緋弾のアリア~裏方にいきたい男の物語~   作:蒼海空河

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嵐の中の大事件

 手を見よう。右でも左でもいい。

 人種によって色の違いがあるだろうが両親から頂いた大切なもんだ。

 特別か特殊か特異な事情でもない限り、人間なら普通に持っているだろう両手。

 ホクロがあったり、爪が長かったり、岩のようにゴツゴツしていたり、白魚みたく可憐でちっちゃかったり。

 掌の肉が冷たい金属に食い込み、汗が流れおちた。滑らないように握り直していると下から蘭豹の怒声が届く。

 

「オラァッ! フック付きワイヤー昇降訓練、きばれや大石ぃ! ちんたらやっとったらもう一○○○往復やらせっぞ!」

「りょ、りょーかいっす」

「返事が小さい!」

「了解ッ!」

 

 高さ一○m弱のロッククライミング用の屋内設備。てっぺんに固定したバーにフック付きワイヤーを引っ掛けて昇り、そして降りるという訓練をさせられていた。

 先日、強襲科の依頼を一回やることになったとき、蘭豹先生に捕まって仰せつかった早朝訓練のせいだ。

 あんのゴリ……じゃなかった理不尽教師め。「朝五時半には強襲科に来い。一分遅れるたびに単位を一ずつ減らす」なんて脅してきやがって……。

 バスもまだ出てない時間だから仕方なく自転車で登校する羽目になったんだぞ。

 しかも雨だ。今日は天候が悪い。傘は差したけどズボンがまだ湿ってる。

 ほんと今日は厄日だ…………あれ、最近厄日しかなくね?

 墨を塗りたくったような黒雲につられてテンションが下がる。

 竹刀をびしばし床に叩きつけていた蘭豹が声を張り上げて喝を入れてきた。

 

「シャキっとせいや大石ぃ! おどれは格闘も射撃もよろしくねーやろ! ならワイヤー捌きで奇をてらうしかないやろっ! ええか、手のスナップが大事や。野球ボールをぶんなげるようにしなりを利かせながら射出すればええんやからな!(……ま、本当の実力が判らんけど絞っときゃしまいに判るはずやし)」

「はいはいよっと、やってますから!」

 

 いや別にそんなに不満があるわけじゃないんだけどさ。

 熱心に教えてくれるし、やるからにはキチンとしたくなるのが性分だった。

 口より身体を動かそう。この訓練もひとえに死なないための努力なのだから。

 現在やっているのは割と初歩的な――ワイヤーの昇降訓練だ。

 フック付きワイヤーは片手で持てる簡単な装置。掌にスッポリ収まる程度の大きさで、片手で握れるよう長方形の穴があいている。

 よく使うのは屋上のフェンスに引っ掛けて、降下。振り子のように動きつつ、窓を破って突入するという映画さながらのダイナミック戦法だ。

 また、これとは別に先端の鋭いタイプがあって、引っかける場所がない場合は対象に突き刺して壁や急斜面に張り付くものもある。

 

 武偵の必須技能の一つで、俺も実戦で使ったことがあったっけか。風が強い日に使ったせいでフックが外れ、ほぼノーロープバンジーで落下。運よくゴミ箱に突っ込む大惨事をかましたがな! トラウマもんだよ……。

 兎に角だ。

 命綱は一応あるし、内申を下げられて留年とかもしたくない。地道に頑張ろう。

 そうやって一、二時間の間延々と昇降作業をこなしていたのだった。

 

 

 

「よし、今日はもう上がってええで。朝の授業には遅れんようにな」

「はぁ……はぁ……ありが、とう、ございました……はぁ……」

 

 肩で息をしながら、やっと訓練が終わったことに安堵する。

 時計を見ると時刻は八時を回ったところだろうか。

 朝のホームルームは九時までに教室へ入ればいいので十分余裕があった。

 熱気のこもった室内。不快度指数が急上昇中なので換気ついでに近くの窓を開く。

 涼風が入り込み、火照った身体を冷ましていく。

 窓から空を見上げる。シトシトと降り注ぎ、雨雲は灰色の大地を雨水で満たそうと努力していた。

 ……そういや流行を先取りしたサイクロン様が渦を巻いてやってきているんだっけな。そのせいで大気が不安定になっているんだった。

 週明けには関東地方に直撃というコースを取るかもしれないらしい。

 地震雷火事おやじの四番目の台風様――おやじ=大山嵐(おおやまじ)=台風らしいが、なんでだろうな。台風って不思議とわくわくするのは。ガキっぽいなとは思うだけど……まあいいや。

 そろそろ着替えよう。体操着がべっとりと肌に付いて気持ち悪いし。

 そう思って男子更衣室を向かい始めたのだが、

 

「大石ぃ!」

「はいっ――ってわ!? ……ペットボトル?」

 

 いきなり蘭豹先生に呼び止められた。ペットボトルを投げて寄こしてくる。

 中身は綿菓子を薄く透明にしたような液体――昔からあるスポーツ飲料だった。

 最近は他社の製品に追い落とされているが、俺個人としては大好きな飲み物だ。

 

「なぁに鳩が一一○mm個人携帯対戦車弾(空飛ぶ日産マーチ)を喰らったような目ぇしとんのや。朝から汗かいたんやから水分補給くらい普通やろ」

 

 なんで陸自の内輪ネタ知ってるんだろ、この先生。前世の自衛隊ネタは空担当だったから詳しくは陸自から移ってきた先輩に教えてもらってたけど。

 ……まあ教務科さんは個人的に耳を覆いたくなる経歴の持ち主がわんさかいるそうなので普通なのだろうか? 怖くて聞けない。綺麗なバラには棘があるというし、教務科のお歴々は射程外(とおく)から眺めるだけで十分です。ゆとり&鉄鼠先生は癒しだけどな。

 そんな女傑さまからスポーツドリンクを賜ったわけだけど何か裏があるんじゃないかと疑ってしまうのは俺の人間が出来てないというだけじゃないと思う。

 

「あの~、なんでくれるんですかね? 腹の中身まで鍛えろ的な意味とか含んでます?」

 

 ミリタリーもの繋がりでそんな連想をしてみた。早食い早飲み早着替え早行動……軍隊なら全ての行動は無駄なく鍛えろ的な。軍じゃなくて武偵だけど。

 蘭豹先生に限らず、教務科の人はどことなくそんな雰囲気というか……うーん、適切な言葉が思い浮かばない。

 とにかく、この手の教官的な人がタダでくれるとか怪しい……って別にただの好意かもしれないんだけどな。むしろそっちの方がバッチこいだけど。

 ……さすがに疑いすぎか。ペットボトル一つで悩むのもアホらしい。

 素直にお礼を言おうと改めて先生を見たのだが、蘭豹はそんな俺の様子に満足げな顔で頷いていた。

 

「おっとさすがに諜報科の経験者にゃバレるか。いい読みしとるなぁ大石ぃ~。そりゃ下剤入りのスペシャルドリンクや。強襲科生徒(アホども)にはたまーに仕置きと対毒訓練、あと不用意に渡されたもんに警戒心を抱かせるために仕込んでるんやが、一発看破(ひとめ)で見破るたーなぁ。ハッハッハッ!」

 

 ハッハッハッ……じゃねえよっ!?

 俺が考えてたのは「いっき! いっき!」的な体育会のノリであって毒物を盛ることじゃない! 盛るのは胸のバストだけで十分だ!

