しかしその実、初めから最後まで、ヒューゴの手のひらの上でした。
※王族からの不興を買えばどんなことになるのか。
「The abyss of despair」第九十八唱~第百六唱辺り、苦い記憶として残っています。
紫電一閃。
研ぎ澄まされた刃が振り抜かれ、煌く流星の如き光がすぐ傍に一瞬を描いていく。
注視すれば残像すら見えるのではないか。そう思わせる神速の剣閃が、息をつかず襲いかかってくる。
(
交えるたびに攻守が逆転し、めまぐるしく転換する仕合の最中。大将軍フィンレイ・ダグは内心で舌を巻いていた。
フィオレンシア・ネビリムと名乗る、ジルクリスト総帥の新たな手駒。
常人離れした見忘れぬ風情、一国の王を前にして萎縮する様子も見せないその胆力と、未だ計り知れないその高い実力に。
謁見の間に現れたそのときから、挙動や足運びで素人でないことだけはわかっていた。見目で気を引き、リオンを下したわけではない、とも。そも、あの少年がそんな理由で油断をするとは思えない。
部下たる七将軍達との腕試しを目の当たりにして、素人などとんでもない。幾度もの修羅場をくぐり抜けてきた猛者であることが窺えた。少なくとも彼はそう確信している。
この若年で一体何があれば、ここまで完成された交戦技術を披露できるのか。奇跡を通り越して異常にすら思う。
そして最も驚異的なことに、彼女は全力を出していないし、この仕合に集中しきっているわけでもない。フィンレイに仕掛け、時に護りに徹しながらも、常に周囲へ気を張っての警戒を怠っていなかった。
世界は広い。よもやこんな女が存在するとはと、畏怖にも近い感嘆を覚えると共に。彼はこの手合わせに高揚を覚えつつあった。
国王の厚い信頼と、保有する実力を以てして七将軍を束ねる大将軍。王国軍において彼と剣を交えることができるのはほんの一握りだ。それでも仕合は対等ではなくて、彼はいつでも指導する立場。全力を出し切る機会など、国同士の争いごとから遠ざかっての昨今、あるはずもない。
それが今や、いきなり現れた余所者に部下たち七将軍を蹴散らされ、彼自身もまた翻弄されている。
面白い。痛快だ。こうなればとことん戦いたいし、意図的に隠されているであろうその実力の底を見たい、と。
対峙するひとつだけ覗いた瞳、青より暗いその色が不意にぱちりと瞬いた。予備動作も無しに間合いを大きく取られ、その柳眉が困惑したように歪む。
「──何か、可笑しなことでも?」
「いいや。気にしないでくれ」
図らずも浮かんでいた笑みを消し、将軍は目元を引き締めて大剣を正眼に構えた。
一方で、フィオレは大将軍が浮かべた笑みの意味をいぶかしんでいる。
(何にやけてたんだろ)
知らない内に被服を破いて、肌の一部──臀部とか、その辺りを露出させてしまったのだろうか。
そうだとしたらこの場で腹を切りたいくらいの恥だが、フィンレイ以外に笑みを浮かべている者など、誰一人としていない。
強いて言うなら、リオンがこっちを見て何だかぼんやりしているような、なかなか決着のつかない手合わせにヒューゴが苛々しているような、そんな風情が見て取れるだけだ。
他の面々は勝敗の予想が付かない仕合に、野次馬も含め、固唾を呑んで見守っているように見える。
──フィンレイが人知れず手合わせを楽しんでいることなど、フィオレには察しのつけようもない。
何十合と噛み合い、競り合い、刀と大剣が打ち合うその様を見て。追憶が、彼女の脳裏を去来していたからだ。
遠い過去を懐かしんでいる場合ではないのに。不機嫌そうなヒューゴのことは抜いても、そろそろ決着をつけるべきなのに。
絶え間なく剣戟を重ねて、彼の関心を買っていることなど露知らず、フィオレはただ攻めあぐねていた。
