森の中の街道で、更にその先のハイデルベルグで、ドンパッチが続きます。
風邪を引いたオリジナルキャラクターのブレーキが壊れて絶賛大暴走中ですが、何、気にすることはない(笑)
※ちなみにウッドロウはやっぱり出てきません。
耳をつんざくような轟音が、長く音を引いて止む。
その直後、四肢を突っ張るようにしてフィオレが跳ね起きたことによって、押し倒されたリオンはあっさりと解放された。
「……業腹ですが、助かりました」
不快という感情を隠さないまま、その身を纏っていた外套を放り捨てる。
丈は足元まで、内側は羊の毛に満遍なく覆われ、フード付きのそれからぱらぱらと何かが払われて散った。
キラキラと光る結晶──硝子の破片。
「火焔瓶みたいなものを立て続けに投げられたようです」
リオンが何か聞いたわけではない。
しかしフィオレは、リオンの顔をじっと見据えたままそれを告げた。
「耳は無事ですね? 私が塞いだのですから、そうでないと困りますよ」
「何?」
「もう察しているでしょう。爆発の余韻で、耳が機能していません。一時的なものと思いますが」
驚愕を露わにするリオンから目を離し、周囲を睥睨する。
耳を揉みながら警戒するフィオレだが、その言葉は信じ難かった。
「耳が聴こえないだと!? タチの悪い冗談だ、こんな時に変な悪ふざけはよせ」
聴こえないのか聞き流しているのか、フィオレは彼を見やりもしない。
聴覚のハンデを補うようにきょろきょろと周囲を見回し──
「ちっ。まだ起きてやがる」
音高い舌打ちを聞いて、リオンが発生源を見やり、彼の挙動を見たフィオレもまた続く。
言い争っていた隊長格とビーグランは、直撃を受けたのか仲良く失神しており、踏まれても目を覚ます気配はない。
彼らを踏みしめて現れたのは、毛皮をふんだんに纏い、各々好き勝手な武装をした、むくつけき男達だった。
どんなに目をこらしても、軍服を着ているようには見えない。軍人に求められるある程度の品行方正さも伺えない。
ということは隊長格の援軍ではなく、ファンダリア軍の街道沿い見回り警備兵でもない、ただの無関係なならずものなのか。
しかし、無関係なならずものが、軍人同士が揉めているからと、いきなり火焔瓶を投げつけてくるわけがなく。
「おう、そっちの小娘か!? 隻眼の歌姫、椿姫ってのは!?」
『椿姫? ……そう、あの男が言ったんだ。何のことかって? そんなの僕だって知りたいよ』
「って、聞くまでもねえな。その髪、その眼帯、噂通りの美貌……のワリにゃあ、大分ガキだな」
下卑た笑いが、嘲笑が、細波のように広がっていく。
普段、フィオレは自らをあからさまに嘲られても頓着しない。取るに足らない悪口雑言など、まともに取り合う価値もないと切って捨てているからだ。
それでも腹を立てたと思わしき場合、相手には何らかの報復処置が働く。
例として、ヒューゴ氏に、
「髪を切るだけだ。それが怖いだと? 君がそんな臆病者とは知らなかったよ」
などと、せせら笑われた直後。
抜く手も見せずに、彼の髭は半ばから切断された。
「ヒューゴ様、これが怖くないんですか。凄いですねー尊敬します~」
そんなことをのたまいながら、彼女はいつの間にか手にしていた鋏を振り上げて、笑顔のまま詰め寄った。
「どうしたんですか、なんで逃げるんですか? 他人が刃物持って傍をうろついても、怖くないんでしょう? ましてや臆病者の持つ鋏なんか」
「し、失言だった。撤回する。だから鋏から手を離したまえ!」
「ふーん、撤回ですか、そうですか。お断りします」
結局フィオレは、ヒューゴ氏からきちんと謝罪されるまで彼を追い回し、その髪に何度か鋏を入れた。
クビにならなかったのが不思議なまでの暴挙だが、そこはヒューゴ氏も己の非を認めたためか。
ヒューゴ氏が記念式典にも祝賀会にも出席しなかったのは、切られた髭やら髪やら、それを繕うためのカツラや付け髭に都合がつかなかったためらしいが……そんなことはどうでもいい。
腹を立てれば、たとえ雇い主相手でも容赦しないフィオレが、彼らとリオンを交互に見ているだけで何もしない。
つまるところ、それは。本当に耳が機能していない証拠である。
「加えて国王様の隠し子ってか。さあて、あの賢王はてめえにいくら払うかな!?」
「!」
