黒歴史――それは誰しも一つはあろう闇に葬りたい出来事。
最近の風潮では、「俺の右腕が……」とか「エターナルフォースブリザード! 敵は死ぬ(キリ!)」とかの厨二病罹患者が多く持つものとされている。
だが……だがな……普通に失敗したエピソードの方も辛くないか!?
よくあるパターンでは、知り合いと思って声をかけたら別人でした、とかさ。
どっちが辛いかの論争はやめておこう。キノコタケノコ論争みたいにキリがない。
ただ、この前の事件は辛かった……色々と……。
最初はそう、すんごく緊張していた。
実績があるからとリーダーを任せられたが、そもそも他の凶悪犯罪では先輩という頼りになる人達がいたのだ。そこがメンタル的に楽。
でも今回は違う。
俺リーダー、しかも後輩付き。
レキっていう芸術的な美しさを持つお嬢さんと組めたのは嬉しいが、それを喜べるほど余裕はなかった。
昔からリーダーっていう責任ある立場が苦手だったからだ。
会社なら新入社員に「お前次のプロジェクトリーダーな」「え゛ッ」ってなる。
そして残念ながら武偵のお相手は殺しも辞さない犯罪者様。こんな事態になってお腹がキリキリ鳴らないわけない。
緊張感を和らげるために、そのときなぜか裏ビデオを見てたな。結構、すんごい奴。外国産は素敵だね!
まあ……結局だめだったが……。
途中でやってきたキンジは鼻血を吹いたあと少しおかしくなったけど、意外と純な奴なのかもしれない。
……痛いだけで最初こそ大丈夫だった。
問題は現場について名古屋の鯱? さんが来たあたりから。
ちっこくてきゃんきゃん喚く姿がチワワっぽくて和む。三脚に座った俺とちょうど目線が同じくらい。小学生かと思った。
でもそのときだ……お腹の悪魔が急に大暴れしやがった。
そのせいで動けって言われても動きたくないとしか言えない。動けない。
お願いは聞きたいけど、すまん、ここは男のプライドを優先させてくれ!
あれだ……遠足や修学旅行でバスとかに乗ると不思議とトイレに行きたくなる現象。
前日からキリキリな腹部が現場という何処にもトイレがない場所について暴れだしたんだ。
しかもやってきたボーイッシュな金髪ちゃんと、ござるなんてテンプレな忍者風少女までご登場。
先輩って言ってくれるし、見栄っ張りな俺は引くに引けなくなった……十分後にもうグロッキーだったが。
頼む……大声ださないで……お腹に……響くから……。ごめん、ホントごめん。
冷や汗も出てヤバイと思ったとき、人間追いつめられると火事場のクソ力を出せるもので、俺の嗅覚が一瞬だけ人類の限界を突破して見せた。
つまりトイレの悪臭っぽいの。
俺はそこに希望を見た。地獄に仏とはこのことだ。
即座に行動。でも痛いからゆっくりゆっくりと。
キンジ、お前くんなよ!
お嬢さんたち、お願いだから男便所にこないでね?
ぎゅるるるる
うん、もう行こう。かまってられん……。
その後はロシア人形っぽい少女たちが拳銃撃ってたけど、そのときは既に何がなんだか判らなかった。むしろ切羽詰まっていた。
……いいか撃ってみろ、この辺一体悪臭まみれになるからなっ。俺の人生暗黒時代突入しちゃうからな! そうしたら道ずれにしてやる!
ヤケクソ。
全身の神経を腹に集中して前進した。死なばもろとも……散ってやろうじゃないか。
でも頼りになる仲間たちが登場。武藤とか不知火が少女たち止めてくれて助かった。
だが武籐……肩を叩こうとすんじゃねえ! ちょっとの衝撃でヤバイ、ヤバイんだよもうっ!
不運は続く。
今日の女神様は俺にそっぽを向きやがる。
だって臭いしドアないしならトイレと思わないか?
あったのは麻薬の山。
愕然、絶望とした。泣ける。
小四のとき、簡単なテストで解答欄全部ミスってゼロ点とったときくらい絶望した。
俺はこんなもののために頑張ってたんじゃねえよもーーーーーーー!!
