swordian saga   作:佐谷莢

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 ジルクリスト邸~ダリルシェイド内。シャルティエとご挨拶、大昔の記憶の採掘。



第十三夜——懐かしきその名は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 準備を済ませ、エントランスへと至る。リオンはまだいない。

 来客用のソファに座っていようかなと視線を移動させた際、フィオレの眼は玄関として機能するエントランスに、およそそぐわないものを見つけた。

 来客セットで据えられた硝子製の重そうなテーブルの上に、昨日眼にしたばかりの剣が鎮座している。

 曲刀(カトラス)の刃に細剣(レイピア)の柄を合わせたような、宝剣と称しても差し支えない優美な剣。

 昨日リオンが佩刀し、抜剣したものに相違なかった。そしてフィオレの記憶が確かなら、この剣は──

 

『やあ、おはよう。よく眠れた?』

「……ええ。疲れがなくなる程度には」

 

 脳内に響く念話に戸惑いつつも、肉声で返す。

 いつの間にか露出した日車草色の球面をのぞかせて、剣は狼狽気味に球面を輝かせた。

 

『やっぱり僕の声が聞こえてるんだ? 坊ちゃん以外の人と話すなんて、久しぶりだよ』

「……」

 

 会話にうち興じようかとして、ふと口を閉ざす。

 この念話、どうも万人に聞こえるものではないからにして、肉声で返せば独り言を抜かしているようにしか見えないだろう。かつて、その現象を幻聴と信じきっていた仲間達の姿が目に浮かんだ。

 あれとは少し違うが、剣に話しかけるのは明らかに精神異常者の行いである。ここでは普通を装いたい。

 

『どうしたの?』

 

 いぶかしげに尋ねてきた剣に軽く首を振り、かつて教え子と幾度か繋いだチャネリング──精神を繋ぐホットラインを手繰り寄せようとして、はたと気付く。

 果たしてこの剣に、フォンスロット──物質に存在する音素(フォニム)の要点──というものが存在するだろうか。

 フィオレの可能とする念話は、フォンスロットが一定の状態にある個体にしか通用しない。

 こと人外に関してフォンスロットの状態のことは、初めて第四意識集合体・ウンディーネと契約を交わしたときからすっかり失念していた。おそらく肉体を持たない彼女たちはフォンスロットが常に解放されている状態にあたると思われ──

 そんなことはどうでもいい。どうにかして、この剣と念話ができないものか……

 

『もしもし~?』

「すみません、ちょっと待っててください」

 

 言いながら、フィオレはくるりときびすを返してあてがわれた部屋へと駆け戻った。

 荷袋の中を引っ掻き回して、目的のものを探す。

 

「……あった」

 

 ほどなくしてフィオレが手にしていたのは、手のひらに収まるほど小さな小箱である。開けば、その中にはひとつの指環が鎮座していた。

 純銀製の地金には繊細な彫刻が施され、三日月型の台座を満月にせんとはめ込まれた蒼い石が澄んだ輝きを静かに放っている。

 まったくの赤の他人同士で、チャネリングの使用を可能とする、この指環なら。

 指環を装着しつつ、エントランスへ舞い戻る。リオンはまだ来ていない。

 

「ふう」

『何? 忘れ物?』

『……昨日の無礼を許してください。認識しておきながら、あなたの声に応えなかったことを』

『!!』

 

 今度こそ、精神を研ぎ澄まして念話を試みる。

 指環のせいか、それともそんなものは関係ないのか、剣の動揺がはっきりと感じられた。

 成功、である。

 

『な、え、何!?』

『私は、フィオレンシア・ネビリムと申します。フィオレとお呼びください。ひいては、あなたのお名前をお尋ねしたいのですが』

 

 昨日リオンからは「シャル」と呼ばれていたが、それがフルネームとは限らない。

 

『あ……僕は、シャルティエだよ。ソーディアン・シャルティエ。ピエール・ド・シャルティエの人格がコアクリスタルに宿ってる』

『……ソー、ディアン?』

『知らないかな? これでも、一応天地戦争を終わらせた兵器なんだけど』

 

