swordian saga   作:佐谷莢

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 go toファンダリア。前回のお話直後。
 リオン+シャルティエと共に再び外国へのお出かけ。
 お招きに応じて向かったわけですが、何も起こらぬわけがなく。
※ちなみにウッドロウは出てきません。


ファンダリア探訪記——前編

 

 

 

 

 

 

 

 緑溢れる草原をいつしか過ぎ、ひんやりとした冷気を孕む風が吹き抜ける。

 大将軍暗殺事件直後、ファンダリアへ招かれたフィオレはダリルシェイドを離れ、護衛にとつけられたリオンと共に一路、北の大地を目指していた。

 途中、ハーメンツを経由してファンダリア地方を臨む。

 進むに連れて気温は低下し、周囲にはちらほらと白くわだかまるものを見かけるようになってきた。

 

「どうやら、雪は知っているようだな」

『あーよかった。あの白いものは何ですか? って聞かれなくて。記憶障害だってわかってても馬鹿にしちゃいそう』

 

 同道する二人が好き勝手言っているが無視。

 沈黙が金とはよく言ったもので、下手に何か抜かしても余計なことにしかならないだろう。

 旅装に身を包み先行くフィオレを見やってか、シャルティエが尋ねてきた。

 

『それにしてもさ。何で送迎断っちゃったの? せっかくヒューゴ様が四頭立ての馬車を用立ててくれたのに……もしかして坊ちゃんと二人きりになりたかったとか?』

『何でこんなお子様と二人きりになって喜ばないといけないんですか。人を変態扱いしないでください』

 

 シャルティエ用に念話で素早く呟いてから、リオンに聞かせるためだけに口を開く。

 

「セインガルドからファンダリアまでの道のりも、ファンダリア国内も歩いて見て回りたかったからですよ」

「何を見て思い出すかのきっかけ作り、といったところか?」

「そんな感じでいいんじゃないでしょうか」

 

 二人と一本、どうでもいい雑談を時折交わしつつ、基本的には口を閉ざしたまま進む。

 大将軍暗殺について、リオンは一切触れてこなかった。

 犯人をフィオレであると国王の前で断定したものの、他者の、それも七将軍の一人という地位と信頼のある人間の証言により、あっさりひっくり返され。

 盛大に要らない恥をかいてしまった王女殿下はすっかり臥せってしまい、その側近達はタチの悪いガセネタに踊らされ、傷心の姫を謀ったとして、もれなく処罰の憂き目に遭っている。

 

「……娘が、すまなんだ。虚言に踊らされ、言いがかりのような侮辱を」

「大切な方を亡くしたとあれば、平静ではいられないでしょう。どうか王女殿下をお気遣いください」

 

 フィオレが知っているだけでも、リオンは故フィンレイを敬い、慕っていた。

 もしフィオレが彼を殺めたと知ったら、彼は何とするだろう。

 そして、正面切って問われたならば、何と答えたものか。おそらくそれはそのときの状況によるだろうが。

 しかし、そのときはまず間違いなく、今の関係は砕けて散るはずだ。

 ──そうなったらそうなったで、契約完了となる──リオンはもとより、ヒューゴから離れる日がより一段と近くなるはずだから、アリといえばアリなのだが。

 フィオレの薄汚い内心など露知らず、少年は手元の地図を見やって、方角を確認している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セインガルドとファンダリアを隔てる国境の街、ジェノスにて。

 フィオレは久々に雪に覆われた街の光景を見た。

 

「この街がジェノスだ。ファンダリア地方とセインガルド地方の関所にもあたる」

「この街を管理しているのはどちらの国ですか?」

「どちらでもない。街自体は自治区にあたる。周辺の土地は国境線に基づき、それぞれの国が管理しているという形だ。そのため、自治区といえど双方の国より様々な支援を得てこの街は成り立っている」

 

 人々は一様に分厚い防寒具を纏い、家々の屋根はきつい傾斜を備えながらも積もる雪を背負っている。

 当然足元に土はなく、行きかう人々の靴裏でいっぱいだ。

 

「何をぼさっとしている。風邪を引きたいのか」

「いいえ。好んで己を傷つける趣味はありません」

 

 越境手続きをしてきたリオンが戻ってきたところで、厚手の外套を羽織る。

 丈は足元まで、内側は羊の毛でまんべんなく覆われた外套は防寒の役割を完璧に果たしていたが、代わりに重たくて徒歩の旅には明らかに向いていなかった。

 馬車での送迎を前提にヒューゴ氏が用意したものであるからして、それも仕方ないのかもしれない。

 セインガルド側の関所を抜け、ジェノスの街を横断するようにしてファンダリア側の関所に入った二人だったが。そこで思わぬ言葉を聞いた。

 

「陛下が隻眼の歌姫を招いた? そんな話は聞いていないが……」

 

 ファンダリア国王の持つ国璽と同じ封蝋付きの書状、そして特別通行手形を見ても、常駐していたファンダリアの兵士はそう言い放ったためだ。

 招待を受けると返信したのは、セインガルド国王陛下の名において数日前に成されている。

 ヒューゴを経由していない以上、彼からの意趣返しとは考えにくい。

 

「まずいな。どこかで情報の行き違いがあったのかもしれない」

「郵便事故か、あるいは国王の名を騙る不埒者がいるのか……なんにせよ」

 

 好都合である。

 

「なんにせよ、なんだ?」

「出直しましょう。いきなり押しかけては不敬に当たりますし、偽者による何らかの工作だったりした日には眼にも当てられません」

 

