ファンダリア王城隣、時計塔最上階。
一体誰が想像したでしょうか。
制御者を失った神の眼が、一同へ牙むくことを。
眩い光の支配は、ほんの一瞬のこと。
再び見やった先にあるのは、転がったイクティノス。
そして、神の眼と名のつく直径六メートルもの巨大レンズのみ。
無残な屍も、撒き散らされた血痕も、汚臭も。
洗い流されたかのように、痕跡すら消えていた。
「フィオレさん、だいしさ……いえ、グレバムは?」
「……死にましたよ。過ぎたる力に溺れ、挙句制御を失って。イクティノスが道連れにされなくて、よかったですね」
「ああ。イクティノスは、返してもらうぞ」
屍が散らばった辺りに眼をやり、ウッドロウはイクティノスを拾い上げる。
神の眼のエネルギーを受けたショックか、コアクリスタルはシャッターにて閉じられてしまっているものの、その他の外傷は見当たらない。
「い、いつまでこうしてる気よ!」
「ついにやったんだ!」
どのようにしてルーティの視界を遮っていたのか知らないが、ルーティに突き飛ばされたらしいスタンが惜しげもなく歓声を上げる。
ところが、彼の相方はそれに賛同してくれなかった。
『喜ぶのはまだ早いぞ!』
「え?」
見やれば、それまでグレバムの制御を受けていたであろう神の眼がチカチカと瞬いている。
ある程度の年月を経て、消耗したレンズ照明器がこのように光るのを見たことがあるが、あれとは多分意味合いが違う。
『いかん、オーバーロードじゃ』
『このままでは爆発するわ』
「ば、爆発!?」
「冗談じゃないわよ!」
喚くルーティ、取り乱す一同にリオンの周囲へ集まるよう指示。
フィオレ自身も大急ぎで彼に駆け寄り、意識を集中させた。
「母なる抱擁──省略!」
考えてみれば、シャルティエの力に頼らずとも神の眼が傍にあるのだから、発動は簡単である。
ただ、あの暴走しているように見える神の眼から力を借りるのはためらわれた。
瞬くような輝きの頻度が増え、神の眼自体に力が収縮していく。
途端、フィオレは展開した結界の悲鳴を聞いた。
周囲に遍く起爆を導いた神の眼の様子に、これといった変化はない。
『ビックバンか……! あんなものまともに喰らえば、生身の人間なぞ木っ端微塵になるぞ』
『第二撃が来るわ!』
おそらく周囲の空気を圧縮し、その圧力を解放することで小規模な爆発を起こしているのだろう。
どれだけ小規模であろうと、この周囲一帯に連鎖して起こるのなら威力は増大する上に逃げ場などない。
回避が不可能なら、結界を展開し続けるしかない。が……
「あの、フィオレ。これが壊れたら、どうなるの?」
「まず、結界が破壊された衝撃で私の意識がすっ飛びます。あとは、ディムロスの言葉通りではないでしょうか」
淡々と言葉を紡ぐフィオレが、爆発の余韻もなくなる前に結界を解く。
すぐに譜陣を展開したフィオレは、ちらりとスタンの腰を見やった。
「でも、ディムロスがこの現象を知っているということは、もしや天地戦争で体験していませんか?」
『確かに、儂らは天上王が神の眼を用いて使用したこの術を知っておる』
──マリーやチェルシーが、この場にいなくてよかった。
本当に、よかった。
「且つ、天地戦争に勝利したということは、ソーディアンマスターであればどうにか凌ぐ術をお持ちでしょう。現在イクティノスを持っているウッドロウも当てはまるでしょうから、私が……私のみが、木っ端微塵になるんでしょうねえ」
「な……!」
──そして、この術は、本来発動し続けられるタイプのものではない。
現在起動し続けているようにそのこと自体は不可能でもなんでもないが、それだけ消耗が激しいのだ。
現に今、フィオレは小さく息をついて片膝をついていた。
「ちょっと!?」
「まだ大丈夫です。けど、そのうち私が限界を迎えます。それまでに、何とかしましょうか」
その前に、確認しなければならないことがある。
フィオレだけが危険になるのか、それとも全員が危険にさらされるか。
それがわからなければ動きようがない。
「それで、今しがたの私の推測は的を得ていますか?」
『ソーディアンが製作された当時、あのビッグバン対策も考慮はされていたからな。ソーディアンマスターなら対シールドが起動し、一撃は耐えられるだろう』
