悩みに悩んでリオンの誕生日異変。
サンダーソニアの花言葉は「愛嬌」「祈り」「共感」「望郷」「祝福」「福音」「純粋な愛」
今回は「祝福」で。
「誕生日?」
外はカリカリ、中はふわふわのバターワッフルを咀嚼。後に飲み下したフィオレは、彼女が口にしたその言葉を、そのまま繰り返した。
招待状、そして国王の勅命を受けて訪問したファンダリアから帰国後。数日が経過した昼過ぎのことである。
自室で拝借した資料の読書を敢行していたフィオレは、とある人物の訪問によって中断せざるをえなくなった。
とある人物の正体こそ、現在フィオレの正面ソファに腰掛ける
最近、彼女は二重人格ではないかと思わせる性格の激変を、フィオレは目の当たりにしていた。
昼間は優しげで儚げで、細やかな気配りに朗らかな人柄と、一家に一人ほしくなる
夜になると鏡で映したかのように真逆となる。
真逆といっても、ガサツで力強くなるわけではない。
他者に対してはわからないが、フィオレに対して凄まじくツンケンと扱ってくれるのだ。
「フィオレ様。洗濯物に下着が見当たらないのですが、同じものを毎日着けないでください。不潔ですよ」
「下着くらい自分で洗いますからほっといてくださいませ」
様付けはやめてくれと言ったのに、夜だけそれを無視するし。まるで初めから、そんなこと言われていません、といった風情である。それが態度に留まらず、給仕やら何やら、業務にまで私情らしいものを加えてくれるから困る。
それも、リオンやヒューゴ氏はもちろんのこと、他者のいる場所ではきれいに隠しているのだから始末が悪い。
そうされるだけの心当たりがないわけではないため、一応放置して、夜中は彼女に近寄らないよう努力しているが……
「フィオレさん、お茶はいかがですか? お茶請けにバターワッフルを焼きまして」
「リオンは出かけてませんでしたっけ」
「はい。ですが……いかがでしょうか」
そんな彼女から、お茶を誘われた。
普段ならばリオンを交えて中庭でのお茶会だが、生憎と本日は曇天。
更にリオンは所用で留守のため、フィオレは私室でのお茶会を提案したのである。
不定期で時間が許せば開かれるささやかな茶会ではあるが、フィオレはほとんど参加したことがない。
ごく時たま、リオンへの些細な嫌がらせのために参加したり、読書に疲れた時の気分転換など、基本的に気乗りがしなければ参加はしなかった。
今回参加の理由としては、昼間の彼女に嫌がらせをされることはないからと、少し小腹が空いていたことにある。
そんなわけで彼女の茶と手製のお茶請けを堪能していたフィオレは、持ちかけられたその話に耳を傾けた。
「はい。きたる来週は、リオン様の十六回目の誕生日であらせられます。ですから、お祝い差し上げたいと」
「どうしてそれを私に? 私が今、当の彼に何をしているのか、知らないわけではないでしょう」
現在フィオレは、以前とは比べ物にならないほどの修練を彼に課している。その内容は苛烈にして陰湿、見ている者が制止を望むほどに過酷なものだった。
剣術向上のもと行われていた模擬試合で、フィオレが使うのは鉄製の棍だ。真剣で斬り殺す心配がなくなった代わり、彼女はまったく手を抜かず、更には寸止めをやめた。
必然的にリオンの体は青痣で埋め尽くされ、治りかけてもその上から殴られるために、完治した形跡はない。
疲労が溜まっていてもどんな精神状態でも、フィオレの繰り出す攻撃から身を護らなければならないため、集中が乱れて直撃したことも少なくない。
「……!」
「今のは護れたでしょうに。集中が足りません。とりあえず、立ちましょうね」
「……」
「無視ですか? 足は無事なんですから立ちましょう。それとも、立てないようにならないと、立てることの有り難みがわかりませんか?」
一歩間違えば虐待になるであろうその指南を、しかしフィオレは真面目に取り組んでいた。
