swordian saga   作:佐谷莢

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 ジルクリスト邸にて。当てのない放浪に、早くも終止符が打たれる。
 精霊結晶は「swordian saga」における造語、正しくは具現結晶です。



第十一夜——寄る辺なき旅路の終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

「この度は息子が多大な迷惑をかけた」

 

 事の次第の説明を終えた後に、ヒューゴ氏は潔く頭を下げた。

 その姿に、フィオレの脳裏ではやはり警鐘が鳴り響いている。

 おかしい。お偉いさんというのはもう少しプライドというものがあるはずだ。一体、何の陰謀が蠢いているというのか──! 

 ふと窓の外を見やれば、夜闇の向こうに輝く星の瞬きが見え隠れしている。

 これで用事は終わったかな、とフィオレは立ち上がった。

 

「それでは、私はこれで失礼します。まだ今夜の宿を決めていないので、そろそろ探しに行かないと」

「ならば、部屋を用意させよう。今日はここを宿だと思ってはくれないか」

 

 どんだけ高級な宿なんだ。フィオレは心の中でそう突っ込んだ。

 

「じゃ、今懐が寂しいので踏み倒しますね」

「いやいや、もちろんそんなつもりはない。詫びも兼ねて、夕餉を振舞わせてほしいと思っていたところだ」

 

 咄嗟に断る理由が出ない。

 口封じされるのではないかという疑念に支配されている今のフィオレに、角の立たない辞退の仕方など、思い浮かぶわけもなく。

 結果、受け入れてしまったところで控えめなノックが聞こえる。

 応対に出たマリアンが、何かしら伝えに来たらしいメイドと、一言二言交わし合って。

 彼女はくるりとこちらを向いた。

 

「晩餐の準備が整ったそうです」

 

 最期の晩餐、という単語が脳裏でぺこりとお辞儀する。

 しかし誰もそんなことに気付くはずもなく、ヒューゴ氏は嬉々として立ち上がった。

 

「そうか。ではフィオレ君、広間へ案内しよう」

「は、はあ……」

 

 この屋敷の主直々にエスコートされ、フィオレは広間とやらへ連れ込まれた。

 ──フィオレの体には、毒も薬も効かない。

 正確には「効きにくい」のであって、致死量ともなれば多少は影響を受けるし、効かないことを前提に作られたものなら、それなりの効果を示す。

 それでもこれまで、完璧に動けなくなったり命の危険性を感じたことはないが、それはあくまでフィオレと名乗る以前の話。今も同じ状態なのかどうかは、さっぱりわからない。

 確かにフィオレは、神殿における薬草の治療でまったく効果が現れず、仕方がないからこっそりと譜歌で癒したことがあるのだが……ちなみにそのとき、あまりにも急激に治ったために「アタモニ神のご加護」がどうとか、フィリアが吹聴したのはいい思い出だ。

 とか何とか、彼女が現実逃避している間にも広いテーブルの上に様々な料理が載せられていく。

 ふと我に返ったそのときには、すでに準備は済んでいた。

 神殿での質素な食事とは一線を画した、どれもこれも明らかに玄人の料理ばかりである。きっとお抱えの料理人がいるに違いない。

 なかなか食事に手をつけようとしないフィオレを、戸惑っているとでも勘違いしたらしいヒューゴ氏がフォローに入る。

 

「まあ、そう固くならずに。あまり格式に気を取られず、自由にやってほしい」

 

 こう言われてしまえば、いつまでも戸惑っているわけにはいかない。

 

「では、ご厚意に甘えて。お先に」

 

