私はごく普通の中学二年生。特に大きな悩みはないし、未来予想図だってまっさらだ。そんな私は、ある日の授業中に体調を崩して保健室のベッドで休むことになった。よほど具合が悪かったのか、私はすぐに眠ってしまい……目が覚めると、私の体が小さくなって――はいなかったけど、なぜか目の前に“私”がいた。

※この作品は「小説家になろう」「pixiv」に重複投稿しています。

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とある女子中学生の初体験

 

いつものように起床して、いつものように登校して、いつものように出席する。私は今日もいつも通り元気です。

 

ちょっとだけ刺激が足りないかもしれないけど、こんな普通の日常生活の中でも喜んだり怒ったり泣いたり笑ったりできる……それってとっても素晴らしいことだと思う。

 

だけど、これを友だちに伝えてみても共感しては貰えない。残念だけどしょうがない。だって、これは私が中学生にして既に大人びている証拠だから。いつの世も大人びている子は孤独だ……みんなも早く私と同じ高みへと至って欲しいものだ。

 

そんな取り留めのないことを夢想する中学二年生の女の子。それが私だ。いえーい。

 

 

 

 

今朝のホームルームで進路希望調査票と書かれたプリントが配られた。

 

用紙の記入欄には3行の空白があり、その上には“将来の夢”と銘打たれている。クラスでも勉強ができる生徒が「進学先の希望調査ではないのですか?」と質問すると、先生は「それはそれ、これはこれ。将来の夢がないと進学先も決まんないでしょ」と淡白な返答をしていた。

 

教室内を見渡すと、大半の生徒はプリントを机や鞄の中にしまい込んでいた。早々に記入しているのは、さっき質問をしていた子を含めた少数の生徒だけだった。私はプリントを鞄にしまいつつ、何て書こうかと考えていた。

 

看護師、保育士、パティシエ、カフェ店員……。うーん、やってみたいことはたくさんあるけど、将来の夢となるとなかなか決められないなぁ。例えば、私が看護師になって働いている姿……注射器を上手くさせる気がしない……。保育士……園児がお漏らししたら私が掃除しなきゃいけないのかな……。仕事にするとなると、どれも楽じゃなさそうだなぁ。どうしよう……?

 

とりあえず、帰ってからお母さんに相談してみよう。そのように一旦の結論をつけて、私は数学の教科書を取り出した。

 

 

 

 

私は数学の授業が苦手だ。数字と記号を見るだけでも眠くなるのに、中学生になってからはアルファベットまで混ざるようになったのだからどうしようもなかった。

 

私は今日もいつも通りに眠気と闘っていた。厄介なことに今日の敵は手強く、いつも以上に眠気が強い。それに何だか体も重たく感じる……あの日は先週に終わったばかりだから違うし、昨日は夜更かしもしていない。なのに何でこんなにだるく感じるんだろう……。

 

そうしてしばらくの間は我慢していた私だったけど、徐々に吐き気まで感じてきたところで、眠気と闘う真面目な私(自称)でもさすがに限界だと思った。

 

私は恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら、挙手をして先生に体調不良であることを伝えた。すると、特に仮病の可能性を疑われることもなく保健室に行くことを許可された。たぶん、傍目から見て分かるほどに顔色が悪かったのだと思う。保健委員を付き添わせようとする先生に「一人で大丈夫です」と断りを入れて、私は保健室へと向かった。

 

保健室のドアを開けると、事務椅子に腰かけた保険医の先生が目に入った。入室して事情を説明すると体温計を渡された。熱がないことが分かると、「とりあえずベッドで休んでおくように」と言われたので、私は素直に従った。移動中にも体調は悪化していて、少しでも早く横になりたかった。

 

上履きを脱いでベッドに寝転がると、やはり体調が良くなかったらしい。1分もかからずに私の意識は落ちていた。

 

 

 

 

「……お……もい……」

 

私は自分の喉から漏れる呻き声とともに意識が覚めた。胴体が圧迫されている感覚……まるで人に覆い被さられているようだった。……ん? 誰かに乗られている!?

 

「な、何ヤツっ!? って痛ッ!?」

 

ガバッと跳ね起きた私は何者かにおでこをぶつけた。い、痛い……頭がぐわんぐわんする……。でも、それは相手も同じようで、ぶつけたときに上げた声が完全にリンクしていた。状況はまだ理解できていないけど、その声が女の子のものだと知って少しだけ安心していた。私はおでこを擦っている手をどけて、ゆっくりと顔を上げた。

 

「ご、ごめんなさい……大丈夫で……し?」

 

安否を尋ねる言葉は最後まで続かなかった。

 

私が首を傾げると、相手も同じように首を傾げた。彼女のおでこは赤く、目の端には涙が滲んでいる。見覚えがある顔……というか私の顔だった。どうやら、私はこの“鏡”に額をぶつけたらしい。

 

でも、なんで私の上に鏡が乗っているんだろう? しかも垂直に。それに胴体にかかる圧力も謎のままだ。

 

……。

 

とりあえず起きてみよう。驚きでそれどころではなかったけど、体調は良くなっている気がするし。まずは鏡をどかさないと……。

 

私は鏡に手を伸ばして……気付いた。

 

「あれ?」

 

鏡の縁が見えない……え? どこまでが鏡? どの辺が鏡面?

