swordian saga   作:佐谷莢

28 / 128
 仮称レイクドラゴンはオリジナルモンスターです。
 形状モデルは言わずとしれた未確認生物代表格:ネス湖の怪獣さんを採用しています。
 近年は証拠写真もニセモノばかりと断定されて、湖のDNA採取には「古代竜ぽいのはない。でかくなりそうなウナギのならあるよ」という結果になり、目撃情報もここしばらく寄せられていないとか。
 あまりの消息不明っぷりに死亡説やらバカンス説が囁かれる昨今ですが、存在しないことを証明するのは至難の業なんで。イギリス・スコットランド北部ハイランド地方にある、イギリス最大にして縦長の淡水湖ネス湖へのお出かけの際は、マイカメラを装備の上、挑戦してみては如何でしょうか。


客員剣士見習い初任務~メコリア湖に潜む巨大湖竜を駆逐せよ! 後編

 

 

 

 

 

 

 くちくなった腹は眠気を呼び、湖面を揺らす冷たい風は、綿菓子のように甘い睡魔の誘惑をハリセンでひっぱたくが如く追い払う。

 漆黒の夜空に浮かぶ大小の月、たゆたう湖面にて寄り添う水月の親子を眺めながら、フィオレは湖周辺を歩いていた。

 調査隊の考察を聞き終え、とどのつまり、わかりやすい弱点などはないらしいという結論に至る。現時点ではっきりしているのは、フィオレが手品と主張する晶術もどきしか決定打はない、ということだ。

 対策としてはこれといった話し合いもない中、仮名レイクドラゴンをどうにかして陸地に引っ張り上げ、地上戦でフィオレの手品とリオンの晶術で致命打を与えつつ、総力戦を仕掛けるしかないだろう、との結論に至る。

 肝心の陸地へ引きずり出す方法としては、ドラゴンが要求した花嫁を差し出すその時に、花嫁を囮にできないかという案が提出された。

 

「いっそのこと、囮の花嫁役をフィオレンシアちゃんがやるってのはどうだ? ドラゴンが油断して、ばっくりやろうとしたところの隙をついて……」

「無理ですね。匂いで気付かれ、あの冷却ブレスを吹かれて、氷漬けにされるのがオチだと思います」

 

 そんなふざけた提案も出されたが、フィオレ本人が一蹴している。

 調査隊の考察によれば、あのドラゴンはかなり嗅覚が鋭いのだとか。

 骨を残して食った娘とまったく手付かずだった娘がいたということは、あのドラゴンは食べるまでもなく純潔がそうでないかを知る術を持っていることになる。

 もしも嗅覚によって純潔か、そうでないかを判別できるのだとすれば、その作戦結果は火を見るより明らかだ。

 そしてフィオレが純潔でないこと以前より、あのドラゴンはフィオレの匂いを覚えていることだろう。

 これといった案も出ないまま、時間だけが過ぎていき。これ以上の議論は時間の無駄と中断され、遅い炊き出しの夕飯を頂いて、今に至るのだ。

 本当は、ドラゴンとの交戦で疲れただろう、ということで集会所二階の仮眠室を使うよう将軍たちから言われていたのだが……もとより眠る気なんかさらさらなかったフィオレは、湖の見回りを志願した。

 

「またお前は勝手なことを……大将軍が休めと言ってくださったんだ。素直に従わないか」

「まっぴらごめんで御座います。そんな上司命令は聞けません。眠くなったら戻ってきますから」

 

 結果的にリオンの不興を買ってしまったが、あのドラゴンがどうなったのかのほうが気になる。見張りは兵士の仕事だから、有事に備えて休息を取るべきだと彼は主張していたが、気になって眠れないなら同じことだ。

 月明かりは明るく、松明を持たなくとも出歩くことはできた。湖周辺ではそこかしこに兵士たちの簡易宿である天幕(テント)が張られ、すぐそばに篝火が焚かれている。

 歩哨の兵士たちがちらほらと見受けられる中、主に湖を監視しながらそんな彼らとぶつからないよう、すれ違った。千鳥足な割に酒類(アルコール)の臭いがしないのだから、タチが悪い。

 船着場を通り過ぎ、将軍たちと昼にドラゴンと対峙した地点を過ぎ、娘たちがいなくなったという現場の水辺に着き。

 フィオレは唐突に足を止めた。

 こんな人気のない場所だというのに、いつまでもいつまでもついてくる足音と気配が五つ、あったからである。

 残念ながら──そろそろ帰ったほうがいいらしい。

 きびすを返したフィオレは、早足でもと来た場所へと戻り始めた。

 突然のことでうろたえる五つの影があるが、気にしない。彼らが足を止めている間に、その間をすり抜けて船着場の方角へ戻っていく。

 

「お、おい、待てよ、お嬢ちゃん」

 

 後ろからそんな声がかけられるも、お嬢ちゃんなどという年ではないにつき反応はしない。

 あんな人気のない場所でひと悶着起こっても厄介だし、このまま集会所へ戻ってもついてきたなら、それはそれで見ものだ。

 最も、彼らがそんなものを許すはずもなく──

 船着場の辺りへと戻ってきたときに、フィオレは五人の人影に取り囲まれた。

 

「……何か御用ですか?」

 

 突破は不可能でないにしても、このまま斬りかかる選択肢は取れない。

 男たちは皆、動く際にがちゃがちゃとやかましい音を立てている。一様に兜を装備したシルエットからして、常駐している兵士か何かだろう、と推測できた。

 