「椿姫の正体は、あのオベロン社の総帥様どころか、セインガルドの将軍たちまでたぶらかした高級娼婦って話だ。ちっとくらい味見してもかまわねえよなあ?」
「お頭ばっかりずりぃっすよ。俺達にもやらせてくださいよ~」
──今。フィオレの耳が聞こえなくて、よかった。
『よかった、です。フィオレの耳が聞こえなくて』
怒りに震えるシャルティエの声を聞いたようで、彼は慌てて言い繕った。
『え? いや、なんでもないよ! ただ、耳が汚れちゃうような嫌なこと言ってるからね、アイツら! 君に聞こえなくてよかったってこと!』
気にしないで! と彼は叫ぶが、フィオレは不思議そうな表情で闖入者を見やっている。
しかし、問題はそんなことではない。
お頭と呼ばれた男が引き連れる十数人に対して、リオンはフィオレを護りながら戦わなければならない。
更に。
「そそる顔してるなあ……へへ、いい声出すんだろうなあ」
「おれっちは、あっちの小僧がいいなあ」
冷たい大気とは関係なく、寒気のするような会話を交わす不埒者も多数、いる。
類は友を呼ぶとはよく言うが。
「とんだ変質者どもだ……!」
シャルティエが黙ってしまったからだろうか。
フィオレは心底嫌そうに顔を歪めているリオンの顔を見、舌舐めずりすらしているならずものを見、いまいち掴めない状況を探っている。
その眼が今だ倒れ伏す警備兵達を見やって、ぽつりと呟いた。
「──片づけちゃいましょうか」
「?」
「いくら隊長がトチ狂っているからとはいえ、ファンダリアの軍人を殺して回るのはまずいと思いましたが……あの連中なら問題なさそうですね。消してしまいましょう」
固まるリオンに構う様子もなく、ならずものに向かって歩を進める。
その足元が妙にふらついているのは、おそらく雪のせいだけではないだろう。
「何をしているんだ、戻れ!」
フィオレは止まらない。
リオンの声を聞いた様子もなく、顔を赤くし、額に汗を浮かべたまま、ならずものたちへ近寄っていく。
そのまま、お頭とよばれたならずもの代表の前に立ち。
「──」
思わず駆け寄ろうとしたリオンが、白の大地に散った赤を見て、停止する。
「?」
馬車の車輪と馬の蹄鉄、更には何人もの足跡で薄汚れた雪の上を、何かが転がった。
「!」
丸みを帯び、毛皮の帽子にくるまれたひと抱えもあるそれは──お頭と呼ばれたならずものの、頭部だった。
いつのまにか、フィオレは刀身に淡い紫を宿した刀を手にしている。
止める間もなく歩み寄ったフィオレは、抜く手も見せず斬りかかり、一撃で首をはねてしまったのだ。
刀を一振り、血糊を払い。銘と同じ紫電一閃が、再びならずものを襲う。
悲鳴も上げず、しかし大量の出血を伴い、倒れ伏した仲間を目の当たりにして。
彼らは浮足立つのがとても遅かった。
「な……」
「え……」
幻想的な銀世界。
静けさに浸る針葉樹の並木道が、白と赤と骸に彩られる。
現実を認めた直後。
鼻の下を伸ばして猥談すら興じていた彼らは、顔面蒼白になって逃げ惑った。
「ヒィッ!」
「た、助け……!」
「クソ、椿姫が戦えるなんざ聞いてねえぞ!」
中には、どうにか事態を飲みこみ、立ち向かう者もいる。
逃げる者から屠っていくフィオレの背中に斬りかかろうとして、ナイフを持つその腕が血飛沫を伴い、地面を転がった。
気のせい、だろうか。
その一瞬、フィオレが二人いたように見えたのは。
「魔神剣!」
「ぎゃあああっ!」
まるで猫が鼠を追うように、逃げようとした者から優先的に仕留められ。
抵抗を許さない一方的な殺戮は、唐突に終焉を迎える。
「……ント流、奥義」
血肉の詰まった袋を幾度となく切り裂いて、その身を深紅に染め上げた刀身が虚空を薙いだ。
「次元斬」
一拍の間を置いて、唯一凶刃から逃れ、こけつまろびつ走っていた男の胴体が、真ん中から寸断されて真白の大地に沈む。
この場に立つのが二人だけになって、フィオレは糸が切れたかのように崩れ落ちた。
『フィオレ!』
肩で息をしながら、ガタガタと明らかに身体を震わせながら。刃にべったり張り付いた血糊を、雪で拭って鞘へ収めていた。
走り寄り、自分の外套を脱いで、フィオレへ被せるように着せる。
そのままリオンは、よろめく彼女の腕を引いて馬車の箱型荷台へ押し込んだ。
「リオン「何か言う前にまず顔を拭いて着替えろ。風邪が悪化する」