息の根が止まる手前で手を止めているし、後遺症を残す危険性の怪我を負わせた場合は責任持って治療し、疲労を残さないためのアフターケアも手を抜いていない。
当初は、シャルティエが反発した。当たり前ではある。
『ひどいよ、やりすぎだよ! 坊ちゃんが何したってのさ! こないだのことまだ怒ってるの!?』
無論、彼は何もしていない。顔にヒゲを描かれたのは業腹だが、子供の可愛い悪戯の範囲である。
問題は大人の方。度重なるヒューゴ氏のアレな行いにだんだん嫌気が差してきたフィオレが、可能な限りピッチを上げただけだ。しかしちょっと急激に上げすぎたきらいはある。
そのため、リオンが音を上げればその都度加減する、と告げたが。当の本人は彼を黙らせ、ただ黙々と修練に励んでいる。
この頃、少年の体は急激に変化しつつあった。
打撲を負った箇所は日を追うにつれ徐々に自己治癒が進み、結果として身体の強化に繋がっている。
ただひ弱で細かった体は、少年から青年へと移行する成長期と合わせて、小柄ながらもしっかりとした体躯を形成しつつあった。
最近の心配事としては、好き嫌いが激しいせいで、十分な栄養が摂取できていないせいか。身長の伸び悩み、伴って、体重があまり増加していないことくらいか。
とはいえ、外見にはあまり困っていない彼のこと。少々背が低いなら低いで、それを生かした戦法を教え、仕込むだけだ。
ただその前に今は、いまいちしっかりしていない土台を強化・補強する。
大まかではあるが、このことはリオンに伝えてあるため、彼自身は納得して素直に修練に励んでいるが。一番身近な他人であるシャルティエが未だにぶうぶう文句を垂れるくらいだ。マリアンが何も思わないわけがない。口には出さないが、夜限定の嫌がらせはこの辺りが起因していることだろう。
そのことを指摘すれば、マリアンは柔和な顔立ちを歪めてうつむいた。
注がれた香茶の水面に、悲しげな彼女の顔が映る。
「……僭越ながら、フィオレさんの指導は行き過ぎだと、私も思います」
マリアンの顔が、ゆっくりと上がる。
その表情は、未だ悲しげではあるものの、どこか達観していた。
「けれどもあの方は、もう子供ではありません。あの方が、そしてヒューゴ様が納得されていることですから、私はその決定に従います」
初めから最後まで、フィオレには何一つ同意できる内容ではない。
包み込むように持っていたカップをソーサーに置き、フィオレは改めて口を開いた。
「あなたが納得しているか否かは、この際問題ではありません。あまり私を良く思っていないだろうリオンが、私から誕生した日を祝われて喜びますかね? それを私に教えるよりも、あなた個人からの祝福で彼は満たされるような気がしますけど」
「そんなことはありません。あの方をこれだけ長く指導されたのは、フィオレさんただ一人です。嫌いな人間の指導を、益があるからという理由だけで続けられるものでしょうか?」
まだ一年も経っていないのに、これが一番長い期間なのか。やっぱりリオンの人格に問題があるんじゃなかろうか。
そして、彼のそれは半ば強制されたものなのだ。
一応彼の自由意志だとフィオレとしては信じたいが、あれからヒューゴ氏と何もなかったわけではないだろう。
あえてそれを彼女に話そうとは思わないが。
「では、私からの祝福は、当日の訓練をハードなスペシャルバージョンにするということでー」
「フィオレさん!」
「冗談です。当日の訓練は急遽中止ということにしましょう。一日、彼に自由な時間を差し上げるということで。これなら何か、お祝いする余地がありますよね」
適当な冗談を絡めて、微笑んでみせる。
おそらく初めから、それを頼みに来たであろうマリアンは表情を明るくさせ、フィオレに一礼した。
刃を潰され、ほとんど鉄の棒切れと変わらない試合用の剣が、がっちりとかみ合う。
しかしそれは一瞬のこと。剣を握る少年はすぐさま距離を取り、押し切られるのを避けた。力任せに押し切ろうとした相手はといえば、ほんの僅かではあるが体勢を崩している。