 

私はそうっと鏡面に右手を伸ばす。この手はどこまで進むのか。ひび割れたガラスを手に取るように、ゆっくりと手を伸ばす。私の手の動きに合わせて、鏡の中の手も動く。

 

ん……私の目測が誤っていなければ、指先はもう半ばにまで差しかかっている。でも、指先はいまだに抵抗を知らない。

 

進む……進む……進む……。

 

そして、ついに私の手がそれに触れた。手の平には温かくて柔らかい頬の感触があった。

 

「きゃっ!」

 

私の頬にも人肌が触れて、小さな悲鳴が重なった。

 

なんで触れるまで気付かなかったのかな……鏡の中の私も右手を伸ばしていたことに。

 

「鏡じゃ……ない!?」

 

言葉、表情、声の詰まり方、見開いた目、それら全てがシンクロしていた。それこそ鏡写しのように。私たちは引っ張られた糸のように固まってしまった。

 

そのとき、私の両足でもぞもぞと何かが動いた。びくりとして思わず背筋が伸びた。私の視線が足元へと移る前に、両足からのんびりとした声が上がった。それもステレオで。

 

「もー……寝てるんだから大きな声を出さないでよ……」

 

その不満そうな声は鏡だと思っていた私と同じ声質だった。

 

なるほど。これが私の本当の声か……意外とかわいいんじゃないの? そう思ったのは私だけの秘密。

 

 

 

 

「状況を整理しよう」

 

私がそう切り出すと、彼女たち……いや、私以外の私? まぁ何でもいいや……私たちは一切のズレもなく頷いた。まるで熟練の妙技みたいで、本音を言うとちょっと引いていた。ちょっとだけね。本当に。もう引いてない。JCは嘘つかない。DCは知らないけど……っと、そんなことより状況整理だ。

 

今、保健室には私を含めて6人の私がいる。他には誰もいない。保険医の先生は私が寝ている間に席を外したみたいだ。

 

起きた直後の私たちは6人で1つのベッドに収まって寝ていた。さすがに窮屈でしょうがなかったので、私以外のみんなには降りてもらっている。

 

都合の良いことにベッドの脇には6人分の上履きがあった。汚れや皺の付き方もまったく同じ。不可解な現象ではあったけど、人間が分身している状況なので今さら驚きはしなかった。

 

というか、そうじゃないと困る。もし衣服が増えていなかったとしたら、今ごろ私以外の5人は生まれたままの姿だったはずで……それは色々と不味い。完全にNGテイクだよ。

 

鞄や外履きがどうなっているのかも気になるけれど、それは増えていないことを祈るしかない。教室に帰った途端に“怪奇! 増殖する鞄!”って感じでパニックになっていても困るからね。

 

「あなたたちは……えっと……私の分身?」

 

誰に聴けばいいのか分からなかった私は、左端の私から右端の私にまで、視線をスライドさせながら尋ねてみた。

 

「うん。あなたがオリジナルで、私たちが分身」

 

左端の私がちゃんと答えてくれた。良かった……最悪の場合、誰が本物かを巡るバトルが始まるかも……なんて考えていたから。じゃあドッペルゲンガーの線も消えたのかな? 命の心配はない感じ?

 

「ちなみに寝る直前までの記憶ははっきりと残ってるよ。私は1人しかいなかったことも。それが常識だってことも」

 

彼女の右隣にいた私が言う。その言葉を受けて他の私たちも頷いた。

 

そっか。じゃあ“実は彼女たちは私のクローンでした!”って展開でもないのかな? この前に見たSF映画みたいな展開ではないらしい。まぁ分身だと分かったところで、意味不明な状況であることには変わりないんだけどね。

 

彼女たちは私と同じ常識を持っているみたいだし、記憶も一致してるんだろうなぁ……そこで私は疑問を抱いた。

 

「あれ? それならどうしてあなたたちは自分がオリジナルじゃないって分かったの? 記憶が完全に同じなら、オリジナルかどうかの判別はできないと思うんだけど」

 

「あ、それはね……」

 

真ん中の私が手を挙げた。自分が言ってもいいのか、もしくは自分と同じ意見かと確認するように、彼女は左右の私たちとアイコンタクトを取った。たぶんだけど、意見が同じかを確認したのだと思う。私のことだからなんとなく分かる。

 

「私たち5人はね、記憶の中の行動と自分が持つ感覚の間に、何か違和感があるような気がしているの。それが私たちが自分をオリジナルだと思えない理由」

 

「そうなんだ。私は……うーん……特にそういうのはないかなぁ」

 

「うん。それなら予想通り、あなたがオリジナルで間違いないよ」

 

他の4人も同意を示すように相槌を打った。全員のお墨付きだ。私は何とも言えない安心感を覚えた。でも、残念ながらそれが分かったところで事態収集の糸口にもならなかった。私は唸り声を上げ……いや、吠えた。

 

「もぉー!! この非常識な展開はいったい何!? 分身するって何? 分身して何がしたいの? 「あの……」 っていうか何でこんなことになってるの? 「落ち着こうよ……」 原因は何? どうしたら分身って消えるの? 「騒がしくない方が……」 Sirlに聴けば分かるかな? 分かるわけないよね! 「もうここで吐き出させちゃおうよ」 誰かに相談する? 「そうだね……」 あのー、私分身しちゃったみたいなんですけどー、戻し方って分かりますかー? そうですねー、いい精神科医を紹介しましょうか? って言われるに決まってるよ……いや、でもでも、実情を見せ――」

 

混迷する私の叫びを遮ったのは、学校中に鳴り響くチャイムの音だった。壁掛け時計に目を向けると、ちょうど一時間目の授業が終わったところだと分かった。それどころではなかったから意識していなかったけど、寝ていた時間は十分にも満ちていなかったらしい。ちなみに、体調不良は嘘であったかのようにすっかりと回復していた。

 

「えっと……どうしたらいいと思う?」

 

オリジナルの私が分からないことを、分身の私に分かるはずもなかった。

 

 

 

 

「ふう……ちょっと遅くなっちゃったかな?」

 

結論から言おう。私は無事に放課後を迎えていた。よく持ちこたえたな私の心臓。えらいぞー。

 