 そんなことは重要でない。フィオレが反応を示したのは、ソーディアンという呼称についてのみである。

 天地戦争を勝利へ導き終結させた六本の剣の話なら、フィリアから聞いたことがあるのだが……ソーディアンという呼称、どこかで……どこだったか……

 しばらく考え込んだ結果、フィオレは唐突にぽん、と手を打った。

 

「そうだ、ソーディアンサーガ。人格の宿る剣が……ん?」

 

 違うことを考えながら、ふと感じた視線に気付いて、ひょいと斜め後ろを伺う。

 エントランスを見下ろすことのできる、二階部分の廊下。そこで、ヒューゴ氏とリオンが向かい合って何事かを囁きあっていた。

 仕事に関する内密な打ち合わせであれば、声を潜めていても別段不思議はない。

 しかし、ならばなぜフィオレは、自分に視線を感じたのだろうか。

 二人が仕事だか私事だか話をしているだけなら、フィオレが感じられるほどの視線を寄越したりはしないはず。

 

『ねえねえフィオレ。これって精神感応の応用だったりするの? 君器用だねえ』

『お褒め頂き光栄です。えーと、シャルティエ。リオンから聞いているかもしれませんが、諸事情によりここでお世話になることになりました。これからどうぞ、よろしくお願いします』

『そうなんだ、よろしく! ……って、昨日坊ちゃんが、「変な女が寄生することになった」とか何とかぶつぶつ言ってたけど、君のこと?』

「何をぶつくさ呟いているんだ、シャル」

『うひゃあ!』

 

 気付けば、階段を降りきったリオンがこちらへ近づきつつあった。

 彼はフィオレをおかしなものを見る目で一瞥し、彼女の視線から隠すようにシャルティエを佩刀している。

 おそらくそれは、フィオレがメイド服の上から元より所持していた外套を羽織っているからだろう。

 その間にもシャルティエは『坊ちゃん! 窓から投げ捨てるなんてひどいじゃないですか! 僕はちょっと聞いただけなのに!』と、何故彼が、来客用のテーブルの上にいたのかを想像できるような文句をほざいていた。

 

「うるさい。──さあ、さっさと行くぞ。僕は暇じゃないんだ」

「……変な女で悪うございましたね」

 

 半眼になって呟いてやれば、リオンはかすかに狼狽した様子でフィオレを見ている。

 

「まあ、いいです。個の認識だけはどうにもなりませんし……では、とっとと参りましょうか」

 

 扉を開いて、庭園へと足を進める。朝特有の瑞々しく清冽な大気で心地よく肺を満たしながら、まずは門の外へと出た。

 リオンは、佩刀したシャルティエと何やかや話しながらもその後に続いてきている。

 

『──ですね。坊ちゃん、ファイト!』

「だ、誰があんな──!」

「リオン。あなたは彼とのお話に、そんなにも大きな声を必要とするのですか?」

 

 フィオレの皮肉を受けて、彼はシャルティエを横目で睨みながらも、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 彼らがどれだけ言い争おうがどうしようが、フィオレの関わることではない。しかし、言いつけられた用事を放棄されても困る。

 

「それで、お前はシャルの言葉がわかるんだな?」

「どのように解釈してくださっても結構です。さて、適切な服飾店へ案内していただけますか?」

「何で僕が──」

「私が昨日、ダリルシェイドに初めて足を踏み入れたから、です。お忙しいのでしょう? 早めに済ませるためにも、ヒューゴ様が満足しそうなところでお願いしますね」

 

 考えてみれば、ヒューゴ氏が資金をリオンに預けたのは、こういう意図もあってのことかもしれない。

 彼はあきらめたようにひとつ嘆息すると、「こっちだ」と無愛想に促して歩き始めた。少し離れて、その後をついていく。

 時間帯が朝であるがために、大通りであっても人の通りは昨日ほど多くない。おかげで、多少離れていようと小柄な彼を見失うことはなかった。

 歩きながらも、フィオレの思考は別のことに囚われている。

 ──先ほど、シャルティエなる剣は自らをソーディアンと称していた。

 特殊な六振りの剣型兵器が天地戦争を終結に導いた、とフィリアから聞いていたが、まさかソーディアン、などというとは。

 名称にこだわるのには、理由がある。何を隠そう、フィオレは以前に「ソーディアン」が登場する物語を読んだことがあるからだ。

 

