swordian saga   作:佐谷莢

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 ファンダリア時計塔屋上~in飛行竜。
 ここで神の眼を破壊しておけば、あんなことにはっ! (ネタバレ)
 まあ、それはそれとして。
 ここでスタンが何かに気づいたら、何かが変わっていたのでしょうね。
 最も、そんなことはありえないわけですが。


第百五夜——凱旋の刻~船酔いはつらいよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神の眼はすでに沈黙し、一同の誰一人として犠牲はない。

 そのことに内心フィオレが喜んでいると、気を取り直したらしいスタンが神の眼へと近づいた。

 

「よし、早速運び出そう」

「どうやってよ? まずは人手を借りなくちゃ……」

「待ちたまえ」

 

 探索行が始まって以来、最後まで抜けた発言がなくならなかったスタンに、ルーティが最もな突っ込みを入れる。

 しかし、普段ならそこで苦笑のひとつも零すウッドロウは、厳しい表情を崩さなかった。

 

「ウッドロウさん?」

「君たちも、神の眼の威力は見ただろう。これは人の手に委ねるべきものではない。今すぐこの場で破壊してしまうべきだ」

 

 その一言を聞き。それまで神の眼を言葉もなく見上げていたフィオレが、くるりとウッドロウを見た。

 

「ちょっと待ってください」

「そ、そんなことしたら……」

「君たちがやらないというのであれば、私が「何をするって?」

 

 おそらくは、今更ながらにスタン達の柔らかな制止の意味を知ったことだろう。

 眼前に立ちはだかるフィオレは、口元にのみ笑みらしいモノを浮かべていた。

 その口元が今、奇妙な一本調子で言葉を発する。

 

「あなたはー。私のなけなしの勇気と努力の結果をー。なかったことにしようとー。考えておいでなのですね」

「き、君の努力は認める。その勇気も称えるに値するものだ。だが……」

「それが陛下のお考えであるならばー、私如きが反対を訴えたところで何もならないでしょうー。ですから」

 

 途中から明らかな棒読みに切り替わった口上が、ぴたりと停止する。

 代わりとして、フィオレがすらりと抜いたのは、アクアヴェイルシデン領主家家宝、紫電であった。

 

「そっちがその気なら、私の屍を踏み越えてからにしてください」

 

 大真面目な顔でそれを訴えるフィオレを前に、ウッドロウは心底困った様子で一応イクティノスの柄を握っている。

 凍り付いてしまった空気を動かしたのは、リオンの一言だった。

 

「フィオレ、好きにさせてやれ。どうせ不可能だ」

「リオン君?」

「それは知っていますが、体裁上止めないとまずいでしょうに」

 

 言いながらも、フィオレはあっさり紫電をしまっている。

 どういうことなのかを尋ねるフィリアに、フィオレは事も無げに説明した。

 

「もしソーディアンで神の眼を破壊することが可能なら、天地戦争終結時、すでに神の眼は破壊されているはずです。戦争の当事者たちがウッドロウのように考えないわけがないのですから」

「た、確かに……」

「千年たった今も神の眼が現存しているということは、そういうことなのではないかと」

 

 最後の一言をウッドロウに向ければ、彼は完全に気落ちしてしまっている。

 彼にしてみれば、父親の仇をこの神の眼に奪われたようなものなのだ。それが破壊できないのは、確かに無念だろう。

 それがわかっているのかいないのか、リオンはこともなげに言い放った。

 

「セインガルド王を信頼してもらいたいものだな」

「難しいと思います」

「……神の眼はセインガルドが責任持って管理し、決して悪用はさせない」

「口先だけなら、何とでも言えますけどね」

 

 毎度のこととはいえ、彼にそれが耐えられるわけもなく。

 度重なる口出しに、リオンはとうとう怒り出した。

 

「いちいち茶々を入れるな!」

「前例ができた以上、もう一度だけ信じろ、とか言われても難しいと思いまーす」

 

 ウッドロウをちらと見やれば、その漫才じみたやりとりに彼はほんの僅か、笑みを浮かべている。

 僅かでも、笑うことができるならまだ大丈夫だろう。

 

「私たちに課せられたのは、神の眼の回収です。セインガルドへ運んだその先は、一国の陛下同士で存分に協議なさってくれればよいかと」

「……わかった。私も同行させてもらおう。そうと決まれば、人を集めねばな」

 

 そうと決まれば、やることはいくらでもある。

 無事神の眼を確保することに成功した一同は、示し合わせて各自行動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルグの解放に、神の眼の搬送。そして、飛行竜の起動。

