swordian saga   作:佐谷莢

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 ダリルシェイド、セインガルド建国記念式典後編。引き続きお仕事は続きます。
 後のパーティキャラクター・ウッドロウとちらっと接触。



セインガルド建国記念式典~絢爛豪華、狂乱戦慄の夜会~王城への襲撃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時の川は静々と流れ、世界はやがて黄昏の時を迎えた。

 逢魔が時を過ぎ去れば、じんわりと月が仄明るい光の衣をまとい、瞬く星々が漆黒の空を彩る。

 夜空と呼ばれる天然のタペストリは、古来より人々を魅了してやまない。

 フィオレもまた、けして届かぬ世界の天井に魅了された一人だった。

 それは両眼をさらすのが何ら問題なかった頃も、現在も変わらない。

 こうして星空を眺めると、知識の塔で触れた書物のことを思い出す。星図を眺めては、フィオレの知る星の位置と変わらないことに内心驚き、星座にちなんだ物語に触れては、

 

「あんな点のような星を無理やり線で繋げて、形を捏造して。更に物語まで作るとは、人間という生き物は妄想の塊ですね」

 

 などと抜かしては、フィリアを絶句させた記憶が一番新しい。

 フィオレは現在、ジルクリスト邸の私室ではなく、王城の一室で支度を整えていた。

 あれからすぐにリオンは戻ってきており、事の次第をフィオレに説明してくれている。

 何でも、式典による野次馬の中で弓矢を構えた人間がいたらしく、取り押さえる前に一矢放つことを許してしまったらしい。

 放火を未然に防いだフィオレのことを改めて報告したリオンは、彼女への労いを言付かっていた。

 

「それはよろしいのですが、そろそろ登城準備をお願いします。王城の一室に控え室を用意してもらったので、そこで身支度を整えようかと」

 

 別にフィオレの我侭ではない。

 祝賀会の前座に独唱会の開催が決定されているため、リハーサルなどの手間を考えて用意されたそれをありがたく使うつもりだったのだ。

 それが、太陽が傾きかけた頃のことである。

 ココンッとノッカーが鳴ったかと思うと、扉が開いた。

 現われたのは表向き『隻眼の歌姫』パートナー兼エスコート役であるリオンである。

 彼の姿は、昼間とそれほど変わらない。強いて言うなら、白かったドレスシャツが黒いものへ変わっていることか。

 

「……!」

 

 了承も得ずに扉を開いたということは、それなりに気が急いているのだろう。

 この時間帯にあまりぐずぐずしていると、不測の事態が発生したとき対応が後手に回ってしまうから、仕方のないことなのだが……

 控え室の中にいたフィオレを一目見た瞬間、彼は瞬時に頬を紅色に染め、その整った鼻から赤いものを滴らせた。

 

「やはり、あなたには刺激が強すぎたようですね」

 

 扉を閉め、鼻を押さえるリオンに手巾を持たせて手近な椅子に座らせる。

 頭だけを少し前方へ傾けさせ、背中を背もたれに押し付けると、フィオレは小さな鼻をしっかりと摘まんだ。

 

「ここの位置で鼻、摘まんでてください」

 

 リオンの手を取って自分で圧迫止血をさせ、その間に備えつけられていたレンズ式冷蔵庫から、なぜか入っていた氷嚢を取り出す。

 持ち込んだ厚手の布を巻きつけて鼻の根元に押し付ければ、彼は冷たそうにみじろぎをした。

 

『し、刺激っていうか何ていうか……何で昼間と服装が変わってるのさ!』

「殿方と違って、女性は昼と夜とでは纏うものが全然違うものなんだそうです」

 

 主人の代わりにか、逆切れのような抗議を放つシャルティエに飄々と答える。

 彼の言うとおり、フィオレは現在昼間とはまったく違う礼装に身を包んでいた。

 ローブ・デコルテと呼ばれる女性用夜式礼装……ではあるが、こちらもオーダーメイドにつき一人でも着脱が可能になっている。

 