 ほんとーにこういう明らかにおかしいトラップを仕掛けてくるから武偵高は怖いんだ。

 まあ、とにかく助かってよかった。俺グッド、ペーネ、ハラショー!

 たまたまだけど運がいい。ついでに宝くじやtotoBigを買ったときに幸運の女神さまが舞い降りてくれると最高。

 さて、そんなトラップを仕掛けた蘭豹先生をジト目で見ていたところ、後ろの出口から誰かが勢いよく扉を開け放って入ってきた。

 

「はぁはぁ……大変だ! とんでもないことが起きたぞ! 誰か強襲科の奴で――おーっ、ケイいいところにっ!」

「よかった……。大石君、武藤君、神崎さん、レキさん……これだけ居ればなんとかなるかもしれないね」

 

 振り向くとそこには見慣れた二人――武藤と不知火が立っていた。

 雨の中を駆けてきたのか制服が酷く濡れているようだ。

 水も滴る良い男な姿だが、全力疾走してきたのか肩を上下に動かして息を切らしている。

 

「不知火に武藤……どうしたんだよそんな慌てて。朝っぱらから居るなんて珍しいな」

「そりゃあ一夏のアバンチュールを楽しむために単位目当ての依頼を片っ端から受けてるから当然――って今はそんなところじゃねえぞケイ! 大事件だっ!!」

「事件? 殺人未遂とか?」

「そんなん日常茶飯事だろうが! そういうチャチなもんじゃねーんだよ!」

「チャチて……」

 

 でも事実、武藤の方が正論だったりするから泣けてくる。ひじょ~に遺憾ながら。信じたくなかったけど。

 凶悪犯罪の増加した日本では何でも屋の武偵制度とやらが成立し、昨今での活躍は目まぐるしいものがある。

 逆に考えると何故成立したのかっていう理由が存在しなくちゃいけない。

 腹を抑えて「なんじゃこりゃあっ!?」とか言いたくなる……あれは刑事だけど。 

 その答えの一つが……銃社会。アメリカの共和党に媚びを売って、どんどん規制解除をやっちゃったらしいのだ。中には数千円で買えるものもあるとかで危険なことこの上ない。俺が知っている日本以上に凶悪犯罪が常態化しているのだから悲しすぎる。

 そんな良くも悪くも犯罪慣れしている武籐たちが大事件と騒ぐのだから、生易しい事件なわけがなかった。

 

「発生したのは事件はバスジャックだ! 武偵高の生徒たちが利用する七時五八分の通学バスがやられたみてーだ。チャリジャックに続いて、バスジャックだぜ! 何処の馬鹿野郎か知らねーが轢いてやりたいぜまったく!」

 

 吐き捨てるように説明した武籐に続いて、いつもは涼しい顔の不知火も表情には険しさがあった。

 

「それだけじゃない。狙ったのか偶然なのか経験が未熟な一年生ばかりで、三年生は皆無。二年生も少ないらしいよ。高ランクの二年生や経験豊富な三年生勢は近頃の警察関連のゴタゴタで出張ったりしててね。バスに乗り合わせてなかったんだ。かくいう僕らもその口さ。正直彼らだけじゃ状況を打破するのは非常に厳しいものがあるだろうね……」

「絶対絶命もいいとこだなおい……」

 

 一年のなかには俺みたいな一般中学出身者もいたりする。四月でまだ学校に慣れるので大変な時期にバスジャックとか不運過ぎる。

 頭を抱えたくなる状況だった。そんな中、不知火たちの後ろからさらに来訪者がやってくる。

 特徴的なアニメ声の女の子。

 

「――というわけでC装備をしたあと女子寮の屋上に来なさいケイっ! 事件は待っちゃくれないわよ!」

 

 ちょこちょこと猫のように軽い身のこなしでやってきたアリアさん。

 スライドドアの溝に足を引っ掛けて危うく転びかけるもツインテールを左右に流しながらぴょんとステップを踏んで着地。なんでもないように振舞う。

 腰に手を当てて自信満々な様子が相変わらずちっこ可愛い。

 その後ろにはいつものドラグノフを背負った不思議系美少女レキさんが無表情無発言でコクリと首を前後してこちらに会釈していた。

 つかアリアさんや俺なんて何の役にも立たないんだけど……悪運だけで生き残ってきたようなものだし。

 そういうのはそれこそプロの警察官や武偵に任せた方がいいような。

 探偵科の俺じゃあ役に立たないし……?

 

「あ、ちょい待った! まさか爆弾処理要員か? 元諜報科っていっても爆弾処理は専門外なんだけど……」

 

 武偵高の諜報科は昔の忍者みたいなもので諜報活動や破壊活動等々あるが、爆弾処理など高度な技術を要するものもある。ただし習うのは二年生以降。俺は途中で転科したのでその手の講義は受けていない。

 爆弾で典型的な『青の導線か赤の導線か~』タイプは習ったことがあるけど、それは武偵の基礎知識として習うもの。専門的な知識量は、そこらの武偵高の生徒と変わりない。たまたま奇跡的な幸運で今日までなんとかやってきた。はっきり言って、そんなマグレ当たり野郎が積極的に関わっちゃいけない気がする。

 今回は武偵高の、キンジとか他の仲間たちの命にも関わっているんだ……。ドジを踏めば、昨日まで机を並べて笑い合っていた友人が――――いなくなる。悪い言い方をすれば、仏花が机の上に添えられる光景を目にすることになる。だからだろうか、アリアさんが次の発言には軽く救われた。

 人差し指を真っすぐこちらに向けながら言ってきた。

 

「ダイジョーブ! アンタがそう言うと思ってたから後発組(ウラカタ)に回って貰うわ!」

 

 裏方……なるほど、それだったら俺も助けになれるかも……。さすがアリアさん。もしかしたら俺の心情を察してくれたのかもしれない。委縮していた心に少しだけ勇気の炎を灯った気がした。

 

「……わかった。アリアさんの折角の頼みだし、ここで引いたら男じゃないもんな」

「じゃあ、アンタは――」

「ああ通信なら任せてくれ。そこら辺が妥当なとこだろうし」

「ふぇ?」

 

 あれなら、元々専門だった(・・・・・)からイケるかもしれん。

 様々な情報を瞬時に処理しつつ、的確な助言を伝える技能は才能(センス)より経験(つみかさね)が物を言う。

 人間は両方の耳で別々の情報を処理することができない。

 「二丁目の田村さんがアナタに用事があるらしいですよ」「どーも先輩、今度一緒に遊びにいきませんか?」――こんな短い文でも、いきなり同時で喋りかけられると脳の処理能力を超える。

 だが数年間本気で鍛えれば、習得できないわけじゃない。努力を重ねたからこそできる技。才能以上に努力、経験が物を言う世界――それが通信。

 だからこそ本職の通信科(コネクト)に頼むのが筋なんだけど、今回は俺がやらせてもらう。数少ない自信を持ってやれる部署。むしろ探偵科より、そっちに転科するのも面白いかもしれない。今更だけど。

 アリアさんが目を見開く。なぜか驚いた様子だった。

 

「ちょっとストップ! ケイのポジションは別のね――――(おかしいわねぇ……? アタシの勘が正しければ、ケイはフロントバックを好むだろうから誘導したのに。希望がまったく別の……後衛ポジションじゃない。どうしてかしら……?)」

「それってどういう――」

 

 ――ことだ、と聞き返そうとしたとき。

 バンッッッ!!