 急ぎ足で済ませた準備の後、飛行竜はハイデルベルグを発った。

 セインガルドの所有である飛行竜を、ハイデルベルグの人材でどう動かすのか不思議でならなかったのだが。

 幸いリオンに知識があったらしく、現在は自動操縦でセインガルドまで向かっている。

 

「通信機を使って連絡を取る。お前は外で待機していろ。誰も入れるなよ」

 

 そう言って、しばらく前に管制室に篭もったリオンは未だ音沙汰がない。

 そういえば、フィオレがディムロスの搬送にて搭乗した際、魔物の攻撃で派手に壊されていた。

 ひょっとしたらそれが尾を引いて、四苦八苦しているのかもしれないと何気なしに扉を僅かに開けた、その時。

 

『……暴走状態に陥った神の眼を、フィオレが鎮めた、と?』

「はい。詳細は、分かりかねます」

 

 ──管制局と連絡を取り合っているとばかり思っていたが、リオンの話し相手はあのヒューゴ氏であった。

 知らせを聞いたヒューゴ氏が管制局へ出向いた……否。

 今初めて連絡を取り合うのに、そんな都合良く彼が管制局へ足を運ぶとは考えにくい。

 

『やはり危険だな。手綱を取りきる術もなく、釣れる餌すらない。非常に惜しいが、予定通り人員からは外す』

「……はい」

『お前たちが帰還してほどなく、計画を実行に移す。今の内に、身体を休めておけ』

「はい……」

 

 ぶつっ、と耳障りな音を立てて通信が切断される。

 大きなため息と共にリオンが通信機器の作動を停止する音が聞こえた。

 スイッチが切られる音に合わせて扉を閉める。

 今しがた盗み聞いた意味深な会話の意味を勘ぐるより早く、扉は開いた。

 

「遅かったですね。どうかしましたか?」

「……通信機器の調子が悪くてな。接続に手間取った」

「やっぱり。ディムロス護送時、魔物に破壊されていましたから」

 

 何事もなかったかのように装うリオンに付き合って、何も知らないフリをする。

 先程の会話はもちろん気になったが、それ以上にフィオレはとあることで頭の中を埋め尽くしていた。

 それは、この飛行竜での惨事である。

 グレバムは飛行竜を手に入れた後、移動手段になればそれでよかったらしく、必要最低限の手入れしかなされていなかった。

 そのため至るところに血痕がこびりつき、その光景が苦い記憶を穿り返す。

 

「どうした。顔色が悪いぞ」

「あなたもね」

 

 リオンの言葉が揶揄か真実かはわからないが、少なくともフィオレの言葉は事実だ。

 理由は容易に想像できる。

 

「まさか、茶葉全部を使い切るとはね。長期戦を予想して、あれだけ準備したのに」

「お前だって飲んでいたじゃないか」

「船の上で一日につき、十杯以上も嗜んでいたあなたにはとてもとてもかないません」

 

 船、という単語を口に出したことで、フィオレはとある事を思い出した。

 リオンには、須く厄介な記憶を。

 

「そういえば、前にチェスで勝ってからそのままでしたっけ。勝者は敗者にひとつ、命令が下せる」

「……うっ」

「気分が悪いからって誤魔化しても駄目です。誤魔化しといえば、先の戦いで危険を省みず私の元へ走ってまいりましたね。あなたに何ができるわけでもないのに」

「……何が望みだ」

 

 フィオレが言わんとすることを無理やり尋ねさせられたリオンは、船酔いも合わせて至極不機嫌だ。

 そんなことには一切構わず、フィオレは要求をふたつほど、口にした。

 

「──お前」

「御了承いただけますね?」

 

 半ば強制的に同意を取り付け、立ち尽くすリオンに背を向ける。

 そのままフィオレは、それまで自分が待機していた管制室外の船首へと出た。

 眼下を見下ろせば、景色がどんどん流れていく。

 それまで一面にあった白い大地に少しずつ緑が混じってきたことから、もうすぐファンダリアを抜けるだろう。

 そこへ。

 

「フィオレさん!」

「こんにちは、スタン」

 

 足音を耳にして眼を向ければ、そこには旅を経て少々長くなった金色の蓬髪をなびかせるスタンの姿があった。

 フィオレの眼前へとやってきた彼は、おもむろに口を開いた。

 

「あの、ルーティ知りません?」

「ルーティ? リオンなら、中にいますけど」

 

