氷のように冷たい美少女、藤森花音(ふじもり かのん)は幼馴染だ。マンションの隣人である彼女との仲は冷え切り碌に会話すらない毎日だが、ある日見た過去の夢で幼い彼女と仲良くなると、現実でも徐々に変化が起きてきて……?

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『夢オチなんてサイテ―!!』

 

夢から醒めた。

 

 

 

ぼやけた視界と引き摺る眠気に襲われて、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなったが、見渡せばなんてことはない、いつも通りの学校の風景。

 

教師が黒板に板書し、整然と並んだ机に向かった生徒達が書かれた文字を必死に書き写すだけの見慣れた筈のそんな光景だ。

 

 

 

前に立つ教師が話す声と何かを書く音のみが教室を支配するこの空間は、いっそベッドの上よりも眠りを誘うのだ。

 

慌てて教壇の上にある時計へと目をやれば、時刻は『13:20』。授業が始まってから結構な時間が経っている。

 

しまったな、なんて思って自分もノートへの書き込みをしようとペンを持ち、ふと無意識の内に遠くに座る少女へと視線をやった。

 

 

 

彼女、藤森花音は冷たい印象を与える少女だ。

 

怜悧で、鋭利で、人を拒絶する、きっと同性でだって彼女と仲の良い人はいないだろう。

 

優秀で、なんでも完璧でおまけに息を飲むほど美しい、常に独りぼっちでいるのに誰からも一目置かれている孤高の超人。それが彼女、藤森花音だ。

 

まるで生来孤高であるよう定められて生まれてきたかのような彼女ではあるが、何の因果か何の特徴もない自分が彼女の小さい頃から関わりのある、いわゆる幼馴染と呼ばれる存在だった。

 

 

 

同じマンションの隣人。

 

親同士特別仲が良い訳ではないが、同年代の子供がいれば自然と交流が増えるもので、ほんの少し人よりも彼女のことについては知っていることが多い。

 

 

 

「小さい頃のあいつはもう少し笑う奴だった筈なのに」、なんて。

 

今考えるようなことではないことが頭を過り、考えを振り払うように前を向いた。

 

昔こそ仲良くしていたがそれもほんの短い期間だ。

 

小学校に上がってからは徐々に疎遠になり、中学校の頃は一言も話していない。

 

高校の今も同じクラスにこそなってはいるが、別にお互い意識したわけでもないし、本当にたまたま同じ学校に入り、クラスも被ったと言うだけの話。

 

 

 

幼馴染なんて言葉だけは立派な関係。

 

その実は腐れ縁ですらない。ただの赤の他人の関係。

 

ここしばらく彼女の目すら見たことない。

 

 

 

とはいえ少しだけ後悔はある。

 

あれだけ美人になるのなら少しくらい仲良くなっていたら、なんてそんなことを思う程度の後悔だが。

 

 

 

 

 

(まずい、集中しないと……)

 

 

 

 

 

いろいろ言ったところで、今の自分と彼女の関係はほぼ無いようなものだ。

 

声を掛けたところで、今更昔のように仲良く話せるわけでもないし向こうも迷惑だろう。

 

思考を切り替えて、今やるべきことをやろうとペンを走らせようとして、黒板の文字がぼやけて見えないことに気が付いた。

 

 

 

 

 

(……あれ?)

 

 

 

 

 

あくびが出る。

 

頭に靄がかかったように思考に遅れが出始める。

 

自分がまた眠気に襲われていると気が付いたときには、重くなり始めた瞼が視界の半分を覆い隠しており、今の自分には抗う術すら残されていなかった。

 

 

 

 

 

(ね……む……)

 

 

 

 

 

何を話しているか分からない教師の声と机に向かう生徒達の文字を書く音。

 

 

 

閉ざされていく視界の中で最後に、幼馴染の冷たい目がこちらを見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どこだここ」

 

 

 

 

 

眠りについた。

 

眠りについたはずだった。

 

 

 

教室の中で睡魔に負けて意識を飛ばした直後、瞼を開いた先にあったのは公園だった。

 

直前まで砂遊びをしていただろう泥だらけの手と、砂場で両膝を突いている自分の状況を理解できず、しばらく硬直していれば、すぐ近くのベンチに母親が座っていることに気が付いた。

 

 

 

だが、それはいつも家で見ている母親ではない。

 

随分と若い、それこそ今の母親の時間を10年くらい巻き戻せばこんな風になるのだろうか。

 

立ち上がろうとして、バランスを崩し砂場に転がった自分の体の重さと丸さに驚いた。

 

どう見ても幼児の体、どこを見ても巨大なものばかり。

 

 

 

 

 

(――――た、タイムスリップ!? いや、直前に寝たのは分かったから、これ明晰夢か!?)

 

 

 

 

 

「にしたって、せっかくの明晰夢で幼児に戻るなんてどうなってるんだ」なんて考えたところで、眠りに落ちる直前に藤森花音の事を考えていたことを思い出す。

 

あれが眠りに影響したとは思いたくないが、それ以外に思い当たる節が無い。

 

 

 

 

 

(……となれば、あれか。近くにあの機械みたいな幼馴染がいる訳で……)

 

 

 

 

 

「あ……」

 

 

 

 

 

公園の入り口に高校時代の藤森花音をそのまま小さくしたような幼児が見えた。

 

目的は俺が今遊んでいる砂場だったのか、俺へと戸惑うような視線を向けて立ち止まっている。

 

この頃からあまり表情のレパートリーは無いのか、もごもごと口をすぼめてどうしようかと迷っているようだった。

 

 

 

今がいつなのかは分からないが、その様子を見れば俺と彼女が顔見知りでないことは見て取れる。

 

だが、そうなるとこの光景は少しおかしいことになる。

 