 これからもこれまでも。態度に出すことはしないし、誰にも洩らさぬようにはしているが、フィオレは激しい寒暖に対してかなりの苦手意識を持っている。

 特に雪が積もるほどの寒冷地に対しては、母の悲惨な最期を思い起こし、生きている理由の九割七分を占めていた従者の解雇を言い渡された、苦い思い出の地でもあった。

 精神的にも肉体的にも本調子ではなし、加えて招いたのはフィオレが落胤でないか、疑っている連中、ひいてはフィオレの身の上を知りたがっている連中だ。積極的にお近づきになりたい理由はない。

 今回引き受けたのは国王の顔を立てるため、そしてフィンレイを殺したのは間違いなくフィオレなのに、如何なる手段を用いてアリバイを用意したのか知りたがるヒューゴが煩わしくて逃げてきたのが理由に当たる。

 それでもファンダリアに長居したいとは思わない。それくらい、常冬のこの大地は寒かった。

 しかし、そんなこととは知らないリオンは難色を示している。

 

「しかし……」

『でも面倒じゃない? 今からでも連絡してもらうことはできないのかな』

 

 こんなクソ寒いところで何日も滞在するかもしれないなんて、冗談じゃない。

 聖域探索に赴いたカルバレイスでさえ、あの暑さには早々辟易して予定よりずっと早く引き上げてきたというのに。

 その本音は胸中だけで毒づいて、妥協案を提示する。

 

「なら、こうしましょう。このままハイデルベルグへ赴き、ご所望の出張公演はその辺で行います。その後陛下にご挨拶だけでもできないか伺って、無理なら引き上げる。駄目だと仰った方に言伝を頼めば、こちらの体裁は保たれるでしょう。よしんばお目通りが叶ったところで、長居はご迷惑ですからね」

 

 これなら、もしもこの招待状が偽物であろうとイザーク王に恥をかかせることはなし、本物だったとしてもいきなり行ってその場で会わせてもらえるとは思えない。

 間違いなく門前払いをくらうはずだ。そうなったら招待状と手形を門番あたりに預けてとんずらすればそれでいいや、とも思っている。

 それを予期してなのか、リオンはあまりいい顔をしていない。

 しかし、今回の彼の任務は隻眼の歌姫の護衛であって、対ファンダリア国における国交マネジメントではないはずだ。

 何かしらあれば隻眼の歌姫の意思を尊重した──責任をフィオレになすりつければいいと唆して、リオンの説得には成功する。

 ぶつくさ呟くのはシャルティエだ。

 

『せっかくなんだから観光してけばいいのに……』

「此度の旅費は国庫より融通されたものです。他人の財布で遊んで回るなんて、楽しくないでしょう」

『その考え方は変だよ。懐が痛まないから気兼ねなく遊べるんじゃないの』

「せせこましいことを抜かすな、シャル。しかし、お前にしては随分マトモな言い分だな」

『リオンがお目付け役じゃ息苦しくてかないませんよ。それに「お仕事ですからね。速やかに終わらせないと」

 

 念話と肉声を使い分け、シャルティエを黙らせてリオンの皮肉は無視する。

 方針が決まればやることはひとつ。

 リオンにファンダリアへの入国手続きを任せて、慣れない雪国での喉慣らしをするべく、フィオレはジェノスの広場でシストルを取り出した。

 

 ♪ ちらりちらり はらりはらり

 鈍色の空 鈍色の雲

 吹き荒ぶ風に煽られ きみは空を舞う──

 時に淡く 時に鋭く

 空の使者よ 雨の友よ

 降り積もる白の絨毯は 清らかに気高く──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日のことである。

 ファンダリア王の封蝋入り書状、そして特別通行手形を持っていたことで逆に怪しいとされ、本国に一報入れるとファンダリアへの入国許可が下りなかった二人は、ジェノスに足止めを余儀なくされたのだが。

 

「……遅い」

 

 宿の食堂で朝食を摂り終えたリオンが、眉間に縦筋を刻んでぽつりと呟く。

 各々部屋を取り、翌朝食堂で合流と約束したフィオレが、いつまで経っても現れないのだ。

 

『珍しいですね。フィオレが寝坊なんて……様子を見てきましょうよ』

 

 どの道もう、彼に食堂で待つという選択肢はない。

 業を煮やしたリオンが足音高くフィオレのとった部屋の前に立つ。

 リオンが扉を叩く音、そして、

 

『フィオレ、起きてる?』

 

 シャルティエの呼びかけに対して、部屋の掛け金を外す音がした。

 しかし扉は開かない。

 

「……おい?」

『ちょっと待った坊ちゃん! 着替え中だったらまずいですよ……! あれ? でも開けられて困るなら鍵は外さないかも』

 

 反射的に止めるシャルティエを無視して扉を開く。

 その先にいたのは、部屋に備え付けられた鏡を覗き込むようにしているフィオレだった。

 扉の開く音に振り向き、軽く会釈する。

 

「……おはようございます」

 

 しかしその声に覇気はない。

 ぼそぼそと、彼女らしからぬはっきりしないその第一声を聞かされて、リオンは無性に腹が立った。

 もともと待たされて不機嫌だった少年は、いつになく辛辣な言葉を浴びせている。

 

「何をグズグズしているんだ。起きているならさっさと降りてこい」

「……はい。すみません」

 

 すでに支度は済んでいるようで、フィオレは粛々と荷を抱えている。

 瞳はどこか茫洋としており、リオンを見ているようで見ていない。

 動作も寝起きだからなのか、機敏とは言いがたかった。

 

「さっさと食事を摂れ。ただでさえ行程に遅れが出ているんだ。終わったらハイデルベルグへ向かうぞ」

「いえ、結構です。このまま宿を引き払って関所へ向かいましょう」

 

 気遣ったはずのそれを一言のもとに却下され。

 自分の気持ちを無視されたような気分に陥り、少年のこめかみに四つ角が浮いた。

 

