諸々の準備を済ませ、箒に乗ってひとっ飛び。
一同を追い抜かして、一人で悩んで悶々として、カオスな事態を招いて、皆を威嚇する、と。
次の日のこと。
一行はストレイライズ神殿へ向けて出立するべく、ジルクリスト邸庭園に集合した。
ディムロスに怒鳴り起こされたらしいスタンに、せっかく贅沢な客室を提供されたのに、外せない
ジルクリスト邸の花壇で咲き誇る花々を愛でるマリーに、緊張感の見られない彼らの態度を見るや、額に四つ角を刻んだリオン。
「で、なんでフィオレがいないのよ」
「報告書を仕上げていないからだ。あいつのことだからすぐに追いつくだろう。だからきりきり歩け」
「命令するんじゃないわよ。偉そうに」
『一応、客員剣士って偉いんだけどね』
至極まっとうな反論をするシャルティエだが、不機嫌なルーティにそんなものは通じない。
「フィオレが偉いのは認めるわ。地位はあんたの部下で見習いだかなんだか知らないけど、誠意を見せてくれたもの。だまされたのは癪だけど、考えてみれば嘘はつかれなかったわけだし」
『どうしてそこでフィオレが出てくるのさ』
「いくらフィオレの上司で先輩で、客員剣士として優秀だったとしてもよ。無闇に高飛車だったり暴力的な奴に、素直に従えなんて無理よ無理。反対の立場になって考えるとか、できないのかしら?」
ルーティの持論もけして間違ってはいないのだが……彼女の立場では、逆効果だった。
「犯罪者の立場なんか、誰が考えるか」
「喧嘩売ってるのクソガキ!」
「喚くな、ヒス女」
先ほどから、ジルクリスト邸の庭園から一歩も出ていないのがよくわかる。
辞書を片手に羽ペンをがりがりと羊皮紙の上に走らせるフィオレは、ぼんやりとそんなことを考えていた。
客員剣士見習いになって以降、幾度となく世話になってきたせいか、手垢で汚れてぼろぼろになっている頁をめくり、締めの一文を書き連ねる。
せっかくまだリオンがいるのだ。利用しない手はない。
「リオン!」
窓を開け放ち、書類を携えてひらりと身を躍らせる。
声に反応して頭上を見上げたスタンが、あんぐりと口を開けたのが見えた。
身体をひねって彼の眼前に着地し、そのまま報告書を突き出す。
「誤字脱字チェック、お願いします」
「……」
否とも応とも答えず、リオンは突き出された報告書を受け取る仕草もないまま、書面を覗き込んだ。
数十秒後、唐突に書面から視線を外してフィオレを見る。
「そのまま提出して恥をかいてこい」
「じゃあ検閲のサインください」
持参した羽ペンと検閲済みを認める書類を差し出し、リオン・マグナスの走り書きを頂戴した。
そしてくるりときびすを返す。
「あれ、報告書できたってことだよな? だったら、もう少し待ってれば一緒に行けるんじゃ」
『無理だよ。報告書できたってまだやることあるんだから。ヒューゴ様からも検閲サインもらって、軍部に提出して、受理してもらわないと終わらない。それにまだ旅支度してないだろうし、待ってたら半日は経つね』
「そういうことだ。あいつもそれは承知の上だからな、構うなと言っている。行くぞ」
『……この面子で大丈夫なのか?』
ディムロスの、心なしか不安げな一言を最後に、彼らはジルクリスト邸を出たらしい。
優雅に読書をしていたヒューゴ氏の書斎を蹴り開けてサインをもらい、軍部に提出するべくフィオレが再び外へ出たそのときに彼らはいなかった。
街中を突っ切り、軍本部に提出して受理証を得る。
それを持ち帰り、フィオレはやっと旅支度を始めた。
軍本部からジルクリスト邸に移動中、フィオレは城下町にてストレイライズ神殿についての情報を収集している。
はっきりしたことは一切わからないが、神殿の巡礼者から聞き出した情報によると、確かに何らかの異常事態には陥っているらしい。
普段は神殿の出入り口を護る僧兵の姿どころか、普段神殿内にて活動する神官たちの姿が一切見られなかったようなのだ。一番大きいのは、それまで神殿の周囲で商売を行っていた者たちの姿もなくなっていた、ということである。
つまり神殿内部ではなく、神殿に関するすべてに異常が発生したということなのだろう。
