現時点でジャンクランドへ寄る理由はありません。原作でも行く予定はありませんからね。
しかしどうにか、かの地をピックアップできないかなーと模索した結果。
「寄り道」してもらいました。
閉じ込められていた神官たちを解放し、事情を説明してだんまりを決め込んでもらう。
幸いにも、周辺の聞き込みから地元から敬遠されていた神殿の異常に気づいている住民は見つからなかったので、一同はそのままチェリクへ戻ることになった。
「またあの砂漠を横断しなくちゃいけないのね……」
げんなりとしたルーティの声を聞きつつ、ラクダ専用の宿舎に足を向ける。
ここカルビオラでは、チェリクから出された乗合馬車を引いてきたラクダ、あるいは商人が荷物運びのために連れていたラクダを預かる専用の宿舎が設けられているのだ。
無愛想な主人に預け証を渡し、ラクダが戻ってくるのを待っていると。
「ま、待て、ラクダ泥棒!」
「!」
預かり所で待機していたのは、一同以外誰もいない。
つまり、奪われようとしているのは一同がコネを使って借りたラクダである可能性が高い。
「何があったんだ!?」
弁償という打算よりも、切羽詰ったその声に反応してスタンが預かり所から飛び出す。
止めるタイミングを逃したらしいフィリアがそれに続き、残る面々も放っておくわけにはいかずに宿舎へ赴かんとすると。
「うわあっ!」
「大人しくしろ!」
いたのは、ラクダを連れて逃げようとするラクダ泥棒と、それを追うスタンではない。
何故かスタンに刃物をつきつける覆面の男と、手馴れた様子で彼の武装解除をする数人の覆面姿だった。
刃物をつきつける覆面の声は男だが、武装解除組の老若男女は一切わからない。少し離れた場所に、三頭のラクダを連れた男が遠巻きにその様子を見ている。
先ほど主人に言われてラクダを引き出しに行った男で、脅されている様子も、ラクダを連れて行こうとする様子もない。
「スタンさん!」
「この馬鹿、何やってんのよ!?」
一方で人質に取られたスタンを心配し、一方ではその囚われのお姫様ぶりに呆れて怒鳴りつけている。
スタンの不甲斐なさはさておいて、とにかく状況を動かそうと、フィオレは覆面男に眼を向けた。
「金品ですか、私たちの命ですか、それともラクダですか?」
「──貴様に用はない。そこの女、お前は神官だな」
しかし男はフィオレの質問に答えることなく、フィリアに話しかけている。
脅えた様子で頷くフィリアを男の視線から遮るように背中へかばい、フィオレは言葉を続けた。
「宗教がらみですか、それとも女がほしいだけですか?」
「どれでもない。神官ならば、医術に関してそれなりの知識があるだろう」
医術。
くぐもった声からその単語を聞き取り、フィオレはなおも言葉を続けた。
「お医者様なら、この街にだっていないわけがないでしょう」
「奴らは高額な金銭を要求する。ラクダとこの男の命が惜しければ、我々と共に来てもらおうか」
何気なくスタンの命が二の次にされているが、それは従わなければまず、スタンの耳でも削ぐつもりなのだろうか。
とにかく、このままの状況でほいほい条件を呑んでやるわけにはいかない。
「それは、フィリ……私の後ろに立っている神官だけに言っているんですか?」
「そうだ」
「私たちの同伴を許すなら考えてあげます。彼女単独で連行はさせません」
「……いいだろう」
また勝手なことを、と言い出しかねないリオンだが、状況が状況だ。呆れたように嘆息してから頷いている。
覆面男がラクダ三頭を連れて歩き出し、スタンを取り押さえディムロスを抱える数人がそれに続いて歩き出す。
しかし、もちろんスタンは黙って言うことを聞いていない。
「くそっ!」
「スタン、今は我慢してください。どうしても嫌なら代わります」
「……い、いいです。我慢します」
