捜査官のお姉さんが絶望して病んだり、捜査官のお兄さんが人体実験されたり、喰種のお兄さんが東京を滅ぼしたりするお話です。
原作キャラは出てきません。
オリジナル要素が多いです。
私は犬派です。
猫も好きです。

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作品名『輪廻』

時刻は深夜。

暗闇に包まれて死んだような街に、白い雪がゆらゆらと降り注いでいる。家々を見ればその屋根には既に雪が薄っすらと降り積もっていて、道路に突き出した信号も、公園を囲む花壇も、赤い郵便ポストもやはり頭を白くしている。

街全体が雪化粧を施し始めていた。

夜の深まったこの街の光源はいくつかの街灯。

道なりにぽつぽつと並ぶ背の高い街灯がその淡い光で、まだ誰の足跡もついてないコンクリートの上の真っ白な雪を寂しげにぽつんと照らしている。

街を俯瞰してみて、はっきりと見えるのは主にそれだけ。

人はいない。音もしない。生き物が気配がまるでない。

 

だから誰もいない。

 

・・・とはならない。

 

住民は何も人だけではない。いや、ほとんどの人はその存在を知らないからそういう風に思っても無理の無いことではあるが。しかし確かに彼らは存在していて、そして案外すぐそばにいる。

人と交わることのない彼らだが、一部はうまく人の社会に混じっている。また一部は人に認知されない場所に隠れて暮らす。

 

喰種。

 

彼らの名前である。

 

喰種は闇を好む。

それは、彼らの多くが自らの立ち位置を社会的立場に置き換えた際に自虐的皮肉を込めて自らに与える蔑称でもあるし、彼らの求める安寧が存在する場所でもある。

それは例えば建物と建物の間に伸びていて、建物の影が重なっていて、夜の暗闇よりも尚のこと暗い闇が広がる狭い路地裏。側面には鼠色のパイプが蔓延っていて、排気口などが生えている。いくつかゴミをまとめたビニール袋が壁伝いに置かれている。中に人の首のマネキンがぎっしり詰まっているのは隣が床屋だからである。

だがその中に本物の生首が入っていても恐らくは誰も気づかない。一様に同じ表情を浮かべるマネキンに憤怒の表情を浮かべる生首。

・・・なんて。

そんな路地裏。

雑多。無機質。その場所。その奥に。

闇の中にゆらりと2つの赤が浮かんだ。

鮮血を湛えるような真っ赤なそれは、並行に並んだ2つの楕円形で、それらが闇の中で揺れるたびに赤い軌跡を黒色の中に引く。

それは2つの目玉だ。

喰種の特徴の赤い瞳。

持ち主は男性の老人だ。

その顔には年齢の積み重ねを感じさせるいくつものしわが刻まれている。そして表情には一切の感情は無く、ただ虚ろな瞳がそこにあった。

生気の無い視線を辿れば、路地裏から覗く灰色の雲へと当たる。雪を降らすは空一面を覆う雲である。

老人はただ立ち尽くし、雪を顔に受けながら、それをぼんやりと見上げている。

まるで何かを待つように。

やがて流れゆくその雲の切れ間から三日月がふと顔を出すと、月光が路地裏の暗闇さえも一瞬で明るく照らし出した。

 

「ああ、、」

 

老人は目を見開いて吐息のような声を漏らした。そうして次には顔は動かさずに、眼球の黒目だけを下へと動かし足元に転がる人間を見た。

 

転がる人間の死体を見た。

 

それは成人男性の死体で雪の上にうつ伏せになっていて、背中から腹にかけて半径15cm程のくり抜かれたような穴が開いている。そこからじんわりと流れ出した血液は、既に真っ白な雪を染め上げて、男性を中心に赤い絨毯を形成していた。

白と赤。生命を吸い取る冬の象徴と、激しさを伴う命の象徴。美しいコントラストを生み出している。

老人はその死体を平然と踏みつける。自らの右足は男性の背中の右肩甲骨に、左足は空いた穴から見える赤い雪につま先を差し込んで、かかとは穴の淵、つまりは男性の下半身の側の半円に引っ掛けるように置いて踏ん張る体制をつくる。そうして男性の右腕を持ち上げると、両腕で背中の方向へと思いっきり引っ張り始めた。

その向きは当然人間の腕の本来の可動域では無い。男性の肩の骨がギギギと悲鳴を上げて、腕がしなっている。

老人は依然無表情である。そして人間の身体は割と丈夫なようである。

老人が力を込めているのを示すように、右足を置いた右の肩甲骨からはバキバキと内部の骨が折れていく音がして、右半身そのものも右足の圧力に耐えきれずに雪に埋まる深さを増していく。また踏ん張っている左足の穴の淵も、その圧力によって穴の大きさを広くしていく。

やがてゴキッと言う鈍い音と共に男性の右肩の骨が完全に外れると、老人は男性の右腕から手を放し、右腕はナマコのように力なく背中にしなだれた。

老人はそれを見ながら少しばかり歯を軋ませる。すると老人の尾てい骨辺りから勢いよく平べったい尻尾が現れた。

形は縦長の楕円形。先っぽに行くほど鋭さを増す。

出てきた尻尾の長さは3m程。

縦幅は約20cm程。

尻尾の上側面には魚の背びれのようなものが規則正しく並んでいる。

尻尾の先の方には魚の目玉のようなものが付いている。

色は青と赤と黒。ひれのようなものは血色のようなくすんだ赤で、それ以外の尻尾の部分は深海のような暗い深い青。目は吸い込まれそうな黒。いずれにしても、怪しい輝きを放ちながらまるで液体であるかのように色は常に揺れ動き、淀みを見せながら対流している。

見た目をあえて例えるとすれば”リュウグウノツカイ”という魚に似ているか。

 

『赫子』

 

喰種だけが持つ特殊な捕食器官である。老人はこれをうねらせながら動かし、未だ垂れたままの男性の右腕のその根元へと近づけた。

赫子の先端に横線が入り、次いでにちゃりと音を立てながら縦に裂けた。上下に生え揃うは鋭利で白い歯のような何かで、その先からぽたぽたと透明な液体が垂れる。垂れた先の雪の地面は”じゅう”と音を立てて溶けて、茶色の地表にさえも小さな窪みを生み出した。

濃縮されたRC細胞。液中のそれは非常に非情に食いしん坊な細胞。

 

「ぐちゃあ」

 

老人がしわがれた声で静かに呟くと、赫子は男性の右肩辺りに噛みついた。歯をみっちりと食い込ませてそのまま頭を横に振って、ついには男性の右腕を胴体からちぎり離してしまった。

血液が辺りに飛び跳ねて雪の上に赤いしみをつくる。赫子の目玉模様にも跳ねて血の涙を流させる。

赫子はちぎった腕を無造作にそこらに捨てた。

 

ぼとりっ

 

「リコ、いい子だ」

 

今まで老人の表情には色が無かったが、初めて少しだけ表情を崩し、その武骨な手で自らの赫子を優しく撫でた。

リコは今は亡き娘の名前だ。

 

それから老人は作業を繰り返した。同じ要領で左腕をちぎり2つの脚も腰の先からちぎり、そして頭も、もぎ取った。

今や男性だったものはそれぞれ腕、脚、頭、胴のパーツごとに分解されて、雪の上に並べられている。暫しそれらを見下ろしていた老人であったが、やがて後ろへと振り返り、道路の見える路地裏の出口の方へと歩いていく。

凍えるような寒さと夜も深まった時刻とあっては通行人は見当たらない。

老人はそのまま通りへと出て、道路の曲がり角に立っている ”止まれ”の文字が赤い三角形の中心に記された一時停止の標識を、その白くて細い支柱ごと掴んで地面から思いっきり引き抜いた。そうしてそれを片手で持ち上げて軽々と肩に担ぐと、再び路地裏へと戻る。

路地裏に戻った老人は空いているもう一つの片手で男性の胴体を掴み上げた。そして先ほど頭をもぎ取ったその赤い断面の方から、支柱の地面へと突き刺さっていた方の先端へと思いっきり押し付けて、脊髄と並行に貫通させて、遂には支柱の一部としてしまった。

老人はその支柱を地面へと突き刺した。

上から三角形の止まれの標識、そして男性の胴体である。突き刺さる胴体からは臓器と血液が垂れて、その下の白い支柱に絡みつき赤く染めていた。

これは作品制作である。

老人は次に路地裏の隅にまとめて置かれていた鉄パイプを4つ手に取り、その標識を中心に囲むようにして、そして中心に向くようにして、それぞれの鉄パイプを斜めに地面に突き刺した。また胴体の部分と同様にして、その鉄パイプにそれぞれ手足のパーツを突き刺していけば、支柱に突き刺さった胴体へと伸ばされる手足の構図が完成する。

さらに頭を手に取り、それを胴体に元々開いていた半径15cm程の穴に供物のように添えた。

老人はそれを少しの間眺めると、やがて赫子を伸ばして支柱から三角形の標識を切り離した。そしてそれを胴体の本来頭部がある部分へと突き刺した。

 

「ああ、、」

 

老人は吐息を漏らした。

 

作品が完成したのだ。

 

月明かりが彼の作品を映し出す。

胴体に収められた恐怖の表情を浮かべた頭部には、その周りから持ち主の手足が伸ばされていて、胴体の頭にはそれを寄せ付けないかのように止まれの標識が突き刺さっている。

そんなおどろおどろしい雰囲気の作品。

老人は立ちながら無表情で自分の作品を見下ろしていた。

 

すると、どこからともなく、

 

”ぱちぱちぱち”と、拍手音が鳴り響いた。

 

次いで、

 

「お見事お見事~」

 

若い青年の間延びした声。

老人は声に気づいているのかいないのか、全く無反応である。声をかけた人物は、路地裏を形成する建物の屋根に腰かけて、両手でぱちぱちと拍手しながら足をぶらんぶらんと宙に遊ばせながら、老人とその作品を見下ろしていた。

細められた目は、何とも人当たりがよさそうである。

名前をセイという。

セイはやがて拍手を止めてズボンのポケットに両手を突っ込むと、建物を蹴って屋根から飛び降りる。そしてフード付きの黒いコートを風にはためかせながら10m程の高低差のあった地面へと軽々降り立った。

 

「あ~寒い寒い」

 

と声を漏らしながらセイはゆらゆらと歩き、老人の隣に立つ。

 

「いや~いい作品だね~ タイトルは決まってるのかい?」

「シイナ・・リコ・・・」

「それはそれは」

 

老人はセイの問いかけには顔を向けないまま喋っていた。セイはそれを聞くとポケットから片手を出して顎に添え、何かを考える仕草をした。

 

「それじゃあ『禁じられた生への渇望』とかどう??」

「完全なる作品に魂は宿る 故に価値を求める それはい・・・」

「ははー名前は大切さ 僕たちが記憶する一番最初の手がかりになるんだから」

「器が必要だ器大きな器正しい器」

「うん、人によって考え方はそれぞれだね でも僕はこの作品に価値を見出すよ 良い作品だ間違いない」

 

それから少しの間、二人は並んで作品を見下ろす。そうして虚ろな表情で作品を見るでもなく見ている老人の顔を、セイは横目でちらりと覗いた。

 

「ん~ まだ満足してないって顔だね」

「・・・」

「まあいつか出会えるさ 君の奥さんと娘さんに」

「・・・」

 

セイは続けた。

 

「次の作品に期待しよう」

 

 

 

 

喰種対策局という国の行政機関がある。それは本部を中心として各地に散らばっていて、そこには喰種の捜査や駆逐を行う喰種捜査官が多数所属している。公になることのない彼らの日頃の尽力によって、国民の治安が保たれているのである。

 

「ふわあ~っ」

 

デスクに座る年の若い男が大きなあくびを一つした。そこへ2つ隣のデスク(間のデスクは不在)に座る凛とした雰囲気の女性が、肩口に揃えた髪を揺らし、にやりと笑みを浮かべながら顔を向けた。

男は横目でそれを見て一瞬その表情に見惚れる。

 

「トキ 随分眠そうだな 良い目覚まし知ってんだけどやってみる?」

「えっ! あ、いや、いいっす! 起きてます!めちゃくちゃ起きてるんで大丈夫っす!!」

「ふふふっ」

 

慌てて背筋を伸ばすトキと呼ばれた青年ー桜庭時宗ーの姿に、廻(めぐり)は思わず笑みをこぼした。廻と時宗は同じ喰種捜査官の肩書を持つ。が、その階級には明確な差が存在する。

特に時宗は最近この対策局に配属されたばかりの新人捜査官であり、一方の廻は時宗がまだ訓練生の時に教官を務めていて、彼含めたくさんのひよっこたちを容赦なくしごいていた。だから時宗が目覚ましと聞いて思い浮かべたのは、訓練生時代、寝坊助に対して廻が行っていたマッサージとは名ばかりの地獄のツボ押し拷問であった。

今も、ただ記憶を思い起こしただけのはずの時宗の額を冷たい汗が流れていることから、その恐ろしさが伺える。

 

「にしてもケイの奴遅い・・・ 遅刻か?」

 

廻はトキとの間の空席の椅子を見下ろしながら腕を組んで呟いた。

 

「ケイさんがギリギリに来るのはいつものことですし それにまだ朝礼前っすから」

 

ぽっぽーっ ぽっぽーっ

 

オフィスの中央の天井壁に掛けられている鳩時計が、可愛らしい鳴き声と共に、針で8時55分を指し示した。

始業時刻5分前。

 

「よしこれは遅刻だな ケイのことだから寝坊だな よしよし」

 

そう言って不敵な笑みを浮かべながら、廻が親指の腹で指の骨を、人差し指から順番にこきこきと鳴らしていく。やる気が満ち溢れている。

時宗は目を見開いた。

 

「(ケイさん逃げてください!!!!)」

「いや~セーフセーフ ギリギリだねえ はははっ」

「(来ちゃったあああああああ)」

 

時宗が内心叫びながら見上げる先、今まで空席だった彼の隣の席の背もたれに手をかけて、手でパタパタと顔を仰ぐ人物。

輪堂啓太郎が現れた。

顔に汗を流し、髪の毛が若干ぼさぼさなことから急いで来たことが伺える。

啓太郎はそのまま ”トキ太郎、おはよう~ めぐちゃんおはよう~” と朗らかな笑みを浮かべながら席へと着いた。それに鋭い目を向けるのは隣に座る廻である。

 

「おはようじゃない 15秒遅刻だ」

「あ、ほんとだ でもまあ間に合ったって・・・こと・・・で・・・」

「手え出して」

「はい」

 

廻の冷酷な声に啓太郎は間髪入れずに従った。

 

「(ケイさん、さようなら 今までありがとうございましたあ!)」

 

時宗は無論何も出来ず、ただ心の中で合掌するのみ。。

啓太郎が遅刻をするのは珍しい。よって ”廻目覚まし昇天スペシャル”を喰らう姿を時宗は初めて見る。

 

遠目で見る。

 

廻は差し出された啓太郎の右手のその手の平を上に向けさせ、自らの右手の親指とその他の指で啓太郎の手の平を挟んだ。

親指が狙いを定めるように第一関節を曲げて、立たせた指先を啓太郎の手の平のある一箇所に触れさせる。

そして

 

「いだだっだだだだだだ」

 

思いっきり押す。ツボを押す!

 

「いだいいいいいいだいよ廻ちゃん!」

「大げさだ」

「ああああああああ」

 

啓太郎は断末魔のような声を上げながら、海老のように体を内向きに曲げてびくびくと震えていた。

時宗はそれを見ると、自身の経験からその痛みが実感を伴って容易に想像出来てしまい、他人事ながら顔を引きつらせた。

 

「嗚呼、ケイさん・・・」

「ああああああああああ」

「もうちょっと」

「ぬわああああああああ」

「ケイさん・・・なむさん・・・」

「どうだ?」

 

廻が俯く啓太郎の顔を覗きながら尋ねた。訊いているのは当然啓太郎であるが、それでも時宗は心の中で思わずにはいられなかった。

”痛いに決まってるわ!”と。

しかし、啓太郎は次のように答えた。

 

「あああああああああ」

「どう?」

「きもちいいよ!」

「ふーん」

 

啓太郎が答えた。

嬉しそうに答えた。

 

時宗は疑問符を浮かべた。

 

「ええ?ケイさん・・・?」

「すっごいきもちい!」

「ケイさん!!??」

「ここか」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「風呂に入るような声!?」

 

気持ちよさそーな啓太郎の声。

啓太郎の表情に浮かぶ恍惚に、時宗はただ驚いた。

 

「(ケイさんって・・・ドM!?)

