ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
王国宰相ザディアの言葉は、なるほど。たしかに含蓄に富むものだった。
はじめに互いの立場を明確にし、その上で相手の望みが受け入れにくいものであるコトを提示する。
貨幣制度──すなわちは経済。
人間がその生活のなかで必要とする生産、分配、消費のサイクルにおいて、必ず発生する金銭的利益と損失。
金・銀・銅といった、大小それぞれ六種類の貨幣を並べて説明された王国社会の経済的側面は、言われてみれば──否、言われるまでもなく当然、僕には馴染みが薄かった。
最初に前提として整理された、僕自身の
常冬の山から始まり“
僕自身、あの旅の終盤を迎えるまでは、それでいいとさえ思っていたし、
だから、王国宰相であるザディアの目から見て、僕の言葉が世間というものをまるで知らない、あくまでも
なにせ、テーブルに並ぶ六枚の硬貨をこうして目にしても、僕にはそれが異国の──遠い世界の物にしか見えていない。
さらに言えば、博物館や美術館に展示されている大昔の骨董品だ。
実際に使ってみたことが無いというもの大きい。
日本円のように分かりやすく数字が刻まれているワケでもないし、この世界の物価だってイマイチ分かっちゃいないから、『金』というより『宝』といった感覚が先に来てしまう。
先ほど、ザディアは串焼き肉などの相場を踏まえ、具体的な例を交えて説明してくれていたが、恐らくそれが無ければ、話についていくコトさえ難しかっただろう。
ヴェリタスやフェリシア、リュディガーから事前に教えられていても、単なる知識と体験を通じて得られる実感は違う。
贅を尽くして、豪奢を極めた貴族生活。
壁や床、天井などは元より、足で踏みしめる絨毯、たかが水差しでさえ職人による技が光り。
出された料理には、森で食らう粗末な干し肉などとは比べ物にならない
まさに、金の持つ
──けれど。
「
「ほう?」
「たしかに、僕の言葉が実質的に王国領の割譲を求めるものに聞こえてしまった部分があるのは否めませんが、僕が望んでいるのは、精々が七百人規模の集団が安全に過ごせる『場所』であって、領土と呼べるほどの『土地』は最初から求めていない」
どうも誤解があるようですね、と僕は肩を竦めて椅子に深く身を預ける。
領土だ領地だのの話は前提からして大きく間違っているのだと。
七百人規模の集団が居住可能なスペースという言葉には、そっくりそのままの意味しか含まれない。
王国領土の割譲を求めるのかという問いには、ハッキリ
当たり前だが、そんな要求をして呆気なく望みが通ってしまうようであれば、僕はそもそも“壮麗大地”に行っていない。
(紆余曲折を経て、『人魔共存』っていう言葉にすれば実に無理難題な夢を手に入れた僕だけど、リンデンを発つ前も発った後も、根本の部分で『平和』を望んでることに違いはなくて、そうだから──
平和を謳うにしろ、共存を謳うにしろ、当の本人が血みどろの道を歩いていたら、誰が信じられる?
だからこそ、物事がこうまで難化し、潜り抜けなければならない試練が多数浮上しているワケだ。
で、ある以上……叶えられそうな望みかどうかは事前に考え、もちろん事前に決めてきている。
だというのに、このうえ、自分からさらに物事を面倒になどしたりしない。小金貨なんか稼いでいられる時間はないのだ。
ザディアは一口、唇をワインで湿らせると面白がるようにグラスを傾けた。
「……ふむ。君の話では最低でも大魔が三体。
七百人という領民としては明らかに少なすぎる数でも、同じ生活圏内に大魔を複数体抱えるならば、むしろ領地一つでさえ不足を危惧するには十分。
ザディアの判断は、その前提で語るのであれば何も間違ってなどいない。
事実、僕自身もベアトリクスとフェリシア、ディーナが仲良く顔を突き合わせ、キャッキャウフフと睦まじくしている様子などは見た事がないし、恐らく、僕の知らないところでは何度か
凍える死。
生命の樹海。
紅い湖沼。
相性だけなら、フェリシアはベアトリクス寄りで、ベアトリクスもどこかフェリシアには甘い気もするが、羽化転生を果たしてからのフェリシアは、隙あらば僕を独占しようとタガが外れているようで、結論、みんなしていつもバチバチだ。
そも、大魔の本能が、異なる種族を許容しないというのもあるだろう。
──しかし。
「大魔である彼女たちを、無理に人の世の枠組みに収めようとは、僕は思わない。
というか、そんなコトをしようとしても、いつか絶対に破綻してしまう。
彼女たちに窮屈な思いをさせるつもりもないし、もちろん、人間に負荷を強いる在り方も望みません」
「……ならば、何として解決策を導くのかね?