覆面男はどんどん街外れの方角へ歩いていく。
医療知識を持つ者が必要で、対価が払えないとなると病に罹った貧民窟の住人か、と考えていたフィオレだったが、やがてその考えを改めた。
男の行く先には、大型の幌付き馬車が二台、用意してあったのである。
「ちょっと待ってください、どこへ連れて行くつもりですか」
「……ジャンクランドだ」
「ジャンクランドですって!」
聞き慣れない集落の名らしきそれを聞き、悲鳴じみた声をあげたのはルーティだった。
「知ってるんですか?」
「天地戦争時代の古代産業廃棄物廃棄場……大昔のゴミ捨て場だったところよ。貴重なジャンクが眠ってるって噂だけど、それ以上に危険なものも埋まってて、身体壊して本国へ逃げ帰ったレンズハンターが沢山いるらしいわ」
「そんなところに、医者が必要な者などいるのか?」
そもそも、そんな場所まで連れて行かれるなどとは聞いていない。
再び歩き出そうとした覆面の背中に、フィオレは言葉を投げかけた。
「か、患者はどのような状態になっているのですか!? それを聞かないことには、この街から動くことはできません」
「見ればわかる。とにかくついてこい」
「見ればわかるって……」
「こいつの命が惜しくないのか」
業を煮やしたか、覆面男は合図ひとつでスタンを取り押さえた数人に、刃物を出させている。
それには頓着せず、ようやく振り向いた男に対して話を続けた。
「この街で、患者を診るのならば構いません。ただし、患者が怪我をしていたならそれなりの医薬を必要とするでしょう。この街ならすぐに手に入れることができます。しかし、ジャンクランドでカルビオラと同じ条件、同じ気安さで薬の調達ができますか? 知識があっても、必要な薬がなければ医者でさえまったくの役立たずとなるのですよ! と、彼女は言っています」
「フィ、フィオレさん!?」
背中のフィリアの抗議を無視して、男の動向を探る。
これでそのまま、無理やり一同を連れて行くほど馬鹿ならさっさとスタンもラクダも取り戻すべきだ。これ以上命令に従ってやる必要はない。
スタンがちょっと負傷するかもしれないが、ルーティとアトワイトがきっと何とかしてくれるだろう。
しかし、男は逡巡を示した挙句に口を開いた。
「……んだ」
「聞こえません」
「つ、妻が……その、子供を……」
奥さんが将来を悲観して、子供を刺したとでもいうのだろうか。しかし、それならとっくに手遅れのはずである。
しばらくして、男は意を決したようにはっきりと、言った。
「俺の妻が、もうじき出産する。だが、ジャンクランドにはその手の知識を持つ人間がいない。それで……」
「──」
それを聞き。フィオレはくるりと、フィリアを見やった。彼女はなんとも言えない表情で、フィオレを見返している。
「……フィリア。出産経験というか、出産に立ち会ったことはありますか?」
「い、いいえ……フィオレさんは?」
「小さい頃。奥様……じゃない、知り合いのお母様が出産なさると聞いて、祈りを捧げたことなら」
「……俺、羊の出産とかなら、手伝ったことありますけど……」
スタンは呟くが、残念ながらこの場合は参考にもならないだろう。そのまま流れで一同の顔ぶれを確認するが、皆一様に微妙な顔をしている。
そのときだった。脳裏で、救いの声を聞いたのは。
『私は一応、知識も立ち会ったこともあるけれど……』
「ナ、ナイスよアトワイト!」
「知識だけなら私もないわけではありませんが、困りましたね。胎児に影響するから薬の類はほとんど使えませんよ」
『そうね。必要なのは母親の気力、へその緒を切る清潔な刃物、それから清潔な布を沢山。いざという時帝王切開に切り替えられるよう、滅菌した刃物と縫合用の針と糸、それから技術くらいかしら。私は自然分娩の流れしか知らないけど』