 その名も、「ソーディアンサーガ」

 

 夢見る田舎者が人格を宿す剣と出会い、自らの身に降りかかる運命をその手で切り開いていくという、壮大な物語である。

 どのあたりが壮大かといえば、その物語には田舎者二世が父親に憧れ、世界どころか世界を取り巻く「時」をまたにかけて旅する「続・ソーディアンサーガ」なる物語が存在するところか。

 よく覚えていないが、「ソーディアンサーガ」はかなり斬新な内容だったと思う。

「続・ソーディアンサーガ」の内容は気に入ったが、当時はタイトルが少し気になった。

「ソーディアンサーガ」はタイトル通り、かなりソーディアンが出張っている。

 しかし「続・ソーディアンサーガ」にはほとんど、ソーディアンは登場しない。まったく登場しないわけではないが、基本的には田舎者二世が主人公の物語だ。

「ソーディアンサーガ」の続きの物語なので仕方ないとも思うが、多少看板に偽りあり、という感覚が子供心に拭えなかった。

 ──そう。フィオレがふたつの物語に心を躍らせたのは、十五年以上昔のことである。故に詳細はあまり記憶に残っていなかった。

 名称どころか人格を宿す剣、という辺りまで同じなのだから、何たる偶然かと微笑ましく思うしかない。

 と、フィオレが呑気にも追憶に浸っていた、その時。

 

「何をする!」

「威勢がいいねえ、お嬢ちゃん。でも人にぶつかっておいてその態度は──」

 

 少年の声と、どこかで聞いたような台詞が聞こえて、正面に意識を集中させる。

 そこには、肩を掴まれそうになって振り払うリオンと、どこかで見たようなつるぴか頭が言い争っていた。

 こんな朝っぱらから、オシゴトゴクロウサマなことである。しかも、リオンのことを少女だと勘違いしている様子。

 といえども、フィオレとてあの敵意に満ちた声がなければ少女だと思っていただろうが……

 

『フィオレ! 何高みの見物決め込んでるの、助けてよ!』

『リオンの技量が見たかったのですが……まあ、仕方ありませんか』

 

 にやけた顔でリオンを見つめるつるぴか頭を横目で見やりつつ、フィオレは手近な日陰へ手をやった。

 

「其の荒ぶる心に、安らかな深淵を」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 光と共に生まれ、光に相反するものなら第一音素(ファーストフォニム)に当てはまる、というのは僥倖である。

 粛々と紡がれた譜歌により、つるぴか頭はバタン、とその場に突っ伏してしまった。

 

「今のは──」

「こいつらですよ。昨日、マリアンに絡んで私と引き合わせた輩は」

 

 その傍には、事の次第を見守っていた小男の姿もある。もう一人が見当たらないが、悔い改めたのか、単にダウンしてるだけか。

 リオンの質問を遮って彼女の名を出せば、彼はあっさりと興味をフィオレから今しがた己に絡んだ二人組へ移しつつ、シャルティエの柄に手をかけた。

 

「……なるほど、貴様らか。最近目に余る行為を街中で繰り返している輩は。一人見当たらないようだが、どこにいる?」

「ひっ!」

 

 眼光鋭く睨まれ、突如倒れた相方を心配する小男はすくみあがっている。しかしすぐに、「……くそ! ガキが粋がってんじゃねえ!」と短剣を抜き放った。

 その直後。フィオレは持ち前の「女のカン」が警告を発しているに気づく。

 荒い息遣いを間近に感じて、フィオレはすぐさま後方へ回し蹴りを放っていた。

 

「げうぅっ!」

 

 長靴(ブーツ)の頑丈な踵が、フィオレに迫っていた男の脇腹にめり込む。

 鍛えようのない場所への蹴打に悶絶する男の髭は、昨日見たことがあるような気がするものだった。

 

