セインガルド王城地下牢獄。
第三十七夜でスタン達が放り込まれていた場所、それよりずぅっと奥ですね。
驚いたことに、フィオレは荷物を没収されたどころか武装の解除までされていなかった。
それでも、長らく使われていなかっただろう牢屋内は埃っぽく、清潔さは望めない。
スタンが駆け寄るも、頑丈な格子が一切の接触を遮断している。
「フィオレさん!」
「その様子からして、話はまとまったみたいですね。御挨拶に来てくれたんですか?」
「大体そのようなものだが……フィオレくん。君は何故、マリーさんを釈放した経緯を説明しないのだ?」
にこやかに応対するフィオレに、ウッドロウが事の起こりをずばりと尋ねる。
移動中、スタンやルーティの釈放関連について聞き及んでいただろうことが伺えた。
その質問を皮切りに、フィリアもルーティも畳みかけるような形で納得の行く解答を求めている。
「そうですわ。リオンさんも、フィオレさんが幽閉されることを望んだなんて……」
「いつもの屁理屈使えば言い逃れできたのに、しおらしく投獄されちゃうなんてどういう風の吹き回しなのよ?」
挨拶よりはまずそれの説明かと、フィオレは紫電を仕舞った。
ぱちん、と音を立てて、紫電が鞘に収められる。
「最近マリーの記憶が戻り、彼女はファンダリアの民であることが判明したでしょう。セインガルドでファンダリアの人間が罪を犯したなんてバレたら、同盟にヒビが生じると思ったんです」
「けれどそれは、セインガルドとファンダリアの国同士のことですわ。国交がないわけではなし、他国の人間がセインガルドで罪を犯したって珍しいことではありません」
「そうですよ! 他国の人間がって言うなら、俺だってそうです」
「それはフィッツガルドが自治区で、治める人間がいないから個人の問題で許されるんですよ。ファンダリアは王国、ケルヴィン家が統治する領地です」
しかも、神の眼を取り戻すという大儀をなした人間がそうともなれば、軋轢が生じるのは必死だ。
たとえセインガルド王もウッドロウもそれを気にしなかったとしても、双方の隣国否定派には格好の材料を与えてしまう。
もともとファンダリア側の隣国否定派は、神の眼を管理していたセインガルドの失態をこれから強く批判していくだろうが。
「せっかく苦労して神の眼を取り戻して丸く収まろうとするこの時に、余計な火種を起こしたくなかったんです。まあ、それは私の勘違いで同盟はもともと存在しなかったのですが」
「それはわかったけど、だからってなんであんたが牢屋に入んないといけないのよ」
「だから、そのことを黙っているためですよ。相応の罰は受けるから事情は聞かないでくださいと。この手の越権行為なんて本来は十ヶ月の禁固及び強制労働なのに、十日間の禁固なんて軽いものですよ?」
至極朗らかに説明をするフィオレを一同が、特にルーティが複雑そうな表情を浮かべている。
マリーの釈放は、確かにフィオレが提案したことだ。
それでも、あれだけ苦労して神の眼を回収したと言うのに相殺されなかったことが不思議で仕方ないのだろう。
「そうそう、ルーティもウッドロウも。もしマリーと会う機会があっても、このことは話さないでくださいね? まったく必要のないことですし」
「それは一向に構わないが……ひとつ、いいかな?」
ウッドロウの求めに応じ、フィオレはどうぞと先を促した。
彼はこほん、と咳払いし……驚くべき内容を口にしている。
「受け取ってもらいたいものがある。これを、左手の薬指へつけてはくれないか」
「……左手の……」
ウッドロウが差し出したのは、彼が城から持ち出したものと思しき小箱だった。
音を立てて開かれたその中には、きらりと輝く指環が鎮座している。
「それは?」
「母の形見だ。若き父が母に贈ったものでもある」
「できません。そんな大層なものは受け取れない」
奇妙な望み、そして明かされた指環の正体を耳にして一瞬のためらいもなくフィオレは拒否を示した。
主にルーティやフィリアが固唾を呑んでやりとりを見守っているということは、そういうことなのだろう。
即決で却下されるとは思っていなかったか、ウッドロウは眼に見えて動揺した。
「……ただ受け取ってくれ、という話ではないのだが」
「受け取るだけであってもお断りでございます」
一瞬、格子の向こうから受け答えるフィオレの視線が脇へ流れる。
ただ、それは僅かな間のことで隻眼の瞳はすぐに落胆を隠さないウッドロウを映した。
「……理由を、聞かせてもらえるかな?」
「私は、世間で言うところの魔眼持ちです。特殊な力を備えているわけでもなく、ただ左右の眼の色が違うだけですが……一応知っておいてもらったほうがいいかと」
息を呑む一同を前にして、眼帯を取り外す。
薄暗い牢獄の中でどのように見えたかは定かでないが、確かに魔眼持ちであることが伝わったことだけは、一同の顔つきでよくわかった。
ただ、無論のことながら理由はそれだけではない。
「その上で。理不尽にして理解しがたく、あなたを絶望に突き落とすとわかっていても知りたいなら、お話しますが」
「あ……あの、席を外しましょうか?」
プライベートなこの話にフィリアがおずおずと人払いを示唆するも、彼は首を振ってその必要がないことを示している。
そして、彼は自らその道を選んだ。
「ああ。是非とも聞かせてもらいたい」
「──私は失った過去において、恋愛がなんたるかをこの身で学びました。すでに誰かのものとなったこの身が、御身にふさわしいとは思わない」
「私がそれを──魔眼も一切気にしないと言っても?」