「剣じゃあどうしようもないしね……」
やがて内輪でこそこそ話し始めてしまった一同に、今度こそ業を煮やした男が無理やり一同を積み込み始める。
ことの重大さにその場を流された一同だったが、実際のジャンクランドが近づいてくるに連れて、その厳しい環境を肌で知ることになった。
「うっ……」
「こ、これって」
「これが噂の悪臭ね。よくこんなところに住めるもんだわ……」
「まったくですわ。わたくし、何だか気分が悪くなって参りました……」
リオンすらも眉を歪める悪臭に、フィリアは露骨に体調不良を訴えている。一同を見張る覆面の、露出した目が一同を睨むが、それに脅える人間などどこにもいない。
馬車の幌内から追い出され、住民たちからの視線にさらされながらジャンクランド内を連れ回された。
密閉された幌から出た分悪臭も強くなり、すでにフィリア自身が医者を必要としているような状態になっている。
彼らがここへ来て覆面を外さないのは、ひょっとしてこの悪臭のせいか。手布を鼻に押し当てて、フィオレは本気でそう思った。
ふと、後ろを歩いていたフィリアにがし、と抱きつかれる。
気分が悪くて倒れそうになってしがみついた……わけでないことはすぐに判明した。
「フィオレさんから、いい匂いがしますわぁ……」
うふふ、とどこか裏返った声音を耳元で聞かされて背筋が凍る。
やんわりと振りほどき、その場で香水をふりかけたハンカチをフィリアに渡せば、彼女はどこか虚ろな目でそれを鼻に押し当てた。
「だ、大丈夫かしら……」
「おい、僕にもそれを寄越せ」
「あ、俺にもお願いします」
一同の様子、主にフィリアの様子をちらちら見やりながらも男は足を止めない。
この状態からして不安に思っているのだろうが、今更後には引けない感がにじんでいた。
やがて、男は一軒の小屋を前に足を止める。
「ここだ」
ここへ来ていきなり暴れられても困るのだろう。これまで男に協力していた人々もまた、一同を囲むように入るよう促してくる。
中は閑散としており、一目で貧しい暮らしが伺えた。対価が払えないというのは、満更嘘でもないらしい。
部屋の奥に置かれた寝台の上には下腹部の膨れた女性が横たわっており、脂汗を浮かべてしきりに唸っている。
その傍には母親だろうか、中年女性が入ってきた一同を見てぎょっとしていた。
「な、なんだね、アラン。その人たちは……医者を連れてくるんじゃなかったのかい」
「医者は用立てられなかったが、神官を連れてきた。さあ」
さあ、ではない。
再び視線を向けられてびくっ、と身体を震わせるフィリアの肩を叩き、てくてくと彼らに近づいていく。
フィリアではなくフィオレがやってきたことで何かを言おうとした男──アランを素通りして、フィオレは中年女性と対峙した。
「こんにちは。見てお分かりの通り、私たちは医者じゃありません。仲間の一人が神官だったので、知識があるだろうと無理やり連れてこられました」
「な……なんだって!?」
もちろん動揺する中年女性は、何を考えているんだと言わんばかりにアランをキッ、と睨みつけている。
そのまま喧嘩に発展しそうになったところを抑えて、フィオレは続けた。
「説明するつもりがなさそうだったので、こちらから自己申告させていただきました。それでも私たちに彼女を診させるつもり……「ああっ!」
口上の最中、苦しげに呻き意識があったかもわからない妊婦が突如として悲鳴をあげる。
アランをまさに一喝しようとしていた女性は、大慌てで妊婦を覗きこんだ。
「ど、ど、どうしたんだいメリル!」
「お、お母さん……今、ばしゃっ、て……あ、あああ、痛い……」
先ほどまで苦しげに呻いていたのが一転、痛い、痛いとしきりに口にしている。その変貌に、主に男性陣が混乱を始めた。