(……やっぱり、ムリかなあ)
人がいないということを聞き及んだ時点で、抱えた焦燥とは裏腹に、フィオレは最悪の事態を想定していた。
特に彼女は、いかに清らかな心の持ち主とはいえ、身を護る術を心得ていないのだから。本来真っ先にあきらめるべき対象なのである。
せめて事実さえ知ることができればいいと願いながら、フィオレはジルクリスト邸の物置から手頃な箒を取り出した。
シルフィスティアの力を借りて、疾風に身を任せること、しばし。
箒にまたがり続けていたせいで股関節が悲鳴をあげてきた頃、とある村が見えてきた。
フィオレが神殿を出て、初めて足を踏み入れた人里──アルメイダだ。
上空から見下ろした限りでは、リオンたちは見当たらない。まあ当たり前かと思いつつ、少し離れた森の中に着地する。
箒をどうしたものかと思いつつ、村へ足を向けた。
アルメイダは、フィオレの記憶となんら変わりない。あれからどれだけ経ったのか、それを考えれば自然なことである。
初めて泊まった宿、初めてレンズを換金したよろず屋、今ではフィオレの背中に眠るシストルを手に入れた露天商の立ち並ぶ通り。
何一つとして、変わらない。
強いて言うならば、道を行き交う人が少なくなっていることだろうか。村人にひきこもりが増えたわけではない、旅装姿の人間が見かけられないのだ。
やはり、神殿の異変が響いているのだろうか。
極力考えないようにしていた事柄が、不吉な想像と共に浮かんでは消える。
人の姿がないというのは外側から見ただけのことなのか。それとも内部まで入ってのことなのか。
「──ストレイライズ神殿って、今どうなってます?」
気付けばフィオレは、ストレイライズ神殿に関する情報を集めて回っていた。
書類を提出がてら外出した際、かなり杜撰な聞き込みから得た情報とあまり差異はない。
ない、が……聞けば聞くほど不安が広がっていく。
この村でリオンたちと合流するつもりだったが、今すぐにでも神殿へ駆けつけたい。
そんな願望が、フィオレを支配していく。
ただ、たった一日でダリルシェイドからストレイライズ神殿へ行ったとなると、ただでさえ怪しまれている我が身。ますます怪しまれること請け合いである。のっぴきならない状況ならばまだしも、ただ焦って自滅するのは避けたかった。
こんなことではいけない、頭を冷やさなければ。
宿の前、段差の場所に腰かけ、シストルを取り出す。
それなりに使っていたせいか、手に入れた当時張られていた弦は一本たりとも残っていない。フィオレが新しく張り替えたもののみが今はシストルを形成している。
指を鳴らし、音程を確かめ、指を馴染ませて。歌唱はないまま、旋律だけの演奏を始めた。
旋律とはいったものの、実際はそんなに大したものではない。気分転換を図りたい時によくやる、指遊びに近いものだった。
頭の中を空っぽにするために、思いつきを気まぐれにシストルで表現する。もちろん、きちんとした旋律ではない。もしも聴衆がこれを聞けば、少なくともガルドはもらえないだろう。
奏でているうちに、何かひとつ気に入った旋律を見つける。
その旋律を吟味し、変奏し、その間に適当な歌詞を考えればひとつの曲が出来上がるわけだ。
歌詞が浮かばなければ旋律止まりだが、フィオレにとってはなんら困ることはない。
強いて挙げるなら、その旋律を思いつきでまたもや作ってしまうことが多々あるため、マンネリに陥りやすいことか。
♪ 色あせぬ星屑 優しき木々の囁き
揺れる水鏡に 想いは募るばかり
大切なものほど 失えば苦しいのに
繰り返す痛みに 慣れることなど無く
戻らぬは刻ばかり 後悔に意味はなく
過ぎ去りし想い出 紡がれぬ夢物語り
そして、どうとでも意味が取れる曲が出来上がったわけだが。
気がつけば、一人変わったことをしている旅人が珍しいのか。それとも隻眼の吟遊詩人もどきに惹かれてか、人だかりができている。
「……あの人だかり、なんだろう?」
人だかりの向こうから聞こえた声に、フィオレは素早くシストルを背中へ収納した。
荷袋を背負い、人だかりを迂回するように彼らへ近づく。
幸いにも、フィオレの聞き違いでもなければ人違いでもなかった。