 話を聞くに、マリーがいなくなってからというもの、そこはかとなく元気がないルーティを気遣ったフィリアが探しているらしい。それに付き合って、姿の見えない彼女を探しているのだという。

 だったらほっといてあげるのもある種の優しさだが、そう思わないのなら構うのも一つの手だろう。

 

「私は先程からここにいますが、誰も見ていませんね」

「さっきからって、何をしていたんですか?」

「リオンがダリルシェイドの管制局と連絡を取っていたので、待機していたんです」

 

 そこでふと、フィオレは何の気なしに尋ねてみた。

 特に意味こそないが、何となく気になったのである。

 

「この飛行竜がセインガルドへ到着すれば、それであなた方は釈放ですね」

「え? ええ、そうですね」

「その後、スタンはどうなさるおつもりで?」

 

 確か、スタンが密航までしてセインガルドへ向かった理由は軍の兵士になるためだ。

 人に使われる、その大変さだけは存分に味わったと思うが、それでもまだ夢を諦めないと抜かすだろうか。

 フィオレの予想と大して変わらず、スタンはすっぱり言ってのけた。

 

「釈放された後、改めて兵士に志願します。俺はもともと、そのために故郷を飛び出したんですから」

「……そうですか」

「ディムロスもいるし、フィオレさんとまた一緒に戦うことがあるかもしれませんね」

 

 純真で、眩しく思うほど真っ直ぐで、無邪気な人間だとは思っていたが。まさかここまで楽観的な思考の持ち主だとは思っていなかった。

 言いづらいが、彼のことを思うなら黙って生暖かい眼で見守るだけではいけない。

 

「……あのですね、スタン。そのつもりなら、はっきり伝えておきましょう」

「はい?」

「もともとディムロスは、セインガルド王国が所持する国宝です。資質があったとしても、一兵士の所持が許されるとは思えません」

「ええっ!?」

 

 彼にしてみれば、シャルティエの所持を許されたリオンがいることで軽く考えていたのだろうが、客員剣士と新米兵士ではその待遇にかなりの落差が出ることだろう。

 それが神の眼を取り戻した人間であったとしても、だ。

 

「あと、私は近々セインガルドを去ります。あの国に所属していては、行きたいところにも行けませんから」

「あ……アクアヴェイルに行くんですか!?」

「アクアヴェイルにも行きますよ。紫電をジョニーのお家に返さないと」

 

 まずは紫電を返すことが優先だ。

 アーステッパーとの契約を交わした途端、何が起こるのかはまったくの未知数なのだから。

 この旅で、二柱もの守護者と契約できたのは本当に運が良かった。

 残るはあと一柱、フィッツガルドにおわすであろうアーステッパーのみ。

 この後、神の眼がどのように扱われるかはわからないが、神の眼にあと一柱との契約を迫られたのだ。

 そちらを優先させない限り、どれだけ神の眼と交渉を重ねても意味がないだろう。

 

「にも、行くって……」

「ちょっとね」

 

 詳細を話すつもりはないにつき、適当に誤魔化した。

 すると、スタンはしばし黙り込んだ上でぐっ、と顔を上げた。

 何かを決意したような、そんな目だ。

 しかし。

 

「──フィオレさん、あの」

「……通路で邪魔だぞ、お前ら」

 

 管制室から出てきたリオンに、出鼻をくじかれた。

 先程見たときよりその顔色は悪く、事情を知らないスタンはさっと顔色を変えている。

 

「リオン!? どうしたんだ、大丈夫か!?」

「うるさい……僕に……僕に構うな……」

 

 本格的に酔いが身体を蝕んでいるのか、足取りは重たい。

 弱々しい憎まれ口に取り合うことなく、スタンはどういうことなのかを聞き出しにかかっている。

 

「どうしたんだよ、一体」

「酔っただけだ……」

「酔った? 飛行竜にか?」

「ああ、そうだよ……僕のことは放っておいてくれ!」

 

 よほど余裕がないのか。あっさり白状した挙句、よろめいた身体を支えようとするスタンの手を乱暴に払いのける。

 そのつらさが伺える程度に、紫闇の瞳はうっすら潤んでいた。

 これまで予防できていただけに、今回の船酔いは相当苦しいのだろう。

 珍しく言葉を荒げてスタンを拒否するも、彼がその程度でめげるはずもなく。

 

「放っておけるわけないだろ! 俺たちは仲間じゃないか」

「仲間だなんて言葉を使うな! 僕には仲間なんていない!」

 

