緋弾のアリア~裏方にいきたい男の物語~   作:蒼海空河

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夢幻の中に生きる者

 ――バスジャック事件数日前、イギリス某所――

 

 コツコツと小さな足音が洞窟に響く。

 太陽も月明かりも届かない場所で、彼女を照らすのはランタンの灯りのみ。

 道は狭く、閉所恐怖症の人間なら一分と経たず逃げだすに違いない。

 左右は大人二人がやっと通れるほどで、天井は二メートルほど。

 舗装など当然されておらず、転ばないようランタンは低めに持ち、剥き出しの地面を照らしていた。

 そして洞窟の最奥――木製のドアが取りつけられている。

 ドアの中央部には真鍮製(しんちゅうせい)のドアノッカー。

 

 ぴたりと足は歩みを辞めた。

 緊張しているのか、クラウンタイプの中央がへこんだ独特の帽子をきゅっきゅっと被り直す。

 薄暗いので手鏡は使えない。軽く眉を撫でながら整え、髪を手櫛で大まかに直す。

 埃を払おうと服を数回払うが、古ぼけた洞窟の割に汚れが少ない。

 

「ここか……良し」

 

 手を伸ばし、ドアノッカーに手を掛ける。

 すかすか

 小さな手には期待した感触は返ってこなかった。

 手を伸ばし、ドアノッカーに触れようとする。

 ぴょん、すか、ぴょん、すか

 ちょっぴり跳ねて腕を振るうも金属製の冷たいソレが手に収まることはない。

 手を伸ばし、ドアノッカーに一生懸命掴まろうとする。

 ぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょん!

 跳ねるたびに黒と灰色のドックトゥース柄のスカートがヒラヒラと暴れる。

 ふとももまで伸びた銀髪が、犬の尻尾のようにぶんぶん振られるが無情にも手は届かない。

 手加減しては、この頂上(ドアノッカー)には触れられない。

 こんなところで醜態を晒しては御先祖に顔向けできない、と考えながら飛び上がる直前、

 

「ふっ、はぁっ! ……ああ、ドアの前の君、来ているのは判っている。入りたまえ」

「あ……はい」

 

 絶妙なタイミングで中から声が掛かった。

 若い男性の声。まるで年老いた老人が若かりし頃の声音で喋るような安心感とそれに反比例した若々しい声。

 一語一語ゆっくりと、しかし耳から聞こえた音は見上げても頂点が窺えないほどの大樹を連想させるほど、揺らぎがない。

 妙な気恥かしさを覚えながら彼女はドアをくぐる。

 室内に入ると中は思ったよりも広い。

 日本なら二〇畳はある大広間。奥にはさらに二つほどドアがある。

 左右にはランプが灯され、年代を感じさせる絵画や陶芸品の数々が彼女を迎えた。

 蓄音器などの一昔前の古い機器がクラシックな雰囲気を醸し出す。

 規模は極小なれど、博物館として展示したなら価値が判る者はお金を出してでも見るだろう。札束に代えればちょっとした紙幣のプールを作れるほどの一品が、室内のそこら中に所狭しと並べられていた。

 そして中央にはこれまた、歴史を感じさせる古びた机と安楽椅子があり、一人の男がそこにいた。

 彼女は静かな口調で淡々と話しかける。

 

「呼ばれてきた。それで、教授は何をしているの?」

「ふっ……はっ……身体を、ふっ……ふっ。鍛えているだけさ。しっ……はっ……いずれ訪れるであろう生涯最高の戦場(パーティー)で演目を披露できるように、ね」

「そう、ですか」

 

 教授と呼ばれた若者はジャージにタンクトップという部屋の雰囲気とは真逆のラフな出で立ちで運動をしていた。

 腕立てや腹筋、背筋、時折拳銃を引き抜いたり、ナイフでの動作も一つ一つ確認していく。

 その動きに無駄はなく、華麗で流麗。整った容姿も相まって一枚の絵画のようであった。

 一通り終わったのだろう――手に持ったナイフをくるりと手慣れた動作で振るうと、机の上に置いてあった鞘に納める。

 そしてタオルで軽く汗を拭きながら苦笑い。

 

「おっと、緊張しているようだけどいつも通りの態度で構わない。君を呼んだのは頼み事があってね。むしろお願いする立場なのだ。英国紳士として、淑女に気を使わせるような誤解を受けてしまったのなら済まないことだ」

「そうで……そう。じゃあいつも通りで話す」

 

 若干表情に乏しい彼女は表情の通り、ぶっきらぼうな口調で話す。教授と呼ばれた男はその言葉に柔和な笑みで返していた。

 天才的な頭脳とカリスマ、その他全てにおいて優れた能力を持つ組織のトップ。一部ではかの天才科学者アインシュタインと軽口で議論を交わしていたという突拍子もない与太話すら出ているほど。

 しかし、そんな荒唐無稽(こうとうむけい)な噂が流れても自然に信じれてしまう――それほどのオーラが彼にはあった。

 彼女は顔ではポーカーフェイスを保っているものの、どこか緊張を隠せない面持ちで入り口に立っている。

 教授はリラックスした表情で椅子を勧めると、ようやくほっとした顔で彼女は木製の椅子に座った。

 椅子に座ると足先が地面に届かない。

 若干、少々、幾分、成長期の遅い自らの身体に人知れず溜息を吐きながら彼女は組織のボスと向き合う。

 コツ……コツ……と規則正しい音を奏でながら大きな古時計――ホールクロックが二人の横でBGMを奏でる。

 最初に口火を切ったのは教授だった。

 

「さて……君を呼んだのは他でもない、一つ依頼を受けて欲しくてね」

「依頼?」

「そう依頼だ。君には三つ頼みたいことがある。まず、これを見てくれたまえ」

 

 パララと机の上に数枚の写真を並べる。

 黒髪黒瞳でアジア系の黄色人種。写真は全て同一人物で武偵高の制服を着ていた。

 

「これは……」

「ターゲットさ」

 

 ランプに灯りがフラフラと頼りげ無く揺らぐ。同時に二人の影もまた揺らいでいく。

 彼女は腰に下げた弓を無意識に触れた。

 使いこまれた木製の弓は簡素な造りながら、細やかな手入れがなされ、使い手の愛情を感じる一品だった。

 愛らしい少女の姿とは対照的に彼女の目は鋭くなり、相手の真意を探るような目つきになる。

 

「殺せ、という命令?」

「いやいや、決してそういうものではないんだ」

 

 ゆっくりと落ちついた様子で首を左右に振る。ただそれだけの行動でも彼が行うと一流の映画俳優がやるような優雅で気品に溢れた動作だった。

 教授は楽しそうに微笑む。

 机の引き出しから愛用のパイプを取り出すと、タバコの葉っぱを詰め込み火を点ける。

 煙を口の奥に吸い込む。鼻に、喉に、肺に、ニコチンが吸収され、満たされる。口からパイプを離し、ふぅ、と一息。白煙が吐き出された。

 

「……やはりタバコは良いね。最近の紙タバコはいけない。悪臭の原因になるし、味も不味い。ボロボロと灰が地面に落ちるのも品がない。君もどうだね、一つ」

「匂いは獲物に逃げられる」

「ははは、そうかそうか。まあ仕方ないな。…………では本題といこうか」

 

 右手にパイプを持ち、煙が出ている。銀髪の少女は真剣な面持ちで姿勢を正す。

 