わざわざ確かめるまでもないことだが、フィンレイ・ダグは大将軍としてふさわしく強い。正確には、強いと呼ぶに値する交戦技術を備えている。故に、仕留めるつもりで仕掛けなければ、かすりもしないだろう。事実、振るう斬撃のことごとくが弾かれて通用しないのだから。その踏ん切りが、つかない。
当初はどこでもいいから軽く引っかいて少量の流血を促せばいい、と高をくくっていたフィオレには大きな誤算である。
殺生が嫌だ、などと世迷い言を抜かすつもりはない。それでも手合わせで命を奪うなど褒められたことではなし、それが一王国の要あろう人間相手なら尚更だ。
更に。
ちらりと中庭の端を見やる。王の隣で両手を祈るような形で組み、落ち着かない様子で観戦している王女。
聞くところによれば、彼女は今現在フィオレが剣を交えるフィンレイの、婚約者であるらしいのだ。つまり、息子のいない国王にとっては、そう遠い未来ではないだろう世継ぎ。
下手に手を出して、王族の不興を買うと後が大変だということは、身をもって知っている。
どうしたものか。この強さなら、致命傷にはならないだろうと高をくくって、殺すつもりで仕掛けるか──?
『……フィオレ、ごめんっ』
ふと、奇妙な感覚に囚われた。
シャルティエに囁かれたような気がして、そちらを見やる。なんとなしにリオンの姿を確認したフィオレは、驚愕に眼を見張った。
何と彼は、鞘に納まったシャルティエの柄を握り、口元を忙しなく動かしていたのだ。
コアクリスタル、と本人が言っていた日車草色のレンズが淡く明滅して……
悠長に観察している場合ではない。ここが室内でなく、むき出しの大地がある中庭で良かった。
「母なる抱擁に覚えるは安寧!」
♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze──
迅速にフィンレイから離れ、譜歌を紡ぐ。
突如として奇妙な行動に出たフィオレに奇異の眼を向けていたフィンレイだったが、次の瞬間、彼は目を瞬かせた。
整備されている芝生に存在するわけがない岩石が数個、宙を飛んでフィオレに飛来する。しかし石は、フィオレを中心に組みあがった半透明のドームによってすべて弾き落とされた。
フィオレの眼は、明らかにリオンを睨んでいる。しかし──すぐ視線を外して顔を背けた。
『雇われはつろうございますね』
『……っ』
リオンの傍には、ヒューゴが立っている。おそらくは、彼の指示だと思われた。
譜歌の使用によって無防備になったフィオレに、大剣が振りかざされる。回避不可能なまでに迫った切っ先を前にして、彼女は紫電を捨てた。
パァン!
快活な殴打音が、沈黙の中、余韻にひたる。
紫電を手放すことで両手を自由にしたフィオレが、振り下ろされた大剣を白羽取りしたのだ。両者の動きがしばし止まる。フィンレイが停止していることをいいことに、フィオレは軽く指を動かした。
やがて、まるで我に返ったようにフィンレイが、大剣を手元へと引き戻す。あっけなく大剣を解放したフィオレは、審判役たるルウェイン将軍に手のひらを突き出した。
突然のことで戸惑うルウェイン将軍に、フィオレの冷ややかな言葉が告げられる。
「……わかりませんか? 私、出血しているんですけど」
よくよく見れば、親指からその付け根にかけて、真紅の雫がじわじわとにじみつつあった。
見る見るうちに血液が滴り始めたその様子を見て、将軍は即座に試合終了を宣言する。
「お手合わせ、ありがとうございました」
どこか呆然としたように大剣の切っ先を下げたフィンレイに一礼し、無傷の左手で地面の紫電を回収した。
傷ついた指先を口に寄せる。したたる鮮血をすすり、血行を圧迫する目的で強く縛った。
血止めをしながら、王の傍で控える七将軍のもとへと歩む。急展開に眼を白黒させながら、衆人環視は彼女の一挙手一投足を見守った。