「僕には必ず食べるよう強制するくせに……!」

「あなたは成長期なのですから、ご自身の体格をご不満に思うなら、今のうちに栄養をたっぷりあげるよう意識してください。とは言いました。強制した覚えはありません」

「自分はどうなんだ! その貧相な胸に、栄養をやらんのか」

 

 ぷっ、と呼気を吐く音がする。

 彼女の胸元を指差したリオンには、こらえる間もなく吹き出したフィオレの顔をきちんと見てしまった。

 

「何が可笑しい!」

「いえ、そんな冗談も言えるようになったんだなって。でもね。夜会の時、私見て鼻血出した方の言うことではないですよ」

『そうですよ坊ちゃん。あんなきわどい服じゃ詰め物どころか下着も着けようがないですし。フィオレはめちゃくちゃ着痩せするタイプなんですよ、多分』

「少なくとも私は体格には困っておりませんのでね。では参りましょう」

『ところでさ。珍しくお化粧してるけど、どしたの?』

 

 シャルティエの指摘に、リオンはそこで初めてまじまじとフィオレの顔を見つめた。

 ほんのりと頬に朱が散り、口元にうっすらと紅を差している辺り、彼の言葉通り化粧をしている模様である。

 記念式典や祝賀会の際ほどかっちりとしたものではないが、それでも普段はない女性らしい艶やかさがあった。

 夜会のことが話題に出たせいか、リオンの脳裏に国賓の姿が浮かぶ。

 貴族令嬢達もしばらく話題にしていた、威風堂々、貴公子然とした王太子の姿を。

 

「──もう王太子に媚を売る必要はないぞ」

「もうあんなのやだ。やりたくない」

「は?」

 

 誰か部外者が喋りでもしたのか。

 聞いたこともない幼い言い草に、リオンは思わず聞き返した。

 フィオレはといえば、小さく咳払いして何事もなかったかのように言い繕っている。

 

「もう一度やれと言われても御免でございます。他国の国王様に謁見するかもしれないんですよ。相応の準備はして然るべきです」

 

 その準備をしていて、遅くなったのだろうか。

 それはきちんと聞かぬまま、関所へと到達する。

 何故なら。

 

『可愛い! 今の言い方可愛い! もう一回言って、僕の心のメモリーに焼き付けるから!』

「いや、今のはその、猫が逃げまして」

『いっつもこうだったら猫なんてかぶらなくていいのに!』

「そうですか。では──嫌がる女に無理強いすんじゃねえやボケ」

 

 興奮したシャルティエによる漫才じみたやりとりのせいで聞きそびれたから。

 頭にはフードを被り、片目に眼帯、口元にはマフラー、足元まである外套をきっちりと着込んでいるフィオレに、関所を通るのだから顔は出せと言いつけて、再度手続きに入る。

 

「昨日ファンダリア国王の書状、並びに特別通行手形を預けた者だが」

「ああ、はい。少々お待ちください」

 

 幸いにも連絡が通ったのか、二人は無事入国の許可が下りた。

 

「では、こちらをお返ししますね」

「国王陛下にお話が伝わったにしては、随分早いですね。急だったでしょうに」

 

 書状、特別通行手形の返還。

 そして万一のためにと通常の通行証も発行してもらい、それを手にしたフィオレが訊ねる。

 

「ええ、国王陛下はご多忙ゆえ、代理より許可が下りたとのことですが」

「代理の方ですか。王太子様ですか?」

「いえ。ウッドロウ様は見聞の旅に出ておいでです」

 

 その瞬間を、リオンは確かに見た。

 ウッドロウ王子がいないと聞いて、フィオレが小さくガッツポーズをしたのを。

 受付嬢はそれに気づいた風情もなく、フィオレに話しかけてきた。

 

「ところで昨日、広場のところで歌ってらっしゃいませんでしたか?」

「ええ、何か問題でも?」

 

 フィオレの顔から喜色が消える。

 

「私ちょうどお昼休みで聴かせてもらったんですけど、とても素晴らしかったです。ジェノスでは吟遊詩人の方は珍しくて。人も沢山集まってましたよね」

「こちらでは珍しいことなのですか。通りで妙にじろじろ見られると思ったら。禁止されているのかと思いました」

「あ……でも、広場の一角とはいえ大勢の人が集まっていて、何事かって驚いている人もいました。短い時間だったので、通報はなかったようですが」

「──教えてくださってありがとうございます。もう二度とやりませんので、ご安心を」

「えっ、そういう意味じゃないですよ!」

 

 また始まった、とリオンは胸中でひとりごちた。

 聴衆の耳をあっさり虜にしておきながら、迷惑だとの声を聞きつければ、即座に歌うのをやめてしまう。

 それが本気の苦情ではなくやっかみによる野次だろうと何だろうと、素直に聞き入れてしまうからタチが悪い。

 こいつが騒ぐから隻眼の歌姫が歌わないと、野次を飛ばした吟遊詩人を数人がかりで暴行したとして過去、リオンはダリルシェイドの住民を何人か捕縛している。

 あからさまな野次に取り合うなと注意しても、幾度か繰り返されるならともかく、一度や二度では本気かやっかみか、区別はつかないと返されている。

 犯罪を助長してしまうなら金輪際やめたほうがいいかと相談される始末だ。

 そんなことをリオンの一存で決定させるわけにはいかない。

 現在は警備隊の詰め所前、噴水付近でのみ、歌唱を行っているようだ。

 警備隊の目があるためトラブル抑止になり、尚且つ噴水があるため、ある程度まで近寄らなければ聞こえない。騒音公害にはならないと踏んだ模様だ。

 

(まったく……)

 

 謙遜も程度が過ぎれば嫌味になる。

 どれだけ腕が立とうと、何に優れようと、率先してそれをひけらかすことをしない彼女の控えめな性格を知っているリオンでさえ鼻に付くのだ。

 ふっと現れた見知らぬ人間に、聴衆を根こそぎ取られた吟遊詩人達にはどのように映ることか。

 フィオレ本人はそれらを一切感知せず──あるいは一切合財を無視して──何事もないように振舞っているから、被害は被っていないとわかるが。

 