「もう一人ならこちらに」

「よし。残るは貴様のみだな」

 

 短剣を構える小男の額に、びっしりと脂汗が浮かぶ。

 実力の詳細はわからないが、傍観したところで大事には至らないだろう。

 そしてリオンは、しきりに口元を動かしつつもシャルティエを抜き放ち──

 

『天使の金槌よ、彼の者を遊惰に誘え!』

「ピコハン!」

 

 叫んだ。

 突拍子もなく小男の頭上に「トンカチのようなもの」が現れ、それは小男の脳天に狙い違わず落下する。

 

「うぁっ」

 

 ピコン☆とふざけた音を立てて、「トンカチのようなもの」は消滅した。

 あえなく直撃をくらった小男はといえば、綺麗に失神している。

 

「今のは……」

『驚いた? これは晶術だよ。ソーディアンが使いこなせるようになると、こーゆー特殊な力が使えるようになるんだ』

 

 そんなことは承知の上である。

 問題は、どうして譜術にも存在する「ピコハン」をリオンが使えるのか、なのだが。そんなことを真っ正直に聞くわけにはいかない。

 兎にも角にも、これで当たり屋どもの身柄確保には成功した。

 

「こっちだ」

 

 その頃、リオンは騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた警備隊の人員数名を誘導している。

 着色も何もされていない無骨な胸鎧に、顔が見える類の兜。

「市街警備隊」の腕章がなければ、その姿は王城の門に立っていた兵士と何ら変わりない。

 

「リオン様、これは一体何の「本日午後拿捕の計画にあった三名を確保した。詰め所での事実確認、及び取調べを希望する」

 

 淡々と事情を説明するリオンの口調に澱みはない。この手の報告にはかなり手馴れているのだろう。

 ふと、リオンの口から零れた単語が気になった。

 

「今日、午後?」

『うわー、坊ちゃんラッキーでしたねえ。これで午後のお仕事終了じゃないですか』

 

 やはりこれのことだったか。

 たかだかちんぴら三人のために客員剣士を動員するとは、近隣が平和だからすることなのか。あるいは単なる嫌がらせか。

 どうしてそう思うのか、それは。

 

「……ふん、熱心なことだよな。そんなに俺たちと協力する仕事が嫌かよ」

「誇り高き客員剣士サマだもんな。警備隊の真似事なんか、まっぴらごめんってか」

「あーあ。これで手柄はあのチビひとりのものかあ。んで、警備隊の面子は丸つぶれ。ったく、やってられっかよ」

 

 ……とりあえず、リオンが清々しいまでに彼らから嫌われていることはわかった。

 おそらくは、日頃の行いという奴が原因だろう。

 とはいえ。彼が動員されるまで積極的に動こうとしなかった警備隊にも、問題はあると思うが。

 

『なかなか複雑な環境に置かれているのですね、彼は』

『そうなんだよ、わかってくれる!? 坊ちゃんはあんな性格だし、周囲は自分たちの無能っぷりを棚に上げまくった挙句坊ちゃんに嫉妬しまくるわでもうサイアクって感じ! 傍にいる僕はいつもヒヤヒヤさ、このままじゃ胃に穴が空いちゃうよ!』

『あなた、胃なんて器官はお持ちでないでしょう』

『あ、わかっちゃう? 言葉のアヤって奴さ、僕もともと人間だしー』

「……うるさいぞ、シャル。何をぶつぶつ言ってるんだ、とうとう妖精と交信ができるようになったのか」

 

 そろそろ耳障りになったのか、ちんぴら回収に警備隊へ指示を飛ばしていたリオンが、愛剣に語りかける。

 真実を知らないシャルティエは、狼狽もあらわに誰ともなく言葉を発した。

 

『え? 坊ちゃん、聞こえないんですか』

『私の念話は、あなたにしか届けていません。故に、彼には私の語った言葉など知る由はないのです』

『嘘ォ!? じゃあ僕、傍から見た坊ちゃんみたいに独りで話してたことに!? ずるいよフィオレばっかりー!』

「……フィオレだと?」

 