「舞台は極東の国、日本。数日後にウチの子がバスジャックを行う。そこら辺は君の耳にも届いているだろう?」

「知っている。確か……GGG(トリプルジー)作戦という名前だったはず。……私もその作戦に参加せよと?」

「当たらずも遠からず、だね。直接彼女たちの援護をせよという依頼じゃない。彼女……特にリュパンの曾孫は別の理由もあってこの作戦に並々ならぬ決意を胸に秘めている。それに横やりを入れるほど僕も無粋なことをするつもりはない」

「では一体どうすればいいの?」

「そこで写真の彼に繋がるというわけだ。彼女の作戦には直接関係ない人物……この男はバスジャックを行うときTOKYOのレインボーブリッジという場所で、バスの上に降り立つ。君には即死コースで彼に矢を一本打ち込んで欲しい」

「……殺せという依頼と代わりない気がする」

「さあ、どうだろうね?」

 

 クックックッと教授はとても愉しそうに嗤う。そう、とても愉しそうに嗤う。

 灰皿にパイプを置き。両手を組んで、手の甲に顎を乗せる。

 

「あくまで放つのは矢一本だ。それ以上は禁止する。無理に殺そうとかは考えず、ヒット&アウェイだと思って対処すること。ああ、それと一つ目の依頼が終わったら大石啓に関する情報をまとめて送ってくれ。彼に関する情報がさほど多くないからお願いするよ。それでまず一つ。二つ目はちょっとしたお使いだ。これに関しては後日現場に着いたら手紙を送るからそちらを見て欲しい。そして最後の一つは……これだ」

 

 そういうと彼は机の上に分厚い封筒を置いた。

 厚さは五〇〇ページ以上ある辞書と同等かそれより多い。

 ペラペラと紙をめくり大まかな内容を把握していく。彼女は徐々に表情を険しくしていった。

 

「……なかなか難儀な依頼……それに、まるでこれは――」

「これは――何かな?」

「……いえ」

「この依頼がとても困難だろうことは承知している。だからこそ報酬も破格にしているつもりだ」

「報酬の内容は?」

「一万ポンド(※当時の相場で約一億四八〇〇万円相当)だ」

「一万ポンド……現金は――」

「おっとすまない。君は現金ではなく、現物の方が良いんだったね。それに僕からの直接依頼を一万ポンド程度の端金で行うのも宜しくないか。……なら、そうだな……二四金、九九.九九(フォーナイン)以上の金地金(インゴット)、一二〇kg(約四億円相当)――でどうかな?」

 

 教授はまるで彼女の要求を先回りするようにスラスラと話していく。

 彼女は少しだけ目を見開いた。報酬についてどう話すか一瞬迷ったのだが、自分の言う事の全てを先に言われたのだ。

 内容は破格の条件。特定の人物に生死を問わず矢を一本撃ち込むだけ。お使いというのも相手の話振りからさほど難易度が高いものではないだろうと察せられる。

 最後の内容も口では困難と言っているがそこまで無理難題ではない。ただ少し面倒だな、と思う程度のこと。

 どの道うまくいけば死人を出さずに常人が稼げる生涯賃金をごく短期間で得ることができる。

 これほどうまい話は早々ないだろう。

 お金はあればあるほど良い。彼女が断る理由などなかった。

 

「それだけあれば、多くの孤児院に寄付できる……拒否する理由はない」

「そうかそうか。受けてくれるか。そう言ってもらえると嬉しいね。あとは、そうだな……君のモチベーションを上げるためにある情報を伝えようか」

「情報……?」

「そうさ。確か君は、数ヶ月前に別件で依頼をしていたね。そのとき君を邪魔した少女たちが居たはずだ」

「……それは」

 

 教授は全てお見通しとばかりに話すと、彼女は少しだけ悔しそうな顔をした。

 別に叱責される謂われはない。彼の組織するイ・ウーは割と自由が利く。

 よほどのことをしなければ放逐やある日突然“行方不明”になることもない。極一部やり過ぎて除名されかけている人間もいるが。

 彼女も暇があればお金稼ぎの一環として裏の仕事を請け負っている。ただ、あるとき邪魔をしてきた武偵たちが居た。

 

 月夜に照らされ映しだす。白チューリップのように色彩が薄く、しかし若さと活力に満ちた女の子たち。

 地面に倒れ、土に塗れ、血に染まりながら尚、勝者の笑みを浮かべる姿は狂人か策士か。

 

『才能なんてないけれど』『意地と意志なら負けはしない!』

『いままで見えない闇に怯えてた』『けれどウチらを救った人がいる!』

『貴女がどんなに強くても』『決してあの人には届かない!』

『“K”に出会うそれまでに』『“K”を迎えるそれまでに!』

『ゴメンナサイと言うまでは』『アリガトウと言うまでは!』

『――お前ら何かに負けてたまるかっ!!』

 

 死に体の姿で豪語する双子がいた。その執念は鮮烈で強烈で、記憶に今も尚鮮明に焼き付いている。

(確か名前が……アーなんとか……リーなんとか…………聞き忘れた。……重要なのはそれじゃない。あの双子たちが言う“K”――双子は強かった。そして“K”という人物を格上の存在とする言動もあった。あの二人の上位互換というなら、これほど厄介なモノは無い)

 “K”という単語がやけに耳に残っていた。

 記憶にあるのはその精神。不退転の覚悟。

 何がなんでも喰らいつくしつこさと、したたかさ。

 並の相手とは違い、かなりの苦戦を強いられた。

 色々と苦い思い出が脳裏をよぎり、知らず知らずのうちに拳をぎゅっと握った。

 その様子に満足そうに男は頷くと話し始める。

 

「彼女たちが言っていた。“K”という人物――ケイという名前なんだがね、気になるんじゃないかい?」

Key(ケイ)……。確かに彼女(・・)がどんな人物かは気になる」

「彼女? いや彼だよ。まあKeyは女性に多い名前だから仕方ないけどね。そして、その写真の人物こそケイ――Key・Oishi(ケイ・オオイシ)だ」

 

 苦笑しながら彼女の間違いを正す。

 相手はきょとんとした表情を返している。

 「そうですか」と何でもない風を装って呟いたが、良く見ると頬が僅かに赤く染まっている。

 自身の勘違いに恥ずかしがっているようだった。

 男は気にせず話し続けた。

 

「彼の実力は世界有数といえるだろう。何せ、この僕が敗北したのだからね」

「…………は? 教授が、そのKeyに? …………エイプリルフールはもう過ぎました」

「そのまさかさ」

 

 彼の認識としてはそうだった。今まで外れたことのない“推理”を、未来予知に等しい次元まで昇華したそれを軽々と破った男――――大石啓。

 引き分けなどと潔くない……負け犬の遠吠えみたいな真似を彼はしない。

 心の底から、純粋なまでに、教授は負けを認めていた。だからこそ顔も心も悔しさを見せず、相手を賞賛するように放つ。

 だがそうした彼の言葉に驚愕したのは相対した彼女だった。

 あらゆる点に於いて他者の追随を許さない実力を持つ組織のボスを――教授の辞書に敗北の二文字を書き記したのだ。

 それは偉業と言っても良い。同時にそんな相手を害せよ、という依頼は無茶を通り越して無謀。

 二万ポンド相当の金塊が報酬とは破格の好条件、とはとんでもない。

 一本の木が教授の一言で、あっと言う間に天を貫く大樹となって彼女の眼前に現れた。そのプレッシャーは計り知れない。

(イングランド人嫌いな巨人が相手じゃないけど、豆の木を切る斧も無い。あるのはたった一つの弓だけ……)

 調子に乗れば相応の報いを受ける困難な依頼だと理解した。

 警戒心を高めながら彼女は慎重に答える。

 