 人間、余裕がない時こそ本性が現われるものだが、リオンのこれは非常に顕著だった。

 普段は大人ぶった、シニカルな口ぶりが見事に崩壊している。

 スタンもそれをわかっているらしく、まともに取り合おうとしなかった。

 

「いいから、掴まれよ。横になればちょっとはマシになるはずだから」

「いい加減にしろ、このお節介焼きが!」

 

 とうとう、スタンの優しさに……正確にはその優しさを甘受できない自分に限界を覚えたリオンが怒鳴りつける。

 目を丸くするスタンに気付くこともなく、リオンは搾り出すような言葉を放った。

 

「お前はいつもそうだ! まったく、付き合いきれんな! この際だから言ってやる。人は、信じていたっていつかは裏切られるんだ!」

「それが一体、何の関係があるんだよ?」

「僕は誰も信じはしない……だから、お前らも僕のことは放っておいてくれ!」

 

 いつにないリオンの暴走にスタンはただ目を白黒させているものの、あの怪しげな会話を知るフィオレはその言動の裏を勘ぐらざるをえなかった。

 つまりそれは、これから彼はこちらを──スタンたちを裏切る。

 だから少しでも心苦しさをなくすため、これまで培われた信頼を崩そうとしている……? 

 あっけにとられているスタンを押しのけ、通路の端に立つフィオレに殺人的な視線を向ける。

 何かを言いたげに小さく口元が動くも、言葉は何も発せられない。

 そのまま言葉を飲み込むようにフィオレから視線をそらした彼は、肩を怒らせずんずんと立ち去ってしまった。

 

「……リオン、いつにも増して機嫌が悪かったですね。何かあったのかな……」

「さあ。私は触らぬ神に祟りなし、という言葉を提唱したいと思います」

 

 気にかかることはかかるが、それでも下手に触れようとすればますます怒らせるだけだ。

 怒る、という感情は体力減少が伴うため、そこまで長続きできる代物ではない。

 あの少年が怒り狂った場合、鎮められるのはおそらくただ一人の女性と、時の流れのみだ。

 そこで、スタンはいぶかしげにフィオレへ視線を向けた。

 

「さっき、リオンに何も言わなかったのは、そう思ったからなんですか?」

「ええ」

「でもフィオレさんが聞けば、リオンだって答えたかもしれないのに……」

「私が何か言ったところで、火に油を注ぐようなものです」

 

 そうかなあ、とぶつくさ呟くスタンをさておき、フィオレは彼が出てきた管制室を見やった。

 その扉は、魔物に押し入られたあの瞬間と同じく、奇妙に歪んだそのまま。

 それが否応にも当時の状況を呼び起こし、フィオレは小さく吐息をついた。

 

「フィオレさん?」

「いいえ、何でもありません。それよりスタン、ルーティ探しはどうしました?」

 

 彼が本来ここへ来た理由を突きつけるも、スタンはあー、とかうー、とか適当に誤魔化すだけできちんと答えようとしない。

 彼が立ち去ろうと、ここに居残ろうと、フィオレにはどうでもいいことだった。

 そこへ、薄情なフィオレを怒るかのように突風が吹き荒れる。

 しっかりとまとめてあったはずの髪が一瞬にして乱れ、髪留めは中空にさらわれた。

 

「あ……」

 

 幸いにも、髪留めは通路に転がっている。

 それを拾おうとして、転がった先に立つスタンがそれを拾い上げた。

 

「……はい」

「ありがとう」

 

 差し出されたそれを受け取ろうとして、フィオレの指先がスタンの手のひらに触れる。

 ほんの一瞬のことであったのだが。

 

「……っ」

「あ」

 

 背中に、大きく力強い腕が回される。

 力づくで引き寄せられるのではなく、まるで壊れ物でも扱うかのような抱擁に、フィオレは小さく声をあげるしかできなかった。

 ただほんの少し、頭がたくましい胸にあたるよう固定されているだけなのに。

 突き飛ばそうと、振り払おうと思えば簡単にできるはずだが、何故か体が動かない。

 

「……あの、スタ「す、すいません。あの、えっと……」

 

 離してくれ、と口頭で要求しようにも当の本人に遮られる。

 包み込むような抱擁に力が加わり、フィオレはそれだけで息苦しさを感じた。

 全力で抱きしめられたら圧死できるのではないかと思うほどに、その力は強い。

 

