なお「コンタミネーション」の詳細につきましては「The abyss of despair」二十唱参照です。
読むのが面倒な方は、「何らかの方法で複数武器を体の表層に収納している」と認識してください。
鬱蒼と茂る森の中。怖気の走るような悲鳴が木霊する。
断末魔に眉ひとつ動かすことなく、フィオレは己の手をしげしげと見つめた。
その手に握られているのは、三本の棒手裏剣である。
とある秘術で彼女が常に持ち歩いていた、得物のひとつだ。
「……どうして、使えるんだろう」
この秘術──コンタミネーション現象を利用した融合術──某若年寄はすまし顔で多用していたが、実際は凄まじく難易度が高い。
普通の人間が試みれば、拒絶反応を起こして精神崩壊しかねないほど、危険な代物である。フィオレなどは、もともと施してあった特殊な刺青で身体を強化して、ようやく使用可能だったものだ。
それが今は、当たり前のように使える。
手の中の棒手裏剣を収納し、傍に落としておいた剣を拾い上げた。
それは、乾いた血の色を有する魔剣である。鍔の部位には緋色の宝石がはめ込まれているが、お世辞にも宝剣には見えない。それ自体が呪いを孕んでいるかのように、見る者を威圧する光を放っている。刀身の切っ先は斧刃を背中合わせにしたような形状で、なんとも禍々しい存在であった。
その不気味さに比例して、優れた譜術武器であると同時に──剣とは思えない威力を有する。具体的に例を挙げるなら、この剣は鋼鉄すら真っ二つにしてしまうのだから。ちなみにフィオレは、この剣で斬れなかったものを記憶していない。
物騒な剣もまた収納する彼女の眼前には、数頭の魔物が事切れていた。
どこからともなく岩石を調達してきては投げつけるという大猿型の魔物。全長は子供ほどで、傘の下ではなく口に見える器官を有してそこから胞子を吐き出すという面妖な茸型の魔物。単なる凶暴な巨大虫など。
種々様々ではあるがそれもけして強敵というわけではない。
彼女がフィリアに発見されてから、七日がたつ。
出血量のわりに傷自体がそれほど深くはなかったフィオレは、体力を回復させるという名目のもと、散策をしていた。その最中、魔物との交戦と相成ったのだが。
事切れていた魔物の体が光り、ちゃりんちゃりんと何かが転がる音が聞こえる。
音源へ眼をやれば、魔物たちの見目はそれぞれ大型の猿、巨大なだけの茸、やはり巨大なだけの昆虫へと変化していた。その傍らには、少額のガルドと数枚の何かが転がっている。
ガルドを小袋へ突っ込み、フィオレはそれを拾い上げた。
現在フィオレが、何故か左手の甲に張り付けている物体──レンズと呼ばれるものと形は酷似しているが、無色透明だ。
魔物がガルドや、時折所持していた物品を落とす。これはフィオレにとっても珍しいことではないが、その後息絶えた魔物が
しかし彼女は混乱することもなく、ぽつりと呟いた。
「……夢じゃ、ないんだよね」
──七日もたてば、環境の激変に気づかぬはずもない。
己の肉体のあまりの変わりように混乱したフィオレを再び戸惑わせたのは、救護室の壁にかかっていた、暦表だった。
否、まずフィオレは、それが暦表だと理解しておらず、『あれはなんですか』と救護室の人間に尋ねて度肝を抜いている。
記憶喪失、ということで理解はされたが、それが何なのか教えてもらって、今度はフィオレが度肝を抜かれていた。
フィオレの知る暦表は、すべてフォニスコモンマルキス、という文字で構成されている。
壁にかけられていたそれが──何だかよくわからない記号で埋められているそれを、まさか暦表だとは思っていなかった。
驚いたのはそれだけではない。
その暦に記されていたひとつの月に換算される日数が、異常に少なかった。
誰もいないときを狙って、月ごとに区分けされているらしい暦表をぺらぺらめくったことがある。だが、どの月も日付が半分程度しかなく、やはりフィオレの読める文字が存在しない。
ここで彼女は恐ろしく稚拙な仮説を打ち立てた。
まさか自分のいるこの場は、俗に異世界と呼ばれる地ではないかと。
世界樹ユグドラシルがその巨大な幹に生やす無数の枝、その中に存在する自分が生を受けた一本の枝から、違う枝へ移動してしまったのではないか──
無論、世界樹ユグドラシルというものが本当に存在しているかどうかは知らない。ただ、世界の在り方についてそんな仮説があるのを、どこかで耳に挟んだだけだ。
普段なら、ちらりと思考をかすめても、そんな馬鹿なと一笑に付するだけ。
だが、文字や暦の在り方が違うというのも尋常ならざる事態だ。
ここが異世界でないか。そんな疑惑は、時が経つにつれ彼女の中で次第に認めがたい事実へと変貌していく。