 

時宗が下らないことを考えている間にやがて二人は手を離した。

啓太郎は廻に柔らかな笑みを浮かべ、それに対して廻は顔を正面のPCへと逸らし、少し顔を赤くしている。

 

「めぐちゃんいつもありがとう~ 体が軽くなったよ!」

「ああ」

「おかげで今日も頑張れるよ!」

「ん」

 

廻が照れ臭そうに返事をすれば二人を穏やかな空気が包み込む。

指に光るはお揃いの指輪である。

二人は新婚の夫婦であった。

そして廻の”廻目覚まし昇天スペシャル”は実は啓太郎にとって毎日の日課であり、至極のマッサージなのである。ただ今朝は、昨日の廻の仕事が遅くまで続いた為に、廻が捜査局に直接泊まり込んでいて啓太郎がお預けを喰らっていたのであった。

 

「あ、昨日美味しそうなケーキ見つけたから冷蔵庫で冷やしてあるよ」

「ケーキですか!?」

 

廻が目を輝かせた。

 

「帰ったら食べてね!」

「了解です!」

「めぐちゃん、今は僕たち夫婦だよ」

「あ、うん・・・分かった・・・?」

「ぎこちないめぐちゃんも可愛いね!」

 

目の前で繰り広げられる夫婦のノロケ成分が多分に含まれた甘い会話を、時宗は死んだ魚のような目をして悟りの境地に達しながら聞いていた。

必殺時宗菩薩。コーヒーをよこせ。

元々、今もだが、啓太郎は廻の上司でもあって、時宗とのコンビを組む前は廻とコンビを組んでいた。

啓太郎はそれまではその実力の高さゆえに危険な任務に就くことが多く、決まって相棒が死にかける、もしくは死ぬのだが、それについてよく思っていなかった啓太郎は特例で一人で行動することも許されていた。その姿はさながら一匹狼であった。

また今でこそ物腰は柔らかなものとなったが、当時の廻はと言えば、誰に対しても一定の距離を持っていた。が、その優秀さを上の者に評価され啓太郎とコンビを組むことになってからは、危険な任務をこなすたびに“今日も生きててよかったね”と大好きなスイーツを啓太郎にご馳走され、共に死線を乗り越える事もあって、徐々に啓太郎に心を開いていった。

そうして単独で任務をこなす人外ソロ野郎とそれに懐くツンデレ(ツン8:デレ2)捜査官の図が生まれた。当然その様子は面白くないわけがなく、周囲からは好奇な目で捉えられ”狼と野良犬”と揶揄されるようにもなったりもしていた。

その関係性は結婚してからも変わらない。どころか、啓太郎の前では時々チワワになる始末。

二人だけで積み重ねてきた時間があった。それ故に、廻の啓太郎に対してだけ見せる一面があった。

多くの人にとっては微笑ましい。

しかし彼は。

時宗は、それを見ると心が警鐘を鳴らすのだ。鼓動が早くなり、締め付けられるような痛みを感じるのだ。

 

廻が好きだから。

 

「(羨ましい・・・)」

 

時宗は仲睦まじい空気に包まれている二人を、無表情で見つめながら密かに思った。

それは、今、この時、だけではない。

 

例えばそれはいつだったか。古い資料の整理を新人の時宗が任され、誰も通らないような廊下の角の、長らく使われていないような物置部屋に足を踏み入れようとした際、時宗は目を見開いた。

その透明な扉越しに二人の姿を見た。

部屋に差し込むオレンジ色の夕日を受けながら、背の高い啓太郎が廻に被さるようにして抱き合い、互いに目を瞑り愛おしそうに舌を絡ませていた。

時宗をその光景を見た時、身体中の体温が急に下がる感覚を覚え、次いで冷たい汗が身体中を伝い始めたのに気が付く。さらには猛烈な吐き気にも襲われ、時宗はたまらずその場を後にし急いでトイレへと駆け込んで、個室に吐瀉物を吐き散らす音を響かせた。

ようやく落ち着けて個室からとぼとぼと出てきた時宗は、そのまま手洗い場で水をすくい口をゆすぐ。

顔を上げた時、正面の鏡に写る時宗の姿は、目を落ち窪ませひどく顔色を悪くしていた。

時宗の頭には先ほどの光景が脳裏に焼き付いて離れない。啓太郎に対して”羨ましい”という感情がぐるぐると頭をめぐり、そしてその羨望が遂には啓太郎の姿を自分の姿へと置き換える。

 

廻上官を自分のものにしたかった

 

正面にあるのは廻の唇で、それに時宗は唇を合わせ、その体を強く抱きしめて、愛を囁いて、そして誰にも譲らないように

 

食べてしまいたい

 

鏡に目を真っ赤にして、口から血を垂れ流す時宗がいた。時宗と目を合わせにやりと笑う。

 

「っっっ!!!」

 

時宗は、目を瞑り頭を振ってもう一度鏡を見た。そこには再び顔色の悪い時宗の姿があった。時宗は安堵から深いため息をついた。

 

「(これじゃあまるで喰種だ 醜い喰種・・・ 落ち着け落ち着け)」

 

時宗は出しっぱなしだった水を止めると、トイレを立ち去った。

 

などと心を乱された経験は挙げれば枚挙に暇がないのだ。

 

 

 

 

「それでは改めて確認する 

山田・瀬野は引き続き『首切り』の調査 

塩野・卯月は〇区で起きたミナミアパート事件と喰種の関連性の調査

沢野・牛久は〇区での喰種複数目撃情報の調査

輪堂・桜庭は『アカガミ』の調査  

・・・以上解散」

 

「「「「「はっっっっ」」」」」

 

上官を中心としてそれぞれのミーティング。例えば啓太郎と時宗の属するミーティングでは、強面な嶋野上官の簡潔な締めの言葉と、眼鏡を中指で上げる理知的な仕草を合図に終了となった。個室の扉から、何人かの集められていた捜査官がぞろぞろと部屋を出ていく。啓太郎と時宗もその流れに続こうとしたが、不意に嶋野上官が二人を呼び止めた。

啓太郎と時宗は、説明で使われていたホワイトボードの前に立っている嶋野上官の元へと向かった。

 

「悪い忘れてた お前ら今日15区の夜回りだな」

「はい、そうです」

「っす」 

「伝え忘れたことがあった」

 

そう言って嶋野上官は懐から写真を取り出すと、磁石でボードに貼り付けた。写真には二人も見たことが無いような奇妙なオブジェが写っていた。

 

「これは・・・なんですか?」

「きもいっすね」

 

嶋野上官の鋭い眼力が時宗を襲う。

時宗はしまったとばかりに顔を逸らした。

 

「これは15区のとある路地裏で発見されたものだ」

 

それは実におぞましい。

暗闇に標識に支柱に胴体に、生首に臓器に手足に血液に。

まさしく・・・『禁じられた生への渇望』である。

時宗は写真に顔を近づけて気味が悪いとばかりに顔を歪ませ、啓太郎はその後ろからオブジェの意味を考察するかのようにじっと写真に眼差しを送っている。

嶋野上官は続けた。

 

「幸いにも市民には発見されない内に捜査官が発見・回収した」

「見れば見れば奇妙なオブジェですね」

「人間を使って遊ぶ屑は定期的に現れる」

「そして場所が15区ですか」

「15区だ」

「もしかして・・・”カラス”の仕業だったりして」

「”カラス”か・・・笑えない冗談だ」

 

啓太郎と嶋野上官が二人で話しているのを時宗は間で不思議そうに聞きながら、二人が喋る度に、その視線を二人の顔に交互に移動させていた。やがてキョロキョロしている時宗に嶋野上官が顔を向ける。

 

「時に桜庭、”カラス”とは何だ」

「えっ」

 

急に話しかけられた時宗は思わず間抜けな声を出した。

 

「桜庭、”カラス”だ」

「あ、はい カラス」

「カラス」

「あ、あの、市街地によく現れて黒くてゴミなどをよく漁る・・・」

「そっちじゃない」

「あ、えと ええ」

「あ?」

「え、えへへ」

「アカデミーに帰りたいのか??」

「ひいっ」

 

嶋野上官が顎髭を撫でつけながら、低い声でそう言った。顔を引きつらせて冷や汗をにじませる時宗に、啓太郎は苦笑いを浮かべながら助け舟を出す。

 

「まあまあ嶋さん トキ太郎は頭より肉体派なんで!彼はよく動けるんですよ!」

「知識あっての行動だがな」

「・・・あはは」

 

フォロー失敗である。

 

「お前も十分ベテランだろうが しっかり教育しろ」

「すみません」

「まあいい機会だ、教えてやれ」

「はい」

 

嶋野上官に促され啓太郎は短く返事をした。

 

「いいかいトキ太郎 名前ぐらいは聞いたことあると思うけど、”カラス”っていうのは昔15区を根城にしていた凶悪な喰種のことだよ」

「・・・はい」

「レートは推定SS以上」

「えっSS!?」

 

レートとは喰種の脅威度を表す基準である。

C~SSSまでのアルファベットで区別され、SS程のランクとなれば赤子の手を捻るように捜査官の命を奪う。

正真正銘の化け物である。

 

「彼は当時丁度、今のトキ太郎と同じくらいの年齢の青年で、ってまあ僕もそうだったけど ええと、それで圧倒的な戦闘センスで特等捜査官方とも平気で渡り合うような喰種だった」

「そんな化け物が・・・」

「頭もよくキレるし、当時の白鳩の象徴的な敵 それでカラス」

「・・・」

「ただ何より恐ろしかったのは彼の戦闘力じゃない その性質さ 彼はとにかく”楽しさ”を求めた」

「楽しさ?」

「いつ見ても彼は笑ってていて、とにかく興味の赴くままに行動したんだ」

「・・・」

「酷かったよ 捜査官の遺体を何体も本部へ送りつけたり、捕らえた捜査官の身体をちぎってどこまで生きれるか実験したり」

「・・・」

「挙句の果てにはどうやったのか、敵対していたはずの特等捜査官の一人を味方へと率いれちゃったんだ しかもその方は喰種になってしまった」

「・・・へ?」

「まあそうなるよね」

 

急な話の展開に時宗は呆けた表情を浮かべる。そこに今まで黙っていた嶋野上官が話を引き取るように口を開いた。

 

「私の親友だった」

「嶋野上官の」

「あいつは何故か我々を裏切り、そして攻撃し、気付けば結晶のような姿になり、最後には粉々になった」

「えっ あの」

「原因は未だ不明 カラスも戦いの果てに致命傷を負い、やがては戦場からは姿を消した それ以来カラスはもう十数年の間、姿を見せていない」

「・・・」

 

時宗は衝撃的な情報の数々に圧倒され、言葉を失う。啓太郎はそんな時宗の様子に微笑むような笑みを浮かべ、犬を扱うようにその髪をわさわさーと撫でた。

”わあああ”と騒ぎながら手から逃れようとする時宗にさらに啓太郎は笑みを深めた。

 

「まあともかくだ こんなものを造る屑がいたら捕まえてくれ 必要ならば殺して構わん」

「了解」

 

啓太郎は真面目な表情で短い返事を一つ。

それから呟きを一つ。

 

「まだ生きてるんですかね・・・」

「あの傷だ 生きてはいまい」

「そうですね」

 

二人は遠い記憶に思いを馳せるように窓の外の曇り空を見遣った。

 

 

 

 

 

こくりっ

 

喉を鳴らす音。喉仏が脈動。嚥下。

 

「んん~ 生きてるって良いねえ」

 

セイはワイングラスを口元から離しながら、目元を細めて口元を緩めてしみじみとそう呟いた。喉を通った液体が彼を幸せ者の表情にしたのだ。

セイがいるのはとあるバーでそこはただのバーではない。喰種のためのバーである。空気のように耳を通り抜けていく静かなジャズと、壁から吊るされた柔らかな橙色のランプが店内に心地良い雰囲気を作り出している。

セイはバーのカウンター席に座りながら蛇が獲物を狙うような細い目つきで、右手の指と指の間に挟んだワイングラスの細い柄のその上部、半円の飲み口で揺れる赤い液体を見下ろしていた。

それは色は赤褐色に近い。さらりとしていて鉄臭い。さらには喰種の大好物。

つまり人間の血液である。

奥行きのある味わいに上機嫌になったセイは微笑を浮かべながらグラスを揺らして、その赤色を波立たせていた。

 

「久々に来たけど、マスターは相変わらず良いものを出すよね~」

 

セイは視線を正面へと移してカウンターの向かいに立つ、黒ベストを着て白髪を後方へと撫でつけた気品ある老年の男性を見た。

 

「十数年ぶりのお褒めの言葉、光栄にございます そちらは今朝方、牧場の方で品質の良い人間から絞ってきた血液にございます」

「人間牧場だっけ」

「左様にございます」

「面白そうだけど手間もかかりそうだからなー」

「仰る通り 人間が最も美味しくなるのは多大なストレスを感じた時ゆえ、死を間近に感じる生殺しが一番なのですがこれがなかなか」

「彼らは脆いからね」

「しかしセイ様は生殺しはお得意でしたね」

「ははっ まあ、お土産でも持っていつか遊びに行くよ」

「いつでもお待ちしております そういえば準特等クラスの捜査官などは大変美味な血の容れ物にございますねえ」

「あはぁ そのうちね」

「楽しみにしております」

 

そう言ってセイは再びグラスを傾けると、流れゆく液体を唇で迎え入れるように静止、口の隙間から自然に入り込む血液の風味と味わいを確かめるように瞳を閉じて数秒。

後にグラスをゆっくりとテーブルに置くと、舌でちろりと唇をなぞった。

 

「うん 美味しーなあ」

 

独り言を言って

 

「なあ”皮剥ぎ”、君もそう思うだろう?」

 

言いながら左横を振り向いた。そこには”皮剥ぎ”と呼ばれた老人がくたびれた服装で座っていて、虚ろな目で正面の何もない空間を見つめながら何やらぶつぶつと呟いていた。さらに見れば、右人指し指の先っぽは手元に置かれたワイングラスの血液にちぷちゃぷと水遊びするように触れさせていて、次いでその指が引き抜かれたかと思えば自身の眼下のカウンターテーブルをなぞり、何やら棒人間のような絵を描いていた。

 

「マスターごめんね 彼はちょっと壊れてるんだ」

「いえいえ しかしお連れ様がいらっしゃるとは珍しいですね それに差し支えなければ今”皮剥ぎ”様と」

「その通り 彼は昔に子供から大人まで女の顔をひたすらに剥いで巷を震わせた凶悪犯罪者”皮剥ぎ”さんで間違いないよ」

「それはそれは」

「今日は久々の娑婆だからね 美味しい『家畜』の新鮮な血を堪能してもらおうかなって思ったん・・・だけ・・・ど・・・」

 

セイの言葉は後半に行くにつれて段々と切れ切れになっていった。というのも彼の視線の先で、今まで生気の伴っていなかった老人の瞳がギョロリとセイの方を向き、瞬きもせずに白目に血管を浮かせながら”家畜ぅ・・・家畜ぅ・・・”と唱え始めていたのだ。

 

「あ、しまった 『家畜』はNGワードだったかぁ・・・」

 

彼が呑気に反省している間も老人は興奮を高めていく。鼻息を荒げ声を大きくしていき、やがて背中の尾てい骨より赫子ーリュウグウノツカイーさえも生やすと、セイに狙いを定めるようにその頭部に先っぽを向けた。

魚の無機質な瞳がセイの顔を見つめる。

 

「まあまあ”皮剥ぎ”落ち着いてよ 今は家畜とか関係ない話だよ」

 

セイは立ち上がり両手で制止するように促した、が

 

「家畜ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「あはあっ」

 

宥め半分、煽り半分なセイの言葉を遮るように老人はセイに飛び掛かり、その首に両手を食いこませつかみ上げた。セイは喉元を掴まれて顔を強制的に天井へと逸らされながらも、殺意をむき出しにする老人の顔を黒目で見下ろし、にやりと笑みを浮かべた。

危機的な状態の死にかけな変態。

老人はいよいよその頭を貫かんと、赫子を槍のように一気に伸ばした。

リュウグウノツカイの口が大きく開く。

頭に近づく。

そして

 

ガキ゛ン゛ッ゛

 

噛みついた。

しかしその牙が刺さる先は、セイの頭では無く、セイの身体を覆うようにして背中から生えた、赫子であった。

羽赫。

そう呼ばれている。

セイの羽赫は大きな翼の形状をしているが、全体がはっきりとした実態を伴わずに炎のように揺らめいていた。羽赫を形成するRc細胞が放出されているためである。またその色も絶えず変化をし、青や紫や緑と言った寒色が入り混じり幻想的な色合いで空気に吐き出されは消えていく。しかしその中に時折、人の顔が浮かび上がる。冷たい陽炎の中に人の骸が助けを求めるように浮かび上がっては消えていくのだ。それはまるで地獄の業火に焼かれて苦しんでいるようであった。

その羽赫に歯を立てる老人の赫子であるが、次第にその先っぽが炎のように燃え上がり、

 

「う゛え゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

と老人が苦しみか興奮か動物ような声をあげていた。

 

ぴろろぉ

 

唐突に素朴な鈴の音が店内に響いた。これは扉につけられていて、客の入店時に鳴るようになっているものである。

店内に新しく入ってきたのは、ピンク色の長髪を揺らす黒いフリルを着た女性であった。彼女はセイの姿を見ると目を輝かせた。

 

「ああああああ 愛しのカラスせんせーーーー! センセーが生きてたあーーー 生きてたああーーーー!!!!」

 

そんな彼女は次に目の前の状況を目の当たりにすると、瞳を大きく見開いた

 

「あたしのあたしのカラスせんせーを殺すのもあたしなのーーーーー!!」

 

恋心とは複雑である。

彼女は素早く床を蹴り、すぐさま老人のもとへと駆けだした。

 

「ムカムカムカムカーーーーー!! じじいてめえええ殺してやるーーーーーきゃはあああ!!」

 

そう耳をつんざくような金切り声と共に彼女の右腕は、肩甲骨から伸びたとぐろを巻く赫子に包まれ、腕先に行くにつれて巨大なハサミのような形状へと変化した。それを老人の首へと伸ばし、

 

「クビ・チョン・パアっっっ!!」

 

か゛ン゛ッ゛

 

刃先はしかし老人の首へと届かなかった。代わりにハサミに挟まれているのはセイの伸ばしたもう片方の翼の赫子であった。刃先は断続的に放出されるRc細胞に繰り返し何度も阻まれる形となり、 “ガガガッッ”と削るような音が発せられていた。

 

「なんでなんでなんでーーー殺す殺す殺すーーーー!!」

 

女性は癇癪を起すかのように声を上げながら、闇雲に刃先を閉じようとする。しかしいやに甲高い叫び声にもにも似た不気味な音がこすり合わせた部位から鳴り響くばかりであった。

一方でセイの首は依然絞められたままである。赫子では無くそのまま窒息させることにした老人のしわだらけの両手には、力が込められていることを示すように、表面に網目のような血管が無数に浮き出ている。

”家畜ぅ!家畜ぅ!”と呪いのように繰り返す様は醜さと執念を感じさせ、セイを喜ばせた。。

セイは背中の赫子とは別に、左手の肩から腕先にかけて、黒く鈍い輝きを放つ、装甲のような硬い質感を伴った赫子を纏わせた。それは腕先に行くほど鋭くなり、全体としてはでかいナイフのような形状であった。

甲赫。

2つ目の赫子。

2種持ちと呼ばれ、喰種の中でも多くは無い。

セイはその左手をゆっくりと持ち上げると、老人の頭を思いっきり貫いた。頭に赫子を貫通させた状態のまま目を見開いて困惑する老人をよそに、セイはそのまま左腕を細かく動かす。

 

ぐちゃぐちゃ

 

音を立てて老人の脳内をかき混ぜていた。すると老人の腕から力が抜けてだらりと力なく体の横に垂れた。それによって首を視点に持ち上げられていたセイの身体はすとんと地に足を付くことを許され解放されて、セイは”すう~~っ”と深く息を吸った。

