フェイトとはさらっとお別れして、様子が不思議ちゃんと化しているマリーを心配しながらチェルシー(疲労困憊)、ウッドロウ(意識無し)との再会です。
第九十一夜——さよならアクアヴェイル、こんにちわファンダリア
あれから半時も経たない内に、一行を載せた船はスノーフリアの港へ入った。
桟橋に船をつけるも、それに目をつける人間は誰もいない。
それどころか、港は民間人にしか見えない人間がちらほらいるだけで、軍人の姿などはどこにもいなかった。
そもそも海上のみの警備に徹していたのか、あるいは総出で出てきて海の藻屑と消えたのか。
ともかく、警戒も注目もされていないのは好都合だった。
冷たい風が吹き荒れる寒空の下、桟橋にて集う。
「ずいぶんと、お世話になりました」
「いえ、お気になさらずに……私のほうこそ、命を助けていただいた身ですから。これから協力できないのが残念です」
スタンの礼に、フェイトはかぶりを振っている。
別れの時が粛々と迫る中、ふとスノーフリア港を見回していたマリーがふらっと歩き出した。
これまでも、こういったことがなかったわけではない。
今後にまつわる重要な話をしていたところで、興味がなかったのかどうかはわからないが急に彷徨をおっぱじめる姿は幾度か見かけたことがあった。
当初こそ注意していたルーティではあったが、現在それを咎めるようなことはしていない。
何にでも興味を示し、ひとところにいられないのは記憶障害者の特徴のひとつであることをフィリアに聞かされて以降、それも仕方がないと割り切ったようだ。
ただし、目だけ離していない。
「グレバムは必ず、俺たちが倒してみせます」
「ご武運、お祈りしています」
「あんたも元気でね。あんまり奥さんを泣かすんじゃないわよ」
ルーティにしてみれば、揶揄する気満々で言った一言だろう。
しかしフェイトは、大真面目に頷いて見せた。
「ええ、もちろんです。それでは……」
マリーの行方を気にしつつ、黙礼のみ済ませる。
船員たちにすれば敵地に乗り込んだようなものだからだろう。慌しく出立する船を見送る暇も惜しんで、ルーティが港へと向かっていった。
「あたしちょっと、マリーの様子見てくるわ」
「心配ですわね。ここファンダリアへ近づくにつれ、雪が降るのを見ては心ここに在らず、といった様子ですし……」
アクアヴェイルへ戻りゆく船を見送った後で、港内を散策する。彼女たちは、港の端で何らかの会話を交わしていた。
しばらく様子を見ていると、二人連れ立って戻ってくる。
「もう、感傷的になったからってなんでふらふら出歩く必要があるのよ」
「ああ、すまない」
ルーティには謝りながらも、フィリアの言うとおり、どこかぼんやりしているようにも見える。
これまで世界中を回ってきても、マリーはいつでも好奇心旺盛で、目に見えるものすべてが新鮮だと態度で語ってきた。
しかし今回、雪国へやってきてそれがない。
以前雪国の郷土料理に覚えがあるようなことを唐突に語っていたように、彼女が雪国の出身である可能性が大分高まった。
そんなことを考えていてふと、視界の端で真白の何かがちらつく。
「雪だ……」
「あっ、ほんとだ」
「これが、雪なのですか。わたくし、本物を見るのは初めてですわ」
すでに帽子を外しているフィオレを見やって、フィオレさんの髪の色ですわね、などと今更確認された。
そして、フィオレを見やったフィリアがいぶかしげに小首を傾げる。
「フィオレさん、お顔が険しいですわ。いかがいたしました?」
「いえ別に」
唐突なこの降雪を見て、嫌な光景を思い出してしまっただけだ。
船上で幾度か見かけた風花とは明らかに異なる、大粒の雪がしんしんと降り注ぐ。
その光景を見て、マリーはぽつりと呟いた。
「雪が降りだすと……なんだか、昔のことを思い出せそうな気がする……」
「そうなんですか?」
「ああ。でも、何だか切ない感じだ……」
いつになく、マリーがしおらしい。
その手は唯一の手がかりと言ってはばからない、あの短剣に添えられていた。
その様子を見てか、スタンが誰に尋ねるでもない言葉を口にしている。
「悲しい過去だったら……過去の記憶なんて思い出さない方がいいんでしょうか?」
「スタン、それは違うな」
マリーはやけにきっぱり否定しているが、それは人それぞれの話だ。
誰しも彼女と同じ強さを持っているわけではない。
丁度フィオレが、今しがた思い出した記憶を、事実ごと消してしまいたいと願ったように。
「そうですね……すみません。俺もマリーさんの記憶が戻るように応援しますよ」
「スタン、ありがとう」
「あんた、マリーは応援してフィオレは応援しないわけ?」
思い直したスタンが取り繕うようにマリーを元気づけ、それをルーティにからかわれる。
