「──ここだ」
リオンに促され、一歩足を踏み入れる。
ずらりと居並ぶのは、色彩も鮮やかな衣装の山だった。
「……そうですね。買い物が終わったあと、あなたのお手並みを拝見させてもらおうと思っていました。それで私に勝つことができたら、お教えしましょう。そっちの方がやる気出るでしょうし」
そう言って、とりあえずフィオレは二人の追及を断念させている。少々予想外の事態ではあるが、これはこれで最大限に利用したい。
そんなわけで、二人と一本は当初の予定通り、フィオレの所望した服飾店へとたどり着いていた。
好き勝手に店内を物色しようとする彼女の外套を掴み、リオンはにこやかに近づいてきた店員に一言二言、何かを告げる。
「……はい、かしこまりました」
店員は一礼したのち、店の表へと出て行った。
何事かとその所作を見ていたフィオレだったが、「物珍しげにするな、田舎者」とリオンに一喝され、未だに掴まれていた外套を脱ぎ始める。
自由に動けるようになってから、フィオレはリオンの手から外套を取り返した。
「何をしたんですか?」
「人払いだ。それと、財布にこんなメモが入ってる」
人払いって。
その身勝手さに呆れるよりも早く、某王家の姫君も同じようなことをしていたという追憶が浮かんで消える。彼女の場合、客を装った妙な人間に害されても困るから、周囲の人間による配慮で結果的にそうしていた。
だが、果たして客員剣士にして、レンズ会社御曹司の身分を隠す彼にそんなものが必要か否か。
内心で呆れながらも、突きつけられたメモを受け取る。そこには、非常に個性的な字で何かのリストが記載されていた。
「必購入。男性物不可。服飾下着類。可購入。靴類装飾類その他……」
「それだけは最低限買えという意味だろう。さあ、とっとと選ぶんだ」
「こんなに買い込んだら、予算が足りなくなるのでは」
「いらん心配だ。選んだら僕に見せろ、妙なものを買ったら僕に叱責が来るんだからな」
「……わかりました。まあ要は、女性らしく見えればいいんですよね」
またもや横柄に言いつけられ、財布を押し付けられる。開けて中身を見てみれば……数えるのが嫌になるほど万単位のガルド札が詰まっていた。
とにかく、何があるのか見て回る必要がある。フィオレは店内をぐるりと見回して──
何かを手に取り、早々に試着室へと入っていった。ごそごそと、衣擦れの音がする。
『……坊ちゃんが見立ててあげればよかったのに』
彼女が試着室へ入ったのを見るや否や、主人にしか聞こえないほど小さな声量で、シャルティエは囁いた。
「僕に人形を着せ替える趣味はない」
『あ。やっぱり坊ちゃんもそう思ったんですか。なんかもー、等身大のお人形さんみたいですもんね』
「……あんな胡散臭い人形があってたまるか」
朝、何の陰謀かヒューゴ
フィオレの怒りようを見るにヒューゴが仕組んだらしいことは彼にもわかったが、ヒューゴが言った言葉は満更世辞でもなかった。
誰の趣味、とは言わないが、機能性も考え、
一見して細身で華奢だが、よくよく見れば余分なものは綺麗に殺がれている。疵ひとつない肌はきめが細かく、猫のようなしなやかさをうかがわせていた。
しかし、単なる女の腕や足を見ただけでそこまで仔細に観察していた事実を──あまつさえその光景をまぶたに焼きつかせてしまったことを、彼は密かに恥じていた。
そんなものは毎日、
「……リオン?」
涼やかな声音が耳朶を打ち、彼は我に返って正面を見た。
そこには、試着室と店内を隔てるカーテンから頭だけ出したフィオレがいる。
「いかがなさいました? 顔が赤いですよ」
「お、お前には関係ない! 放っておけ」
「一概に関係がないわけではありませんが……まあいいでしょう。それで、この格好はいかがですか?」
試着室のカーテンが割れ、メイド服から一転、選んだ衣装に身を包むフィオレが現れる。
その姿を見た途端、リオンは片手を額にやった。
「……お前、人の話を聞いていたのか?」
『しかもそれ、ここで選んだ奴じゃないよね』
「あ、やっぱりわかります?」
『そんな擦り切れそうな生地の服なんてここにあるわけないでしょ!』
そう。試着室から現れたのは、男物の白シャツに鼠色のボトムスをベルトで纏めた、邂逅時と変わらぬフィオレの姿だった。黙ってむっつりしていれば、少年に見えなくもない風体である。
二人の批難を聞いても、フィオレは眉ひとつ動かさない。それどころか、ちちち、と気障ったらしく指を振っている。
「ですから、女性っぽくすればいいんでしょう? そんなわけでこれを」
ぱさりと音を立てて、肩に何かを羽織り、腰には素早く巻きつける。満を辞して装着されたのは、短めのボレロにアシンメトリのスカート……パレオだった。
フィオレの言い分では、ボレロはともかく男が好き好んでパレオなんか巻くわけないと。
