時期的にはカルバレイスから戻ってきてしばらくしてからの出来事です。
今回は番外編にして、ちょっぴり不穏な話。
ある日のこと。
「どちらさま、ですか?」
謁見の間、という場所を考慮しての、できるだけ穏便に言ったつもりだった。
しかし、周囲は彼女の意に反して困惑を隠していない。
「そんな……どうしてっ、そんなことを言うの!?」
その中で、最も戸惑いをあらわとしたのはフィオレの眼前に佇む女性だった。
年の頃は中年に差しかかった頃か。あまり慣れているようには見えない化粧に、登城しているということもあってなのか、きらびやかに着飾った正装が何とも言いがたい。
フィオレの発言で、明らかに取り乱したらしい婦人の肩を支えたのは男性だった。ただし、その言動からして婦人の夫ではない。
「落ち着いてください。彼女は記憶を失っているのですよ」
そう言って婦人を落ち着かせたのは、二十代半ばと思われる青年だった。こちらは婦人と違って、堅苦しい正装をきちんと着こなしている。
幼少より英才教育を受けた貴族なのだろうか。女性に対する作法やささやかな立ち居振る舞いを見ても、違和感はない。
一方で、婦人はどこか足捌きがたどたどしかった。あまりこういった場に慣れていないのか、出なくなって久しいのか。特に無作法というわけではないのだが、隣の青年と比較すれば間違いなく礼儀は悪い。
謁見の間に喚び出され、思い起こすもおぞましい言葉を聞かされたフィオレは、唐突に現われた二人をとりあえず観察した。
「ふむ……フィオレンシアは、そこな婦人に覚えはないということか」
玉座からの声に振り返れば、セインガルド国王は渋い顔でフィオレを──否、フィオレの後ろに佇む、婦人の傍の男性を見やっている。
「本人はこう申しているが、そのあたりはどうだ? ジェイル卿よ」
「陛下。ただいま申し上げましたように、彼女は記憶障害を負っている身。──の顔に覚えがないのも、致したかのないことでしょう」
国王の疑惑の声を、ジェイル卿と呼ばれた青年はにこやかに切り返した。
「今一度申し上げましょう。ここにおわすご婦人は、フィオレンシア・ネビリムと名乗る本名ユナ・オーエンの実母です。それは二人の髪の色が証明しています」
──フィオレンシアよ。お主の母だと名乗る者が現われた。記憶にはないかも知れぬが、真偽がつかぬ以上無碍に追い返すわけにはいかん。会ってみてやってくれ。
思い返すもおぞましい言葉が、意に反して脳内で繰り返される。
こみ上げてきた吐き気に耐えながら、フィオレは再び、婦人と向き直った。
「ああ、懐かしいわ……」
確かに婦人の髪色は、フィオレのものと大幅に似通っている。
ただ、目鼻立ちや身長、体格に共通点はなく──うっすらと浮かべている涙の奥の瞳は薄い茶。
似通るのは髪の色しかない、と言い換えたほうが正しい。
「そうは言うがな。どこの世界に、実の母に対してどちらさまかと尋ねる娘がおるのだ」
「記憶喪失の者が身内に対してそのような発言をすることは珍しくありません。やはり、忘れているのでしょう」
「さあ、お母さんにもっと顔を見せて頂戴」
国王陛下とジェイル卿とやらの話を他所に、婦人はふらふらと、どこか不思議な足取りでフィオレに迫った。
泣き笑いのようでありながら、その瞳はどこか泳いでいる。
そのまま抱きつこうとしたらしい婦人を、フィオレは後退るようにして避けた。
未だ名前もわからない彼女は、悲しそうな、あるいは恨めしそうな目でフィオレを見つめている。
「それに……儂にはどうしても、その者とフィオレンシアの間に血脈があるとは思えぬ。かかわりがあるのは髪色のみではないか」
「ですが、トンビが鷹を産むということもございます。陛下もご存知でしょう、娘はえてして父親似であることを」
「だが、そのご婦人の夫……フィオレンシアの父にあたる人物は見当たらぬようだが」
「夫は、亡くなりました。数年前に、病で……」
自分の父が、数年前に、病で?