「ハイデルベルグで同じことしたら、捕まりますかね?」

「そんなことはないと思いますけど、心配ならしないほうが」

「その手がありましたか。悩みますねー……」

 

 雑談からここへきて、今回の目的をためらいだした彼女に思わず苦言を入れる。

 

「何故悩む必要がある。出張してほしいと、お前は乞われた側だろう」

「いやあ、一応許可取った方がいいような気がしてきました。騒音公害、あるいは土地の不法占拠、考えてみると軽犯罪要素は沢山あります。ファンダリアの法律、よく知りませんし」

 

 一理あるが、招待しておいて犯罪者にされるわけがなかろうに、と少年は若干楽観的に物事を考えている。

 ともかく入国許可は下りた。

 関所の執務担当との雑談を切り上げ、いざファンダリアに向かうべく彼女が身支度を整えようとしたその時。

 バタンと音を立てて、ファンダリア側の扉が開いた。

 

「邪魔をする」

 

 入ってきたのは、長身痩躯の男性である。

 防寒着を兼ねているのか、厚手の軍服を纏っているということは。

 その正体を誰何するより早く、常駐していた兵士が敬礼した。

 

「ビーグランさん、お疲れ様です!」

「おう、お疲れ。隻眼の歌姫が来たと聞いてな。あんたがそうか」

「ええ、初めまして。フィオレンシア・ネビリムと申します」

 

 外套を着込む手を止め、フィオレは礼を失さない程度に会釈した。

 ビーグランと呼ばれた軍人は自己紹介するでもなく、彼女のてっぺんから爪先まで、余すことなくジロジロと見ている。

 明らかに値踏みされているにも関わらず、フィオレは平然としていた。

 他人の注目を一身に浴びて歌唱を行える胆力の持ち主である。男一人の無遠慮な視線など、ものともしないだろうが……

 ひとしきりフィオレを観察し、ちらっとリオンを見やったところで。

 彼はふん、と鼻を鳴らした。

 

「なるほど。確かに髪の色は陛下達によく似ているが、顔はそうでもないな」

「当たり前じゃないですか、他人ですよ? 似ていたほうがおかしな話です」

 

 この言動から、彼が何を勘違いしているのかは明らかである。

 それを正すためだろう。フィオレは表向き朗らかに訂正を入れた。

 ビーグランは、返答があったことにも驚いた様子で彼女を見返している。

 

「……隻眼の歌姫、だよな。陛下の、落胤の」

「違います。それは悪質なデマですので、認識を改めてください。よしんばイザーク王に本当にご落胤がいらっしゃったとしても、それは私ではありません」

 

 一刀両断、有無を言わさずばっさりと否定する。

 普段より二割増しで言い方に容赦がないのは、無遠慮な視線の意趣返しなのか。

 認識を改めろ、とまで言われたビーグランは、かなり混乱した様子で何故か弁明を始めた。

 

「……オレの聞いていた話と大分違うな。隻眼の歌姫は「そうですか。誤解が解けたでしたら喜ばしいことです」

「いや「何故あなたがそんな勘違いをなさっていたのか、そうなるまでの経緯でしたら結構ですよ。そちら、通していただいてよろしいですか?」

 

 話を遮り、そこをどけ、とやんわりとだが言い放つあたり、やはり何か思うことあってか。

 フィオレのそこはかとない不機嫌を悟ったか、ビーグランは軽く苦笑しながら外を示した。

 

「オレはあんたを迎えに来たんだ。外に馬車を用意させてある」

「……左様でございますか。では、お願いします」

 

 如何にビーグランが名乗りもしない無礼者でも、送迎を拒絶するのは礼を失すると思ったのだろうか。

 フィオレはあっさりとそれを受け入れた。

 そこで初めてリオンを指し示し、紹介を始める。あくまで慇懃に振舞うつもりでいるらしい。

 

「こちらはセインガルド王国客員剣士、リオン・マグナス様です。セインガルド王の命により、此度は私の護衛を勤めてくださいます」

「噂に聞く客員剣士か。もう一人いるんだろう? 置いてきたのか」

「──いいえ。あなたの目の前にいますよ」

 

 言葉の意味が飲み込めなかったらしい彼を置き去りに、手間をかけた、と受付嬢に一礼している。

 気を取り直したビーグランの先導によって雪上馬車を前にし、フィオレはぼんやりとこれより行く街道を眺めていた。

 見渡す限り、一面の銀世界である。晴天だが積もった雪が融けゆく気配はない。

 日差しが雪に反射してまぶしいのか、瞳を細く眇めている。

 

「おい、どうかしたのか」

「……ええと」

 

 雪上馬車を見て、リオンの顔を見て、また一面の銀世界を見やって。

 言葉もなく、しかしその場から動こうとしない。

 すでにビーグランは御者と話をつけ、フィオレが乗り込むのを待っている。

 護衛であるリオンが先に乗るわけにもいかず、箱型の荷台へ乗るよう促した。

 

「馬車が嫌なら初めからそう言えばいいだろう」

「いえ、そういうわけでは」

『ひょっとしてお腹空いてるの? 何も食べてないし』

「いや、そうでもなくてですね」

「ならさっさと乗れ。グズグズするな」

 

 寒いと言って、顔を隠すようにマフラーを巻きつけていては、何かを伺い知ることなどできようもない。

 半ば押し込むようにフィオレを馬車に載せ、一同はハイデルベルグへ出立した。

 躊躇していた割にはあっさりと馬車へ乗ったフィオレは、出立するなり窓に手を伸ばしている。

 箱型の荷台の中、窓を開ければ間違いなく冷風が室内を蹂躙するだろう。

 寒がって今もマフラーを外さないくせに、わざわざ冷やすようなことをするなと彼が苦言を吐くよりも前に。

 