老人の頭には未だセイの左腕の赫子が突き刺さっていて、今や老人の身体からはすっかり力が抜けていて、その体重をセイの赫子に預けているような状態であったために、セイが赫子を勢いよく引き抜くと、まるで電池が切れたかのように老人の身体が重い音を立てて地面へと倒れた。

 

「うんうん これでひとまずはいいかな」

「あああああーーーー カラスセンセーが、カラスセンセーを殺そうとした、じじいを殺そうとした、私を邪魔したーーー!! カラスせんせー殺すうううう!!!大好きいいいいーーー!!!」

「アビーちゃん落ち着いて ”皮剥ぎ”は死んでないよ、ちょっと眠ってもらっただけだよ」

「むうううーーー殺すううーーーー!!結婚してーーー!!!」

 

セイが宥めようとするが、アビーちゃんと呼ばれたこの女性は聞く耳を持たずに頬を膨らませる。今まで右腕に纏わせたハサミ状の赫子はセイの羽赫に止められていたが、今度は更に左腕にも赫子を纏わせて、セイの首を挟もうと刃先を伸ばす。

 

「カニ・さん・チョッキン!!」

「ねえアビーちゃん 十数年ぶりなのにちっとも変わらないんだね」

「チョキ・チョキ・チョッキン!!」

 

アビーちゃんの赫子はセイのに阻まれながらも、挟んで離し挟んでは離しを繰り返し、何度も何度も恐ろしいスピードでセイの首元へと繰り出された。そんな攻守の折の中、

 

ぴろろぉ

 

再びの来客を告げる音。次に店に足を踏み入れたのは浅黒い肌に、金髪の髪をツンと尖らせた青年であった。齢は20前後のやんちゃそうな風貌をしている。

 

「ああ、ゴル君やっときた 早速だけどアビーちゃん止めてくれない?」

「お゛お゛お゛っ センセーと殺し合いか!? 俺にやらせろ!!」

「ああ、ゴル君も馬鹿なままなんだねえ」

 

ゴル君と呼ばれた青年は白い歯を見せてニヤリと大きく笑うと、そのままアビーちゃん同様にセイのもとへと駆け出してきた。

目を真っ赤に充血させて、アビーちゃんと同じく肩甲骨より腕に赫子を纏わせる。しかしの先はハサミではない。大きな黒光りするハンマーの形状へと変化した。

彼は既にセイと戦っていたアビーちゃんが気にくわないようで、アビーちゃんに向かってがなり声を上げながら、大きなハンマー状の赫子を振り下ろした。

 

「さ゛あ゛あ゛あ゛」

「何っよぉっ!!」

 

アビーは両腕の赫子を顔の前で合わせて、ハンマーを受け止め、ゴル君の攻撃を防いだ。

 

「アビーてめえ抜け駆けはずりいだろおーがよお!!」

「は゛あ゛あ゛ 早いもん勝ちに決まってんでしょーーー!」

「ざけんな! センセーを殺せるこの時をどんだけ待ち望んだと思ってやがる!」

「私だってそーよ! 私だってセンセー殺したいもん!!愛を伝えたいもん!!」

「知るか!おめーは引っ込んでろクズ!」

「あんたこそーーー!その汚い口閉じなさいよ!どっかいきなさいよーーーー!!!!」

「うっざ!し゛ね゛え゛今゛日゛こ゛そ゛し゛ね゛」

「センセーより先に殺してやるうううううううう!! きゃはああ!」

 

そう言い争ったのちに、センセーことセイは差し置かれて、二人の赫子による激しい戦いが店内で巻き起こり始めてしまった。店内は狭く、単純な木造建築によるバーは喰種の戦場には向いていない。

軋む床、穴が開く。

 

「二人とも話があって呼んだんだよ?」

 

「店内で暴れるのは面白くないなー」

 

「聞こえてるかいクソガキどもー」

 

しかし二人は争いを続けていた。殺し合いに夢中で、言葉が見に入らないようである。見かねたセイはため息をつくと、とうとう自ら手を下すことにする。

尾てい骨より赫子を伸ばした。その赫子はサソリ尻尾のように長く、先は一旦丸い膨らみを見せ、そこから緩やかな弧を描いて鎌のような針が伸びていた。

3つ目の赫子、尾赫である。

セイは面倒そうな目で争う二人を見ながら、尾赫をしならせて、伸ばして、二人の喉の部分をその鋭い針でもって一瞬のうちに貫いた。

 

「く゛う゛っ゛」

「き゛ひ゛い゛っ゛」

 

苦しげな声。

二人はセイの尾赫が貫通したままの状態で持ち上げられ、ハンガーに吊るされた衣服のようになった。

 

「があ゛っ」

「き゛ゃは゛ぁっ・・・」

「ほら 仲直りの時間だ 出来ないと殺しちゃうよ?」

 

セイは冷たい声で言った。二人は今や尾赫を通して、近づくこともなく遠ざかることもない一定の距離のまま一繋ぎの状態である。強制的に向かい合わせられている二人は苦悶の表情を浮かべながらもがいていたが、やがて抵抗しても意味が無いことを悟り、力を抜いて身体をブランと揺らしながら静かになった。

静かにお互いの顔を見る。

 

「・・・こ゛め゛ん゛ね゛ーコ゛ル゛ー」

「わ゛り゛ぃ゛」

「はい着席」

 

そう言ってセイは二人を赫子から解放した。先ほどまでとは違って急に大人しくなった二人は、未だ気を失って地面に転がっている老人を途中で踏みつけながら、セイは跨ぎながらそれぞれカウンター席に着いた。

 

「何か頼まれますかな?」

 

マスターが丁寧な口調で尋ねた。

 

「はいはい! 私オレン血ジュースーーーー!!」

「俺はコーヒーだ! あ゛あ゛ん゛?」

 

アビーちゃんはハイハイと手を上げながら、ゴル君は何故かメンチを切りながら注文した。オレン血ジュースとは血液8割オレンジ2割の飲み物である。

そんな子供のような二人を見て、セイは呆れた表情を見せた。

 

「随分久しぶりだと思ってたけど全然変わらないなあ 君たちは」

「私はいつまでもプリティー――!!」

「は゛あ゛あ゛ ハンサムになったろうが!!」

「ああ そうかもね」

「でもカラスセンセー生きてたんだねーー!!」

「死んだんじゃねえのか あ゛あ゛ん゛?」

「まあ、表向きはね 実際は通りすがりの医者・・・医者かな? まあそんな感じの人が助けてくれたのさ」

 

セイは言った。

 

「さてこうして呼んだのは他でもなく、君たちに報告とお願いがあったんだ」

 

本題に入る。

 

「えーーーなになにーーー」

「ん゛あ゛あ゛?」

「まあまずは報告をしよう ほら、そこに転がってるおじいさんが見えると思うけど、それが”皮剥ぎ”で、彼は僕の友達だってことから」

「このじじい知らなーーーい!」

「誰だこいつ」

「まあ敵じゃないよ」

 

これは報告。

 

「あともう一つはお願いなんだけど」

「なにーーーー?」

「なんだあ゛?」

「ちょっと面白いことを思い付いちゃってさ これから色々やってくんだけどそん中で協力とかして欲しいんだよね」

「ええーーーどーしよっかなーーー」

「おもっしれ―ことってなんだあ?」

「それはまあ 君たちもそのうち楽しめる筈だ」

「ふーんそれならいいよー!」

「しゃあねえ」

「ありがとう 殺す手間が省けて助かるよ」

 

セイは微笑を浮かべた。

 

この二人に何故お願いをしたのか。それはセイがこれからやろうとしてる”面白いこと”にはとにかく頭数が必要であり、この二人にはそれなりの数を動かす影響力があるからである。

二人は現在喰種勢力のNo1、2の覇権を握っている。

アビーちゃんはSSレートとされている喰種である。

見た目は大人だが中身は純粋無垢な子供。ゆえに残酷。気に入らないものを全て切り刻まないと気が済まない。気に障ったものは捜査官だろうが喰種だろうが八つ裂き。

喰種殺戮集団『カリギュラ』のリーダー、”断切”のアビー。

 

ゴル君もまたSSレートに指定されている喰種である。

とにかく喧嘩っ早く、殺しを好み、争いの火種を見付けては突撃、もしくは自ら争いを引き起こす。

”アカガミ”や”首切り”も所属する無法集団『ガラムダ』の首領、”暴君”ゴル。

 

二人は東京23区を大体半分ずつそれぞれの手中に収めていて、日夜いがみ合い、時には相手の陣地を取りに争いを仕掛けたりもしている。

そんな二人はかつてのセイの教え子であった。

 

「それじゃあ他の子たちにも君たちから言っておいてね センセーがお願いしてたって」

「はーーい!!!」

「わかったぜセンセえー!」

「それじゃあ」

 

話を終えたセイは立ち上がると、転がっている老人を無理やり立たせた。

 

「今度は捜査官を作品にするってのはどうだい?」

「リコぉ・・・シイナぁ・・・」

「そうだねえ わくわくするよねえ」

 

セイは老人を引き連れてバーを後にした。

 

 

 

 

歯車が狂い始める。

キリキリキリッ

音を立てて狂い始める。

日常などあっけなく崩れ去る。

歯車がキリキリ キリキリ キリキリ

 

 

 

その日の夜は雲がまるで見当たらず、濃い紺色の空の中に煌々と真ん丸な月が輝いて、静かな夜を見守っていた。昨日同様に空気はひどく冷え込んでいて、そのため透き通っていて、夜空の星も点々と輝いて美しい。

また町中には昨日に降った雪が未だに白く残っていて、地面には既に無数の足跡がつけられているものの、周囲にまるで人が見当たらないのがちょっとした不思議さを演出している。

深夜なので当然のことではあるが。

その雪へと新しい足跡を重ねていくのは、スーツの上にコートを着込んだ二人の男、啓太郎と時宗である。

彼らは夜回りとして、15区の街並みをパトロールをしていた。ポケットに片手を突っ込んで、もう片手にはアタッシュケースを持って、足早に歩いている。

アタッシュケースの中身はクインケと呼ばれる捜査官が喰種と戦うための武器が収められている。最も今は、喰種の姿が見えないために、ただの荷物と化してしまっている。しかもアタッシュケースは金属だし冷たい。重い。

 

「今日も寒いですね」

「うん 寒いね」

 

言葉と共に吐き出されたと息はすぐさま白いもやもやへと変化して、空気中へと消えていった。

啓太郎は首にかけたマフラーに手をかけると持ち上げて、口元を覆い隠した。

 

「そのマフラー良いですね」

「めぐちゃんにもらったんだ」

「いいっすね」

 

町中には人間の姿はないし、喰種の姿も見当たらない。時おり道を横切っていく野良猫が町の平和を知らせてくれているようであった。

 

「今日の仕事はこのまま楽勝っすかね?」

「う~ん、どうだろね 15区は元々喰種の目撃例も少ないからな~」

「退屈ですね~」

「トキ太郎、気だけは抜かないようにね」

「分かってます」

 

と言いながら時宗は、見知らぬ誰かの家の塀に積もっている雪を手で払い落としていく遊びをして、「冷てえー」と呟きながらポケットに手を突っ込んでいる。その様子を啓太郎は微笑を浮かべながら見つめていた。

 

「そういや、けいさん あんまり仕事前にあの事務室の奥の方の角部屋の物置部屋に廻上官と忍び込むのやめたほうがいいっすよ」

 

突然に時宗は、啓太郎に視線を向けずに正面を向きながら何でもないように呟いた。

 

「え・・・えっ 何で知ってるの?」

「いや 俺調べでは結構有名っすから」

「ええ、、あ、あはは 気付かなかったなあ・・・」

 

啓太郎は戸惑いの苦笑を浮かべ目を泳がせた。

 

「嶋野上官は知らないかもですね」

「ああっ言わないで!お願い!」

「帰りにおでんが食べたいっすね・・・」

「よし、行こう 奢っちゃうぞ!」

「よっしゃ!」

 

時宗は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

それからもしばらく人影も喰種も何も見当たらず、何故か公園に立っていたでかい雪ダルマに驚かされた程度であった。

二人は今は店が乱立する駅前の通りを歩いていた。時宗は足元でにゃーんと鳴いている野良猫を見つけ、しゃがみ込んで癒されている。啓太郎は動物が駄目なので立ってにゃーんを見下ろしながら、また遠くに明かりの切れかけている街灯も見つけて、時宗が猫に飽きるのを待ちながら何ともなしにそれを見つめている。

 

「おりゃおりゃー ぐるぐるー」

 

時宗は何故かトンボを捕まえる要領で猫の正面でぐるぐると指を回し、猫は動く指に反応してぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

無邪気に遊ぶ猫の姿は愛らしく最強。

 

「けいさん見て下さいよ 可愛いっすよ ほらあ、また可愛い おお可愛い」

 

と時宗が野良猫にメロメロになっていたのだが、

 

「うわっ!」

 

不意に時宗が首筋にひんやりした感触を感じて、飛び跳ねた。犯人は言わずもがな啓太郎で、左腕で、しゃがんでいた時宗の首を後ろから掴んだのだった。啓太郎はいたずらが成功した事を子供のように喜び、にやりと笑みを浮かべている。

 

「なんすか、ケイさん」

「あれ見てみ」

 

指さす方向。

かちかちと切れかけの死にかけの街灯に点滅しながら照らされて、途切れ途切れに見えるのは雪の上に絵具をぶちまけたかのような赤く大きなシミであった。

見慣れた二人にはよく分かる。

 

血である。

 

よく見ればその赤は街灯の下だけには留まらず、そのまま何かが引きずられていくかのように、赤いシミが近くの並んだ店の間の路地裏まで伸びて行っている。

 

「あからさまですね」

「怪しいね」

 

喰種の仕業で間違いないが、喰種とて捜査官に見つかることを恐れて、こんな道しるべを残すような真似はそうはしない。詰まるところこれは二人には、捜査官を誘うトラップとてして映った。

 

「まあでも行こうか」

「了解っす」

「腕に自信のあるやつかもしれないから気を引き締めて」

「退屈しのぎには丁度いいっすね」

 

二人はアタッシュケースを握りしめ、いつでも中のクインケを開放する心積もりで、血の跡を追った。路地裏の入り口までやって来たとき、二人の視界に広がるのは奥を見通すことが出来ない程の暗闇であった。深夜の暗さと建物の影とが重なり合って暗闇を形成しているのだ。

その奥からは、冬の寒さで感覚が鈍っている嗅覚でもはっきりと感じ取れるほどの、生臭さと鉄臭さの混じった不快なにおいが漂って来ていた。啓太郎は暗闇をにらみつけ、時宗は嫌そうに顔を歪ませる。

 

「行こう」

「了解っす」

 

二人は奥に喰種のいる確信めいた予想を持ちながら歩を進めた。が、しばらくは、雪を踏みしめる子気味いい感覚ばかりで、真っ黒な景色は変化を見せなかった。しかし臭いが歩けば歩くほど強くなるのも事実であり、それは時間の問題に思われた。

路地裏の入り口から数メートル歩いたときだったか、二人は突然足を止めた。その視線の先、少し距離を取ったその正面。

全裸の女性の遺体が二人に足を向けて寝転がっている。いや、向けるといっても左足は付け根の腰から先は既にちぎられていて、その断面には中央の白い骨とソレを囲む赤い肉がむき出しになっていた。またそこから血がとめどなく溢れていて、その根元に続く血の一直線を地面に引いていることから、二人が追ってきた血の跡がこの女性のものであることが分かる、

足はどこに行ったのか、探すまでもなく青白い脚が胴体の上に積まれている。またその上には、同じくちぎられたであろう左腕も同様に積まれている。

このような残虐な行いをした犯人はその傍に立っている老人で間違いはないと思われた。

くたびれた服装の老人は腰から、赤と青の見た目には綺麗な魚のような太く長い赫子を伸ばし、女性の右腕の付け根へとかぶりつかせている。

赫子の先端が口のようにに開いていて、そこから見える白くて鋭い歯が女性の右腕の肉へとみっちりと刺さっていて、そのまま左右にぶんぶんと振っている。血液が飛び跳ねて、雪にいくつもの丸いしみをつくっていた。

解体の真っ最中である。

老人は女性を見下ろしていたがやがて二人の存在に気が付くと、顔を上げてぎょりろりと目玉を動かし、二人のことを交互に見やった。

そして

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

と、喉を締め上げられたかのようなノイズ交じりの音を口から漏らしながら、にやりと気色の悪い笑みを浮かべた。

その様子を窺っていた時宗と啓太郎は即座にアタッシュケースを開き、クインケを取り出す。

啓太郎のクインケは大きな鎌であり、棒状の持ち手のその先では、黒くて鋭利な輝きを放つ三日月状の刀身が殺意を向ける。一方で時宗のクインケ棍棒の形をしており、相手に叩きつける部分にはたくさんの針が所狭しと外側に向けて突き刺さっていた。

二人はそれぞれのクインケを片手に持って、老人の次の動きを待った。まずは相手の赫子を把握して、次に有利な行動をとるのが喰種との対戦において有効な手段である。

老人もすぐには攻撃してくる様子は無く、お互いに様子を見る緊迫した状態が広がっていた。つばを飲み込む音が体に大きく響くような、そんな緊張感の中で

 

「2名様ごあんなーい」

 

唐突に、緊迫した雰囲気を壊すような軽やかで間延びした青年の声が、路地裏を包む闇の中に響いた。二人はそれを聞くと新手を予期して素早く辺りを見渡す。

前方には老人の喰種が依然焦点の合わない不気味な瞳で二人を見つめているのみ。後方、遠くに明るい路地裏の入り口が見えるのみ。ならば上かと見上げるが、星が輝いていて場違いに平穏な景色である。二人は見えない敵に焦りを感じながら、五感を研ぎ澄ませてその気配を探った。

心臓の音が身体中を響くような張り詰めた空気の中、突然に二人はそれぞれパートナーに近い方の肩に柔らかく手を置かれる感覚を感じ取った。しかしそれはとても自然で、まるで初めからそうであったかのような錯覚さえ感じさせ、反応するのが一瞬遅れた。そうして二人が遅れて内向きに振り向くと同時に、二人の肩の間を縫うようにして青年が顔を覗かせた。

 

「よろしく❤️」

 