それを見逃す少年ではなかった。
慎重に間合いを計っていた足が、一転大胆な踏み込みを見せる。
そして、ただ一点に切っ先は突き進んだ。
「そこまで!」
頚動脈を叩き潰す勢いで放たれた一撃が、ピタリと停止する。
必殺の一撃を捌けない。それが露呈した時点で、試合は終了していた。
「勝者、リオン・マグナス!」
対峙する二人を見守っていた審判役が、声高らかに宣言する。
ただ鋼が交差する、その音だけが支配していた場の緊張がほぐれた。
ほうっ、と息をつく音、人々の奏でるざわめきが煙のように漂っていく。
ダリルシェイド王城、中庭。
七将軍が一人アスクス・エリオット相手に始まった手合わせは、挑戦者たるリオンに軍配が上がった。
ゆるゆると引かれた剣の先にいるアスクスは、バツが悪そうに観客の狭間にいた仲間から顔を背けている。
剣の主はといえば、どこか茫洋たる面持ちで立ち尽くすのみだ。
フィオレはつかつかと対峙する二人に歩み寄った。
「お手合わせ、ありがとうございました」
未だ勝利の感触が確かめきれていないかのような少年の後頭部に手を添えて共に頭を下げ、そそくさと退場し。規則的というよりは機械的に足を動かすリオンを誘導し、試合用の剣等武器防具保管所へと至る。
自分の手で借りていた武器を返却させたにもかかわらず、リオンが我に返ることはなかった。
さてどうしたものかと、出口へ向かうリオンの後を追うと、彼は再び立ち尽くしている。
フィオレを待っていたわけではない、我に返ったわけでもない。
「見ていたぞ。腕を上げたな、リオン」
いつの間にやってきたのか。ヒューゴ・ジルクリスト氏が、保管庫から出てきたリオンに労いをかけていた。
当然フィオレには、リオンの表情はわからない。
それでも彼が喜色を浮かべているように感じたのは、フィオレの気のせいだろうか。
「以前リオンがアスクス将軍との御前試合で敗北に喫したことを知ったのだな。剣術指南役の面目躍如といったところか。これならば、陛下も満足されることだろう」
──そう。今回リオンがアスクス将軍と手合わせをすることになった理由は、彼にある。
日々の訓練を見て何か思ったのか、それとも単なる気まぐれか。
「リオンの実力が本当に向上しているかを証明して見せろ」
と言い出したのだ。
もちろん、過去の御前試合に関してのことは情報を手に入れてある。
合同訓練及び合同任務において、アスクスの腕は知っていた。
出会った当初ならばともかくとして、今のリオンにかなわない相手ではない。それを確信していたからこそ、この手合わせをセッティングした。
結果は上々、フィオレとしては文句もないが賞賛もない。彼の現在の実力としては順当で、驚くほどのことではなかった。
今の調子からして、おそらくリオン本人としては、まったく自覚していないようだが。
「ご満足いただけたようで何よりです」
「ああ。しかし君には困ったことになったかもしれないぞ」
「?」
奇妙なことを言い出したヒューゴ氏に首を傾げて見せれば、彼に口角を歪めて言い放った。
「これで私は、ますます君を手放したくなくなった」
「……そのお話は、リオンが私に勝つまで、当初の契約が果たされるまで保留です。もう忘れてしまったんですか?」
近頃になって、ヒューゴ氏はフィオレと新たな契約を結びたい、としきりに口にしているのだ。
守護者との契約については何一つとして話していないが、それでもフィオレの態度からそろそろ自分の所持する資料だけでは縛りきれないことに気づいているのだろう。
事実としてフィオレは、ジルクリスト邸に滞在する意味を失いつつあった。
書庫のめぼしい資料をあらかた読みつくした今、潮時であることは間違いない。
最近になって幾度となく繰り返されるやり取りの後に、リオンを伴って王城を後にする。
ちらりと彼を見やれば、まだ勝利の美酒に酔っているのか、リオンは何も話さない。あるいは何かを思ってのことか。