領地ひとつを贅沢に使い、そのほとんどを大魔に割り当て、力なき人間は小さく縮こまって生活する。
それ以外に、君の望みを叶える道があるとは到底思えんが──それとも」
所詮は人間の見方でしか世を測れない私と違い、人魔どちらもの視点を持ち合わせる君には、何か別の未来が見えているのかな?
ザディアはテーブルに身を乗り出し、いかにも興味深いといった顔で僕を見据えた。単なる好奇心ではない。
その眼光に備わった迫力は、まさしく王国宰相の肩書きに相応しいものだった。
数多の人間を知り、数多の人間を見てきた彼だからこそ、今ここで僕という
答えを誤れば交渉は難航し、ザディアはきっと、二度と僕の前には現れない。
だいたい、王国宰相なんて立場にある重要人物が、いかに息子の最期を知りたいからと言って、その後の交渉役まで引き受けてやる必要性はどこにもないのだ。
(いまこの場でしている会話は、ザディアからの感謝が前提になってる)
ゼノギアの最期を語り、その形見を持ち帰ってくれたコトへの礼。
そして、恐らくは息子が生命を懸けて守ったであろう僕への……『期待』といった感情。
──どうか、我が子が生命を賭したに値する存在であってくれ──
失望させれば、ザディアは僕を苦い感情とともに遠ざける可能性が高い。
ならば、
「
「……」
「かつて、宰相閣下の御子息はドウエルという呼び名の村に、神父として派遣されていたそうですね」
「……ヤツから聞いたのかね?」
「はい。そこは人間が住むにはひどく不便を強いられる山間の村で、
「そうだ。彼の村は、それゆえに滅び去り、ヤツが己に苦罰を課すようになったのも、それからになる──最期はどうやら、やっと自分を許してやることができたみたいで、そこは安心したが……結局、神へ奪われてしまったな」
ザディアはそこで、僅かに宰相としての顔から父親としての顔を映した。
一瞬だが堪えるように閉じられた視界が、彼にとってのやり切れない想いそのものなのだろう。
神へ奪われる。
ザディアにとっては、ゼノギアの聖職者としての生き様は、本来自分の手元にあるはずだった息子を、見ず知らずの他人に突如として奪われた感覚に等しかったのかもしれない。
しかし、それでも息子を強制的に呼び戻すコトはせず(宰相の強権を以ってすれば容易かったはずだ)、自由にさせたのは……息子の願いを尊重したからだろうか。
小人症のザディアが、その子ども時代にどんな時間を過ごしたかは分からないが、僕の想像通りであれば、やはりロクなものではなかったはず。
せめて我が子にはと、親が子の幸福を願うのは当たり前の感情である。
(チェンジリングである僕にここまでしてくれるのも、だからなのかな……)
とはいえ、
「ゼノギアさんからドウエル村のことを聞いた時、彼は僕に、ドウエル村を「最北端である常冬の山とまではいきませんが」と枕詞をつけ、自分の派遣された村が如何に寂れた場所だったかを丁寧に教えてくれました」
周囲を小高いながらも切り立った崖が乱立する
秋と冬は寒さと雪崩の恐怖に苦しめられ、春や夏は次の冬を越すための準備で日が暮れる。
山間といっても、ほとんど岩と石でできた灰色の山。
木々は少なく、痩せた土地ゆえに獲物はさらに少なくて、必然、村人たちの間では常日頃から剣呑な小競り合いが絶えなかった。
「しかも、村人の大半が頼みの綱としていたのは、半年に一度来る行商人で、行商人をたらしこもうと目論む者がいれば、それはもう物騒な話が立ち上がったそうです」
「知っている。その話なら、私もヤツの手紙で何度か読んだ覚えがある……が、それがいったい何だというのだね?」
「……僕が言いたいのは、ドウエル村には半年に一度とはいえ、行商があったという
先ほど、宰相閣下は僕の生まれ故郷である常冬の山