「おおありだ。よくも俺の言葉を無視しやがったな」

「そりゃすいません。小娘一人の尻を追いかけ回すような変な集団に用事はないんです」

 

 妙な因縁をつけられるものの、フィオレは彼らを不審者呼ばわりすることで自分の正当性を主張している。

 別に間違ったことは言っていないはずだ。

 

「誰が変な集団だ!」

「違うんですか?」

 

 うまく怒りだしたのをいいことに、おちょくりながらも内心で息をつく。

 何故彼らがフィオレをつけ回したのか予想がつくものの、面倒くさい相手に違いはなかった。

 何せ、問答無用で殴り倒すという選択肢が取れない。これからフィオレは、七面倒くさい問答に精を出さなければならないのだ。

 

「違うに決まって──!」

「待て。そんなくだらない言い争いをするためにコソコソ付け回したわけではない」

 

 怒気に満ちる正面の男をなだめたのは、その隣に立つ男だった。声からして、壮年辺りというのがわかる。

 フィオレのおちょくりを間に受けず、落ち着いている理由がよくわかった。

 

「見慣れぬ様相をしているが、どこの誰だ?」

「本日付で客員剣士見習いとなりました、フィオレンシアと申します」

「客員剣士……? と、いうことは、あのリオン・マグナス様の部下ってことか」

 

 フィオレの言葉に答えたのは、音の出所からして真後ろに立つ男である。

 真後ろの男のみならず、リオンの名が出た途端、兵士たちの雰囲気は一変した。

 

「だから相乗りで来たってのか? つまりこのお嬢ちゃんは、馬にすら乗れないってことか」

「そんな小娘に何ができるんだよ?」

「違うものに乗るのが巧けりゃ、それでいいんじゃねえか?」

 

 後方で展開される下品な会話に、フィオレは大げさなため息を隠していない。

 挑発だと思うのが妥当なのだが、一体全体フィオレを怒らせて彼らに何の益があるというのか。まったくわからなかった。

 従って、単なる欲求不満ではないかなー、と推測しておく。

 

「お下劣ですね。品性を疑います。それで、用事というのはそれで終わりなんですか?」

「客員剣士とはいえ見習い程度、それも新入りが、七将軍様に大将軍様が詰めている集会所に立ち入れるわけがないだろう」

「……あなたの考える客員剣士の地位がどんなものなのか知らないので、何とも答えようがありませんね。でもそんなことを尋ねられるということは、実際どうだったのかをご存知なのでは?」

 

 客員剣士がどんな存在なのかは、ヒューゴ氏からある程度聞いている。

 正式な仕官ではないながら、それに準じる待遇が約束された剣士。それはすなわち彼らのような兵士とそう変わらないのではないかと思うのだが、どうも違うらしい。

 ヒューゴ氏いわく、兵士に留まらない実力の持ち主だからこそ客員剣士が務まるとか何とか。

 最も、リオンを見ている限り実力はともかく、年齢的に兵士となる条件を満たしていないから、客員剣士という特殊な方法で仕官しているのではないか、と勘ぐりたくもなる。

 それだけリオンは優秀だと思うのだが、同時に幼いとも思うのだ。

 

「だからこそわざわざ尋ねているのではないか! 人をからかうのも大概にしろ!」

「──まったくもってその通りだ」

 

 ようやっと、年かさの兵士が苛立ちの片鱗をのぞかせたところで、聞き慣れた横槍が入る。

 気配で彼の接近を感知していたフィオレは、軽く肩をすくめた。

 月明かりのもとだからだろうか、彼がそれに気付いた様子はない。

 

「月夜の散策ですか。優雅ですね」

「そんなわけがないだろう。そこいらの兵士を暇つぶしの道具にするんじゃない」

「ヒドイワりおんサマー。インネンツケラレタダケデスノニー」

「……頭が痛くなるからやめろ」

 

 土を踏む音と共に現われたのは、いつになく仏頂面の幼い上司だった。

 囲まれているフィオレを一瞥するなり、ずかずかと遠慮なく踏み入ってくる。結果として、フィオレを囲んでいた兵士はあっけなく散らされた。

 

「それで? この体たらくはなんだ。さっさと説明しろ」

「見回りしてたら付け回されました。新入りが集会所に立ち入りを許されていることが気にくわないらしいのですが……何が言いたいのかは、まだ不明ですね」

 

 それを聞くなり、リオンはもともと険しかった眼を更に険しくさせて一同を睥睨している。

 

「お前ら、どこの隊のものだ。階級と所属を述べろ」

「な……!」

「答えられんのか? なら集会所までご同行願おう、将軍たちに照合してもらう。任務中に現地で厄介ごとを引き起こすような連中を連れてきたのはどなたなのか、責任の所在をはっきりさせねばな」

 

 それを聞くなり、彼らは口々に舌打ちをしたかと思うと、蜘蛛の子を散らす勢いで逃げ出した。

 あっけないまでに逃げていく彼らの背を見送りつつ、リオンと向き直る。

 

「こういうとき、権力って絶大な効果を発揮しますね」

「ああ。お前みたいな奴にはまったくの無駄だがな」

「いや、まったく。それはさておき、ありがとうございましたリオン様」

 