耳元にボソリと呟かれた。

二人は目を見開いた。

全く気配に気付けないまま接近された。一瞬の間に二人の頭によぎるのは「死」の文字で、急速に思考する頭は自身の屍の姿をリアルに想像させた。

啓太郎は身体を硬直させたのは束の間、すかさず身体を翻しながら青年の頭に向かって鎌を大きく振り下ろした。しかし青年はポケットに手を突っ込んで啓太郎たちに身体を向けながら、後ろ向きにひょいと飛び跳ね、後には空気が切り裂かれる音だけが虚しく響いた。それでも啓太郎は腕に力を込めると、追撃として今度は下から掬い上げるように鎌を振るうがそれも身体を仰け反らすことで避けられ、さらに息つく間もなく連続で振るうが”早いな~”などと笑顔で褒め称える余裕を見せながら、身体をよじり、後ろ向きに飛び跳ね、遂には全ての攻撃をかわしてしまった。

青年は老人の隣へと降り立った。

黒いコートを着た青年である。

青年は柔和な笑みを浮かべて二人を見つめた。そしてその隣の老人は ”身体ぁ・・・身体ぁ・・・” とうわごとをつぶやいている。

 

「けいさん どうしますか」

 

時宗は啓太郎に作戦の指示を仰ぎながら、啓太郎に顔を向け、そして驚いた。

啓太郎は柔らかな笑みを浮かべる青年に対して縫い付けられたかのように見開いた瞳をじっと向け、歯茎を剥き出しにしながら歯をぎギリギリ噛み締め、クインケを持つ手はカタカタと小刻みに震えていた。

つまり啓太郎は明らかな恐怖を示していた。

時宗は啓太郎が自分より何倍も強いことを知っていて、鬼神の如く喰種の命を刈り取っていく様子も今まで何度も見てきた。そのため、よりによってその喰種に対して啓太郎がそこまで怯えている理由が時宗にはまるで理解出来なかった。

 

「どうしたんですか、、けいさん?」

 

時宗は自身も少し動揺しながら尋ねるが、時宗の言葉に啓太郎は一切反応しない。目もくれない。

その間に、とうとう老人の魚のような見た目をした赫子が、動きを見せて、時宗の方へと飛びついてきた。大きく口を開けて歯をむき出しにして、時宗の首元にかぶりつこうとしてきている。時宗は手に持つ棍棒のクインケのその先端、たくさんの棘のついた部分でその飛びついてきた赫子を雪の地面へと叩きつけると、焦ったように再び啓太郎に顔を向けた。

 

「ケイさん! 指示を!」

 

叫ぶような声に啓太郎が一瞬身体をびくり震わせると、ようやくその重たかった口が開いた。

 

「逃げろ」

 

啓太郎は確かに言った。

 

「え?」

「逃げろ トキ太郎」

「なんでですか? 2対2なら勝ち目はあります それにけいさんなら余裕じゃ」

「逃げるんだ」

「だから何でですか」

「僕たちは逃げなくちゃならない いや君だけはせめて逃げなくちゃいけない」

「何言って」

「”カラス”」

「・・・?」

「僕たちの目の前にいるあの青年は”カラス”だ」

「・・・っ!」

 

三文字の言葉の意味が一瞬分からなかった時宗であったが、それが記憶と結びついた瞬間、驚いた顔で青年を見た。

青年は変わらず何が面白いのか笑みを浮かべている。緊張感の無い、一見して無害そうな青年である。

それがカラスとは。

時宗は混乱した。

時宗はその名前には当然聞き覚えがあって、それは今朝のミーティングで聞いた喰種の名前であった。

カラス。

それは推定ssレート以上の喰種で、捜査官の宿敵で、最凶の喰種で、過去の存在で、過去の存在で、死んだと思われていた。

 

いや、そう願われていた。

 

その悪夢の象徴たる存在が目の前に。

 

カラスが目の前にいる?

 

思考をぐるぐるさせる時宗をよそに再び老人が赫子を振るう。今度は啓太郎に向かって飛びかかったそれを、啓太郎は的確に鎌を振り下ろして地面に縫い付けた。

 

「さあ行って早く! 僕がなんとか足止めするから」

「ケイさん!!」

「間に合わなくn」

 

「はい チョッキン」

 

青年のふざけた調子の言葉と共に、啓太郎の言葉が途切れた。

 

または

 

啓太郎の首が飛んだ。

 

驚いた表情を浮かべた啓太郎の生首が跳ねていき、時宗と一瞬目を合わせた後に、地面へと落ちた。そして首を亡くした胴体は、断面から血を大量に噴出させながら、地面に重たい音を立て倒れた。

代わりに先ほどまで啓太郎が立ってた場所には、花のように地面から生えた青年の赫子があった。

いつの間にか地面に潜り込ませて、そして啓太郎の首を刈り取ったのである。

時宗は一瞬の出来事に言葉を失った。

青年は呆けた顔の時宗を見て口角を上げた。

 

「・・・」

「大丈夫かい?」

「・・・」

「お~~~い」

「・・・」

「さよならしちゃったねぇ」

「・・・・・・あ゛ぁ゛」

「 それじゃあご感想をどうぞ」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛」

「あっはぁ!」

 

時宗は突然に啓太郎を失ったショックと混乱と絶望と、それらを認めたくない葛藤が入り混じり、自分でも訳もわからず溢れ出した涙を落としながら慟哭の叫びを上げる。そうして身体は思考を離れ、その元凶たる青年の赫子に向かって、クインケの棍棒を狂ったように振り下ろし始めた。

 

「おお~~モグラ叩きみたいだ それにそういう頭悪い感じ嫌いじゃないよ~」

 

青年はおちょくる様に地面から赫子を生やしては地中に引っ込めて、生やしては引っ込めてを繰り返し、振り下ろされる棍棒を避けていた。

 

「あ゛あ゛っ゛ あ゛あ゛っ゛ あ゛あ゛っ゛」

 

棍棒を地面にたくさん叩きつける。

冷静さなど微塵もない。

癇癪を起こした子供。

気狂い。

獣。

そうして一瞬の間に、時宗の足元から赫子を伸ばすと、その太ももの肉へと一突きした。

 

「く゛っ」

 

時宗は顔を歪ませて守るように足を抑える。その間に青年は赫子を引っ込めて、自分の元まで引き戻した。そして攻守を入れ替わるように、今度は老人の赫子ーリュウグウノツカイーが、啓太郎のクインケの鎌から抜け出して、時宗の右腕に向かって飛び掛かった。

時宗は足を庇いながらも、青年にいつ飛びつこうかと殺気を孕んだ形相で隙を伺っていたために、飛んできた赫子に気付くのが遅れた。

時宗がその存在に気付き目を見開いた、ときには遅かった。

 

右腕が宙を舞った。

 

「い゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

時宗は痛みと興奮と恐怖と怒りで、獣ような咆哮を上げた。膝から崩れ落ち、左腕で右腕の肩をかばう。

老人は”ぐちゃあ・・・・ぐちゃあ・・・”と呟きながら、地面に落ちた腕をジーと見つめていた。

今の時宗はもはや満足に動けない。しかし老人の赫子は追撃を緩めない。

今度は左腕に向かって赫子が飛びつく。大きく口を開けて、無機質な魚の瞳が迫る。

 

「く゛る゛な゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

時宗は左腕でクインケの棍棒を掴み、近づけさせまいと必死に振るう。が、それに赫子の中間の部分が蛇のように絡みつき動きを封じ、自由な頭はその歯を左腕の根元の部位に突き立てて、そして

 

噛みちぎった。

 

「い゛い゛い゛う゛う゛う゛う゛」

 

時宗はそのまま前のめりに、地面にうつ伏せに倒れた。そのまま芋虫のように体をくねらせて痛みにもがきながら、その目には大粒の涙を浮かべていた。

絶望の淵にいた。

もはや戦うことも逃げることもできない。

悟る。

諦める。

そんな状況の中、見えている景色は正面に転がる啓太郎の顔でも、地面でも、青年の憎たらしい笑みでも、老人の不気味な無気力な顔でもなく、廻の笑みであった。

廻が時宗に笑いかけていた。

満開の笑みを浮かべていた。

褒めるように頭を撫でていた。

抱きしめていた。

笑っていた。

笑っていた。

笑って。

わ。

わ。

 

 

 

セイは涙を流しながら痙攣している時宗を見ると、興味深そうに近づいた。

 

「お、君は喰種の素質があるかもしれないなぁ」

 

セイはウキウキした声でそう言うと、今まさに胸元にとどめを刺そうとしていた老人の赫子のその頭を掴み、止めた。

 

「ねえ”皮剥ぎ”、悪いけどこの子もらっていくね」

「器、リコの器ぁシイナの器ぁ・・・」

「まあまあ これから先、捜査官の死体なんて山ほど手に入るだろうしさ ほら両腕は君のもんだよ」

 

そう言ってセイは転がる両腕を老人に放り投げると、もはやピクリとも動かなくなった時宗の身体を肩に抱えた。

 

「楽しくなるなあ~」

 

鼻歌を歌いながら。

 

 

 

 

 

そこは大会議場と呼ばれている。

中は講堂のように大きい造りで、正面には映画館で見るような大きなスクリーンとせり上がったステージがある。そしてそれを中心として扇状に部屋は広がり、横長のテーブルとたくさんの席がスクリーンと向かい合うように並び、それが段になり、前の席と重ならぬよう高さを増しながら、部屋の後方へといくつも続いていく。

現在この場所にはたくさんの捜査官が詰めかけていた。

明かりは落とされていて薄暗い空間。所狭しと着席している捜査官の顔を照らすのは、正面スクリーンの青白い光であった。

 

「お集まりいただきご苦労」

 

スクリーン脇で初老の女性捜査官が台座に置かれたマイク越しに喋り始める。

 

「まずは昨晩、輪堂啓太郎・桜庭時宗の捜査官両名の行方が不明となった」

 

「そしてこれが今朝方の監視カメラの映像である 御覧の通り本部のロビーにて、男性が手押しの台車で何やら大きな箱を運び込む姿が映っている 尚、男性はこの後警備員に捕らえられるも、舌を噛んで絶命」

 

ここで一旦、言葉を区切った。そして息を整えるように間をおいて、緊張感のある声ではっきりと語った。

 

「そしてこれが、、箱の中身である」

 

言葉を合図にスクリーンの映像が切り替わった。

その瞬間、会議場はにわかにざわめきに包まれた。

それは決して歓喜や期待と言った喜ばしい色を含んだものでは無く、思わず漏れ出た悲鳴交じりのものである。

その原因、映し出されたのは1つのオブジェであった。

それはたくさんの棘がハリネズミのように刺さっている棍棒ー時宗のクインケであるーが持ち手を下にして立てられていて、その上の針の密集する部分の中央に、両眼を抉られた啓太郎の顔がこちらを向いて突き刺さり、その顔を中心としていくつもの手が、腕先を外側にして円を書くように突き刺さっていた。

全体で見れば『花』と形容出来るかもしれない。棍棒を茎として顔を中心として広がるのは腕の花びら。

世界一おぞましい花である。

 

「さらにこのオブジェと共に、このような紙が同封されていた」

 

スクリーンには文字の記された紙が大きく映し出された。

 

”みんなおひさ~ 『カラス』だよ^^ もうすぐパーティーを開くつもりでいるから、その時はよろしくね^^”

 

先ほどよりもさらに大きなざわめきが起こり、会議場は騒然とした。

捜査官たちの目を引いたのは無論”カラス”の文字。

 

カラス カラス? カラス!

 

多くの捜査官がこの犯人がイタズラで書いたものだろうと思いながら、隣の捜査官などとその半ば言い伝えに等しい3文字の言葉の意味を確認したりしているが、その行為の裏側にあるのは万が一にも想起してしまった、絶望の象徴たる”カラス”の復活という状況に対し、心の片隅に芽生えてしまった恐怖の共有に他ならない。

 

「報告は以上 このまま今後のミーティングを行う 時間は・・・」

 

 

 

 

ダンッ ダンッ ダンッ

 

保管庫に響く音。

 

ダンッ ダンッ ダンッ

 

ガラスを叩く音。

 

ダンッ ダンッ ダンッ

 

幾度となく振るわれる拳。

廻は俯きながら、叶わぬ思いを嘆くように何度もガラスに向かって拳を叩きつけていた。

ガラスの奥に見えるのは、今や作品と成り果てた啓太郎の姿である。眼球を無くした黒いウロからは代わりに鋭い針が飛び出し、飾るように腕が弧を描いている。

成れの果てのモノ言わぬオブジェ。

 

ドンッ

 

一際大きな音が響いた。廻がガラスに頭突きをしたのだ。しかしひび一つ入ることは無く、響いた音は廻の無力さをせせら笑った。

額から流れる血を顎先から床へと垂らしながら、廻は唇を噛みしめた。

ガラスは部屋を仕切るように大きく端から端まで伸びていて、頭から前のめりにもたれかかる廻はやけにちっぽけだ。廻はガラスに身体を預けたまま、やがてずるずると力なく倒れ込んだ。

丸めた身体が震えていた。

 

「あ゛あ゛あ゛っ゛ あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛」

 

表情をぐしゃぐしゃにして、その瞳からは大粒の涙を流す。

 

「なんでぇ゛・・・ なんでだよぉ゛・・・」

 

思ってもみなかった。こんな突然に自分の手の届かない場所へ逝ってしまうなんて。昨日まで見せてくれていた笑顔も、もう見ることが叶わないなんて。

悲しみに心をかき乱され、息もできないぐらい程の苦しみの中、嗚咽だけが口からこぼれる。

廻とて当然、捜査官という仕事が常に死と隣り合わせなことくらいは理解していた。

しかしまたこれも当然のように、自分には関係のない事だろうとどこかで高を括ってしまっていたのは、やはり人間の性であった。

廻はうずくまり、ただただむせび泣いていた。

それから彼女は1日のほとんどをこの場所で過ごすようになる。必要のある時以外は部屋から出ず、家に帰らず、寝食も行う。電気も点けずに薄暗い部屋のままで、ただぼんやりと淡い光に照らされて浮かび上がるその作品を見つめる。

彼女の行いを上層部は特別に許可していた。

彼女の現在の精神状態がとても不安定なものであり、何よりもまず心のケアが優先とされたからである。捜査官は常に人不足ではあるが彼女を今現場に出すには、あまりにも不安要素が大きい。最悪、後追いのリスクも考えられた。

そのため現在の彼女にとっては、彼女の自由にさせておくことが最善のメンタルケアであるとともに、保管庫においては監視も容易であることから、彼女が保管庫で過ごすことは許可されていた。

 

数日経った。

廻は涙を流さなくなった。代わりに目の下に隈をつくり虚ろな表情を浮かべるようになった。

保管庫の中では一言も発することもなくただ黙って作品を見つめる時間が増えた。

基本的には床に座りこみ、ガラス越しに作品を見上げている。その表情は無表情で、感情を伺い知ることは出来ない。

”カチカチ”とライターの音を響かせて、とうの昔に忘れた筈のタバコを思い出したようにふかして、煙を吐き出してみたりもする。眠るときは、頭を抱きしめるように抱えながら合わせた膝頭の上に乗せて、うずくまるようにして眠る。起きたらまた作品を見上げる。淡々と延々と続くような日々を過ごしていた。

 

ある時来客があった。

”きーっ”と音を立てて扉が開かれる。現れたのは眼鏡をかけた女性であった。女性は背中には光を受けながら、薄暗い保管庫には影を落としながら、廻に向かって語りかけた。

 

「や、久しぶり」

 

微笑んだ。廻は座り込みながら、顔だけをその女性の方へ向けた。

 

「志乃じゃん」

「志乃だよ」

「遊びに来たの?」

「遊びに来たよ」

 

廻は久々に生きた人間と会話をする。

志乃と呼ばれたこの女性は、廻の同期で親友でもあった。

 

「入っても?」

「ん」

 

志乃は後ろ手に扉を閉める。

両手を後ろに組んで、大股で”一歩~二歩~♪”と意味もなく陽気に数えながら、やがて廻の隣までやってきた。そうして”よっこいしょー”と声を漏らすと、あぐらでその場に座り込んだ。

志乃は後方の床に手を付けて、鼻をすんすんと鳴らしながら辺りを見渡した。

 

「う~ん 香しい匂いがしますな~」

「あー タバコ嫌いだったっけ?」

「いや全然 ただここ、火とか使ったら爆発したりしないのかなーって」

「今んとこしてないな」

「今んとこ、ね」

「ふふっ」

「くくっ」

 

二人はいたずらの共犯者のようにニヤリと笑みを浮かべ合った。それから志保は廻の顔をじーっと見ると、突然に廻の両頬を片手でぎゅっと挟み上げた。廻はフグのような顔になる。

 

「ああえ(放せ)」 

「やつれてるぞ、ふぐめぐりん」

「ああえええあ(放せってば)」

「なるほどなるほどー」

 

志乃はけらけら笑いながら手を放した。解放された廻は不機嫌そうに志乃を睨みながら、二本の指に力を込めて

 

「・・・っ」

「ふわあっ!?」

 

反撃とばかりに志乃のわき腹に突き刺した。

 

「・・・っ ・・・っ」

「うぅっ!? ふぃい!?」

 

刺した。

 

 

それから廻と志乃は特に会話することもなく、横並びに座ってオブジェを見上げていた。保管庫には物音1つ立てるものは無く、辺りは静寂に包まれていた。

 

「変わらないんだね」

 

志乃が突然、静寂を破るようにポツンと言った。

廻は表情を変えないままその言葉を耳に入れると、頭の中で反芻、少しの静止の後、無表情のまま瞳だけを動かして志乃の表情を横目に見た。志乃は平然とした様子で正面を向いていて、その横顔から言葉の意味を察することは難しい。

廻の視線に気づいた志乃が不意に瞳を動かすので、目が合う気配を察した廻はさりげなく視線を正面に戻した。

特に意味は無いが。

そうして少し間があって、

 

「進まないんだね」

 

再び志乃の声を聴く。

廻が再度横目をゆっくり志乃に向けると、自らにはっきりと顔を向けている志乃の顔が視線にスライドしてくる。廻は少し驚いて目を見開いた後、志乃に顔を向けた。

眼鏡越しの大きな瞳が、廻の瞳を真っすぐ捉えていた。廻はそんな彼女に先ほどからの言葉の意味を問おうと口を開きかけるが、それに被せるようにして志乃は口を開いた。

 

「このまま立ち止まるんだね」

 