記憶喪失と勘違いされていることをいいことに、フィオレは何かと自分に気をかけてくれるフィリアに様々な知識の教授を申しこんだ。
文字の読み書きを初めとする、主に日常生活に必要な知識。その中には、ガルドのこと、魔物のこと、レンズのこと、レンズに関する様々な事柄。果ては千年前に起きたという天地戦争、なるものから、アタモニ神のことまで。
現在知識の方は、日常生活を送るに支障がないほど、身についている。
しかし、文字の読み書きはそうそう簡単に覚えられるものではなく、現在は子供向けの本をどうにか朗読できるようになった有様だ。わからないことばかりではあるが、戸惑ってばかりはいられない。
まずは、目の前の問題に集中するべきである。
「やっぱり、普通の武器が欲しいなぁ」
再び小道を歩き出して、希望が唇から漏れる。
黒塗りの短刀や手裏剣各種、譜術媒体にもなる魔剣と、武器に困っているわけではない。
ただ、短刀を除く三種は人前で使うのに支障がある。何せ、何もない場所からいきなり武器が現れるのだ。
一応の言い訳というか理由付けは考えてあるが、やはりここは使い慣れた片刃剣……できれば刀タイプの武器が欲しい。
歩きながら考えていた矢先、首筋にちりっ、とした感覚を覚えて、立ち止まる。
がさがさっ、と茂みが割れた。
現れたのは──
「なんだ人間か」
「なんだとはご挨拶だな。お嬢ちゃん」
瞬く間にフィオレを取り囲んだのは、いずれも一般人からかけ離れた面相、風体、ついでに雰囲気をかね合わせた男たちである。
現在、フィオレの見た目はほぼ丸腰だ。仮にではあるが、神殿に属している者としてストレイローブとかいう制服を身にまとっている。
彼ら野盗にしてみれば、格好の獲物だろう。
思わず本音が零れ出た唇を戒めるように撫で、フィオレは猫かぶり──常時敬語の状態へと移行した。
「何か御用ですか?」
「おお、御用だとも。ちぃーっとばかり大人しくしてくれりゃあ、悪いようにはしないぜ」
目の前を塞ぐ男の視線が、フィオレの顔を、体をじろじろと眺め回す。
今、フィオレは目に異常ありということにして眼帯をしていた。しかし、彼らがそれを気にしている様子はない。
ふと、何気なく男の手が動く。
目ざとくそれを見つけたフィオレは、反射的に背後へ裏拳を見舞った。
「おぶっ!」
確かな手ごたえと共に、フィオレの背後へ迫っていた男が仰向けに倒れていく。
顔面を押さえて悶絶しているあたり、狙った場所へばっちり決まったのだろう。
男たちは途端に色めき立った。
「てめえ、何しやがる!」
「そのままそっくり返します。人の背後に立って鼻息荒げられちゃ、誰だって一撃見舞いたくなりますよ」
しれっ、とした顔で宣うフィオレに、眼前の男は早くも本性をむき出しにしている。
「ちっ……! 人が穏便にさらってやろうと優しくしてやりゃ、舐めやがって! お前ら、このアマを捕まえろ!」
さらうに穏便もくそもあるか。
闇雲に掴みかかってくる男たちを冷静に捌きながら、フィオレはふと思いついた。
ダメでもともとである。これで失敗したならば、もう使うのはやめるつもりだった。
「其の荒ぶる心に、安らかな深淵を」
♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──
あの時失敗して以降、使っていなかった譜歌を謡う。
「なぁんだそりゃ!? 新手の念仏か何かか!?」
などと、相手に罵倒されることを覚悟で謡ったのだが。
「う……」
「なぁんだ、こりゃ……」
野盗どもは、あっさりと深淵へ突き落とされた。
仲良く折り重なって豪快ないびきを披露する彼らを見下ろすも、フィオレとしては複雑な気持ちを抑えられない。
「……つかえ、た?」
思わず周囲を見回すも、何もない。
あの時と変わっていることといえば、場所と体調と使った譜歌の種類──
「!」
唐突に、フィオレの中で仮説が打ち立てられる。
周囲は鬱蒼と茂った木々が立ち並んでいるのだ。つまり、昼だというのに薄暗い。そして今使ったのは、
まさか──
今すぐに試してみたい衝動に駆られつつも、野盗たちを放置して近くにあった荷車を物色する。
商隊でも襲ったのか、元々彼らの仕事道具なのか、様々なものが積まれた荷車から荒縄を取り出し、彼らの捕縛に尽力をつくした。
その上でダークボトルを探し出し、地面に叩きつけて全力で走り去る。
この世界で人殺しがどのように扱われるのかわからない今、安易に人間を手にかけるわけにはいかない。さりとて、放っておくこともできない。
ガルドといい、こういった道具といい。なぜか、世界には彼女の知る物も多々存在している。
今の状況に整理がついたら、異世界の存在について研究してみるのも面白いかもしれない。
むさ苦しい悲鳴を背に受けながら、フィオレはそんなことを考えていた。