 略式の印を胸の前で切り、両手を組んで短く命への感謝を呟く。神殿で暮らしていて、いつの間にかつけてしまった食前の癖だった。

 食器同士を合わせないよう、食器と皿をあまり接触させないように白身魚のソテーを切り分ける。

 常に背筋はきっちり伸ばしたまま、咀嚼はあくまで優雅に、がっつくなぞもっての他。

 こちらもまた、主家と機会があった際に粗相がないように、と幼少時に叩き込まれたテーブルマナーがしっかりと反映されていた。

 なんだかやるせなくなりつつも、ソテーはかなり美味しい。

 悲しいかな、マナーを守り続ける姿勢のまま食事を続けていると、視線を感じた。

 最後の一切れを飲み込んでから顔を上げれば、どこか驚いた様子のヒューゴ氏。

 そしてフィオレから左の位置には目を見張っている少年──

 

「って、いたんですかリオンとかいう客員剣士」

「……やっと気付いたのか」

 

 少年は明らかに蔑む調子で鼻を鳴らした。

 理由はわかる。自分を負かした人間と食事を共にするのは、かなり気分が悪かろう。それでも腹が減るのは健康な証拠だ。

 リオンのことはさておき、フィオレは正面を向いた。

 

「ヒューゴさん。私は何か粗相でも働きましたか?」

「いや、そんなことはない。思った以上に礼儀作法に精通していると、感心してしまったよ」

「同感だ。ところでお前、どこの家出少女なんだ」

 

 横合いから割り込んだ問いに、フィオレは思わず顔をしかめている。

 背筋を伸ばしたその状態から、首だけをギギギ、とリオンとかいうクソガキ……もといオベロン社御曹司に向けた。

 

「イエデ、ショウジョ?」

「図星か? 声が震えているぞ。どこぞの名家でもなければ、娘にそんな礼儀作法を教えはしないだろう」

 

 言いたいことはわかる。わかる、のだが……

 

「あの、あなたまさか、私がどこかの貴族令嬢だとでも思っているんですか?」

「その可能性もなくはない、と思っただけだ」

 

 大ハズレである。ただ、そんないい身分の人間たちと長く付き合ってきただけだ。

 とある貴族に騎士として仕え、さる王家に侍女として仕えていた経験があるために、礼儀作法自体は見苦しくない程度に習得しているのだが……

 そんなことをバカ正直に話すわけにはいかない。

 

「えーと、これは、ほら。見よう見まねというやつです」

「お前はヒューゴ様に促されて初めに手をつけたんだろうが。どうやって僕たちの真似をするんだ」

「そうではなくて。ほら、庶民の娘が奉公に出て、家政婦(メイド)として上流社会の礼儀作法を垣間見ることくらいはありえるでしょう」

「つまりお前は奉公に出たことがある、ということか?」

 

 そのくらい察しろよ。このニブチンが。

 などという暴言を「そう思ってくださって結構です」と切り返し、こぞ……お坊ちゃんを黙らせる。

 その間に、フィオレはポテトグラタンに手をつけた。

 えぐみがカケラもない、ほこほことしたジャガイモがホワイトソースに絡んで、微笑が浮かんでくるほど美味しい。

 やはりここでも食器と皿をぶつけないよう慎重に、しかし少しだけペースを上げて食事を再開していると、ふとヒューゴ氏から声がかかった。

 

「君は、アタモニ教の信者なのか?」

「いいえ、違います。先ほどのあれは、神殿でお世話になっていたとき、通例だった食前の挨拶みたいなもので」

「神殿というと、ストレイライズのことかな? アルメイダの東にある」

「はい。少し前まで、そこでお世話になっていました」

 

 ふむ、とひとつ頷く。

 そして彼は今現在、フィオレが何故旅の身であるのかの説明を求めてきた。

 どこからどこまで話すべきか、一呼吸のうちにそれを構成して。

 余計なことは言わない、あくまで流れに沿うことにする。あとは、ほんの少し、望みを混ぜて。

 

「ヒューゴさんは、星の守護者なる存在をご存知ですか?」

 

 ナプキンで口元を拭い、食器を小休止サインの位置に置いて話し始める。

 その様子を見て長くなるとでも思ったのか、リオンはそのまま食事を続け、ヒューゴ氏は同じように食器を小休止の位置に置いた。

 