「んっ」

「あ! ご、ごめんなさい」

 

 慌てて力が抜けるものの、解放される気配がない。

 こうなったら実力行使しかないと、フィオレが身じろぎをしかけたその時。

 

「……こんな時に、すみません」

 

 始めてスタンは、自発的に口を開いた。

 頭を胸に寄せられてしまっているため、その表情はわからない。

 ただ、押し当てた胸の奥の鼓動は、はっきりわかるほど早まっていた。

 

「でも俺、どうしても言っておきたいことがあるんです」

 

 吹き荒れる風が、スタンの髪を弄ぶ。

 まるでフィオレを包み込むように、蓬髪は風を受けて広がった。

 

「……俺。俺、フィオレさんのことが……!」

「とぅっ」

 

 決定的なその一言を告げられるよりも早く。

 フィオレは有無を言わさずスタンを突き飛ばした。

 何となく予想できるその言葉を、フィオレには聞く資格がない。

 そして、それ以上に。

 

「フィオレさん、ここにいらし……あら? スタンさん?」

 

 傍から見ていて間違いなく、スタンに仄かな想いを抱いているフィリアに、見せるわけにも聞かせるわけにもいかなかったからだ。

 おっとりと船内から姿を見せたフィリアは、ひっくり返っているスタンを見て、ぎょっとしたようにフィオレを見た。

 

「ど、どうなさいましたの?」

「突風が吹きましてね」

 

 受身が取れなかったのか、かなり痛そうにしているスタンに一声かけて、フィリアを連れて船内へ戻る。

 突風が頻発する船首付近、体重が軽い上面積の広い神格服を着たフィリアでは、本当に飛ばされかねない。

 

「どうかしましたか?」

「リオンさんの様子がおかしいので、何かあったのかと……」

「彼はただいま船酔いを発症しています。下手に近寄ると八つ当たりの的にされるので、飛行竜がセインガルドに着くまで近寄らぬが吉です」

 

 これまで、リオンはミントティー飲用という民間療法で、どうにか船酔いとは無縁の旅を続けていた。

 それ故に彼の体質など知らないフィリアは、目を丸くしている。

 

「リオンさんが、船酔いですか。確かにわたくしも、飛行竜に乗るのは生まれて初めてですから始めは戸惑いましたけれど」

「それよりかフィリア。ルーティを探すなら、手伝いますが?」

「いえ。フィオレさんは、リオンさんのお見舞いに行ってあげてください」

 

 フィリアからそれを促され、フィオレははっきり顔を歪めた。

 彼女はフィオレが先ほど言ったことを、聞いていなかったのだろうか。

 

「ですから、近寄らない方がいいと……」

「わたくしやスタンさんはそうかもしれません。けれど、誰だって体調が悪いときには不安定になりますわ。ですから、傍にいてあげてください」

 

 彼女の言い分は正しい。正しいが……シャルティエが傍にいるのだから、それでいい気がする。

 しかし、尚もフィリアは首を振った。

 

「シャルティエさんは心の支えになると思います。けれど、実際何かあった時に対処はできませんわ」

「まあ、そうですけど……」

「フィオレさんはどうしてリオンさんに対して、一歩引くような態度ばかり取るのですか?」

 

 答えは至極単純なものである。

 いつになく強気なフィリアの質問に、フィオレは事も無げに答えてみせた。

 

「彼が私の上司だからですが」

「……上司なのでしたら、体調管理のサポートをしてあげるのもお仕事なのでは……」

「余計なお世話だ、と悪態呟き、おべっかは沢山と罵られるだけですからね」

 

 これはけして、フィオレの想像でものを言っているわけではない。

 実際に前例があり、自分の弱っている姿が見られるのをとことん嫌がったリオンの意見を尊重しているのだ。

 それをとくとくと語り、フィリアを黙らせるも。彼女は自分の意見だけはけして曲げなかった。

 

「なら……今回の場合も、拒否されたら仕方がないと思います。でも一度だけ、様子を見に行ってあげてください。御自分のお部屋に戻られたようですので」

 

 普段消極的なフィリアがそこまで言うからには、きっと何かあったのだろう。

 フィリアの言葉に不承不承頷き、フィオレはリオンが使っている客室のひとつへ向かった。

 図らずも会話を盗み聞いた今、そしてあの不機嫌具合を考慮して顔を合わせづらかったが……不測の事態に備えて、フィリアの意見は受け入れる。

 途中厨房に寄り、手土産を携え。

 扉の前に立ってフィオレは小刻みなノックをした。

 