「おい、大丈夫なのか、メリル!」
「あ、あなた……痛い、痛いの……」
「どうしちゃったの、いきなり」
「……破水して、陣痛が始まったっぽいですね」
「つまり?」
「いよいよ出産が始まるってことです」
それを聞き、それまでただ心配顔で妻の腰をさすっていたアランは一変。飄々としているフィオレに掴みかかった。
アランの手が宙を切るも、本人はまったく気に留めていない。
「何を呑気な……!」
「他人事ですから。無理やり連れてこられた人間としては、当然の反応でしょう?」
「……た、頼む。妻を助けてくれ!」
ぐっ、と言葉に詰まったものの、背に腹は変えられないのかここにきて彼は大きく頭を下げた。
「その前に。これまでここで出産をした人間がいないわけではないでしょう? どうして産婆さんの一人もいないんですか」
「今まではいたよ! だけど、半年前にポックリ逝っちまったんだ!」
「なるほど」
それで謎は解けた。溜飲が下がったところで、次は妊婦自身の承認が必要である。
妊婦の母親が胡散臭そうにフィオレを見やる傍で、フィオレは妊婦の顔を覗き込んだ。
「……?」
「初めまして。私はお医者様でも産婆さんでもありませんが、それなりに知識はもっているつもりです。このままあなたを放っておいてもあまりいい結果は出そうにないので、お子さんが生まれてくるお手伝いをしたいと思います。よろしいですか?」
妊婦の母親は明らかに嫌そうな顔をしているが、フィオレにとっては妊婦自身の協力のほうが必須である。
冷たい妊婦の手を取り、ぎゅ、と握りしめる。
妊婦はぼんやりとした顔をしていたものの、ほんの僅か、きゅ、と握り返した。
「……お……願い、します」
契約成立である。
ひとつ頷いて、フィオレはくるりとアランとメリル母を見た。
「適温のお湯と、清潔な布を沢山集めてきてください。私の仲間たちがお願いしても、ご近所さんたちは耳を貸してくれないでしょう。あなた達もです」
とりあえず小屋の住人とそれまで一同を囲んでいた人々を追い出し、出産の支度に取り掛かった。
「スタンとリオンは玄関を見ていてください。マリー、妊婦さんの体勢を変えるので手伝って。ルーティとフィリアはこのナイフ、滅菌消毒をお願いします」
苦しがる妊婦の体勢を変える──それまで横たわっていたのを、寝台に腰掛けるような状態にさせる。
「ヒッヒッフー、と三回に分けて息を吐いてください。フー、の後に息を吸ってくださればそれで結構です。あとスタン、リオン! 玄関見張るのやめて衝立になりそうなものを探してきてください!」
「は、はいっ!」
男性陣がいなくなったのを確認し、外套を脱ぐ。
それを妊婦の腹にかけて膝を立てさせると、フィオレはしかるべき場所を覗き込んだ。
「ルーティ、アトワイトを貸してください」
「わ、わかったわ」
アトワイトを受け取り、フィオレとの視覚共有ができるよう精神を同調させる。彼女はフィオレが診ているところを確認したようで、ふむ、と頷いた。
『これならすぐに陣痛がくると思うわ。それにしてもあなた、落ち着いているのね』
「は?」
『呼吸や動悸は早まっているのに、それを誰にも気づかせていない。私も、精神を同調するまで気付かなかったわ』
『……気が散るようなこと、言わないでください』
『ときにあなた、クリステル胎児圧出法は知っているかしら』
『……ち、知識の上でなら』
知っている。具体的な方法はわからないが、何となくなら、知っている、が。
妊婦の腹の上に乗って人力で胎児を押し出すなど、できればしたくない。下手を打てば母子ともども殺してしまう。
『そう、知っているのね。良かったわ。必要に応じて対処しましょう』
『できれば、そんな事態にはならないでいただきたいのですが』