「……期間こそ短いものでしたが、あなたは愛すべき戦友でした。けれど、私はあなたを異性として見ることはできない。それが理由です」
最早フォローのしようもない、決定的なその一言を聞き。
ウッドロウは小さく頷いて、小箱を懐へと仕舞った。
「残念だ。だが、決心はついたよ」
「……御理解を深く感謝します」
「いや、そちらの決心じゃない」
切なげに顔を背けていたフィオレが、ちらとウッドロウを見やる。
傷ついた雰囲気こそ漂っていたが、ウッドロウの表情は実に不敵なものだった。
「愛すべき戦友であっても異性として愛せないというなら、私が変わる必要はない。君の心を動かすまでだ。昔から惚れた者の負けとは、よく言ったものだろう?」
「……現実を見据えて理解してください。その一言に尽きます」
前向きなのはいいことだ。
ただ、その前向きさをとりあえずファンダリアの復興にあてがってもらいたいと、フィオレは重ねて願った。
ウッドロウはそれに答えることなく、ただ微笑んでいる。
二人の会話が済んだところで、おずおずとルーティが言葉を発した。
「……しっかし、潔いくらいばっさり切ったわね。玉の輿のチャンスなのに」
「相手を思う心があればこそです。変に望みを持たせるような言い方は逆に残酷ですし、自分の心の問題なんです。偽ることはしたくありません」
ウッドロウが大人であったから、だろう。
振られた直後であっても悲壮感が微塵にもないことから、一同の空気はギスギスすることはなかった。
「まあ、それはさておいてですね。フィリアはこれから、どうするのですか?」
「わたくしは、神殿へ帰ります。アイルツ司教のお力になれれば、と……」
唐突なる話題転換にも、すでに慣れているフィリアは戸惑うことなくこれからのことを報告した。
それを聞いて、ルーティは呆れたような顔をしている。
「あんたはまだそんなこと言ってるの? もう普通の女の子に戻ればいいじゃない」
「わたくしは、神殿の中の世界しか知りませんから。それにそういうのって、性に合ってないみたいですわ」
晴れやかな笑みを浮かべるフィリアの顔に、嘘はない。
これから彼女は神殿にて、歴史を紐解き研究に没頭する日常へ戻るのだろう。
「これから先、あなたに更なる発展がありますように。クレメンテ、彼女をよろしく」
『……』
神の眼との対峙以降、ビッグバンなる爆発をしのぐシールドが破壊されたのか、その衝撃なのか。あれからディムロスとシャルティエを除くソーディアン達から、言葉が発せられることはなかった。
それでも聞いてはいるだろうと、挨拶は欠かさない。
「ルーティは?」
クレメンテの沈黙などなかったように、フィオレは彼女へと話題を振った。
報酬がもらえたことで、彼女は故郷であるセインガルド領内のクレスタへ戻るのだという。
「しばらくはのんびりするわ。貰うものは貰ったからね、もうあくせくお金を集めなくてもいいもの」
「これ以降二度と、仕事中に出会わないことを祈ります」
とはいえど、フィオレは近日中に客員剣士を辞める予定だ。
最早ただ会うことも、なかろうが……
「あたしだって願い下げよ! もう厄介ごとはごめんだわ」
「アトワイトもお元気で。この道中、本当にお疲れ様でした」
『……』
相変わらずのルーティに微笑み、そして視線をスタンへと移す。
そして、すでに何も提げられてない剣帯を見た。
「やけにあっさりディムロスを返還していたようですけど……」
「俺、故郷へ帰ることにしました。考えてみれば飛び出してきたようなもんだし、リリスやじっちゃんを安心させようかな、って」
「そうですか。家族がいるなら、心配はかけないに越したことはありません」
フィオレの眼からして、スタンは不思議なくらい冷静に見える。
その眼を見つめてもしっかり視線を合わせているし、飛行竜での出来事が夢であるかのようだ。
「──思えば俺、フィオレさんとは旅が始まった直後から一緒にいる気がします」
「そりゃそうでしょう。飛行竜に乗る前から顔を合わせていたのですから」
彼としては、あれからすべてが始まった。
これから彼の眼前には、視界いっぱいの可能性が広がっていることだろう。
彼の行く先に、フィオレの歩むべき道が通じているはずもなかろうが。
「あなたと知り合えてよかったです。でももう、密航はしちゃ駄目ですよ?」
「あ、当たり前ですよ!」
遠まわしな別れを告げても、なかなか一同は動こうとしない。
そこへ、先刻やってきていた兵士に飛行竜の整備が終わったことを告げられる。
「スタンさん、そろそろ行きませんと。フィオレさん、飛行竜に乗るのはスタンさんだけですから、また来ますわね」
「私も、セインガルド王との調印式があるからもう少し、セインガルドに滞在することになるかな。その間に君の心を動かせればよいのだが」
「二人ともずるいぞ!」
冗談っぽく口を尖らせ、今度こそ互いに別れを告げ。今度こそ、一同は牢獄から去った。
沈黙が訪れた監獄内にて、小さく息をつく。
──本当に、楽しくて、幸せな夢を見せてもらった。
今しがたの一同だけでなく、神の眼を追う旅にて知り合った人々の顔が浮かんでは消えていく。
そう、これはほんの一瞬のこと。
それ以上は記憶にすら留まれぬ、夢の出来事。
まるでフィオレがこの世界の人間であるかのように振舞った、けして現実には、なれ得ぬ夢。
この十日間の刻を経れば、現実を直視することになる。
それまで、ほんの僅か。夢に浸っていたいと願うかのように。
フィオレは埃をできるだけ払った寝台へ、身体を預けた。