と言うのも、俺と藤森花音が初めて顔を合わせたのは間違ってもこんな公園の中ではなく、親同士の紹介で知り合った訳で、初対面である俺達がこの場所で出くわすのはおかしいからだ。

 

 

 

 

 

(とは言え、これ単なる夢だからなぁ。矛盾することくらい普通か……)

 

 

 

 

 

記憶と夢が違っても、何も取り上げるほどおかしなことではない。

 

明晰夢なんて状況が珍しいのだ、こんなことだってあるだろう。

 

 

 

まあしかし、あの機械の様な幼馴染もこの頃は流石に普通の幼児だ。

 

冷たく「邪魔……」と言うこともなければ、極寒の様な睥睨に曝される訳でもない。

 

安心安全な、人見知りを発動させているだけの幼児がそこにはいる。

 

 

 

 

 

「あぅ……」

 

 

 

 

 

見知らぬ子どもが目的地にいて、どうしようかと散々迷った挙句、ちっこい幼馴染は諦めたように俯いて来た道に戻ろうとする。

 

 

 

いや、いやいやいや。

 

流石に相手が苦手意識を持つあの藤森花音だとしても、高校生の俺が遊び場を占領して、幼児を追い払うとか笑い話にもならない。

 

慌てて立ち上がり、ポテポテと帰路に着いている幼児の背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

「あ、あのさっ!」

 

「ひぃ!?」

 

 

 

 

 

化け物に出くわしたかのような驚き方をされる。

 

高校生のお前の方が化け物だよとは流石に言わない。

 

 

 

 

 

「一緒に砂場で遊ぼうぜ! 1人でも暇なんだよ!」

 

「え、えっと……?」

 

 

 

 

 

困ったように眉を下げるものの、誘われた嬉しさはあるのか口元は緩んでいる。

 

マゴマゴと悩み始めた彼女の手を取って砂場まで連れていく。

 

突然の息子の行動に立ち上がって様子を見ていた若かりし頃の我が母は、俺が同い年くらいの幼児を連れて来たのを見て、ほんわりとした笑顔を浮かべた。

 

 

 

……本当に妙な夢だ。

 

まるでこの頃の実際の2人を相手しているかのよう。

 

砂の感触も、母親の優しい視線も、幼馴染の温かい手も、全部が真に迫りすぎている。

 

 

 

 

 

「ほら俺が作ったビッグマウンテンだ、デカいだろ!」

 

「わぁぁぁ……! すごいねぇ!!」

 

「トンネルを開通させるぞ! 俺こっち側から開けるからお前は反対側からな!」

 

「うん! あのね、わたし、こういうのすきなの!」

 

 

 

 

 

それから、夢の中で俺は日が沈むまで延々と幼馴染と遊びまわった。

 

小さな頃の遊びなんて夢の中でやろうとつまらないんじゃないかと思っていたが、案外そんなことはない。

 

好きと言うだけあって、ちびっ子藤森花音もかなり場数を踏んでいて、素晴らしい腕前を見せてくれた。

 

 

 

お互い自己紹介もしていないのに終わるころにはまた遊ぼうと言い合うくらいに仲良くなって、ちびっ子藤森花音からも人見知りを発動しないまでに好かれることが出来たように思う。

 

 

 

こうやって本気で遊び合ったのなんて、現実の方では一度もしたことがなかった。

 

それなりに仲良かったとはいっても、所詮は親同士が会う時に遊んだ程度の関係だ。

 

お互いが遊ぼうと積極的に動いたわけではない。

 

その程度の関係だったから、小学生になって、彼女の家の事情が悪くなれば疎遠になるのも当然だった。

 

 

 

 

 

「あのね、わたし、たのしかった! えへへ、またあそぼうね!」

 

「おう! またねー!」

 

 

 

 

 

手を振り合って、お別れをする。

 

夕暮れの中去っていく彼女の背中を見届けて、ぼんやりと夢の終わりを悟る。

 

 

 

もしも彼女との出会い方がこんな風であれば、現実の自分と彼女の関係も変わったのだろうか?

 

もしもこんな風に彼女と遊べていたら、もう少しだけ彼女と仲良くなれただろうか?

 

 

 

そんなことを思ってしまうくらいに、彼女の笑顔は今の俺にはまぶしかったのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いてっ……!?」

 

 

 

 

 

コツンと、鋭い痛みが腕を襲う。

 

バッと、勢いよく顔を上げれば、俺の奇行に眉を立てた教師の苛立ち混じりの叱責が飛んだ。

 

ひたすら謝罪を口にして席に着けば、そこは先ほどの眠りにつく前と同じ、授業中の教室だ。

 

 

 

思わず時計を見るが、先ほどの夢はほんの短時間だったのかそれほど分針も進んでいない。

 

 

 

 

 

(夢……子供の頃の夢か……。あの藤森がニコニコ笑っているとか今じゃ考えられないけど……悪くない。うん、悪くない夢だったな……)

 

 

 

 

 

ほんの短い時間の夢だったのに強い寂寥感に駆られる。

 

 

 

まるであの機械の様な藤森も、小さな頃はこうあってほしいと言う願望を詰め込んだかのような夢だった。

 

あの人見知りを起こす幼馴染と良い関係を築けなかった今の自分の後悔がありありと浮かんだ夢だった。

 

もうあの花が咲くような笑顔は見れないのかと寂しくなって、ふと藤森の席へと目をやる。

 

 

 

が、その席に座っているのは藤森ではなく、真面目一貫のクラス委員長だ。

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 

思わず声が出た。

 

ギロリと教師に睨まれたのを感じた俺は慌てて口を噤むが、視線は藤森がいた筈の場所を見続けている。

 

何度見ても、何度抓ろうが、藤森がいた筈の場所は変わらず、そこには不機嫌そうな顔の委員長が座っている。

 

クラス委員長は前からいた、だからこのクラスにいるのはおかしくない。

 

 

 

なら――――藤森花音は何処に行った?