「イクティノス!? 生きていたのか……」
『我々に死ぬという定義はない。コアクリスタルが破壊されれば、プログラムされている人格もろとも、ソーディアンとしての機能を失うだけだ』
「……ありがとう。安心しました」
状況をまるで無視したイクティノスの冷静な説明に、フィオレは思わず苦笑を零した。
三度目のビックバンを凌いだ直後、結界が唐突に消える。
「フィオレさん!?」
「……クレメンテ、フィリアに傷ひとつつけて御覧なさい。くず鉄にして製鉄所送りです。イクティノス、ウッドロウに何かあったら国際問題です。必ずお守りするように」
『そりゃわかっておる。じゃが、お主はどうするつもりなんじゃ!?』
『……心得た』
「失敗しても犠牲が私だけなら、これだけ心が軽いこともありません」
結界を限界まで起動し続けたところで、待つのは確実な死。
ならば、まだ当たって砕けた方がマシである。
しかし。
『馬鹿を抜かすでない! お主は自分の肉片を、フィリアに見せる気か!』
「クレメンテ! なんてことをおっしゃるのです!」
『……それに、すでに我々は先の戦争で何度となくビッグバンを受けた。シールドも、あと一度耐えられればいい方だろう』
……フィリアは悲鳴じみた叫びを上げているが、確かにクレメンテの言うことは正しい。
先程グレバムの死骸を消した意味がなくなるからだ。
イクティノスの言葉が正しいがどうかはわからないが、とにかく。
「……そういうことをおっしゃられると、いきなり無茶ができなくなるから困りますね」
再び結界を展開し、次なる爆発に備える。
爆発が静まり、次なる一撃にかかるまでの時間を正確に測り終えたフィオレは結界を消した。
「それで、シールドとやらはソーディアンを装備さえしていれば、勝手に起動するものなので?」
『いや……起動は我らが促すが、その間マスターは一切の行動が封じられる。禁を破れば、シールドは消滅するのだ』
「なるほど。では皆、動かないでくださいね」
「フィオレさん……!」
「時の狭間にて
♪ Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey──
爆発の余韻満ちるその場で、再び時縛りの調べを奏でる。
わずかな時間稼ぎの中で、フィオレは駄目押しとばかり更なる譜歌を使った。
「戦士よ勇壮たれ。鼓舞するは、勇ましき魂の選び手」
♪ Va Rey Ze Toe Nu Toe Luo Toe Qlor──
気休めに近いが、これで一度くらいは爆発を受けても生きてはいられるだろう。
生きてさえいれば、こっちのものである。
凍結した時の支配を受けている神の眼に、フィオレはゆっくりと歩み寄った。
『フィオレ、何をするつもりなの?』
「あれの制御を試みます。あのエセ神官にできて、私にできないとは思いたくない」
『危険だわ! 場合によってはあなたまで、グレバムの二の舞に』
その危険性を、もちろん考えなかったわけではない。
しかし、そうでもしなければ他に何をしろというのだろうか。
ディスラプトーム──有機物無機物に関わらず、存在する一切合財を強制的に分解し、文字通り消滅を促す譜術を使えば、有効かもしれない。
だが、そんなことをすれば神の眼は消滅する。
回収しろという任務に背くことになり、更にアレはフィオレをこの世界に招いた存在かもしれないのだ。行使は、初めから眼中にない。無事回収したいのなら、制御をするしか選択肢は存在しないのだ。
そしてフィオレは、無事機能を保持したままの神の眼を取り戻したい。
時縛りから解放されつつある神の眼に近寄る度、とんでもない圧力を感じる。それに抗うよう接近を続けて、フィオレは左の手甲を外した。
爛々と、まるで神の眼と呼応するように輝くレンズを胸元で抱えるようにする。
──そこで。フィオレは自分の左手が、細かな痙攣を起こしている事に気づいた。
抑えようとしても止まらず、押さえた右手に震動が伝わるばかり。
確かに気温もさることながら、暴走状態の神の眼を前にして冷や汗が止まらず、寒いには寒い。
しかし、ここまで震えるほどのものでは……
ここで、フィオレは唐突に気付いてしまった。