 俺の声を遮るように荒々しく扉が再度開け放たれて飛び込んできた人物がいた。

 長い黒髪。脇に抱えた古めかしい刀。

 雨に濡れて白い着物にうっすらと黒いラインを覗かせた女性。

 

「神崎アリアッ! そ、その話、私も入れさせてッ! キンちゃんを……キンちゃんを助けたいの!」

「白雪さん!? キンジを助けたいってどーいうことなんだ?」

「にゃにゃあああにゃ!? ちょ、ちょっとおちちつつききなさい!」

 

 俺の言葉に返すでもなく白雪さんはアリアさんの両肩を掴んだまま、ガックンガックンと相手を揺らしまくっていた。

 普段の大和撫子を絵にかいた雰囲気とはまったく違い、彼女は気が触れたようにぶつぶつと独り言を漏らす。

 

「早くしないとキンちゃんが危ないのっ! ええっとバイクじゃ追いつけないから……なにか、なにかない!? どうしよう……どうしよう……私が頑張らないと……。今度は私が助ける番……。占いがこんな結果になるなんて……は、はやく! はやくいかなくちゃ――」

「アンタはまず冷静に――」

「――――そうだぞ星伽ぃー。お前はすこぉーし頭を冷やすといいぜぇー」

「あぐぅ!?」

 

 ゴツンと鈍い音が白雪さんの脳天に響く。

 微妙に間延びした口調とともにやってきた人物は、

 

「綴先生?」

「おーう綴さんだぞぉー」

 

 いつもの咥え煙草。ラリってる感じの危ない雰囲気を醸し出している綴梅子先生だった。

 煙を燻らせながら白雪さんに対して少し厳しい視線を投げかけている。

 

「…………んでぇ、星伽よぉーお前さんは武偵高(うち)の預かりモンだって判ってんのかぁ。都会(そと)に出るのだって散々本家の奴らにゴネたんだろぉー?」

「で、でも、それはっ! キンちゃんと一緒にいるためで……だから、キンちゃんが危ないならアタシ……が――」

「そんでバスジャックにってか? 冷静に考えろよなぁ、優等生のお前らしくない。私はお前さんのデータは一応預かってるんだわ。アンタの超能力(ステルス)と爆弾は相性が悪いだろー? それにポン刀引っさげながら狭いバスの中でなにするのかねぇ。宮内庁(くないちょう)からもよろしく言われてんだよぉ。…………つまり大人しく別の奴らに任せておけってことだ。判ったな?」

「それは……けど」

 

 何かを思い出したのか目を見開いて顔を上げる白雪さん。

 冷静さは取り戻したものの、悔しそうに服の裾を握りしめているようだった。

 

 それにしても本家に、宮内庁?

 宮内庁っていうと天皇とかの皇室関連の行政機関のことだよな……。西暦六○○年後半あたりには既にその元となった組織があったっていう歴史ある部署だ。

 ……もしかしなくても白雪さんって物凄いお嬢様だったりするんだろうか?

 それに生徒会長で女子バレー、手芸、園芸部の部長で偏差値75オーバーで完璧超人だなぁ…………いや今、重要なのはそこじゃない。

 白雪さんはいまどき珍しいほどの大和撫子タイプで一途な女の子だ。周りがヤキモキするくらいに。

 キンジのことは幼少時から慕っているという話を聞いたこともあるし、俺もいくつかアドバイスした。

 正直奴は爆発しろと言いたいが……まあ置いておいて。

 白雪さんは何か見えない鎖にでも縛られたように彼女はその場から動かない。

 いつものほんわかとした笑みを周囲に振りまく姿とはまったく別の動揺した姿を見せた。明らかに助けに行きたいであろうことは容易に察せられる。なのに彼女はそれ以上動こうとしなかった。

 顔を伏せながら、ぎゅっと胸元の服を握りしめるばかり。

 やっと視線を上げたが、目で相手に訴えかけても、綴先生は肩を竦めて察してくれと言わんばかりに顔を背ける。

 彼女にとっては大切な幼馴染。そして俺にとっては付き合いの長い友人。そいつの危機。

 ……助け舟を出したって悪くない、はず。

 

「いいんじゃ、ないですかね? 白雪さんだって出たがってるじゃないですか」

 

 俺が後ろの方で口を出すと、ダルそうに頭を掻きながらこちらに視線を向けた。

 ……おう、チッって舌打ちされたんすけど。

 やばい。なにか判らんけど美人が顔を歪めると全てこっちが悪い気がしてきた。

 だ、だけどここは頑張れ大石! 俺のようなビビりと違って白雪さんは必死に頑張ってるんだからな! ファイトだ!

 怯まないように目に力を入れて見返す。

 

「……んだよ大石ぃー。お前ぇ……結構なフェミニストだと思ったんだがなぁー。いや悪い意味で言ってないぞ。お姉さんは好ましい部類だと思ってるさ。だけど、警察にとってのヤマ、消防士の火災現場、そして武偵にとっちゃ事件は戦場だぞぉー。…………女を戦場に行かすなんて随分素敵な紳士さまだねぇ~?」

 

 すんげー毒吐かれましたよ、おい。忘れてたけどこの人、尋問科(ダギュラ)の先生じゃんか!

 口八丁手八丁が武偵高でも随一なのが尋問科。蛇のようにねちっこくこっちの心を弄ぶことが大得意。

 一気に勝算がなくなったような…………いや諦めんなよ俺! さっきからごちゃごちゃ悩んで駄目人間に思えてくるんだから、こういう時くらい頑張れって話だ!

 内心汗だらだらだけど兎に角、言葉を出してみる。

 

「い、いやぁ~ホラ! アリアさんだって行くし大丈夫じゃないかって……」

「まーそっちは大石と神崎に、レキ、武藤、不知火とSランクにAランクがゾロゾロ居るわな。セオリー無視でいの一番に現場へカチ込むのを先生は見逃してあげるんだけどなぁー? 更に星伽まで連れてっていくわけだ。『(かえる)の面に水』って知ってる? それとも『面の皮が厚い』ってーか?」

 

 毒の割合が増えてるよ! どんだけ白雪さんを行かせたくないんだろうか。

 ちょっと周りはどうかち視線を向けると、アリアさんはどちらでもいいのか倉庫からC装備――防弾チョッキやヘルメット、ひざ当てなどの準備をし始め、携帯で誰かと連絡を取っていた。時折、アニメ声で怒鳴っている。もしかしたらキンジ相手かもしれない。

 不知火は手信号で「ごめん、僕にはどっちが正しいか判らない」と済まなそうに頭を下げていた。俺のワガママみたいなもんだから、仕方ないか。

 武藤はニヤけたり顔をしかめたりと百面相をしている。コイツ、ぜってー白雪さんと一緒だったらいいな、でも危険なのは――て感じ考えてる気がする。

 レキさんは、扉の付近でしゃがんでいつもの無表情(ポーカーフェイス)を維持したまま、雨宿りに来ていたのか、それにしては身綺麗な子犬の頭をぽふぽふと両手を使い撫でていた。とても和む。

 あー、うん、とりあえず説得頑張ろう……。

 

「大切なのは助けたい気持ちって奴じゃないっすかね?」

「気持ちでこなせたら警察はいらないだろぉー?」

「そこは、こう先生のお力で、お一つ」

「だーから、宮内庁のお偉いさん相手にどーこうできないってぇの」

「俺も全力で頑張りますんで!」

「………………あ? お前さんがか」

 

 アレ、少し手ごたえがあった?