 

 

 

 

 

「……ちょっと、こっちみなさいよ」

 

「いてっ……!? な、なんだ……!?」

 

 

 

 

 

先ほどと同じ刺すような痛みに、隣を見ればあの幼児と同一人物とは思えないほど無機質な顔をした女がいる。

 

現実では高校でなんて一度も話したことのない、藤森花音がシャーペンの芯を伸ばしてこっちを見ていた。

 

 

 

なんで藤森が隣に、なんて思ったのもつかの間、そういえば前回の席替えの時に教卓の近くとなった藤森が視力が低くて分厚い眼鏡を掛けている委員長に声を掛けて、席を変えてもらっていたことを思い出す。

 

 

 

……そう、思い出したのだ。眠る前までは藤森の席はこの場所ではなかったと言う記憶と共に、そんな記憶をどこからともなく思い出した。

 

 

 

 

 

「……お、おはよう?」

 

「おはようじゃないわよ。あんたが寝てると悲しむのはあんたのお母さんなんだから、しっかり授業くらい受けなさい」

 

「あ、ああ、すまん。起こしてくれたの藤森か、ありがとな」

 

「ふん、あんたのためじゃないから勘違いしないでよ」

 

 

 

 

 

とりあえず、頭の中で発生している情報の混乱をどうにかしようとお礼だけ言って前を向く。

 

 

 

整理する。

 

俺が先ほどの眠りにつく前までは確かに藤森と俺の関係性はぺらっぺらに薄かった。

 

それこそ高校では絶対に話なんてしないレベルでだ。

 

だが、今はどうだろう。話し掛けないどころか、寝てしまっていた俺を起こすためにあの機械女がわざわざ行動に移したらしい。

 

しかも、ツンケンとしていたとはいえ、俺の為を思った言葉も言っていた。

 

 

 

昔の記憶ではありえない関係性、だが、今思い出した記憶ではそういうこともあるだろうと思える関係性。

 

だめだ、訳が分からなくなってきた。

 

 

 

今思い出した記憶では彼女との仲はほどほどに続き、ちょくちょく食事も一緒にするくらいの仲である。

 

 

 

 

 

(これも夢か、それとも昔の記憶が丸ごと夢だったのか……? 訳が分かんねぇ……)

 

 

 

 

 

妙な状況だが、それでもこれ以上教師に睨まれたくないし、チラチラとこちらを気にしている藤森が怖すぎてこれ以上不審な行動は取れない。

 

今度こそしっかりと勉強に集中しようと、ペンを取ろうとして、また視界の端がぼやけたのを感じた。

 

 

 

 

 

(おい、嘘だろっ!? また、眠気が――――)

 

 

 

「ちょ、ちょっと、■■!?」

 

 

 

 

 

ゴチンと、頭を机と衝突させた痛みも感じないまま、また俺は眠りの世界に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたのー。お友達と虫取りの約束してるんじゃないの、ほら早くいかないと遅れちゃうよ?」

 

「……うえええ!!??」

 

 

 

 

 

今度の夢は小学校低学年くらいだろうか。

 

エプロン姿の母親が、部屋で虫取り網と籠を装備して立ち尽くしていた俺に声を掛ける。

 

どうやらこの夢の俺はこれから友達と遊ぶ約束でもしているらしく、外出する直前にあったらしい。

 

先ほどの夢は藤森との初遊び、今回の夢もてっきり藤森関係かと思ったが違うらしい。

 

あいつは虫が苦手なのだ、虫取りなんて絶対にしない。となるとどんな関連性でこの場面を選んだのだろうか。

 

 

 

 

 

「ほら、学校裏で待ち合わせでしょ!? 早く行きなさい!!」

 

「は、はーい!! 行ってきまーす!!」

 

 

 

 

 

家から追い出されるように飛び出して、頭を悩ませる。

 

夢がこの場面を選んだのには何かしらの目的があるのか、それともただ単純な偶然か。

 

記憶の混濁を起こしていた現実の自分がどうなっているのか不安だし、この夢を適当に終わらせて帰るべきだろうかと考える。

 

 

 

 

 

「――――うおぉぉぉぉおおおぉ!!??」

 

 

 

 

 

扉から飛び出した勢いが強すぎて、危うくマンションから落ちるところだった。

 

俺や藤森が住んでいるのは4階だから、落ちてしまえば命に関わることは明白だ。

 

いくら夢とは言っても死ぬ体験は嫌だし、そもそも現実に影響を及ぼす可能性があるこの夢の中で死んだら現実でも死にましたとなる可能性だって考えられる。

 

 

 

 

 

(き、気を付けないと……)

 

 

 

 

 

別に高所恐怖症ではない筈なのだが、そんなことを考えたからか遠くにある地上を見て血の気が引いて手が震えるのが分かる。

 

全力でビビりながら後ずさり、壁沿いギリギリを進みながら階段まで進んだ。

 

とりあえず学校方向へ向かおうとマンションから出て、そのまま走り出そうとしたのだが、マンションの近くの草原近くに見知った少女の姿を捉えた。

 

 

 

 

 

「……なにやってんだあいつ」

 

 

 

 

 

雑草が生い茂る場所をかき分けて何かを探している様子の幼い藤森がそこにいる。

 

前回の夢の主軸ともいえる彼女の登場に、やっぱり今回もこいつが関係するのかと一安心するが、この状況はよくわからない。

 

あいつは別に外遊びが好きな訳ではない。

 

こんな時間に草木をかき分けるような趣味はあいつにはない筈だ。

 

 

 

 

 

「おーい、藤森。なにやってんだー?」

 

「ひぇぇっ!? あ……ああ、ううん、なんでもないよ」

 

 

 

 

 

声を掛けてみたが良い反応は返ってこない。

 

なんだか余所余所しいし、この夢での俺と藤森はそんなに仲の良い関係ではなく現実の冷めた関係の方に近いのかもしれない。

 