──と。ここでリオンはやっと口を開いた。
とはいえども、話しかけた相手はフィオレではなかったが。
「……信じられるか、シャル。あのアスクス将軍に、僕が……」
『これがあの訓練の賜物なんでしょうか。僕は、あんまり認めたくありませんけど』
街中につき、かなり声は抑えられているがそれでも会話はフィオレの耳にも届く。
今になってじわじわと勝利した自覚が沸いてきたらしいリオン。それを喜びつつも、これまでフィオレがしてきたことを肯定したくないらしく、複雑そうに応じるシャルティエ。
二人の会話は続く。
「今までの指南役が上品過ぎただけだろう。苦難なき稽古など、何のためにもならない」
『それはそうかもしれませんけど、フィオレはやりすぎなんですよ! 初めの頃なんか何回も虫の息になったじゃないですか、痙攣だって何度起こしたことか! 見守ることしかできない僕の身にもなってくださいよ』
「リオンが音を上げたら、軽くしてあげます。いい加減ぴーぴー言うのはやめてもらえませんかね」
このままではいつまでたっても話が切り出せないと、フィオレは自分から口を開くことにした。
不意に話しかけられ、リオンもシャルティエも驚いたように息を呑んでいる。
それも束の間のこと。リオンは間髪いれず噛み付いてきた。
「ぴーぴー言っているのはシャルだ。僕には何の文句もない。人聞きの悪いことを言うのはやめろ」
「それでも、言わせているのはあなたです。シャルティエが安心できるよう、もう少し頑丈になれませんかね坊ちゃん」
「何だと!」
「違うんですか? 違うなら何が違うのかを教えてください」
気色ばむリオンだったが、フィオレとしてはこれ以上応じる気はない。
このままではいつまで経ってもラチが明かないと、フィオレは早々に切り上げることにした。
図星を突かれ、黙り込む彼に本題を告げる。
「ともあれ、本日はお疲れ様でした。試合に勝ったご褒美として、今日明日の訓練はお休みです。思いきり羽根を伸ばしてきてください」
「……?」
不意にそんなことを告げられ、彼は当然のように困惑した。
規則的に動かしていた足を止めてフィオレの顔をまじまじと見つめている。
「ですから、夜と明日の訓練はなしです。私も久々に、思いっ切りゴロゴロしますから」
『それって職務怠慢じゃ……』
「ヒューゴ様からの許可は下りています。明日は客員剣士の職務も安息日ですし、たまにはいいでしょう。それと」
シャルティエの呆れたようなツッコミを受け流し、フィオレは小箱を取り出した。
無理やりくくりつけられている釣鐘型の花、淡い橙色のサンダーソニアがふらりと揺れる。
「生まれてきてくれて、この日まで生きていてくださって、ありがとうございます。これからも、これまで自分が得てきたもののために、頑張ってくださいね」
「……は?」
訳がわからず、ただその音を洩らしたリオンに小箱を持たせて、開いたその中に鎮座していたのは、純銀製のチョーカーだった。
銀のプレートを首の後ろで固定するだけというシンプルなもので、唯一の装飾として漆黒のオニキスがあしらわれている。
リオンはいぶかしげにフィオレを見やった。
無理もない。彼の誕生日は明日なのだから。
しかし、明日はマリアンが彼に対して祝福する手はずである。余計な差し水はしたくなかった。
「何のつもりだ」
「わからないならそれでいいし、わかっていて聞いているなら、答える義理はありません」
フィオレの返事は素っ気ない。
戸惑うリオンを置くていく形できびすを返した彼女ではあったが、突如くるりと振り返った。
「要らないなら売り飛ばすなり何なりどうぞ。ただこれからは首も狙いますので、不慮の事故で殺すのも何かと思っただけです」
トン、と自分の喉もとを指し、今度こそフィオレは屋敷の方角へ足を進めていく。
その後残された彼が何を思ったのかは不明だ。
しかし再び、フィオレが屋敷にて彼を眼にしたそのとき。
彼の喉元には、あのチョーカーが光っていた。