「あれ、フィオレさん!?」
「遅かったですね」
まともに驚くスタンに、飄々と近づく。
人だかりに興味があるのかちらちらと視線を動かしているマリーに、スタン同様驚くルーティ。
仏頂面が張り付いているようなリオンに、ソーディアンたち。
「ちょっとあんた、なんでもうこんなところにいるわけ?」
「だから言っただろう。こいつならすぐに追いつくどころか追い越しかねないから、さっさと歩けと」
日が暮れようとしているこの時間にたどり着いたのは、フィオレのことを案じた彼らがわざと歩く速度を落としたものらしい。
話題をそらすように、聞き込みがてら予約しておいた宿に一同を案内する。
そしてフィオレは夕食の席で、ダリルシェイドとアルメイダにおける情報収集の結果を話して聞かせた。
「……そんなわけで、具体的に何が起こったのかは一切わかりません。その代わり、何か異変が起こったことだけは確定でいいと思います」
「すべては、実際に神殿へ乗り込まなければわからないということか……」
妙にしんどそうに、リオンがぼやく。
その様子に首を傾げたフィオレが何かあったのかを尋ねると、何のことはない。
道中のやりとりがストレスだった、との内容だった。
「神経質な方ですね。知ってましたけど」
「お前の神経が図太いだけだ! こいつは聞いたばかりのストレイライズ神殿の方角を忘れるようなニワトリ頭なんだぞ」
「忘れちゃったものをどうのこうの言っても仕方がないでしょう。人間なんだから物忘れくらいします。でも、もう忘れないでくださいね」
そーだそーだ、と、こっそりフィオレに声援を送るスタンにひと睨みくれて、リオンは兎型にカットされた林檎に手を伸ばしている。
「ところでルーティ、マザコンて……」
「だぁーってこいつ、あのマリアンって
「いえ。実際の母親が子供にどういった態度を取るものなのか。それに対して子供はどのような反応を返すものなのか。私にはよくわからないので何とも言えません」
その一言に、ルーティはつぶらな瞳を見開いてフィオレを凝視した。
一方で、どうして彼女がそんな態度を取るのかわからないフィオレが言葉を続けている。
「ところでマザコンと、ただ親を慕う気持ちの違いを教えてください」
「へ? そ……そんなの知らないわよ! だけど、マザコンてのは基本的にどういった形であれ、母親に依存しているヤツのことを指すわ」
依存という言葉を聞き、フィオレは内心で納得してしまった。
確かに、リオンはマリアンに依存している。マリアン本人というよりは、マリアンという存在そのものに対してだが、言い訳はできない。
しかし、それをフィオレがする必要はなかった。
なぜならスタンが、フィオレが発した一言に興味を示したからである。
「そういえばフィオレさんて、出身はどこなんですか?」
「さあ。どこなんでしょうか」
答えながら思う。
ついに彼らに、これを吹き込んでしまう時が来た。
なるべく嘘はつきたくないのだが。
「……って、どういう意味よ」
「なんだ、教えてなかったのか」
怪訝そうにルーティが眉をしかめる中、リオンは意外そうに呟いた。
そこでシャルティエのお節介が発動し、フィオレの美徳、というか我侭は護られる。
『フィオレ、記憶喪失なんだよ。ちょっと前、神殿の近くで発見される前までの記憶がなかったんだってさ』
「「ええ!?」」
驚きに固まるスタンたちに構わず、リオンはその様子を見ることもなく淡々としている。
「あれからどのぐらいになる?」
「そうですね……半年過ぎて、一年は経っていないかと」
指折り数えて、経過した年月を答えた。短かっただろうが内容は濃い。
何せ、様々なことがありすぎた。
意外そうにこちらを見るマリーが、絶句しているルーティたちよりも早く口を開く。
「そうだったのか。驚いたな」
「まあ、何も思い出していないわけではないので……」
「記憶喪失でも、何かを思い出すことができるのか?」
「人によりけりだと思います」
ここで、凍結していた二人の時間が唐突に動き始めた。
まず口を開いたのは、ルーティである。
「ハァ!? 何それ、初耳よ!」