 もののついでのように礼を述べられ、彼はきびすを返しかけた背中をくるりと反転させた。

 切れ長の眼は明らかに半眼となっている。

 

「心にもないことをぬかすな。耳障りだ」

「そんなことはありません。おかげで、彼らと事を構えずに済みました。新任早々こっそりと死体の後始末なんて……ああでも、湖に落とせばそれで済みましたか」

 

 爽やかに物騒なことを言ってのけたフィオレだが、これは紛うことなき事実だ。事態の如何によって、フィオレは何かせざるをえなかっただろう。

 リオンが硬直しているような気がしないでもないが、些細なことである。

 

「……まあいい。戻るぞ」

 

 不本意ではあるが仲裁してもらったということもあり、フィオレは大人しくリオンに従った。

 湖面を背にして集落の中心に歩みを進めていると。

 

「……何に乗るのが巧ければいいんだ?」

「は?」

 

 ぼそぼそとした声にふと隣を見やれば、リオンは思わしげな表情を浮かべてフィオレを見ていた。

 

「お前の後ろにいた兵士たちがそんなことを言っていた。馬に乗れなくても、違うものに乗るのが巧ければいいとか何とか……下劣だと答えていたということは、お前には何なのかわかったんだろう?」

「……あぁ、さっきの」

 

 妙にタイミングよく現われたかと思えば、事前の会話を聞いていたらしい。そんなに小さな声でもなかったから、あるいは向かってくる最中に聞こえたのか。

 純真というか穢れてないというかお子様というか。まあ、育ちもさることながら、この年にして猥談に精通していても嫌だが。

 

「あなたがオトナになれば、自ずとわかることですよー」

「僕を子ども扱いするな! お前だってそう変わらないくせに……!」

 

 婉曲的表現を使ってなだめてみるも、彼は予想通りの反発を見せた。あまつさえ薄い唇を子供のように──実際子供だと思うが──尖らせている。

 大人になったらわかる。幼少時のフィオレはこれで大体様々な不条理に対して一時的に納得できたのだが、彼には通用しないようだ。

 幼少時のフィオレは、自分が何の力も持たない子供だということを知っていた。

 リオンはそれを知らないのか、あるいはそれを認めたくないのか。

 知らなくていい、という言葉は、彼女自身さえ納得できなかった言葉だ。使ったところで効果は期待できないだろう。かといって、事実を告げるのは論外である。

 さてどうやって誤魔化そうか、リオンの視線を受けて思案を始めた、ちょうどそのとき。

 巨大な水しぶきが湖面を叩く、そんな音が聞こえた。

 二人して歩みを止め、振り向く。

 すでに船着場からは離れてしまっており、二人の目から見えるのは変わらぬ兵士たちの天幕や篝火だけだが……

 今のは、兵士がふざけて仲間を湖に突き落としたとは考えられない。人一人の質量で発生する水しぶきとは、明らかにかけ離れている。

 そして──警鐘が鳴り響いた。

 

「……リオン様」

「わかっている。行くぞ!」

 

 歩哨の兵士たちがぞくぞくと船着場へと向かっていく。そんな彼らを追い抜くように、二人は駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 たどり着いた船着場で、惨劇は起こっていた。

 水辺際に焚かれていた篝火はなぎ倒され、月明かりのもとで天幕が無残にも潰されている。中に人がいないだろうか、確認を思い留まらせる元凶がのそりと動いた。

 月光を弾く水色の鱗、長く狗尾草(エノコログサ)を思わせる首、一軒家を遥かにしのぐ巨体。

 口元から零れる吐息は、己の涎をも凍らせている。

 巨大なひれの如き前足が動いたかと思うと、その下から鎧姿の人型が放り出された。

 

『ミツ……ゾ、ホジ……ャ』

 

 不快な耳鳴りがし、隣でリオンが小さく呻く。

 集まってきた兵士たちだろうか、再びバタバタと人の倒れていく音がした。

 

『シャルティエ、ちょっといいですか?』

『な、何?』

『あれが何を言っているのか、わかったら復唱して欲しいんです。私には雑音がひどすぎて、何を言っているのかさっぱりわかりません』

 

 もしかしたら、という希望の元、シャルティエに依頼したのだが。彼は主人を気遣いながらもドラゴンの言葉を復唱してくれた。

 

『ええと、見つけたぞ、保持者……かな?』

『保持者?』

『そんなの僕にはわかんないよ。で……』

『……ドコ、ソ、クロ……テ、ヤル!』

『今度こそ、食ろうてやる!? 坊ちゃん、しっかりしてください! 逃げないと──!』

 

 それだけわかれば十分である。フィオレはシャルティエに感謝の念を送ったと同時に走り出した。

 水辺に沿って、移動する形──船着場から離れるようにして。

 

『待ってフィオレ! いくらなんでも、無茶だよ……!』

 

 シャルティエの声は、ドラゴンがブレスを吐き出す音でかき消された。全力疾走でどうにか逃げるものの、あっという間に周囲の気温が下がっていく。

 しかし、あの場に留まり続けることはできなかった。

 陸地方面に逃げようものなら、それこそ船着場や民家、ひいてはリオンや兵士たちを巻き込んでしまう。

 目指すは、娘たちが行方不明になった現場だ。あの辺りなら、集落からそれなりに離れており、陸地に引き込むことが可能である。

 それまでにフィオレひとりで倒せればいいのだが……おそらく、無理だろう。

 船着場を離れ、先ほども通り過ぎた昼間の現場まで到達した。全力疾走を続けて、目的の場所に着いたとき力尽きても困る。

 体力配分のために少し速度を落とした、その時。

 水際が大きくうねったかと思うと、あの長い首が飛び出してきて、フィオレに襲いかかった。

 