「……報酬の額がケタ違いなのにとても消極的な内容の依頼。武偵ランクSないし、あるいは……(ロイヤル)クラスの難敵と戦え、と。……これでもまだ割に合わないくらい」

「必要なら報酬の上乗せするが?」

「欲しいけど……必要ない。あの双子の借りを、その師匠である相手に返すのも悪くない。それに――――」

「それに?」

「――なんでもない。ではこの依頼、確かに承りました。報酬の受け渡しはお任せします」

「そうか、では行ってくるといい。君にとっては非常に困難な依頼となるだろうが…………good lack(幸運を祈るよ)

In the middle of difficulty lies opportunity(困難の中に、機会がある)……やるべきことをただこなすだけ」

 

 そう言って彼女は去っていった。

 ドアを閉めて出ていくと室内は静寂に包まる。

 教授と呼ばれた男はくつくつと笑っていた。

 

「ははっ。アインシュタインの名言か。君自身の目で見て、そして感じることができるだろうな。そう――彼の月明かりの無い真夜中より暗く昏く染まった“死相”は写真からでも視えただろう。油断ならない相手……だが成功の糸口は視えている。ならば大丈夫と己を信じれるのも彼女の実力ゆえだろうし、僕もそう“推理”している。しかし――」

 

 彼はおもむろにチェス盤を取り出すと、テーブルの上に置き、一人駒を並べ始める。

 コツ、コツと小気味良い音をたてながら駒を動かす。味方も敵も、彼が動かす。ただ、時折視線をチェス盤から離し、正面を見ていた。

 あたかもそこに誰かが座っていて、駒を動かしているという風に。

 駒は次々とぶつかり合い、舞台から退場していく。

 笑いながら行うその姿は、まるで純粋にゲームを楽しむ少年と大差ない。

 カツン、と男のポーンが敵陣へと切り込んだ。将棋の成金のように、チェスなら昇格(プロモーション)がある。

 ポーンはキング以外の何者にも成れる。

 クイーンも、ナイトも、ビショップも、ブロックも、ポーンも……全てを狙える位置に突き進め、反撃も容易に出来ない場所へと凶打する。

 彼は無垢な少年のように笑っていた。

 

「さて……こちらは差した。君をどう打つ“K”? “緋弾”を正しく導くためには武力の急騰(パワーインフレ)が必要だ。君という“駒”は性質上あまりにも強力過ぎる。それこそ次代を担う若き俊英たちの実力を削いでしまうほどに……。だからこそ君の戦力がどの程度になるか測らせてもらう。願わくば、僕の想像を超える結果を願うばかりだ。ふふ……ははは! 実に楽しいことだ!! 若かりし頃、リュパンとの闘争を思い起こさせる。結果が実に楽しみでならないなっ」

 

 いかな稀代の天才でも、世界一のスーパーコンピューターでも、あるいは神でさえも。

 未来予知はできても確定した未来を知る術は存在しない。

 全てはあやふや。水の都ロンドンの霧と同じく、薄くかかった白のヴェールが未来を覆い隠す。

 『人の可能性』という霧が彼の条理予知(すいり)にノイズを与える。直接は影響しない。

 ただ百……千……万通り――コンピューターなど遥かに凌駕する彼の頭脳が弾き出す未来への予想図。

 完璧なはずの“推理”は、しかし遠く日本にいる彼には通用しないだろうと思っていた。

 自身が行動を起こしたことで、ケイの死は確定している。そう視えていた。

 だが……依頼した彼女の弓矢など容易に防ぐ。防げないはずがない。

 なのに自身の“推理”は生存の可能性を導き出さない。……出せない。一手一手が常に手さぐりの連続だった。

 未だ識らない敵と相対する。それはとても危険であり、厄介であり、常人なら避けたいはず。

 

 しかし――だからこそ、楽しい。

 使っていない脳の領域を刺激し、次の一手を考えるだけで不思議な笑みが込み上げてきて、口元は弧を描いてしまう。

 

「ふふ……彼女は強いよ。誇りを口にしても、実際の行動は非情なまでの現実主義者(リアリスト)。引き際を誤ることがない義賊の一族、颱風(かぜ)のセーラ。現時点で二人(・・)の相手をするには些か厳しいレベルだろう。さらにもう一人の魔女(・・・・・・・・・・)との相性も抜群だ。それは春の東京を極寒の大地へと変貌させ、視えぬ凍刃は命の炎を切り刻んで凍結させる。厭世に浸る猫を招いても、結果は変わらない。……しかし、何故だろうね? 君なら不思議と、いかな死地でも切り抜けてしまうと思える僕がいる。まるで童話で語る白馬の王子を信じて疑わぬ童女のように……。……さあ差してくれ、逆転にして奇転。条理を凌駕する一手を。願わくば、それがこれからの世の中にとって良き選択であることを願おう……大石啓」

 

 キングの喉元に突きつけるは一体のナイトとプロモーションを果たした女王(元ポーン)。挟み打ちにされたキングに対し、相手もまた女王とポーンで応戦させる。

 揺らぐオレンジ色の焔に囲まれて、教授は子供っぽい笑みを浮かべながら誰もいないチェス盤の向こうを見つめていたのだった――――

 

 

 

 

 

 そして舞台は日本へと移る。

 教授より極秘依頼を受けた銀髪の少女、セーラは東京湾を一望できる場所でただ来るべき時を待っていた。

 ……カタ、カタ、カタ……

 暗黒色に染まった空と荒れ狂う海。間断なく吹き付ける風は少女の服を絶え間なく翻させる。

 遮蔽物が少ない場所で、迷彩柄の雨ガッパに身を包み、愛用の弓を小さな胸に抱いていた。

(台風というモノはとても荒々しい破壊の嵐……欧州とは異質なモノ。でも、この程度ならまだ扱える)

 決して恵まれた体型を持たない彼女はともすれば嵐で吹き飛んでいしまうほど小柄だ。

 しかし身を固くし、近くの橋に結んでいる命綱のお陰で吹き飛ばされても転落することはない。どちらにせよ、自身の能力を駆使すればこの程度の嵐を御することなど造作もなかった。

 セーラは眼下を見下ろす。

 見えるのは、海と車と、そして橋。

 レインボーブリッジの吊り橋を支える重要部分――アンカレイジ部の高所にて、彼女は獲物が到着するのを静かに待っていた。

 ジジジとノイズと共に耳に付けたイヤホンから声が聞こえてくる。

 

『ああ、アリアさんたちは先に降りるってさ。こっちはレキ以外の奴は臨機応変に対応しろって。白雪さんは、どうする?』

「盗聴器の感明度は良好。さすがオルレアンの魔女」

 

 それはケイの水晶型ストラップに仕込まれた盗聴器による音声だった。当然声の主はケイである。

 彼女は事前に東京都内の拠点に潜む彼女たちとコンタクトを取っていた。

 緻密な計画のもとバスジャック事件を起こした首謀者の女の子からはあまり良い顔で対応されなかったものの、件の大石啓は彼女たちにとっても脅威であり、何より教授の直接依頼とあっては無碍にすることなどできるわけがない。

 仕掛けた盗聴器の周波数を聞き、超能力(ステルス)用の特殊な処置を施した受信機もセーラに渡している。

 少なくともセーラと首謀者の少女はいつでもケイの会話内容を知ることができる状況であった。

 

『いや白雪さんがそう言うならいいんじゃないか? 俺も偉そうに言えないし……』

 

 その声は武偵高の生徒とは思えないほど、不安や恐れの感情が見え隠れしていた。

 ビュオゥ!