悲しみに押しつぶされるように、その場に崩れかけた婦人だったが、フィオレは何もせずその光景を眺めていた。
「……そんな平和な死に方じゃない」
口の中に消えていったその呟きを、フィオレ以外の誰が聞き取れようか。
一度として父と呼ぶことはなかった、血筋だけの父は、ずいぶん前に殺された。
戦争の勝利の証に、その御首と愛剣を奪われて。
その光景をフィオレ自身は見ていないが、そう聞かされたときの祖父の顔は忘れない。
到底、忘れられるものではない。
「フィオレンシアくん……いや、ユナくん。君の気持ちはわかるよ、突然母親が現われたって誰だかわからないし、混乱もしてるよね? 今すぐ彼女を母親だとは思わなくていい、これから少しずつ互いを知り合って、いつか思い出せることができれば……」
再び婦人を助け起こしたジェイル卿と呼ばれた青年が、フィオレに向かってそんなことをつらつらと語る。
そのためには彼女を庇護する自分の屋敷に何たらかんたら、その際には是非自分との交際を云々かんぬん言っているが、初めからフィオレはその意味を汲み取っていない。
何故なら彼は「ユナ・オーエン」に言っているのであって、「フィオレンシア・ネビリム」に言ってはいないのだから。その言葉を聞く意味などない。
「──どうだい?」
ジェイル卿の声が聞こえなくなって、フィオレは初めて息をついた。
早く、この不愉快な気分を払いたい。
「陛下。用件とは、この件だけでございますか?」
「う……うむ。その通りだが」
「それでしたら失礼いたします」
玉座の国王に一礼し、唖然とする周囲には目もくれず、きびすを返す。
そのまま呆然と見送ってくれるかと思いきや、そうはいかないらしい。
「待って、ユナ! あなたは忘れているだけなの、あなたは私の娘なのよ!」
私の、娘。
その言葉を聞いて、フィオレは思わず立ち止まった。
無視を貫くべきだったと思っても、もう遅い。思いの他、自分が出した声は掠れていた。
「……十七人目」
「え?」
「あなたで、十七人目です。私の身内であると、名乗り出た人間は」
──そう。これまでフィオレが記憶喪失であることを知り、それにつけこむように身内を騙った人間がいなかったわけではない。
超有名企業の総帥に見込まれ、世話を受けているだけならばともかく、あれよあれよという間に見習いとはいえ客員剣士として平然とセインガルド城へ招かれる身分にいるのだから。
そんな人間を身内として迎えることができれば、そのお零れを頂戴できるのでは……
「もしも」という僅かな可能性にかけて、つまらない騙りをしでかした人間たちを、フィオレはうんざりしながらも退けてきた。
それがここ最近、急激に増えつつある。だが、このジェイル卿とやらのように国王の目の前で感動の再会を仕組む輩はいなかった。
それだけ事実である自信があったのか、それとも国王の御前を通すことによって、一刻も早く既成事実化させたかったのか。そんなことは知ったことではない。
「自分は父親だ、母親だ、兄弟だ、姉妹だ……果ては、恋人とか婚約者とか、そんな騙りの言葉はもう聞きたくありません。お気の毒ですが、私はあなたの娘さんではないです」
「か、騙りだなんて酷いわ! 私は、本当に……」
「本当に? 何ですか?」
情に訴えられてどうにかなることではない。
冷たい眼差しで続きを促された婦人は、瞳を潤ませながらも言葉を続けた。
「嘘ではないわ。証拠はその目……私の娘は幼い頃に、右の目に怪我をしたの。以後、あの子は、ユナはその目を隠すようになったわ。そのことで随分いじめられて、男の子のように剣を持つようになって……」
「怪我」
なるほど。そのような娘を持つのであれば、勘違いしていても仕方がない。
普段ならば、ここが謁見の間でなければ、この婦人が一人で現われ、事情を述べたのであればフィオレは淡々と応じることができただろう。この場所に傷なんかない、と。
しかし、この場合においてフィオレはひどく心を乱していた。うんざりが通り過ぎて、イライラが募っていたとも言い換えられる。
そんなことをする必要はない、と叫ぶ理性を押し退けて、フィオレは婦人の眼前に立った。
幸いにもジェイル卿は、国王と話していたために婦人に背中を向けている。今フィオレの顔を正面から見ているのは、彼女だけだ。
「これを見ても、まだそんなことが言えますか」