「あれ?」

 

 外開きの窓は、一向に開く気配を見せなかった。

 立て付けが悪いのか、とビーグランが変わって窓を開けようとした、その時。

 

「すみません、凍りついてしまったみたいです」

 

 物音と会話で、荷台の中の状況を察したらしい御者の一言により、ビーグランも手を離す。

 

「今朝は、窓が凍りついてしまうほど冷え込みましたか?」

「そんなことはないが、さては整備さぼりやがったな」

 

 御者からの返事はない。

 ビーグランいわく、一度凍りついた窓などを放置すると窓枠が変形し、結局立て付けが悪くなってしまうのだという。

 外の景色を楽しみ損ねたフィオレは、気を取り直したように座りなおし、そのまま目蓋を下ろした。

 

「おい、ふて寝するな。はしたない」

「ふてくされていませんし、寝ていません。人聞きの悪いことを仰らないでくださいませ、リオン様」

 

 ビーグランと行動を共にしてからというもの、フィオレはリオンにまで慇懃に──元からそうだが、いつも以上に他人行儀な態度を取っている。

 ビーグランにリオンと既知の間柄だと知られたくないのだろうか。

 何となくそれを察したリオンが黙り込み、同乗していたビーグランも自分から口を開こうとしない。

 結果。馬車内は完全な沈黙が降り積もった。

 

『……き、気まずい……』

 

 シャルティエは呟くものの、リオンは部外者の前で返事をしないし、フィオレも反応を示した気配はない。

 牽引する馬の息づかい、御者が馬を操るかけ声、雪上仕様の馬車が雪の敷かれた街道を行く音。

 それらを除く沈黙を破いたのは、目蓋を下ろしてしばらくじっとしていたフィオレだった。

 ぴくりと体を震わせたかと思うと、まるで弾かれたかのように起き上がり、切羽詰ったような声を上げる。

 

「すみません。降ろしていただいてもよろしいですか?」

「そりゃ構わんが……いきなりどうしたんだ?」

「ちょっと気になることが」

「……? まあいい。止めてくれ」

 

 ビーグランの言葉で馬車が止まり、箱型の荷台から降りたフィオレが馬車の後方を伺う。

 針葉樹の森のただ中を行く街道は曲がりくねっていて、周囲の様子はおろか、来た道も杳としてしれない。

 

「どうした」

「あちらの方角から何か来ます。野生の四足獣だと思われますが」

 

 おもむろに足元の雪をすくい、手のひらで押し固めて球状にし始める。

 遊んでいる場合かと叱責するより早く、フィオレは大きく振りかぶったかと思うと雪玉を放り投げた。

 ゆるい弧を描いて雪玉が宙を舞う。すると。

 

「ギャンッ!」

 

 曲がり道より姿を現した、数頭を引き連れる四足、中型、獰猛な野生動物。俗に狼と呼ばれる獣の鼻先に、雪玉は落下した。

 当然のことながら雪玉は四散している。

 その後の狼の様子を怪訝な目で見やり、ビーグランもまた馬車から降りてきた。

 

「……よく、わかったな。狼に追われてる、なんざ」

「お褒め頂き光栄です。確か狼って、飢餓状態だと家畜にも襲いかかるんでしたね。よかった、追いつかれて馬が暴れた挙句街道外れて、迷子とかにならなくて」

「……いやに具体的だな」

「ちょっと前に読んだ童話にそんな場面がありました」

「それであの狼どもは、何でのた打ち回ってるんだ?」

「雪玉に香辛料を仕込みました。あの生き物、嗅覚が優れているようですね。牽制になればいいとは思っていましたが、あそこまで効果があるとは」

 

 効果があるどころの話ではない。

 よくよく見れば、狼の周辺には赤い粉が散っている。その様相から、唐辛子の粉末を雪玉に仕込んだものと思われた。

 言わずもがな、狼は犬と祖先を同じくし、嗅覚の鋭敏さに人は遠く及ばない。

 その敏感にして繊細な鼻先に唐辛子の粉末が散れば、悶絶どころの騒ぎではなかった。

 ビーグランどころかリオンとシャルティエも絶句する中、フィオレはしれっと鼻先を雪に突っ込んでは七転八倒する狼を見やっている。

 

「あれは人も襲うんですよね。今の内に始末した方が」

「いや、必要ない。しばらくは動けんだろうからな」

 

 そうですか、と彼女は存外素直に狼に背を向けた。

 その視線の先には、御者台に座ったまま、煙草をくわえている御者がいる。

 紫煙をくゆらせるその姿に、リオンはふと違和感を覚えた。

 停車していることをいいことに一服している、ように見える。

 しかし今しがた、彼の御する輓馬は狼に狙われていたのだ。

 知らなかったとしても、こんな平静──何事もなかったような風情でいられるものか。

 更にフィオレの視線は、ビーグランと呼ばれた軍人にも向けられている。

 自己紹介もなく訊ねもしなかったため、彼が何者なのかは未だ把握していない。

 国境に常駐する兵士から敬礼されていたということは、それほど地位の低くない、国境警備隊に属する者と思われるが……

 

「お待たせしてしまいましたね。参りましょうか」

 

 ビーグランが二人の視線に気づくよりも早く、フィオレは再び馬車へ歩み寄る。

 ところが。

 

「あ」

 

 唐突にその足元を縺れさせたかと思うと、まるで雪上に突っ伏すかのように転倒した。

 

「!」

 

 踏ん張る素振りもしなかった辺り、普段の立ち居振る舞いを思えば信じられない愚鈍さである。

 