 リオンからすれば確かに独り言オンパレードだろう。それはシャルティエに話しかける少年にも該当するのだが。

 愛剣に向けていた疎ましげな視線が消え、彼はフィオレを実に懐疑的な眼で見やった。

 

「お前、シャルに何をした?」

「別に何も。ところで、あの三人の連行に忙しいようなら、お財布だけお受け取りしますが」

「……いいや、手続きならすぐに終わる。詰め所の前で待っていろ」

 

 ヒューゴ氏の言いつけに背くのはまずいと思っているのか、それとも彼女が信用ならないのか。おそらくは両方の意図を持ってして、リオンはフィオレをも詰め所に連行した。

 ここで逆らう理由もなく、詰め所前に設置された噴水のへりに腰掛ける。

 行き交う人々を眺めながら、フィオレは手慰みにある秘術を発動させていた。

 指の先に小さな譜陣が発生し、音素(フォニム)の集まる気配と共にそれはある形を組み上げていく。ゆらゆらと、音素(フォニム)は一匹の蝶の姿を作り出した。

 

「わあ……!」

 

 通りすがりの子供が、歓声を上げる。

 フィオレの指先から生まれた蒼い蝶は、吹き抜ける風を受けてふうわりと舞い上がった。

 吹き抜ける風は雪色の髪をなびかせて、さらさらと音を立てて梳いていく。蝶の行く先を見守る藍色の瞳は優しく、しかし他者の入り込む余地はない。

 水の奏でる単調な音色も涼やかな噴水前で、ただ腰掛けただけのフィオレはさながら、一枚の絵であった。

 

『……綺麗な人ですよね』

 

 フィオレがどこで待機するのか。

 それを確認するだけのために彼女の姿を追っていたリオンは、シャルティエの言葉ではっと我に返った。

 見れば、ちんぴらたちを連行していたはずの警備隊たちも、その光景に気を取られている。

 糸がほつれ、ボタンがすべて取れたみすぼらしい外套も、意味ありげな眼帯も、乱れた髪をかきあげるその優雅な所作の前にはまったく気にならない。

 が。

 

「……ふん。見た目がどうだろうと、胡散臭いことに変わりはない」

『それを言ったらおしまいなんですけど……』

 

 彼が彼である由縁であろうか。リオンは見た目にだまされる性格ではなかった。

 

「さあ、いつまで突っ立ってるつもりだ!」

 

 警備隊の面々に活を入れ、詰め所へと促す。

 

「ねえねえ、それって手品?」

 

 一人の少年が、母親の制止も聞かずにフィオレへ話しかけた。

 メイド服の上に外套という不思議な組み合わせ、意味ありげな眼帯までしている彼女は、普通に考えれば奇妙な存在でしかない。しかし、子供はそんなことを気にしなかったのだろう。

 蝶の舞う様を追っていた視線が、駆け寄ってきた少年に移った。

 片方しかない藍色の瞳が、珍しく緩む。

 

「さて、どうでしょうね」

 

 紅も差していない唇が軽やかに言葉を紡ぎ、フィオレはちょい、と指を動かした。悠然と空を舞っていた蝶が、何かに呼ばれたように身を翻し、彼女の元へと急降下する。

 蝶が少年の眼前へ通り過ぎたとき、好奇心が疼いたのだろう。少年は無遠慮に蒼く輝く蝶へ手を伸ばした。

 蝶は木の葉のように少年の手をすり抜け、無事に主の元へと降り立つ。不意にその手が開かれ、蒼の蝶は驚いたように、白魚のような指先へとしがみついた。

 直後、開かれた指先が蝶を包み込むように捕らえ、容赦なく握りつぶす。

 

「あっ!」

 