『その通りよ。でも、妊婦の状態からしてけして楽観視はできないの。覚悟だけはして。できないのなら、土壇場であなたが怖気づいたなら。誰に変わってもらうかだけは考えておいて』
人命が関わっているからだろう。アトワイトの声は冷たさが滲むほどに真摯だった。
アトワイトの余計な一言を忘れるように、陣痛で苦しむ妊婦に良いとされたマッサージを繰り返す。
運ばれてきた即席の衝立で周囲からは見えないよう施した。調達させたタライに湯を張って両手を消毒する。
なるべく自然分娩を手伝うだけにするつもりだが、いざと言うときのことを考えると、とてもではないが準備は怠れない。
ルーティたちに用意してもらった滅菌済みのナイフを手元に置き、妊婦の心の支えにしようと思って呼んだアランが思ったより動揺しているので立会いはやめさせ、仲間内の女性陣だけを小屋の中に残す。男性陣は、付き添うと言い張るアランと妊婦の母親を外で抑えておく役だ。
本当は、フィオレがヘマをしたときにすぐ逃げられるよう準備しておいてほしかったのだが……背に腹はかえられまい。
やがて陣痛の間隔が短くなってきたらしく、妊婦の苦しむ声がひっきりなしに響く。
その声が痛々しく届いたのか、一際吼えるようなアランの怒声を聞きながら、フィオレは額の汗を拭った。
その時。
「う、あ、ああっ……ひいっ、痛いっ、やあっ!」
「気をしっかり持って、呼吸を止めてはダメです」
「いやっ、いやあああっ! 痛いいいぃいっ! 触らないでぇぇっ!」
何か気に障ることがあったのか。
彼女は突如として甲高い悲鳴を上げ、手足をバタつかせて駄々っ子のように身を捩った。
狭い寝台の上。落下すれば母体も胎児も、その衝撃でどんな影響があるかもわからない。
「ちょっと、ちょっと! 暴れないでよ!」
「お、おお、落ち着いて、落ち着いてくださ……!」
「ルーティは左、フィリアは右! 肩を抑えてから腕を抑えてください! マリーはそのまま足を抑えて、蹴られないよう気をつけて!」
力の限り泣き叫び、こんな力がどこに残っていたのかと暴れる妊婦を総動員で物理的抑制にかかる。
とはいえ、縛り付けるわけにもいかない。そのまま抑えるに留めるが……このまま彼女が力尽きるまでこうしていなければならないのか。
よしんば力尽きたところで、彼女に出産をする気力、体力が残っているのか……!?
『まずいわ。激痛で錯乱している……痙攣は起こしてないようだけど、落ち着かせないと』
「錯乱!? 鎮痛剤は!?」
『そんなものはないわ。あったとしても、胎児にどんな影響が及ぼすか。生まれてきた瞬間に心臓麻痺でも起こされたら、蘇生手段はないわよ』
「……なら、ほんのちょっと眠ってもらって……!」
『あなた何をするつもりなの!? 妊婦に当身なんて、正気の沙汰じゃないわ』
「一時的に静かに大人しくなっていただくだけです! 当身がダメなら、ちょっぴり感電させて……」
『落ち着いて! どうしてそう手っ取り早い暴力に訴えようとするの!? 本当にもう、フィオリオと全然違うんだから……!』
慌てるフィオレに諭すアトワイトも、やはり冷静ではない。
かつて一度も聞いたことが無いその名を聞いて、フィオレはハタと冷静を取り戻した。
「……フィオリオ? って」
『まさか、あなたに落ち着いてと諭す日が来るとは思わなかったわ』
訊ねるも、アトワイトは答えない。今はその場合ではないかと、質問は保留にしておく。
とにかく今は、今尚暴れる妊婦をどうにか落ち着かせることだ。
「眠らせたらどうなりますかね?」
『眠り産は安産だとも言うけれど、あれは陣痛の痛みをまぎらわすため、脳内麻薬の分泌が著しい事例だわ。強制的に眠らせても、有効かどうかは……』
にっちもさっちもいかない。
妊婦は正気に戻る気配もなく、すでに息も絶え絶えになりながら、わあわあと泣きじゃくり、触らないでと怒鳴る。