――あの後、私たちは私際サミットを緊急開催した。時間がなかったから大したことは決められなかったけど、お約束のスクールパニックを避けるため、私はいつも通りに授業を受けて過ごすことにして、私以外の私は放課後までは校内に散らばって潜伏することにした。

 

私は二時間目の授業が始まる前に教室へと戻った。心配していたようなトラブルやパニックに見舞われることはなかった。仲の良い友だちに心配されたぐらいのものだった。つまり、鞄は増えていなかった。この様子だと、たぶん外履きも同じだと思う。

 

チャイムが鳴って授業が始まっても、教室の様子は普段と変わることもなく、見慣れたいつもの風景だった。いつもだったら眠くなってばかりの私だったけど、この時ばかりは内心びくびくしていたせいでまったく眠くならなかった。先生が黒板に書いた文字をノートに写し取りながら、私はずっと“みんなは上手く隠れられたかな……?”と、頭の中はそれで一杯一杯だった。私の心配とは裏腹に、授業は決められた時間割に沿って難なく進んで行った。

 

ホームルームが終わった教室は明るい雰囲気に包まれ始めた。友だちとお喋りと始めるクラスメイトたちを尻目に、私は鞄を掴んでまっすぐ廊下へと向かった。でも、私が扉に手を伸ばした瞬間、その引き戸は大きな音を立てて開け放たれた。

 

私は思わず跳び退いてしまった。緊急事態発生!? そう思ってついつい慌ててしまいそうになった私だったけど、廊下に立っていた男子は私のことなんて見えていないように教室の中を見渡し始めた。左胸を押さえながら大きく呼吸する私の前で、彼はお目当ての人物を探し出して声を上げた。あの、私が出られないんですけど?

 

話を要約すると、彼は生徒会のメンバーで、私のクラスにいた生徒会書記の女の子に緊急会議の招集かかったことを伝えに来たらしかった。でも、彼女は「日直の仕事があるから遅れて行くよ」と言って、学級日誌を手に取って見せた。真面目な良い子だな……と感心する私の前で、彼は「いやいや、とにかく緊急なんだって! 悪いけどそれは誰かに頼んでくれよ」と説得にかかった。彼女は責任感が強いようで、とてもまごついていた。責任感の板挟み……なんとなくだけど、私は彼女の心労が読み取れた気がした。

 

そして私が彼女の代理に立候補して、冒頭へと至る。

 

本当は人のことを気にしている場合ではないと分かっていたけど、放っては置けなかった。それが人情ってものだよ。こういうときこそ忘れちゃいけない。そんな教訓を何かの漫画で学んだ……と思う。あれ? ドラマだったかな? まぁいいか。

 

意外なところで時間を食っちゃったな……急がないと。早歩きを始めた私は、ふと窓越しの光景を瞳に捉えた。

 

 

 

 

私が陸上トラックを走っていた。

 

……。

 

私は走っていない。私の目が、走っている私の姿を目撃した。

 

「嘘でしょ?」

 

意図しない独り言がぼそっとこぼれた。

 

ストップウォッチを持っている子がタイムを叫ぶと、陸上部らしき人々から関心したような声が上がった。“私”はぴょんぴょんと飛び跳ねて、喜びを全身で表現していた。

 

あー……実は幻覚ってオチじゃあ……ないか。今日だけは夢オチ大歓迎ですが?

 

 

 

 

あの私は後でとっちめることにして、とりあえず他の私を探そう。私は彼女たちは普通教室棟にはいないと考え、特別教室棟の探索を始めた。

 

特別教室のほとんどは部活動に使われている。だから彼女たち隠れているとしたら、どの部活も使っていない空き教室だと目を付けた。ロッカーの中とか、教壇の下とか、そういうところに隠れているのかな? そう考えていた時期が私にもありました。

 

「マジか!? 俺たちの誰よりも早いぞ!!」

 

そんな叫び声が聴こえてくるまでは。

 

私は気づかれないようにこっそりと発信源らしき教室を覗き込む。そこにいたのは、こちらに背を向けた数人の男子生徒と、その中心には1人の女子生徒(上半身は男子の背中で見えなかったけど、足とスカートを見て判断した)がいた。

 

盛大に嫌な予感がする。

 

「うん、答えも合ってる……」

 

「早まるな! まぐれの可能性だってあるだろ?」

 

「いや、でもお前……」

 

「分かってるよ……分かってるけど! 俺の人生にはコレしかないんだ! それさえも失っちまったら……俺は……」

 

え、何? やめて。人生を賭けるような重たい雰囲気を醸し出さないで。そんなシリアス要素は求めてないよ? それと誰よりも早まってるのはあなた自身だよ? 自覚しよ?

 

「……いいでしょう」

 

何がいいでしょうなの? 全然良くないから。その無駄にノリがいいのやめよ?

 

「ふっ……引退を賭けて勝負だ!」

 

「それは嫌」

 

「あ、ごめん……俺が勝手に賭けるだけだから気にしないで」

 

「それならいいよ」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

導入長くない? カットしよ? ていうか、茶番が一番会話らしい会話してるのおかしくない?

 

「お二人とも……心の準備はよろしいでしょうか? ……はい。それでは始めますよ」

 

むしろ終わって? というか司会役を立てないで?

 

「この勝負……勝つのは我らが“暗算部”のエースか?」

 

この学校にそんなマニアックな部活はない。

 

「それとも……流星の如く現れた、期待の超新星か?」

 

それだと爆発してるけど? あと、考えることが多すぎて忘れてたけど、あなたは何で堂々と交流してるの? さっきの“私”もそうだったけど、この様子だと誰も隠れてないんじゃないの?