志乃が意地悪な笑みを浮かべながら言った。耳ははっきりとその言葉を聞き、目はしっかりとその表情を捉えた。瞬間、廻は目を見開いた。

理解したのだ。今までの言葉が啓太郎を失った悲しみに囚われている自分に向けられた言葉であったことを。そして志乃がそんな廻を小馬鹿にしているということを。廻は湧き上がる怒りを感じて半ば衝動的に志乃に飛び掛かった。両肩を押された志乃はたまらず仰向けに倒れ、廻はその体を跨いで馬乗りとなる。殴るために拳を握りしめた。引き絞った。そうしてそのまま殴りつける。かのように思われたが、しかしその拳は震えるばかりでその先には進まなかった。

廻は今にも泣き出しそうな表情をしていた。

彼女の心中は複雑であった。

捜査官はいつも死と隣り合わせである。そんなことは廻も常識のように理解していたが、実際は啓太郎を失った悲しみが鉛のように重く心にのしかかり、全く乗り越えられないでいた。弱い自分への情けなさ、強くありたいという葛藤、しかしどうすればいいのか分からない現状。ゆえに廻は無意識に救いを求めるようにその表情を歪ませるのだ。

 

「あ~ らしくない顔しちゃって」

 

普段の凛々しい表情を知っている志乃はそんな廻を愛おしく思い、その頬に優しく片手を添えた。

 

 

「しょうがないさ 私たちはいつも失うんだ」

 

志乃は自虐的に笑った。

 

「同期も後輩も先輩も友達も・・・そして家族も時には失う」

「一緒にするなっっ!」

 

振り下ろされた拳は志乃の横の床に勢いよく叩きつけられた。廻は唇を噛みしめていた。

 

「分かってるくせに 失えば無くなるのはみんな一緒」

 

廻も志乃も横を向けばいつも行進している。

死人が。

数えきれない死人が。

行列。行列。

とろとろとろ。

 

「それを置いて進まなきゃならない」

 

志乃は廻の頬に当てていた手を顔の輪郭をなぞると、噛みしめる唇から漏れ出ている血を指の腹で拭った。

 

「私たちは進まなきゃならない」

 

志乃は呪文を唱えるように言った。

 

「・・・分かってる」

 

 

廻は身体から力を抜いて、だらりと腕を体の横に垂らした。

その様は電池の切れたロボットのようである。

志乃はにやりと笑って、次に指に付いた血を自らの舌でぺろりと舐めとる。”うーむ 鉄分が美味ですな~”などとふざけた調子で言いながら、めぐりの身体の下からもぞもぞと這い出て、立ち上がった。

暫くじっとしていたせいで体が硬くなっていたらしい。”んん~っ”と間延びした声を出して大きく伸びをした。

そうして俯いている廻の頭を撫でると、”お先~”と手を上げながら保管庫を出て行った。

廻は振り返ることなくじっと床を見つめていた。

 

 

 

 

啓太郎が目を細めて廻に笑いかける。

廻もまた笑いかける。

啓太郎はやがて皮膚が溶けて無くなって骸骨だけになる。

骸骨を形成する骨が崩れ去って地面にばらばらと落ちる。

笑う頭蓋骨が廻を見上げる。

廻は黙ってそれを見下ろす。

見上げる。

見下ろす。

 

 

 

 

 

 

廻は冷たく固い床の上に横向きに丸まって転がっていた。志乃との会話により久しく無かった感情の波が起こり、それは迴の精神のスタミナを消耗し、疲弊した心を落ち着けようと目を瞑っていた廻の意識は気がつけば眠りの世界へと落ちていたのだ。

廻はやがてゆっくりと目を開けた。身体を伸ばして仰向けになる。

夢の世界から現実の世界に戻って来たのを確かめるように、天井を見つめながら数度まばたきをした。

やがてゆっくりと立ち上がると、壁に掛けて放置されていた捜査官の白いスーツの制服を手に取った。

廻はこの保管庫にいる間は制服を脱ぐようにしていた。その間、迴は捜査官では無かった。

人間だった。

捜査官には似つかわしくない、悲しみに呑まれる弱く脆い人間であった。

その彼女が捜査官に戻る。

両手で広げた制服を空気になびかせながら背中に回して、慣れた手つきで袖を通して、襟を2、3度引いて着こなしを整えた。

ともすればこの一連の動作は廻の心境に変化が起こり、弱っている廻自身との別れでも意味しているかのように思えるがしかし、そんな事はありはしない。

廻は未だ悲しみの中にいた。

心の穴にはオブジェが巣食っていた。それを証明するように彼女の瞳には未だ光は宿らず真っ黒で、表情は無表情で活力などは微塵も発していない。

特別な意味などなく、廻は単に再び進むことにしたのだ。

仕事しないと金がなくなる。生きれなくなる。働こう。ただそれだけのことである。

廻は啓太郎を一瞥すると、正面を向いてポケットに手を突っ込んで、出口に向かって歩き始めた。

 

「一歩、二歩…」

 

自らの歩みを確かめるように呟きながら、保管庫から出た。

 

 

 

嗚呼、ナイスタイミング。

 

 

 

 

丁度そのタイミング。

本局、加えて各地に散らばる対策局の全ての画面をハッキングしたセイが、突如として映像に映るのは。

彼は画面に向かってピースしていた。

 

「は~~い みんな~~、見てる~~~??」

 

 

 

 

嗚呼、いと朗らかに。

 

 

 

 

 

映像はどこか高い位置に取り付けられたカメラで撮影されていて、空気は少し薄暗い。画面中央にはカメラを見上げて片手のピースを突き出し、にこやかに笑って立っているセイの姿が大きく映し出されていた。

 

「皆んな~見てる~?」

 

セイは突き出したピースを左右に軽く揺らした。

 

「『メメント・モリモリ』チャンネルのカラスお兄さんだよ」

 

セイは流行りの動画投稿者を装って楽しんでいる様子であった。尚、チャンネル名の『メメント・モリモリ』は『メメント・モリ』の“死を忘れるな”が、『モリ』を一つ追加するだけで筋肉を連想させる言葉に変化し、まるで死を感じさせなくなるね^^、という彼なりのジョークである。

 

「今日は定番の『○○してみた』から着想を得て、『喰種作ってみた』をやっていくよ」

 

セイは涼しい顔で事も無げに言った。

 

「いくつかステップがあってね」

 

そう言うとセイは画面外へと立ち去り、後にはただ、固めた土の質感を映像より感じとれる茶色い地面が映し出されるのみであった。

 

「ああそうか、カメラ持ってかないとね」

 

そう声が入ると、セイが戻ってきて画面側へと手を伸ばしてくる。するとカメラが持ち上げられたようで映像が激しく揺られ、次には土色の地面から3m程の天井まで伸びた鉄の棒が、均等に一定の間隔を持って横に並んでいる鉄格子を映し出した。

 

「ちなみにここは地下牢だよ 静かで良い場所だね」

 

さらにカメラが辺りを移せば、土の壁に掛けられ、淡い光を放つランタンや地面に散らばる鉄の足枷や血液の赤黒いシミが所々に映っていった。

セイはどこかに向かって歩いているようで、画面は地面を映しながら、辺りに反響している(狭い空間のようである)規則的な足音と愉快な鼻唄を拾っていた。(ご機嫌なようである)

 

「おまたせ」

 

足音が止まった。画面は依然下に向けられていて、地面に立つベッドの足と思わしきパイプの棒が映っている。また、“ん゛ー ん゛ー”という唸り声のような音も近くから聞こえている。誰かの存在を予感させた。

 

「はい、まずはステップ1:素材を用意しようってね」

 

そうして映像が上へとスライドしていくとそこに映されたのは、ベッドに仰向けになっている時宗だった。

彼は生きていた。

しかし無事とは言い難い。

それは見るも無残な姿であった。

布で目隠しが施され口には猿轡を噛ませられていて、唸り声はそこから漏れている。首には鉄の首輪がはめられていて、それはベッドにそのまま繋がっていて、身動きを取れなくしている。

服は着ていない。全身肌を晒していて、表面にはいくつも生々しい皮膚の裂けた傷跡と、それを縫い合わせたと見られる黒い紐の線が傷跡に対して何本も垂直に走っている。

また両腕は無い。血は止まっている。

肩より先を切断されているその断面部位は剥き出しになっていて、赤や黄や白の繊維やら筋肉やらその他が複雑に交わって見えている。

また足首と脚の根元には首同様に鉄枷が取り付けられていた。

時宗はベッドの上に拘束されているようであった。

 

「用意するものは生きてる人間×1 捜査官だから活きも良いね」

 

映像はアップで時宗の顔を映し出す。時宗はやはり“ん゛ー ん゛ー”と唸りながら、首輪に許された小さい可動域の中で顔を横に捻ったりして、首に筋を立てながら拘束から逃がれようとしていた。

そこへ腕が伸びていって、時宗の目隠しの布を取り払った。

露わになるのは時宗の瞳。

時宗は天井を見つめほんの一間置いた後、目を素早く瞬かせ、周囲に視線を巡らせた。そうして撮影しているセイの姿を捉えたのか、目を見開いて驚いた様子で、視線を映像外の上部へと集中させた。

そんな彼をよそに再び手が伸ばされ、次には猿轡も取り外された。

時宗は口を半開きにしたまま、言葉を発さず、ただ驚いた表情を見せていた。

 

「グッドモーニング」

 

囁かれる声。

 

「あ・・・え・・・なんで・・・」

「死んだと思ったかい? 腕も飛んだしね

でも君はまだ生きてる 僕も昔世話になった腕の良い医者のおかげさ 良かったね」

「・・・」

 

時宗は状況を理解できていないようで、言葉を失っていた。そこへ声は続く。

 

「で、早速で悪いんだけど君には喰種になってもらいたいんだ」

「・・・はっ!? お前何言って」

「良いよね?」

「・・・ふざけんな! それよりこの枷を解きやがれクソ野郎!! 今すぐお前の頭を叩き潰しt」

「うっさいよ」

 

時宗の言葉を遮るように気怠げに呟かれたかと思えば、次には開かれた片手が時宗の顔に向かって素早く伸ばされた。

そうして

 

ぐちいぃぃぃ

 

親指と人差し指がそれぞれ時宗の目玉に突き刺さり、押し込み、指が眼窩に深々と沈んでいく。

 

「か゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛」

「痛いよね でもこれは君のせいだよ 自分の立場をわかってないんだからね」

 

指は第一関節まで眼窩に沈み込み、セイは指を縦や横にかき混ぜるように、眼球の裏側をすくい出すように動かす。

 

「え゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛」

「答えは『ハイ』か『イエス』か『喜んで』がいいなー どうかな?」

「は゛い゛い゛ぃ゛ は゛い゛い゛ぃ゛」

 

時宗は唾液を散らしながら叫ぶように言った。

 

「よし、いい子だね」

 

その声と共に指は離され、沈み込んだ眼球の黒目はあらぬ方向へと向き眼窩を構成する肉の壁が見えていた。時宗は痛みに顔を歪ませながら瞼を閉じると血の涙を目尻から流した。それは己の無力さを嘆いているようでもあった。

痛たましい時宗の様子を映していたカメラの映像は一旦横へぶれて、今度はセイの顔が映し出された。

 

「はいそれじゃあおk貰ったことだし、次の行程だね」

 

セイは言う。

 

「ステップその2:材料の体積をできるだけ小さくしよう まあ、この子の場合はもう腕は落としてあるから…」

 

“脚を切り落とすよ”

 

セイはニコニコと笑みを浮かべながら言った。その楽しげな表情から猟奇性を感じ取ったらばそれは正しく人間の感性であり、しかし喰種のセイにとってはただ日常行為の一部であって、そして料理をする心持ちに似た純粋な楽しみへの期待に他ならない。

この違いが狩る者と狩られる者の明確な境界線と言えるかもしれない。

 

「酷い顔だよ?」

 

再び映された時宗の顔であるが、顔面蒼白となり、がたがたと歯を震わせていた。それは恐怖に慄くひとりの人間の姿であった。

 

「何か言いたい事とかあるかい? それか喰種に選ばれた感想とか」

「まだ死にたくない 辞めてくれ 殺さないでくれぇ!!!」

「成る程ね でも安心していい 君はこれから喰種になるんだ 死ぬわけじゃない」

「嫌だあああ 助けてくれええ! 誰かあああ!!」

「あはあっ」

 

時宗は鉄枷を強引に壊そうと、身体中に力を込めて筋を浮き立てて体を起こそうとした。しかし枷はびくともせず、唯一頭部だけが少し持ち上がる。しかし枷を壊せず力尽きてはそのままベッドに後頭部を打ち付け、また身体に込めた力と共に持ち上げては、力尽きてベッドに後頭部を打ち付けを繰り返した。

とにかく時宗は、啓太郎の死を見ていただけに自分の死を確信していて、この状況から逃れることに必死だったのであった。

しかし現実は無情だ。

映像は時宗の右脚を映し、その根元に啓太郎のクインケである鎌の曲線が太ももに合わせて添えられた。それは中世のギロチンによる処刑の一幕を連想させた。

 

「一気に行こうか」

「嫌だああ 嫌だああああ」

 

目を潰されている時宗も脚に触れる冷たい刃先の感覚は感じとっていたようで、最後の足掻きとばかりに鳥肌を立てた太ももが小刻みに震えた。

しかしそんな時宗の抵抗は虚しく、鎌が大きく上に持ち上げられる。

そして息を息を整える一瞬の間があった後、鎌は無慈悲に真っ直ぐ振り下ろされた。

 

すぱんっ

 

太ももから先の脚が骨ごと一気に切断されて、映像は吹き出した血しぶきで真っ赤に染まった。

 

「う゛う゛う゛う゛き゛き゛き゛き゛い゛い゛い゛い゛っ゛っ゛っ゛っ゛」

 

時宗が獣の咆哮じみた叫び声を上げた。

到底人語ではないその叫びは、痛みの壮絶さを饒舌に物語る。

しかしセイがそれより気になるのは汚れたカメラのようで、“カメラ カメラ”と焦った声が苦しみ悶える時宗の横から入り込み、真っ赤な映像はタオルによって拭かれ遮られた。

次に綺麗になった画面でカメラが捉えた映像は、血をどくどくと垂れ流すあまりに生々しい時宗の右脚の断面であった。

 

「さすがクインケ?だっけ? 相変わらず怖いねぇ」

 

もはや痛みのショックで気を失い、泡を吹いて痙攣する時宗の身体が舐める様に映されながら、セイの呑気な声が聞こえていた。

 

「おお、見てよこれ 生きてるって感じだね」

 

声に導かれるように映像がある一点を写した。

雄の象徴。

時宗の男性器であった。

それは天に向かって屹立しながら、先端より尿を垂れ流していた。恐怖によるストレスと痛みで脳が正常な働きを辞めていたのだ。

 

「おっと こういうのはあまり良くないんだっけか・・・ んー、食材の一部にしか見えないから僕にはよく分からない感覚なんだよなぁ」

 

独り言が呟かれながら、映像は男性器を画面外へと外すと、次の標的とばかりに時宗の左脚を映した。

そしてやはりその太ももに鎌の刃先が当てられ、狙いを定める様に2、3度軽く触れた。

 

「それじゃあもう片方もいっちゃおうか」

 

相も変わらず気楽な声と共に鎌が大きく上にあげられ、そして一拍おいて、

 

一気に振り下ろされた。

 

脚が飛んだ。

 

びくんっ

 

今度は時宗の声が響き渡ることもなく、ただ一度大きく体が飛び跳ねたのみであった。時宗の頭が本能的な自衛として痛覚を遮断していたためである。

 

「これで下ごしらえは終わりだよ」

 

料理の完成品を見せるように胴体と頭のみになった時宗が映されながらセイの声がそう言った。無意識なのか、言葉を発さず口がゆっくりぱくぱくと動いていた。

その後カメラが動かされ映像がぶれて、再びセイの姿を映し出した。

 

「ステップ3:薬品とrc細胞の注入」

 

そう言って手の平に並べた二つの注射器を画面に映した。

 

「こっちが喰種の源であるrc細胞をちょっといじったもので こっちがその抑制剤だよ」

 

片方には緑の液体が、もう片方には紺色の液体がそれぞれ注射器の中に満たされていた。

 

「本来なら人間にrc細胞を打ち込んだところで身体は対応できないけど、この二つを一緒に体内に入れてあげることでその心配はしばらくは無くなるっていう優れものさ」

 

また付け加えるとすれば、時宗の腕や脚を切り落としたのは、生きれるだけの身体を残し出来るだけ小さくして、抑制薬を効きやすくする事と、rc細胞に身体の主導権を握らせる事がある。

喰種になるには命と脳みそがあればいい。それが上質な容れ物の条件である。

映像は再び時宗を映した。

 

「それじゃ早速打ち込んで行くよ」

 

2つの注射器が首に当てられ、針が刺さり、中の液体が残すことなく注ぎ込まれた。しかし時宗の身体に直ぐに変化が起こるわけではない。

rc細胞は時間をかけて増殖する。

そしてその間にすることがある。

 

「さあ大詰めだ ステップ4:運試し 運試しだよここまで来て ひどい話だよねえ」

 

表情を豊かに変えながら、まるで友人に話しかけるように画面に向かって嘆かけた。そうして映像がまた時宗を映すと、セイの説明が続く。

 

「rc細胞はその主人の思念をそのまま強さとして反映するものでもある だから喰種としての強さは本人の持つ想いの強さも大きく影響するということになるわけだ」

 

「もうみんな分かるよね 本人に強く想ってもらう必要があるんだ そうして腹ペコなrc細胞にはその思念さえも養分にして、立派に育ってもらう」

 

「人の頭の中までは分かんないからね 人選から既に運試しなわけだ、ははっ でもその点、彼は有望株だ 死にかけの彼には見苦しい何かへの執着心があった 彼には喰種になる素質がある」

 

そう説明を終えると、画面に映っている時宗のおでこに親指と中指で輪っかを作った片手が伸びていって、勢いよくデコピンをした。

 

「う゛う゛う゛」

「さあ意識を朦朧とさせているところ悪いけど、君の想いを聞かせてくれるかい?