その辺りは、リオンとてわからないでもなかったが。
「大丈夫ですよ。本当にダメなら、ヒューゴ様が何か用意なさるでしょうし」
「そういう問題か! まったく……」
くるりと店内を見回したリオンが、顔を赤くしながら女性物の被服を手にして試着室に放り込む。
それを着ろと指図してしばし。現れたフィオレの姿は。
『流石坊ちゃん。フィオレ、そっちの方が断然可愛いよ!』
「流石って、マネキンからひっぺがしただけじゃないですか」
「……それにしろとは言わないが。そういったものなら、ヒューゴ様の文句はないはずだ」
互い違いでちらりと見える、裾のフリルも愛らしいアシンメトリのワンピースに、アンティークレースがふんだんにあしらわれた丈が長めのカーディガン。脛まである編み上げの
相変わらず白布の眼帯と手甲が異彩を放つものの、先程の異装まがいに比べればなんでもない。当初の奇抜さは完全になりを潜めている。
しかし身に着けている当人は、非常に憮然とした面持ちを浮かべていた。
「リオン。あなたはこういうのが好みなんですか?」
「そんなわけがないだろう! 好みだったところで貴様に着せるか!」
『僕はこっちのほうがいいな~』
「じゃあシャルティエの好みですか。動きにくくてたまらないんですがね」
肩を回し、体をねじり、その都度被服を縫製する生糸の悲鳴を察知してやめる。こんな状態で立ち回りでもしたら、柔な作りの被服である。破損、損壊は免れない。
それをリオンに申し付けるも、ならば似たようなものをもう一着購入しろと言って聞かず。すったもんだの挙句、二人は互いの条件をすり合わせることにどうにか成功した。
「わかりました。普段はこちらの格好でいます。ですが仕事の際はあちら、私が選んだ方を制服と称して着用します。それは譲れません」
「……いいだろう。その旨ヒューゴ様に報告しろ」
服類に及ぶ買い物が終了したところで、フィオレは渡された財布を取り出した。口を開けようとして、ふとその場から一歩下がる。
先ほどまで財布があった場所に、素早くリオンの腕がやってきた。
「ねえリオン。強奪はやっぱり罪だと思うのですが」
「つべこべ言ってないで財布をよこせ。予算を確認させるために渡したんだ、くすねられては困る」
「……」
噴水でのガルドのことといい、財布の件といい。とりあえず金銭面ではまったく信用されていないらしい。まあ仕方ないかと内心で頷きつつ、差し出された手に財布を置く。
実に素早く回収されたそれをとって、リオンは数枚の一万ガルド紙幣を数えもせずに釣り皿へ置いた。
「釣りはいらん。その代わり配達してほしい。場所は……」
なんと、それほど多くもない荷をヒューゴ邸へ運んでおくよう店員に言いつける。
先程の言葉を実行しろと言わんばかりに、普段着として着るよう約束した被服だけタグを切って寄越すよう言付けた。
「承知いたしました。代わりに、今お召しのものを配達いたしましょうか?」
「……そうですね。お願いします」
正直業腹だが、新たな装備に慣れておくのは大切なことである。フィオレは手早く着替えを済ませ、それまで着ていたメイド服を外套と共に手渡した。
高級服飾店を出で、次に向かったのは手芸店である。
とにかくメモに書かれていたものを求めさせようとしていたリオンを説き伏せて、フィオレが是非にと志願したのだ。もちろん、リオンに行きつけの手芸店などはない。
そのため、彼を引き連れてフィオレが自力で聞き込みを続け、思いの他簡単にたどり着いていた。
「ついてきます? それとも、財布を預けてくれますか?」
入り口でそれを尋ねて、彼は悩んだ末に一万ガルドをフィオレに渡している。
すぐに戻ってくる、と告げて、彼女は速やかに店の中へ入っていった。
そしてしばし……と経たず。
「お待たせいたしました」
フィオレは一抱えの小包を携えて戻ってきた。
『って、ホントに早っ!』
「買いたいものは決まっておりましたので」
リオンに財布を開けるよう求め、釣り銭を返す。釣り銭の量からして、それほど高価なものを買ったわけではないらしい。
「さて、引き上げましょうか」
「……メモにはまだ未購入のものが残っていたはずだが」
「別に要りません。どうしても必要だ、と言いつけられたものは買い終わったことですし、戻りませんか?」
もともと自分の用事ではないリオンに異存はない。二人は連れ立って帰路へとついた。
好奇心なのか、目的を持ってなのか。フィオレはきょろきょろと忙しなく首を動かしている。
そのまま無様に転んでしまえばいい、と思う反面、彼女の連れである自分にも衆目の視線が集まるのかと思うと、気が気でない。
ただでさえ二人は、道行く人の視線を過剰に集めている。彼女がそれを承知しているかどうかは、定かでないが。
「あまり余所見してると、転ぶぞ」