まあ、さっきよりは年が現実に近付いているわけだから分からなくもないが、夢の癖に妙な整合性をつけてくるものだ。

 

 

 

 

 

「なんでもないことないだろ、ほら、草で手を切ってるじゃんか。ばい菌入って腫れちゃうぞ!」

 

「あううぅ……」

 

「どうせなんか落としたんだろ? 藤森はおっちょこちょいだからなー。仕方ないから俺も探してやるよ。どんなの落としたんだー?」

 

「……か、かみかざり。青いはながらの、おかあさんにもらったの」

 

「んー? あ、藤森がよく付けてるやつか!」

 

 

 

 

 

そういえば小学1年生あたりの頃はよく花柄の髪留めを付けてきていた覚えがある。

 

何時ごろからか一切付けてこなくなった髪留めだが確かこの頃は好んでよく付けていた、我ながらよく覚えているものだ。

 

子供っぽいものではあったから、着けなくなるのは自然だと思って特に気にも留めなかったが、まだ付けたいと思うなら探すのくらい手伝ってやるかと袖まくりをする。

 

 

 

 

 

「……ほんとにさがしてくれるの?」

 

「当然だろ! お前1人に探させたら何時までかかるか分かんないし、1人よりも2人の方が早い! いくぞー!」

 

 

 

 

 

土で汚れた顔に、目じりに大きな涙を溜めている少女を放置なんてできない。

 

いくら成長した姿がアレになるとはいえ、この頃のこいつに罪はない。

 

多分同年代だったらここまで世話を焼こうと思わないかもしれないけれど、まあ、夢の中でくらい恩は売っておきたい。

 

 

 

 

 

(……あ、それにこの行動でまた現実が何か変わる可能性もあるのか)

 

 

 

 

 

ガサガサと勢いよく草木を掻き分け始めた段階になってそんな事実に気が付き、より一層あの髪留めを見つけようと力を注ぐ。

 

正直こんな草木の中から子供用の髪留めなんて見つかるとは思えないが、まあ、ここは俺の夢だ。

 

多少のご都合主義はあってしかるべきだろう。

 

 

 

そんな俺の楽観的な思考から始めた藤森の髪留め捜索は、結果としてとてつもなく難航した。

 

10分が経ち、30分が経ち、1時間と過ぎていくにつれて、じわじわ俺の心は折れ始め、藤森の目尻には涙が溜っていく。

 

あっと言う間に日が暮れ始め、肌寒さすら感じ始めたころに俯いた藤森がぼそぼそと話し掛けて来た。

 

 

 

 

 

「……もういいよ。ありがとう……わたしが、ちゃんとしっかりもっておかなかったからわるいんだもん……もう、じゅうぶんだから」

 

 

 

 

 

ぐしぐしと泣いている子供を見るのはどうにも気分が悪い。

 

整った顔をくしゃくしゃにして、お気に入りの服を泥だらけにしている藤森の姿はあまりに視ていられない。

 

 

 

 

 

「まあ待てって、もう少しで見つかる気がするし、藤森だって諦めたくないだろ?」

 

「でも……くらくなってきて、じめんもみえなくなってくるし……どうせ、こどもっぽいし」

 

「子供っぽいって……俺ら十分子供じゃん」

 

「でもっ、みよちゃんがっ、そんなの付けてるのって、わたしからとってなげたんだもん!!」

 

「あー……うーん、なるほどなぁ」

 

 

 

 

 

小さくても女の世界は怖い。

 

こんな年齢で子供っぽいとかない気がするのだが、この年齢の女子達にとってあの花柄は駄目らしい。

 

俺がこの年齢の時なんて爆笑しながら木の枝で犬の糞を突いていた気がするのだが……。

 

 

 

 

 

「あー……あのさ、別に子供っぽくていいと思うんだよ俺。あれ藤森に似合ってるし、藤森の為を思ってお母さんが買ったものだったらなおさらだと思うし、何よりも藤森がまだ着けていたいって思うんだろ? じゃあ、それでいいじゃんって、俺は思う」

 

 

 

 

 

結局俺が言えるのは主観だけだ。

 

彼女達の関係がどうとか、どういう方向で話を纏めるべきかなんて、この場にいるだけの俺が言うことではないだろう。

 

我ながらあまりにも無責任な言葉ではあったけれど、藤森は何か感じる部分があったのか唇を噛んで俯いてしまう。

 

 

 

 

 

「……グスッ……なんで、そんな……でも、みつからなかったら、いくらわたしがすきでも……」

 

「だから、俺が何とかしてやるって言ってんだろ。こんな狭い範囲での探し物なんて俺の手に掛かればさ、なんとでもなるって」

 

「でもっ……こんなにさがしてみつからないんだからっ……!」

 

 

 

 

 

これは俺の夢だ。

 

ちょっと不思議な明晰夢である。

 

夢の主役は間違いなく俺で、であるならその主役が夢の時間全てを使って探し物をしたのだから絶対に見つかる筈なのだ。

 

 

 

少しだけ目を瞑り、思い出す。

 

彼女が昔付けていた髪留めの形や色やその姿をはっきりと。

 

 

 

 

 

「おかあさんもしんぱいしちゃうから、もうきょうは……」

 

「――――ほら、あったぜ藤森」

 

 

 

 

 

そうすればほら、こんな風に。

 

 

 

宝石でも掲げる様に、地面に落ちていた土に汚れた髪留めを拾い上げる。

 

目を見開いて俺の手の先にある髪留めに言葉が詰まった藤森に近付きながら、俺は髪留めの土を払う。

 

そうして藤森の髪のいつもの位置にその髪留めを付けてみた。

 

先ほど思い出した通りの、子供の頃の藤森の姿がそこにある。

 

 

 