『坊ちゃん……さっきから思ってましたけど、フィオレの様子が変ですよ』

「雪に慣れていないにしても、明日は雨か雪だな」

 

 護衛対象である隻眼の歌姫が転んで雪まみれになっているのに、肝心の護衛が何故か棒立ち。その表情はまるで信じられないものを見たかのように驚愕で彩られている。

 その光景に首をひねりながらビーグランは彼女に歩み寄った。

 

「おい、大丈夫か?」

「……どうも」

 

 聞いていた話通り、ファンダリア王族に通じた髪の色、整った風貌の持ち主。

 そして彼の持った印象より遥かに気丈だった「隻眼の歌姫」は、言葉少なくのろのろと起き上がった。

 すぐに立ち上がらない辺り、新雪に足を取られたままなのか。

 

「あの客員剣士は何を吃驚しているんだろうな」

「転倒した私を見て、だと思いますよ。指差して笑われなかっただけマシでございます」

「雪に慣れていないなら仕方のないことだ。笑うことじゃないだろ」

「……」

 

 転んだ拍子にマフラーが緩んだのか、フィオレはまるで恥じらうようにうつむいてそれを直そうとしている。

 そのままそこかしこについた雪を払い、差し出されたビーグランの手をためらいながら掴んで、立ち上がろうとして。

 

「!」

 

 ──ビーグランが異変に気付いた。

 

「お、おい。あんた──」

「いっ、今だ、やっちまえ!」

 

 叫んだのは、煙草を吸い終わった御者である。

 次の瞬間、雪を背負った木々の陰から次々と現れ、三人と馬車はあっという間に囲まれた。

 これが盗賊や追剥の類と断定できたならば、リオンとてすぐさま降伏勧告のちに撃退、あるいは捕縛するべく迅速に動いただろう。

 しかし、現れたのは。

 

「よぉし、ビーグラン! そのまま娘を抑えておけ!」

「隊長!?」

「何をぐずぐずしている! ええい、ネルギー、行け!」

「はい!」

 

 三人を囲んだのは、ビーグランと同じ防寒着を兼ねた厚手の軍服を纏う、軍人と思しき男達だった。

 突然の勧告に、そして突拍子もない命令に心底まごまごしているビーグランを盾に、迫る男の手から逃げる。

 

「ファンダリア王族の面汚しめ、大人しくしろ!」

「……何の話をしてるんですかっ」

 

 身に覚えのない中傷らしいそれを否定するも、いまいち言葉尻に力がない。

 引き続きビーグランを盾にしながら、彼に問う。

 

「お知り合いですか、こちらの方々は」

「……国境警備隊、俺の属している隊だ」

「副隊長、何やってるんですか! 俺じゃなくてそっちの娘ですっ」

 

 どうやら彼は、副隊長であるらしい。

 盾にされたことで向かってきた青年を押し留めるビーグランは、まだいまいち事態を把握していないようだ。

 そんな彼に、もちろん彼の上官はご立腹だった。

 

「何をしている! 貴様も聞き及んでいるはず、この娘はイザーク王の落胤だ、さっさと捕らえんか!」

「隊長、彼女は落胤ではないと主張している! 悪質なデマで迷惑していると……!」

「血迷ったか! そんな出まかせを頭から信じるなど……捕らえろと言ったら捕らえろ、それとも貴様、上官に逆らうか!」

 

 状況を鑑みるに、ビーグランによって穏便に場を収めるのは難しいようだ。

 それを察してシャルティエを抜いたリオンだが、当然兵士達はそれに気付いて警戒を強めている。

 それらを蹴散らすより早く、フィオレが動いた。

 ちらとリオンを見やるも、兵士の密集具合を見て突破を諦めたらしい。

 ビーグランが盾になっていることをいいことに、その場から素直に飛びのく。

 距離を取って近くの大木を背にしたのは、背後を取られないためか、あるいは別の理由か。

 

「王族って、寝ぼけるのも大概にしてくださいよ。人違いです」

 

 時間稼ぎか、荒事に持ち込みたくないのか。

 大木に寄りかかっているようにしているフィオレが、再度弁明する。

 その姿の何か、勘に触ったのだろうか。

 隊長格は眦を吊り上げて怒鳴り散らした。

 

「フカシこいてんじゃねえ! お前、イザークの隠し子なんだろうが!」

「いや違いますって。その根拠は何ですか、髪ですか? ジェノスで歩いていた方にちらほらいらっしゃいましたが、全員イザーク王と所縁があるのですか」

「むぐっ……」

「髪の色と噂だけで決めつけられて、迷惑千万です。こちらの副隊長殿も顔は似てない、とおっしゃっておいでですよ。国王陛下の隠し子が表沙汰になって困るのでしたら、私は違いますので他当たってください」

「……ええい、私は騙されんぞ! そんなものは何の根拠もない戯言だ!」

「あなたの言葉にだって根拠なんか皆無ではありませんか」

「黙れ黙れ! 記憶喪失が何を抜かそうと、信じるに値せんわ!」

 

 話が通じない。

 今にも掴みかかってきそうな軍人を前に、彼女は諦めたように息をついた。

 

「……狙いはなんですか。イザーク王の汚点と思しき私を消すだけ、ですか」

「はっ、察しがいいではないか。セインガルドに重用された貴様、そして最年少客員剣士と名高いそこの小僧が死ねば、セインガルドとファンダリアとの「あ、もういいです。聞きたくありません。わかりました」

 

 長々とした口上に飽き飽きしたような風情で、正確には渦巻く陰謀を聞きたくないようで遮る。

 

「セインガルドとファンダリア間が友好的では都合が悪いのですか。ならイザーク王達の馬車に放火したり、祝賀会で襲撃を仕掛けてきたのは」

「そうとも、我々の同志が計画を実行に移したものだ。その様子ではうまくいったようだな」

 