どうにか、当て身も感電も眠らせるのもナシで、落ち着いてもらわなければ──
♪ 心安らかに歌いましょう
愛おしいこの子に会うために
「!?」
女性陣が軒並みぎょっとしたような風情でフィオレを見やるが、致し方ないことだろう。
彼女を抑えながら、フィオレは突然歌いだしたのだから。
♪ 可愛くて柔らかい温かくて小さな生命
あなたが幸せであるように
この祈りを捧げましょう
いつもどんな時も遠く離れようと
時の流れを超えてずっと
心なしか、暴れていた彼女が動かなくなった気がする。
それでもフィオレは、歌うのをやめなかった。
♪ 寄せては返す漣
小鳥の囀り
穏やかなせせらぎ
あなたへの祝福は
こんなにも美しい
世界からの贈り物──……
日が昇る。その様を見ながら、フィオレはラクダの背に揺られていた。
結局──ジャンクランドへ連れて行かれたときは夕方近くなっていたから、ほとんど徹夜したのと変わらない。
神殿に忍び込んだときは睡眠を取ってあったからこそ、平気で行動ができた。
眠い眼をこすりつつ、うーんっ、と伸びをする。
「にしても、凄かったなあ」
「ああ。私は多分、産声を初めて聞いたぞ」
──そう。幸運なことに、すべてが終わった時には母子共に健康な状態だった。
赤ん坊を受け止め、産声が上がらなかった時は肝が冷えたが、尻をひとつ引っぱたいて口の中の羊水を吐き出させ、産声を──呼吸をさせている。
「あたし、妊婦が苦しがるのも怖かったけど、どっちかっていうとフィオレの怒鳴り声のほうが怖かったわ」
「ごめんなさい、フィオレさん。わたくしもですわ……」
「あんなに穏やかな歌のあとだったから、余計にな」
あそこで妊婦に力を弱められては非常に困る。
そのために、フィオレは歌い終わった直後あえて傲慢に、暴れ疲れて息も絶え絶えな妊婦を怒鳴りつけたのだ。
「母親になるくせに、ぴーぴー泣くな! 泣きたいのは子供で、あんたじゃない!」
「力抜くな! ちゃんといきむ! 子供を外に出さない気!? 生まれてもいないのに、過保護にするな!」
「寝るな! 目を開けて! ほらもう、頭が見えてるよ!」
後で絶対旦那から怒られるだろうなー、と思いつつしたことだが、結果としてアランと接触せず脱出できた──回避できたからもう考えることはしない。
フィオレが最も恐れていた事態──へその緒が首に巻き付いていたり、頭からではなく足から出てくる逆子だったり、予想外のアクシデントにより帝王切開で子供だけは取り出さなくてはいけない、というような事態発生はなくて、今更ながらホッとした。
母親も子供も無事で、野次馬や本人、旦那や妊婦の母親が喜んでいる隙をついて一同も無事ジャンクランドから脱出、フィリアも元に戻っている。
それでも一人、渋い顔をした人間がいた。
「まったく、とんだ寄り道だったな」
『まあまあ、そう言わずに。もしフィオレがしくじっていたら、袋叩きにされてたかもしれないんですよ?』
それが十分にありうる状況だったから怖い。
出産後、野次馬たちが話していたのを盗み聞いたのだが、あの妊婦の子供は十月十日を過ぎても生まれなかったらしい。
誰もがみんな十月十日ぴったりに生まれてくるわけではないが、それでもトラブルの元になる可能性は大だった。出産前の母体も健康そのものではなく、あまり出歩くことのなかった病気がちな女性だったという。
本当に何もなくてよかった。
再びラクダの上でうとうとしながら、フィオレはそっと、ラクダの首にもたれかかった。
(誰も死ななかったんだから、いいよね。とっとと忘れよう)
※作中で間違った対処があったとしても、素人がわからないなりに頑張った結果です。
フィクションとして、お目こぼしを要求します。異論というか、突っ込みは聞きません(笑)