 今までは鬱陶しそうにしていた先生が、初めて興味を惹かれたようにこちらを注視してきた。

 目は口ほどに物を言う。諜報科で相手の瞳は情報を探る上で重要だと習った覚えがある。勘違いかもしれないけど、ホンの数mm、綴先生の黒瞳が左右に揺れたような気がした。

 意外だけど……あれか、俺個人のやる気が突破口かもしれない。もう少しそこから攻めてみよう。ハッタリとかなら得意だからな! 自慢できんが!

 

「いやー、俺も全面協力しますし、白雪さんも安全っすから!」

「ほうほう……最近サボり優等生さま“円”の全力、なァ? 期待していいのかねぇ」

 

 眉間にシワを寄せて厳しい顔だが、悩んでいる様子だった。その思考の間隙を突いて不知火の援護射撃が入る。

 

「……綴先生、彼の解決事件(コンプリート)は七七件ですよ。その実力は間近で見てきた僕が保障致します。さらに神崎さんも九九件の事件を解決した実績――――星伽さんが負傷する可能性はかなり低いかと」

「武偵高きってのダブルスコア組か……大丈夫といやぁー確かに……いやでもなぁー……」

 

 ナイス不知火!

 先生に見えないように親指を立てて御礼をしておく。不知火はウインクして、口パクで「頑張ってね」と伝えてきた。ほんとこういうさりげない気遣いが凄いなお前。嫌味じゃないイケメンさんだ。

 俺の解決事件(コンプリート)については先輩方についていったものが大半なので、こそばゆいけど…………とにかく先生から初めて前向きなお言葉が来た。ここは畳みかけるべしだ!

 

「当然ですよ! 解決までの糸口は見えてますから! もう終わったも同然です!」

 

 ……解決するのはアリアさんたちだけどな、とカッコ良くないことを内心思いつつ、必死にアピールする。

 

「随分なビックマウスだけどなぁー、しかしお上に逆らうってのもメンドーだし――」

「――ええやないか綴。行かせたれや。上がなんじゃい! ルールなんざ適当に破りくさって上等だろがぁ」

「蘭豹先生?」

 

 後ろから綴先生の肩を掴んで言ってきたのは意外にも蘭豹先生だった。

 一瞬こちらに目を向けられたとき何故か冷や汗というか、少し怖かったけど顔だけは満面の笑み。

 それに対し、綴先生はやられたとばかりに額を抑え「やれやれ」と言いながら後ろを向く。

 

「それじゃ駄目って言ってんのによぉー。個人的な考えで私を使うなよぉー」

「武偵憲章第四条――『武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用の事』。ええ言葉やないか。こいつらは自分達(テメエら)で考えて事件に立ち向かってんやろ。蝶よ花よと預かりモンを囲うのもええけど、たまにゃあ動かさないと腐るかもなぁ」

「花は腐っても人は別だろぉー? それより本家とかがなぁー…………あーあーわかったわかったから、そんな好戦的な目に見つめるなっての。別に良い子ちゃんぶるほど、私もお行儀良くないさ。……でも今度奢れよぉ?」

「商談成立ってわけやな。おし、じゃあ大石ぃ!」

「は、はい?」

 

 大丈夫そうで俺は人知れず胸を撫で下ろしていたが、いきなり呼ばれて少しびくっとしてしまった。

 動揺しつつも返事を返すと、

 

「おどれも協力するってことでええんやな? 前言撤回なんて抜かしたら潰すぞ」

「いや、もちろん手伝う予定ですけど」

 

 そこでニヤリと笑う蘭豹。

 ゾクゥ!?

 ドアが空けっぱなしで、雨に冷やされた風が背筋を駆け抜けた……そんな悪寒がした。

 あれ……俺、やばい?

 

「全力で頑張るって?」

「だから確認しなくてもやりますって!」

「言質はとったでぇ? 綴も聞いとったな?」

「音は取ったぞー」

「え?」

 

 なんだろう……こう退路を塞がれた感が……。

 

「よーし! ヘリ二台にパイロットの車両科二名を確保してやるで! 星伽ぃ!」

「は、はい!?」

「えかったな。ワイらが特別に見逃したるで? 黙って王子さまでもなんでも助けてやりゃいい」

 

 笑顔の蘭豹はそういうと綴先生になにやら話す。先生は肩を竦めたあと、そのまま手をひらひらさせながら部屋を去って行った。たぶんヘリやらを手配しにいったのだろう。

 白雪さんは先生方にお礼を言っていた。

 

「あ、ありがとうございます! 大石君もありがとう!」

「いや不知火が丁度いいタイミングで言ったのもあるから」

「僕はただ親しい友人が頑張る姿に感銘を受けてポロっと口をこぼしたに過ぎないよ。大石君の行動あってのことさ」

 

 あーもう! 不知火がイケメン過ぎる!

 今度俺に飯でも奢ろう。……もちろん武藤やキンジも連れてなっ。

 

「不知火君もありがとう……これでキンちゃんを助けられるっ。…………ちょっと、実家には悪いこと、しちゃったけど」

「俺は良く判らないけど。まあなんだ、後でいいんじゃね? 後悔は後に悔いるってんで、終わった後でもできるし、怒られたらそんときはそんときで。それより笑顔でバスにいるアイツを迎えにいけばいいんじゃないか。最善か知らんけど最適解ではあると思う」

 

 緊張から解放されたのか、一筋の滴を流した彼女はこちらを見上げながら小さな白花が咲く。

 こういう時にどう言えばいいのか判らない。ちょっと照れくさいので横を見る。

 

「そ、それよりまだ始まってもないし準備しないといけないんじゃないか?」

「……うん、そうだね。それじゃあちょっとアリアのところに行ってくるよ。……キンちゃんのお友達が大石君や不知火君のような人で本当に、良かったと思う。ありがとう」

「お、おう」

「頑張ってね」

 

 大輪の白百合の花を咲かせたあと、白雪さんはアリアさんの元へと走っていく。俺は少し照れながら、不知火は爽やかな笑顔で。

 

「……不知火もサンキュ」

仲間(とも)を助けよ――ってね。それより早く遠山君たちを助けにいかないと。きっと苦戦しているはずだから」

「そうだな……まあ俺ができることは少ないけどさ」

「大石君は謙虚だね」

「謙虚っていってもなぁ……」

 

 不知火が苦笑する。どういっていいものか。

 悩んでいるとテンション高めの武籐がやってきた。

 

「いよっしゃ! 白雪さんにいいところ見せてやるぜえ!」

「……武籐ー、だったら助けてくれよ。綴先生怖かったんだからな」

「まあまあ、いいじゃねえか! それより久しぶりのチーム戦だぜ! いっちょやったろうじゃねーか!」

「武籐君は熱いね。まあ僕も頑張ろうかな」

「ったく、俺もまあボチボチやるけどさ」

 

 誰が言うでもなく、右拳を掲げ、コツンと三人で拳を合わせる。

 頑張らないとな。

 

「とりあえずC装備で行くらしいから準備するかな」

「おーし、ビシッと決めてやるぜ!」

「そんじゃ俺も――」

 

 ――通信科の施設に向かおう、そう思って足を出口の方へと向けたが、それは叶わなかった。

 ガシッ!