 放火は未然に防いだし、襲撃も防げこそしなかったが、成功したわけではない。どちらも実行犯達は確保、今もまだ拘留中である。

 わざと誤解を招くよう放たれたフィオレの誘導は成功したようで、隊長格は機嫌を良くしたようだ。

 満足そうに、しかし小物臭漂ういやらしい笑みを隠せない。

 

「くっくっくっ。順調だ。この分ならば、大将軍の暗殺も成功していることだろう」

「!」

「大将軍……フィンレイ将軍の暗殺だと!」

 

 国賓への禍根を残すほどの危害はどうにか防いだものの、それだけは確かに実行されたことである。

 途端に色めき立つリオンの、その過剰反応に気を良くしてか。

 隊長格はにやにやと嘲笑を浮かべて、己の髭をしごいた。

 

「んん? その様子、奴は死んだか。次期セインガルド国王候補を失い、奴もさぞや真っ白になっていることだろう。ははは、これはめでたい!」

「貴様ぁっ!」

 

 ──この隊長格がフィンレイを殺したわけではないことは、リオンとて承知している。

 しかし、勝ち誇ったように下卑た高笑いを上げる男を前にして、頭に血が上るのは止められない。

 

「あとはあの王女だな。さすれば国王は実子すらなくし意気消沈、王妃亡き今新たな子も望めまい。セインガルドは荒廃の一途を……!」

 

 自分の妄想で興に乗ったようで、ぺらぺらとまくしたてる隊長格に歯ぎしりすらしながら、リオンは訝っていた。

 フィオレは何をしているのか、と。

 一見無駄な弁解と見せかけ、繋げた誘導は見事、隊長格に自らがセインガルド内において狼藉を働いた組織との繋がりがあると吐かせた。

 レンズ製品を取り扱うオベロン社総帥の子飼いでもある二人は、一般庶民が手にできないような様々なレンズ製品を支給されており、その中には会話を録音し、記録可能な代物もある。

 隊長格の妄言は、リオンとて記録済みだ。

 もう充分なくらいの証拠を手にしたのに、いつまで経っても彼女は何も仕掛けようとしない。

 普段ならば、我に大義ありとの証を得た時点で──もうとっくの昔に乱闘へ持ち込み、息ひとつ乱さず制圧してみせるというのに……! 

 焦れるリオンの意識に水を差したのは、シャルティエの囁きだった。

 

『坊ちゃん、フィオレが』

「……なんだ」

『この連中を制圧できるかどうか、坊ちゃんに聞いてくれと』

「どういう意味だ」

『できるのか、できないのか。それをまず答えてほしいと』

 

 隊長格の指示なくして動く気はないようで、国境警備隊の面々は抜剣したリオンを警戒したまま。

 彼らの向こう側で今だ大木を背にして佇むフィオレを睨む。

 しかし彼女はその視線に気づかない。

 ビーグランが抑えている男がいつ自分に来るのか、それだけを気にしているように見える。

 

「……そのくらい造作もない。自分の身は自分で護れと伝えろ」

『はい。フィオレ──』

 

 シャルティエがリオンの返答を繰り返す。

 直後、音無き返事を聞いてシャルティエは慌てたように反論した。

 

『いや、確かにそうだけど! ホントにもう、今日はどうしちゃったのさ!』

「どうしたんだ」

『あの、えーと。私の護衛で来たくせに、仕事しろこの……だそうです』

「この、の後はなんだ」

『えーと……やだよ、勘弁してよ、だからヤだってば! 絶対坊ちゃん怒るって!』

 

 彼女が何を言ったのかは、事が終わった後に聞き出すことにして。

 リオンは晶術を行使するべく集中した。

 何かしらフィオレと揉めていたシャルティエだったが、すぐ主の意に沿い詠唱に入っている。

 

『つぶては空を駆け、我が敵を殴打せん!』

「ストーンブラスト!」

 

 おざなりではあるが整備されている街道、それも針葉樹の並ぶ並木道にあるはずもない岩石が、密集している警備隊の面々にいくつも飛来する。

 ソーディアンの存在は御伽噺レベルで、晶術の知識については一切持ち合わせていない彼らは当然浮足立った。

 

「な、なん……うわあっ!」

 

 晶術使用による硬直を一呼吸で脱したリオンは、彼らの動揺に付け込むように突貫した。

 

 

 

「相手の意表は突くものです。卑怯? 卑劣? 姑息? 負け犬の遠吠えですね。誇りなき戦なれば、勝者こそが正義。敗者はただ踏みにじられるのみです。どの道死んだら何も言えません」

 

 いつかの模擬仕合にて対峙した折、いきなり足元の雑草を引き抜いたフィオレを思い出す。

 何をしているんだと言う前に、抜いた草を投げつけられた。顔面に散る、草の根に付着した土を払う間に間合いを詰められ、そのまま成す術もなく一本取られ。

 卑怯卑劣姑息その他罵倒を繰り返したところ、そんな返事が寄越された次第である。

 フィオレとしては、いきなり目潰しを仕掛けてくるような敵もいないことはないから、常に捌けるよう冷静たれと言いたかったようなのだが。

 その忠告よりも先に少年は、そういった戦術もあるのだと学習していた。

 学ぶことは真似ること、学習の基本は模倣である。

 元々我流傾向が強かったリオンの考え方は、プライドが突っ張った、もとい誇り高い性格とは裏腹にかなり柔軟で、それ故に応用の躊躇もなかった。

 

 

 

「このっ……!」

 

 混乱から回復した警備隊の一人が飛びかかってくる。

 その顔面に、リオンは手にしていたひと掴みの雪を叩きつけた。

 

「どわっ!」

「雑魚が」

 