「くっ!」

 

 前方へ体を投げ出し、転がる。

 それまでフィオレが走っていた場所にずらりと並んだ牙が迫り、そのまま地面へと突っ込んだ。それも驚くほど束の間、ドラゴンは何もなかったように地面から頭を引き抜いている。

 その痕は綺麗に抉れており、その口から大量の土砂がボタボタと垂れた。

 そして──吐き気がするほどの血臭がする。

 

「ソルブライト、カケラを!」

 

 そんな場合じゃないと思いつつ、月明かりに左手を差し出した。土砂に向かって光球を浮かべる。

 想像通り、その土砂は涎と、赤黒い液体にまみれていた。

 おそらくフィオレが昼間はなった一撃で、口の中がもうボロボロなのだろう。

 

『……レ……オノ、レ……!』

 

 光球に照らされた眼球は血走り、縦の虹彩がフィオレを睨んだ。

 完璧に逆恨みだと不条理を内心でぼやくものの、すぐに光球をその目にぶつけ、目くらましをかけてから戦術的撤退を再開する。

 しかし、口腔に特大の雷を叩き込んでも逆上するだけの相手に、果たして何が通じるのやら……

 浅瀬のすぐ向こうでは、ドラゴンがフィオレと平行して潜水をしている。

 今度はいつ飛びかかられるのやらとヒヤヒヤしながら、フィオレは目的の場所へ到達した。

 先ほども通った、ドラゴンが娘たちを襲いかかった現場である。

 そこは見通しのいい浅瀬が広がっており、ピクニックにちょうど良さそうな広場に面していた。昼間ともなれば、丈の低い草地が広がっているのがわかるだろう。

 フィオレが足を止めたのに気づいてか、ドラゴンはまたもや首による突撃を仕掛けてきた。

 昼間の二の舞とならないためか、巨大な口はしっかりと閉ざされている。

 どちらにせよ、距離的な関係で詠唱をする暇などない。フィオレは今度こそ陸地に向かって走り出した。

 捉えられないとわかってなのか、長首による突進は急停止している。

 この一瞬が、勝負でもあった。もしドラゴンが水中から出てくるのを躊躇すれば、その時間がそのままフィオレの詠唱時間となる。

 それに気付いたドラゴンが逃げるでもよし、意を決して陸地へ上がってくれば、いくらなんでも水中のように動き回ることはできないだろう。となれば、フィオレの唱えた譜術の餌食となるだけだ。

 闇が広がり大量の水がたゆたい、風が吹き荒れ足元に大地があるこの状況で、使える攻性譜術などもちろん限られるが。

 

『サ……カァ!!』

 

 大質量の何かが、湖面から這い上がるような水の音がする。構わず詠唱を続けようとして、月明かりが急に途切れた。

 反射的に天を仰げば、そこには件のドラゴンが、空中を舞っている。しかしそれは束の間のこと。

 見る見るうちに、その姿はフィオレの視界を覆い──

 巨体が大地を蹂躙した。

 着地の瞬間、破壊こそされなかったものの地震発生の如く、大地は震え上がる。

 すぐ傍にいたフィオレといえば、大地に走った衝撃云々以前に、着地直後発生した衝撃波によってなす術もなく吹き飛ばされた。

 視界がぐるぐると回転し、土や草の匂いが鼻につく。

 幸い投げ出された先が柔らかい草地だったから良かったものの、これが岩の乱立するような場所だったら、叩きつけられて即死だったかもしれない。

 それでも受身が取れなかったため、すぐには立ち上がれない。

 横たわったまま視線を巡らせた先にいたのは、自分で吹き飛ばしたフィオレを探すかのように首をさまよわせるドラゴンだった。それほど遠くないのだが、夜目はあまり効かないらしい。

 そこへ。

 

「いたぞ、あそこだ!」

「囲め!」

 

 急激に増える人の気配、ざわめき、鎧同士が重なり合って奏でる鋼の音。

 おそらく、騒ぎを聞きつけて七将軍たちが部下を引き連れ、集まってきたのだろう。

 しかし、人員を集めたところで何ができることやら……

 

「フィオレ!」

 

 丈の低い草を踏み荒らす、耳に心地のいい低音が彼女の名を呼ぶ。

 不思議と切羽詰って聞こえるその声の持ち主は、思いの他早く近くまで来ていた。

 

『いました、坊ちゃん!』

「どこだ?」

『もう少し東の……ってフィオレ、大丈夫!?』

『……ええ。何とか生きています』

 

 どうにか動くようになった体を起こせば、そこにリオンが駆け寄ってくる。

 立ち上がった際の立ちくらみをこらえていると、彼は自分の小物入れからグミを取り出した。

 

「……どうにか、陸地に上げたのはいいんですけど、水面からいきなり跳んできましてね。吹き飛ばされました……」

「そんなものは見ればわかる、損傷は?」

「戦えます、ご安心を」

 