うん、なんだかこれが付いていると、あの現実の機械女藤森花音から表情豊かな少女花音ちゃんに変わるようで安心する。

 

夢でも精神的に圧迫されるのは勘弁してほしいから、せめて夢の中ではこの髪留めを付けたままでいてほしい。

 

 

 

 

 

「やっぱり似合ってる、藤森のお母さんはよく藤森を見てるんだなぁ」

 

「――――」

 

 

 

 

 

夕暮れの赤い光が俺らに降り注いでいる。

 

 

 

時間的にはもうそろそろこの夢も終わりかと考えたところで、そういえば友達との約束をすっぽかしていたことに今更気が付いた。

 

約束の時間からどれだけ過ぎているだろう、しかも理由は俺の勝手な都合によるものだ。

 

……すまん過去の俺、後処理は任せた。

 

 

 

それだけを最後に、俺の意識はまた引き摺られるように浮上する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コツンッ、と側頭部を叩かれた。

 

さっきとは違う、優しく手加減をされた衝撃。

 

ふわふわとする頭を押さえながら周りを見渡せば、またいつもの高校の教室だ。

 

教師の立ち位置を確認して、クラス委員長の場所を確認して、隣にいる藤森花音を確認した。

 

 

 

 

 

「なーにグウグウ寝てんのよ。どうせ昨日も夜更かししたんでしょ?」

 

 

 

 

 

呆れたように、頬肘をついた花音はそんなことを言ってくる。

 

赤の他人に対する態度では絶対にない。

 

ちょっとした知り合いに対するものでもない。

 

明らかな信愛を感じる所作。

 

全く会話のなかった最初とも、それなりに仲良くしていた前回とも違う。

 

親を通じてだけでなく、お互いの連絡先を把握していて、よく連絡を取り合うそんな仲。

 

そんな俺と花音の関係を思い出した。

 

 

 

そしてもう1つ、前回とは変わった個所がある。

 

 

 

 

 

「――――……お前、その髪留め……」

 

「え……い、いきなり何よ」

 

 

 

 

 

夢で一緒になって必死に探したあの髪留めを、目の前の彼女はしていた。

 

前の記憶では小学1年生くらいで付けるのを止めていた筈のそれを、今の彼女はしている。

 

いいや、小さな頃から肌身離さず付けている大切なそれを、彼女が手放すはずがなかった。

 

 

 

 

 

「い、いや、やっぱり花音に似合ってるなあって思ってな」

 

「……そ、そうかな? えへへ……」

 

 

 

 

 

恥ずかしそうに髪を整える花音に唖然とする。

 

以前の現実における彼女ではありえない表情を今の彼女はしている。

 

なんだ、何がどうなっているんだと混乱すると同時に、花音のこの様子を別に不思議に思っていない自分もいる。

 

 

 

 

 

(けどこれで分かった。俺のあの夢はどういう原理か分からないけれど、どうやら今に影響を与える夢らしい……多分だけど)

 

 

 

 

 

でなければ、花音とこれほど仲良くなっている現状を説明できないし、彼女と俺の関係の記憶がここまでごっそり上書きされているのはどう考えてもおかしいのだ。

 

どんな力が急に自分に芽生えたのかは分からないが、これを変えたいと具体的に指示できる訳でもないから扱いにくいものであるのは確かだ。

 

 

 

例えば、中学の水泳の時間に水着が脱げた黒歴史を修正しようとしてもきっと無理だろうし、ハードなエロ本を仕舞い忘れて母親に見つかって家族会議になったことを花音にばれないようにしようとしても不可能だ。

 

考えれば考えただけやらかしている自分の過去が見つかって、顔に熱が溜っていく。

 

よくもまあ、こんなやらかしまくっている俺を花音は見捨てないものだ。

 

 

 

 

 

(……で、これまだ続くのか?)

 

 

 

 

 

これとはもちろん夢の事。

 

現実に干渉する夢を見ることは人生をやり直しているようなもので多くの利点はあるが、同時に多くの危険も孕んでいる。

 

例えば自宅であるマンションから飛び出した時に、4階の高さから落ちそうになった。

 

あの時もし本当に勢い余って落下していたら、今この場にいる自分は死んでいる可能性すらあるのだ。

 

過去を変えられると言うことは、無意識の内に回避していたものに襲われる可能性があると言うこと。

 

仲良くなかった幼馴染と仲良くなれた、結果的に言えばこれはそれだけの話で、ここで終われるならこれ以上を望むべきではないだろう。

 

 

 

……そう思うのだが。

 

 

 

 

 

(別にこの夢、俺が見たいと思って見ている訳じゃないからなぁ……)

 

 

 

 

 

唐突に眠気に襲われ、気が付けば夢の世界にいる。

 

不思議のアリスを書いた人は偉大だと思うが、今日日夢オチの物語なんて流行らないし、夢ばっかり見ている主人公なんて病気か何かを疑うだろう。

 

 

 

不思議な夢を2度見て、変えたいと思っていた幼馴染との関係を変えることが出来た。

 

ならここから変えるのは別に過去じゃなくて、これからの未来だっていいはずだ。

 

過去にこだわる理由は何一つない。

 

そこまで考えたとき、ふともう1つ変えられるとしたらなんてことが頭を過った。

 

 

 

その瞬間、またグラリと強烈な眠気が襲ってくる。

 

 

 

 

 

(ああ、また夢か……)

 

 

 

 

 

閉じかけた瞼に移った花音は急に脱力し始めた俺に目を見開いて手を伸ばしてくる。

 

だが、花音の手が届くよりも先に俺の瞼が閉ざされるのがずっと早い。

 

 

 

最後に視界に入った教壇の上の時計はやっぱり『13:20』を指している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が開けない。

 

目を醒ますことが出来ない。

 

ピッピッ、と等間隔で鳴る機械音が響く中で、多くの管に繋がれたまま寝かされて体の自由はなく指1つさえ動かせない。

 