 男性と違い、一回り小さな女性の掌が俺の動きを止める。

 なぜか、肩を、掴まれた。

 蘭豹が、笑っていた。獰猛な肉食獣を彷彿させる顔で。

 

「大石ぃ~、全力で、本気で、偽りなく、気張るんやろぉ?」

「うぃ!? えーまあ。だから裏方として通信でもと――」

「アホんだらぁ! だーれも、んなもん期待しとらんわ! ええからC装備の後、ヘリに乗り込めやぁ! 星伽のお守りはおどれの仕事やろ、前線行く奴が勝手に持ち場を離れるなちゅうに!」

「いや、俺は通信――」

「強襲科のS取った奴がバックに戻んな。死ぬ時は身体の前面にタマ受けて死ね! 死ぬほど気張れ!」

「マジで!? いや、ちょ――!?」

 

 違うッ!

 俺は通信くらいしかできないし!

 助けを求めてリーダー格であろうアリアさんを見ると感心したように頷いていた。

 

「……そういうこと、か。教師からの強制連行って形をとったわけね……。婉曲的な手法だけど、それがアンタのやり方ならアタシが口を出す必要もないわ。それに必要なメンバーや移動手段も用意させるんだから、素敵な交渉術だったわケイ。…………これなら、後はキンジの実力を測れば準備は整うわね――」

「ちょっとーアリアさーん! あのー俺はですね!」

「え・え・か・ら……とっとと着替えぃ!!」

「あだだだだだだ! 耳は引っ張らないで――わかった、わかりましたから! 手を離して! 耳なし芳一になっちまうっ!」

 

 ぶつぶつと呟きながらアリアさんが自分の世界に入ってしまう。

 有無を言わさず耳を引っ張っていく蘭豹先生。なし崩し的に装備を整える羽目になった。

 不知火と武藤はすぐ準備が終わったのか、俺の肩を叩いて屋上に向かう。白雪さんとアリアは女子更衣室へと行っていた。

 レキさんは犬の背後に周りバンザイさせながら「よろしくお願いします」と一緒に頭を下げるという不思議な行動をしたあと、そのまま彼らと同じく去っていった。

 

「お、おう…………?」

 

 蘭豹にドヤされながら俺は適当に着替えて気付いたらヘリに乗り込んでいたのだった――

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 時は遡り、早朝八時前。

 東京武偵高校第三男子寮付近にて。

 

「くそっ、今日は体育で持久走があるってのに雨なんてツイてないな。土砂降りのなかを走らされかないぞ……。あ、バス待った! 入れてくれっ!」」

 

 ポツポツと降りだした雨のなか、キンジは急いでバス停の前まで走る。

 バス停の屋根の下で傘を数回ほど開閉し、水気を払って閉じるとバスの入り口へと向かう。

 何人かの生徒が列を作っていた。仕方なく最後尾へ並ぶ。

(チッ、思ったより込んでいるな。想定していた人数より多い。雨でみんな早めに来たってことか)

 内心舌打ちをしていた。不特定多数の人間と触れ合うことを嫌うキンジにとってあまり歓迎できた事態ではない。とはいえここで歩いて学校に向かうという選択肢もない。十中八九一時限の授業をフケる羽目になるからだ。

 列が進みやっと自分の番が来る。後ろには誰もいないので満員気味だが一人、二人が辛うじて入り込めるスペースがあり、そこに乗り込もうとした。

 すると眼鏡にセミロングの髪を短く結んだ一年生がキンジの姿を認めると薄く頬を朱に染め、慌てて中へ中へと押して入り口付近に空きスペースを作った。

 

「あ……遠山先輩おはようございます! 今すぐなかに行きますから!(やった! 憧れの先輩のすぐ傍なんて嬉しいな。牡羊座が一位だったからかな……?)」

「あ? ああ、悪いな……(スペースは空いていた気がするが……まあいいか。しかし女子の隣とか運が悪いな。バスが混んでるし、ヒスらないように気を付けないとな)」

「いえいえ!(キャッ、クールな顔が渋くていいっ!!)」

 

 バスへと乗り込んだキンジは極力、性的興奮が起きないように入り口付近の手すりに掴まった。

 衆人環視のなかでHSSを発動し、天然ジゴロと化したら真面目に不登校になりかねない。

 日常生活で(かせ)の多い自身の能力に人知れず溜め息を吐き、気分転換に外の風景を眺める。

 まだ冬の冷たさの残る雨粒が肌を湿らせ少し身震いする。黒く濁った空はこれからの荒天を予期させ、さらに気分が滅入る錯覚を覚えた。

 ふと自分が身につけた腕時計が目に入る。洋風ものと違い、紅葉の絵柄や陰陽を思わせる黒と白のコントラストが不思議と心に安らぎをもたらす――そんな和テイストの腕時計だった。白雪にプレゼントされた時計だ。

 太陽や電灯の光を反射させるといざという時、犯人に見つかる恐れがあるため、光が反射せぬように軽くいぶした一品。

 理子に修理を頼んでおいた時計がポストに入っていたものの、朝食を作りにやってきた白雪がチラチラと彼の顔と腕を交互に見ていた所為でやむなく付けていたのだ。

 涙目でにじり寄り、天然なのか推定Eカップはあろう胸の谷間を覗かせていた彼女の頼みを断れるわけがない。白雪本人は先に行かせていたので今はいない。

 武偵高の校舎はその他、学生相手のデパート、コンビニ、何が入っているか判らないビルのテナント――流れる建物たちの向こう側には東京のビル群が建ち並び、今日も世のサラリーマンたちはあくせく働いていることだろう。

 

 無意識に車内の生徒を観察する。

 男女は半々。一年が六、七割。残りは二年生だろう。

 耳に届く会話は、仕事の内容より昨日のテレビやファッションについての話題が多い。

 二年、三年と上がっていくと過酷な依頼の経験から自然と喋る内容が変わっていく。

 最新の衣服より拳銃メーカーの新商品。そして性能の良し悪しについて語り。

 スポーツは純粋に楽しむのではなく、効率よく筋肉を鍛えるための手段。または犯罪者に対して有効な武道の話題に。

 何気ない仕草で一般人を装うが、注意深く観察すれば隙が少ない戦士――つまり立派な武偵生へと変わっていく。

 極一部では教室内でエロ本ネタや香水やらで騒ぐ奇特な人物もいるが、そいつはそいつで立派な経歴を残しているので強者の余裕と見る者もいる。

 

 キンジは中学から武偵を志しており、武偵としての経験値は四年間分。特別な事情を除き、同年代の中では経験豊富な分類だ。

 特に最前線で戦う強襲科は単純な戦闘技能より、如何にして戦場から生きて帰るかという生存本能、技能が勝手に身に付く。

 周囲の分析をしていたのも、そんな理由からだった。

(そういえば……最近は忙しいというか、騒がしいな。アリアが空からやって来て。白雪が刀片手に大騒ぎ。理子は調査の代わりで俺にギャルゲーを買わせたり。……さらにチャリジャックに武偵殺し、か。それに――)

 不知火亮――武藤剛気――そして大石啓。

 学校では付き合いの長い良友であり、悪友たち。武藤がケイに貸そうとしたエロ本が何故かキンジの机の上にあって、危うく誤解を受けそうになったり、食堂では不知火がやたらと近くに座って女子から変な目で見たれたり――少々納得のいかない出来事もあったがその思い出は存外面白いと彼は思っていた。