 

「勝利の女神が微笑むのは果たしてどちらか!? フラッシュ暗算! レディー……ファイッ!!」

 

……。

 

大熱狂する暗算部(自称)を後にして、私は別の私を探しに行くことにした。隠れている私たちを探すという当初の目的は、もはや彼女たちがしでかしていないかの確認へと替わっていた。

 

 

 

 

見つけた。場所は家庭科室だ。ということは家庭科部かな?

 

室内の光景はさっき見た状況に近いけど、こちらは女子生徒で、なおかつ人垣ができていた。その中心で、彼女はどうやらテディベアを作っているらしい。「作り方教えてよー」とか、「それ可愛い!」とか、そんなキャッキャッとした声が聴こえて来た。

 

わー、すっごい人気……オリジナルさんの立つ瀬がないよ。

 

……。

 

私は人垣の中心部にちぎった消しゴムの欠片を投げ入れてから、素早くその場から離脱した。

 

 

 

 

次は音楽室だった。彼女は吹奏楽部に混じってピアノを演奏していた。

 

曲はねこふんじゃったから始まり、J-POP、ジャズを経て、クラシックで終わるという異質なメドレーだった。それに付いて行ってる吹奏楽部のみなさんも相当なものだと思うけど。

 

鍵盤ハーモニカしか引けない私とは大違いだ。

 

……。

 

私はそそくさとゴム鉄砲を取り出して、装填した輪ゴムを打ち出した。

 

年甲斐もないパパの工作が、まさかこんな形で日の目を見ることになるとはねー。

 

 

 

 

最後の5人目は美術室にいた。他の場所とは違い、この教室だけは静けさに満ちている。美術部っていつもこんな感じなのかな? 私が入部していたら、息が詰まって酸欠になっていたと思う。

 

教室の中心には彼女ではなく彫像が据えられていた。美術部員たちはそれを囲んで、一様に彫像のデッサンをしている。その集団の中に彼女はすっかり溶け込んでいた。私が危うく見逃しそうになったほどに。

 

少しすると彼女は静かに立ち上がり、キャンバスを教室の端へと運んだ。まだ部員の人たちが描き続けている中で、いち早く描き終えたらしい。手が空いた彼女は別のキャンパスを手に取って、再び着座して描き始めた。隣に座っていた女子部員がその手元を覗き込むと、その子は抑え切れないように笑い声を上げた。

 

「ははは! この彫像はそんなに可愛くないよー!」

 

「うっさいな。どうした……って、くふふっ! 何だよコレ! 変な笑い声が出ちゃったじゃねーか!」

 

「ちょっとどいて。あたしも見たい……えー! 漫画のイラストみたい! めっちゃファンシーじゃん!」

 

「どれどれ……?」

 

「まったく君たちは……人が真面目に書いてるって言うのに……僕にも見せてくれ」

 

「部長! 今日から美術部改め漫研にしない?」

 

「うーん……それじゃあ検討してみ「みるなアホ部長」……ふふ、ジョークだってば……ちっ」

 

部員たちが行ったり来たり……さっきまでの美術室はサイレントモードだったらしく、今ではすっかり和やかな談笑ムードへと切り替わっていた。そのせいで私の位置からは彼女の姿がほとんど見えなくなってしまった。

 

私は「ふっ……命拾いしたな」と言って、ゴム鉄砲を鞄の中に収めた。

 

……。

 

はい、JC嘘つきました……本当は終始無言でした。でもこれはしょうがないの。だって私が2人以上いるのバレちゃうし。これでも私は絶賛隠密中なのでした。

 

 

 

 

「はぁ……」

 

「ごめんね。ちょっと楽しくなっちゃってね?」

 

「反省してます……」

 

「過ぎたことを気にしてもしょうがないじゃん……う、ごめんなさい」

 

溜息がなかなか止まらない私を含めた6人の私たちは、裏門を通って校外へ出た。

 

あれやこれやとあったけど、結果的にどうにか全員で学校を出れてひとまず良かったと思う。この溜息の半分はストレスで、もう半分は安心感でできていた。

 

ここまで来る過程で分身した私たちと会話する機会があったけど、それで分かったことがある。彼女たちは私と同じ性格をしていて、しかし私にはない特技を持っている。私なんかよりは余程アイデン……メイデン? ティティだっけ? ……とにかくそれを持っている。

 

それが分身した理由や治し方(?)に大きな関わりを持っていることは容易に想像できたけど、それだけでは解決の糸口がまったく見えてこなかった。

 

とりあえずの方針は帰宅だ。我が家へ帰ろう。私たちが唯一安息できる場所へ。

 

もうダメ、私は疲れた。大型犬のふかふかとした毛皮に顔をうずめたい……うちにペットはいないから枕で我慢しなきゃだけど。考えるのは休んでからでいい。

 

私の家までの距離は、正門よりも裏門を通った方が近かった。さらに言えば、裏門からの下校ルートには生徒が少ない。なぜなら、基本的に生徒は裏門を通ってはいけないことになっているからだ。鍵はかかっていないけどね。

 

とにかく、裏門ルートは今の私たちに打ってつけだと言えた。

 

 

 

 

作戦名“おうちに帰ろう”は順調に進んでいた。

 

今はちょうど人気の少なかった道が終わり、歩道スペースがしっかりと確保されている二車線道路へと出たところで、通行人も増えて来た。

 

私たちは一旦止まって周囲を見渡した。通行人は老若男女さまざまで、特に偏りはなかった。

 

見知らぬ人に見られる分には六つ子で誤魔化せる(……よね?)から問題ないけど……顔見知りの子を誤魔化すには無理がある。

 

でも、それは要らぬ心配だったみたいで、学生服姿の子は誰一人として見当たらなかった。まぁ、私も普段だったらこの道は通らないし、通学路に使っている子は少ないのかもしれない。

 

……とは言え、十字路でバッタリなんてこともあるかもしれない。私たちは曲がり角に気を配りながら帰路を進んだ。

 