やがてその足が、待機していた七将軍たちを前にして、立ち止まる。ぴんと伸びた背筋をそのまま、フィオレは深く頭を下げていた。
「先ほどは大変失礼いたしました。過ぎた挑発だったと、反省しております。お手合わせ、ありがとうございました」
負傷した手を後ろに隠し、しっかりとした声で謝罪と礼を口にする。
特に何の返事も期待していなかったのか、姿勢を正した彼女はそのままきびすを返した。
「善戦したな。救護兵に言って治療を……」
「退出の許可をいただければ、自分でします」
ヒューゴに声をかけられ、フィオレは表向き慇懃に対応した。しかしその眼は、おそらく故意だろう、冷ややかな眼差しを雇い主に注いでいる。
その眼を咎めることもなく、ヒューゴはフィオレに許可を出した。
それには軽い会釈で答えたフィオレが、今度は王の眼前まで歩む。
「──それでは、御前を失礼いたします」
頭を下げ、最低限の挨拶をしてから。彼女はリオンの手からモップを回収して中庭を去った。
中庭では、人目がありすぎる。
通りがかりの見物人たちの問いたげな視線を他所に、一同は再び謁見の間へ移動していた。
彼女に勝利したフィンレイ将軍はもとより、卒倒させられた七将軍たちも回復が早かったため、同席している。
ただしそれは、彼らが優秀な軍人だから、ではない。
フィオレが本来の得物を使っていれば重症間違いなしだった一撃が、故意に威力を弱められていた──手加減されていたからだ。
誰も、何も言おうとしない。言うべきこと、聞くべきことは山とあるはずなのに、誰もが口を噤んでいる。
七将軍たちが同時に抱く、ありえなかった敗北に対するうしろめたさ。それに伴う、七将軍へ向けられるだろう国王の叱責と嘆き。
ヒューゴが七将軍をも凌ぐ戦力を手に入れたことへの驚愕。
そして。
「……ジルクリスト総帥」
降り積もる沈黙をいち早く破ったのは、先程からちらちらとヒューゴに視線をやっていた、フィンレイ大将軍だった。
「彼女は……何者なのですか」
フィオレンシア・ネビリムと名乗る娘の正体。
一名をのぞくとはいえ、七将軍全員と対峙し、理想的な勝利を収めた。
且つ、その直後大将軍フィンレイとほぼ互角の戦いを繰り広げ、息に乱れもない彼女のことが、彼は気になってしかたがないのだろう。
搾り出すかのようにして発されたフィンレイの言葉を、ヒューゴは軽く切り返した。
「人であること、女性であることに間違いはないと思われますが」
「そういうことでは……!」
「ヒューゴよ。フィンレイの質問に答えてはくれまいか」
声を荒げようとするフィンレイを抑えるように、玉座から国王が口を挟む。
国王とて武人だ。これが武芸に関してまったくの素人ならば、七将軍の不手際を責めるだろう。小娘一人相手に、何をしているのか、と。
しかし彼自身、足に不自由を負うまでは剣を握っていた人間なのだ。
七将軍の敗北は、彼らの不手際ではない。相手が悪かったのだと思わせるほどに、フィオレの戦いは凄まじいものだった。
動作のひとつひとつがさながら流水のごとく滑らかで、捕らえようがない。そして仕掛けるときは獣のように速いのだ。気付いたら、そこに彼女の得物が迫っている。
初手の刺突など、遠目から見てようやく、いつ繰り出されたかわかるものだったし、アシュレイに放った連撃は、あの細腕では信じられないほどに打撃音は重かった。
今頃彼の腕には、青痣のひとつも出来上がっているだろう。
「正直、儂も目を疑っている。そなたがあのような娘をリオンの指南役に据えたと聞いたときは耳を疑ったが……本当に、陳腐とわかっていながら、正体を聞くしかできん」
「正体のほどは、私にもわかりかねます」
国王の言葉を受けて、ヒューゴはさらりと事実を口にした。