「あの「お前はそのまま中で待っているんだ。勝手に出てきてみろ。もう二度と口を聞かないからな!」
かいている汗だけではない。
普段の二割にも満たない体捌きでの交戦で散った返り血は、フィオレの全身を濡らしていた。
返り討ちにならなかったのが不思議なくらい、負傷していないのが奇跡に思えるほど、彼女にしてはひどい泥試合だったのである。
何か言おうとしているフィオレを完全に無視して、背中を向ける。
できることなら扉を封鎖してしまいたい。
しかしこれから国境警備隊の連中と話をつけなければならない彼に、そんな暇はない。
唯一話の通じそうなビーグランから起こすべく、彼は馬車から離れていく。
一方、乱暴に閉められた扉を見つめたまま。フィオレは己の頬を拭った。
返り血がついていたのか、汗に混じった朱が袖をその色に染める。
血飛沫が散る袖を更に汚してしまい、フィオレは小さく嘆息した。
「……なんで、あんな泣きそうな顔なんだろ」
音こそ聴こえるようになってきた。
しかし麻痺した耳は未だ、人の言葉を解さない。
読唇術に多少の心得があってよかった。
唇を注視しなければならないし、注視できたところで単語しか読み取れずとも、役には立っている。
「顔、着替え、風邪、悪化」
「勝手、二度と、口」
汲み取れたのはこれだけ。
他の判断材料はリオンの、怒っているような泣き出しかけのような表情。
己の解釈に間違いがあったら、後で謝るしかないかと諦めて。
フィオレは取り出した手巾で顔を拭いた。
ちらりちらり。はらりはらり。
空中を泳ぐように舞う風花が、吹き抜ける風に煽られる。
出発当時の青天は何処へやら。鈍い色の空の下、どこもかしこも雪に覆われた街の大通りを、二人は歩いていた。
──あの後。
ビーグランを起こした彼は、当て身から目覚め相次いで起き上がってきた国境警備隊の面々と、再び対峙した。
しかしリオンを目にした彼らは、彼が拍子抜けするほどあっさりと降伏し、粛々と縄についている。
正確には、彼の周囲に散らばる「ならずものであったもの達」を目の当たりにして。
「こ、この者達は!」
「先程火焔瓶らしいものを放り込んできた闖入者だ。何か不都合でもあったか」
「この辺り一帯を縄張りにしていた追剥連中だ。お前がこれをやったのか」
果たして、これをフィオレがやったと話して、彼らが信じるかどうか。
信じようが信じまいが、どうでもいい話だ。
「……だとしたら、どうする」
「い、いや……そうだ。隻眼の歌姫は? ひどい熱だったじゃないか」
「馬車の中で待たせてある。そんなことより、お前の隊はどうやってここまで来たんだ? まさか歩いてきたわけじゃないだろうな」
「国境線上の警備に使う犬ぞりを使ったのだと思う」
まずハイデルベルグへ向かわなければ、彼らを糾弾することもままならない。
ビーグランともども彼らを王都へ向かわせ、リオンもまたフィオレを押し込めた馬車へ戻った。
──彼らが失踪する可能性を考えなかったわけではない。
フィンレイが死んだことを嘲笑った隊長格は許せないが、それよりも優先することがあった。
まずは護衛対象である隻眼の歌姫──フィオレの安全を確保する。
体調を崩していることに気付けなかったのは彼の落ち度だが、それを申告しなかったフィオレにも非がある。
まずはそこを言及しなければと、馬車に戻ったリオンは第一声を出しかけて……口を閉じた。
血に塗れた姿をどうにか改め、リオンの外套に自らを包むようにして、フィオレが横になっていたからである。
狭い座席にどうにか収まらんと丸くなっている姿は、狭い箱に身を押し込める猫を彷彿とさせ、逃げ惑うならずものを斬って捨てた殺人鬼とは似ても似つかなかった。
『坊ちゃん、怒るのは後にしましょう。今は休ませてあげなくちゃ』
「……ふん。まったく、仕方のない奴だな」
吹きさらしの御者台に飛び乗り、馬を走らせ、ファンダリア王都ハイデルベルグに至る。
馬車を停止させ、リオンが御者台から降りたその時。
扉が開いたかと思うと、箱型荷台からフィオレが降りてきた。
「起きたか。大丈夫なのか?」
「……ええ。何とか聴こえるようになってきました」
あれだけ赤かった頬が目立たなくなっている辺り、化粧──白粉でもはたいたのか。
宿で休めと促すリオンに首を振って、フィオレは無理やり彼に同道した。