 TVで見る一般高校の生徒たち。楽しそうに青春を謳歌する彼らを眩しそうに眺め、ふとその輪の中に入ってみたいと思うこともあった。

 事実、兄を失った際にはそういう腹積もりだった。

 しかし、なんだかんだで今も武偵を目指している。

 硝煙臭く、乱暴で、非常識極まりない。死んだ学生の統計を示せば、恐らくベストテンには入ろう学校なのに。

(やっぱり俺はとことん武偵向きなのかもな――)

 自然と口の端を伸ばし、一人で思わず笑ってしまう。

 今日もまた騒がしい日が訪れることに例えようのない感情を抱いていたとき。

 

『このバス には爆弾 が仕掛けてやがります』

「……え?」

 

 有名なボーカロイドの機械音声。

 聞きなれた、しかし○○Pが作った歌などではなく、最近聞いたばかりの忌々しい声。

 隣にいた眼鏡の少女が困惑した表情で携帯の画面を見ていた。

 

『減速 すると爆発 しやがります』

「な、なにこれぇ!? わ、わたし……え……ちょっとなんで消えないの!?」

「まさか武偵殺しか!? おい、ちょっと貸せ!」

 

 少女の手に収まっていた携帯を半ばひったくるように奪い、画面を見る。

 通話状態のままで操作を受け付けない。

 話を聞くと、二つ折りタイプのその携帯はポケットの中に入れたままで、マナーモードにしていたら振動を感じたので取ったのだと言う。

 そうしたら携帯を開くまでもなく声を発し始めたのだと。

 その事実にキンジは武偵殺しの線を強める。

 先日のセグウェイといい、犯人が機械いじりを得意とすることは明白だ。

 彼は大声で叫んだ。

 

「みんな冷静に聞いてくれ! ……このバスに、爆弾が仕掛けられて可能性がある。この少女の携帯を遠隔操作して犯行声明を出し、爆弾を仕掛けたと言ってきている。見過ごすことはできない。……そこのお前とお前! 教務科(マスターズ)と武偵局に連絡をしてくれ」

「ちょ、ちょっと先輩どういうことだよ!? 爆弾だなんて……」

「どうやって知ったんですか! 抜き打ちの試験とかそういうことですか?」

「いや待て。この人って二年に有名な遠山先輩じゃ……。それじゃ本当に爆弾が……?」

「有名か知らんが、とにかくごちゃごちゃ言ってないで武偵なら即座に行動しろ! 間違いだったら後で土下座でもなんでもするから早くしてくれっ!」

 

 周囲は困惑していたが、キンジのネームバリューもあってか、それとも先輩の剣幕に気押されたのか、一年の男子たちは慌てて携帯を片手に連絡を始める。

 無論、間違いの可能性もあり、キンジとしても心の片隅ではいたずらであって欲しいと願っていた。

 その場その場で瞬時の判断を迫られる武偵は、早とちりをしがちでたまに世間の非難に晒されることもある(怪しいオジサンが子供を連れていこうとていたのをとっちめたら実際は親子だった、など)。

 しかし『爆弾』『遠隔操作』『ボーカロイド』――武偵殺しにしろ、模倣犯にしろ共通点が多々ある。

 車内に爆弾が仕掛けらていると半ば確信しながら、キンジはバスの運転手のところへと向かう。

 

「運転手、今の声は聞こえていたよな。すまないが今の速度で維持してくれないか?」

「は、はいわかりました。しかし爆弾なんて……」

「それは今調べる。すまないがみんな、上の荷物棚や座席の下とかを調べて――――」

 

 キンジが言いかけたその時。

 ドクン

 背筋が凍るような、カチコチに凍った氷の芯が背骨に差しこまれた錯覚を覚える。

 視界に入った窓の外。赤いオープンカーが併走していた。激しい雨にも関わらず。

 強烈な違和感。車が走る普通な光景に、運転手がいない不自然な事実に。脳は警鐘を鳴らす。

 そして先日のチャリジャックの際に追跡してきたセグウェイ。それにに取り付けられたUZI(ウージー)の銃口がこちらに向けられているのを。

 

「――ッ!? 射線入ってるぞッ!! 全員しゃががめええええ!!」

 

 バラララララッ!

 鉛の嵐が窓を突き破り生徒たちに襲いかかる。

 キンジの大声と数人が外を見ていたこと。そしてさすがは武偵高校の生徒というべきか。

 車内の生徒たちは反射的にしゃがむ。

 悲鳴を上げながらもパッと見では銃弾に当たった生徒はいないようだった。

 ほっと安堵の息を吐くキンジだったが、

 ドン!

 

「な!?」

 

 突如車内に大きな衝撃。ギャリギャリィと金属が擦れ合う耳触りな音が響く。

 キンジは運転手を見ると、

 

「…………ぅ」

 

 肩から血を流し、ハンドルの上にうつ伏せになっていた。

 慌ててシートベルトを外し、近くの生徒に預ける。

 

「お、おい、大丈夫か!? くそッ、肩に血が……痛みで意識が吹っ飛んだのか。誰か救護科と……あと車両科の生徒はいるか!」

「あ……応急手当なら私が」

「よし頼んだ。あと運転だが……」

「い、いや俺は強襲科だから――」

「私は通信科で――」

「自分は鑑識科で運転はさっぱりです」

「……不味いな、運転経験なしか」

 

 不運は重なる。車両科の生徒が一人もいなかった。

 せめて武藤か、不知火が居てくれれば。

 車両科の武藤ならバスの運転は当然できるし、不知火も多少こなすことができる。

 アリアが入れば敵の撃破は余裕だろう。ケイなら誰にも思いつかないような奇策で一気に解決できるかもしれない。

 

 ――――だが彼らはいない。

 

 キンジはバイクならともかく大型車なんて運転したことはない。普通自動車も軽く触った程度だ。

 しかも運の悪いことに車内の二年生は鑑識や救護など戦闘とは無縁で、強襲科は自分だけ。

 車内のみんなは最初に音頭を取ったキンジに対し、縋るような目で見ていた。

 

「仕方ない、俺がやるからみんなは爆弾を――」

 

 バララララ!

 まるでキンジの声を遮るように再度弾丸が窓から放り込まれる。

 一部の女生徒はガタガタと震え「死にたくない」「なんで自分たちが」と呟くものすら居た。

 なんとかバスのアクセルを吹かし、速度を維持しようにも、前方が見にくい。下手に頭を出すと撃たれかねないからだ。

 動く爆発物となったバスは何度かガードレールに体当たりし、火花を散らしながら橋へと向かう。

 犯人に弄ばれ、頼りになる仲間たちもいない。八方ふさがりの状況。

 自身で解決したいが取れる手段はただ一つ。

(ヒステリアモードなら、あるいは。だが……駄目だ。あれは諸刃の剣。あとでどうなるか判らない。それにこんな緊張状態で興奮できる行為なんて常識的にも状況的にも土台無理だ。かといってこのままじゃジリ貧……。考えろ、考えろ、考えろッ! 強襲科で……探偵科で俺は何を学んできたんだ――――ッ! 危ない!)

 キキィ!