安心すると精神的な余裕も出てくる。アイスクリームショップの看板に新メニューが追加されていることに気付いたり、どの味の組み合わせが至高かを議論し合ったり(みんな私なんだから答えは一緒だったけどね。)、コンビニの前でご主人様の帰りを待っているワンコをじっと見つめたり……まるで友だちと帰り道を歩いているみたいで、面倒な目に合っていることを忘れそうになるほどに楽しかった。

 

 

 

 

「こりぁ! ひったくりぃ!」

 

そんな滑舌の良くない怒鳴り声が聴こえて来たのは、待っていた信号機が青に切り替わった直後だった。反射的に振り向いた私たちが確認した状況は、とてもシンプルなものだった。シルバーカーを押しているおばあちゃんと花柄のバッグを脇に抱えて原付バイクで走り去ろうとする男。車道に移ったバイクは速度を上げて、私たちの真横を通り過ぎようとしていた。

 

「助けよう!」

 

声も台詞も重なったこの瞬間に、私ははじめて自分がたくさんいて良かったと思った。

 

私たちが動き始めた時、ひったくり犯は交差点を直線しているところだった。このくらいの距離だったら、一つ先の赤信号で追いつける!

 

横断歩道を横並びに走り抜けたあたりで、頭一つ抜けている私がいた。見た目が同じだから分からないけど、たぶん陸上部に混ざり込んでいた私だ。彼女が私たちから突出した分だけ、私たちとバイクとの距離は開いていった。原付とは言え、やっぱりバイクは速かった。私たちの足では赤信号のうちに追いつけそうも…………だけど!

 

「わ、私っ! お願い!」

 

「任せて!」

 

彼女が更に加速したように見えたのは、失速する私たちの錯覚なのか? その真偽の程は確かめようもなかったけど、一方で間違いのない事実もあった。先へ先へとぐんぐんと走りゆく彼女の後ろ姿は、とてもかっこよかった。

 

 

 

 

「あははは……」

 

彼女は苦笑しながら、歯噛みする私の髪を撫でていた。

 

私はまるで自分のことのように悔しかった。だって、彼女は犯人の肩に手をかけるところまでは行けたんだよ。ただ、彼女の手は犯人に振り払われちゃって……それ同時に信号機が青に切り変わって……犯人を乗せたバイクはクラクションを浴びながら右折して……逃げられた。

 

「ごめん、撫で過ぎた。髪の毛くちゃくちゃになっちゃってる」

 

私は頭から下ろされた彼女の手を握って、ぶんぶんと上下に振った。ちゃんと伝えられるのかは分からなかったし、何を伝えたいのかも分かっていなかったけど、そうすることで何かが伝わって欲しかった。彼女は困ったような表情を浮かべながらも、私の手をもう一方の手で上から包み込んでくれた。あはは……汗で湿ってるよ。

 

「あ、やっと笑った! 良かったー……もう二度と私の顔であんな表情しないでよ? よく分かんない気持ちになるから」

 

「うん……そうだね」

 

彼女から屈託のない笑顔を向けられた。たぶん、私も同じ顔をしていると思う。傍から見たら鏡写しのようになっていたんじゃないかな?

 

「ねえ、もう喋ってもいいかなー?」

 

私たちが手を離し合ったタイミングで、横にいた私から発言の許可を求められた。

 

「あ、ごめん。どうぞどうぞ」

 

私たちが体の向きを変えると、彼女はただ一言を告げた。

 

「あの原付のナンバー書くから、ノートと筆記用具よろ」

 

あ……暗算部(自称)で遊んでた私ね。

 

 

 

 

私がおばあちゃんのところに戻ると、お店のロゴ入りエプロンを着けた人がおばあちゃんの隣に立っていた。この近くにあるショップの店員さんだ。手には携帯電話を持っていて、つい先ほど通報したところだと言っていた。

 

私は店員さんに分かる限りの情報を伝え、ノートの切れ端を渡した。すると、店員さんは“感心な生徒さん”だと私を褒めてから、早速ナンバーを伝えるために電話をかけ始めた。

 

通話を待つ間に私がおばあちゃんに声をかけると、おばあちゃんは「大丈夫よ、ありがとね」と言ってくれた。私は咄嗟に謙遜してしまったけど、それは本当の謙遜で合っていた。

 

私は後方をちらっと確認したけど、そこには誰もいなかった。でも、私は知っている。すぐそこの物陰で見守ってくれている5人のことを。

 

その後、警察が来る前に私は撤収した。情報は全部店員さんに伝えていたし、今の私はなるべく早く帰宅しなきゃいけないのだから。最初は店員さんも戸惑っていたけど、私がとにかく急いでいることを伝えると、店員さんは頷いて、それ以上は聴いて来なかった。私は二人に頭を下げて、駆け足でその場を後にした。私が物陰に入るまで、おばあちゃんは何度もお礼の言葉を伝えてくれていた。

 

 

 

 

今日は“そういう日”だ。私は座り込む小学生を目撃したときに確信した。

 

「そこのボク。何かあったの? お腹痛い?」

 

私の質問に対して少年は首を横へ振った。体調不良とか怪我とかじゃないのかな? じゃあ落とし物をしちゃったとか? 続けて質問をしようとする私だったけど、それよりも早く、少年がある方向を指差した。

 

犬がいた。首輪が嵌めされ、リールで小屋に繋がれた柴犬だ。外飼いの割に毛並みが良さそう。撫で回したい。人懐っこそうな目をしている。あれは撫でさせてくれる性格のワンコに違いない。

 

私が犬のことを見ていると服の袖をくいくいと引かれた。視線を落とすと少年がこちらを見上げている。この縋るような瞳……まるでチワワみたい……そう考えてから、私は頭をぶんぶんと振った。違う違う! 今は犬のことじゃなくて少年のことを考えないと!