「彼らは、言うことを聞いてくれましたか」
「降伏には応じたから、ビーグランと共にハイデルベルグへ移動させた。逃走の可能性もあるが、今は任務を優先する」
リオンの危惧に反して、ビーグラン率いる国境警備隊の一隊は、ハイデルベルグ城前にて待機していた。
先に辿りついていた副隊長の仕事なのか、一般隊員達が次々と連行されていき、ビーグランと隊長格だけが残る。
「自首したのか」
「……そういうことになる」
ビーグランが硬い表情のまま答え、繋がれた隊長格はそっぽを向いたまま。何も語ろうとはしない。
そのまま連れて行こうとしたビーグランだったが、フィオレによって制止される。
「おい?」
「確かめたいことがあります。尋ねても素直に答えてはくれないでしょう」
そこでフィオレは、おもむろに城門を警護する門番に向き直った。
「突然ですが、国王陛下にお目通りを願います」
そこで封書と、特別通行手形を見せる。
それを見た門番が、何かを言う前に。
「馬鹿め、それは我らが用意したものだ。そして特別通行手形など、そんなものは存在しない!」
「やっぱりそうでしたか。こちらの国璽を偽造したのはこの連中です」
やはり発端からして、これは罠だった。
それがはっきりしたからだろう。
フィオレは門番に対し、淀みなく用件を並べ立てた。
「彼らは王の名を騙り、セインガルドを通して私を呼び出し、襲撃を仕掛けてきました。更には先日行われたセインガルドの建国式典において様々な狼藉、妨害活動に関与していると思われます。もう一度言いますね。国王陛下にお目通りをお願いします」
止める暇もあらばこそ。
フィオレは偽の招待状とありもしない特別通行手形を持ち、そのまま王城の奥へと歩みを進めた。
「突然の訪問、ご無礼をお許しください」
あれよあれよという間に謁見の間まで入り込み、目を白黒させているイザーク王に、自分が今ここにいる事情を一通り説明し。
「──そんなわけですので、こちらは証拠物件としてお納め……流石に無理ですね」
いくらなんでも、手渡すわけにはいかない。
後で受け取ってほしいと、フィオレは手近な侍従に渡そうとした、その時。
「それには及ばない。我が国の民が、多大な迷惑をかけた」
「陛下!」
側近の制止も聞かずに、国王は玉座から離れたかと思うと、フィオレから直接、それを受け取ったのである。
「……?」
「で、では、私どもはこれで。御前を失礼いたします」
おそらく、王はフィオレの手に触れたのだろう。少々訝しげな面持ちを浮かべていた。
まるでイザーク王の視線から逃れるように謁見の間を辞して、速やかに城門を後にする。
休みはしたものの、突撃隣国の謁見は心労がかかったのか。フィオレは呼吸を乱しながら、浮かんだ汗を拭っていた。
風邪もさることながら、それが年配の男性と接触したことによる異性恐怖症の弊害であることを、リオンが知る余地はない。
「……意外だったな。ファンダリアの落ち度をねちねち責めるかと思っていたが」
『私はあなたの娘じゃない、誤解を解いてくれって言いだすとかねー』
「そんな余裕、ありませんよ……そりゃ建国式典の襲撃犯との関連をはっきりさせたいところですが、ファンダリアの面子もあるでしょうし。今後の国同士の問題であるはずです」
「……フィンレイ将軍の、暗殺の件についても、な」
フィオレは何も言わない。
通りがかった酒場の前で寄りかかるようにして、一息ついている。
──今なら不意討ちを仕掛ければ。彼女から一本取ることも可能ではないか。
そんな考えが脳裏をよぎるも、ならずものを魚でも捌くかのようになます切りにして回った光景を思い出し、首を振る。
「……どうして」
「?」
「どうして何も言わなかったんだ」
一息ついていたフィオレが、顔を上げた。
何故かそれを直視できず、リオンは目を背ける。
非があるのはフィオレも同じはずなのに。何故、こんな後ろめたい気持ちになるのだろう。
「──起き抜けは、ここまでひどくなかったんですけどね」
フィオレは存外、素直に理由を話した。
体調が悪かったことは自覚していたが、話すほどではないと判断し、無理をしないよう心がけてはいたらしい。
それが急変したのは、馬車に乗る直前だったという。
「ビーグランには知られたくなかったんですよ。敵か味方か、いまいちわからなかったもので」