『しかも、何でいつもより胸あるわけ!? フィオレ、ひょっとして隠れきょにゅ「下世話な詮索はお断りです」

 

 肩も背中もむき出しであるために、コルセットどころか下着……戦闘時には邪魔な胸を押さえるサラシすら着用は許されない。

 ゆるりと下がった裾の両端には大胆な切れ込みが入っており、歩くたびに太腿が見え隠れという、同性からは反感を買うこと間違いない仕様になっている。

 昼間は使えなかった足技が使用可能になるため、フィオレに文句は無い。

 首に巻きついていたチョーカーが大胆に開いた胸元を彩る豪奢なネックレス、眼帯が宝石細工のあしらわれた、ヒューゴ氏からの贈り物に変更している以外、変わっていないのはわずらわしい装飾類の類だけだ。

 

『うう……昼間が清楚で綺麗だっただけにギャップがはげしいよー。色っぽいよ妖艶だよ僕だって体があるなら速攻で鼻血吹く自信あるよー。いつものフィオレはどこー?』

「シャルティエは、色っぽい女は苦手なんですか?」

『嫌いじゃないけどさあ……僕は、普段のフィオレのほうがいいな』

「私も、これはやりすぎだと思いましたがね。まあ王太子殿下に擦り寄るなら、ちょうどいいかと」

「……何?」

 

 これまで黙して会話を聞いていたリオンが、不意に声を上げて氷嚢を払った。どうやら出血は止まったらしい。

 

「警護するなら近くにいたほうが楽ではありませんか。この格好なら『玉の輿を狙う図々しい庶民』と他の招待客も目的を勘違いしてくれるでしょうから、他の殿方から誘われることもないでしょう」

 

 こういった夜会の場において、パートナーを伴うのは必然だ。

 しかし会場内においてダンスが始まったら、誰と踊ろうがそれは自由である。

 

『でも、危ないよそれ。その色香に負けて相手が本気になっちゃったらどうするのさ? 君の腕っぷしなら物理的には逃げられるかもだけど、国際問題になったらまずいよ』

「噂によるリサーチによれば、王太子殿はなかなか理性的な方だそうですので、それはないかと。社交界の場では気に入らない女でも、無碍に扱うのはマナー違反ですし」

 

 転がった氷嚢を拾い上げ、レンズ式冷蔵庫の冷凍室に保存する。

 椅子にかけておいた薄手のケープを着けると、少しだけ寒さは和らいだ。

 冬に向かおうとしているこの時期、フィオレの格好では普通に寒い。

 いくら女性は肌を見せれば見せるほど正式だとされていても、ここまでの格好の令嬢はいないだろう。いくらなんでも。

 立ち上がったリオンと共に会場へ向かおうと、フィオレは控え室の扉を開けようとして……リオンに遮られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隻眼の歌姫による独唱会は、本人の独断によるものではない。

 事前に開催側との綿密な打ち合わせによって作成されたプログラムによって構成されており、演奏の類は宮廷楽師たちが担当するのだという。

 そのため、事前に持ち歌の楽譜提出を求められていたが、フィオレはこれを拒否した。

 好きで拒否をしたわけではない。歌唱曲の楽譜など彼女は始めから持ち合わせておらず、今から作っていたのでは到底間に合わないためである。

 そのため、演奏を担当する宮廷楽師たちはフィオレの練習に合わせての変奏曲作成を余儀なくさせられた。

 幸いにも、彼らはフィオレの不手際を笑顔で許してくれたが、真相は定かでない。

 そんなわけで。フィオレは今、本来宮廷楽師が日々培われた歌声を披露するための舞台上で、図々しくも歌声を披露しているわけだが。

 

 

 ♪ 幸せはまるで舞い散る雪のように儚くて

 ほんの小さな欠片でふと気がつけば消えてしまう……

 

 