 

頬を軽めにぺしんと叩いてから、私は少年に再度質問する。

 

「あの犬が怖くて通れないんだね?(可愛いのに……)」

 

少年は今度こそ頷き返した。もしかしたら少年がまだ小さいから怖いのかもしれない。この子が大きくなって、あのワンコと体格差がつけば、自然に怖さを感じなくなると思う。でも問題は今だよね……どうしようか?

 

「わた……お姉ちゃん、鞄貸して」

 

「え? あ、うん。どうぞ?」

 

私は話しかけて来た私に鞄を渡す。どの私だろう? というか何でこのタイミングで鞄? 教科書とかノートとか文房具とか普通の物しか入ってないよ? 頭上にたくさんの疑問符が浮かぶ私の前で、彼女は鞄を置いて、その奥の方まで手を入れていた。そう時間をかけることなく彼女は鞄から手を抜いた。何かそれなりに大きな物を掴んでいる。

 

「はいこれ。使えるんじゃないかな?」

 

彼女はそれを広げて見せた。

 

「犬の……被り物?」

 

「そうだよ。家庭科部で作ったの。結構な自信作です!」

 

私が見たときはテディベアを作ってたはずなんだけどなー?

 

「テディは贈呈したけど、こっちは持って帰っていいよーって言われたから」

 

うん、そりゃそうだよ。可愛いくなくはないんだけど……リアル路線なんだもん。いやまぁ、それはさておいて。

 

「何で私の鞄に入ってたの? 入れた覚えないよ?」

 

さっきノートとか出すときにも全然気付かなかった。ちゃんと見れば気付けたのかな……でも、それはそれでびっくりしそうだからやっぱり気付けなくて良かったのかも。

 

「我ながら隙だらけだったね。お財布とか盗まれないでよ?」

 

「心配してくれてありがとうね!」

 

自分に説教されるって何!? あと、その言葉は自分にも返って来るって気付いてる!?

 

「ボク。最強のアイテムを装備させてあげるから、ちょっと後ろ向いてて」

 

彼女が少年に犬のマスクを被せている間に私は鞄を回収した。

 

……。

 

一応だけど、私は中身をあらためる。理屈で言えば、たしかにこの鞄は私たちで共有すべきだとは思うけど、開けたら知らない物が入ってるって展開は心臓に悪そうなので止めて欲しい。ん、大丈夫だった。私は少年の方へと向き直る。

 

犬がいた。正しくは頭部が犬で、首から下が人間のキメラだ。

 

それぞれは可愛いはずなんだけどなー。どうしてこうなった。

 

 

 

 

私の機微はさておいて、少年のことを助けられて良かった。少年には悪いけど、少年(の被り物)を不思議そうにガン見するワンコの様子があまりにも可愛くてほっこりしちゃった。

 

例の被り物は少年にプレゼントした。私は要らないし。製作者の私は少し残念そうにしていたけど、私が「ファンへのプレゼントだと思えば?」と耳打ちすると、彼女は嬉しそうな表情に一変した。少年は小さな両腕にあのマスクを抱えたまま、嬉しそうな顔をして「ありがとう! 六つ子のお姉ちゃんたち」と言って、浮かれたような足取りで元気に帰って行った。

 

……どうでもいいけど、少年はこれからあそこを通る度にあのマスクを被るの? すごくシュールだ……。

 

 

 

 

本当は早々に帰宅するはずだった私たちだけど、その後もトラブルに遭遇した。

 

――突然高熱を出してしまったピアニストに代わって、吹奏楽部に混ざっていた私が慰安演奏会に参加したり。

 

――奥さんを喪ったおじいちゃんのために、美術部に混ざっていた私が二人が並んで笑っている似顔絵を描いたり。

 

それだけの事があったにも関わらず、夕陽が顔を出す前に帰宅できたのは、一重に私たちのおかげだ。そう、私たち5人のおかげ。

 

……。

 

まぁ何はともあれ、たくさんの人たちの手助けができた! これはすごいことだ! パパとママに言ったらいっぱい褒めて貰えて、さらに明日の夕食が豪華になるかもしれない! あ、でもその前に分身した私たちのことを何とかしないといけないのか……。 

 

開錠して玄関ドアを開けると、家の中は薄暗かった。玄関には靴が並んでいない。当然と言えば当然なのだけど、パパもママもまだ仕事中の時間だった。

 

私たちは家に上がって自室へと向かう。玄関には1足の外履きと、5足の上履きが残された。

 

自室に入るなり私たちはベッドやクッションに突っ伏した。一部屋に6人は少し狭かったはずだけど、それが気にならない程に私たちは疲れ切っていた。

 

ただでさえ異常な状況だったのに、帰宅中にもあれだけの騒動があったんだもん。一日に収まっちゃいけない濃密さだよ。

 

誰かの寝息が聴こえてくると、私もすぐにまどろみ始めた。そういえば今日はよく寝る日だな。あ、制服が皺になっちゃう……でもちょっとだけだからいいよね?