 不意に突風が吹く。

 風に飛ばされないようにワイヤーを締め直しながらセーラは首を傾げる。

(……これが教授に敗北を与えた男……? 本当に? 初めての狩りに不安を覚える狩人のような……。写真越しで死期(・・)が見えるのも今思えばおかしかった)

 彼女には特殊な能力があった。

 それは死期の近い人間や動物の動向を読むというもの。さらにほぼ一〇〇%の精度を誇り、外すことはまずあり得ない。

 数日前に教授と会ったときの自信もこれに起因している。

 写真を見た瞬間「この男は近日中に死ぬ」と理解していたのだ。

 そして教授から依頼されたことで、彼女は自身の手によってこの大石啓という少年は死ぬのだろうと確信していた。

 彼に恨みは無い。ただ運が悪かっただけ。

 彼女は知らず知らずの内に対象の脅威度のランクを下げてしまっていた。そしてもっともらしい結論を下す。

(思えば教授は悔しそうなどころか、終始笑顔で語っている。きっとこちらをからかっただけ)

 そう考えながらどうやって狙撃しようかと彼女は思案していた。問題は激しく打ちつける風雨と自身の腕だけ。

 ふぅ、と軽く息を吐く。その姿にはケイに対しての警戒心は薄れていた。

 緩んだ緊張の糸。目の前の獲物は獰猛な鷹ではなく、愚鈍な鶏と相違ない。

 風向きが変わり風が逆方向に吹きすさぶ。

 その時彼女の耳に声が届いた。

 

『バスジャックか……。にしても風が強くてふっどぉ――ッ!?』

 

 ケイの慌てた声。嵐の上に上空をヘリが飛んでいる状況なら不意の揺れも多く、普通に考えれば揺れて驚いただけだろう。

 しかし彼女は二つのキーワードに反応した。

(……『フッド』って、なんで自分のファミリーネームを……それに風? 気になる。けど偶然の発言?)

 セーラはかぶりを振る。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい。ナイーブになっているのか。余計な雑音は必要ない。ただ自身のするべきことをするだけ。

 彼女はケイに対しての警戒心を緩めていたこともあり、神経質になり過ぎたのだと深く考えようとはしなかった。

 しかし――

 

『弓は…………うん駄目だな。あれも論外過ぎる……』

 

 ピクリ、と片眉が一度動く。

 まるで弓を軽視するような発言だ。

 自身の弓に絶対の自信を持つ彼女からすれば、挑発とも取れる。

 無論、彼女に対して言っているわけではない。腹を立てるのはお門違い。いい加減依頼の完遂努めようと一本の矢を背中の矢筒から取り出す。

 ……カタカタカタ……

 激しい風音が鳴っている。

 アンカレイジの上部にいるせいもあり、顔面に打ちつける風と雨粒のバチバチと音を立てるほど激しく普通なら痛くて目を覆ってしまうだろう。

 しかしセーラは目を閉じて念じる。思い描くのは風。一筋の風が自身の身体を纏うイメージ。

 その途端、雨粒が彼女を打ちつけることはなくなる。雨粒が身体に当たる寸前で不自然な軌道を取っていた。

 ――魔女の力。彼女の一族には、かつて魔女として風を操る者の血が混じっていた。そのおかげでセーラもまた風を操る能力を先天的に備えている。

 

 風と雨さえなければ嵐などどうということはない。弓に矢を添えて背中を後ろのアンカレイジに付ける。

(雨、フッド、弓……バカバカしい。そんなことあるわけない)

 疑問が鎌首をもたげるが余計な思考は片隅に捨て置いた。

 狩人として優れた聴覚を持つ彼女は、嵐の轟音の中でバリバリバリと規則的な機械音を捉える。

 欧州ではさる名家の御令嬢でSランクの凄腕武偵、神崎・H・アリアはバスの中。

 レキというもう一人の狙撃手は厄介だが、自身の隠蔽は完璧だ。

 優秀な警察犬でも風で匂いを消せば簡単に隠れられる。狙撃手の弾丸も数cm程度は反らすことはできよう。

 そのうえで先制すれば取りまわしの利きにくい狙撃銃で対応するのは不可能。何も心配することはない。

 

 セーラの脳裏にはターゲットの眉間を貫くイメージが出来上がっていた。

 身を乗り出し、ヘリを見つめる。会話の通りなら、ターゲットは友人を心配してヘリから身を乗り出しているはず。

 最初はこめかみを一直線。途中、風によって軌道が変化。最後は眉間を貫き、鮮血の雨が降る。

(……それで終わり。せめてもの手向け。ヴァルハラにでも逝けるよう祈ってあげる)

 ギュゥ、ゥ、ゥ――と弓を引き絞り、彼女は遠目に見える黒髪の少年に狙いを定めた。

 そのとき囁くような、とても……とても小さな声が彼女の耳奥を障った。

 

 ――俺はお前を見ているぞ。透明な水晶の先、その心の奥底まで――

 

「――――ッ!?」

 

 カタカタカタ

 ――――硬直。

 雨や風じゃない。狩人としての本能が警鐘を激しく鳴らす。ヒュッと無意識に乾いた息を吐く。

 魂すら凍らせる悪寒がスルリと耳を伝い、脳へ侵入してから喉奥を支配し、肺と心臓へ満たし、全身を伝播していく恐ろしさが、コンマ数秒にも満たない瞬間に走る。

 セーラは思わず、耳に付けたイヤホンを毟り取り、金属の床に叩きつけた。

 ガシャリと音を立てる。

 幸か不幸かイヤホンは角の方に転がり、風で飛ばされることはなかった。

 ザザザとノイズが聞こえてきているがまだ使えるだろう。

 しかし彼女はイヤホンを拾わなかった――――否、拾えなかった。

 ターゲットに感づかれたかもしれないとか危険な高所で不用意に動けなかったという理由ではない。

 セーラの青眼はレインボーブリッジの上を飛ぶ一台のヘリに釘付けだった。

 

「お、大石啓は…………死神を使役している……!?」

 

 最初は何も無かった。だがイヤホンから囁くように聞こえた声。その直後、ソレは現れた。文字通り死神としか形容できない異形。化け物。

 ヘリを覆う黒と白のコントラスト。黒いローブと白い骨。黒い霧と白い鎌。

 耳をつんざく爆発音がイヤホンから聞こえてきた。あのまま聞いていたら鼓膜が破れていたかもしれない。でもその幸運を喜ぶ余裕はなかった。

 カタカタカタと物音がずっと何処からか聞こえていた。

 最初は暴風で揺られた木片やそこらのゴミかと思っていた。

 しかし今なら判る。それは、黒いローブと白い骨と黒い霧と白い鎌を持った化け物が鳴らす歯音だった、と。

 肉片などどこにもない、ある種、病的を通り越して芸術的とさえ想起させるほど真っ白な骸骨がそこには居た。

 何が楽しいのか今も、カタ、カタ、カタ、と口から音を発し、愉しそうな笑顔でセーラを見つめていた。

 

 数多の死線を潜り抜けたはずの彼女だったが、身体は拒絶反応を示し、強烈な吐き気を催す。片手で口を抑えると、鼻奥にツンとした刺激を感じ、心のざわめきは収まらない。

 アレは生ある者が見てはいけないものだと身体が拒絶反応を示しているのかもしれない。

 意図せずして、(つが)えていた矢を落としてしまっていた。

 濃厚な“死”の霧が今もなおヘリを覆い続けている。その中心にはおそらく大石啓がいるだろう。

 余命数日と宣告された老人でもこれほどの死――死相が見える人間はかつて誰もいなかった。

 空の暗黒より黒い霧を遠目にセーラは必死に乱れた精神を落ちつけようとしていた。

(落ちつけ、落ちつけ……ッ。違う違う違う! そう違うッ! これは見たイメージを具現化したモノ。つまり死神を幻視するほどの死相が大石啓に現れているだけのこと。逆に言えばそれだけこっちからすれば好機(チャンス)。何も恐れることは無い)

 深呼吸を二回。スゥハァスゥハァ。

 想像のナナメ上どころか、真上も真上。大気圏を突破しそうなほど突飛な出来事に動揺してしまったが、ただそれだけのこと。

 

 再度ケイの方向に目をやると死神の姿はどこにも居なかった。

 やはり幻だったのだと、安堵の息を吐く。

 件の彼はワイヤーをヘリに引っ掛け、一〇mほど下にいた。こちらとの距離はどんどん縮まっていく。

 見つからないようにアンカレイジの隅で縮こまる。

 最初に動いたのはケイだった。

(ッ!? こちらの位置を見抜いた!?)