「そりゃ、言ってませんから」
「水臭いわねもう、どうして教えてくれなかったのよ!?」
「聞かれませんでしたから」
「……確かに、聞いてないけど……」
頬を膨らませてぶちぶち呟くルーティを、なだめに入ったのはアトワイトだった。
『ルーティ、落ち着いて。また記憶喪失者に会ってびっくりしたのはわかるけど……』
「半年と少し前に神殿をうろついてれば、フィオレを手なづけてレンズハンターにできたのに! ついでに噂の歌声も、行くトコ行くトコで披露させたのに……」
取らぬ狸の皮算用もいいところである。フィオレは彼女に構うのをやめた。
対照的に、マリーの件で耐性ができたらしいスタンは比較的冷静だ。
「そうだったんですか。じゃあ、神殿のことを色々言ってたのは……」
「神殿で一時期お世話になりましたので」
『しかし、その神殿は奇妙な状態に陥っているのだろう? 何事もなければいいが……』
ふと、ディムロスの物言いを聞いて、ひっかかる。
ソーディアンは天地戦争の勝利を掴むため開発された代物だ。その戦争で最終兵器だった神の眼が絡んでいるのかもしれないのに、この落ち着きようは……英雄と呼ばれし人格の賜物なのだろうか。
万が一の可能性を考えて、フィオレは直接尋ねてみることにした。
『……ディムロス。もし、神殿の異変に神の眼が絡んでいるとしたら……』
『神の眼! 神の眼だと!?』
『神殿の異変に神の眼が絡んでいる!? ストレイライズ神殿には、神の眼があるということなの!?』
……万が一の可能性を考えて、正解だったらしい。
その一言を口にした途端、ソーディアンカップルの様子は一変した。
表情があれば、激変が拝めたことだろう。
「なんだよ、いきなり」
『どういうことだ、説明しろ』
『これから赴くストレイライズ神殿には、神の眼が安置されているんです。神殿の異常に関わっているかどうかはわかりませんが』
『なんてことなの……』
公共の場につき、任務内容を他者に聞かせないがためにディムロスのみに対してチャネリングを使ったつもりだったが、アトワイトにも届いていたらしい。
彼はすぐ、スタンにくってかかっていた。
『スタン! なぜ黙っていたんだ!』
「知らないよそんなの。ヒューゴさんから説明されたろ?」
『聞いていないぞ!』
様子の激変は、普段物静かな印象を与えてきたアトワイトも同じである。
やはり、あの神の眼に対しては過敏に反応せざるをえないのだろう。
「何なのよ、あんたたち。いきなりゴチャゴチャと……」
『ちょっとルーティ。あなた、これがどんなに重大なことかわかっているの!?』
「あたしは神の眼とかいうのを手に入れて、ヒューゴのヤツから報酬を受け取るだけ。これはあんたたちに関係ないでしょ」
『関係ないですむ問題ではないぞ!』
「落ち着けよ、ディムロス」
『これが落ち着いていられるか!』
……どこから突っ込めばよいものやら。もはや完全に世界はフリーダムと化している。
特にルーティは勘違いもいいところ──というより、自分に都合のいいような解釈しかしていない気がするのは気のせいか。
しまいには今すぐ神殿へ行け、と言い出したディムロスたちを何とかなだめて、早めに就寝させた。
緊急事態が発生した際、取り乱した人間がいると一緒になって取り乱す人間と、その様子を見て必要以上に冷静になる人種がいる。
フィオレは後者に属する人間で、飛行竜脱出時と同じく、この頃すっかりと落ち着いてしまっていた。
翌日。一同はペースを上げて神殿へと赴いた。
ディムロスたちが理由も言わずに急かす……という理由もあったが、最大の理由は一同にフィオレが加わったから、というものである。
これまで、団体行動時には常にしんがりを歩いていたフィオレだが、今回は勝手が違う。
正体不明の遺跡に潜るわけではないので、移動で体力を使っても探索はたかがしれているのだ。
と、いうわけで。
「あの、フィオレさん。ちょっと歩くの、早くないですか……?」
『何を抜かす。これでも遅いくらいだ、情けないぞスタン!』
加えて、今はディムロスたちの気が急いているという点もあるのだ。利用しない手はない。