 手渡されたグミを、少しの逡巡を経て口に放り込む。

 甘酸っぱいアップルグミの味が口に広がるものの、それだけだった。

 フィオレの体に毒は効かない。それは同時に薬も効かないということであり、グミやボトル系の治癒もフィオレの体はまったく反応しないのだ。

 それは、どうやらここでも同じらしい。

 一息ついて、戦場を見やる。そこでは兵士に囲まれたドラゴンが、唸り声を上げながら体全体で暴れていた。

 巨体のせいで身動きこそ取れないが、ひれ状の前足や後ろ足、そして首に尻尾を振り回しているため、兵士はまるで人形のように放り投げられている。

 それをかいくぐり、巨大な鱗の間に剣やら穂先やらを刺しているのだが……あまり効果が上がっているようには見えなかった。

 

「とにかく僕たちも行くぞ」

「……戦士よ勇壮たれ。鼓舞するは勇ましき魂の選び手」

「?」

 

 打つ手もないのに、突撃してどうするというのだろう。

 フィオレとしては試してみたい手があるのだが、それは後でも伝えられのだ。

 今は先に、死傷者を少しでも減らす策を取るべきである。

 

 ♪ Va Rey Ze Toe, Nu Toe Luo Toe Qlor──

 

 凛としたフィオレの歌声が阿鼻叫喚の戦場に涼やかな風を送り込んだ。それは比喩でも何でもなく、兵士の一人一人を優しく包む。

【第三音素譜歌】戦乙女の聖歌(バルキリーズ・ホーリーソング)──風の盾を対象にまとわせて身体能力の上昇を見込むものだ。

 かなり広範囲に設定したため、効果そのものはごくごく軽微なものではあるが、ないよりはマシである。

 レンズの力を通したからなのか、第三音素(サードフォニム)が豊富に漂っていたからなのか。本来効果範囲をいじれば体への負担が大きいはずの譜歌を使っても、これといった疲労は感じられなかった。

 もちろんフィオレにも、リオンにも、風の加護は降りている。

 

「今のは……」

「おまじないです。行くのは構いませんが、彼らと同じように鱗の下を攻撃しますか? 何の策もないなら、ちょっと試したいことがあります。協力してください」

 

 リオンの耳元に口を近づけ、作戦を囁く。何も言わず聞き終えて、彼は疑わしげにフィオレを見た。

 先ほどの譜歌が影響しているのか否かは、定かでない。

 

「水棲のドラゴンなんだぞ、本当にそんなものが通用するのか!?」

「さあ。ダメならダメでいいです。弱点がわからないのですから、色々やってみましょう」

 

 それもそうだと思ったのか、彼はあっさり作戦への協力を承諾してくれた。

 四方八方から、鱗の下の肉に槍や剣を突き刺されて、ドラゴンは狂乱状態へと陥っている。

 あの巨体からすれば人間の剣も槍も針のようなものだが、人とて針を何本も刺されたら痛い。

 その疼くような痛みを想像しないようにしながら、兵士たちの視界確保のために立てられたであろう、篝火に近寄った。

 すぐ傍には、大将軍に待機を命じられたのだろうか。ミライナ将軍が歯噛みしながらも、戦況を見ている。

 彼女はフィオレの姿を認めるなり、目を見開いた。

 

「そなた、無事であったか!」

「ええこの通り。ちょっと失礼しますね、確認したいことがあるんです」

 

 誰が落としたものか、戦場に転がっていた槍を拾って携えていたフィオレは、石突を篝火にくべた。

 木製の石突は、簡単に炎を宿している。

 それを高々と掲げ、フィオレは暴れるドラゴンへ注意を払いながらも駆け寄った。

 後ろの足付近には、今ちょうど振り払われたために誰もいない。そこを狙って、フィオレは燃え盛る石突を鱗に押し付けた。

 直後。

 

『グギャアアッ!』

 

 鮮明な悲鳴が、フィオレの脳裏に突き刺さる。奮闘していた兵士らも頭を抱えて動きを止めるものの、ホーリーソングの加護か、誰一人として倒れない。

 今の悲鳴から考えられるのは、水棲のドラゴンだけに、鱗が乾くのは苦痛なのではないか、という推測だ。

 石突をそのまま鱗に押し続けていると、不意に鱗が発火する。慌てたように後ろ足が蠢き、鱗の発火はあっけなく鎮火された。

 しかし今までいいように吹き飛ばされていた兵士が、初めて見たドラゴンへの有効打を真似しない手はなく。

 彼らは自発的に篝火へと殺到した。

 

「火をくれ! あいつに一泡吹かせてやる!」

「慌てるな、今松明を……」

「──の敵討ちだ!」

 

 もう死んでしまった人間がいるのだろうか。

 一時は大混乱に陥った篝火周辺だったが、ミライナ将軍並びに駆けつけた七将軍たちの奮闘でどうにか収拾はつき、更にリオンが集めてきた量産型の槍が即席の松明に姿を変えていく。

 

「奴の鱗に松明を押し付けろ! あの鱗は発火しやすいようだ、あのドラゴンを火葬してやれ!」

「間違っても味方に押し付けるんじゃないぞ!」

 

 ドライデン将軍の重厚な指示がはやる兵士たちに軍隊の団結を思い出させ、フィンレイの軽口が彼らにある程度の余裕を与えている。

 そんな彼らを横に、フィオレは支給された松明片手にドラゴンを見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 夜更けへと移行する時間の中、ドラゴンは苦痛の中でのた打ち回っていた。

