様々な不幸が重なって、スタンと共に一同からはぐれ、魔物の巣の中へ放り出され……
これまで、ふとした瞬間に触れてきた石筍も鍾乳石も、無論冷たかった。
が、今しがたフィオレが触れたこれは無機物にしてありえない体温を保っている。
その面妖さに、反射的に手を引いたのが、災いした。
──ガアッ!
突如歪な岩だと思っていたものがむくりと起き上がり、細い四肢が生えて立ち上がる。
前足の一部が持ち上がったかと思うと、咄嗟に身を引いたフィオレへと迫った。
「!」
鞭のような一振りがわき腹に直撃し、衝撃で肺から空気がたたき出される。
動きが完全に止まったフィオレを引き寄せるかのように、歪な岩だった物体はそれまで己がうずくまっていた場所から身を躍らせた。
岩に擬態して、通りすがる生物に襲いかかる類の魔物か。
激しく咳き込みながら前足から逃れるも、ふらつく足が止められない。ぐらり、と更なる地下へ通じる穴へ身を投じかけた、そのとき。
「フィオレさん!」
後ろから、力強い手に抱え込まれてその場に踏みとどまる。分厚い篭手につけたその人は、言うまでもなく。
「た、助かりました、スタ……「スタンさん! 何をしていらっしゃるの!?」
そのまま安全圏へ引きずってくれと頼むよりも前に、邪魔される。
振り向けば、フィリアが白い頬を赤く染めて鞘つきのクレメンテを携えていた。
『フィ、フィリアや。ちっとばかり落ち着いて……』
「ただちにフィオレさんを離しなさい! 女性にそのような形で抱きつくなんて、フィオレさんが許してもわたくしが許しません!」
確かに、今のフィオレは前かがみ、そしてスタンはそのフィオレの腰に手を回して密着しているのだ。
助平な、あるいはその手に知識・経験豊富な人間ならば真っ先に何かを想像してしまう体勢だが……どうして彼女がそれを連想してしまうのだろうか。実は耳年増か。
何故か、スタンもまた慌てていた。
「違うんだ、フィリア。俺はそんなつもりじゃ……」
「許しません、天罰です!」
いつのまにかスタンの背後に回りこみ、クレメンテを盛大に振りかぶっている。
──まさか。
「馬鹿者! そんなところでクレメンテを振り回すんじゃ……!」
「お仕置きです!」
リオンが声を荒げるものの、彼女は毛ほども動揺していない。
彼女は振りかぶった鞘つきのクレメンテで、スタンをしこたま殴り始めた。
「えいえい!」
「ちょ、ちょっとタンマ……」
どれだけフィリアが非力だろうと、掛け声が可愛かろうと、クレメンテはそれなりの質量を備えた大剣だ。
殴られたスタンが、平然としたままフィオレを支えていられるわけもなく。
「うわっ!」
急ぎスタンと共にその場を逃れようと試みるも、どうやらスタンが足を滑らせてしまったらしい。
強い力で引かれたかと思うと、次には足場が消えていた。
『シルフィスティア、助けて!』
『はいよー』
いまいち危機感の感じられない彼女の声音の理由が、次の瞬間はっきりする。
フィオレが恐れていたよりも落下時間は短く、打ち身で済む程度の高さだったのだ。
それでも、シルフィスティアはフィオレの願いを聞いてくれた。
ぼふん、と音を立てて、空気の塊が二人を受け止める。
「うわっ、たっ、なんだぁ?」
「私の手品です。お気になさらず。それより……」
考慮するは、今置かれている現状にあるだろう。
真上にぽっかりと空いた穴から人の声が聞こえるには聞こえるが、何を言っているのか皆目判らない。
そして周りを取り巻く異常なほどの気配。これはおそらく。
『二人とも、構えろ! 囲まれているぞ!』
ディムロスの警告に従い、紫電を抜く。
暗がりからもぞもぞと現われたのは、おびただしい数を誇る推定オーガスの群れだった。
そしてその奥からは、先ほど岩に擬態していた歪な魔物まで現れる。あえて似たような動物を探すなら蛙に相当するだろうか。
先ほどまで平たい岩だと思っていた胴体からは鋭く尖った歯列が覗き、眼球があるべき場所はかつて見た砂竜のようにつるりとしている。
瘤を背負っているかのような突起が非情に気になるが……もしこれがオーガスの群れの母、オーガスクイーンであるならば、十中八九あれは卵を抱えている部位だろう。
「ちょっと待ってて! 今縄みたいなもの調達してくるから!」
長くもない対峙を経て、乱闘は唐突に始まった。
それまでスンスンと鼻を鳴らしていたオーガスクイーンは、二人が立つ方角に顔を向けて一声、吼えたのである。
その声量たるや、二人して鼓膜の保護に走ったくらいだ。
「うわっ」
「食糧確保の合図か、命令ですかね」
でなければ、それまで二人を取り囲んでいたオーガスらしき魔物が一斉にかかってきたりはしないだろう。
強い酸性を含んでいるらしい液体が飛んでくるのを避けて、大きさからは考えられないような巨大な口を広げて飛びかかってきたところを両断する。