そんなことはないと怒って見せながらも、スタンは律儀にフィオレへ謝った。
「すいませんフィオレさん、そういうつもりじゃなかったんです。なんか、この頃フィオレさんが記憶喪失だって忘れがちで……」
「問題ありませんよ。私は何も、思い出せていないわけではないのですから」
「それより、あたしそろそろ凍えそうなんだけど……」
ルーティの申請によってまず落ち着こうと、港を抜けてスノーフリアの街へと繰り出す。
一年の半分以上が雪に覆われる豪雪地帯、ファンダリア。
その玄関口であるスノーフリアはすでに雪化粧を済ませていた。
今の季節が丁度盛りなのか、地面を歩けば足跡か、雪にも建物にも積もった雪が被っている。
「う~っ、寒々っ」
一同の中でも一際露出度が高く、それほど脂肪も備えていないルーティが震えるのを見て、ふとマリーを見た。
普段仏頂面のリオンでさえ防寒具の購入を提案してきたというのに、ここへ来てマリーは一度たりとも「寒い」と言っていない。
これは……
「桜だ」
これまでとは違う意味合いで周囲を見回していたマリーが、突如としてそんなことをのたまった。
これを聞きつけたルーティは、勿論反論している。
「はあ? こんなに寒いのに、なんで桜なのよ。大体ファンダリアに桜なんて……」
「でも、あそこ」
マリーが指すのは内陸に通じる出入り口付近だ。無論桜は咲いていない。しかし、マリーがそう発言した理由が確かにあった。
スノーフリアに入る直前で、頭をうなだれ立ち尽くす少女がいる。
桜色の髪を天使の羽を象った髪飾りでまとめているが、ところどころがほつれていた。ルーティばりの軽装姿に薄っぺらいマントを羽織っているが、まるで落ち延びてきたかのようにボロボロだ。
肩を大きく上下させている辺り、全力疾走で駆けてきた様子だが。
「フィオレさん、あれって!」
「どこかで見たような子ですね」
雪が降ってきたせいなのか、通りを出歩く人間は少ない。
家路に急ぐ人々が誰一人として気にかけない少女に近寄れば、その足音を聞きつけてか彼女は弾かれたように顔を上げた。
「った、助けてください!」
「やっぱり、チェルシーじゃないか!」
開口一番、相手が誰かもわからない状態で助けを求めたのはやはり、ジェノス奥地にて住まうアルバ老爺の孫、ウッドロウになついていたチェルシーだった。
突如として自分の名を呼ばれ、つぶらな瞳がぱちくりと瞬く。
「え、何でわたしの名前を……って、あなたはいつぞやの行き倒れさん!」
「行き倒れ? スタンが?」
「ルーティたちと出会う前に、色々ありまして……」
「それに、奇術のお姉さんまで! これぞ天のお導きですぅ!」
胸の前で手を組んで感激をあらわにしたかと思うと、すぐ必死な表情になってスタンとフィオレの腕を引っつかむ。そしてぐいぐい引き始めた。
「ど、どうしたのチェルシー?」
「助けてとか言ってましたね。暴漢に追われているなら、街中に逃げるべきではないかと……」
「わたしじゃないんです! 早く、早く行かないと、ウッドロウさまが……!」
その一言に、彼女の格好を合わせて事情を悟り。フィオレはぐるりと一同を見回した。
「緊急の用事みたいです。移動しながら事情を聞きましょう」
「……仕方がない。行くぞ」
「今から!? あたしちょっと、上着買ってからにしたいなあ……」
控えめながらも、最もな希望を口にするルーティに着ていた外套を渡して、フィオレはチェルシーと共に歩き出した。
「で、何があったんです?」
「おじいちゃんのお使いで、王都へ行ったんです。その時、大きな竜が飛んできて……」
お使いの内容は、新調した弓をウッドロウに送り届けること。
王太子の師匠の孫娘である彼女は、弓を届ける際ウッドロウにそのことを話したらしい。
それを聞いた彼は、念のため様子を見に行くと告げ、そのついでにチェルシーを途中まで送ってくれることになったそうだ。
……そして、信じられない出来事が起こった。
ハイデルベルグの外れに降りた竜から人やら魔物やら次々と現われ、あっという間に王都を占拠したのだという。
「それでどうにか逃げてきたんですね?」
「はい……でも、わたし。ずっとウッドロウ様のお荷物で、わたしがいなければ、もっと早く逃げられたはずなのに……」
目が赤いような気がするから、まさか罠かと内心勘ぐっていたのだが、チェルシーのそれは、どうやら生理現象の現われであるようだった。
妙に鼻声だったのも、凍えていただけではないのだろう。
「追われているのは自分だけだからって、わたしにはスノーフリアで助けを呼んできてくれって……」
「わかりました。そういうことなら、尽力をつくしましょう」