 慌ててハンドルを右にきる。ホンの五○cmの距離も無く、危うく他の乗用車に追突するところだった。

 悪天候ゆえか普段より交通量が少ないことが幸いだったが、これでは考えにふけるのもままならない。

 冷静に考えようにも他人に指示しながら自らも行動するには経験が浅かった。

 キンジの潜在的な能力は高いだろう。強襲科という最も過酷な舞台で生き続けた四年間は馬鹿にはできない。されど、その花が咲くにはしばし時が必要だった。

 唇をかみしめながら舌打ちをする。

 ――せめて信頼できる友が一人でも居れば。

 『たら』『れば』で物事を考えるなど愚行。だが思わずにはいられない。

 状況が彼の思考を鈍らせ、堂々巡りの思考の中、ただただ時間だけが無為に過ぎていく。名案が浮かばぬまま、バスは進む。

 そのバスに空から近づく二台のヘリが、あった。

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 なぜだろう?

 そう考えた俺は悪くないはず……たぶん。

 いや自分の発言に責任を持ちましょうと言われたそれまでなのだが。

 

 アリアさんや蘭豹先生に半ば押し込まれるようにヘリに乗せられ『第二分隊リーダー』なんて急場の役職を小さなお嬢様から賜り、件のバスに向かっている。

 先に現場に向かったのがアリアさんをリーダーとして、不知火、武藤と蘭豹先生に捕まった憐れな三年生の車両科男子。

 その後を追うように向かっているメンバーは俺、白雪さん、レキ、そしてヘリを操縦している長身でシャープな顔立ちの一年生女子、武藤貴希(むとう きき)さん。武藤と同じ名字でどことなく、アイツと似ている雰囲気を感じたのだが、さすがにキンジや他の生徒たちが危ない状況でのんびり談笑するのはKYだろう。

 彼女は無理やり連れてこられたのか不機嫌そうな表情でヘリを飛ばしていた。二、三言葉を交わしただけで終わった。

 当初は一台の予定だったが綴先生が後発組に白雪さんを入れるために、もう一台用意してくれたらしい。

 ぶぶぶと携帯が振動したので取り出す。メールが届いたようだ。内容はというと。

『こっちは先にバスへ突入するわ。レキは待機。ケイと白雪は臨機応変に対応しなさい。あとヘルメット内臓の通信機能の電源は付けておいて。以後携帯は使えないから』

 しまった、忘れてた!

 心の中で謝りつつ、ヘルメット内臓の電源を付ける。悪天候のせいかザザザとノイズが入るものの、通じるようだ。

 これでスイッチを押せば、アリアさんたちと連絡することも可能だ。

 メールから察するにどうやら彼女たちはバスに直接乗り込むようだけど……。

 それにしても臨機応変かぁ……。個人的にはビルから紐なしバンジーを連想するので、バスに降下したくないのが正直な感想なのだけど。

 内心苦慮していると通信科と連絡を取っていた白雪さんが、ヘッドホンの位置を調節しながらこちらに聞いてきた。

 

「大石さん、なにか連絡でも……?」

「ああ、アリアさんたちは先に降りるってさ。こっちはレキ以外の奴は臨機応変に対応しろって。白雪さんは、どうする?」

 

 あれだけ慌てながら先生に直訴したのだ。たぶん一緒に行くと言うのかと思ったのだけど。

 

「私は……ここで通信科やバスの突入組とか、キンちゃんと連絡を取り合うつもり、だよ」

「あれ? てっきりキンジの元に行くんだろうって思ったんだけど」

 

 意外だったので少し驚く。直ぐにでも飛び出していくのではと思っていたから。

 彼女は一度を目を閉じて、考えたあとゆっくりと首を左右に振った。

 先ほどと違い、落ちついた表情で言う。

 

「先生方の言ってた通り、私じゃあまり……役に立つか判らないから……。それに星伽のこともあるし……」

「いやでもさ。さっきも言ったけど、そんなの後で考えれば――」

「ううん駄目。ここまで来て自分勝手だなぁって判るんだけど……実際先生たちの言う通りなの。私の習った超能力(ステルス)だと、足を引っ張る可能性がある。キンちゃんやみんなを助けるには、アリアみたいな子が必要だと思うから……だから私は、ここで見守る。私の出来る最善を尽くすの。きっと、それが一番、正しいはずから……。ごめんね、大石さん、先生に掛けあってくれたのに……」

「いや白雪さんがそう言うならいいんじゃないか? 俺も偉そうに言えないし……」

 

 彼女の瞳は少し沈んでいるようにも見えたが、その声音は硬く何を言っても自分の考えを曲げる意思がないように思えた。

 これ以上俺が言葉を重ねても迷惑でしかないのだろう。たぶん白雪さんの心を開かせるのはアイツしかいない。

 手に持っていた携帯。隙間風に揺られて水晶型ストラップが、俺のヘルメットにぶつかる。その音はどこか鈍く、彼女の心情を表しているようだった。

 レキは我関せずと、ドラグノフを片手に座っていた。

 

「バスジャックか……。にしても風が強くてふっどぉ――ッ!?」

 

 ぐらりとヘリが揺れる。

 どうにも嵐が来ているせいか悪天候で揺れ過ぎているようだ。

 つーか、さっきからグラグラ足もとが変にブレる気がして嫌だなぁ。気分もあまり良くない。

 空中か……嫌な思い出もあるし、どうしたもんかな……。

 白雪さんは真剣な表情でマイクに何か話しかけている。そっとしておこう。バスの近くまで来ているが、下を見降ろしても、対象のバスは見当たらない。もう少し時間があるようだ。

 レキに話しかけてみようかな……。彼女はアリアさんからヘリの上で待機と命じられているから時間的に余裕があるだろうし。

 あまり話題に花が咲くタイプじゃないんだけど、車の中で読書した気分というか、ぶっちゃけ体調が優れない。

 

「ああーっと、そっちの調子はどう?」

「……? いつも通りです」

「ああ、うん、そっか……」

 

 会話終了。いや待て俺。もうちょい粘ろうぜ!

 なので引き続き続行する。

 

「雨は降るし、風は強いし、大丈夫?」

「問題ありません。私には風の声が聞こえます。荒々しいように思えますが、存外この場の風はそこまで激しいものではありませんよ」

「へ、へーっ! さすがだな狙撃科のエース! どんな長距離射撃もお手の物ってわけだ」

「はい」

 

 淡々と答えるレキ。

 しかし勘違いだろうか? 僅かだけど、ドラグノフを強く握り、どこか誇らしげな顔付き(無表情だが)をした気がした。

 なんというか自分の腕に絶対の自信があるような、黙して語らず、だがこの子ならできると断言できる頼もしさが感じられた。

 凄いな……ホント。

 そう思っていると彼女の透明な瞳がこちらに向き、話しかけてきた。

 

「しかし大石さん。どうも落ち着かない様子ですが、どうかされたんですか?」

「ああ、いや……なんつーか、こういう大事件は緊張しちゃってさ。俺なんかが役に立つのかなーって」

 

 体調のこともあるが何よりこういう人命が関わる場面だとどうしても身体が硬くなってしまうというか、責任とかの重さを必要以上に感じてしまう。

 会社の社長とかにはちょびっとだけ憧れるが、それ以上に職務に対する重責がどうもな……。

 俺の言葉をどう思ったのか彼女は少しだけ首を傾げると、抑揚のない平坦な声で話し始めた。

 

「それはいけません。どんなに優秀な人間でも冷静さを欠くと実力を半減してしまいます。呼吸を整え心臓を落ちつかせた方がいいでしょう」

「わかっちゃいるんだけどなかなかな……」

「…………日本の各種武道は精神鍛錬の意味合いも強いと聞きます。大石さんのご実家も道場をやっていると風の噂で聞きました。剣や弓に関する精神を落ちつける術もあるのでは?」

「なくはないけど、なぁ……」

 

 剣は突き一辺倒だったから論外。弓も一応あったけど……。

 

「弓は…………うん駄目だな。あれも論外過ぎる……」

 

 じーさんに「武士は弓術も優れた方がいい」と言われて持たされたことがあったがてんで駄目駄目な結果を残した過去がある。

 むしろ弦を引いたら衝撃で転んでなぁ……。折れちゃったんだよな。しかも矢があろうことか、ほとんど真上にぶっ飛んだ上に風で俺の頭の数cm横を掠めるとか死にかけたし。

 

「あっという間にへし折れるからなー……うん、無し」

「そうですか」

「いや、わざわざアドバイスしてくれたのにごめん」

「いえ特に問題はありません」

 

 そういうと彼女はまたドラグノフを片手に目を瞑って集中し始めてしまった。

 ……うぅ、ちょっと言い方が悪かっただろうか?