「星の守護者というと……地水火風光闇、各属性を司り自然界を統べる者たちのことかな。俗に精霊結晶と呼ばれてはいるが、存在が確認されたことはない」

「私は彼らを、彼らの聖域を探しているのです。ダリルシェイドに来たのは、守護者に関する情報がほしくて」

「……?」

 

 想像通り、ヒューゴ氏は不思議そうに疑問を口にしている。

 

「ストレイライズ神殿にいたのなら、知識の塔のことを知っているはずだ。なぜそこで探そうとしないのだ?」

「そのことを調べる前に、出されてしまいましてね。神殿の近くに倒れていた得体の知れない記憶障害者を、いつまでも世話することはできないらしいです」

 

 記憶障害、という単語に、ヒューゴ氏はおろかリオンも興味を惹かれたらしい。あえて気付かぬ振りで、言葉を続けた。

 

「守護者のことは神殿で知りました。何でも、誓いを胸にすべての守護者と契約を結ぶことができれば、ひとつの望みが叶うのだと」

「……それは、初耳だな」

「事実か、あるいはただの伝説か。行く場所も帰る場所もない以上、記憶探しに伝説の探求も一興かと思っています」

 

 手を伸ばして色彩も鮮やかなクリスタルグラスを取り、わずかに体を横にして口元を隠しながら一口水を飲む。

 疑念のこもった視線を寄越してくる少年に、フィオレはあえて向き直った。

 

「言いたいことは想像できます。記憶障害なら奉公の話も、ただでさえ薄い信憑性が更に薄くなった、と言いたいのでしょう?」

「その通りだ。虚言を認める気になったのか?」

「私が神殿付近で発見されてから、一ヶ月と少し経過しています。その間に何も思い出さなかったわけではありません」

 

 多少の疑念はあるものの、黙ったところを見ると納得はしたらしい。

 再びヒューゴ氏を見やれば、彼は何か思うことがあるらしく、沈黙している。

 駄目でもともと、空振り上等、フィオレはあえて情報の提供を望んだ。

 

「どんな小さなことでもかまいません。守護者について、何か知っていることがおありならご教授願いたく思います」

 

 癖なのだろうか。

 顎を軽く撫でながら沈黙を貫いていたヒューゴ氏は、思いもよらない返答を寄越した。

 

「私はこれでも、考古学に精通していてね。その手の資料なら、この屋敷にも大量に保管されている」

「そ、そうなのですか?」

 

 これには、手がかり発見の喜びより驚愕と戸惑いが先立った。

 大企業総帥が、考古学に精通。

 趣味で考古学に従事する人間に資金援助してるならわかるが、資料を自宅に保管してしまうほど、入れ込んでいるということだろうか。

 フィオレの心情を、何となく察知したらしい。ヒューゴ氏は微苦笑を零して解説してくれた。

 

「こう見えても、オベロン社を立ち上げるまでは凡庸な考古学者でね。古代文明研究がため、世界各地に赴いては発掘調査を繰り返したものだよ」

 

 あの頃は若かった、と言わんばかりにありし日の思い出を語るヒューゴ氏は、かなり苦労をしてきたらしい。懐かしげな表情を浮かべつつも、うっすら涙目になっているのは気のせいだろうか。

 ふと我に返ったらしい彼は、話をもとに戻した。

 

「閲覧を許可して差し上げたいが、ひとつ条件を呑んでもらいたい」

「……条、件?」

 

 その単語から、いやにキナ臭い匂いがするのは気のせいか。

 条件とやらを聞こうかどうしようか迷って、フィオレはヘタれることにした。

 君子危うきに近寄らずとはよく言ったものである。

 

「……いえ。遠慮しておきます。偉い人が庶民に優しい時は、大概下心があって……」

「その条件というのはだね」

「人の話を聞いてくださいよ」

「私の部下になってもらいたいのだよ」

 

 彼がその一言を紡いだ瞬間。

 彼女の時は、完全に凍結した。

 

 フィオレは、彼が何を言ったのかまず理解できなかった。

 ……コノヒトイマナニイッタ? 