極限状態で漏れ出る言葉には人間の浅ましさが詰まっていて僕はとっても好きなんだ それに感じているかな? 君の意識はもう直ぐ消えてしまう でも強く願えば喰種になって思いを叶えられるかもしれない」

 

“さぁ、君のその醜い心の淀みを吐き出すんだ”

 

セイの囁いた声に反応してか、時宗が口を開いた。

 

「廻・・・上官・・・」

 

呟いた。

愛しげな、それでいて甘えるような声だった。

 

「その廻上官がどうしたんだい?」

「好きだった・・・」

「おっ!恋バナかぁ!?」

「・・・凛とした佇まいも、時々見せる笑顔も、厳しい中にあった優しさも・・・けいさんを愛していた姿も・・・多分、好きだった・・・」

 

時宗は血と混ざった紅い涙を、閉じた瞳から流した。

 

「そっかそっか 廻上官は素敵な女性みたいだね・・・ そんで、君は最期どうしたい?」

「最期、」

「最期だ 君が君をやめる最期がくる ほら、やり残した事がないかな?」

 

時宗は思考する間を一拍置いて口を開いた。

 

「・・・伝えたい」

 

確かな意思の篭った呟き。

 

「何をかな?」

「想いを・・・伝えたい・・・」

「どんなかな?」

 

時宗は瞳を大きく開けた。

 

見えない瞳で誰かを見ていた。

 

誰かへ

 

その人へ

 

息を吸い込んで、そして、

 

「好゛き゛た゛っ゛た゛と゛・・・伝゛え゛た゛い゛い゛い゛」

 

吐露。

 

「あっはああーーーっっっ!!!」

 

泣きじゃくりながら時宗は想いを吐き出し、興奮を昂らせるセイの声が響いた。

 

「はーっ!いいよ 凄くいい! それじゃあそろそろ時間だ 君はどんな喰種になるのか見せてくれ!」

 

さあっ!

 

瞬間、時宗の胴体が急速に異様に膨らみ、そして、

 

破裂した。

 

「か゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛」

 

叫び。

中から、臓器でも血液でも無い赤と黒の繊維状の何かが複雑に絡み合った物質が噴水さながらに飛び出した。

rc細胞である。

また同様に腕や足の断面からもrc細胞が魚群のような塊でもって赤と黒を対流させながら勢いよく飛び出して、意思を持つかのようにあらゆる方向に伸び始めた。

そうして映像のあらゆる空間が縦横無尽に伸びるrc細胞に埋め尽くされた。

映像は横に回されセイの顔が映された。

 

「見てよみんな! これは最高傑作な予感だ ああ楽しみだな~」

 

彼が呑気に喋っていると、セイの背後から触手のようなrc細胞が忍び寄り、咄嗟に画面に向かって伸びてきた。するとガタッと言う音の後に、映像が勝手に動き始めた。カメラは奪われた。

 

「あ、しまった それは廻ちゃんとやらじゃないよ カメラだよ おーい」

 

セイが言ってる間にも映像は流れるように壁を映し出していって、かと思えば途端に衝撃があった。地面に落とされたようで横向きに茶色い地面を映した。

 

 

ドドドド

 

突然地鳴りのような鈍く響く音が鳴り始める。次には瓦礫や岩石が大量に降ってくきた。同時に何かぶつける音があちらこちらから聞こえていることから、rc細胞が暴れて天井を壊していることは明らかであった。

 

「ありゃあ、こりゃまずいなー」

 

瓦礫が地面に降り注いでいる衝撃音に混じってどこかでセイが言っていた。

そこからしばらくは小刻みに震える画面の地表に積み重なっていく岩や瓦礫が映されていたが、やがてそれも収まった。

カメラには偶然にも落下物が当たらないままだった。

 

「ふうー 危なかった」

 

じゃりじゃりと地面を踏みしめる音と共にセイの声が近づいてきた。

 

「どれどれ おお生きてる、ラッキー」

 

映像は笑うセイの顔を映した。

 

「それじゃあ早速見てもらおうか これが喰種になった彼の姿です どーぞぉ」

 

画面がぶれた後、見上げるアングルでそれは映された。「見上げる」程に巨大であった。

言うなればそれは、

 

怪物であった。

 

時宗は怪物になった。高さはビル程に高く、全長も15m程になる、それは4足の生き物である。時宗から噴き出したrc細胞は楕円形の胴体のような部分を形成し、さらにどっしりとした前足と後ろ足を2本ずつ生やし、加えて長い尻尾まで形成していた。それが地下牢の天井を破って、言い換えれば地表に大きな穴を開けて、そこから身体を露わにして月の光を浴びていた。光は全てが赤黒く、繊維質なものが絡み合っていて脈動している様子を鮮明に照らし出し、見るものに皮を剥いた生物を連想させるようなグロテスクな印象を与えている。

また肝心の時宗の体はその怪物の首元あたりにあって、その巨体にはあまりに不釣り合いに小さな時宗の人間としての頭が、そのまま怪物の頭部として、怪物の胴体の前方の本来であれば巨大な首があるであろう部分から、白目を剥いて舌を伸ばしてひょっこり顔を出していた。

本人の意識はもはや無い。

彼は怪物になった。

 

「みんな見えてるかな? まさしくこれは最高傑作だよね すごいきもいね ははっ」

 

セイが笑いながら言う。

すると依然映されている怪物のその小さな顔の小さな口がかぽっと開いた。

 

「わおおおおおんっっ」

 

大気を震わせる咆哮を上げた。

 

「んー、彼は狼をイメージしたのかな? なんでかは分からないけど」

 

まあ、そんなことより

 

「廻ちゃんだっけ?今からこの子と会いに行くからね 待っててね」

 

あはあっ

 

せいが目を細めて笑った。

映像が途切れた。

 

 

 

 

 

廻は廊下の一角で、壁に吊り下げられた横長のモニターの前に立っていた。

映像は既に途絶えていて、画面は真っ暗である。廻はそれにぼうっと視線を向けながら、自らの醜さについて考えていた。

廻は自身にうんざりしていた。

映像中ベッドに拘束された時宗が現れた時、最後に顔を見た時以来初めて彼のことを思い出した。時宗は教え子で、啓太郎のバディで、日常でも気の知れた仲で会話していたにも関わらず、廻は映像で時宗を見るまで、彼の存在を全く意識に掠めることすらしなかったのだ。そして彼が生きていたことについても、安心しただとかだとか良かっただとかそういった心の動きも一切無かった。

勿論、悲鳴をあげながら傷ついていく彼には廻も同情をした。しかし、ただそれだけである。それもたまたま痛覚から伝わる痛みがどのようなものかを経験で知っていて、それを自分だったらと置き換えているだけ。なんなら自分じゃなくて良かったと、はっきりと思わないまでも心の裏の方でこっそり安堵の意識が作用していて彼を想っている訳ではない。

また彼が廻への恋心を明らかにした時も、廻は“そうだったのか”以上の思いは別段湧かなかった。

廻は自身を薄情な人間だと思った。

自分を想って怪物にまでなった時宗よりも、それに心が動かない自分の方がよほど怪物にふさわしい、とも。

 

「そういえば会いにくるって言ってたっけか、“カラス”が」

 

廻は映像の最後を頭に思い浮かべた。

厄災の喰種“カラス”。

映像によりとうとう生きていた事が明らかになった。その事実は間違いなく危惧されるべき出来事であって、現に局内の人間は慌ただしく走り回っている。が、廻にとってその事はさして大ごととは捉えられない。いや大ごとには違いない。ただ廻の頭にはそれが今まで続いてきた、単なるひどく悪い夢の一つとして映るのだ。

絶望は続く。

どこまでも真っ黒な世界。

廻は緩やかに口角を上げた。

 

「…ふっ ふははっ ふはははっ」

 

俯きながら笑った。

 

「あーあ、吐きそ」

 

廻は背中を壁に預けながら独りでに呟いた。

 

 

 

捜査官の間では住宅街を怪物が暴れまわっているという情報が既に入っている。

だがもうすぐやってくる破滅の時については、未だ誰も知らないままだ。

 

 

平和は終わる。

 

 

 

 

 

ドドドドドド

 

街に足音と呼ぶにはいささか大きすぎる轟音を響かせて、怪物が街中を爆走していた。

 

「いいよー いけいけーー♪」

 

はしゃいでいるのは怪物の背中に乗っているセイである。

怪物は4本の足を交互に動かし地響きを鳴らしながら、廻のいる喰種捜対策局本部を目指して夜の街を移動していた。

現在時刻は夜の7時ほどである。

人がいる。

建物がある。

しかし関係無い。

ビルは蹴飛ばし、家は潰し、人は蟻の如く踏み潰していく。おまけに尻尾を一振りすれば、奇跡的に怪物の侵攻に巻き込まれずに残った建物も、軒並み真っ二つに崩れ去る。だから怪物が通った後は惨たらしい残骸が積み上がる。散らばる。

セイは体を揺らされながら、滅茶苦茶になっていく街の光景を見下ろして口角を上げた。

 

「ごごごああっ ごあああっ」

「あはあっ素敵な夜景だね 」

「あぐああああっ あがガガガが」

 

怪物になった時宗は言葉を理解している事は無く、白目を剥いた顔を時折クルクルと回しながら意味の無い言葉を発していた。セイはふと何か物を考える仕草をした後、怪物に言った。

 

「よし決めた 君の名前は“ドグラ・モグラ号”だ」

「あおおおおおおおんっっ」

「うんうん頑張れドグラ・モグラ号、そうすれば廻ちゃんの元に辿り着けるぞ」

「メメメメーぐっぐっぐっ!りりりりりぃぃぃーーーー!!」

 

廻の名を聞くと怪物は急ぐように少し加速した。建物の倒壊する音と住民たちの悲鳴が増えた。

 

「そういえば二人は大丈夫かな?」

 

セイは呟くとポケットから無線機を取り出し、そのマイク部分を口元に近づけた

 

「ええーこちらドグラ・モグラ号 アビーちゃん、ゴル君向かってるー?」

「きゃあああっカラスせんせー!! あたしアビー!!あなたのアビーー!! 今下僕たちと一緒に向かってるとこーー!!」

「うるせーぞくそア゛マ゛ぁ゛! センセー、こっちももうすぐ着くぜえ! あ゛あ゛あ゛早くハトの奴らと遊びてーな゛あ゛!」

「ふん!あんたの分なんか残って無いわよ!あたしがぜーんぶ切っちゃうから!!」

「はああ゛っ!? てめーこそ邪魔しやがったらそのピンク頭、ぺしゃんこにしてやるからなぁぁ!?」

「ベロベロバー!! やれるもんならやってみろってーのっ 単・細・胞☆」

「さ゛あ゛あ゛あ゛ 殺ぉす! 今すぐk」

 

ブチっ

 

セイは長引きそうな気配を感じて無線機のスイッチを切った。放っておくといつまでも長引く。騒がしい二人の声を聞いて計画が滞りなく進行していることを確かめたセイは、満足して無線機をポケットにしまった。

それからしばらくすると目的地である本部の建物が見えてきた。怪物も近づく愛しの人の気配を感じ取っているのか、はやる気持ちを表すように一際大きな鳴き声をあげる。また東西より地鳴りのような音と悲鳴も迫ってきている。アビーちゃんとゴル君も目的地へとやってきているのだ。

 

「さあ、パーティ会場に到着だ」

 

セイは笑った。

 

 

 

怪物を迎え撃つ為に本部の周りに防御陣形を広げていた捜査官たちは、景色を見て、一同に目を見開いていた。

 

そこには地獄が広がっていた。

 

街の至る所より火の手が上がり、夜の闇に火の海が広がっている。建物があちこち崩れさり、人々の悲鳴が響いている。

見慣れた景色はもはや過去。

東京は絶望を体現していた。

そしてその元凶たる悪魔が今、三方向より迫り来る。

1つはビル程に巨大な気味の悪い四足歩行の怪物が、建物を巻き込みながら接近している。

1つはウサギを模した仮面を被る喰種の集団を従えた女が、甲高い笑い声を響かせながら迫り来る。

1つは鬼や天狗など統一性の無いマスクを被る大量の喰種を連れた男が、空気に轟く唸り声を上げながらやってくる。

捜査官の誰かが言った。

 

「何故・・・喰種殺戮集団『カリギュラ』がいるんだ!?何故、無法集団『ガラムダ』がいるんだ!?何故!何故!”断切”と”暴君”が同時にやってくるんだ!?」

 

捜査官の誰もが疑問に思った。両者はいがみ合う仲であり決して共闘する様な関係性では無かったはず、と。

困惑する捜査官たちをよそに、やがて悪魔たちは歩みを止めて捜査官たちを囲った。

怪物の背中より、青い炎を揺らめかせるような羽赫の翼を生やした青年が上空へと飛び立ち、捜査官たちの頭上で静止した。青年は捜査官たちを一通り見下ろすと、満足そうに頷いて手に持ったメガフォンを口に近づけた。

 

「あ、ああーーーっ マイクテストー マイクテストー あー」

 

キーンとノイズ混じりの音ともに青年の声が辺りに響いた。彼の姿を見て捜査官たちはざわつく。無理もない。先程の映像で今まで死んでいたと思われていた“カラス”の生存は確認されたが、こうして実際に目の前に現れた事で初めて本当に生き伸びてしまっていたことを実感するのだ。彼は悪夢だ。悪夢は過去から続いていたのだ。

 

「ええー皆様、お忙しい中パーティにお集まりいただきありがとうございます 今夜は楽しい楽しい時間を共有できたら良いなと思っております それでは前置きもこのぐらいにして、僭越ながらパーティの開催を告げる祝砲の方を撃ち上げさせていただきたいと思います 」

 

言いながら青年は羽赫を天に向けた。

羽赫が青白く発光する。羽赫の炎に浮かび上がる骸たちが、祈るように手を合わせる。

表面から結晶状のいくつものつぶてが天高く放出された。

硬質化したrc細胞の塊である。

それが夜空に舞う。

幻想的な光景であった。

高速で繰り出されたつぶては光り輝いて、まるで流れ星のように夜の暗闇の中に尾を引いて降り注ぐ。

 

捜査官たちの元に。

 

降り注ぐ。

 

「総員退避ぃぃぃー!!」

 

誰かが言った。

しかし遅かった。

流れ星は捜査官たちの頭上へと容赦なく降り注いで、運の悪い者は辺りに血をまき散らした。

その鮮赤色が開戦の合図。

喰種たちはニヤリと笑い、怪物が大きく咆哮を上げた。

 

戦いの火蓋が落とされた。

 

 

 

 

戦況は過酷を極めた。

喰種の数はあまりに多く、捜査官の数はあまりに少ない。“カラス”たちの襲撃は突然なことであり、各区に要請した応援部隊も道中の喰種に阻まれている事もあって、未だこの地獄の中心に辿り着いている者は少なかった。そのため捜査官一人に対して3、4対の喰種を相手取る必要があった。しかし喰種というのは人間よりも遥かに身体能力が高い。一方で人間は喰種と比べればずっと軟弱な生き物である。喰種の赫子が向けられれば最後、肉体は豆腐のように裂けてしまうのだ。

いくらクインケという武器があろうと、その力の差は容易に埋まることはない。ましてやそれが数の利を取られているとなれば、たとえ戦い慣れしている捜査官であっても苦戦を強いられる。そうして新人の捜査官などは次々に命を落とし、地面はすぐに無残な死体で埋め尽くされた。

また喰種の中でも飛び抜けて捜査官の脅威となっているのは、やはりその有象無象を取りまとめるリーダーの存在であった。

“断切”のアビーはその甲赫で形作ったハサミで次々と捜査官の首を刎ねた。その刃が合わさる度に数人の捜査官の首が飛ぶ。血飛沫が舞う。胴体が地面に崩れる。刃の擦れる音は正しく死神が鎌を振り下ろす音であった。

“暴君”ゴルも同様に甲赫であるが形はハンマーであった。一振り毎に臓器を撒き散らした人間スクラップを作り上げる。気の短い男で、気に入らない者は敵味方関係なしに鉄槌を下していた。

“カラス”は羽赫も鱗赫も尾赫も甲赫も自由自在に操って、人外と呼ばれる特等クラスの捜査官を複数人相手取り、「久しぶり~元気してたー?」と余裕を見せる始末であった。

極め付けは怪物となった時宗であった。彼のrc細胞によって構成された身体は鋼鉄のように固く、一般的に有効とされているクインケによる攻撃さえも傷一つ受けずに弾き返してみせた。

硬いだけに止まらない。攻撃もある。

持ち上げられた足は、圧倒的な重圧感を放ちながら風を唸らせて振り下ろされて、地面が衝撃で弾けた。先の鋭い尻尾は柔軟に伸び縮みを繰り返し、近づく捜査官を目にも留まらぬスピードで突き刺し、蜂の巣の如く穴だらけにするのであった。

その怪物を見つめるのは廻である。

この戦場に捜査官の一人として参加していた。

両手に持つのは刀身1mにもなる真っ赤な双剣型のクインケである。その切っ先を地面に向けて揺らしながら、ゆっくりと怪物の元へ歩いている。時折、横から喰種が飛び掛かってくる。怪物を真っ直ぐ見つめて歩く廻は、隙だらけに見えるからだ。

しかし廻はそれを気配で感じ取っている。だから喰種が襲ってくるたびにすぐさま反応して、一瞬のうちに切り裂いて、首を飛ばした。真っ赤な刀身をより赤く染めた。

廻は歩みを止めず着々と怪物との距離を縮めていった。

一方で怪物は襲いくる捜査官を蹴散らしてその死体を周囲に山のように積み上げながら、廻の姿を探していた。怪物の原動力は廻を想う時宗の思念である。その怪物が巨体に不釣り合いな人間の時宗の小さな顔を360度回転させながら、ひん剥いた白目で辺りを見渡す。そうして視界に自らのもとに歩いてくる廻を捉えた。

 

「めぇぇぇぇぎゅぎゅぎゅぎゅっりぃ!?!!」

 

彼は興奮するように高音と低音の入り混じったノイズに似た声を上げた。

廻は声を身体で受けながら彼の正面に立ち、その大きな身体を見上げた。怪物も彼女に目線を合わせるように体を下げた

 

「トキ、あんたでかくなったね」

「bfじぇゔぇkdvdfbっ??ぽ!」

「あー、日本語は下手になったか…」

「bdじぇべcえじぇっっうべぇぇぇ」

 

怪物は言葉にならない奇声を発している。

ただ直ぐに廻を襲うような気配は見せていない。廻はそんな怪物に臆することもなく、あくまで普段通りに時宗と会話するように自然に語りかけていた。

 