 駄目だなーどうも。いつもより頭が更に回ってない気がする。

 もう、腹を決めてかからないとヤバイのに……くそ、怖ぇ…………けど降りて爆弾をどうにかしないと、いけないんだよな。

 もやもやと考えているとグラリとヘリが揺れて思わず床に手を付いてしまう。

 そのときカツンと携帯が手元から滑り落ちる。

 

 やば! 三万もした奴だから早く拾わないと!

 慌てて拾おうとしたところ、白魚の手が俺の携帯を拾いあげた。白雪さんだ。

 

「ああ、ごめん。ちょっと揺れたせいで……ありがとう」

「それはいいんですけど……これ……? すいません大石さん、この水晶のストラップを見せていただいてもいいですか? ちょっと気になって」

「ストラップ? 別にいいけど、三○○円の安物だぞ?」

 

 白雪さんが何やら気持ち険しい顔付きでストラップを眺める。

 何故か携帯からストラップを外し、携帯だけは返してくれたのだが、じいっと一分間ほど睨みつけていた。

 さすがにおかしいので話しかけよう。

 

「それ、なんかあったの? 気に入ったとか?」

「気のせいかな……でも僅かに残滓が……だけどこの程度なら……粒子の濃い日で……」

 

 透明な水晶に反射して黒髪の少女の顔を映し出す。

 ただの綺麗なガラス球だと思うんだけど……巫女さん的に占いグッズが気になるのかな。

 

「……違うかな……あっ、ごめんね勝手に外しちゃって! どうしても間近で見たかったから!」

「いや別にいいけど、欲しいならあげるけど? 安物だし」

「う、ううん、そういうことじゃないんだ。少しだけ心当たりというか、ザワ付く感触がしただけだから。気のせいだったみたい。気にしないで……」

「ならいいけど?」

 

 結局、彼女が何をしたいのかは判らなかった。

 改めて水晶を眺める。無機質なそれは安物にしては丁寧な作り込みで、鏡みたいに俺の顔を映しているだけだった。

 うーん、水晶……水晶ねぇ?

 そういや水晶って名言もあるんだっけか。例えばヨハン・ゲーテとか。詩人が水を掬えば、水晶となる――だかいう奴。

 偉人の言葉ってなんでこう、湧水のようにポンポン出てくるんだろうなぁー。

 てか偉人じゃなくても、例えば不知火だ。あいつの喋る言葉の一つ一つは、男の俺からしても決まっているというか、カッコ良い。

 俺もそういうセリフが言えたら、もうちょいカッコよくなれるのだろうか?

 水晶を見つめる。こうビシっと決まる言葉を。

 

「……俺はお前を見ているぞ。透明な水晶の先、その心の奥底まで…………」

 

 ……………………死にたくなった。クサイのもさることながら何処で吐けばいいんだよこんなセリフ!

 やべぇ、さぶいぼが……頭を打ち付けてのたうちまわりてぇっ!

 幸い小声だったから周囲には聞こえなかったはずだ。つーかこんなアホなことしてないでアリアさんたちの方を見よう!

 うん、そうしよう!

 アイツら必死に頑張っている最中に安全地帯の中で俺はなにやってんだって話だ。

 

「とにかくバスを――ってうおっ!?」

 

 さっきの風より一段と揺れて足元がおぼつかなくなる。

 立っていたので思わずゴツンと窓に額を打ち付けて火花が散った。痛ぇ……。

 こりゃあ、あれかアホなこと考えていた罰と考えよう。

 そのままアリアさんたちの方を見ると、既に現場に到着していたらしく、前方のチームがヘリから降下し、パラシュートを展開していた。

 

 だがバスに降り立ったその瞬間、突如バスが右にハンドルを切り、誰かが体勢を崩した。あれは――ッ!?

 

「不知火!?」

「大石さん、どうしました!?」

「ヤバイ、不知火がバスから落ちかけてる! どうすれば……っ!」

「……大石さんも降りる予定ですし、バスの上に移動した方がいいかも……」

「あ、ああ、そっか。いや、そうだよな。武藤さん移動して貰っても――」

「――大丈夫、もう移動しているよ」

「マジか! ありがとう!」

 

 白雪さんと話している間にもう準備を終えていたようだ。

 アリアさんたちが乗っていたヘリは車輌科の生徒以外いないので、そのまま帰る予定になっている。

 もう既に現場から離れ始めているようだ。

 

 ……とにかく不知火たちが心配だ。急いでヘリのドアを開ける。

 ビュオゥッ!

 雨の滴が顔面を叩き、思わず目を瞑ってしまう。片手をあげたとき足もとにカツンと振動音。

 あれ、何か落としたような――いや、いいから早く状況を確認しないと!

 場所はまだビル群の中。高度は一○mから一五mでビルなら四、五階くらいだろうか。

 不知火はワイヤーを巧みにバスの割れた窓――何故割れたかは不明だが――にフックを引っ掛け、武藤がなんとか引き上げている。

 遠目だから判別しにくいが、一応大丈夫そうだった。

 ボンッ!

 

「なんだ!? 車が横転してる……?」

 

 赤いオープンカーがいきなり半回転したあと、脇の街路樹に衝突して煙をあげている。

 爆弾……? いや事故? 判らない……もう何がなんだか……。

 アリアさん曰く、このバスジャック犯はこの前キンジの自転車に爆弾を仕掛けて人間と同一犯である可能性が高いらしい。

 彼女がいち早く事件を察知したのも、その犯人が使う特殊な電話を拾ったからだとか。

 一定速度以下になるとバスに仕掛けられた爆弾を起動するらしいけど、犯人は映画の『スピード』でも観たのだろうか。

 

 頭がこんがらがってきた。

 バスの真上を飛んでいるので様子を見ずらい。

 少し身を乗り出して見下ろす。安全には気を使いつつ。

 

 ――だからそう、そんな場面だからこそ、普段は碌に仕事をしない運を司る女神さんがハッスルしちゃったりする。

 具体的には、

 カァンッ!

 甲高い金属音が真上から響く。その瞬間、ヘリがグラリと傾き――

 

「は……?」

 

 足を支えていた金属の感触が消え、代わりに全身を打ちつける風雨。

 まるで走馬灯のようにゆっくりと流れる光景を阿呆みたいに口を開けながら、何故か遠ざかっていくヘリの様子を見ていた――

 

 

 

 

 

 


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