 大将軍の号令のもと、動ける兵士たちが一斉にドラゴンへ松明を押し付けたのである。

 手足を、首を尻尾を振り回し暴れるも、兵士たちは怯むことなく松明を押し付け、手放したり炎を消してしまったところで新たな松明を、火の補充へと走っている。

 王国軍優勢の戦場から少し離れた場所で、フィオレは手にしていた松明を地面へ突き刺した。

 左手を揺らめく炎ぎりぎりのところにかざし、レンズを使って第五音素(フィフスフォニム)を収束させていく。炎の中に手をいれることができるほど、フィオレは我慢強くない。

 左手が炎を掴んでいないせいか、第五音素(フィフスフォニム)収束は随分時間がかかった。これでようやくあの術を発動できるか、と思った次の瞬間。

 

「よせ!」

 

 横合いからなぜか制止の声が聞こえたかと思うと、松明を思い切り蹴飛ばされた。

 それだけならまだよかったのだが、炎に掲げていた左手が勢いよく取り上げられている。

 驚きから集中力を欠いたレンズから、あっという間に第五音素(フィフスフォニム)は霧散した。

 

「……」

 

 まだまだ修行が足りない、と思いつつ、左手首を握る少年を目に映す。

 彼は眦を吊り上げてフィオレに怒鳴りつけた。

 

「姿が見えないと思ったら、何をしているんだ貴様は!」

「……」

 

 おそらくリオンには、フィオレが左手を燃え盛る炎の中へ入れようとしていたか、あるいは自分の手を炙っているように見えたのだろう。

 事情を説明していないのだから、仕方ない。彼の行動は、責められない。

 それはいいとして、どうすれば怪しまれずに譜術が使えないかを考えて──

 

「聞いているのか!」

「いいえ。それよりちょっと、黙っててくれます?」

 

 掴まれている左手を捻って、リオンの手を外させる。

 どうせ彼からはもともと怪しまれているのだ。ちょっとくらいその怪しさが増えたところで、彼に何ができるでもない。この際気にしないことにした。

 転がった松明は、即席のものであるが故に鎮火してしまっている。

 フィオレは懐の小袋から小さな輝石を取り出した。

 以前、噴水で行ったことと同じように、炎から小石を核にして作ったハイランドルビーもどき──第五音素(フィフスフォニム)「火」の属性を宿した鉱石である。

 あれからアクアサファイヤもどきも同様に石ころに戻る気配はないが、果たして本当に使えるのか。実験してみることにした。

 左手でハイランドルビーもどきを握り、先ほどと同じように第五音素(フィフスフォニム)を集めていく。すると、先ほどよりは遥かに早く発動に必要なだけの晶力が集まった。

 これからは、ハイランドルビーもどきのみならず、各属性を宿した石を大量にストックしておいた方がいいのかもしれない。

 

「炎帝に仕えし汝の吐息は、たぎる溶岩の灼熱を越え、かくて全てを滅ぼさん──サラマンド・フィアフルフレア!」

 

 視線の先には、鱗を次々と焼かれて苦悶と共に暴れ狂うドラゴンの姿がある。

 そんな中、展開した譜陣が体中を焦げ付かせたドラゴンを取り巻いた。

 地面から吹き出した灼熱がドラゴンを蒸し焼き、更に発生した火焔の柱が渦となってその断末魔をもかき消している。

 問題は味方識別のされていない兵士たちだが、彼らは譜陣が発生した時点で驚いて身を引いているし、対象をあのドラゴン限定にしておいたのだ。よほど運が悪くなければ、巻き込まれはしないだろう。

 やがて火炎の竜巻は、唐突に鎮火した。後に残ったのは、鱗をすべて焼き払われ、カラカラになったドラゴンの骸である。

 そして骸は最期の命の輝きであるかのように発光し、その場に大量のレンズを出現させた。

 レンズの出現は、魔物の命が尽きた証である。

 初めは戸惑っていた兵士たちも、それを見て勝利の確信が広がっていき、最終的には大喝采へと発展した。

 それに水を差さない程度に将軍たちが浮き足立つ兵士たちをまとめていく。その最中で、リオンはちらりとフィオレをみやった。

 

「……今のは」

「手品です」

 

 臆面もなく、フィオレはそう言い切っている。

 渋い顔をしているリオンに、フィオレはにやっと笑いかけた。

 

「怖くなりましたか?」

 

 彼が普通の少年ならば、そろそろ胡散臭さを通り越して恐怖を覚える頃だろう。巨大なドラゴンに決定打を与えたのは、まぎれもなくフィオレ本人なのだから。

 しかし彼は、様々な意味において普通の少年とは一線を画していた。

 

「……誰が。言っておくが、脅えさせてうやむやにしようとしても無駄だからな」

「それは残念です。思い切り怖がっていただければ、それだけ解雇が早まると思っていただけに」

「ふん。いつかその化けの皮を剥いでやる。覚悟しておけ」

「精々実行されないことを祈りますよ」

 

 軽口を叩きあいながら、フィオレは怪我人を一箇所に集めているスペースへと歩みを進める。

 そこでは勝利の余韻もそこそこ、衛生兵たちが総出で怪我人の治療に当たっていた。

 不幸にもドラゴンに踏まれ、どうにか息をしている者、ブレスを受けたのか体中に霜を宿して、呼びかけに答えてはいるもののすでに虫の息の人間など、重篤状態と診断されてか放置されている。