 そら恐ろしくなるほど、祝賀会の会場たるホールは静まり返っている。

 沈黙の中で演奏と、ただひとつ人間の声──フィオレの歌声が響き渡っているのだ。

 現在会場の照明は落とされており、舞台上のみが際立つかのように照らされている。

 フィオレの位置から国賓の姿は確認できないため、不測の事態が発生した際は、リオンのみが動かなければならない。

 シャルティエもいることだし、昼間より更に動きにくく、本来の武装すらないフィオレを頼りにするほど、彼は腑抜けていないとは思うが。

 

 

 ♪ 降り積もる雪は 当たり前の日常

 地面へ落ち黒ずむ雪を誰が愛でるだろう 誰が振り返るだろう

 新雪は幸せ 降り積もる雪は日常

 どうか、気付いてください

 幸せはほら、あなたのすぐ傍に──

 

 

 ファンダリアに捧げる、雪をモチーフにした歌唱曲が終了する。

 この歌は急遽、ファンダリアの何かをモチーフにして新曲を作れ、というヒューゴ氏の命令に従ったものだ。

 言いつけられたその夜、彼の愛飲する蒸留酒に下剤効果のある植物の種を磨り潰して混入してやったのは若気の至りだと主張してみる。

 あれから彼は数日間、腹を下したとかでおかゆの類しか食べていなかった。その間晩酌も控えていたのだから、いい薬だとも主張してみる。

 プログラムにあった全ての曲が終了し、フィオレはその場で一礼した。ずっと照明を浴びていたため、薄着がかえって快適である。だが、それはきっと束の間だ。

 薄暗かった照明が灯り、会場内が照らし出される。遅ればせながら響き始めた拍手を聞きながら、フィオレは閉じた緞帳の中で大きく息をついた。

 

「お疲れ様!」

「……お疲れ様、です」

 

 演奏を担当した楽師たちと労いを言い合うも、酷使した喉は少しかすれている。

 何せ、これだけ連続して喉を歌唱のみに使ったのは初めてなのだ。

 舞台袖で持参した茶をすすっていると、リオンが迎えにやってきた。

 

『お疲れフィオレ。すっごく良かったよ! 僕、久々に感動しちゃった!』

「それはようございました。でもまだ、お仕事はあるんですよ」

「……国賓たちの受けはよかったぞ。歌姫の面目躍如だが、もう一働きしてもらうからな」

 

 普段通り無愛想で、フィオレからそれとなく視線をそらしているリオンが、潜入警護を思い出させる。

 わかってます、と応じて、フィオレは会場へと足を踏み入れた。

 途端、招待客たちの視線がフィオレたちに殺到する。

 先ほどまで舞台で独演会だった人間が目の前に現われれば、それはしょうがない。

 公賓『隻眼の歌姫』の席は、国賓席のすぐ近くだった。警護も兼ねてだろうが、これでは嫌が応にも目立ってしまう。

 しかしそれをリオンに訴えたところで、彼には何も出来まい。

 独唱会の後は、セインガルド建国記念を祝しての祝辞が述べられる。

 国賓、そして何人かの来賓の人間が次々に舞台へ呼ばれ、上がっていく中、フィオレはこれ幸いと休憩をしていた。

 祝賀会は晩餐会を兼ねているにつき、貴族たちの晩餐に相応しい宮廷料理が用意されている。あまり食欲はないが、祝賀会はまだ終わらないのだ。必要最低限を、つまむ。

 無理に詰め込んでも醜態に繋がるし、この礼装は薄手につき、腹が膨れたらそのまま見えるため、非常に格好悪い。更にこのような場では、女性は提供された食事を残せば残すほど礼儀だ、と聞いたような気がする。

 やがて、フィオレとしてはもう少し長くても構わない祝辞、そして答辞が終了した。

 司会者の口からそれが伝えられ、ほどなくして流れていた演奏の調子が変わる。祝賀会が舞踏会に変わった瞬間だった。

 なし崩しに祝賀会が終わり、後は社交的な意味合いの強い夜会とそう変わらないものだと思ったが──

 

「何をボーッとしている。王太子が動いたぞ、目を離すんじゃない」

「そんなこと言われても、不用意に彼らを直視すると眼が合うのですから、仕方がないではありませんか……」

 