スタンもまた、ディムロスの刀身に炎を宿して振るい始めていた。
「くそ、食べられてたまるか!」
「同意です。片付けましょう」
やがてルーティが歓喜するほどのレンズが地面に転がり始めた頃、ようやく子供たちが殺されて怒りに猛ったクイーンが二人に迫る。
「私、あれの相手をします。スタンはオーガスを殲滅してください!」
「この魔物、結局オーガスでいいんですか?」
そんな突っ込みは状況が落ち着いてからにしていただきたい。
四方八方から熱烈に飛び跳ねてくるオーガスを切り捨てて、オーガスクイーンへ接敵する。が。
いかなる理由があったのか、オーガスクイーンは前足を側面の壁に叩きつけた。
途端、オーガスの巣であったのだろう空間が震えて、真上から湿った砂礫が降り注ぐ。
「わあっ!?」
『取り乱すな、落ち着いて払え!』
魔物は平気かもしれないが、五感を駆使して戦っている最中の人間にはひとたまりもない。瞬く間にスタンへオーガスが群がる。
急遽オーガスクイーンへの接敵を諦めて助けに向かったフィオレは、群がるオーガスの隙間から覗くディムロスのコアクリスタルに左手を伸ばした。
早くしなければ、スタンがオーガスにかじられてしまう。
「天界より降り注ぐは裁きたる白き雷。咎人を等しく薙ぎ払え!」
♪ Va Nu Va Rey , Va Nu Va Ze Rey……
虚空に生まれたいくつもの輝きが、群れるオーガスを黒焼きに仕立てる。左の手を地下水滴る滝へ伸ばして、フィオレは即座に譜歌を奏でた。
「命よ健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」
♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──
蒼い光をたたえた譜陣が浮かび上がり、フィオレの擦り傷やスタンの生傷を瞬時に癒す。
ほぼ全滅させたと思っていたオーガスだったが、オーガスクイーンの咆哮によってどこからともなくぞろぞろと集結した。
「これは……じり貧もいいところですね」
「仕方がありません、オーガスクイーンから倒していきましょう。時々晶術を使ってオーガスを蹴散らしてください。私も折を見て片付けます」
じゃり、とレンズを踏む感覚をそこかしこで覚えながら再びオーガスクイーンへ接敵する。
巨大な口を開いてがぶりついてくるクイーンを退け、足に、側面に、時折顔面に、あるいは尻の部位に一撃を浴びせていく。
蚊でも払うような仕草で前足を振るわれるも、そんなものを再び喰らうフィオレではない。
「うっ」
そんな中、増えてきたオーガスを片付けようと晶術を使おうとしたスタンの詠唱が止まる。オーガスの体当たりは避けたものの、詠唱を中断してしまったのだ。
「晶術使用はできる限り教えてください。なるたけフォローしますから」
「は、はい……」
考えてみれば、いつもは全員で戦闘に取り組んでいるため、こういった伝達がなくても常に誰かが戦線に立ち、誰かしらフォローに回っていた。その時の感覚が抜けていないのだろう。
「戦士よ勇壮たれ。鼓舞するは勇ましき魂の選び手」
♪ Va Rey Ze Toe Nu Toe Luo Toe Qlor──
【第三音素譜歌】
再び晶術の詠唱に入ったスタンを援護するべく、フィオレは四方八方を駆け巡った。
『焔の民の舞、その円舞は天地を魅了するであろう!』
「ファイアストーム!」
通常は雨風であるはずの嵐が、熱気と火炎を伴って周囲一体に吹き荒れる。しかし、接近戦を得意とするディムロスらしく、オーガスの一掃までは出来ていない。
そこかしこが焦げているものの、魔物はじりじり詠唱直後で動けないスタンに迫る。
「くっ!」
「其の荒らぶる心に、安らかな深淵を──」
♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze……
ただ、これだけ弱っているなら通常なら無効化されるこの譜歌も効くだろう。
【第一音素譜歌】
周囲が暗く闇が豊富なせいなのか効果は絶大で、オーガスクイーンすらもスピスピと寝息を立てている。そして何故か。
『馬鹿者、フィオレの手品につられるな! おい起きろ、スタン!』
「う、うーん?」
スタンまで寝ていた。
彼を巻き込んだ記憶はないのだが、一種の暗示でもかかったのだろうか。
「スタン、気を抜かないでください。まだ倒していないのですから、とどめを刺さなければ」
寝ぼけ眼のスタンに注意喚起をしつつ、紫電の切っ先を真下のオーガスに埋める。
レンズを排出するそばから作業的にオーガスを屠るフィオレを見て、スタンは明らかに顔色を変えた。
それに気付いた素振りを見せぬままオーガスを全滅させ、いよいよオーガスクイーンにとどめを刺そうと近づく。
そこで。