言って。フィオレは久々に、人前で眼帯を外した。
その目を、まじまじと見据えるよりも早く。
「──きゃああっ!」
母だと名乗った女性は、悲鳴を上げてのけぞった。
結果として腰を抜かしたように座り込むも、その顔から恐怖と脅えは消えない。
本当に偶然でしかないのだが、気がついてからこの目立つ瞳を隠しておいてよかった。
これはストレイライズ神殿の知識の塔で知ったことなのだが──この世界、左右の色が異なる瞳を『魔眼』と呼び、忌み嫌う風習があるのだ。
魔眼についての風聞は数あれど、すべて不幸を引き寄せる逸話ばかり。
過去に何があったのかはわからないが、ただの偶然でそんなものに巻き込まれるのはごめんだった。
「人違いだと、ようやくわかっていただけたようですね」
気付いたら握りしめていた眼帯を持ち直し、素早く頭の後ろで結わえる。
婦人からの返事はない。彼女は顔を青くして、目を泳がせ、震えている。
不思議なことに、胸がすっとするどころか、奇妙なもやもやがわだかまるばかり。
「それでは」
そう言って、フィオレは今度こそ謁見の間を後にした。
後悔するようなことはない、と自分に言い聞かせるようにしながら。
「して、ご婦人。彼女の瞳は、どのようなものでしたかな?」
足音高くフィオレが退室して以降、謁見の間の沈黙を破ったのは王の傍らに立っていたヒューゴだった。
「ヒューゴ殿。人違いだとわかって傷心のご婦人にそれは……」
「いいえ、ご心配には及びません、将軍閣下」
それを言ったのは、誰あろう婦人の付き人であったジェイル卿である。
彼は座り込んだ婦人を立たせながらも、どういうことかと事情説明を求める国王と、控えていたドライデン将軍に向かって平然と言ってのけた。
「この度、客員剣士フィオレンシアの身内と偽らせたはヒューゴ殿のご依頼にございます。こちらはれっきとした私の叔母、エナ・オーエンです」
「どうぞ、お見知りおきを」
ジェイル卿の紹介を受けて、婦人──エナは青い顔色のまま小さく会釈をしている。
これに驚いたのは、二人だけではない。
「なんと……そなたら、フィオレンシアを謀ったというのか」
「一体何のつもりか。いかなあなたといえど、これは少々悪趣味ですぞ」
国王と将軍、そしてはっきりと言葉にならないものの、周囲の困惑と反感は間違いなくヒューゴに注がれている。
しかし、当の本人は至って涼しい顔だった。
「不愉快な気分にさせてしまったことは、謝罪いたしましょう。しかしオベロン社の力をもってしても、恥ずかしながら彼女の身元をはっきりさせることが未だにできずじまいなのです。そこで急遽、何か特徴を見逃しているのではないかと思いつきましてな」
「それで、あのような狂言を働いたと申すのか。ジェイル卿まで巻き込んで……」
「僭越ながら陛下。私とてフィオレンシア殿に好意を抱く男の一人です。あの眼帯の下がどうなっているのか、興味がありましたゆえ、ヒューゴ殿の計画に加わった所存でございます」
記憶喪失ではあるが、思い出したことがある。そう公言していても、フィオレはその内容を口外したことはない。
この度の騒動は、彼女を不愉快にさせ、冷静さを奪えば何かわかるのではないかというヒューゴの奸計だったのだ。
謁見の間を出た先にある廊下。
その端の壁に身を預け、シルフィスティアの力を借りていたフィオレは、一部始終を見届けて身体を起こした。
結局、あのジェイル卿の叔母は謝るばかりで何も話さなかった。魔眼のことを他言すれば、自分に人為的な災いが降りかかると思ったのだろうか。
──本当に、何かの力を有していればよかったのに。この瞳が異端視されればされただけ、それを思う。
この異なる色の瞳が、魔眼と呼ばれるだけの特殊な能力を持っていれば、フィオレはきっと今以上に傲慢でいられただろう。
自分は特殊な力を持っている。そんじょそこらの、普通の人間とは違うのだと。そんな風に自画自賛ができれば、傲慢である以上に──面の皮の厚い人間にもなれたはずだ。
こんな些細なことで、何か思うようなこともなかった。
非生産的で、考えたところでどうしようもない「もしも」を振り払い、城下町へと赴く。
気分を晴らしたい──歌を、謡いたい。
普通の人は特別に憧れて、特別な人は普通を望んでしまうもの。
隣の芝生はいつだって青々としているようですよ。