。
先にトウケイ城から出た一同は、一度は港に戻ったものの、ファンダリアへ行く準備に相応の時間がかかるとの通達を受けて各自買出しに出ていた。
「消耗品の買出しと、各自必要なものを揃えてくる。あなたが来たら、そう伝えてほしいと……」
「わかりました、ありがとうございます。私は船室で待機していますね」
甲板上にてフィオレの帰りを待っていたらしい夫妻に礼をいい、フィオレはそれまで使っていた船室へと戻った。
他人がいない間に素早く着替え、この短期間で大分くたびれてしまった着物から元の制服姿へと戻る。
夫妻への配慮から、帽子はそのままだ。
フィオレ個人の買出しなら帰り際済ませてあるにつき、再びトウケイの街を歩く必要はない。
そして、紫電と懐刀の手入れをしていると。
ぱたぱた、と軽い足音が聞こえて、規則正しいノックの後に扉が開かれた。
「おかえりなさい、フィリア」
「フィオレさん」
手入れを終えた紫電を慎重に鞘へ戻し、脇へ置く。それを見て、フィリアは軽く首を傾げた。
「あら、その刀。ジョニーさんにお返ししたのではないのですか?」
「グレバムをとっちめるまで貸してくださるそうですよ。ただ、必ず返しに来るように念を押されてしまいました。今度来る時は、カルバレイスを経由しないと」
それを聞いて、フィリアはおもむろに頬を染めたかと思うと、それを隠すように手を当てた。
なぜに彼女が照れる必要があるのか。
「フィリア?」
「あ、いえ、何でもありませんわ。ええと、もうじき出港するそうです」
そのまま逃げるように、甲板へ言ってくる、と退室してしまった少女を見送って、フィオレは小さくため息をついた。
──とんでもない思い上がりをすれば、ジョニーのため息も、フィリアの今の態度も、理由をつけられる。
思い上がりが的を射ていたとしても、応えられるわけもないから気付かないフリをするのは、やはり逃避になるのだろうか。
などとつい考え始めて、すぐ頭を振って考えることをやめる。
思い直す余地もない、ひとつしか答えのない問題を考えたところで、不毛なだけだった。
「あ、フィオレさん。着替えたんですか」
「ええ、もう変装の必要はありませんし。それに、これから雪国へ行くんです。体温調節しておかないとね」
「ちょっと残念です。あの格好、すごく似合ってたから……」
「なーにフィオレにちょっかい出してんのよ、スカタン!」
はにかみつつも着物姿を惜しむスタンに、ルーティがつっかかる。
トウケイ領に差し掛かった頃からだろうか、何となく彼女とリオンのじゃれあいが減り、代わりにこの痴話喧嘩が多くなったような気がした。
鬱憤晴らしのターゲットを同じ立場の彼に変えたか、あるいは勘ぐらないと気付かない何かか。
いずれにしても、リオンの機嫌を損ねることが少なくなったのは、多分よいことだ。
『それは僕も同意かなー。フィオレのあの格好は僕も好きだった。今のも凛々しくていいけどね』
『ほっほっほ。シャルティエ、お主一千年経ってようやく女子の良さがわかってきたかの?』
『僕はフィオレのことが気に入ってるんであって、クレメンテみたく若けりゃいいってもんじゃないの!』
一千年前……戦争中、というか軍に所属している間は階級的な意味合いで絶対にありえなかったであろうこの会話を聞いて、彼らもこっそりと苦笑している。
『やはり、シャルティエは変わったな。怖いものがなくなったというか』
『クレメンテ老にあんな物言いができるなんて、人は変われるものなのね……』
オリジナルの彼がどんな性格なのか、何となく想像できる会話である。
そんな和やかな、ファンダリアへの道中。
気温が徐々に下がり、一面銀世界の大陸が垣間見えたある日。一同が休憩室に集まっていた時のこと。
「グレバムに逃げられるなんて……もう目の前にいたのに」
「過ぎたことを言っても仕方ないじゃない」
スタンが当時を思い出してぼやいたその言葉に、ルーティが珍しく慰めにも似た言葉を返す。
「そうですわ」
「奴の行き先はわかっているんだ。ファンダリアで決着をつければいいだけの話……」
「チェック」
それにフィリアが同調し、リオンもまた言外にくよくよするな、といったニュアンスの一言を寄越した際、フィオレはナイト──チェス盤の駒を動かしていた。
こんなものがあるから余興にどうか、とバーテンに薦められ、ルールを知っている者同士、リオンとフィオレが対戦中だったのである。
「そうだよな……」
「く、これは……」
「さて、いかがなさいますか?」
スタンが納得する脇でリオンは焦り、フィオレは盤上を悠然と眺めた。
その隣では、マリーが興味津々に対決の行く末を見ている。
「ポーンでナイトを……いや、そうするとクイーンがそこに行くだけか。逃がすにもビショップが逃げ道を塞いでいるし」
「うるさい、気が散る」
こういった理詰めの遊戯は、戦術を考える上でいい訓練になる。
さすがに盤上の戦い方をそのまま生かすことはできないが、先のことを考える癖がつけられるからだ。
フィオレも、幼少時は似たような遊戯を幾度も試みた経験がある。
このところは、身体だけでなくおつむを鍛えることも視野に入れつつあった。
そもそもの性能が悪くない彼には、どうしても必要というわけではなかったが。
ズンッ……!