 ――彼女が潜む橋のアンカレイジ。その最上部にワイヤーを引っ掛けていた。

 身を固くする。

 情報では大石啓の経歴でまず目にするのは『強襲科(アサルト)元Sランク』。

 強襲科は最前線で犯罪者たちと死闘を繰り広げる生粋のアタッカーだ。狙撃手であるセーラにとって、距離を取れば与し易い相手でも近距離~中距離の戦闘では立場が逆転する。

 不自由な足場で逃げることも叶わないこの場所では絶対絶命と言えるだろう。

 脳裏によぎるのは教授も評価していたという情報。

 今回に限っては単独で一矢撃つだけの任務であり、装備は最小限しか用意していない。

 生半可な準備では、彼と対峙しても勝利を収めることは極めて難しいだろう。

 攻撃するなら近づく前が一番安全だった。

 死神などと馬鹿らしい幻覚で最初の好機を逃すなどらしくない、と心の中で舌打ちをする。

 最悪、海に飛び込んで逃げることも選択肢の一つとして考えていた。

 

 しかし、それは杞憂だった。

 彼はサーカスの空中ブランコ乗りよろしく、ワイヤーを使って華麗に宙を一回転すると、そのままバスの上へと降り立つ。

 セーラに気付いていたのかはともかく橋の上を高速で移動するバスはあっという間に彼女と彼の距離を離していく。

 つまり――――それは狙撃手にとってのベストな距離。強襲科にとっては絶望的な距離。狩人は一度狙った獲物を逃さない。

 即座に次の矢を取り出し、彼の眉間に狙いを定める。

 こちらに気付いているにしろいないにしろ、教授の依頼の一つは『即死コースに一矢だけ撃つ』というもの。結果は問わない。

 なら依頼は確実にこなすだけでいい。セーラはバスの上に立つケイに対し、全神経を集中しながら限界まで弓の弦を引いていく。

 ギチ、ギチ……ギリ……

 彼女の元に“風”が集結していく。

 ハリケーンにも負けない真空を纏った純粋な風。自然の力ではなく魔女としての能力で収束していく透明な暴力。

 雨粒も波も、ゆっくり、ゆっくりと。世界の全てが遅くなっていく中で、彼女は渾身の一矢を放つ。

 

「――――シィッ!!」

 

 撃つ。

 一直線に向かう凶矢。全神経を矢尻に集中させて放った矢は、空中で銃弾のごとく螺旋(らせん)を描き始める。

(危険……アレは危険。だから終わり。大石啓!)

 彼女の精神は完全に復調したわけではなかった。普段なら獲物に対し敬意を払う。死んだことすら気付かせず、瞬きの間に命を射抜く。

 だがその一撃はただガムシャラに撃っただけ。

 もしかしたらヘリの中にいる巫女やスナイパーに位置がバレてしまったかもしれない。でも精神的な余裕を奪われていた。

 それほどまでに、死神から向けられた無垢な笑みが心の奥底で影響していた。

 撃ってからいつもの自分らしくないと気付くが、放たれた矢が止まることはない。

 

 遮二無二撃たれた矢が、離れていくバスへと向かっていった。

 遠くの的を華麗な弓捌きで貫くでもなく、子供染みた暴力で全てを押し流すように。

 横から突風が吹くも、風を纏った矢は逆に吹き飛ばすような剛直さでケイへと迫っていく。

 彼我の推定距離一五〇m。

 一四〇m……一〇〇m……五〇m…………一〇m。

 ケイはバスの上に立っていた。

 防弾ベストを着こんでいるが、頭部はヘルメットを落としたのか無防備。即死コースはそこしかない。

 そして憐れな少年の頭部に、一本の矢と真っ赤な花が咲くことになる――――はずだった。

(……? 笑った?)

 森育ちで視力の良い彼女は一瞬だが、彼の口元が上がったように見えた。

 そして僅かに動く。

 ゆらり、と後ろに数cm。だが、その程度で彼女の矢から逃れることはできない。

 風に干渉し、矢尻の先をミリ単位のレベルで捻じ曲げる。

 くるりと進行方向を変えた矢が、再度彼の眉間を穿(うが)ちに襲いかかる。

 矢と眉間は手を伸ばせば届く距離。

 当たる――――そのとき。

 キキィィィンッッッ!!

(――なッ)

 火花が散った。

 火花は三つ。

 彼女の矢はクルクルと宙を力無く舞い、彼の足もとに二つの弾丸がめり込む。

 セーラは驚愕に目を見開く。

 遠目だったが確かに、視えた。

 攻撃を避けたことではない。運悪く(・・・)、UZIが放った二つの銃弾と彼女の矢の三点が交差し、弾いてしまったのは判っていた。

 風を操作しても銃弾の方が突風で進行方向を変えてしまっては仕方がない。

 だが腑に落ちないのはその後。

(死相が……消えた? 死神が腕を振るったと同時に。……死相を死神が相殺したとでも?)

 ――もし日本のサブカルチャーに詳しい者が見たなら『死亡フラグを重ねて、逆に生存フラグにした』などと考えたかもしれない。

 とはいえその手の話に疎い彼女は予想外の出来事の驚くばかりだった。

 ケイに矢が当たる寸前――あの死神が顕れ、白骨の腕を振るっていたのだ。

 鷹のように鋭く伸びた爪が左から右に薙いだとき、三つの凶弾は互いにぶつかり合い、標的(ケイ)から遠ざかってしまった。

 死神はあくまで幻覚。

 事実、超能力(ステルス)やそれに類する力の奔流は欠片も感じない。攻撃を弾いたのも同様だ。

 だが現実としてケイは生きており、倒れてはいるが仲間たちに介抱されている。

 結果があるなら必ず原因がなくてはならない。

 先ほど動揺してしまった反省も含めてセーラ・フッドは冷静に彼、大石啓を分析する。

(可能性は二つ。欧州の祓魔師(エクソシスタ)などには『強化幸運』(ヴェントラ)とかの加護を与える連中もいる。それを受けていたか、あるいは――――こちらが探知できない次元の、超高位の超能力(ステルス)持ち。おそらくこちらが濃厚)

 写真からも漂ってくるほど判りやすい死相。

 通常なら七日以内に彼は一〇〇%死ぬはずだった。今までこの予想を外したことはない。つまりなにかしらのカラクリがあると考えるのが普通だった。

 そこに教授を退け、敗北させたという話を事実として考える。あのような異質なモノを見せられたら認めざるを得ない。

 大石啓は――――油断ならない難敵であると。

 教授の資料には、大石啓は超能力は持っていないと記されていた。

 しかしそれが誤りだったとしたら?