『だったら僕に言ってくれれば……』
「シャルティエ、男性でしょう。言い出しにくかったんです。弱みを見せたくない、という意識もあったと思います」
『へ? なんでさ、体調不良に男も女も関係ないでしょ?』
関係ある体調不良だったのだから、どうしようもない。
移動中に窓を開けたがったのは、周囲の様子を探るため。
襲われても手を出さなかったのは、国際問題への発展を考慮した結果。
「まあ、招待状が偽物だったわけですから。いらない配慮でしたね」
「なんであんな無茶をしたんだ」
「無茶?」
『ならずものを、無理してバッサバッサ斬って回ったじゃない! あんな血塗れになって……!』
「特に無理はしてませんよ。まあ、なりふりは確かに構っていませんでしたが」
寄りかかるのをやめた彼女は、そのままリオンから離れるかのように歩き始めた。
特に目的があるわけではないようで、あっちへ行ったりこっちを向いたり、ふらふらと歩いて回っている。
「おい、どこへ行くつもりだ。そろそろ休んだ方が……」
「まあ、もう少しだけお付き合いください」
歩いていた足が止まる。
そっと曲がり角の先を伺い、それから身を乗り出した。
宿から軍服姿が三人出てきたかと思うと、駆け足で大通りに向かって去っていく。
『なんか、さっきから軍人の姿が妙に多いですね』
「人捜しでもしてるんじゃないですか」
「捜されているのが僕たちというオチはないだろうな」
歩き出そうとしたフィオレの足が止める。
ここで初めて、彼女はちらっとリオンを見やった。
「……おそらくそうだと思われます。あなたにしては、鋭いですね」
「どういう意味だ!」
「そのままです。見つかったら多分王城へ連行されると思いますので、ほとぼり冷めるまで潜みましょう」
先程から当てどなく歩き回っていたのは、それから逃げ回っていたかららしい。
『別に捕まるわけじゃないでしょ。いいじゃない、本当に招待受けたって。そのつもりで来たんだから』
「招待とは限りませんよ。事情聴取で拘束に近い扱いかもしれませんし、それは割と捕まるようなものです。招待だったところで、また落胤がどうのこうのと面倒なことになってしまいます。今の体調では満足に謡えそうにもありませんし……あの襲撃犯達のことを問い詰めたいなら、わざと見つかってみますが」
口ではそう言っているものの、それを嫌がっているのは明白で。
それを実行することは躊躇われた。
「……いや、いい」
「そうですか」
それならこちらへと、フィオレは街の郊外に向かって歩き始めた。
「そうそう、椿姫なんですけど」
「!」
「思い出しました。戯曲のタイトルです。ひと月の内、二十五日は赤い椿、残り五日は白い椿を身に着ける高級娼婦が、真実の愛を見つけてどうたらこうたら」
つまり、自分は商売女と揶揄されたのではないか、とフィオレは推測していた。
まったくもってその通りだ。
だからこそ、それ以上話を進ませまいと、シャルティエは誤魔化すように話題をシフトさせた。
『だ、だから椿姫なんだね。何でいつも赤い椿じゃないんだろ』
「……白椿中は、お仕事ができないからだそうです」
ほんの僅か、言い淀む。
その間を不思議に思いながら、リオンも話に加わった。
「休みたい時に白椿を飾るのか。風流だな」
「そうですね。うん、そんな感じです」
「……?」
ざくざくと、雪を踏みしめる音だけがする。
この沈黙を嫌うように、またもシャルティエが声を上げた。
『そ、そうだ。さっきは誤魔化されちゃったけど、なんだってあんな無茶したの!』
「手っ取り早かったでしょう? 残虐にした分だけ、国境警備隊達も残骸を見て従順になってくれるだろうと判断したまでです。今の私は手加減できるほど、余裕があるわけでもありませんし」
唐突に立ち止まり、きょろりと周囲を見渡す。
付近に民家はなく、建造物の類もなければ植物もまばらだった。
もちろん人気もないが、王都の近辺だからだろうか。野生動物や魔物の気配もない。
「……この辺でいいですかね」
「何がだ」
フィオレは答えない。
しかし答えの代わりなのか。
振り返ったフィオレは、紫電を握っていた。
「!」
反射的にシャルティエを引き抜き、距離を取る。
フィオレはその場から動かない。
「……何のつもりだ」