何の自由もない状態の中で、唯一残っていた聴覚が捉えたのは誰かがすすり泣くような音。

 

 

 

『ごめんなさい』、すすり泣く誰かはそう言った。

 

縋るような声色に含まれた謝罪の言葉に答えることも、誰かの涙を止めることも、今の俺には何も出来やしなかった。

 

 

 

これも夢なのだろうか。

 

そうぼんやりと考えた直後、眠気もなく、急に電源のコンセントを引き抜かれた様に意識が途切れて落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼馴染の、藤森花音の家庭には少し事情がある。

 

基本俺が会ったことがあるのは花音の母親だけで、彼女の父親とは顔も合わせたことが無かった。

 

と言うのも、花音の父親はギャンブル狂いの酒狂い、おまけに度々暴力を振るう男だったそうで。

 

その影響で、花音が小さな頃に両親が離婚し、今の安いマンションに引っ越してきたらしい。

 

 

 

と言っても、俺は別に詳しく彼女達の事情を聞いたわけでもないし、そういうことがあったのかと知った時も深く気にするようなこともなかった。

 

別に今、花音と遊べるだけで良いと思っていたし、花音自身も聞かれたくないようだったから、出来るだけその話をしないようにと無神経な俺なりに注意を払っていた。

 

それほどに、花音に父親の話はタブー中のタブー。

 

 

 

 

 

……要するに、花音の父親は。

 

 

 

小さい頃の花音にとっては暴力を振るってくる怪物であり。

 

小学校の頃の花音にとっては思い出したくもないトラウマであり。

 

 

 

そして、中学の頃の花音にとって父親は――――母親を殺した犯罪者。

 

 

 

 

 

3回目の夢の舞台は何処かと思ったが、辺りを見渡すまでもない。

 

俺の家、俺の部屋の中、前回いた母親の姿もどこにもない。

 

家の中に人の気配はない。

 

どうやら両親とも家を空けているようだった。

 

 

 

 

 

「……さっきの光景って……」

 

 

 

 

 

教室からこの場に来るまでの間に挟んだもう一つの場面。

 

全く身に覚えのない、あの場面は一体何だったのだろう。

 

誰かが泣いていて、目も開けられず、おそらく多くの点滴が体に付けられていた。

 

まるで意識不明の重傷者のようであったあの場面に、これまで遭遇した覚えはちょっとも存在しなかった。

 

 

 

バンッと言う音と共に、男の怒声が聞こえてくる。

 

皿が割れる音と物の落ちる音がする。

 

花音の母親の悲鳴と花音の切羽詰まったような声。

 

そんな物々しさを感じる物音が、隣の家から聞こえてくる。

 

状況も見えない壁越しの物音だが……この光景は、これ以上ないくらい覚えがあった。

 

 

 

 

 

ある日、何らかの方法で花音達親子の居場所を突き止めた元父親が彼女達の家まで乗り込んできて、金銭の要求や花音を奪い取ろうと暴れまわってきた。

 

 

 

当然、過去の俺だってこんな風に隣に住む幼馴染の家から異常な物音が続いていれば、警察に通報くらいする。

 

それから、どういった事情で争っているのか分からない状況でよその家庭に首を突っ込むのは、なんて、手をこまねいていた結果。

 

警察の到着を待たず、刃物を取り出した元父親が凶行に走り――――最後には花音の目の前で母親を殺す。そんな最悪な場面。

 

 

 

 

 

「マジかよ……! 何でいきなりこんなっ……!」

 

 

 

 

 

自分の部屋にいた俺は慌てて電話に飛びついて、すぐに警察へ通報した。

 

 

 

だが、それだけなら過去の俺もやっていたことだ。

 

このまま何もしなければ花音の母親は命を落とし、花音自身も大きなけがを負うことになる。

 

幸い現実の方ではしばらく入院することにこそなるが、花音自身は命に別状無く復帰することが出来るが、目の前で母親を殺された精神的な負担は計り知れない。

 

この事件があったからこそ、未来の藤森花音は表情が希薄になり、機械の様だと言われるようになってしまったのだろう。

 

だから、この場面を変えられるのなら何とかして変えたいと思うのは当然だ。

 

折角ここまで良い方向に未来を変えてこられたのだから、この重要な分岐点をで動かないなんて選択肢はない。

 

 

 

武器になりそうなゴルフクラブを掴み、花音の家の玄関へと向かう。

 

未だに異常な物音は聞こえているが、逆に言えば音がするうちは花音と母親は無事と言うことだ。

 

外に出ると、花音の家からの騒音に様子を窺っていた近所のおばさんが俺に気が付いた。

 

 

 

 

 

「あ、あんた、そんなもん持って中に入るつもりかい? やめときな! 入っていく男を見たけどかなりガタイの良い奴だったよ! 老人や子供がどうにかなる奴じゃないよ、警察に通報はしたから大人しく待っていな!」

 

「でもっ、それじゃあ……!」

 

「いいからっ! 子供が首を突っ込むことじゃないよ!」

 

 

 

 

 

それでは、彼女達は助けられないなんて、未来を知らないおばさんには分かるわけがない。

 

握ったゴルフクラブに力を込めて、考える。

 

 

 

ここで突入したところで、中学生の自分になんて出来ることは限られている。

 

夢だ夢だと言っていたが、現実に影響を及ぼす時点で自分の身に危険があるのも分かっている。

 

もしかしたらここでの選択によっては、簡単に自分の命は失われ、現実の時よりも被害が大きくなるだけの可能性だってある訳だ。

 

だから、どうするべきか。

 

よく考え、選択する。

 

 

 

きっとここは分岐点。

 

そう、分岐点なのだ。

 

 

 

――――今まで選んできた選択と同じ、藤森花音との関係を決める分岐点。

 

 

 

ずきりと、激痛が頭を襲う。

 

現実で改変した後、記憶が流れ込んできた時と似た感覚。

 

だが、まだ何も変えていない筈の夢の中で、この記憶が流れ込んでくることはおかしい筈だ。

 

 

 

ふと浮かぶのは、先ほどあった誰かがすすり泣いていたあの場面。

 

見覚えのない筈のあの場面が、嫌に明瞭に頭の中に蘇った。

 

 

 

 

 

(――――なんだ? 俺、なにを、知っている……?)