 

そんなぼんやりとした考え事をしながら、私は自分の体からの指令に従った。

 

 

 

 

「起きて」

 

それは小さく優しい声だった。目覚まし時計やママに起こされる時とはまったく違って……心地良いのに意識がはっきりとする、そんな目覚め。

 

「うん……起きる」

 

私は目を開こうとしたけど、なんだか寝起きの目蓋は重たくて、薄っすらとしか開かなかった。意識ははっきりとしているのに、体は半分しか起きていないような感覚……私はもどかしい気持ちで一杯になった。

 

半目状態の私が見る世界はものすごく狭かった。天井には境界が曖昧な白線が引かれている。このコントラストには見覚えがあった……カーテンの隙間から差し込んだ街灯の明かりだ。

 

そっか、私たち寝ちゃってたもんね。この暗さならパパとママが帰って来ているかもしれない。二人に私たちのことを説明しなきゃいけないんだけど……どう切り出せばいいのかなー。頭を揺り動かしながらうんうん唸っていると、私の肩に手を置かれる感触があった。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫大丈夫。たぶんそろそろ起きられる」

 

自分の口から出た言葉が合図となったように目蓋は軽くなり、私の目は今度こそ一切の抵抗なしに開いた。

 

半身を起こして横に目を向けると、ベッドの脇には私が座っていた。外から入る微かな明かりが彼女の顔を照らし出し、私なりに気を遣っているさらさらの髪が光を反射していた。

 

部屋の電気は点いていなかった。いつもだったら少しだけ怖いと思う暗さだったけど、今日は違う。私は落ち着いた気持ちで室内を見渡した。

 

机の上に開いたままの雑誌。クロゼットに片付け忘れた洋服。お気に入りのふわふわクッション。昨日と変わらない部屋。

 

……あれ? 

 

「あのさ、他の私たちはどこに行ったの?」

 

質問をしながら、私を見続けていた彼女へと目を向けた。私たちの視線が交わる。彼女の瞳には私が、私の瞳には彼女が映っている。まるで最初の出会いを再現するように。

 

私が答えを待っていると世界から音が消えた。視力だけが鋭くなったような感覚があった。彼女の瞳に映る私の瞳の中で 彼女の口が小さく動いた。

 

「4人は……消えたよ」

 

「……え?」

 

「正確には異常がなくなったって言えばいいのかな? あと、私はあなたへの伝言役」

 

私は少し考え込む。

 

……。

 

さっぱり分からない。でも、異常がなくなったことだから……。

 

「それって……良いこと、なんだよね?」

 

その質問をした時の私は、さぞかしおっかなびっくりしていたのだと思う。彼女は慈しみがこもったような眼差しで私を見ていた。

 

「慌てなくていいよ。ちゃんと説明するから。そのために私が残ったんだもん」

 

 

 

 

寝て起きたら展開が進んでいた私とは打って変わり、5人はそれぞれに夢を見たのだと彼女は言った。

 

陸上選手としてオリンピックに出場した自分の姿。

 

全国珠算競技大会で優勝した自分の姿。

 

二十分で編めるマフラー動画をきっかけとして、手芸関連のメディアで活躍する自分の姿。

 

世界中で愛される名曲を生み出した自分の姿。

 

彫刻と漫画を融合した新たな娯楽的芸術を生み出した自分の姿。

 

「そんな姿を見せられたから、私たちは自分が何者なのかが分かったの」

 

私は無言のまま頷いて、彼女の発言の続きを促した。

 

「私たちはあなたから分身しただけの存在ではなかったの。あなたと私たちの関係は、=(イコール)じゃなくて≒(ニアイコール)。あなたが夢想したことをきっかけに、あなたがまだ持っていない何かを授けられて現出した存在……それが私たちだったの。この現象にきれいな名前をつけるなら、泡沫(うたかた)の夢ってところかな」

 

「ちょっと待って。情報量が多いよ……」

 

「ごめんね、説明下手で」

 

「……今の話からすると、みんながそれぞれに得意なことを持って生まれたってことでしょ?」

 

「そうだね」

 

「だったらさ、その説明下手って、私からの100%直搾りってことだよね?」

 

「え、あと、あ、えーっと……えへへへ」

 

笑ってごまかす気だ。分かりやすい……けど、それも私からの遺伝ってことなんだよね。

 

……。

 

ああもうやめやめ! 指摘も自虐もぜーんぶ私に返って来るんだから! さっさと話を戻そう。

 

「話の続きだけど……とりあえず、あなたたちのことは分かったよ。それで、ほら、結局はどういうこと?」

 

「……何が?」

 

私は拍子抜けして彼女の顔を見ると、本当にピンと来てないって表情をしていた。仕事してよ説明役! ……あ、違う、伝言役だった。

 

私は気になっていたことを、脳内がすっきりしていそうな彼女に訊いてみる。

 

「分身した理由とか原理とか、あと、あなたたちが消えた事とかも」

 

「ごめんね。私たちにも分からないんだ」

 

「……そんなことってある?」

 

「残念だけど」

 

「異常とか存在とか、なんかそれっぽいこと言ってたのに?」

 

「あれは夢を見た私たちが勝手に悟っただけで、誰かから指示や啓示を受けたわけじゃないからね。ただなんとなーく、こんな感じかなーって思っただけだから」

 

想像を遥かに下回る未解消っぷりだった。

 

「結局よく分からないまま……でも解決するのならいいのかなー」

 

「あ、そうそう」

 

彼女は思い出したように呟いて、自分の両手の平を合わせた。

 

「もう説明できることはないんだけど」

 

ないの!?

 

「私の感想を伝えたくて」

 

まぁ、メッセージカードを贈ってくれたようなものだと思えばいいか。私は彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「今日は帰宅中には色んな事があったね」

 

「うん。これでもか! ってぐらいあったよ」

 

「でも、私たちは避けるでもなく、嫌がるでもなく、それを解決するお手伝いをしたよね? みんながみんな積極的に」

 

「……本当は早く帰るつもりだったのにね」

 

「私、ううん……私たちはそれが嬉しかったの」

 

そう言って、彼女はにっこりと笑った。見ている方が癒されるような満面の笑みだ。

 

「なんて言えばいいのか分からないんだけど……私たちは少しずつ違うところがあったのに、困っている人を見かけた時にはみんな迷わず行動したでしょ?」

 

「うん、心強かった」

 

「あなたも、私も、他の私も、みんながみんな、私が私で良かったなって思ったの」

 

「なんとなく分かるような……分からないような……」

 