 そして少年の前にさして大きくもない手が開くが、その中には何もなかった。

 その仕草で、完全に手品だと勘違いしたらしい。瞳を輝かせてアンコールを唱える少年の手を、やっとこさ近寄ってきた母親が捕まえ、おざなりな目礼を送って立ち去る。

 駄々をこねながらも去っていく少年にひらひらと手を振って、フィオレはおもむろに噴水と向き直った。

 ──これまで、左手に張り付いたレンズと共に生活を送ってきて、いくつか気付いたことがある。

 それを試すには、絶好の機会だった。小石を拾って、左手で包み込む。そしてフィオレは噴水に乗り出し、その左手をたゆたう水面に浸した。

 張り付いたレンズに意識して、大量の第四音素(フォースフォニム)を集結させる。

 十分に音素(フォニム)が集まったのを感知して、今度は手のひらの小石に音素(フォニム)を投射した。しばしして、左手を引き上げる。

 ゆっくりとずぶぬれの手を開けば、そこには海を凝縮したような深い蒼を宿した輝石──歪ではあるが、間違いなくアクアサファイヤそのものがあった。

 フィオレが生を受けた世界「オールドラント」は、闇、地、風、水、火、光すべての属性を内包する「音譜帯」に包み込まれている。そのため、基本的に場所を選ばすに各音素(フォニム)が必要な「譜術」の行使が可能だった。

 しかし、この世界にはそれがない。

 故にフィオレは、各属性を自力で調達しなければ剣術等、体さえあれば可能なモノしか使うことができない。

 どうにか自分の体からひねり出せないものか、と試してみて、成功したのはオールドラントであっても未知の要素であった第七音素(セブンスフォニム)、そして一般的ですらなかった第零音素(ベースフォニム)。それも慣れていないせいか、異様なまでの疲労感を覚えている。

 今しがた蝶を形成した「空蝉」は、本来フィオレの分身を生み出し、自由自在に操る秘術だ。本来は、これも肉体強化用譜陣の刺青がなければ使うことなどできはしないが、本当は使えないはずのコンタミネーションが成功したのである。

 だったらできないことはないだろうと四苦八苦重ねて──狭いところの探索用に役立てばいいな、くらいの、小さくて脆い蝶を自在に動かせるようになった次第だ。

 それもこれも、すべてはフィオレの左手にはりつき、未だ剥がれる気配を見せないレンズの賜物である。

 巨大彗星の衝突によってこの星にもたらされたレンズには、普通に感知できただけで六属性すべてのエネルギーが等しく宿っている。

 通常手に入るレンズはその等しさゆえに保有エネルギーはごく僅かなものだったが、どうもフィオレに張り付いてやまないレンズは別格のようだった。

 保有エネルギーが豊富、というわけではない。それだったらどんなによかったことか。

 この乳白色のレンズ自体に、保有するエネルギーはない。正確にはフィオレが引き出せるようなエネルギーはない、ということになる。

 代わりとしてこのレンズ、対象となる自然物から属性そのものを引き寄せ、使用することができるのだ。

 ただし、その属性エネルギーを留めておくことは不可能で、すぐに使わなければ勝手に拡散していく一方である。

 そのために、集めた属性のエネルギー……この場合は晶力と称すべきか。

 その晶力を何かに宿して使うことはできないかと考えて、フィオレはオールドラントに存在する鉱石を思い出したのだ。各属性を司る音素(フォニム)がふんだんに宿る石、研磨すれば宝石に化ける存在を。

 そこで単なる石ころに、第四音素(フォースフォニム)たる「水」属性を宿せないかと試したみたところ、見事成功した。アクアサファイヤもどきは、そのままフィオレの手のひらに鎮座している。

 とはいえ、少し放置しておけばまた石ころに戻るかもしれない。アクアサファイヤもどきを外套の隠しにしまった、そのとき。

 

『フィオレ、お待たせ!』

 

 シャルティエの声に振り向けば、件の御曹司が詰め所から出てくるところだった。噴水から離れて、リオンのもとへと歩む。

 一体何があったのやら、眉目秀麗な眉間には立派な皺が寄っていた。

 

「お仕事ご足労さまで「おい、お前噴水で何をしていた?」

 

 フィオレの言葉に耳を傾けることなく、皺が寄った眉間をそのまま、質問が飛んでくる。

 少々突飛な質問にフィオレが目を白黒させていると、シャルティエの言葉が割り込んだ。

 