「ご安心を。いざとなったらあなたに抱きつきます」
一応注意喚起してやろうと声をかければ、間髪いれず憎たらしい返事が寄越される。感情のまま睨みつけようとして、彼はフィオレの横顔を見やり──再び眼をそらした。
リオンにとって、端整なだけの顔など鏡で見慣れている。女性であっても、彼にとって彼の想い人以上に美しいと思える異性はいなかった。
それなのに、突如として現われた彼女の顔を見るだけで、なぜここまで気恥ずかしいような思いに駆られるのか。自分で自分が不思議でならない。
確かに、姿形だけを評価するならば、フィオレは間違いなく美人の部類に相当する。舞い散る新雪のような髪は歩むごとに柔らかくたなびき、その顔立ちにケチのつけようはない。
あえて言うなら、切れ長だが垂れ目気味の瞳は、美人特有の近寄りがたさを綺麗さっぱり失わせている。惜しむらくは外されない眼帯だが、それはかえって彼女に謎めいた雰囲気をまとわせていた。
リオンはそれを胡散臭いと称しているわけだが、それがミステリアスな魅力を構築しているのだから、タチが悪い。
外套を脱いだ今は殊更によくわかる、細身にしてなお女性らしいなよやかさを備えた体躯。
出会った際の出で立ちの理由がわかるほどに、フィオレには外見における他者への威嚇要素が微塵にもなかった。
しかし、リオンが一番彼女のことを気に食わない点はここにある。
フィオレはリオンに目を合わせる際、多少視線を下げていた──おそらく、背中を合わせれば一目瞭然だろう。彼女はリオンよりも、多少だが上背がある。往来で自分を負かしたことと同じくらい、それはリオンにとって屈辱的な事実だった。
彼女に対して、刺々しく接する理由はそれだ。だが、それと気恥ずかしさは到底結びつかない。
「──ねえリオン」
そんなことを考えていた彼であったが、意識の端に涼しげな声音がひっかかり、彼は思考から醒まされた。
「あれ、なんですか?」
リオンの返事を待たずして、フィオレは誰何の声を上げている。指を差すのが非礼だと知っていてのことか、彼女が示すのは視線のみ。
だが、フィオレの視界に映っているものといえば、花屋前で呼び込みをする看板娘、道端で談笑する年配の女性、荷物が次々と乗せられていく荷車、それを引く役目にあるだろう鹿毛の馬、二匹の犬と散歩する老人の姿と、特別に不思議なものはない。
「何のことだ」
「ほら、あの、四本足の。体高高め、茶色くて面長で、耳が尖っていて、わりかし首が長くて、頭と首の後ろにふさふさした毛が生えてて、動くたびにカポカポ面白い足音を鳴らす動物らしいモノ」
『……えっ』
ひとつずつ、丁寧に特徴を挙げ連ねるフィオレの言葉には、疑問以外なにひとつ余計なものは含まれていない。
しかし、尋ねられた内容が内容なだけに衝撃は凄まじく、リオンもシャルティエも彼女が何を言ったのか、脳内で幾度も幾度も確認して……ようやくリオンが口を開いた。
「……まさか、お前は馬のことを言っているのか?」
「馬っていうんですか、あれ。へ~……」
リオンの反応などおかまいなしで、遠目から心底物珍しげに馬を観察するフィオレの眼には、好奇心と興味以外の感情はない。
『フィ、フィオレ。ひょっとして、馬を知らないの?』
「私の記憶にあんな生き物はいませんね」
シャルティエの言葉にもあまり気を払っていないらしく、そのまま肉声で答えている。
完全に奇人変人を見る眼でリオンが無意識に距離を取ろうとした際、昨晩の会話が脳裏を横切った。
「あ、ああ、そうか。お前は、記憶障害と言っていたな。覚えていない、だけか……」
「記憶にないことだけは確かです。ところであれ、触っても大丈夫ですかね?」
「……やめんか、子供じゃあるまいし」
今度は触れてみたいと言い出したフィオレの腕を掴む。そのまま帰路へ強制的に促そうとしたリオンだったが、フィオレとて負けていない。
リオンの腕を逆に掴んで、単純な綱引き合戦へと陥る。
「いいじゃないですかちょっとくらい。触るのが駄目なら、近くで観察くらい……」
「不用意に近づいたら危険だ。あれに踏まれたら足なんか簡単に砕けるぞ」
「大丈夫ですよ、靴には鉄板仕込んでありますから」
「そういう問題じゃない! どうしても触りたいなら、今度厩舎に連れて行ってやる。とりあえず街中で馬を刺激するような行動は取るな。周囲の人間に迷惑だ」
暴走した馬ほど、止めるのが難しいものはない。
未練がましく振り返るフィオレの腕を引いて、半ば引きずるようにどうにかその場から去ることに成功する。
残念そうに嘆息するフィオレだったが、気を取り直したらしく自発的に歩き出した。
リオンの身長は原作開始時において159㎝。
対して、フィオレの身長は現時点で162㎝。
彼が苛立つのも、まあまあしゃーなしなのです。