「ああ、うん トキは私に伝えたい事があってここまで来たんだったね」

「んdbfじぇいえbdvぢどおお」

「聞くよ、トキの想い だけど、一つだけ頼みがある」

「ゔぇええいfべい」

「これ以上捜査官を襲うのはやめて欲しい ほら、疲れんでしょ、そういうの」

「ぐびいいいぃぃぃ」

 

返事をするような怪物の声に廻は“ふふっ”と短く笑った。

怪物は既に何人もの捜査官の命を奪っている。クインケが効かないとあっては捜査官に打つ手はない。廻は被害妄想な部分もあると思ってはいるが、しかし実際自分のせいで時宗が怪物となったという負い目を感じていて、これ以上の犠牲者を出したくはなかった。

 

して、その怪物。

 

口を開いた。

 

時宗の人間としての口ではない。

その顔の下の胴体部分の前方が大きく開いた。

現れるのは半径2m程の洞窟のような大きな穴である。内側は表面から剣山のように沢山の鋭利な歯が伸びていて、それが奥までびっしりと生えている。入れば最後八つ裂きになるのは想像に難くない。

それが怪物の本当の口で、獲物を食らうための場所。

 

それが、

その開いた口が。

廻に狙いを定めて、

身体ごと勢いよく、

 

飛び付く。

 

怪物の一挙一動が廻の瞳にスローモーションで映った。

 

目を開く。

食べられる。

 

死。死。死。死。死。死。死。

 

「ほいっ」

 

背後から声が聞こえた。と共に、廻は左腕を思いっきり後ろに引かれ、引っ張られる形で地面に尻もちを着いた。

廻の目と鼻の先で怪物の口が閉じた。

 

・・・廻は生きていた。

 

廻が首を回して後ろを見ると、停まっているバイクを背にして、仁王立ちしながら彼女を見下ろす志乃がいた。

 

「どーもー、志乃ちゃんタクシーでーす」

「・・・バイクだろ」

「タイヤが二つしかないタイプのタクシーでーす」

「だからバイk」

「さあ乗った乗ったぁ!!」

 

バイクに跨った志乃が後部座席をばんばん手で叩きながら威勢よく言った。

廻は双剣のクインケをそれぞれ腰に下げた鞘に納めると、急いで立ち上がり後部座席に跨り、志乃の背中を抱きしめるように腕を回した。

 

「いくぜー ぶんぶん!!」

 

勢いよくエンジンを吹かしながらバイクが急発進する。廻は背中のすぐ後ろを、怪物の巨大な腕が振り下ろされていったのが、背中で受けた風圧で分かった。

それからバイクはどんどん加速していき、怪物の姿を遠くに小さくしていった。

 

「いやー間に合って良かった これも私の日頃の行いが良いおかげなのだ、さあ私を崇めるがいい」

「助けてくれてありがとう、バイク」

「バイク! 私じゃなくてバイク! 私、今日からバイク!!」

「私の友達はバイクだったのか」

「ということで100000円ね」

「え、金とんの」

「これ”タクシー”ですから」

「バイクじゃないのかよ」

 

廻と志乃が後ろを振り向くと、怪物がバイクを追いかけ始めていた。

二人は前を向く。

 

「でもめぐりん、引きこもりから脱出したのは大変すばらしーと思うぜ」

「ほんとに出てきただけなんだけど」

「出てきただけでモグラには勝ったさ だってあの子たちは出てきても干からびて死んじゃうからね」

「それなら、私もそのうち干からびるつもりだから引き分けだな」

「あちゃー」

 

・・・。

 

「ところでどこまで行く気?」

 

「まあ、いけるとこまで」

 

廻は風に顔をはたかれながら、流れゆく周囲の景色を見た。

建物はどこも壊れていて、火が燃えがっていて、喰種と捜査官が血を流し合っていて、地面は死体がいっぱい転がっている。時折”生肉”をバイクが引いて、車体が小さく上に跳ねていた。

廻は景色を見ながらつぶやく。

 

「ひどいもんだ」

「まーねー まさか誰も予想してなかったから ”カラス”と”暴君”と”断切”が同時に攻めてくるなんてさ」

「ああ、ね」

「台風と竜巻とハリケーンが一気に押し寄せた感じだよ」

「随分涼しそーだな」

「ひゅー」

 

・・・。

 

「・・・東京はもう駄目かも分からんね」

 

「・・・駄目だろうね」

 

二人は後ろを見た。

怪物は速度を上げていて、だんだんとバイクと距離を詰めて来ていた。

二人は前を向く。

 

「トキ君、随分と足が速いね」

「あいつは運動神経が良いからな」

「タクシーに向いてるよ」

「斬新な誉め言葉だな」

「うへへ」

 

・・・。

 

「はえーのお」

 

「速いなぁ」

 

バイクの進行方向には、道の真ん中に設置された広場の噴水が見えた。噴水は死体で真っ赤に染まっていた。

 

二人は後ろを向いた。

怪物はだいぶ距離を詰めていた。

 

二人はゆっくり前を向く。

 

「私、来世はハチがいいのだ」

「なんで」

「ハチ・・・バイク・・・ブンブンッ!!」

「は?」

「めぐりんは」

「私は花だな」

「似合わんねぇ」

「コンクリの端でこっそり咲くんだ」

「雑草だねぇ」

「いいだろ別に」

 

「うん 良い」

 

廻は後ろを向いたが、志乃は向かずにニヤリと笑った。

そしてバイクを大きく傾けて、急なドリフトを行い、急ブレーキをかけた。スピードがかなり出ていた。だから強烈な遠心力が廻の身体に加わって、廻の身体はあっけなく宙に投げ出された。

 

”来世で会いに行くよ”

 

遠くに呟くような声を聴いた。

 

廻の身体はそのまま噴水へと勢いよく突っ込んだ。大きな水しぶきが上がった。

廻が赤い水を垂らしながら顔を持ち上げてもう一度志乃を見た時、志乃はバイクを捨て、廻に背中を向けて地面に堂々と立っていた。彼女の正面には既に大きく口を開いた怪物がいた。

志乃は首を後ろに傾けて廻を見た。

口を動かした。

 

アデュー

 

その瞬間、怪物の口が閉じた。

志乃の姿は一瞬にして消えた。

後には、ぐちゃぐちゃと肉を食らう咀嚼音と骨が砕ける音が、生々しく辺りに響いた。

 

ごっくん

 

志乃は死んだ。

 

 

 

 

 

廻は顔を俯かせたまま、幽鬼のように噴水の中でゆらりと立ち上がった。

ゆっくりと噴水を囲む縁石まで歩いて、足をかけ、ずぶ濡れの身体を引き上げる。身体から垂れた水が地面にいくつもの丸い跡をつくった。

 

「あ~あ、びしょぬれじゃん」

 

廻はそう呟いて口角を上げる。

そうして怪物のもとへとふらふら歩き始めた。怪物は不思議と石のように動きを止めていた。

 

「けいが死んだ 志乃が死んだ たくさんの人が死んだ 町が死んだ 時宗が怪物になって襲ってきた やばい喰種がたくさんきた」

 

確かめるように独りでに呟く。

 

「あーあぁ・・・ 全部めちゃくちゃだ 何もない 残らない・・・」

 

呟く。

 

「・・・ふっ ふはははっ」

 

廻は俯いたまま、顔を小刻みに震わせ唐突に笑い声を漏らした。

別段面白いことは起きていない。脈略のない笑いはある種の不気味さを醸し出す。

ただ廻は本当におかしくて笑っているのだ。

 

「ふはははははははははあはははははっっっっ」

 

顔を上げて大きな笑い声を上げた。その瞳からは大量の涙を流していた。

 

おかしい!

 

この世界は実におかしい!

 

泣きながら笑う。

矛盾した感情表現は、限界を超えて壊れた彼女の心情を正確に表していた。どうにもならないことが多すぎたのだ。彼女はそれに耐えかねた。

 

「悪夢だぁ 悪夢が続いてるよぉ、トキぃ・・・」

 

廻はまるで縋るかのように、助けを求めるかのように怪物に嘆きながら近づく。

やがて廻は怪物の正面で足を止めた。

 

「なあ、トキぃ・・・ 私のことが好きなんだろ? じゃあ私を食べてよ・・・食べろよ、私を・・・ 殺せよっ 殺せよぉぉぉ!!私をっっ!!!」

 

怒鳴り散らして、廻は言った。

 

 

私を、幸せにしてよぉ

 

 

廻は満面の笑みで言った。

 

自棄と諦めの果てにある、純粋なまでの死への欲望が彼女に笑顔の華を咲かせた。

 

言葉を理解しているのか、その言葉に従うように怪物は大きな口を開けた。廻の正面に再び現れるおぞましい死への入り口。それはつまり救いへの道。

廻は安堵の息を着くと、横に両手を広げ身体からすっかり力を抜いた。目を瞑って、いつも自分を包み込んでくれた優しい暗闇にさよならを告げ、最後の時を待った。

 

・・・。

・・・。

最期は訪れなかった。

 

廻が目を開けた時、怪物は完全に動きを止めていた。

 

パキパキパキっ 

 

氷が張るような音が空気に響いた。

廻は目を見開いた。

怪物の身体全体が一瞬にして結晶に変わってしまった。巨体は透明で少し青みがかった塊に覆われて城のような姿となった。

怪物は、時宗は、動かなくなった。

 

「ははっ もうなんだってんだよ・・・」

 

廻はそう呟いて、廻の姿を反射する結晶の表面に手を触れた。すると透き通る結晶の中に時宗の姿が現れた。時宗は廻の手に自らの手を合わす。

 

時宗は泣いていた。

 

「最低でごめんね」

 

廻が呟くと、直後結晶が粉々に崩れ、怪物の姿は跡形もなくなってしまった。

 

「私はまた置いてけぼりか・・・」

 

廻は地面に散らばる破片を黙って見つめていた。

 

 

 

 

 

セイは辺りに特等捜査官の死体を転がしながら、空に浮かんで望遠鏡を覗き込み、遠くで一人立ち尽くす廻と散らばる怪物の破片を見ていた。

怪物の結晶化。

怪物が結晶化した原因は、rc細胞と共に時宗の身体に注入した抑制剤の効果が切れたからであった。抑制剤によって人間のrc細胞への許容ラインを一時的に高め高濃度のrc細胞に耐えうる身体を維持していた。そしてその身体を基にしてrc細胞が増殖していたわけだが、抑制剤の効果が切れたことで身体は消滅。rc細胞の栄養が枯渇。よってrc細胞は急速に結晶化し、崩れ去った。

 

「んー、時間切れかー」

 

セイは残念そうにつぶやいた。そうしてメガフォンを口に当てると、大きく口を開いた。

 

「はい、みなさん! パーティの第一幕はただいまを以て終わりとなりまーす! 喰種の皆さん、自分で殺した人間の死体は、後で素晴らしい姿に生まれ変わるので、しっかり持ち帰りましょう 来た時よりも美しく! あはあっ!」

 

セイの言葉が戦場に響き渡ると、声を聴いた喰種たちは即座に動きを止めた。喰種は圧倒的優勢だったはずだが。絶望を着々と生み出し続けていたはずだが。それでも喰種は殺戮を止めた。。

捜査官には何が起こっているのか理解できない。

疑問符を浮かべる捜査官たちを他所に、喰種は死体を各自持てるだけ持って、各々のアジトへ引き返し始めた。

 

地獄は唐突に終わりを告げた。

 

「さてと、僕はデザートに会いに行こ♪」

 

セイはそう言うと地上へ降りたち、左手を上げて何やら合図をした。すると、人間よりも巨大なサイズのカエルー身体がrc細胞で出来ているーがセイの元へ猛スピードでやってきて、セイのことをぱくりと口に入れた。

さらにカエルはセイを口に入れたまま力強く地面を蹴って、飛び跳ねた。

着地した先は廻の目の前。

廻が驚く間もなくカエルは舌を伸ばし、廻を口に含んでしまった。

 

 

 

 

廻とセイは一定の距離を置いて向かい合って立っていた。

二人がいる場所はじっとりとした湿気が漂っていて、薄暗い空間である。また壁のようなものがあり、そこには赤く光る繊維状の血管のようなモノがいくつも枝分かれして走っていた。

 

「ここはどこ?」

「カエルの口のなかさ」

「カエル、ね」

 

睨みながら尋ねた廻にセイは笑顔で答えた。

二人はカエルの閉じられた口の中の空間にいた。立っているのはカエルの長く太い舌の上であった。

 

「このカエルも君がさっきまで追われてた怪物同様に前は人間だったんだよ 喰種になるときに何故かカエルを望んだみたいなんだよね 面白いよね~」

 

セイはおかしそうに笑った。

廻はセイが喋っている間に素早く周囲を見渡すが、出口になりそうな部分は見当たらない。加えて正面にいるのは”カラス”。

廻は先ほどまで感情を昂らせていたが死にきれず、それどころかまた訳の分からない状況が、恐らくは悪夢の続きが自分に訪れたと理解して、小さくため息をついた。

廻は一人で饒舌に喋っているセイをつまらなそうに見た。

 

「あんた”カラス”でしょ あんたみたいなのが、私みたいな小物に何の用?」

「おお~僕を知ってるんだ 君、見る目があるね~」

「そりゃどーも」

 

廻は嬉しくなさそうに返した。

 

「用っていうか、インタビューって言うか、野次馬っていうか、暇つぶし?」

「はあ」

「捜査官の人にいろいろ聞いたんだけどさぁ ”時宗君”って言うんでしょ彼、久々の再会はどうだった?」

「別にどーもしてないな いつも通り会話して、内容も”トキはバイクに向いてるってよ”って言ったりしたぐらいだ」

「あれえ? ああ、それならあのでかい姿はどうだったかな? なかなかイカすでしょー? 僕の自信作なんだよ!」

「センス無し」

「それだけ? ほんとにそれだけ??」

「ウサギとか良いんじゃないか」

「そういうことじゃないんだよ、ああ困ったなー全然心が見えてこないなー 仲良いんでしょー?君、冷淡すぎないかい? つまんないよー もっとこう感情がぐしゃぐしゃ―ーってさぁ」

「私は冷たいんだ 心にペンギンが住んでるぞ」

「あ、それ面白いね」

 

廻の心は啓太郎が死んだ辺りから不良品となっていたので、時宗が死のうと上手く悲しむことは難しかった。

心に住んでいるのはペンギンでは無くオブジェである。

壊れた心は動かない。

 

「んー・・・」

 

一方でセイは廻の心を乱されている様子を見て、そしてそれを煽ってパーティーパーティー!のつもりだったのだが、予定通りにいかずいつも笑顔のセイにしては珍しく不服そうな顔をした。

 

「期待と違ったな・・・」

「用件が済んだのなら出してほしい」

「お急ぎ??」

「自殺の準備だ」

「ああー、それはお急ぎだね」

 

セイはわざとらしく笑った。

 

「はー・・・ 廻ちゃんが想像してたよりずっとつまらない人間でがっかりだよー」

「そうか」

「だから、えーっと、あれでしょ もう一人の話をしたとしても、きっと君は表情を変えないんでしょ・・・」

「もう一人?」

「ほら”啓太郎君”だよー」

 

廻はその言葉を聞いたとき目を見開いた。

 

「君達夫婦だったんだってね? ”時宗君”と言い良くモテるね まあ、普通はパートナー殺したら残った方は面白くなるんだけどさあ 君だからな~」

 

セイはまたペラペラと陽気に喋り始める。

 

「彼の鎌はかっこよかったな~ ひゅんひゅんっ!!」

 

ジェスチャーなども交えて楽しんでいる。

だから気付いていない。

廻が腰に下げたクインケの柄に震える手を添えていることに。噛みしめている唇から血を垂らしていることに。

 

「表情も豊かな人間だったよねー 首が飛んだ瞬間は絶望に染まった良い表情をしてくれたな~」

 

廻は今の今まで全く気付いていなかった。”カラス”が啓太郎を殺した犯人でもあるということに。

廻の中では時宗と啓太郎は完全に切り離されて考えられていた。だから時宗と共に映像に映った時も、映像の青年が啓太郎を殺したとはまるで想像がつかなかった。

何とも馬鹿な話だ。

廻は思う。

心だけでなく頭までも弱っていたらしい。

 

”カラス”が啓太郎を殺した。

 

廻は今はっきりと理解した。

そして自分の包み込んで離さない悪夢が。全て目の前の男が原因であるという事もまた理解した。

 

”カラス”こそが絶望の始まり。

”カラス”こそがすべての元凶。

 

これは死ぬ前のおきみやげ。

 

殺してやる。

殺してやる。

全てを奪い去ったこの男を死の淵へ叩き落としてやる!

 

廻は心に唱え、血管を浮かび上がらせた瞳でその姿をしっかりと見据えた。

両手でしっかりとクインケの柄を握りしめ、廻は駆け出した。

 

「死゛ね゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛」

 

廻は叫び声を上げながら、クインケの刀を引き抜き、セイに切りかかった。

 

「うひゃああああっっ!!!」

 

セイは飛び切りの笑顔を見せながら、軽く体をよじって剣先を避けた。

 

「死ね! 死ね! 死ね!」

「うひょ あはっ おほおっ」

 

廻は一振りごとに呪いの言葉を吐き出し、それに合わせてふざけた様子でセイが避ける。

 

「死゛ね゛え゛え゛え゛」

 

廻が後ろにそらした両手の剣を同時にセイの首元へ伸ばし、双剣の先をクロスさせる。

セイはそれを後ろに身体を仰け反らせて避ける。顔の先で剣が交わる。

そうしてすかさず廻の腹を蹴り飛ばし、廻は床に身体を引き摺らせながら遠くへ転がった。

 

「あはああっっ 何が理由か知らないけど、そういうのが見たかったんだよ! いいよ!もっと見せてよ!」

「死ねええええええ!!!」

「あはあっ!」

 

絶えず廻は啓太郎に襲い掛かる。何度攻撃を避けられようと、繰り返し繰り返し剣を向ける。幾度となくセイに反撃を食らう。

セイは決して赫子を使わなかった。使う必要が無かったのだ。喰種と人間、元々の身体能力の差に加えて戦闘慣れしたセイの力があっては、赫子を使うまでもなく廻の攻撃をあしらうことが出来た。

何度やられようと。廻は素早く起き上がる。切りかかる。

その姿は人間よりも獣のソレに近かった。

 

狂気でもって、彼女は剣を振るった。

 

 

 

それからどれだけ時間が経ったか。

廻は丸くなって転がっていた。もはや立つ気力もなかった。薄く開いた瞳にはセイが笑みを浮かべながら歩み寄ってくる姿が映る。

 

「ほら、ぽーんっと」

 

セイが廻を蹴跳ばした。

廻の身体が遠くへ転がる。

そこへセイが歩み寄る。

 

「もう一度、ぽーんっ」

 

廻が転がる。

 

ぽーんっ

 

ぽーんっ

 

ぽーんっ

 

ぽーんっ

 

ぽーんっ

 

廻は石ころのように何度も蹴られた。既に身体の至る所の骨が折れていた。意識を保つので精一杯であった。

廻は分からされた。

”カラス”と自分とでは実力に雲泥の差があることに。どんなに挑んだところで傷一つ負わせることも出来ず、赫子を出させることも出来ない。圧倒的な差があった。

もはや復讐に身を置くことさえも叶わないと理解した。そしてこの先地獄より救われる方法がいよいよ持って存在しないことを悟った。

 

だから

 

「死にたいと君は思っている事だろーね」

 

セイは靴の先で廻の顔を上に向かせると、そう言葉を投げた。

 

「まあそれは君の自由だけどさ でもその前に、ここまで楽しませてくれた君に一つお礼をするよ」

 

 

”啓太郎君”のオブジェの理由、知りたくない?