「──なるほど」
黒小人などというバケモノの群れに囲まれ、一生を閉じこもる選択をした人間たち。
ドウエル村の住人は、世を捨てたと言われても何らおかしくない者たちだったはずだが、しかし、彼らには少なくとも行商人──外の世界との繋がりを示す第三者が存在し、同時にそれは、
「ゼノギアさんという当時若手の神父だった彼を派遣可能な程度には、王国の手が届く場所だったコトを表した。
……そこから導き出せるのは、あるひとつの
「フッ、言ってみたまえ」
ザディアは軽く息を零すと、そのまま続きを促した。
どこか、生徒の答えを見守る教師のような目線だった。
ともあれ、僕はヴェリタスから聞いていた話を、改めて目の前に並べる。
事実は極めて簡単だ。
「──
「……素晴らしい。正確には、辺境の統治を任された領主たちの支配が甘いため、と付け加えると尚良いが、……まあ、その辺りはいささか詭弁だな。国のメンツを保つ以上の意味は無い。
実態としては、君の言うようにあちこちで統治の危うい場所があるとも」
ザディアはクックッと笑い、乗り出していた体を元に戻した。
その目元は柔らかに歪み、すでにここから先の僕の論調を察している様子でもある。
人が人の住む世界を築いて、どうにか境界線を維持して暮らしているこの世界。人でないものに脅かされれば国とて容易に揺らいでしまう。
辺境とは人界において、人外領域と隣り合う最果ての地だ。
ドウエル村のような村落が他にないと、どうして言いきれようか?
僕の言葉を敢えて制する気もないのか、ザディアは背後に控える老執事へグラスを差し出すと、空になっていたワインを波々と再び注がせ、そのままグイッと呷るように飲み始めた。
「続けたまえ」
「はい。つまるところ──僕の望みはシンプルです。
ドウエル村のような統治が危うくなっている村ないし集落。
あるいは、領内ではあるものの、やむにやまれぬ事情から、すでに手が出せなくなっている廃村でも構いません。
その中から、七百人程度の移住が可能である場所があれば、そこに住む権利を認めて欲しいんです」
「大魔はどうするのかね?」
ザディアは分かっている顔で聞いてきた。
「辺境であれば、一歩でも国領の外に出ればそこは即座に人外領域。
国の外でいくら大魔が居座ろうと、そこは国外なんですから王国には何も影響はありません」
「ふむふむ。やや詭弁な気もするが、無闇に檻を用意するよりかは、遥かにマシな考え方だな。
廃村であれば、元の住民もいないワケだし愚かな衝突が生まれる懸念も無い。
ただ、いくつか気になるのは、君のチェンジリングとしての特性……辺境となれば、やはりかなり引き寄せるのではないかね?」
「それも、すでにある程度は解決済みです。
この首飾りと、仲間の結界術。最悪の場合は、全員で叩き潰せば問題にはなり得ません」
「──大魔三体に適う存在も、早々いないというワケだな。
こうして聞くと、実に恐ろしいよ。
だが、その大魔どもが君の言うことをどれだけ聞くものなのか……不安視する声は出るにしても、直接確認しようとする者は絶対に現れないというのが、また面白い」
王都に巣食う教会連中など、顔を真っ赤にして騒ぐのが目に浮かぶ。
ザディアはニヤリと底意地の悪い顔で微笑んだ。
そして、急にピョンと椅子から立ち上がる──飛び降りる? ──と、突然目の前の相手がテーブルに隠れてしまって驚く僕に、安心させるように言った。
「よかろう。君は思っていたよりかなり見込みがありそうだ。そうだな、明日明後日にでも望みの品は手配しておこう」
「な──ほ、本当ですか!?」
「ああ。奇しくも、私が思い描いていたベストなゴールに君はきちんと辿り着いてみせた。
そうである以上、お互いにとってこれは益のある話し合いで……さっきも話してみせただろう?