 

 

 

 

 

もしも俺が何もしなかったら、藤森花音は独りぼっち。

 

学校では誰とも会話せず、機械の様な女として腫れもの扱いされていた。

 

 

 

もしも俺が彼女と少しだけ関りがあったのなら、藤森花音は少しだけ話し相手がいる。

 

他人よりも少しだけましな関係だが、学校では彼女に唯一残された拠り所。

 

 

 

もしも俺が彼女と深く関わっていたら、藤森花音には仲の良い想い人が出来る。

 

家族を失った彼女にも変わらず接してくれ、母親からの贈り物を見つけてくれた大切な人。

 

 

 

 

 

そして、もしも――――俺が、この場面で彼女と彼女の母親を救ったらどうなるか。

 

その先を俺は知っている。

 

 

 

いいや――――覚えているのだ。

 

 

 

腹部を貫いた灼熱の痛みも、首を万力のように絞められた圧迫感も、記憶としてありありと蘇る。

 

一度は経験したあの感覚を、今までなぜ忘れていたのかと思う程明瞭に思い出す。

 

 

 

 

 

(――――まてよ……まて、つまり、この夢は……この現象は……)

 

 

 

 

 

追体験。

 

細部は違うだろうが、夢と表現するよりも幾分かは適切な気がした。

 

 

 

そもそも現実だと思っていたあの教室もおかしかったのだ。

 

時間は『13:20』から進まないし、花音以外の人物の認識があやふやで、教師やクラス委員長だって、考えてみればどこかテレビの中で見たような人物だった。

 

 

 

それはその筈だ、だって俺は高校なんて行っていない。

 

行けていないのだ。

 

中学の時に出会ったこの出来事で、俺は重傷を負ったはずだから。

 

あの誰かがすすり泣く場面が現実なら、今なお意識が戻らない状態が本当の俺の筈だから。

 

だから、俺が高校にいるのはおかしいし、高校の教師もクラスメイトも覚えているはずがない。

 

 

 

全てが繋がってしまう。

 

最悪な想像が全て、繋がってしまうのだ。

 

 

 

つまり……いくつかの夢を見てきたが、この不思議な夢はきっとこれが最後なのだろう。

 

――――藤森花音の父親に刺され、俺は植物状態になる。

 

それが未来、この場で花音を助けようとして起こる俺の末路だ。

 

 

 

 

 

「はは……なんだそれ……じゃあ俺は、せっかく自分が助かる夢を見ていたのにわざわざまた花音に関わって、自分から死ぬような目に遭いにいったって言うのかよ」

 

 

 

 

 

なんて馬鹿馬鹿しい。

 

現実の自分が高校すらいけない状態であるなら、せめて夢の中でくらい高校生活を楽しめばよかったのだ。

 

そうすればきっと、こうやってまた自分が死ぬような場面に出会うこともなければ、これからやってくると分かっている花音達の悲劇を放置すると言う選択に苦悩することもなかった。

 

 

 

馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿みたいな男だ俺は。

 

 

 

 

 

「…………そうだよ、だから、俺がここで死ぬような目にあう必要なんてどこにもない。こんな、夢でしかないこの場所でいくらあいつが不幸になったって……」

 

 

 

 

 

自分に言い聞かせるようにそう呟いて、自嘲するように笑う。

 

冷たい病室、繋がれた点滴、縋り泣く花音。

 

これから起こるであろうその光景はきっと俺にとってはこれ以上ないくらい不幸な光景で、それを回避する術は簡単だった。

 

 

 

1つ前の未来を選べばいい。

 

ただ警察に通報して、花音の父親が逮捕されるのを待てばいい。

 

そうすれば犠牲になるのは花音の母親だけだ。

 

花音の精神にも少し傷を残すだろうが、高校で関わりのある俺が様々なフォローをする、そうすれば時間が彼女の心の傷をいやして、最後は最初の望みの通り、美人で要領の良い花音と深い関係になるのも難しくはないだろう。

 

現実が冷たい病室にいるのだ、夢でくらいそんな役得あったって誰も責めはしない筈だ。

 

 

 

だから、ここでの俺の最善の行動はきっと助けを呼んで待つことで。

 

無謀な行動では、ない筈で。

 

 

 

 

 

「……そんな賢い選択が出来るならさ、俺はもっとモテモテの生活を送れていただろうよ」

 

 

 

 

 

そう言って――――俺は躊躇なく花音の家の扉を押し開いた。

 

 

 

たかが夢。

 

たかが現実には関係のない馬鹿な男の夢。

 

けれどそんな夢の中ですら、好きになった子の笑った顔しか見たくない。

 

俺はそんな馬鹿な男なんだ。

 

 

 

最初から花音を見捨てるなんて選択は取れる訳もなかった。

 

 

 

 

 

「――――花音から離れろクソジジイ!!!」

 

 

 

 

 

顔を青あざで腫らした花音に馬乗りになっていた男にゴルフクラブで殴り掛かった。

 

凶器を持つ腕を狙った一撃は狂いなく男の凶器を叩き落とす。

 

苦痛に歪んだ男の顔と花音の泣きそうな顔を見て熱くなった頭を冷やす。

 

 

 

 

 

――――何も自己犠牲なんて精神だけで突撃したわけじゃない。

 

 

 

これは俺の夢だ。

 

そして、相手が凶器を持っていることも、俺を迷いなく刺すことも分かっている。

 