 たっぷりと沈黙と凍結を続けて。

 フィオレはぐるんっ! と首をめぐらせ、リオンを見た。

 彼はスープ皿にスプーンを突っ込んだまま停止している。

 

「りっ、リオン! お父様がご乱心ですよ、早くお医者様を!」

「面と向かって失礼なことを抜かすな! それに、僕はヒューゴ様の部下であって息子じゃない」

「ああ、そういやそうでしたね。えーと、上司が得体の知れない輩を、あなたの部下だか同僚だかに据えようとしてますよ。異論を唱えましょうよ、さあ」

「なんで僕をけしかけようとするんだ。貴様が条件とやらを呑まなければいいだけの話だろう!」

「……」

 

 正直、資料とやらを見たい気持ちはあったが、背に腹は変えられない。今しがた話した目的がある以上、ひとつの場所に留まり続けることは不可能だ。

 それに──フィオレと名乗る今、誰かを主として奉りたくなんかない。

 

「その手がありましたね。申し訳ありませんが、その条件では涙を呑んでご辞退申し上げます」

「まあ、待ってくれ。まずは私の話を聞いてもらいたい」

 

 ここで、フィオレはある違和感に気づいた。

 ヒューゴ氏はリオンと直接話をしていない。それどころか、ほとんど彼を見ていない。

 部下に対しての態度を取ってるとも思えなくもないが、そもそも部下と同じテーブルについたりするだろうか。

 リオンはフィオレが事実を知らないと思っているから、万人に対しての設定を言っただけで、流石にこの屋敷の使用人たちは事実を知っているだろう。

 でなければ、マリアンが慌てて訂正したりはしない。

 

「フィオレ君。過程はどうあれ、結果的に君はこのダリルシェイドの往来でリオンと交戦し、勝利を収めているね」

 

 寸分も狂いない事実である。

 フィオレは頷き、一言添える程度にしか発言できない。

 

「偶然です」

「そう謙遜しないでくれ。野次馬たちから多数の情報が寄せられている。それによれば、リオンを片手であしらっていたとか」

「あしらったのではなくて身を護っていただけなのですが」

 

 あれだけ時間がかかっていたのは、事情を聞く傍ら自分の手の者に情報を集めさせていたのか。

 可能性は限りなく高かった。

 

「偶然であろうとなかろうと、ただの旅人に陛下も認めた客員剣士が敗れたとなれば様々な波紋が生じるのだよ。少なくとも、客員剣士の地位を与えた陛下が黙っていない。君も言った通り、リオンは早熟だ。客員剣士として正式な地位を拝命した際も今も、一部の人間に反感を買っている。ただ一度の敗北で失くすものは多い」

「……理解はできます。それと私がヒューゴさんの部下になるのと、何の関係が?」

「君をリオンの剣術指南役として招いたことにしたいのだよ」

 

 確かにそれならば、フィオレがリオンを負かしたところでさほど違和感はない。

 それに伴う事情などは、おそらく適当にでっち上げ……事実を捏造……否、彼が仮定のシナリオを創作するのだろう。

 黙るフィオレに、ヒューゴ氏は続ける。

 

「無論それに伴って、君はこのダリルシェイドに逗留し続けなければならない。それなりの保障はさせてもらうつもりだ。もし守護者の情報を得て現地へ赴きたいと望むなら、全力でサポートさせてもらおう」

「……私を剣術指南役に据えたからというだけで、セインガルド王は納得されるのですか?」

「無理だろうな」

 

 ヒューゴ氏は首を横に振った。

 

「事実関係の確認のため、君は王城に召喚されるだろう。リオンと同じように、君も若い。おそらく試されることになる」

「そこで私が、あっさりとあなたの期待を裏切る危険性を考えないのですか」

 

 皮肉たっぷりに揶揄してみせるも、彼は小揺るぎもしていない。

 自分の目に狂いはない、と言いたげに、初めてこの席でリオンへ目をやった。

 