 軍隊の常として、助けられる者から助けるのが鉄則ではあるが、これではダリルシェイドまで戻るのに相当の人間が死体担ぎに借り出されるだろう。

 ひょっとしたらフィオレも手伝わねばいけないかもしれない。そんなのは、お断りだった。

 転がっていた一抱えもあるたらいを拾い、その中になみなみと湖の水を満たしていく。

 その桶を重体者グループの前へ持っていき、フィオレは彼らに背を向けた状態で、たらいの水面に触れた。

 

「命よ健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze, Rey Va Ze Rey──

 

 譜陣の展開する気配、それに伴う背後のどよめき。

 ちらりと見やれば、それまで呻くこともできなかった重体者たちが不思議そうに続々と起き上がった。

 それまで眼を真っ赤にしていた自分たちの友人を、きょとんとした目で見つめている。その間が抜けた顔といったら、ない。

 フィオレはクツクツと忍び笑いを洩らしながら、速やかに空っぽのたらいを放置してドラゴンの骸のもとへと歩いていった。

 レンズが散らばる中、一際異彩を放つものが転がっていることに気付いたからだ。

 蒼く柔らかな質感を持つ鉱石らしきもの、である。拾い上げてみると涼しげな見た目に反して、どこか温かな感触だった。

 その手触りが気に入り、片手で転がしながらひょいと振り向く。

 彼女のすぐ背後には、リオンが片手を伸ばした状態で固まっていた。

 

「何です? その手」

「……お前、今度はどんな手品を使ったんだ? 虫の息だった連中が次々起き上がって、ちょっとした騒ぎになっているんだが」

「発生した珍現象すべての根源にされても困ります」

 

 暗に自分のせいではない、と主張して否定しているように聞こえるが、実際のところ彼女は虚言を吐いていない。

 

「まあいい。さっき大将軍殿から撤収命令が出た。詰め所に戻るぞ」

「後始末の手伝いはしなくていいんですか?」

「残る仕事はほとんど力仕事だからな。業腹だが、僕たちでは役に立たん」

「なるほど。夜はきちんと寝ないと、背が伸びないことを心配されたわけではないんですね」

 

 フィオレとしては、リオンの背丈のことを揶揄して言った一言だったのだが……彼は想像以上に食いついてきた。

 

「何!? そ、そうなのか?」

「……」

『坊ちゃん……反応が良すぎてフィオレが引いてますよ』

 

 持っていた鉱石をポケットに押し込み、作業の邪魔になる前に歩き出す。

 リオンがそれに応じたことを確認して、フィオレは顎に指を当てながらその質問に答えた。

 

「バランスよく栄養取ることももちろん大事ですけれどもね。『寝る子は育つ』という言葉があるように、肉体的な成長において背丈を伸ばすなら、眠っている間に分泌される物質が必要不可欠なんですよ」

「つまりたくさん眠ればいいということか?」

「いいえ。健康的にしっかりと睡眠を取るのが大切なんです。ただ睡眠時間が長ければそれでいいという問題ではありません。あとは……遺伝子の問題ですね」

『だからなんでそんなこと知ってるの』

「知識の塔で人体の構造に関する書物を読み漁りましたからね。記憶障害に関連した資料はないかと……結局参考になるものは皆無でしたが」

『人体の構造じゃあ、無理な気がするけどね。せめて精神の構造とか』

「真っ先に当たりました。でも眉唾なものが多かったから読破は断念したんです。様々な知識に触れたほうが、何がきっかけになるかわかりませんし」

『なるほどねー。だから、変な雑学とか知ってるんだ』

 

 死闘の余韻残る慌しい現場を尻目に、二人と一本は帰路に赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 固い床が、頬に当たって冷たい。フィオレが眼を開けると、窓の外は黎明の光に満ち溢れていた。

 むくりと体を起こせば、そこが集会所二階に据えられた仮眠室であることを思い出す。

 軍隊であるが故に女性の数は少ない。それが仮眠室の使用が許される将校ともなると本当に一握りではあるが、それでも皆無というわけではなかった。

 そのため二階にある広間を衝立で区切り、区分けはされているが人数分の毛布が置いてあるだけと待遇は同じである。

 無論寝心地など期待できるはずもなく、フィオレは早々に眼を醒ましたわけだが、周囲の人間たちはそうでもない。

 ミライナ将軍を始めとする見知らぬ女性将校たちは、それぞれ穏やかな寝息を立てて眠っている。

 そんな彼女たちを起こさないように部屋を出て、フィオレは集会所の外へと出た。何のことはない。顔を洗いたいだけである。

 当初は湖まで行こうとしていたのだが、その途中で人影を見つけた。

 人影は愛用らしい大剣を掲げ、素振りを繰り返している。朝稽古か何かだろうか。

 やがてその人物は、通りがかったフィオレを見つけて素振りを止めた。

 

「おはようございます、フィンレイ将軍。精が出ますね」

 

 会釈して通過しようとしたところで、フィンレイが首にかけた手布で汗を拭う。

 

「おはよう。散歩かい?」

「ちょっとそこまで、顔を洗ってこようかと」

 

 ちょい、と湖を指し示せば、彼は小さく眉を跳ね上げて、ある一点を差した。

 

「あちらに井戸がある。そっちを使うといい」

 