 彼に言われるまでもなく、それとなく国賓たちの様子をうかがっていたのだが、王太子に目を向けると五回に一回の割合で眼が合うのだ。

 試しに一度、眼をそらさず見つめていたら動じることなく微笑まれてしまったため、以降彼の観察は自粛していた。

 リオンに促され、中央のダンスホールへ歩む。彼とは体裁程度に一曲踊った後で、リオンはそれとなく国王の、フィオレは露骨に王太子へと近寄り、警護を続ける手はずだ。

 現在国王は着席したまま、王太子はセインガルド王息女……フィンレイの婚約者である王女の手を取っている。

 王女の未来の夫であるにもかかわらず、彼は会場警護を理由に出席していない。ということは、王女は王太子のパートナーにあてがわれていたりするのだろうか。

 となると、べったり張り付く、というのは少し難しくなる。売りたくもない媚を売るよりは、死角から監視をしつつ警護という形を取った方がいいだろうか。

 そんなことを思いながら、思いの他単調だったステップを踏み終える。

 演奏が終了し、次なる曲へ移行する最中、フィオレはリオンの手を離そうとした。

 しかし、何を思ったのか彼は手を離そうとしない。それどころか離れようとしたフィオレの手を握り、引き寄せる有様である。

 手はずと違うその行動に、いぶかしがってリオンを見やった。相変わらず視線はずらしたままで、彼は口元を小さく動かしている。

 ──シタガエ。

 ざわめきの中、かすかに届いたのはそんな指示だったように思う。どうせもう二曲目が始まろうとしているのだ。

 今から振り払ったところで、王太子のところへはいけない。

 ──ギョイ。

 聞こえたかどうかはわからないものの、フィオレは再びリオンの手を取った。

 

 

 

 二曲目が終了し、ようやく手はず通り二人が離れた。途端。

 

「こんばんはリオン様。あなた様もご出席されていたんですね」

「どこの誰とも知れぬ歌姫の世話役など、たいへんな役目を押し付けられて」

「気晴らしにわたくしと……」

 

 リオンはあっという間に貴族令嬢に囲まれた。なるほど。彼はこれの気配に気付いて、別行動をためらったのだろう。

 幼いながらも眉目秀麗な外見、年不相応の実力にストイックな性格もあってか、親の七光りなどなくとも、リオンには年齢貴賎問わず女性から人気があった。これでヒューゴ氏との血縁が判明したら、資産狙いの街娘も急増することだろう。

 しかし、彼の心配をしている余裕はない。

 王太子の警護があるからとか、そういう理由ではなく。

 

「お初にお目にかかります、隻眼の歌姫!」

「覚えておいでですか? 以前噴水にて緋色の薔薇を捧げた……」

「フィオレンシアさん、わたくしめと今宵舞踏など……」

 

 フィオレ本人も、どこの誰だかわからない御曹司たちに手を取られそうになっていた。

 そんなことを許したら最後、礼儀作法として踊ることを拒否してはならない。

 持参した扇を広げて引きつる口元を隠しつつ、空々しい笑顔で誘いを回避していく。

 ようやく一息ついたとき、フィオレはホールの壁際、窓付近に立っていた。

 三曲目の演奏が始まっており、中央の辺りで様々な男女が入り乱れている。王太子の姿といえば。

 

「どなたをお探しかな、レディ?」

 

 ──そう。驚いたことにこの男、御曹司連中から逃げるフィオレの後を追って、ここまでついてきてしまったのである。

 驚いた仕草を見せながら、フィオレは片足を軽く引いた宮廷式の辞儀をした。

 

「初めまして、隻眼の歌姫。私はファンダリア国イザーク王第一子、ウッドロウ・ケルヴィンと申します」

「フィオレンシア・ネビリムです。どうぞフィオレとお呼び捨てください。この度はこのような場にお招きいただき、まこと光栄と存じております」

 