「私は息子の実力を過大評価もしないが、過小評価もしていない。その隻眼で、細腕でリオンをいなしたとなれば、見ずとも実力は測れる」

「ヒューゴ様!?」

「案ずるな。彼女は我々の浅知恵などとうに看破している」

 

 客間での会談に立ち会っておらず、事情を知らないリオンが声を上げる。

 それをあっさりと事実を教えることで黙らせたヒューゴ氏は、返事はいかに、と促した。

 何だか妙な話になってしまったが……損得だけで考えれば、フィオレに損はない。むしろ情報源が得られ、更に路銀の、生活の心配をしなくて済む分、得である。

 何か引っかかるものを感じ取らなくもないが、断ったところで心当たりがあるわけでもなく。

 長くもない逡巡と打算の末に、フィオレは自由を売り渡すことを決意した。

 

「私はあなたに忠誠を誓うことはできません。ですが、自分のしたことに対する責任を取らせていただこうと思います」

 

 返事を聞き、ヒューゴ氏は満足げに笑みを浮かべた。

 

「契約成立だな」

「ただし、指南役の件については本人が納得するならお受けする。できないのであれば、真似事しかしない。本人に意欲が望めず押し付ける形となってしまうなら、時間の無駄です」

 

 フィオレとて、他人に教えたことがないわけではない。むしろ、リオンのようにひねくれたガキ……もとい素直じゃない子供ならば本腰を入れて教えたことがある。

 ただしそれは、彼にやる気……フィオレの言うことに素直に耳を傾ければの話だ。

 穴の空いた袋に砂を詰めたところで袋は一杯にならず、底の一部が砕けた花瓶に水を注いでも活けた花は枯れてしまうだろう。ザルで水を汲むようなものだ。まったく意味がない。

 しかしヒューゴ氏は、それをちっとも理解していなかった。

 ちらりとリオンを見やり、目配せをしてから「リオン」と追い討ちをかけるように声をかけている。

 そしてリオンは、しぶしぶながら、という心情を隠そうともせず、フィオレに頭を下げようとした。

 

「あのー……」

「なんだ」

「そこは、本音をぶっちゃけてくださいませ」

 

 その言葉を受け、戸惑ったようにフィオレから目をそらす。

 そのまま黙り込んでしまったリオンの代わりとばかり、ヒューゴ氏が割って入ってきた。

 

「ほう、フィオレ君は私がリオンに無理やり承知させていると思うのかね」

 

 かなり威圧的な調子である。

 自分がルールだと言わんばかりの態度は、もちろんフィオレの反感を買った。

 

「どっからどう見てもそうではありませんか。お二人にどんな力関係があるのか存じ上げませんし介入しようとも思いませんが、今は私と彼の問題です。口出ししないでもらえますか」

 

 テメーはお呼びじゃねえんだよ。黙ってやがれ。

 意訳をすればそんな内容の批難は、もちろんヒューゴ氏の反感を買っている。

 しかし彼は、フィオレがもっとも反論しやすいパワー・ハラスメントを繰り出してくれた。

 

「口の利き方に気をつけたまえ。今この瞬間から私は君の雇い主だぞ」

「わかりました。では、今の無礼な振舞いでさぞやご気分を悪くされたでしょう。どうぞ、解雇してください」

 

 途端にヒューゴ氏の旗色が悪くなる。

 資料などを惜しいと思わないでもないが、基本的にフィオレはいつクビにされても困らない。

 この場合、本当に困るのはヒューゴ氏だけだ。リオンの問題は、そのまま上司である彼にしわ寄せがきてしかるべきである。

 そもそも話を持ちかけたのはヒューゴ氏であり、フィオレはそれに応じただけ。

 それを逆手にとって主人面するとは、傲慢もいいところだ。

 

「あなたが無理やり命じたところで、本人にやる気がなければ時間の無駄であることに変わりはありません。初めにそう言ったつもりだったのですが、ご理解いただけなかったようですね。残念です」