「……誰だ」

「フィオレです。入っていいですか?」

「…………」

 

 沈黙を答えと見なし、ノブに手をかける。珍しく、扉に鍵はかかっていなかった。

 備え付けの寝台で横になったリオンは、フィオレに背を向けている。

 ただ、先程返事があったように寝ているわけではないらしい。

 

「……何の用だ」

「ミントティーは手に入りませんでしたが、少し気分がすっきりするものを」

 

 サイドテーブルに厨房から手に入れてきたものを置き、許可も得ず椅子を持ってきて座る。

 フィオレの見舞い品に興味を持ったのか、ゆっくり身体を起こした彼にそれを渡した。

 

「……レモネード?」

「残念、単なるレモン水です。船酔いには酸っぱいものを摂ると効果的だそうで」

 

 ミントティーと同じく、気分転換による民間療法だが。

 よほど弱っているのか、素直に口をつける彼だったが、あまりの酸っぱさにか首をすくめている。

 

「……酸っぱ過ぎて、飲めたもんじゃない」

「あくまで気分転換用ですから。それと、船酔いの類は極度の緊張状態だと克服できるらしいですね」

「極度の緊張状態……?」

「はい。そんなわけで──リオン。あなたは、彼らを裏切る予定がおありで?」

 

 びくっ、と。目に見えて、彼は反応を示した。

 持っていたレモン水入りのグラスを落としそうになって、フィオレに回収される。

 

「……何を、いきなり」

「いきなり、というわけではないでしょう。スタンにあんな暴言を放っておきながら」

 

 回収したレモン水をサイドテーブルへ戻す最中も、フィオレはリオンの目を捕らえて離さなかった。

 リオンの眼は、不安なのか、図星なのか、あるいは別の感情か。不安定に揺れている。

 

「あ、あれは」

「ものの弾み、と答えますか? それが事実ならいいのですが。私には、違う意味に聞き取れましたのでね」

 

 人を信じていたって、いつかは裏切られる。

 これはリオンがどのような形であれ、他者との付き合いに感じた事実なのだろう。

 それをスタンに告げること自体は意地悪でもなんでもない、わかりにくい彼の優しさの現われなのだ。

 彼にとってスタンがどうでもいい相手なら、そんなことを言う必要はない。どうでもいい相手がいつどのような形でそれに気付き、傷つこうと、彼の知ったことではないのだから。

 だが。スタンがどうでもいい相手ではなくて、且つ起こりえる事態が迫っているのだとしたら。

 自分を仲間として扱い、無条件の優しさを向けてくるスタンに心苦しく思わないわけがない。

 リオンが普段振舞うような冷血人間だとしたら、あるいは無視できたのかもしれないが。残念なことに彼は、温かな血の流れる一人の人間でしかなかった。

 

「……どんな風に聞こえたって言うんだ」

「あなたは彼らと何かを天秤にかけ、天秤は何かに傾いた。その何かのために、あなたは将来的に彼らを裏切ることをする。何かの正体も、裏切る行動の詳細も、私にはわかりませんが」

 

 空調設備のある船内では暑くも寒くもなかろうに、リオンの顔からは血の気がどんどん引いていく。

 あまつさえ額に汗をかく彼は、酔っていたことを忘れたかのように激昂した。

 

「うるさい! お前なんかに……自分の都合だけで迷わず動けるお前に、何がわかる!」

「もちろんわかりません。あなたみたいな我侭な人の気持ちなんか、わかりたくもない」

 

 彼にとって、フィオレは確かにそうだろう。

 何にも縛られず、自由気ままに動くことができ、多少難しくとも自力であっさり我を通す。

 そんな風に、見えていることだろう。

 そもそもこの世界に居る理由すら、フィオレには強制されたものでも。そのように振舞ったのだから、見抜かれていないのは幸いだ。

 ぎりっ、とリオンが歯をくいしばる、そんな音がはっきり聞こえる。

 

「……それだけ元気なら、もう見舞いは要りませんね」

 

 激怒した彼の怒りを受け止める気などもちろんなく、フィオレは身を翻して避難した。

 扉を閉めようとして、飛んできたレモン水入りのグラスをどうにか受け止める。

 

「失せろ!」

「仰せのままに」

 

 今度こそ扉を閉め、宙を舞ったことで空っぽになったグラスを見やって。

 フィオレは小さく、ため息をついた。

 

「あれだけ怒るってことは……図星、なんだろうなあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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