 本音は余計なことしやがってこの野郎、といった状態だが、いつぞやの時とは違う。

 そんな本音をブチまげようものなら、あっという間に国際問題へと発展するだろう。

 にこやかに猫をかぶりつつ、フィオレは初めてこの王太子をまっすぐ見つめた。

 フィオレのものよりも青みがかった髪が夜風を受けて軽やかになびき、水の色をたたえた切れ長の瞳がフィオレを見下ろしている。

 噂どおり容姿端麗にして英姿颯爽な立ち姿は、よく雪焼けした肌とも相まって、凛々しき貴公子といった風情だ。

 ──この色男ぶりなら、フィオレが擦り寄ったところで不思議ではあるまい。

 本当は初対面の人間に呼び捨てられたくないのだが、ここは演技だ。

 

「どうか気になさらないでください。音に聞こえし隻眼の歌姫に、一度お目にかかりたかったという我々の我侭に過ぎないのですから」

「お恥ずかしゅうございます。お耳汚しとならぬよう、精一杯努めさせていただきました」

「耳汚しなどと、ご謙遜を。天上の歌声とも、船乗りをその歌で魅了する人魚と喩えるのもためらわれる素晴らしいお声でした。是非我が国の民に聞かせたい」

「わたくしのような者には、過ぎたお言葉でございます」

 

 自分で言っていて、トリハダが立つような慣れない会話を続けていく。

 そろそろフィオレの方も、お世辞を連打する必要があるだろう。

 

「噂に聞き及んだものではございますが、王太子殿下は見聞を広めるがためファンダリア各地を旅されているとか。勇敢であらせられますのね」

「勇敢など。私はただ、周囲の迷惑も省みず落ち着かない放蕩者でしかありません」

「玉座にお座りになっているだけでは見えないものなど、それこそ山のようにございます。されど王は納める民のため、山の如く泰然としていなければなりません。雪焼けをされるほどに地べたを歩き、民の営みを間近に見るあなたの目はとても澄んでいます。こうして、吸い寄せられてしまうほどに」

 

 意外そうに僅かばかり目をみはっている王太子──ウッドロウの瞳を見上げ、微笑みかけた。

 口元がひきつりそうになったのを我慢したのは、ご愛嬌である。

 普段お世辞など言い馴れていないフィオレの言い方が、逆に嫌みったらしくなってないといいのだが……

 再び見つめあったその時、三曲目の演奏が終了する。

 それに気付いた彼は、すい、と優雅にフィオレへ手を差し出した。

 

「……私と踊っていただけますか? フィオレさん」

 

 ──とうとう、この時が来てしまった。

 はっきり言えば警護のためであっても、ご遠慮申し上げたい。

 護衛対象がすぐ近くにいるのはいいが、視線を合わせたり表情を調整するなど、かなり労力を使うのだ。

 しかし、断れるはずもなく。

 

「喜んで」

 

 目論見どおりの展開になぜか達成感はなく、差し出されたその手に触れた。

 大きな手のひらは見かけよりもゴツゴツとしており、彼が見せかけだけの優男でないことを物語っている。

 そのままダンスホールへとエスコートされれば、人々にざわめきが駆け巡った。当然だ。

 ファンダリア王太子殿下が公賓とはいえ、どこの馬の骨とも知れぬ娘と踊ろうというのだから。

 扇を広げて隣人とヒソヒソと言葉を交わしながら視線を寄越す婦人のすぐ傍を通過し、ダンスホールにて向かい合う。

 そのまま始まった舞踏を、フィオレはどうにか無事に乗り切った。

 ここまで顔面筋肉を酷使したのも久々のことである。もちろんそちらにかまけて踊り損ねるということもない。

 その辺り、多少ウッドロウのリードに救われた点が多々あるのは業腹だが……足をもつれさせてばったりぶっ倒れるよりはずっとマシである。

 最後のフレーズが終了し、互いに一礼をし合うその瞬間。リオンがいるはずの方角を見やれば、なぜか彼の姿はない。

 ダンスホールは国賓席のすぐ近く、フィオレの近くに二人がいることを確認して、会場のさりげない見回りに向かったのだろうか。

 そう思って顔を上げると、ウッドロウの上背の向こうに件の少年がおり、数人の令嬢に声をかけられていた。

 雰囲気からして断っているようだが、なかなか相手もしつこいようである。

 少年自身のためというよりは、警護を怠けられては困ると急遽、助けに行こうとして。

 