「私はあなたの剣術指南役として雇われています。それはご存じですよね」
「ああ」
「あなたが私に勝てば、私は指南役より外される。ですので」
手にしていた紫電が翻る。
切っ先がリオンを指し、ひとひらの雪が張り付いた。
「一戦交えましょう。今のあなたの実力を、測ります」
『そんなの、今やらなくったっていいじゃないか! 具合が悪いんでしょ? 坊ちゃんの実力ならセインガルドに戻ってからでも、君が体調戻してからだって』
「私の具合が悪い今だからこそ、です」
まさか、体調不良に付け込んで勝ちを拾えと言うのか。
そう決めつけて瞬時に沸騰し、馬鹿にするなと怒鳴りつけたリオンだったが。
「──そんなわけないでしょう」
冷たい冷たいフィオレの声音が、水を差すどころか氷水をぶっかける。
「今、私は手加減できません。それは先程あなたが見た通りです。抑えも利かないから負傷も覚悟してください。とはいえ、体調が悪いのは事実ですから」
こうして立っているだけで、息の荒いフィオレの消耗は見てとれる。
もしかしたら、勝てるかもしれない。
先程もよぎった、悪魔の囁きを振り払い。
リオンもまた、シャルティエを構えた。
「……もし。もし、僕が勝ったら」
「もちろんそのことはヒューゴ様に報告します」
「そんなことはさせない。そんなもの、認めてもらえるわけがないだろう」
「……では、何かお望みで?」
「お前の体調が戻るまでファンダリアから出ない。国王陛下の招きがあるならば従い、王城で静養してもらう。それで落胤の誤解も晴らせばいいだろう」
「絶対に嫌です。覚悟なさい、降参と言うまで手は止めません」
ピリピリと、冷たい空気が張り詰めていく。
対峙は一瞬。
二人は同時に大地を蹴った。
鋼と鋼が、耳に障る調べを激しく奏で、重なり合う。
「瞬迅剣!」
手加減しない。否、しないのではなく、できない。
彼女はそう言っていた。
「魔神剣!」
確かに。普段ならば、たとえ暴徒鎮圧でも剣技など使わない。
それがリオンとの稽古中であっても、だ。
「虎牙破斬!」
それが今。彼女はリオンと対峙して、持ちうる剣技を惜しげもなく振るっている。
それが。
「……っ!」
普段の四割増しで、疾い。
初動がまったく読めず、気が付けば色を宿した刃が眼前にある。
これまでの修練で叩き込まれた「咄嗟の」防御。
それをリオンが己のものとしていなければ、彼の命はとうにない。
太刀筋そのものを目で追えずとも、「見たことだけはある」その事実は幸いだった。
『フィオレ、ちょっと、待ってよ! 太刀筋が全然見えないんですけど! 本気出しすぎだよっ!』
「」
『今出せる全力だからって、そういうことじゃなくて! こんなの当たったら即死だって!』
「」
『まだ死んでないよ! 勝手に殺さないで!』
シャルティエが勢いよく喚き始めた時点で、フィオレは間合いを取って切っ先を下げている。
その間、リオンはシャルティエをいさめることも忘れて慄いていた。
これがフィオレの本気──他者の無力化ではなく、命を奪う剣か、と。
空気を切る音が非常に遅く聞こえ、比例してその剣閃は注視すれば目を灼くほどに疾い。
どれほど研いだ刃より鋭く、こんなものに狙われたら凡人は何が起こったかもわからず絶命するしかないだろう。
故に、思う。
これに斬られたならば、わけもわからず、苦しむ暇もなく、走馬灯すら拝まずに逝けるだろうと。
打ち合ってたったの五合で、すでに気圧されていることを悟られるわけにはいかない。
リオンは努めて冷静に、いつものようにシャルティエをいさめた。
「──うるさいぞ、シャル。集中しろ」
『だって坊ちゃん! フィオレ、冗談抜きで本気ですよ! 殺気まで飛ばして、坊ちゃんに何の恨みがあるのさ!』
「聞きたいですか?」
想像だにしなかった答えが、あっさりと白い息と共に放たれる。
剣の主に黙れと言われても黙らなかったシャルティエをあっさりと黙らせて、フィオレは切っ先を上げた。
「私だって人間ですからね。思うことなんかいくらでもありますとも。口に出したって不毛なだけですから、言葉にしたことはありませんが。聞きたいですか?」
『い、いいえ』
「よろしい。私だって罵詈雑言吐きたいわけではありません」
いつになく聞き分けのいいソーディアンに、軽く頷いて。
彼女は再び愛刀を構えた。