「たぶん難しく考えなくていいんだよ。私たちみんな、あなたがあなたで良かったって思ってる。それぐらいの認識でいいんだよ」

 

「それなら、分かるかな」

 

「でしょ?」

 

「ありがとうね」

 

「どういたしまして」

 

ふふっ、と私たちの口から笑い声がこぼれ出した。自分で自分を褒めてるみたいで、何だか無性に可笑しかった。

 

 

 

 

二人でひとしきり笑い終えた頃、玄関ドアの鍵が外れる音がした。

 

「パパかママが帰って来たみたいだね」

 

彼女がそう言うと、彼女の背中越しにあるはずの家具の姿が薄っすらと見えた。

 

「もしかして……」

 

「うん。そろそろかな」

 

錯覚じゃなかった。たしかに彼女の姿は徐々に透け始めていた。私はなぜか彼女の姿を直視できなくて、目を伏せてしまった。他の私たちと同じように彼女も……。

 

頭の中に漂うもやもやを振り払って、私は普通に喋り出した。

 

「そっか……。でも、それでいいんだよね。あなたたちが存在し続けたら、私だって困っちゃうもん。半日だけだったけど、今日のことは――」

 

そこから先の言葉は紡げなかった。

 

頬に手の温もりが差したから。

 

触れられたら、私の震えが伝わってしまうから。

 

ずるいよ、私……これじゃ隠し通せない。

 

「顔を上げて」

 

私は言われるがままに従う。

 

もともと目の前にいた彼女だったけど、今はもっとすぐ近くに顔があった。その瞳に映し出された、人に見せられないような表情すらも鮮明に見えるほどに。

 

常闇の世界に希望をもたらす光のように、カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。幻想的な明るさで照らされた彼女の顔を、私はとてもきれいだと感じた。おかしいな、私はいつからナルシストになったんだろう。

 

私がぼうっとしていると、彼女の唇がゆっくりと動いた。

 

「私たちはきっと、あなたのために生まれたんだよ。だから、消えるってことはあなたのためになったと言うこと。私たちは……あなたのことをずっと見ているから。あなたがどんなことをして、どんな大人になって、どんな人生を歩み、どんな生涯を送るのか。私たちは5人もいたけど、私たちはあなたが描くたった一つの私の姿が見てみたいの」

 

「でも、これからどうなっていくのか、私には全然分からないよ?」

 

「私たちにも分からないよ。だから見守りたいし、見届けたい」

 

「他人事みたい……」

 

「自分事だよ」

 

「あははっ、そうだね」

 

「そうなんだよ」

 

「あのね……私がダメになったら、いつでも叱りに来ていいからね?」

 

「いやだよー。絶対に怒ってあげないから。ずっと見守るだけだから」

 

ふと、私の頬に当たっていた熱が消えていることに気付いた。彼女の姿も、もうほとんど見えていない。私は握り拳をつくって、自分の胸のあたりにぎゅっと押し付けた。

 

「分かった。私、頑張るよ。具体的なことはまだ何も言えないけど、私はあなたたちみたいな私になりたいから。だから、頑張ってみる!」

 

「うん。みんなで応援するよ。安心して、あなたなら大丈夫。だってあなたは――」

 

その声が途切れた瞬間、室内には完全な静寂が訪れた。ただ、廊下から聴こえる足音が、いやと言うほどに訴えかけて来る。

 

いつものような、普通の日常に、戻ったと言うことを。

 

 

 

 

翌日、教室に着いた私は、クラスメイトたちからの部活勧誘攻撃を受けていた。みんなには悪いけど、下手に関わろうものならいろいろと説明が付かなくなってしまうので、私はただただ断わり続けた。

 

そんな特別な光景も、先生が来た途端に終わりを迎え、みんなは蜘蛛の子を散らすように自分の席へと帰って行った。

 

ホームルームは片手間に、私は進路希望調査票を机の上に置いた。筆箱からシャーペンを取り出して、ノックを2回押して芯を出す。カチカチと鳴る音が時計の針みたいに思えて、これが始まりの音なのかな、などと私は考えた。

 

希望、未知、不安、心配、まとまりのないたくさんの気持ちと、ありとあらゆる可能性がごちゃ混ぜとなったその用紙に、私はペンを走らせる。

 

私まだ中学二年生。これから先のことなんて全く分からない。

 

だけど私は大丈夫。だって……私は“私”なんだから!




あとがき

 今の中学生はどのような生活を送っているのでしょうか?
 昔とあまり変わっていなかったりしますかね?
 もし変わっていたとしても、人間性が未成熟であるという点についてはどんな時代でも変わらないはずです。
 だからこそ、彼ら彼女らには羨ましいほど無限の可能性が広がっていて……だからこそ、どのように生きて行けば良いのかが分からない。
 それこそが人生であり、人生とは過酷な試練です。

 人には与えられたものと与えらなかったものがあります。
 環境、才能、資金、性格、適正、友人、夢。
 これらが複雑に絡み合って、人生が出来上がります。
 未来への期待や希望は、未来への失望や絶望と表裏一体で、未来について考えるということは、楽しみと苦しみを運んできます。
 それを味合わなければならないのは主に若者で、大人はそれを応援したり、嘲笑ったりします。
 でも、大人になっても試練を受け続けている人もたくさんいます。
 人生の半分も満たないうちに試練を終える人が大半を占めるこの世界ですが、もしこの小説が注目されるような日が来たのなら、それは世界に何かしらの変化が訪れたときなのかもしれません。そんな日が来たらいいなー。

「何だこのあとがき? 意味が分からん」と思った方は、
「お腹が減った」とか「今日も良い天気」とか書いていると思ってください。

お読みいただきありがとうございました。
また別の小説などでお会いできれば嬉しいです。
あとブログもやっていますので、よろしければ覗いてみてください。
ではではー。


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