これまでの説明──特にショックだったのか、大変重要なハイデルベルグ襲撃付近がかなり抽象的だった。
推測を挟みながら事情を悟らねばならなかったことを鑑みるに、ウッドロウならば情報源として最適だろう。
少なくとも、チェルシーにすべて話させるよりはマシなはずだ。
「それで、ウッドロウがどこにいるのかはわかるのか?」
「この先の、ティルソの森だと思います。あそこでウッドロウ様と別れたから、多分……」
「つまり、具体的な位置はわからないのか」
予想してしかるべきことである。フィオレは唐突にその場に立ち止まった。
流石にこれは、移動しながら出来ることではない。
「って、何をしてらっしゃるんですかフィオレさん! 早く行かないとウッドロウ様が……!」
『シルフィスティア、緊急事態です。視界を貸してください』
『うん、わかった!』
目蓋の裏に、風の視界を投射する。
見下ろしたティルソの森は雪を抱えた木々が鬱蒼と生い茂り、探すのは困難かと思われた。
しかし、静まり返った森に響く戦いの調べは、どこまでも騒がしく。
「……思ったより近くてよかったです」
「え?」
唐突に目を開いたフィオレが、呟くなり疾走を始めた。
驚いた一同も慌ててそれに続くものの、慣れない雪道に足を取られたか、森を前にしてフィオレについてきていたのはチェルシー、そしてマリーだった。
「マリーはここに残って、皆を待っていてください。で、私たちの足跡を辿って合流してくださいね」
「わかった」
もしそちらでウッドロウらしき人間を見かけたら、これを渡して身の証を立て、保護するようにと有無を言わさずチェルシーの髪飾りを取る。
あう、と少女は頭を抑えるものの、ウッドロウを探すのが先と文句はなかった。
ただ。
「髪飾り……可愛い」
「あ、あげませんからね!」
渡された髪飾りをしげしげと眺めるマリーに念を押している間にも、フィオレはどんどん先へ行っている。
少しでも通りやすいようにか、おざなりに整備された道を使わず、フィオレは木陰に隠れるようにしながら奥へ奥へと進んでいった。
「そんなずんずん進んで、ウッドロウ様と行き違いになっちゃったら……」
「お静かに」
立ち止まり、木陰に身を隠して道の向こうを指す。
騒然とした気配が近づいてきたかと思うと、すぐに数人の人影が確認できるようになった。
雪色に青みがかった髪、細身の長身に、瞳と同じ蒼の軽鎧。時折迫る矢を捌くために剣を手にするものの、逃走を続ける青年。
しかしその様子は、まさに満身創痍と呼ぶべき有様だった。
「ウッドロウ様……!」
「駄目です。また足手まといになりたいのですか」
青年を追うは、雪国仕様の武装なのか。
特徴的な防寒を目的とする帽子に、分厚い外套を羽織った姿がざっと十人ほど。
「じゃあどうするんですか……!」
「追っ手が多すぎます。少し数を減らしましょうか」
借りますよ、と一声かけてチェルシーの弓矢を手に取る。
彼女用にか、一般的な弓より軽く、かなり小さかったが、フィオレの望む遠距離射撃は十分間に合いそうだ。
最近はついぞ触っていなかったが、ウッドロウに当たらなければそれでいい。
「……ヴォルテックライン」
つがえた矢に
それは狙い違わず、挟み撃ちにしようとウッドロウの前へ回り込みかけた一派に命中した。
「ぬがっ!」
「な、何だ!?」
殺傷能力こそ低いが、感電させて行動不能に追い込むこの技は非常に有効である。
続けて、フィオレは矢筒から同時に三本の矢を取り出した。
雪に覆われてこそいるが、その真下には必ず大地がある。
「ストローククエイカー」
突然の襲撃にうろたえる兵士たちは、警戒するように固まっていた。
これで当てられなければ、チェルシーからへたくそと罵られても反論はできまい。
「フィオレさん、心得があるんですか!? 剣を使えて、弓も使えて、奇術まで使えるなんて……!」
「淑女のたしなみです。さておき、これで何とか捌けるでしょう」
チェルシーに弓矢一式を返還し、少女をその場に置いて突貫する。
姿なき襲撃者の姿があらわになったことにか、残る兵士は下卑た笑みを浮かべた。
「馬鹿め、わざわざ姿を見せるとはな!」
何故か勝ち誇る兵士が剣の先を向けるのは……とうとう雪の中に倒れ伏したウッドロウである。
真下の雪が吸った命の雫は、目が痛くなるほど鮮やかだった。
「この男の命が……っておいっ! 人の話を聞かんか小娘!」
「これだから最近の若い者は……」
悠長に降伏勧告に近いものを発した兵士たちだったが、悠長に聞くほどの時間を設けてやれない。
紫電の一閃を受けて、彼らはことごとくウッドロウと同じような体勢になった。
どこもかしこも真っ白だった森の中、赤い花が点々と咲き始める。
「……おしまい、っと」
「おーい! 二人ともーっ!」