先手を取れる、相手の行動も分かる、いくつか有利な部分がある。

 

つまり、現実よりもいい結果を出すことだって可能な筈だ。

 

俺の安全も、花音と花音の母親も無事に助け出して、警察に元父親を突き出すことだって難しくはない筈だ。

 

 

 

 

 

「花音っ、母親を連れて離れてろ!!」

 

「――――なんでっ……」

 

 

 

 

 

何度かゴルフクラブで男を殴っても、所詮は中学生の力なのか、男は血こそ流すものの意識を保っており、俺は反撃の突進で軽く吹っ飛ばされる。

 

それでも落とした刃物だけは取り戻させまいと、男に掴みかかり、押し合った。

 

 

 

警察に連絡してからまだ数分だ。

 

駆け付けてくれるまでにまだ十分は掛かるだろう。

 

だから、時間稼ぎしようなんて甘い考えは通用しないのは理解している。

 

 

 

 

 

「なんでっ……なんで来たの!? 止めてっ、逃げてよっ……! 私のためになんて……!」

 

 

 

 

 

花音の悲鳴のようなそんな言葉に、何も考えないまま俺は叫んだ。

 

 

 

 

 

「俺がっ、お前を、見捨てられる筈ないだろうが……!! 例えここが現実でなくたって、お前の泣き顔だけは見たくないんだよ!!」

 

「っっ……」

 

 

 

 

 

言葉に詰まった花音が何か言う前に、俺はまた男に吹っ飛ばされる。

 

だめだ、夢の中でもしっかり現実に準拠されていて、まったく力では敵わない。

 

床に落ちている刃物に手を伸ばす男を見て、結局夢でも変わらないのかと絶望しかけた時、しゃがみこんでいた花音が男に向けて体当たりをして、刃物を取るのを阻止した。

 

次いで、花音の母親も男に掴みかかり、何とか2人で男を刃物から離していく。

 

 

 

警察が来るまで時間はまだ掛かる。

 

体力や力は向こうが上で、このままだと押し負けるのは目に見えている。

 

だから、俺は決心する。

 

 

 

床に落ちている刃物を拾い、玄関の方へと放り投げる。

 

そうすれば、花音達を簡単に押しのけた男は刃物を取ろうと玄関の方へと駆け出して、玄関近くで拾う体勢に入った男に全力で体当たりを仕掛けた。

 

 

 

そうすれば。

 

 

 

 

 

「あ――――」

 

 

 

 

 

ここはマンションの4階で、玄関から外は胸のあたりの高さの壁はあるものの勢いがあれば人が落ちてしまうくらいには危ない場所だ。

 

中学生とはいえ男の全力の体当たりを喰らった男だけでなく、体当たりを仕掛けた俺が落下するくらい、訳はない。

 

 

 

 

 

「――――お休み、花音」

 

 

 

 

 

目をこれ以上ないくらい見開いて、呆然と落下していく俺を見る花音に小さくそう呟いて、悲鳴を上げる男が万一にでも彼女達の場所に残らないようにしっかりと掴んで力を込める。

 

急激に近づいていく地面を眺めながら、これは植物状態じゃすまないかもしれないと笑って目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピー、と機械音が部屋に響いた。

 

ドラマなどでよく聞く心肺停止の音に似たそれに驚いて、ぱっと目を醒ませばそこは見知らぬ病室で、様々な管が体に繋がれている。

 

 

 

息が荒い。

 

バクバクと心臓が大きく脈動している。

 

地面が急速に近付いてくる光景は、どんな状況であれ恐怖を感じる。

 

自分は今本当に生きているのか、そんな単純な答えすら今は出すことは出来ないだろう。

 

 

 

周りを見る。ここは教室などではない。

 

壁に掛かった時計を見る。時刻は変わらず『13:20』を示している。

 

自分の手を見る。やせ細ってはいるものの、小さな子供のものではない自分の手にホッと胸をなで下した。

 

 

 

どうやら俺は本当にあの不思議な夢から醒めて、現実に戻ってこられたらしかった。

 

 

 

カシャン、と何かが落ちた音がした。

 

見れば、色とりどりの花を床に落とした藤森花音が呆然と立ち尽くしている。

 

夢の中でもずっと想い続けていた、髪留めを付けた彼女が立っている。

 

笑顔ではない、泣き顔でもない、信じられないものを見るような、息が詰まるようなそんな顔。

 

 

 

 

 

「……おはよう、花音」

 

 

 

 

 

もしも自分が過去を変えられたらなんて、都合の良い夢物語だ。

 

 

 

色んな失敗も、やり直したいと思うことも、1つや2つなんかじゃないのは分かっている。

 

それでも人生を変える大きな分岐があったとして、それをやり直したいと思っていても、いざその場に立った時、違う選択を本当に選べるものなのだろうか。

 

 

 

少なくとも俺は自分が無事でいるために、彼女との関係を断つことは出来なかった。

 

これが弱さと言うのなら、そうなのかもしれない。

 

自分の命と他人の命、普段であれば聖人でもない俺にとっては比べるまでもなく前者と答える俺という人物にとって、この選択が合理的ではないなんて分かっているけれど、もしかしたら多くの人にとっては理解されないことかもしれないけれど、でも今はそれでいいと思えている。

 

 

 

俺が見ていた先ほどまでの不思議な夢が、ただの夢であって良いと思えている。

 

 

 

だって。

 

 

 

 

 

「…………おはよう……ずっと……まってたんだからっ」

 

 

 

 

 

ボロボロと涙を流しながら、花が咲くような笑顔を浮かべる彼女の笑顔は夢の中ではずっと見れなかったもので、なによりも俺が望んでいたものだったから。

 

 

 

長い間手に入れられなかったそれを手に入れた。

 

それだけで俺は、満ち足りたのだ。

 

 

 

 

 



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