 教授すらも騙して(・・・)いたとしたら?

 

「バカバカしい……とは言えなくなる。教授の目すら欺くことが可能なら理由になる。むしろ隠蔽に特化した超能力が故に判らない? もしくは相手の能力を無効化できる類の可能性も――」

 

 彼女は幾つかの推論を立て、その情報はイ・ウーの教授の元へと届けられた。

 教授は後日その情報に口元をほころばせながら読むこととなる。

 そして何処から洩れたのか、イ・ウーから別のところへと情報が流れ、欧州――特にイギリスを中心に裏社会では密かに大石啓という武偵の名が広まっていき、それが更なる苦難となって彼に振りかかるが、それはまだ先のことであった――――

 

 

 

 

 

 ■  ■  ■  ■

 

 

 

 

 

 死ぬ死ぬ死ぬから!!

 混乱する中で半ば無意識にワイヤーを伸ばせたのは僥倖(ぎょうこう)だった。

 スイッチを押して、フック付きワイヤーを射出する。

 カチンとハマる金属音と共に、ヘリの足にうまくワイヤーが引っかかる。

 

「はぁーっ、はぁーっ…………はぁ~~~っリアルで転落死するかと思ったぞおい……訓練しててよかった。マジで……」

 

 心の底から蘭豹先生に感謝だ。朝の昇降訓練で身体がワイヤーを射出する動作を覚えたからこそ無駄なく動けた。帰ったら御礼の一つも言った方がいいかもしれない。

 ――もし、ヘリにワイヤーのフックが引っかからなかったら――

 ブルリと悪寒が走る。たぶんこの寒さは冷たい雨だけじゃない。

 うっかり落っこちたら真下は海。普通なら安心かと思えば全然違う。

 ヘリは橋の二、三〇m上空を飛行している。

 レインボーブリッジの高さはクイーン・エリザベスⅡ号の通行を想定して作られた高さで、確か五〇mそこらだったと思う。

 つまり合計すると高度は約七〇~八〇mの位置だ。

 どっかの雑学であったが、上空七五m以上の高さから水面に落下した場合、一〇〇%の確率で死ぬ。というか生還例が無いから一〇〇%なんだが。

 どのみち生きてても骨はバラバラ、重傷の状態では嵐の東京湾に飲み込まれだけ。そうじゃなくても東京湾は意外と浅いので海中のヘドロに頭から突っ込んで抜けだせず、窒息という可能性もある。

 どうあがいても絶望とか鬼畜にも程がある。

 

 バックンバックンと嵐にも負けないほど荒れ狂う鼓動を何度か深呼吸をして宥める。

 現状はヘリにぶらさがった状態。嵐に激しく左右に揺られているので正直、今にも落っこちそうで怖い。つーか酔いそう……。

 とりあえずワイヤーを巻き上げて昇ろうと思ったのだが、

 

「アレ……動かない……。もしかして、壊れた?」

 

 何処かしらの金具が壊れたのかうんともすんとも言わない。

 昇降訓練の時には普通に使えたのに……。不意の落下で慌てて操作したから不具合が生じたのか?

 それほど繊細な器具ではなかったはずだけど。

 こうなるとあとは他の人に頼むしか手がなくなる。

 ……非常に申し訳ないんだけど、レキや白雪さんたちになんとか引っ張り上げてもらうしかないだろう。

 出来なかったら、まあ、うん、近くに降ろして貰えないかなーと。

 上を見上げる。雨が目に入った。

 つか痛い! バチバチ入って目ぇ痛い! 今気づいたけどヘリメットが無くなってるし!

 そういや通信機能ってヘルメット内臓じゃないか!

 ……どうしよう。携帯は……こんな宙に浮いた状態じゃ正直使いたくない。落っことしそうで嫌だ。しかも風雨+激しく揺れている状態だととてもじゃないが話すのは難しい。

 手で雨避けをしつつ、見上げているとレキがいつもの無表情顔でこちらを見ていた。

 

「おーい! ワイヤーが壊れて動けないから引き上げるか、バスに降ろしてくれないかッ!!」

「……?」

「聞こえないのか? おーいってば!」

 

 声は聞こえているようでレキは首を傾げたりしているが……どうも俺が声を上げて何かを伝えようとしているとしか判らないようで……。

 ヘリのプロペラ音と嵐の轟音の二重奏ではさすがに無理みたいだ。

 し、仕方無い。ジェスチャーでなんとか意志を伝えよう。

 人差し指で上! 上! とアピールしてみる。

 反応が薄い。

 両手の掌を上にして持ち上げるように手を動かして見る。

 コテンと首を傾げた。不思議そうな顔で親指を立て、首を切るように真横へスライド。片手で輪っかを作り、オッケー? と問いたげだ。

 違う違う。左手を左右に振って全力否定。

 ぜってー勘違いされてる。勘違い道一年生の俺が言うんだから間違いない。なあなあで済ましたら碌でもないバターンに入ると俺の第六感が告げている。

 ――パン!

 下の方から音が聞こえた気がした。

 

「……銃声?」

 

 少し気になったのでバスの方を見てみる。キンジがバスの上に立って何かをしていた。

 というか嵐の中で何をやってるんだろう。爆弾を探しているのか……?

 くそッ! てことはまだ見つかってないのかもしれん。

 爆発したら怖いが、友人たちを残してこのまま宙ぶらりんなのもよろしくないだろう。

 誰だって死んで欲しくないんだから。怖いけどな!

 俺はレキの方を見上げると、ワイヤーを指さして持ち上げるジャスチャーをする。

 すると白雪さんも出てきてレキと何やら話している。

 そしてこちらの方を見ると、両手で輪っかを作った。大きく丸。つまり了承。

 おお! 伝わったのか!

 レキもコクコクと頷いて判ってくれたようだ。

 何故かヘリが橋の方に寄っているが、まあいいか。何かしら状況の変化があったのかもしれない。

 両手を合唱して謝罪の意を伝えておく。

 ヘリから落ちるとかヘマしてスマン!

 こちらの意を汲んでくれたのか、レキは気にしなくてもいいよ、とばかりに首を左右に振ったあと、最後に一度、ゆっくりと頷く。真剣な表情だった。脳内で「今はそれより事件を解決しましょう」と喋っているように感じた。たぶん間違ってないだろう。

 Sランク武偵だという彼女は既に武偵のとしての心構えができているのだ。白雪さんもAランクだし、ほんと凄い人ばかりだ。

 文字通りプロフェッショナル。

 そんな彼女たちの足を引っ張っているようで少し申し訳なく思う。

 レキがワイヤーに手を掛ける。俺は出来るだけ風に揺られないよう姿勢を正す。

 そして――――

 

 ペいっ

 

 レキはヘリに引っ掛けていたワイヤーのフックを「えいやっ」とばかりに外して、放り、投げた。

 ………………投げた?

 重力に従って再度落下し始める俺。

 うん、落ちてるね。ひゅーっと。

 ああ、うん。また、ですかね。

 

「フックを持ちあげろって意味じゃないんだよぉぉぉぉォォォォォォォォッ!?」

 

 後日、レキから聞いたこと。

 俺のジャスチャーは別の意味の手信号(ハンドサイン)だと思われていたことが判明した。

 「俺が()る。いいからさっさと(前線に)あげろ」という強襲科の生徒が好んで使う用語だと。だからバス=前線と解釈して降ろしたと。

 ……今度から手信号はしっかり行おうと思った。ジェスチャーとかフィーリングで伝えようとするなとか、そもそも選択肢に手信号がなかったんだとか。

 色々ビビってたからだよ、ロープ一本でヒモ無し? バンジー状態だから余裕なかったんだチクショー…………。

 

 橋の上空に移動していたヘリ。当然真下は海じゃなくコンクリート製の道路。

 落ちたら痛いとかいう次元じゃないっ!?