まるで首をもたげた蛇のように、ほんの一瞬だけ間をおいて。
「っ!」
何の迷いもなく、開いていた間合いを詰め、一足飛びで斬りかかってくる。
雪に足を取られて転んだとは思えない踏み込みが、深くえぐるような足跡を雪上に刻んだ。
リオンにとって幸いなのは、フィオレが体調を崩していること。
手汗で手元が滑り、重心の置き換えが僅かに狂った斬撃に本来の重さはない。
それゆえ、防御さえ間に合えばそれが突破されることもなかった。
『坊ちゃんが大怪我したら、君だって困るでしょ!?』
「いいえ。なんで困らないといけないんですか?」
そして今、フィオレは立っているだけで体力を消耗している。
体捌きは鈍りこそしていないが、一呼吸ごとに目に見えるほど、動きを止めているのが何よりも証拠だった。
このままフィオレの体力が尽きるまで凌ぐか。
あるいは、一呼吸ごとに手を止める、その隙に仕掛けるか。
はたまた──真っ向から打ち負かすか。
普段の彼ならば、これらのどれでもない選択をするだろう。
これらすべては、フィオレも当然予測しうる選択肢である。けして有効打ではない。
それどこか、罠が仕掛けられている危険すらあった。
『……大人は子供を護る義務がある、って言ってたくせに……!』
「」
『今は雇い主のご子息様、って、尚のこと傷つける対象じゃないでしょー!』
「孤月閃!」
しかし今は交戦中。
まるで先ほどのやり取りは準備運動だとでもいうかのように、少しずつだがリオンは追い詰められつつあった。
他者を屠る。そのためだけに振るわれ、見たこともある剣技から、過去、彼が一度たりとも見たことがない剣技を彼女は振るいつつある。
そんなものの軌道など、読むどころか見ることは叶わない。
先手を打つなど夢のまた夢、防御だけではやはり限界があり、対応はどんどん遅れがちになっていく。
このままでは、敗戦必至。その未来を回避するべく、彼が選んだのは。
「はあっ!」
真正面からの、応戦だった。
打ち合い、刃を交わしたその時から一撃が軽かったのは彼とて承知している。
鍔迫り合い、無理にでも押し切って、一撃。
その華奢な身に、故に回避に特化した彼女に、入れることができたなら。
衰弱しているフィオレはおそらく耐え切れず、沈む。
『これだけやればもう十分でしょ、坊ちゃん実力ついたでしょ、もうやらなくていいよねフィオレ! ねえ、フィオレってば!』
「……」
模擬仕合だろうと稽古の剣戟でも、リオンは一度として彼女に入れたことはない。
フィオレはあらゆる技術を口頭で伝え、模倣させ、教えるだけ教えておいて後は実戦で試せと言うばかりで、彼女自身を実験台にはしないからだ。
いわく、見ても聞いてもなぞっても、結局その時点では付け焼刃にしかならないのだから。
自分なりに教えを解釈し、己の内で有効な技術として昇華させなければ、特に役には立ちはしない。
だから指南役であっても、自分の保有する剣術をそのまま教えるようなことはしないと、いつか言っていた。
「時の狭間にて
♪ Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey──
「!」
すわ応戦しようとしていたリオンから大きく間合いを取り、左の手を己の胸に当て、高らかに謡う。
聞いたことこそないが、以前聞いたものに酷似した、ただの歌唱ではない、手品と称される何か。
何が起こるのかと戦々恐々と身を硬くしたリオンだったが、予想に反して何も起こらなかった。
彼の身には。
「……シャル?」
気づけば、シャルティエが声を発さない。
人の身であれば唾を飛ばして喚き散らしていた彼は、口を塞がれたかのように黙りこくってしまった。
ちらと見やれば、淡い光が灯っていたはずの日車草色のコアクリスタルは完全に光を失っている。
「シャルに何をした!」
「あまりにもうるさいから静かにしていただいただけです」
──内心でフィオレもまた、驚いてはいた。
一定時間、対象そのものと近接する周囲の時を停止させる譜歌──ただし対象は無機物に限られる──は、ソーディアンのコアクリスタルすらも適応されるのかと。
「もうシャルティエを使って私の集中を殺ぐのはナシです」
「僕はそんな──!」
「つもりがあろうがなかろうが、彼を止めなかった時点で同じこと」
ゆらりと刀が構え直されたその時。