 その隙に悠々と当て身を入れ、慣れない雪上、足元を滑らせないよう注意深く立ち回る。

 

「このガキ!」

「安い挑発だ」

 

 国境警備隊が主に相手取る魔物、獣、でなければ密入国者の類である。

 対して、客員剣士である彼が相手取ってきたのは頭が回り腕の立つ犯罪者か、あるいはリオンより遥か高みに立つ指南役だ。

 多勢に無勢、は事実である。

 しかし覆せない絶対など、この世に存在しない。

 結果としてリオンは、フィオレが突破することを諦めた警備兵群を、誰一人殺めることなく鎮圧した。

 しかし。

 

『フィオレ、大丈夫!?』

「……」

 

 見やれば、フィオレは未だ抜刀すらしていない。

 ネルギーと呼ばれた青年はフィオレを拘束せんと迫り、ビーグランは隊長格と対峙している。

 

「隊長、もうやめろ! セインガルドと敵対して何になる! いつかの内乱じゃないんだ、また国を疲弊させたいのか!」

「セインガルド如き新興国家なんぞと友好を深めてなんとする。国益なぞ見込めん、併合するならまだしも……」

「このっ、くのっ、ちょこまかと!」

 

 副隊長であるビーグランは隊長の説得を、未だ隊長の命令を遵守する青年の手から、フィオレはひたすら逃げの一手を打っていた。

 いつもなら。当の昔に。

 ネルギーなる青年は、彼女に指一本触れる前にしばき倒されているのに──! 

 此度のフィオレは、客員剣士見習いではなく、隻眼の歌姫。

 セインガルドの民でこそないが、それでもかの国を通して招待された、いわば国賓に準拠される位置にいる。

 そんな立場の人間が、正当防衛であっても直接他国の人間を害すれば、どういうことになるのか。

 そのことも忘れて、ついにリオンは彼女を怒鳴りつけた。

 

「いつまで遊んでいるつもりだ! さっさと片付けないか!」

 

 リオンの怒声を聞いてなのか、それとも違う理由か。

 身を翻したにも関わらず、迫るネルギーの手は、フィオレのマフラーの一端を掴んでいた。

 

「捕まえ──!」

「!」

 

 青年が喜色も露わに、手にしたマフラーを手繰り寄せんとする。

 顔に巻きつけるようにしていたそれを、蜥蜴が尻尾を切るかのように。

 フィオレは手早くマフラーを放棄した。

 

「!」

 

 露わになったその顔を見て、思わず息を呑む。

 林檎のように赤い頬。心なしか潤んだ瞳。

 口元は忙しなく大気を求めて白い息を吐き、ろくろく動いていないのに額から玉のような汗が噴き出して、おとがいまで滴っている。

 よくよく見れば身体全体が細かく震えていた。

 おそらく被服の下も大量に汗をかいており、大気の冷たさから増して身体を冷やして、悪循環に陥っているものと思われる。

 

「な……!」

 

 固まる彼には頓着せず、フィオレは無言でリオンの元へ駆け寄ってきた。

 ──まるで助けを求めるように。

 

『様子がおかしいと思ったら、風邪引いてたの!? お化粧も、顔色悪いの隠してたってこと!?』

「……」

『想像に任せるって、じゃあそういうことなんだよね。何で言ってくれないのさ!』

 

 シャルティエの金切り声を、うるさいと咎める暇もない。

 フィオレを追ってきたネルギーではあったが、今しがた仲間達を蹴散らしたリオンを前に足を止め……抜剣している。

 

「くそっ!」

「安心しろ、すぐにカタをつけてやる!」

 

 ──隊長格は二人とも消すようなことを言っていたのに、フィオレだけは捕まえようとしていたのは、如何なる企みがあってのことか。

 

「隻眼の歌姫を渡せ、小僧!」

「断「私をモノ扱いしないでくださいっ」

 

 リオンの後ろに立つ──彼を盾にしたまま、口だけは減らない。

 

『フィオレ、そこは黙って護られようよ! せっかく坊ちゃんがやる気になってるのにっ、どうして気を削ぐようなこと言うのさ!』

「……」

『ガラとかそういう問題じゃなくてーっ』

 

 張り詰めた空気を瓦解させるシャルティエの一人漫才──正確にはフィオレも何か言っているのだろうが、リオンには聴こえない──にもめげず、リオンは無事ネルギーなる青年を下した。

 振り返れば、もう立つこともままならないのか。憮然とした面持ちのフィオレが、その場にへたり込んでいる。

 無言のままその額に手を伸ばすも、逃げる素振りはなかった。

 

「熱があるな。かなり高い」

「……」

「朝からなんだろう。寝坊したのも、不審な行動も……どうして何も言わなかった」

 

 フィオレは答えない。

 肩で息をしながら、リオンの視線を逃れるように明後日の方角を向いている。

 

「おい」

「……リオン」

 

 とりあえず自分に顔を向けさせようとして、呟くように名を呼ばれる。

 へたり込んだまま腕を掴まれ、そのまま引っ張られると同時に。

 

「伏せて」

「な、何をするんだ、離せ!!」

 

 膝が折れたところで地面に引き倒され、その上に乗られた。

 咄嗟のことで振り払い損ねたリオンを、まるでその全身で覆うように突っ伏し、その手がリオンの耳を、覆い隠すように包み込む。

 

(熱い……!)

 

 彼の耳に押し付けられた手も、のしかかる肢体も。

 雪上に触れた瞬間は凍るように冷たかった背中が知覚できなくなるほどに、その体は熱を帯びていた。

 鬱蒼と茂る、粉雪を纏った針葉樹林に。

 覆われて尚、鼓膜を揺さぶる轟音が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回のタイトルはシンプルにしてみました。
 元のタイトルは「ファンダリア探索訪問記録──フィオレの異変~リオンの困惑──前編」
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