フィオレが倒れていた神殿周辺の森林を足早に抜け、遥か眼下にストレイライズ神殿を臨む。
これまで魔物が飛び出してきても一瞬にして斬り捨て、省みもしなかったフィオレは初めて足を止めた。
昨夜こそ落ち着いていたフィオレだったが、ここへ来てまったく余裕がなくなっている。
進む最中で余計な口を叩くことはできなかったし、妙な胸騒ぎが不安に拍車をかけていた。
見下ろした神殿を遠目から見る分には、なんら異常はない。
そこかしこに人が倒れているわけでもなければ、血溜まりが見えるわけでもないのだ。
ただ──胸騒ぎも、不安もなくならない。
「フィオレ、ちょっと休──」
これまで、フィオレの異様な雰囲気に圧されてか何も言えず、息も絶え絶えについてきたルーティが何かを言いかける。
眼を向けると、なぜかルーティは黙りこくった。
「あ、あはは、何でもな……」
「休憩を取りましょう。ひらけているこの場所なら、襲撃に気付きやすいし」
彼女だけではなく、彼らも、そしてフィオレ自身も、移動に体力を使いすぎたことは重々承知している。
神殿を見下ろすその位置で座り込んだのをみて、背後の彼らもまた腰を下ろし始めた。
「……ちょっと、一体どうしちゃったのよ。朝からなんか様子がおかしいと思ってたけど」
「僕が知るものか」
ルーティがこそこそと、この面子ではフィオレをよく知るであろうリオンに苦情を申し立てるものの、彼もまた戸惑いを隠していなかった。
『無茶言わないでよ。僕らだって、あんなフィオレ見るの初めてなんだから』
「付き合い長いんじゃなかったのかよ?」
「お前らに比べれば、という話だ」
彼ら三人が話しこんでいる間に、マリーは一人、神殿を見つめるフィオレに近寄った。
気配と足音を感知したフィオレが抜刀しかけて、その正体を知って再び神殿を見下ろす形となる。
「──フィオレ」
「何ですかマリー」
そこでようやくマリーが何をしているのか気付いたルーティが制止しようとするも、すでに時は遅し。
彼女はフィオレの隣に座っていた。
「心配なのか? 神殿の知り合いが」
「はい」
即答はしたものの、実のところフィオレが心配しているのはそれだけではない。
守護者たちとの契約が完了次第はっきりすることだったが、フィオレがこの世界に招かれたことと、あの神の眼がまったくの無関係でないことは薄々感づいている。
何せ、今までは存在しなかった手の甲のレンズは守護者たちに反応し、そしてあの神の眼にも強く反応したのだ。
場合によっては、あの神の眼こそが『彼女』の本体である可能性もある。
それが今は、なくなっているのかもしれないのだ。
冗談ではない。
あれが紛失すれば、おそらく命尽きるまで、この世界を彷徨うことになる。
この世界にとって異質な存在であるフィオレがこの地で死することを守護者たちが許すとも思えないし、フィオレとてそんなものはごめんだった。
「気持ちは察するが、焦るだけでは何もならない。神殿でちゃんと調査ができるように、休んでおくべきだ」
「休んでいますよ」
事実、フィオレは座り込んで楽な姿勢をとっていた。
けしてリラックスしているわけではないが、身体に余計な力は入れていない。
しかし、マリーは首を横に振った。
「そんな風にずっと緊張していたら、疲れるぞ」
「そればっかりはどうにも。緊張を解くのは、ことが終わってからにしますよ」
ようやくここで、フィオレは笑みのようなものを浮かべてマリーを見ている。
普段無口なマリーが何を思って話しかけてきたのかは知らないが、少し冷静になれたのは感謝するべきだろう。
こういった時、フィオレは自分の大人げのなさを嫌になるほど自覚していた。
ひとつの感情ばかりが先行して周囲を省みれないのは、視野の狭い子供の特徴である。
事実、あの若年寄はこういった感情の先走りを垣間見せたことはあっても、けして長引かせることはなかった。
この悪癖が、自分が歳相応に見られないことに拍車をかけているのだろうと、フィオレは分析している。
理解こそしている。しているが、わかっていても治せないことが、ことさら自分の幼稚さを際立てているようで。
フィオレは小さく、ため息をついた。