 

 

廻は心の中で、なんて残酷な男だろうと思った。

ここに来て死ねない理由を与えるとは。

心底性格が曲がっている。

 

廻は消えゆく意識の中で、声を聴いた。

 

”って言っても僕は知らないからさ~

 

 

皮剥ぎ”に聞いてみるといいよ”

 

 

 

カエルは意識を失った廻を、喰種対策局本部の建物前の大通りにゲコっと吐き出した。

そのままカエルはどこかへ飛んだ。

 

 

数日後

 

 

 

「ふん~♪ ふんふん~♪ ふん~♪」

 

セイは小さく口角を上げて陽気に鼻歌を響かせる。黒光りする靴が踏み出される度、こつこつと子気味の良い音を鳴らす。

セイは下水道を歩いていた。そこは周りを曲線を描く壁に囲まれたトンネルのような筒状の道であり、先まで長々と続いている。

水は既に流れていない。そのため硬い地面を踏む足音や、セイの鼻唄が辺りに反響して響いていた。

しばらく歩いて。

セイはやがて足を止めると、正面の景色を見据えた。

そこは今までの狭く丸っこい道とは違う、ずっと開けた広大な空間が、見通せない暗闇を伴って奥まで脈々続いていた。

 

「さて進捗は・・・っと」

 

セイはそう呟きながら、背中より羽赫の翼を生やした。炎のようなセイの羽赫は暗闇の中を浮かぶように青く揺らめき美しい。

セイは天井を見上げると、羽赫も標的を定めるように角度を上へと傾けた。

 

「んっ」

 

セイが力を込めるように小さく声を漏らすと、羽赫の表面よりRC細胞の結晶が、いくつか生成される。それぞれは上向きに勢いよく飛ばされた。そして天井に突き刺さったそれらは、透明な結晶構造の中で赤い光を幾重にも反射させて発光。広大な暗闇を一瞬にして照らし出し、その全貌を明らかにした。

セイは目を見開いた。

 

「おお~~っ」

 

思わず感嘆の声を漏らした。広がる空間には元は人間”だった”筈の奇妙なオブジェが、何体も何体も案山子のように立てられて、奥までずっと並べられていた。

「絶景だぁ」とセイは呟くが、それら一つ一つは人間の腕やら足やら頭やらで構成されていて、つまりいくつもの死体が並んでいるのと変わりなく、その上形容し難いメッセージ性を強く発していて、日常とかけ離れたその景色は絶景とは程遠いおぞましい光景であった。

セイは並べられたオブジェたちが取り囲む、その中心へと目をやった。そこには幾重にも人間の死体が積み重なった山があり、その頂上で座禅を組む老人の姿があった。老人は目を瞑り両手を組んだ膝の上に乗せ、広い空間には小さな存在ながら、何よりも重厚な空気を放っていた。

 

「おーい、”皮剥ぎ”~ 調子はどうだーい??」

 

セイが手を振りながら呼びかけると、老人は気怠そうに目を開き立ち上がった。そうして足場を蹴って大きく飛び跳ね、山を構成していた人間の死体を辺りに散らしながら、老人はセイの真正面へと勢い良く降ってきた。

セイは老人が着地の姿勢から体を起こして顔を上げるのを待って「やあっ」と声をかけたが、老人は言葉を返さない。代わりに”あーっ あーっ”と意味を持たない声を出しながら、セイの横をすり抜けて後ろにあった壁と向き合った。そうして次には、両手を壁について、勢いよく頭を打ち付けた。

一度だけではない。

頭蓋骨と壁のぶつかる鈍い音を立てながら、狂ったように何度も何度も頭を壁に打ち付けた。そうしてやがて動きを止めて、頭をブルブルと振ると、セイへと身体を向き直った。

その顔は額から大量の血を垂らしていて痛々しい様子であるが、瞳には先ほどまで無かった確かな意思を宿していた。

 

「久々だな”カラス”」

「調子はどうだい?”皮剥ぎ”」

「脳の位置が素晴らしい 神から祝福されている気分だ」

「それは良かった」

 

”皮剥ぎ”は普段は自我を手放していて、正確な自我を取り戻す際は脳に大きな衝撃を与える必要があった。

この老人がどうしてそのような面倒なことをしているのかセイには分からないし、興味も無かった。

 

「それじゃあ作品制作の方はどうだい?」

「見ての通りだ 既にいくつもの作品をつくってある」

「だね こんだけ作ってくれれば、数も十分 人間の死体をいっぱい用意した手間があったってもんだよ!」

 

先のパーティと称した捜査官との激しい戦いは、死体を集める事とセイの暇つぶしが目的なのであった。

 

ただそのために東京は壊滅しかけたのだ。

 

「でも死体はまだ大分余っちゃってるね もっと作品を作るのかい?」

「ああ その通りだ ただこの小さな器では足りぬことに私は気が付いてしまった これでは足りぬのだ これでは私の妻も娘も蘇ることは無い」

 

セイはわざとらしく瞬きを数度繰り返し、言葉の続きを促した。

 

「今まで私は二人の魂は私の中にあるものと思っていた だからその魂の容れ物として、時には皮を剥ぎ生前の姿により近い容れ物を、時にはこうして作品をつくり、二人を感じることが出来るものが出来上がった時、私はそこに二人を見出し、魂が宿り、そして再開できるものと信じていた」

 

老人は近くにあったオブジェの一つに拳を振り下ろし、一瞬の後にばらばらにした。

 

「しかしそれは間違っていたのだ 実際は二人の魂は天にあった 私自身が汚れた容れ物であるのだから、私の中に二人の魂があろうはずもなかったのだ そして同時に二人の魂がいかに気高く高尚であるか、私は理解した

この小さな容れ物達では到底収まるはずもない もっと大きくたくさんの、それでいて二人も納得するような容れ物を用意する必要があった」

 

ここで老人は一旦言葉を区切った。

 

「時に”カラス”よ お前は『寄せ絵』というものを知っているか?」

「んー、興味のないもんはまるで駄目でね 全然わかんないな」

 

老人は言葉を続ける。

 

「それは古くはイタリアに生まれたとある画家の作品が有名だ

『寄せ絵』というのは動物や人間といった対象を、野菜や魚や花といった一見何の関係のないものをいくつも複雑に寄せ集め組み合わせて描き、不思議とその対象であるかのように見せる、いわば騙し絵のようなものだ」

「ほうほう」

「私はそれから着想を得た」

 

老人は言う。

 

「私はいくつもの人間を寄せ集め、積み重ね、組み合わせ、妻と子の姿をそれぞれ作り上げることにした さすればそれはいくつもの容れ物が組み合わさって出来上がったものであるために、大きく気高い魂の受け皿としての役割を果たし、さらには二人の姿を忠実に再現することで、二人もきっと喜ぶことだろう」

「成程ね~ ちなみに作品名は決まってるの?」

「作品名などない」

「ほうほう」

「嗚呼、これは今まで求め続けてきた私への神が授けし天啓! そうっ!そうに違いないのだ!あああああああああ!」

 

老人は興奮し大きな声を上げると、再び壁に向かって一度強く頭を打ち付けた。

すると老人は全身から力が抜けて、まるでゾンビのようにふらふらとした足取りで、死体の山の方へと歩き始めた。

その顔からすっかり生気が抜け落ちていて、うわごとの様に”シイナぁ... リコぉ...”と呟いていた。

セイは碌に話を聞いていなかったが、必要量のオブジェが作られていることが確認できたのでここから立ち去ることとした。そうして元来た道に引き返そうとしたときに、ふとあることを思い出し足を止めた。

 

「ねえ”皮剥ぎ”~ そのうちさ もしかしたらここに女性の捜査官が尋ねてくるかもしれないんだけどさ その時は丁重にもてなしてあげてね~」

 

老人は声に振り返ることなく、背中を向けたまま歩いていった。

 

 

 

 

皮剥ぎ

 

・XXXX年 東北地方△△県〇〇村で生まれる

・妻と子と3人家族で暮らす

・村人に襲われ妻と子を生きたまま焼かれる

・村を燃やす

・東京都~~〇区~~を拠点として、大人から子供まで女の顔の皮膚を剥ぎ大量のマネキンを制作[皮剥ぎ事件]

・捜査官に捕まりコクリアに収容

・コクリア脱走

 

□□レポートより抜粋

 

 

 

 

こつ こつ こつ

 

廻はとある地下の下水道を、壁に片手を着いて足を庇いながら歩いている。

 

 

 

 

廻はカエルに吐き出された後、病院のベッドの上で目を覚ました。”カラス”が最後に言い残した”皮剥ぎ”についてはよく知っていた。

本来ならすぐに”皮剥ぎ”のもとへ行きたいところであったが、居場所を知らないので動けなかった

そこへ数日経って、見舞いに来た少年がいた。しかし廻には全く見覚えのない少年であった。

少年は廻に押し付けるように手紙を渡した。廻が少年が誰なのかを尋ねる前に、少年は窓から飛び降りた。

病室は3階。

窓から覗けば、少年は地面に潰れていた。

手紙の中身は”皮剥ぎ”の居る場所であった。

廻は痛む身体を押して、病院から抜け出した。

少年は多分死んでいた。

 

 

 

 

こつ こつ こつ

 

足音が良く響く。歩く度に足先から伝わるちょっとした振動が、廻の身体に響いて痛みを発する。廻は歯を食いしばる。

下水道の奥から強烈なっ腐臭が漂っていている。鼻がよじれる。

廻は隣にたくさんの人間を見た。

皆一様に生気のない顔をして、廻と同じように下水道の奥に向かって歩いていた。

 

亡霊だろうか。

亡霊だろうな。

 

廻は歩き続ける。

 

亡霊だろうか。

亡霊だろうな。

私は。

 

亡霊と共に歩き続ける。

 

 

 

 

 

東京の街に二度目の絶望がやってくる。

 

 

 

 

「皆さん初めまして 初めましてじゃない方も初めまして! 『メメント・モリモリ』チャンネルのカラスお兄さんだよ

今日は全国の電波をジャックして、僕の動画を流してるよ

今日の企画はズバリッ、『東京を終わらせてみた^^;』だよ

突然で申し訳ないんだけど、本日を以て東京は喰種のものになるよ

じゃあ、早速やっていくよ!」

 

映像の青年は無邪気な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

廻はやがて立ち止まる。

廻の視界に映るのは、広大な空間の中心に並べられた高さ10mはあろうかという二つの巨大な像と、それらを囲むようにして地面に置かれた、いくつもの蝋燭であった。

蝋燭の灯が、巨像の姿を浮かび上がらせている。

それは向かい合っている二体の巨大な女性の上半身の像であった。

片方は胸の前で両手を合わせて何やら祈りを捧げており、もう一体は器を作るように合わせた両手を天に向かって掲げていた。

そしてそれを構成するのは、幾重にも積み重なった人間であった。

髪や肌の色や形の違いが組み合わさって。

人間が人間を形作っていた。

廻がその気味の悪い像に圧倒されていると、像の影より一人の老人が現れた。

 

「あんたは”皮剥ぎ”だな」

 

廻は強い口調で尋ねた。老人は明後日の方向を向いて涎を垂らしていたが、ふと瞳をぎょろりと動かし、廻と目線を合わせた。

そうして自らの尾赫を伸ばして、自分の頭を躊躇無しに貫いた。

目玉を大きく開いて身体を痙攣させる。強烈な電撃を身体に受けているようであった。

やがて尾赫は引き抜かれた。すると老人は鋭い視線で廻を見た。

 

「”カラス”が言ってた客だな」

 

老人はしわがれた声で言った。

 

「見よ 美しいだろ この像たちには既に私の妻と娘の魂が宿っている」

「訊きたいことがある」

「私はようやく救われるのだ もうすぐ私は救われる」

「訊きたいことがある!」

「長かった 遂に私の願いは果たされる」

「聞け!!」

 

廻は目尻を釣り上げて怒鳴った。老人は顔を像から廻へと向けた。

 

「どうした娘」

「なにを以てケイをあの姿にした?」

「ケイ?」

「輪堂啓太郎、捜査官だ 髪の茶色い背の高い男」

 

老人は記憶を思い返すように蝋燭の灯をぼんやりと見下ろしながら、やがて口を開いた。

 

「ああ、いたかもしれないな」

 

廻は再度尋ねる。

 

「なぜケイをあの姿にした」

「今となっては意味のないことだ」

 

老人は廻を見つめてはっきりと言う。

 

「私が今まで作ってきた作品は全てゴミであったのだ 意味のない無駄なモノ まさのゴミ そしてこの巨大な像こそが唯一、私にとって意味のあるものだったのだ!!嗚呼、素晴らしい!!実に・・・素晴らしいっっ!!!」

 

つまり啓太郎は、ただのゴミになったと、老人は言った。

 

その程度の価値のものでしかなかいと。

 

それを聞いた廻は、

 

廻は、

 

 

 

「ははっ」

 

 

 

短く笑った。

 

「そんなもんだろうと思った」

 

廻は小さく息を吐いた。

 

「あーーーーー安心した ここまで来て救いがあったらどうしようかと思った」

 

廻はひとしきり晴れやかな笑みを浮かべると、やがて顔から表情を消した。そして老人に向かって全速力で駆け出した。腰から剣を引き抜き、首へと向けた。殺しにかかった。

しかし剣先は届かなかった。

老人は尾赫をしならせて残像を残しながら振り払い、廻は横っ腹に尾赫を受けて、壁まで吹き飛ばされた。

たったの一撃で。

あっけなく廻は負けた。

意識を失った。

少しして、廻が意識を取り戻した時、老人は巨像の両手で作られた器の上に立っていた。

老人は両手を天に掲げた。

 

「嗚呼、素晴らしき日だ!!! 私は新たな世界へと旅立つ!!! 家族のいる世界へと!!! 幸福な世界へと!!!」

 

老人は尾赫で自らの首を跳ねた。

首を失った身体は地面へと落下して、重たい音を立てた。そして頭は像の両手に乗った。

 

笑っていた。

 

「もう嫌だ」

 

廻はクインケを自らの首先に向け

そして

突き刺した。

 

 

 

 

全国の画面に映像が流れていた。

それは捜査官も人も全滅し、街も一切が崩壊した、終わりを迎えた東京の姿であった。

 

「皆、見てるかい? 特に僕の同胞! 喰種諸君! これが喰種である僕たちが本気を出した結果だよ」

 

画面にはセイの笑顔が映る。

 

「そしてこれが制圧の証さ さあ、皆、掲げていいよ~」

 

セイはそう言った後、上空から町全体の映像を映した。

それにはたくさんの喰種が奇妙なオブジェを掲げていた。

”皮剥ぎ”の作った”ゴミ”達であった。

 

「人間で作ったオブジェだよ いやぁ絶景だね これが僕らの街の景色なのさ そして人間のみんな、あのオブジェたちがみんなの未来の姿だよ」

 

セイは続ける。

 

「僕はここ東京を拠点にしていずれは日本を喰種の国にしようと思ってるんだ 喰種の皆は国民として迎え入れるよ でも人間のみんな、君たちはダメだ 僕は君たちを皆殺しにしていこうと思う

ただ一つだけ提案がある 僕は国の中に”人間牧場”を作ろうと思ってるんだ だから君たち人間がもし、僕たちに飼われる、つまり家畜になるってことなら生かしてあげようじゃないか どう?優しいでしょ?」

 

セイは続ける。

 

「それじゃあ最後に、僕の友達が国の発展を願ってある”作品”を創ってくれたんだ それをみんなに見せて今日の動画は終わりにするよ」

 

セイはそう言うと移動して、映像はとある地点を映した。そこは何の変哲もない、ただのコンクリートの広がる地面であった。

 

「ちょっと見ててね」

 

カメラはどこか高い位置に置かれたようで、映像はその場所を見下ろす形で固定された。

セイはその中央に降り立つと、カメラに向かってピースをした。

そうしてまずは自らの尾赫を地面の中央に突き刺した。

そして右手に甲赫の槍を纏うと、大きな円を描くように地面を削り始めた。

削る線が繋がれば、地面はやがて崩壊を始めた。

するとセイは予め突き刺していた尾赫一本で、崩落する円状の地面を支え、くり抜き、一気に画面外へと放り投げた。

そうすると後には、地面に大きな穴が開いた。

そして地下の空間を映し出した。

 

そこには大きな二つの像があった。

”皮剥ぎ”が最期に創った、自らの願いのために作った。

人間で構成された巨像であった。

 

「さあ見てよ、すごいでしょ! これは僕の友達が”僕たちのため”に創ってくれたんだ

一つは国の発展を願って手を合わせてくれてるよ そしてもう一つは、両手を器みたいにして天に向かって差し出してるね 見えるかい?そこに、僕の友達の首が乗っている これはね、これからたくさん死ぬであろう人間たちが、せめて天国に行けるように願って、自らの命を神に差し出して交渉を持ちかけた優しい僕の友達の姿だよ」

 

そんな事実あっただろうか。

 

「ちなみにこの作品の」

 

きっとあったのだろう。

 

「作品名は」

 

 

 

 

 

「『  』だよ」

 

 

 



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