 カチカチとワイヤーを操作しても動かない。

 これ、死ぬんじゃねーっすか?

 …………待て待て待て待てぇぇぇぇ!?

 空が下で地面が上で視界がグルグルと海底してジェットコースター一〇年分くらい回転してもう回るのは嫌だつか航空機関係に良い思い出が無さ過ぎあれ墜ちるだろ帰っていいですかもう勘弁してよこんちくしょーーーーっ!!

 

「――――――あ」

 

 最後、記憶に残っていたのは黒。黒い棒が目の前に迫っていたこと。

 そしてカコカコォン! と二連続で鳴る甲高い音と頭部の衝撃。

 何が何やら判らないうちに俺の意識はブラックアウトしていった。

 

 

 

 

 

「――――はっ!? ……え、アレ? 俺、どうしてたっけ?」

 

 飛び起きて周囲に目をやる。

 寝起きのせいか意識に薄く靄がかかったような、ズキリと頭部に痛みが走った。

 起きたはずなのに初めから俺は立っていた。

 左右にはピンク色の鮮やかな花びらの桜並木。桃色の雨が俺の足もとへと降り注いでいる。

 剥き出しの地面。前は先が見通せず、薄い霧がかかり、その先に何があるのか判らない。

 二日酔いの朝みたく、不快な痛みがズキズキと頭をかき鳴らす。

 ノイズの掛かった記憶を探ると、雨、バス、事件……あぁ、そう、そうだ、俺は確か――

 

「もーっ、ケー君。そんなカカシと競うように呆けてどーしたの? 頭痛い? 脳外科行く? しーてーすきゃーんで頭をぶった切る?」

「いや、俺は武偵で事件に行ってたから。つかぶった切るとか物騒だろ…………え?」

「ぶてーい? じけん? くははっ、ジョーダンジョーズっ♪ 脳内妄想でもしてたのケー君?」

 

 鈴がカラカラ鳴る様な、とても心地良い声が俺の耳に届いた。

 目の前には一人の女性がいる。

 綺麗系と可愛い系を足して二で割ったような顔立ちで、そこらのアイドルよりよっぽど容姿が整っている。

 そんな彼女は親しみを含んだ悪戯っ子の笑みを俺に向けていた。

 でも…………誰だっけ?

 

「いや……あの、すいません。どなた様、ですか?」

「…………え? 嫌、春ボケなら止めて欲しいよ。ワータシのこと忘れたっていうの?」

 

 相手は冗談だと思ったのか一瞬眉を顰めたものの、手をひらひらさせながら、向日葵も負けてしまいそうなほど明るい笑顔で再度話しかけてくる。

 その顔は今日初めて出会った人間に対する話し方じゃないと判るほど、親しみの情が込められていた。

 でも自慢じゃないが、俺にはとびっきりの美人さんや可愛い幼馴染など居ないし、昔知り合った女の子の知り合いとかもほとんどいない。

 何故か男の知り合いばかりだった。近所も野郎ばかりだし。どうしてこうなった俺。

 と、とにかくだ。

 武偵高で知り合った人ならさすがに忘れる訳が無いし、それ以外での知り合いも女子では記憶にない。

 こんな綺麗な人に話しかけてもらえるのは光栄だけど、そんなのは東京近辺で「絵に興味ありませんか?」と言って店に連れ込み、法外な値段で絵を売ろうとする輩とかしか会ったことがなかった。あと手相とか。

 だからか少しだけ警戒心を持って話しかける。

 

「ごめん、本当に誰か判らないんだよ」

「ちょっと、本気で止めて。今日はお祝いで来たんだよ? 気持ちは新幹線よりはやーく急いできたんだよ? 記憶喪失のフリ? それにぶてーとか意味判らないよ。意地悪言ったのは謝るから……ねえ、私の顔をしっかり見て? 高校時代から付き合ってたんだから、ねぇってば……」

 

 そっと白く、きめ細かい手が俺の両頬を包む。

 とても悲しそうな黒瞳が縋るようにこちらを見つめていた。

 目は口ほどに物を言うというが、彼女の目に嘘はないと思えるほど、真摯に真剣に、俺の心を射抜く。

 ドクン!

 心臓が高鳴る。

 長い黒髪。明るい笑顔。小ぶりな口元。大きくもなく小さくもないほどよく育ったお椀型の胸。スラリと伸びた肢体。

 …………あぁ、そうだ。

 俺は彼女と知り合いだった。

 中学時代に隣の席だった時から気になっていて、でもどこに進学するか判らず友人と同じ高校に進学したら偶然同じ高校、同じクラス、更に隣の席で……。

 一念発起して高校最初の夏休み前に告白……答えはOK。

 それから修学旅行では夜に二人で抜けだしたり、文化祭では写真同好会の展示で誰もこない教室に笑い合って、大学時代は進学で違う県になったけど必死にバイトして交通費を稼いで……あれ、でも俺の高校は…………いや違う。拳銃を使う高校なんてある訳ない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「ご、ごめん! ちょっと寝ぼけてた! いや本当にごめん。この通り!」

 

 何が「どなた様、ですか?」だよ!

 高校時代からの恋人にどんな仕打ちだ!

 俺が苦しかったときにはいつも彼女が居てくれた。親より、親友より、誰よりもこの子は側で俺を助け続けてくれた。

 からかわれることも多いけど、それだって明るく笑ってくれた方が可愛いって言った俺に対する最大限の愛情表現なんだ。

 地面に付かんばかりに頭を下げると彼女はぶすっとした声音で呟く。

 

「清月堂のろーるけーき。たくさん」

「お、おう! 清月堂でも満月堂でもなんでもこいや! たくさんおごるからっ!」

「なら許してしんぜよー。瀬戸内海くーらいの心で」

「狭い!? 微妙に狭いだろその心っ」

「くははっ、ケー君もちょーし出てきたね! だからこそ楽しいんだよね♪」

 

 そう言うと、彼女はコロリと表情を変えて笑う。

 この空気が心地良い。

 お調子者の気がある俺と、常に楽しさを求めてはしゃぐ彼女は会話が噛み合う。

 お互いに軽口をたたき合いながら、気付くと時間が過ぎている。

 友達とも親友とも恋人とも言える万能な距離感。

 いい加減そうで意外と繊細な面がある以外、彼女は普通の女の子だ。

 硝煙臭いあの高校(・・・・)とは縁もゆかりもない民間人で…………あの高校? 民間人?