我が国の領土問題は、ここ三十年あまり常に憂慮の種で、それに少しでもマシな光を差し込めるなら、何であれ歓迎して然るべき展開なのだよ」
では、改めて──礼を言う。
「群青の魔法使い、ラズワルド。
王国は君へ過日の非礼・卑劣をここに詫び、君や君の率いる人間すべてを王国民であると認めるものとする。
グラディウス老が孫でもできたみたいに自慢げだったが、なるほど納得した。
君さえ良ければ、今度はヤツの……ゼノギアの墓前で話でもしよう。連れの者たちも、そうだな。連れてきてくれると助かる。その方が、きっとヤツも喜ぶだろうからな」
ゼノギアの父は、そうやって最後に少しだけ寂しげに笑うと、「ではな! 子どもはさっさと寝ろ!」と身を翻しトテトテ部屋を去って行った。
「…………え、交渉、成功?」
「はい。おめでとうございます」
思わず呆然となる僕に、老執事が微笑ましいものでも見る様子で祝辞を述べる。
どうやら、話すべきことは互いに話し終えたというコトらしい。
気づけば夜も深く、ザディアなりに子どもである僕を気遣っての切り上げ方なのかもしれなかった。
(にしても、ちょっと急すぎる感じだったけど)
困惑したのは僕だけではないのか、黙々と話を見守っていたルカさんや、ネイトたちもが戸惑いの気配を醸していた。
……とはいえ、
(王国宰相からの確約──!)
リンデンに舞い戻った最大の目的がこれで叶う。
その事実に、僕の胸中は飛び跳ねんばかりの喜びで爆発しそうだった。
「──よしッ」
──その瞬間。
“
「ゥ、うゴぁァッ、ぐぼォああアアアアッ!!?」
ズルリッッ!!
と、老執事の腹から突如として肉を喰い破り、
飛び上がり、ブチ撒けられ、瞬く間に血と臓物の匂いが部屋中を汚染する。
怪物だと分かったのは、そのあまりの衝撃ゆえ。
老執事の臓物片と大量の血を被り、そいつは不可視ながら確かな輪郭を帯びていた。
リンデンに戻って来た際、逃げ惑うシルバーを襲っていた正体不明の怪物──間違いない。
それと同じモノが、今ここに目の前で顕現したのだ。
「御子様ッ!」
「ヒッ、ひぃやアアアアッ!!??」
ネイトの掛け声。
ルカさんの絶叫。
しかし、それらはどこか遠くのものに聞こえた。
(……)
頬にへばりついた肉片を袖で吹き落とし、僕はカチリと脳髄の奥、撃鉄の鳴った音を聞く。
命の危機に慣れ切った脊髄。
刹那に反転する赤と青。
この一年と半年、鍛えに鍛え抜かれた条件反射の思考切り替え。
それにより、視線は冷静に敵を捉えて状況を検分するが、だからこそ余計──台無しにされた喜びが戻ってくるコトはない。
「──“
刻印、限定励起。
僕は羚羊の黒杖に刻まれた二種の呪文の内、片方のみを一切の呵責なく解放した。