「失礼」

 

 ウッドロウに再び手を取られてしまった。間違いなく彼に視線を向けていたせいである。

 彼のエスコートによってダンスホールから連れ出されたフィオレは、国賓席の近くであることをいいことに、少年の救出を見送ることにした。

 ここで無理やり王太子殿下と離れようとしても、角が立つだけだろう。

 

「時にフィオレさん」

 

 会場内を歩いていた給仕の青年よりグラスを二つ受け取り、そのひとつをフィオレに差し出しながら、ウッドロウは声を不自然に潜めた。

 

「あなたは、あなた自身に関する噂をご存知ですか?」

「……存じております」

 

 すっとぼけてやろうか、という考えがちらりとかすめるも、彼らの誤解を解くにはちょうどいいかもしれない。

 微炭酸のアルコールが揺れる細い筒型のグラスを受け取り、フィオレは肯定を示した。

 

「ですが、私は「セインガルド王より、多少のことは聞き及んでおります。記憶をなくされているとなれば、その可能性は高い。どうか、場所を変えてお話できませんか?」

 

 すぐに否定しようとして、王太子に遮られる。ここで自分は違うと主張してみたところで、その場しのぎの嘘と取られかねない。

 しかし、だからと言って国賓と二人きりになるつもりはなかった。

 さてどうしたものかと思いつつ、踊った直後で乾いた喉を潤そうと渡されたそれに口をつける。

 途端。

 

「!」

 

 淡い琥珀色のそれを一口飲んだ瞬間、強烈な違和感を覚えた。すぐさま吐き出したいのをどうにかこらえる。

 フルートグラスを携えたまま、フィオレは笑顔を作ってウッドロウに一礼をした。

 

「──王太子殿下。私は、雪国出身の人間ではありません。どうかそのことを、お心に留めておかれますよう」

 

 その後は、きびすを返して未だに令嬢に囲まれたリオンのもとへと赴く。

 鼻白む令嬢を押し退けるように彼の耳元に行き先を告げると、フィオレはわき目もふらず夜風の吹き荒れるバルコニーへと向かった。

 月の光が朧に満ちる中、王城に面した庭や城下町の光景がぼんやりと浮かび上がる。

 その幻想的とも言える光景を一瞥もせず、フィオレはグラスの口を真下に向けた。

 ちょうどその時、尋常でない雰囲気を察したのか、リオンはシャルティエを伴ってバルコニーに姿を現している。

 

「どうした」

「……しくじっ、た」

 

 敬語が完全に抜けているフィオレの言葉など、これまで数回しか聞いたことがない。

 混乱するリオンに、フィオレは空になったグラスを突き出した。

 よくよく見てみれば、フルートグラスのふちに白い粉状のものが張り付いている。

 

「これは……」

「何か、の。薬、だと。そっ、こうせ、いの麻痺、か、何か、ですかね」

 

 ぶつ切りの単語は、ろれつが回っていない証拠だろうか。

 よく見ればすでにフィオレは自分の足で立てず、バルコニーの柵にもたれかかっていた。

 

「まさか、王太子がお前に薬を盛ったとでも言いたいのか」

「……そ……なこと、は。誰も、言ってません」

 

 リオンにグラスを投げるように預け、両手で柵を掴みにかかる。

 何度も深呼吸を繰りかえすフィオレを見かねて、リオンはむき出しの背中を軽くさすった。

 

「……リオン様、国賓の警護に戻っていただけませんか。大丈夫ですから」

「間の抜けたことを言うんじゃない。隻眼の歌姫の世話役が、本人を放って戻れるか」

「……じゃあ、戻りましょう。本当は、もう少し、頭を冷やしたいところですが」

 