『坊ちゃん! いくらフィオレとのことでからかわれたからって、そんなにへそを曲げなくてもいいじゃないですか』

『私とのこと?』

『手続き中あの無能連中がさ、「逢引中すみませんでしたねぇ」とか何とか言っちゃってさ! 立派なデートだってのに、まるで悪いことしてるみたいに揶揄しまくるんだよ!』

「……シャルティエ。あなたは逢引もデートという言葉の意味も曲解しています」

 

 シャルティエの言葉を聞くうちに怒りが再燃したのか、少年の白皙の頬に赤みが差す。

 彼が怒りを爆発させないうちに、とりあえずシャルティエの言葉だけ訂正することにした。

 

『何が違うっていうのさ?』

「逢引は一般的に男女の密会を指します。デートは、日時や場所を決めて恋人と行動を共にすることを指すんです」

『……つまり?』

「やってることはあんまり変わりませんが、我々には該当しませんよ。それに、あなたがいるではありませんか」

『へ?』

「これではまかり間違っても、逢引もデートもあてはまりませんね。二人きりではないのですから」

 

 シャルティエを黙らせ、リオンに目をやる。眉間の皺こそ消えているが、頬の赤みはまだ消えていない。

 それを、これまで会話から隔離されていた怒りからだろうと推測したフィオレは、彼の質問に答えるべくリオンと向き直った。

 

「えーと、噴水で何をしていたか、でしたね。どうしてそんなことを聞くんですか?」

「……お前の左手が濡れているからだ。よもや、噴水の中のガルドを取ったとか言わないだろうな」

「へ?」

 

 改めて、噴水の中を見る。

 先ほどはまったく気付かなかったが、確かに噴水の水溜りの中は何のまじないか、ガルド硬貨が沈んでいた。

 

「ああ……ホントだ。これって何かのおまじないですか?」

『この噴水に背を向けて、後ろ向いたままガルド硬貨を投げて入れることができたら恋が実る……だったかな? そんな噂が一時期ありましたよね、坊ちゃん?』

「律儀に答えるんじゃない、シャル。そんなことより……」

「そうですね。こちらの用事も手早く終わらせましょうか」

「違う! 盗んだガルドを噴水に戻せ。みっともない」

 

 フィオレはわざとらしく話題を終わらせようと試みる。

 しかしリオンは、実に不名誉な誤解をしていた。

 

「ガルドなんて盗んでません」

「じゃあ、その左手はなんだ。水遊びでもしていたというのか?」

「ガルドを取ったなら、腕のところまで濡れてるはずでしょうが」

 

 ほら、と左腕を突き出してみせる。

 フィオレが浸けたのは手首までであるからして、もちろん腕までは濡れていない。対して、噴水を取り巻く人工池の深さはそれなり。人それぞれであろうが、フィオレならば肘より先まで沈めなければ、ガルドに手は届かないだろう。

 じろじろと左腕とフィオレの顔を眺め、挙句に左腕が濡れていないか、入念にチェックして。その手が左手の甲に触れそうになったとき、フィオレは咄嗟に振り払った。

 途端に鼻白むリオンに、素早く先制攻撃をしかける。

 

「よく知りもしねー女の手を握ろうなんて、坊ちゃん結構セッキョクテキなんですね」

「な!」

「しつこくてねちっこい男は往々にして嫌われますよ」

 

 何か言いたそうに口を開こうとしたリオンが、「ちっ」と剣呑な舌打ちを打って脳裏に浮かんだであろう文句を取り下げる。

 何を言ったところで、時間の無駄だということを悟ったのだ。

 

「お前の軽口に付き合っている暇などない! さっさと行くぞ」

「仰せのままに」

 

 横柄に命令する少年に、フィオレは慇懃な会釈で応えている。

 それで溜飲が多少は治まったのだろうか、リオンはフン、と小さく鼻を鳴らして歩き出した。

 やっと訪れた沈黙と思いきや、何かを面白がっているようなシャルティエの念話が、二人の耳ではないどこかに届く。

 