「ちょ、ちょっと待ってください。もう戦えないじゃないですか、とどめまで刺さなくても……」
「今は寝ているから戦えないだけで、目を覚ませば襲ってきますよ。動けなくなるほど弱らせていないんですから」
「じゃあ今のうちに逃げましょう! フィオレさんも、早く洞窟から出たほうがいいって言ってたじゃないですか」
スタンの言い分は正しい。しかし、できるものならフィオレが先に提案している。
「どうやって? 見たところ横穴はオーガスサイズですし、オーガスクイーンの通り道は天井の穴だけみたいですし。私たちの安全を確保してから脱出を考えるべきです」
「でも……!」
妙に言い募るスタンをいぶかしげに見やり、フィオレはオーガスクイーンに向かう足を止めた。
「何ですか?」
「どんな動物だって、子供にちょっかい出されれば怒るものだって言ってたじゃないですか。このオーガスクイーンだって、巣に踏み込んだ俺たちから子供を護るために暴れていたんでしょう?」
……フィオレとしては、子を護る母がどれだけの凶暴性を孕んでいるのかを語ったつもりだったのだが、スタンには違う解釈に取られてしまったらしい。
要は、子供を護ろうとした母は尊いから一方的な形で屠殺するのはどうなのかというところか。
「……魔物にそんな感情が果たしてあるのかどうか、までは知りません。それに、子供を護るために何をしてもいいわけないでしょう。私たちは私たちの安全を確保することが最優先であるはずです」
カルバレイス神殿でのやりとりが脳裏に浮かぶ。
あの時は答えがはっきりしていたからそれを提示するだけでよかったが、理性より感情を優先しがちなスタン相手に、この手の説得は難しい。
「感情があるかないかなんて、このオーガスクイーンはオーガスが殺されてものすごく怒ってたじゃないですか!」
「確かに、感情の有無はどうでもいいです。私が問題にしているのは、このオーガスクイーンが目覚めれば私たちに危害を加えてくるだろうということ。だから今のうちにとどめを刺そうとしているのに、どうしてあなたは反対するのですか?」
「危ないかもしれないから、ってフィオレさんは言いますけど、『かもしれない』んでしょう? だったら殺す意味なんて……」
「じゃあ訂正します。『危ないから殺しましょう』これでいいですね」
しかし、スタンは納得するどころか更に食い下がってくる。
交戦による疲労でだんだん面倒くさくなってきたフィオレが、スタンとの会話を放棄してオーガスクイーンに近寄る。
その行く手を阻むように、スタンが割り込んできた。
「まだ話は終わってません!」
「……わかりました。言い換えましょう。『殺さなきゃ殺されます』いい加減そのことを認識してはくださいませんか?」
これまでしっかり話し合ってこなかったことが悪いのか、それとも今がいい機会なのか。それはわからない。だからといって、情に流される気は微塵もなかった。
「そんなこと、これから試してみればわかることじゃないですか! 死なない程度に弱らせてみれば……今とどめをさしてしまえばラクだから、そんなこと言ってるんじゃないんですか!?」
結論からすればその通りである。予想される苦労を命と引き換えに回避することを、きっとスタンは拒むだろう。
だが、フィオレはこの時点でまったく違うことに気を取られていた。
勃発した言い争いか、あるいは一定時間の経過か。スタンの真後ろに横たわっていたオーガスクイーンが小さく動いたかと思うと、大口を開けたのだ。
口論に意識を集中させていた、スタンの無防備な背中に。
「スタンっ!」
咄嗟にできたのは──スタンを押し退ける、たったそれだけだった。
巨大な口腔が、鋭い歯列が、嫌な匂いのする口臭が間近に迫る。
逃げることも防御も難しい、噛まれる前に殺すしかない。
ところが。
フィオレの眼前で、その口は閉じられた。
紫電の一振りはオーガスクイーンの鼻先を斬り裂くも、未だに健在である。
細長い四肢が折りたたまれ、本体の背中にある瘤がフィオレへと向けられた。
いくつも楕円球が詰まったそれは、まさしく産卵した卵を抱えている器官である。
クイーンにとっては大切なはずの、子孫が詰まった器官。
それを敵に向けるというのは、どういうことなのか。
いかなる力は働いてのことか、数十個はあるだろう卵が中空に舞った。
「!?」
自分の危険を感じて、卵まで武器にし始めたのか──
それが間違いと気付くも、直後のこと。
至近距離で突進を仕掛けられ、成す術なくフィオレは突き飛ばされた。
仰向けに地面へ倒され、反射的に起き上がろうとして、オーガスクイーンの巨体に圧し掛かられる。
そして今度こそ。
オーガスクイーンの鋸のような歯列は、フィオレの胴体につきたてられた。
巨大な口は薄い腹筋をものともせず蹂躙し、内側の器官を引きずり出して、撒き散らす。
鮮血が溢れて迸り、断末魔に近い絶叫が辺りを木霊した。