「なんだ?」
突如として、明らかに波の揺れとは異なる震動が響く。
これ幸いとかどうかはわからないが、勝負そっちのけで立ち上がったリオンは甲板へと行きかけた。
そこへ。
「お騒がせして申し訳ありません」
「あ、フェイトさん!」
休憩室の扉を開いて現われたのは、自分の名代として妻をトウケイ領へ置いてきたフェイトである。
何かあったのかを尋ねると、彼は険しい表情をそのままに報告した。
「敵の艦隊が現われました。おそらくファンダリア王国の所有する艦隊だと思われますが、遠目にもモンスターの姿が確認されています」
「ということは、ファンダリアはグレバムの手に……」
落ちた、と考えていいだろう。
彼の国の王族たちを思い起こす。彼らは今、どうしているだろうか。
フェイトらのようにどうにか生かされているか、あるいは。
「大変だ。俺たちも手伝います!」
「いえ、それには及びません」
リオン同様スタンも立ち上がるも、フェイトはきっぱり首を横に振った。
気勢を殺がれたスタンとしては、食い下がる他ない。
「でも……」
「これでも、アクアヴェイル最高の艦隊なのです。すぐに蹴散らしてごらんにいれます。ご心配なら、操舵室で様子を見ることもできますが」
何となく、トウケイ領へ向かう最中の事件を思い出す。
巨大とはいえ、タコ型の魔物一匹にあんな動揺をしていた水兵たちに任せていいのか、という不安は確かにあった。
しかし、それを口に出すのははばかられる。モリュウ領主の言葉が信用できない、と言っているも同然なのだ。
そこで。
「では、私は行きます。お手並み拝見といったところですか」
「あたしも行こっと。暇してたしね」
「じゃあ俺も……」
結局、全員で観戦することになる。
結果的にフェイト・モリュウの言葉は正しく、黒十字艦隊は圧倒的な戦力の差をもってして無事、勝利を収めていた。
「これで障害となるものはなくなったな」
「はい、これからスノーフリアの港へ入港します」
それを聞いて、フィオレはこっそりと彼に尋ねた。
「アクアヴェイル船籍の船が入港して、大丈夫なのですか」
「敵艦隊はすべて片付けましたから、今はそれどころではないはずです。他の船はここに待機させますし、我々の乗船している船はそこまで大きなものでもありませんから」
つまり、混乱に乗じてちゃっかり事を済ませるつもりか。
彼がその気ならばまあいいかと、フィオレはそこで食い下がった。
そして、操舵室から休憩室へと戻ったそのとき。先ほどと変わらない盤上を見て黙りこくるリオンに、再びこれを尋ねる。
「さーて。リオン、どうします?」
「……くっ、仕方ない」
ファンダリアといえば、飛行竜から落っこちて入国した因縁の地。結局追いかけっこで世界一周してしまいました。
ただ追いかけているだけでは詮無きことですが、ちったあサポート入れてくれよセインガルド。もしくはストレイライズ神殿関係者……あ、フィリアがいたか。
そして黒十字艦隊。ミニゲームとはいえ、敵艦隊の撃退をスタン達に頼むんじゃない!(笑)
作中フェイトが格好いいこと言ってますが、これは創作です! 実際は「撃退手伝って」と言われてミニゲーム突入です!
別に撃退できなくてもゲームオーバーになりませんが、軟弱すぎるだろうアクアヴェイルが誇る黒十字艦隊! 格好いいのは名前だけか!(新年早々文句ばかり抜かしておりますが聞き流しを要求します(笑)