『でもさ、坊ちゃんに手握られそうになって振り払うなんて、フィオレって結構純情なんだね』

『どういう意味ですか』

『え、だって。フィオレって男に言い寄られても、あっさり手玉に取っちゃいそうな──』

「うるさいぞシャル。黙ってろ」

 

 かすかに怒気の漂う少年の言葉を受けて、シャルティエはあっさりと口を閉ざした。どうも、文字通り剣の主たるリオンには絶対服従らしい。

 機嫌によってあっさり手放してしまうほど短絡的な人間が主人では、致し方のないことか。

 

『訂正します。彼は複雑な環境に置かれていますが、あなたもまた特殊な環境に置かれているのですね。ご足労さまなことです』

『……えーと』

『お返事は結構ですよ? 本当は、いくつかお尋ねしたいことがありますが、彼の機嫌が直ってからに──』

「おい」

 

 念話に集中していたフィオレは、そのぶっきらぼうな声音で念話を断念せざるをえなくなった。

 眼前には、唇を一文字に、表情に使用される筋肉ほとんどをひきしめた少年の、切れ長の眼が射るような眼差しでフィオレを見据えている。

 

「何か?」

「お前、一体どうやってシャルに話しかけている? さっきから気味が悪い」

「ご安心を。ごく普通にシャルティエへ話しかけるあなたも、十分不思議な人ですから」

 

 もちろん彼は安心などしていない。納得など、もってのほかだった。

 

「それのどこが安心できるんだ。話をそらすな」

「では、手品の一種ということでお願いします」

「お願いするんじゃない。手品だと主張するのはかまわんが、今後一切それでシャルに話しかけるな」

 

 上流社会に身を置く人間にありがちな、横柄な物言いである。もちろんフィオレは拒否を示した。

 

「お断りします。そんなことをあなたに強制される筋合いはない」

「僕はシャルのマスターだ」

「……?」

 

 どうしてこの会話の流れからそんな言葉が彼から飛び出るのか。

 不思議でならなかったものの、フィオレはどうにか言葉の真意を探り出した。

 

「ええと。そんなに大事なら金庫にでも入れて保管しておいたらいかがですか?」

『坊ちゃん、イマイチ通じてないみたいだから話しますよ? えっとフィオレ、僕たちソーディアンはマスターと呼ばれる使い手を得ることで力を発揮するんだ』

『武具である限り、その条件は絶対だと思います』

『いや、そうじゃなくてさ。そりゃ剣の形はしてるけど、それだけじゃないんだよ』

『晶術のお話ですね。それで、どうして私があなたとの会話を制限されなければならないと? リオンの剣であると同時に、あなたはあなただと思うのですが』

『……!』

 

 なぜか絶句するシャルティエに首を傾げつつも、少年へ目をやる。

 今度は不機嫌であることを隠そうともしていない。

 

「まあ、シャルティエが何を言いたいのかは何となくわかりました。今後あなたの前で不必要な念話を使うのは避けましょう」

「……念、話?」

 

 フォローのつもりで言った言葉を耳聡く捕まえられ、フィオレは内心で頭を抱えた。

 案の定、リオンは容赦なく追及をしかけてくる。

 

「念話とはなんだ。それでシャルに話しかけていたのか?」

「あ~、ええと。その……申し訳ありませんね。説明できるほどの語彙力を持ち合わせていないので」

「貴様、説明が面倒だからはぐらかそうとしてるんじゃないだろうな。明らかに今、何かを考えただろう!」

 

 しつこく食い下がる少年に、「しつこい男は嫌われる」と返そうとして。

 シャルティエの声が脳裏に響いた。

 

『でもさ、僕もちょっと不思議に思ってたんだよね。精神の波長が合う人間なら、僕たちの声を聞くことができるけど、逆に僕だけに思念を送ってくるなんて、そうそうできることじゃないよ。どうやってやってるの?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 思わぬところで表題が出てまいりました。
 なお、オールドラント(アビスの世界)において「ソーディアンサーガ」は「続・ソーディアンサーガ」と共に存在が明記されています。
  1. 目次
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