 

 彼が黙ったのをいいことに、今度は嫌味を混ぜてもう一度説明してやる。

 そして、再度リオンに本音を引き出させた。

 

「そんなわけです。あなたの意志を聞かせていただけませんか?」

 

 沈黙が漂う。

 ヒューゴ氏の様子を伺いつつ、彼は幾度かの逡巡を経てようやく口を開いてくれた。

 

「……気が進まないに決まってる。なんで僕が、女に指導なんか……」

「それはあなたがどんな形であれ、私に負けたから、です」

 

 そんなことをわかっている、と言いたげにフィオレを睨むリオンの眼に偽りはない。

 ともあれ、本音が聞けたならフィオレにとっては上出来である。

 

「そう思うなら仕方がありません。あなたがその気になるまでは指導の真似事……ひたすら組み手でもして誤魔化すことにします。ヒューゴ『様』何か異存でも?」

「……いや、ないな。個人的には、きちんと指導してもらいたいところだが」

「そればかりはご子息の性格によります。この状態で何か教えたところで、ご子息が聞き入れるとは思えない」

 

 負けたままでよしとするか、はたまた、再戦を胸に向上心を芽生えさせるか。

 休んでいた食事を再開し、今度は特製のドレッシングがまぶされた野菜サラダに手をつける。

 野菜は甘く、ドレッシングは爽やかな風味があるものの、少しばかりクセが強かった。

 ここの主人の好みなのかもしれない。

 

「さて……今陛下はファンダリアに赴いておられるから、この件を耳にされるのは二日後辺りか。それから早くて翌日には、召喚状が送られてくるだろう」

「ファンダリア……セインガルドとは地続きの第一大陸、雪に覆われた地域ですか」

「その通りだ。それまで『剣術指南』を行ってもらいたいわけだが、もうひとつしてもらいたいことがある」

「何でしょう?」

「被服の新調だ」

 

 被服の、新調。

 言われて、フィオレは自分の姿を見下ろした。

 外套はすでに脱いで荷物の中。今身に着けているのは、男性ものの白シャツに鼠色のボトムスだ。

 確かに新品でもなければ高級品でもないこれは、彼にとってみすぼらしく映るかもしれないが。

 

「……そんなに見苦しいですか? 神殿で、えーと、『レンズ洗濯機』使ってますけど」

 

 動けるようになって後、フィオレは血まみれになっていた衣服を洗おうとして、フィリアにたらいの貸与を求めたことがある。

 

『フィリア。たらいって貸してもらえませんかね?』

『た、たらい!?』

『はい。洗濯したいので』

『……』

『フィリア?』

『ご、ごめんなさい。何でもないんです。あの、フィオレさん。神殿にはレンズ洗濯機というレンズ製品を備えておりまして──』

 

 あの時、吹き出すのを懸命にこらえていたフィリアの顔はなかなか忘れられない。

 フィオレにとっては馴染みの洗濯譜業は流石になかろうと思って、たらいをあえて貸してくれと頼んでみたのだが。

 

「見苦しい、という問題ではないのだよ。法に触れるわけではないが、少なくともダリルシェイドで異装は禁則(タブー)にあたる」

禁則(タブー)……ですか。異装というと、男性は女装、女性は男装してはいけないと……」

 

 頷くヒューゴ氏に、無駄とはわかりつつもリオンにしたものと同じ質問を向けてみた。

 

「男に見えますか? この格好」

「いや。それはない。だが、君の場合は異装というより、素材とも相まって性別がよくわからない格好をしているからな。旅人ならそれで構わないのだが、この屋敷を出入りし、王城へ招かれる可能性がある以上は、ある程度常識に添う服装を求める」

 

 男性は男性とわかる格好に、女性は女性とわかる格好をしろ、ということか。

 その土地にはその土地の規定というものがある。

 それに従えと言いたいのもわかる。わかる、が……

 

「面倒だからいっそ男として偽るというのは」

「声でバレてしまうから却下だ」

 