 柵にもたれかかっていた体が、緩やかに起こされる。

 柵と体に挟まれ、たわんでいた胸がもとの形を取り戻したのを間近で見てしまい、リオンは視線をそらした。

 夜風にさらされ冷えていたはずの体が、みるみるうちに火照っていくのがよくわかる。

 フィオレはといえば、先ほどまで力なく柵によりかかっていたのが嘘のよう、しっかりと背筋を伸ばしてリオンに手を差し出した。

 

「?」

「グラス。預かっていてくださりありがとうございました。おかげで割らずに済みました」

 

 なめらかに話す言葉も、繊細なフルートグラスを取る手つきも、もう普段の彼女と変わらない。

 

『フィオレ。ホントに大丈夫なの?』

「体内に入れたのは少量ですし、薬も溶けきっていませんでしたからね。効き目は薄いかと」

 

 ……これは嘘の割合が多い。

 少量なのは本当だが、あの威力からして薬はほぼ溶けきっていた。

 体を動かしにくくさせる程度の麻痺など軽い毒ならば、フィオレの体にほとんど影響はない。

 しかし、毒も薬も効かないはずのフィオレに一瞬でも効果を表したとなれば、かなり強力な毒であることは確かだ。

 毒の混入者が誰なのかも気になる。一番怪しいのはウッドロウ王太子だが、彼はふたつのグラスを同時に給仕の青年から受け取っていた。となれば──

 物思いにふけりながら、バルコニーから会場へと戻った。そのとき。

 

 ガシャーン──……

 

 盛大な音を立てて、すぐ近くにあった窓が叩き割られた。

 ガシャガシャと硝子の破片を踏みしめて現われたのは、頭の先からつま先までを黒で覆い尽くした人間である。体格からして男か。

 その人物だけに留まらず、同じような格好をした人間が次から次へと侵入してくる。長剣、鈍器、棒杖など、種類は様々なれど明らかな武装をしていた。

 とりあえず思ったことは──近衛兵は何をしているのやら。

 

「その場に膝をつけ! 動けば即座に殺す!」

「国王、我々の要求を無視した相応の報いは受けてもらうぞ!」

 

 事前に何があったのかは知らないが、不測の事態であることには違いない。

 会場内を見渡せば、国王は自分の護衛に囲まれていた。国賓の二人はというと──なんと。

 中身と砕けたグラスが散らばる床の傍にウッドロウ王太子が蹲っており、イザーク王が息子の身を案じるかのように、その傍らに跪いている。

 その周囲を何事かと招待客が集まっており、幸いなことに黒子たちに捕まった、などという不運な人間はいなかった。

 代わりといっては、何なのだが。

 

「さあ、お二方。俺たちと一緒に来てもらおうか」

 

 あの給仕の青年が歪んだ笑みを浮かべて、持っていた盆をその場に投げ捨てている。

 隠し持っていたナイフをちらつかせ、イザーク王を促した。

 その彼へ、黒子が二人ほど駆け寄っていく──

 

「リオン様、国賓行きます」

「わかった。あっちは任せろ」

 

 短い打ち合わせを済ませ、フィオレは駆け出した。

 

「そこの女! 動くなと言って「やかましっ」

 

 進路変更をして近寄ってきた黒子の首筋を、腰に提げていた扇で打ち据える。

 通常の扇ではありえないほど重い打撃音を響かせ、黒子はあえなく卒倒した。

 

「ちっ」

 

 それを見た給仕の男が、露骨な舌打ちを放つ。蹲った王太子をイザーク王に担ぐよう命令を始めた。

 男とフィオレの距離は、まだ遠い──しかし。

 

「ぐあっ!?」

 

 突如給仕だった男が悲鳴を上げてナイフを手放した。これまでナイフを握っていた手には、先端を尖らせた鉄の棒──棒手裏剣が突き刺さり、貫通している。

 男が痛みに呻いている間に、フィオレは現場へとたどり着いていた。

 普段ならば一息に間合いを詰める歩法を知っているものの、今の靴では難しい。

 