 何を言ってるんだよ俺は。

 さっきまでは思い出せた気がしたんだが…………いや違う。

 

 俺は東池袋高校を卒業して、全力で勉強した甲斐あって東京大学文学部行動文化学科を専攻することになったんだった。

 社会心理学的とかを習いながらカメラマンを目指そうとしたけど……。

 偶然中学時代の恩師に出会い、教師の面白さを教えられて、それからカメラマンを目指し続けるか、教師になるかずっとずっと悩んで、何度も彼女に相談して。

 家庭教師として(いのり)という少女に教えるのが大変だったけど、とても面白くて……最後は彼女と一緒に、亡き父の墓前に形見のカメラを添えて、教師になることを報告したんだ。

 馬鹿だな俺は……そんな大切なことを忘れていたなんてさ。

 彼女を傷つけてしまったことに、バツが悪くて頭をガリガリと掻く。

 そんな俺に気付いたのか彼女は気にするなとばかりに首を左右に振ると、努めて明るい声で「そういえば」と言いながら薄桃色の唇に人差し指を当てる。

 

「ケー君って何処の高校に赴任するんだっけー?」

「え、高校? あ、ああーっとだな。……うん、何処だっけ?」

 

 腕を組んで頭を斜めにしても何故か思い出せない。

 まるで初めから存在しないかのように。

 東京……武偵……いやそんなのは知らない。

 悩み始めると呆れた表情で彼女が言う。

 

「もー、そういうヌケているところは変わらないんだからー。仕方ないなぁ。ええっと、確かこの前の手紙に書いてあったかな? ……あ、あった。神奈川県横須賀市居鳳(いのう)町にある居鳳高校だって」

「お、おう、そうだそうだ。その居鳳やら右脳やら言うところだった気がする!」

「自分が書いた手紙の内容を忘れるって、おっかしー」

「い、いいじゃないか!? 思い出したんだし! それにそっちだって居眠りから目を覚ましたときメガネメガネーとか呟いてたよな! メガネしてないのに。傑作だったぞあれは」

「聞こえない聞こえないー。そんなじじーつは存在しませーん。ホラホラ、高校デビュー記念のお祝いなんだから早く遊びにいこーよ!」

「高校デビューて、俺教師なのに……。まあいっか。んじゃ行くか。かなえ」

「うんうん、その調子だぞ、ケー君。楽しくいこーねっ♪」

 

 長髪を尻尾のようにふりふり揺らしながら、ふざけ調子で先を走っていく。

 ――助かったぜケイ。あと悪い……ちょっとしくじった――

 

「え?」

 

 後ろを振り向く。

 誰か……そうとても大切な友人の声が聞こえたような。しかし誰の声だったか思い出せない。そもそも誰もいないのだから空耳だろう。

 晴れているはずなのに、桜の花びらがとても冷たかったり、周囲は桜と地面と彼女以外まったく見えないが、きっといつもの(・・・・)光景。

 

 俺は彼女に先導されながら歩く。気付くと前の前には屋台。

 店は棚が三段になっていて人形やお菓子など景品が並ぶ。そしてライフルタイプのおもちゃ銃とワインのコルクみたいな弾。

 平たく言えば射的屋だった。

 

「……今日って祭だったっけ?」

「ん~? お祝いする日なんだから屋台の一〇や二〇くらいあるんじゃない?」

「そういうもんか?」

「そういうもーんだよ♪」

「そ、そうか」

 

 そう言われるとなんか俺が間違っているような気がしてきた。

 屋台の主にお金を払い、銃口に弾を込める。

 隣に居たかなえも主にお金を払おうとしていた。

 ここで俺はちょっとしたことを思いつく。

 何故だろう……射的なんて得意じゃないが、不思議と当たる気がする。

 ならここは男を魅せる場面ではないかと。

 

「かなえ、ストップ」

「ふぇ? どーしたんの? 同時攻撃で倒す?」

「ああ、うん。同時攻撃なら倒れそうだし」

「だったら私も協力するから」

「いや、必要ない……な」

「え?」

「彼氏に任せろ。華麗に景品を打ち抜いてやるぜ!」

「おおー、ケー君が燃えている。じゃあ、頼もっかな♪」

 

 射撃なら訓練してるし、年季が違うぜ!

 …………あれ、俺どっかで練習してたっけか?

 ――アンタは何言ってんの! いいから後ろに下がって――」

 え?

 また振り返る。特徴的なアニメ声。

 一度聞いたら忘れないほど甲高い女の子の声が聞こえた気がしたのだが……。

 

「ケー君! 早く景品取ってよ」

「あ、ああ」

 

 腰に手をやり、そこにある重みが無いことに首を傾げながら、銃を構えると――

 

「……ケー君、どーしたの?」

「……あれ? 射的は?」

「昼間のデートならもう終わったじゃん。ケー君が射的で全弾外すのはいろんな意味で面白かったよ♪ あと、ここは私の部屋だから、ね?」

 

 また場面が変わっていた。

 何故だ……何かがおかしい……コロコロと場面が変わる紙芝居を見ているような、ブツ切りした映像を見ている錯覚を覚える。

 でも原因が判らない。

 彼女――かなえは白いベットの上に座っていた。

 頬を染めて、こちらを上目遣いで見ている。

 潤んだ瞳はとても艶めかしく、しかも、

 

「か、かなえ!? なんで裸ワイシャツなんだよ!?」

「ええっと……その、ケー君が、興奮するかな、なんて」

 

 明らかにブラジャー付けてない、ショーツはいてない状態の彼女が女の子座りで大きめのワイシャツを着ていた。

 男の夢を体現したような状況に思わず、腰をかがめてしまうのも仕方ないと思う。

 

「ほら……ケー君きてよ。今日は、『お祝い』だよ? 恋人なんだから、この後どうするかなんて、判る……でしょ?」

「いやそりゃ、あのその、だな」

「こ、こーいう時は男の子がリードするもんでしょ! ほら、胸! ……さ、触って? こ、こここれでも形が良いって自慢なんだからっ」

「え……い、いいのか?」

「いいっていってるじゃんっ! ほ、ほら、そっと……優しく、ね?」

「……本当に、いいんだな? ……やっちまっても」

「今更確認しないでよ。ほら…………きて?」

 

 そ、そうだな。

 据え膳食わぬは男の恥。

 彼女の声に導かれるように、俺の右手は彼女の乳房へとのびていく。

 

「愛している……かなえ。昔から、ずっと。君がどんな苦境にあっても、俺の心は君と共にあると誓う」

「うん……私も、大好き、ケー……ううん、啓。私を、包み込んで。熱い熱い愛で、私を焼き尽くして」

 

 彼女を見つめる。彼女は俺を見つめる。

 ゆっくり、ゆっくりと、優しく傷つかないようにそっと、胸に触れ、一回、二回と握る。

 胸は冷たくて、硬くて、ズシリと重い感触を返してくる。

 祭? だからか火薬の匂いが鼻をつく。

 胸って硬いんだな………………いや待て。

 待て待て待て。

 違うだろ、それはおかしいだろ。AVで見たけど、胸ってふにゃってするほど柔いもんじゃねえのか!?

 拳を握る。硬い感触。

 手に持っていたのはシグ。

 愛用の拳銃。母の形見。

 

 思い出す。

 東京武偵高校。シグ。強襲科。双子。カジノ。キンジ。武藤。不知火。アリアさん。白雪さん。レキ。じーさん。双子。雨。嵐。バスジャック。

 珍しい。ここまではっきりと自覚できる明晰夢なんて。

 理解した。

 ここまでの全てがユメマボロシだったと。文字通り、夢だったと。

 

Jesus(なんということだ)……とても、残念過ぎる……」

 

 本当に残念過ぎる。

 

「『かなえ……愛してる』とかアホが俺はーーーーーーっ!」

 

 絶叫したところで、俺は、

 

「はっ!?」

「え、え、え、え、えぅぅ……あ、あんた、まさか……ママと……」

 

 目が覚めた俺が最初に見た光景は、リンゴより真っ赤に赤くなったアリアさんと、両手に感じる柔らかい女の子の手の感触だった。

 

 

 

 

 

 

 




割ともっさりとした話になったかもしれない……。
次回も面白く読んでいただけるよう頑張ります。

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