「本人いわく、記憶障害なのだとか。行き倒れていたところを神殿にて発見、保護され、しばらく世話になっていたことも確かめさせましたので、偽りではありません。あの髪色から皆様方も疑われたとおり、ファンダリア王家縁筋……ファンダリア王族の落胤ではないかと、私も勘ぐりました。ただの庶民にしては、おかしなところが多々ありましたのでね」
それは、この場にいる全員が薄々感じ取っている。
国王陛下に対する礼儀、他者に対する礼節、それらに基づく、付け焼刃とは程遠い言動……上流社会に身を置いていなければ到底身につくことはない、いやしからぬ品性。
「現在調査を進めてはおりますが、現段階では該当する人物はおりません。仮に御落胤であったとしても、あのような技術を保有する理由にはなりますまい」
結局は、そこへたどり着くのだ。
もし彼女が人知れずファンダリアの王城で暮らしていたとしても、いかにしてあの剣技を身につけたのかは、説明はできない。
「事実が知りたければ、本人から聞き出すしかないでしょう。記憶障害と告げられて以降、思い出したことが何もないわけではないらしいので」
「総帥自身は、気にならないのですか?」
それを尋ねたのは、これまで言葉少なに傍観していたブルーム・イスアード将軍だった。
その質問を、ヒューゴは首を横に振って否定している。
「無論、私も幾度か、何かしらを聞きだそうとしました。酔わせて口を軽くさせようかとも企みましたが……いずれも失敗に終わり、あれの機嫌を損ねるだけの徒労に終わっております」
それはまるで、フィオレを怒らせることを恐れているかのような言葉だった。
それを聞き咎めたのは、彼自身よりフィオレを紹介された国王である。
「ヒューゴ。そなたはあの娘の雇い主であろう。雇い主であるなら、その威厳を……!」
「あのじゃじゃ馬は、どうも縛られることを嫌うようなのですよ。私に雇われていることなどあまり気にかけていない。いつ解雇されようと構わないような顔をしているし、機嫌が悪くなれば露骨にそれを露わとする。強引に従わせようとすれば、早々に見切りをつけられ、失踪しかねないのです。面倒でも、加減を見て少しずつ飼い慣らさねば。もしもあのような人間がファンダリア軍に渡れば、それこそ脅威にしかなりません」
隣国ファンダリアのことを引き合いに出され、一同に緊張が走る。表向き友好国であっても、平然と悪口を言い合えるような仲ではない。
片や、天地戦争終結直後に興り、代々統治を担ってきたケルヴィン家が一貫した王政を敷いてきた、由緒正しい最古の国家。
片や、現在セインガルド王が王座につくまでは数々の内乱を経て成立した王朝なのだ。新興国家と一言で言い切るほど歴史は浅くないが、それでもファンダリア王家には確実に劣る。
その成り立ち、歴史からファンダリアに対し、国王が少なからず劣等感を抱くのは無理もないことだ。
ヒューゴの一言により、国王の意識は完全にフィオレという一個人からそちらへと流れた。
「確かに、あの者が他国の手に渡らず、ヒューゴの目についた幸運を感謝せねばなるまい。リオンよ、セインガルドを担う者として、礼を言うぞ」
「……もったいないお言葉にございます」
同席していたリオンが苦々しげに頭を下げる。
彼としては、思い出すのも忌々しい出会いだったのだから、それはしょうがない。
もっとも、先ほどの手合わせを見て以降、そんな感情はほとんど残っていないのだが。
「して、ヒューゴよ。儂からひとつ提案がある」
そして国王から発せられたのは、彼にとって容易に予想できる内容だった。
アルバート流シグムント派の剣は速さが命。手数の多さは二の次です。
見切られたら最後、殺られるだけなんで、剣速だけはカンストされている状態。
とはいえ手合わせ中は本気ではないので、まだギアは上げられます(笑)