「いきなりやりたい放題をしてくれましたね。何が目的ですか?」

「っ、てめえみてえな小娘に、ンなこと誰が教えるかよ!」

 

 つまり。彼らは何か明確な目的をもってしてこのような暴挙に出たのか。

 予想はしていたものの、暴言に唾吐きというコンボを見舞われたフィオレは静かに宣告した。

 

「交渉決裂。これより武力行使に移ります。文句はありませんね?」

「御託はいい、速やかに確保しろ!」

「了解」

 

 無事な左手でナイフを拾い上げた男に対し、フィオレは携えていた扇を持ち直した。

 

「そんな扇で何を……!」

「こうするんですよ」

 

 突き出された刃を、閉じた扇で軽く弾く。もちろん、こんな芸当はフィオレだからこそできるわけではない。

 羽根やら絹やらで覆われているが、その正体は銀製の扇……鉄扇ならぬ銀扇である。

 堂々刃物を持つことができないので、持っていて怪しまれないものを偽装してみたのだ。

 慣れない武器とはいえ、こんな相手に手間取るわけにもいかない。ナイフを弾かれてたたらを踏んだ男の顔面を力いっぱい張り倒した。

 

「ガッ!」

 

 とどめに扇で顎を打ち据え、昏倒を促す。

 すぐそばのテーブルからテーブルクロスを引き抜き、細く切り裂いて男の身柄を拘束すると、フィオレは未だ蹲る王太子に歩み寄った。

 

「失礼」

 

 唖然とした様子でフィオレを見つめるイザーク王の傍に座り、ウッドロウの容態を診る。

 想像通り、彼はフィオレが体験したもの以上の感覚に苦しめられていた。

 世の中、何が起こるかわからないものである。

 フィオレは国賓席のテーブルの下から、会場準備中に文句を言われながら仕込んでおいたパナシーアボトルを取り出した。

 夜会開始前、フィオレの準備があまりにも遅かったのは、これに起因する。

 幸いにも王太子に盛られた毒物は、パナシーアボトルの効果により消失したようだ。

 

「ご気分はいかがですか」

「君は、いったい……「大丈夫そうですね」

 

 とりあえず不調は訴えられなかったことを確認して、幼い上司に眼を向ける。彼は数人を相手取りながらも、確実に一人一人を片付けていた。

 フィオレの剣術指南のためか、これが彼自身の才覚か。それは誰にもわからない。

 給仕の男が未だ昏倒しているのを確認して、リオンのもとへと駆け寄る。

 

「状況は?」

「王太子殿下に薬を盛ったと思われる一名を確保。国賓お二方は無事です」

「よし……一気に片付けるぞ」

「了解」

 

 左右同時から切りかかってきた黒子を、一人ずつで担当していく。

 一手一手、手順を踏みながら確実に相手を倒していくリオン、手順などまるで無視、反応を許さない素早さで次々と急所に打ち込んでは昏倒を促すフィオレ。

 二人の戦いは、あっけなく幕を閉じた。

 リオンがシャルティエの柄で相手の鳩尾を突いたのと、フィオレの上段蹴りによる顎への攻撃──脳震盪を起こさせ失神させたことで、勝負はついたのである。

 

「警備兵の連絡は……」

「これだけ騒いでも来ないということは、外でもてこずっている可能性が高い。連中を捕縛したらここを離れず、こもるぞ。ここを手薄にしてまた狙われても困る」

「かしこまりましたかっこ

 

 そのまま篭城を続けること、少し。

 外での攻防を終えた兵士たちの登場により、二人の肩の荷はようやっと下りたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※お酒におクスリを混ぜて飲ますのは、犯罪になりかねない行為です。真似はなさらないでください。
 場合によっては命に関わるため、しょうがなく植物の種子で代用した、と彼女は申しています。

 興奮して鼻血が出る、というのは漫画的表現といいますか、普通はあまりならないそうですが、
【興奮する→心臓がドキドキする→血の巡りが良くなる→もろい血管が裂ける→鼻血ポタポタ】
 程度の解釈でお願いします。
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