意識上自覚してはいけないことだが──恐怖しているのだ。それが、左手の震えを発生させている原因である。
それが未知なる物に対する恐れなのか、単純に命の危険にさらされてのものなのか、その事実から必死に眼を背けているフィオレにはわからない。
わからないが。神の眼が時の凍結を脱したこの時、脅えている暇も、原因を究明する暇も、存在はしなかった。
『私に交渉を持ちかけてきたのがあなたなら、直ちに暴走を静めてください。でなければ、あなたの望みは叶わない』
何故なら、暴走が止まらなければフィオレはあえなく爆死するから。
チャネリングによる交渉を試みる最中にも、神の眼の暴走は静まる気配がなかった。
これは、覚悟しなければならないか──
神の眼がギラギラとした輝きを放った、その瞬間。
『スタン、何を!』
『坊ちゃん!?』
ソーディアンたちの悲鳴が聞こえ、迫り来る脅威から気が逸れる。
カラカラに乾いていた喉から、自然と旋律が零れ出した。
「母なる抱擁に、覚えるは安寧──」
旋律が結ばれ、結界が発生した直後に真横から衝撃に襲われる。
咄嗟にむき出しの腕を抱えて衝撃に備えれば、受身の取れなかったフィオレは背中から床へ叩きつけられた。
「っ痛ぅ……」
うっすら涙が浮かんでくるのを瞬きで乾かし、どさくさに紛れて手甲を付け直す。
圧し掛かる何かに抗って上体を起こすと、金色の蓬髪が眼前に溢れていた。
ディムロスの言葉を考慮する辺り、どうもスタンに突進で真横から突っ込まれたようだと理解したところで。
「何をやっとるんだ、スカタン!」
覆いかぶさるスタンが、細い足の蹴打によってどかされる。
わき腹を蹴られたせいで不気味な呻きと共にフィオレを解放したスタンは、痛そうに患部を擦りながら細足の持ち主を見やった。
「何するんだよ、リオン」
「こっちの台詞だ! 命の危険を冒してまでフィオレを押し倒す奴があるか!」
「そういうリオンだって、ここにいるじゃないか」
まったくである。五十歩百歩とは言いえて妙だ。
途端に詰まるリオンは珍しいが、悠長に珍しがってもいられない。
鈍痛と、譜歌の乱発による頭痛を押し殺して立ち上がる。
視線の先の神の眼は、それまでの様子と打って変わって、ただそこに在るだけだった。
暴走どころか、起動の気配もない。
「……落ち着いた?」
「フィオレ、今度はどんな手品を使ったのよ?」
「誠意をこめた話し合いをしただけです」
実際の内容は、何とも情けない、自らを盾にしての脅迫だったが。
無論、納得はしていないルーティをさておいて、フィリアとウッドロウの生存と、無傷であることを確認する。
これでクレメンテをくず鉄にする必要も、フィオレがチェルシーに殺されることもなくなった。
「さて、後は陛下の元へ神の眼を運ぶだけだな。それが済めば……」
「──それで誤魔化してるつもりですか」
シャルティエを鞘に収め、リオンがいけしゃあしゃあと口を開いたところで、フィオレは氷点下の声音を発した。
再び言葉を詰まらせるリオンと、そしてスタンを睨む。
「私は、じっとしていてくれと言ったはずです。そうすれば、ソーディアンマスターであるあなたたちの無事は保証されていた。どうして、動いたんですか?」
「だって……フィオレさん、震えていたじゃないですか」
……そんなに分かりやすかったのだろうか。
その一言に、動揺を隠しきれないフィオレへリオンの追い討ちが続いた。
「妙に気が抜けていたり、かと思えば脅えていたり。神の眼を前にして、お前の様子は明らかにおかしかった。そんな奴に対処などを任せておけるか」
確かにそうかもしれない。彼らの言葉を否定できる要素など、何一つない。
それでも。
「ええ、怖かった。でも、あなたたちが動いたと、わかった瞬間の方がもっと怖かった」
こんな歳にもなって、何かを恐れることは幼稚だと思う。
神の眼を前に恐れたことは確かに恥じるべきだ。
だが、これだけは繕うつもりはなかった。
大切だと思う人が傷つくことを恐れるのは、当然のことだと考えているから。
「動いたのがそんな理由なら、脅えていることを察知させてしまった私に非がありますね。危険にさらしてしまって、すみません」
理由が判明した以上、彼らを責める必要はない。
くるりと身を翻して、フィオレは神の眼を見上げた。