 内心で思うことがなかったわけでもないが、礼を言って素直に井戸へと近寄る。

 釣瓶を使って井戸の清水を汲み上げていると、大剣を鞘に収めたフィンレイが近寄ってきた。

 

「……手合わせの時から、気になっていたのだが」

 

 顔を洗うとなれば、当然フィオレは眼帯を外す。

 中身が気になるのかと、わずらわしげにしていたフィオレだったが、彼を見やってそれが被害妄想じみた思い込みであることを知った。

 フィンレイは、フィオレに対して無防備に背を向けている。

 

「私は君が片目で戦っているとはどうしても思えない。その目は、本当に使っていないのか?」

「いいえ、そんなことはありません」

 

 フィンレイが背を向けているのをいいことに、フィオレは手甲を、そして眼帯を外した。

 白布で作った眼帯には目立たないが無数の穴を開けてあるため、実はまったく見えていないわけではない。そして、本当に必要な時はシルフィスティアに頼んで、死角のカバーを頼むこともある。

 本当の達人は心眼というものを持ち、盲いていても常人と変わらぬ、あるいは常人以上の立ち居振る舞いを可能とするらしいが。フィオレはまだ、その域には至っていなかった。

 

「やはりか」

「ところで本日はどうなさるんです? ドラゴンがあの一体とは限らないから、湖の捜索にでも出ますか?」

「それは調査隊の仕事だ。ただ、村人たちの証言から元凶はあのドラゴンで間違いないらしい。念のため調査隊には残ってもらい、我々は帰還する。もう少ししたら、皆にもそれを伝えるつもりだ」

「そうですか。わかりました」

 

 手早く顔を洗い、持参した厚手の布で水分を拭ってから眼帯を身につける。

 中指の付け根で手甲を固定し、軽く伸びをして、肩を回して、屈伸、柔軟をした後。未だに背中を向けて突っ立ったままのフィンレイに声をかけた。

 

「お水が要り用なら汲みましょうか」

「いや……ここへ来る途中、アシュレイとアスクスを見なかっただろうか」

「どなたもお見かけしておりません。お約束でも?」

「いい機会だから朝稽古を、と頼まれたのだが。来る気配がなくてな……」

「ああ、そうでしたか。では、お二人が来られるまで軽く手合わせでもします? この後朝稽古するつもりだったので、丁度いいといえばいいのですけれど」

 

 それを聞いた途端。フィンレイは勢いよく振り向いた。

 待ちぼうけをくらっていたからか。先程までの、かすかな不機嫌さを滲ませていた朝特有の茫洋さが綺麗に失せて、意外そうにフィオレを見ている。どこか楽しげに見えるのは、気のせいだろうか。

 

「──いいのかい?」

「質問の意味が分かりかねます。大将軍であるあなたに手合わせを申し入れるのは、上司にお伺いを立てねばならないことですか?」

「いいや、そんなことはない。君にその気があるのなら、是非に」

 

 最早隠しもしない、獰猛にして好戦的な笑みを前にして、フィオレはふぅ、と軽く息をついた。

 

「腕試しの時になんかにやにや笑ってると思ったら。やっぱり楽しんでおいででしたね」

「バレてしまったか。この立場にいると、なかなか全力を奮う機会がなくてね」

「左様でございますか。双方怪我のないよう、お手柔らかにお願いしますね」

 

 鬱憤晴らしか、そうでないのか、ちょっと測りかねるが。運動ではなくて、修練するなら丁度いい。

 滑らかに抜き放たれた大剣を前に、フィオレもまた抜刀する。

 朝特有の清冽な大気を深く取り込んで、研ぎ澄ませた集中を束ね、踏み込む──

 

 

 

 

 

 

「兄さん! 遅くなってごめん!」

「すいません、フィンレイさん。アシュレイがなかなか起きなくて……」

 

 フィンレイの弟アシュレイに、アスクス。武器を携えた二人が現れたのは、それからしばらく経ってからのことである。

 

「あっ、お早うございます、お二方「隙あり!」

 

 走ってきた二人に気づいて声をかけるフィオレ。その余所見をしているフィオレに、嬉々として大剣を振りかざすフィンレイ。

 二人が見たのはそんな光景だった。

 空気を切り裂き、勢いよく迫る大剣を危なげなく捌ききる。そして軽く距離を取ったフィオレは、あっさり納刀していた。

 それを見てフィンレイは、いかにも不機嫌そうに鼻を鳴らしている。

 

「お二方、いらっしゃいましたよ」

「……ああ」

「お手合わせ、ありがとうございました。それでは、私はこれで「よければまた、手合わせ願えないだろうか」

 

 乱れた息を深呼吸で整え、額の汗を拭って去ろうとするフィオレを引き止めるように。渋面のフィンレイはそう尋ねていた。

 それを聞いた二人は、驚くしかない。

 

「「!」」

「お手合わせくらいならいつでも、と言いたいところではありますが。私の都合やスケジュールを管理しているのはヒューゴ様なので、都合のよろしい時、アポイント取って貰えますか?」

「わかった。打診してみよう」

「では、失礼します」

 

 くるりと踵を返して、すれ違い様に二人にも会釈をし。雪色の髪をなびかせて、昨日着任したばかりの客員剣士見習いは集会所へと戻って行った。

 

「二人とも」

「ご、ごめん、兄さん」

「……まったくだ。もう少し、遅れてもよかったんだぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。