 それについてはどうにかできるものの、続くヒューゴ氏の案に打ち消されている。

 

「オーダーメイドには少し日数が足りないのでな。既製品で我慢してもらうしかない。それについてはリオンをつけよう。リオン、彼女が変なものを選んだら容赦なく却下してやれ」

「わかりました」

 

 何となく楽しそうに見えるのは気のせいだろうか、ジルクリスト父子よ。

 ──と、ここでフィオレはとあることに気がついた。

 

「……そういえば、言っていませんでしたね。私はフィオレンシア・ネビリムと名乗っています。フィオレとお呼びください」

「別に僕は、お前の名前に興味なんか……」

「そんなわけでフルネーム、お教えいただきたいのですが」

 

 この先、おそらく要らない知識というものは存在しない。気付いたときにわからないことは聞いておかなければ。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とはよく言ったものだ。

 

「……リオンだ。リオン・マグナス」

「わかりました。マグナス、ですね」

 

 オベロン社総帥ヒューゴ・ジルクリスト。

 その部下かっこ息子かっこ閉じ、にして王国客員剣士リオン・マグナス。本名不明。

 この二人のことは、これから独自で調べる腹積もりである。

 人間は高い地位であればあるほど主観的な話を聞いただけでは、人となりはわからない。地位のある人間なら尚更、あまり行いに非道なものが認められるなら、早めに立ち去ろうという魂胆だった。そのためには、目当ての資料を一日も早く閲覧する必要があるだろう。

 とりあえず今は、そんなことはおくびにも出さず。未だに懐疑的な目でフィオレを見るリオンに、彼女は頭を下げた。

 

「それでは、明日からよろしくお願いします」

「……」

 

 それに答えることなく、彼は無言で席を立っている。

 

「リオン様、食後のデザートが残っておりますが……」

「今日はいい」

 

 給仕をしていた家政婦(メイド)に声をかけられても、彼は素っ気ない。さっさと退室してしまっている。

 そんな彼が食べた跡をちらりと見やって。フィオレは思わず「なるほど」と呟いた。

 

「何がだね?」

「失礼ながら、ご子息の体格はあまり恵まれているように思えなくて。栄養不足なわけはないだろうに、何の理由がと思っていたのですが……味覚がお子様なんですね」

 

 彼が座っていた席の前には、当たり前だがいくつか皿があり、隅に何かが必ず乗っている。

 それは付け合せのパセリだったり、ニンジンだったり、ピーマンだったりと、いずれも野菜に属するものばかりだった。野菜サラダに至っては、手をつけた跡すらない。

 彼は痛いところを突かれたように「……うむ」と呻いている。

 

「あの子は生まれたときに母親を亡くしていてね。私も立場が立場だったから、躾などはついあの子つきの家政婦(メイド)に一任してしまったが……強くものを言えないせいか、見事偏食になってしまった」

「……すみません、立ち入った話を」

 

 つまりはあんたのせいか。

 表面上殊勝に謝りつつも、フィオレの心中は突っ込みに溢れていた。

 母親の姿がないと思っていたら、やはりそういうことだったらしい。

 飾られた生クリームもなめらかなコーヒーゼリーを頂きつつも、垣間見えたこの屋敷の複雑な関係に少々辟易する。もっとも、かつてフィオレを取り巻く人々とて、関係は複雑怪奇そのものだが。

 

「そういえば、酒類(アルコール)の類はどうだね?」

「……多少なら」

 

 神殿にそんなものは料理酒の類しかなく、従ってアルコール摂取も久々ではあったが、とりあえず相伴に預かっておく。

 止まり木を見つけたはいいが、止まった先は鳥かごの中か、あるいはトリモチ付きか。

 怒涛の一日が、終わりを告げようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※リオンの偏食設定は、原作を参考にしているのと同時に彼の華奢な体格の理由付けとして「無類の野菜嫌い(ただしマリアンの手製系列は摂取可)」とさせていただきました。
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