次の瞬間にはもう、フィオレの姿は眼前にあった。
「!」
「真空破斬!」
防御──しきれない。
どんなに目を凝らしても初速の見えない切り払いは、刃そのものこそ沈黙したシャルティエの刃によって止められたが。
伴う真空の刃は千々に乱れ飛び、胸に、腹部に、腕に、被弾した。
「がっ……!」
目にも鮮やかな血潮の粒が、宙を舞ってフィオレに降りかかる。
のけぞった彼を追撃するべく、彼女は足を踏み出した。
しかし。
「っ」
がくっ、とその膝から力が抜ける。
驚きに目を見張り、片膝をついたフィオレではあったが。大きく息を吐いたのち、すくっと立ち上がった。
真空の刃は、どれだけ鋭かろうと実体はない。それゆえ入りも浅く、皮膚を軽く裂いた程度だ。大事には至らない。
それがわかっているから、だろう。
上体を起こしたリオンに近寄り、そのまま。
「……」
無言で紫電を振り上げた。
一拍の時を経て振り下ろされた刃が、再びシャルティエと交錯する。
重なり合った、その瞬間。
「あっ」
ぼとりと、まるで椿が落ちるかのように、その手から愛刀が滑り落ちる。
勢いのまま、体勢を崩したフィオレはそのまま。
水平にかざされたシャルティエの前へ、まるで首を差し出すかのように──
「この馬鹿者!」
最早是非もない。
フィオレを支えるべく、リオンはシャルティエを放り出した。
両肩を掴み支えようとして、勢いに負けて雪上に寝転ぶような形になる。
──リオンに覆い被さる形になっていたフィオレは、よどみなく懐から抜いた短刀を、彼の喉元につきつけていた。
「──!」
「馬鹿で結構。降参するまで手は止めないと宣告しましたから、覚悟は『降参!』
【第七音素譜歌】
己の時が凍結されていたことを知ってか知らずか、フィオレの暴走を止めるべく、彼はその言葉を連打した。
『そんな状態じゃ言いたくても言えないから僕でもいいよね、降参! 降参ったら降参! 降参降参降参!』
「……ちぇ」
至極物騒だが、非常に幼い遺憾の意を示して。
フィオレはあっさりと懐刀を納めた。
身を起こそうとして失敗して、ごろんと雪上へ再び寝そべる。
「命よ健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」
♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──
いつかも聞いた、重傷の兵士達を瞬く間に癒した旋律。
歌声が響いた直後、光の譜陣が敷かれ、リオンの負傷は瞬く間に消えた。
「……おい?」
『フィオレ?』
リオンが、シャルティエが、何かを言っている。
残り少なかった体力を余すことなく使い切ったフィオレは、雪原を布団にしてそのまま眠りについた。
ふと、目を開ける。
むくりと起き上がった身体は寝台に寝かされていて、額に乗せられていた手ぬぐいがずるりと落ちた。
室内は暗く、鎧戸の落とされていない窓から和えかな月明かりが差し込んでいる。
ふと見やれば、寝台の脇に誰かがうずくまっていた。
漆黒の猫毛、幼くも眉目秀麗な面立ちの少年──リオン。
彼は寝台の端に両腕を組んで、それを枕に寝入っていた。
サイドテーブルに水の張ったたらいが置かれている辺り、看病してくれたのだろう。
殺されかけても尚その献身に──多分仕事だからだろうが──彼が何故か握りしめている眼帯は取り戻しておくだけにしておく。
学習能力の高い彼ならば、間違いなく身に付けるはずだ。わざと隙を作って不意をつく、正々堂々から遠く離れたこの技術。
未来はともかく、今の彼の外見ならば間違いなく有効な手段である。
やりようによっては、フィオレすらも騙すことができるだろう。
眼帯を取り戻し、深く眠りについていることを確認して、もうひとつあった寝台に横たえる。
フィオレのように風邪を引かぬよう、きちんとその身体を毛布で包むようにして。
粉のように細かい雪が、月明かりに反射してきらきらと輝いた。
思わず見とれて、更に窓辺に近づいて。
そこでフィオレは、己の顔に描かれた髭に気づくことができた。
「……こんにゃろう」
元のタイトルは
「ファンダリア探索訪問記録──少年は二回ほど、押し倒される──後編」
「ファンダリア探索訪問記録──シャルティエは七度降参を叫ぶ──後編」
甲乙つけがたかったです。