……あは、あははははハはハぁ…………そういや、あんとき隠してたテスト用紙が風でぶっ飛んで、ジーさんの背後にひらひら飛んでたなぁ……。
思わず「テェェェェェストォォォォォォ!!」って持たされた竹刀で突いて即座に隠したからよかったけどさー……ああ、お花畑が見える……今そっちに――
……待て! 現実逃避すんな俺。
うん大丈夫。少しだけ波が引いた。
お嬢ちゃんたち悪かったね?
普段なら構ってやりたいけど、アメちゃんやりたいけど、うん呼びとめるのはストップ。
お願いされたら男のプライドが足を石にしちゃいそうだから、さっさと行かせてくだせい。
そして俺はやっとコンビニについてトイレに――
「入ってま~す♪」
「さっさと出ろやゴラァァァァァ!!」
……。
…………。
………………。
「はっ!?」
……夢か?
あのあとどうなったとかはどうでもいい。
うん大丈夫。俺は人間の尊厳は守れた。
オレハダイジョウブ。ナニモナカッタ。
天井が見える。男子寮の真っ白な天井だ。
二段ベットの上段からゆっくりと降りる。
冷気がパジャマの隙間を通り、少し身震いする。
窓の外からは濁った東京湾が見えた。
学園島という名の通り、海はまん前。埋立地の上にあるのだから当然だが。
「こういうとき、同室の奴がいないってのもけっこう寂しいもんだな……」
本来は四人まで同室で過ごせるのだが、広々とした部屋がやけに寒々しくて……気分を落ち込ませる。
俺が男子寮で一人なのは不吉な理由からだった。
中途半端な時期の入寮だけじゃない。後で知ったが前の寮生は事故で半身不随になり、武偵高を辞めていた。他には行方不明や銃弾を喰らって即死とか。
この部屋呪われてんじゃねえのか?
今更文句を言ってもしょうがないけどな……。
制服……じゃなくて、朝飯を先に食べよう。
冷蔵庫から適当な材料を出す。
火を付けフライパンを熱する。
バターを一かけら。油の跳ねる音と共に香ばしい匂いが室内に漂う。
ベーコンを上に乗せるとジュウッと音をたてながら、肉の薫りがよりいっそう鼻を刺激する。こんがり焼き目がついたところで器に移し替えておく。
味噌汁は前日に作って置いた、豆腐とネギの味噌汁を温めなおし、同じく作っておいたきゅうりとニンジンの一夜漬けを皿に乗せてテーブルに並べる。
真っ白なホカホカご飯を茶碗によそえば、典型的な一人暮らしの朝飯の出来上がり。
伊達に一人暮らしをしちゃいない。
朝飯を食べたら、整髪料で適当に寝ぐせを治し、防弾制服、シグ、十手を装備。
鉄板入りのカバンに教科書を入れれば準備完了だ。
外に出ると寒風が吹きすさび、眼下に見える木々は茶色の枯れ葉がそこかしこに見られた。
「おはようケイ。今日も寒いな」
「キンジか、おはよう。もう十二月だしなあ……雪が降らないのは助かるけど」
「温暖化っていうけど、氷河期の方があってるよな」
「確かになー」
朝の生活スタイルが似ているキンジとは、よく部屋の前でバッタリ会うことが多い。
星伽さん……最近は白雪でいいですよって言われたので……白雪さんはランダムで会う。
そもそも男子寮に女子が来ることは風紀上よろしくないらしいが。まあ恋する乙女にとっては些末なことか。もう羨むレベルは過ぎたからどーでもよくなってきた……。気分的なものもあるが。
木枯らしが吹く東京の空の下、適当な話をしつつバス停へと向かう。
ただでさえ、数ヶ月前の黒歴史の夢を見て気分がダウナーなのに、曇り空が更に拍車をかけてくれる。
普通の高校なら昨日見た番組や、スポーツの話をするところだが、武偵高はやはりそっちの話題にいってしまう。
キンジは先日の事件について話題を振ってきた。
「そういやこの前の、『横浜裏カジノ事件』は相当根が深かったみたいだな」
「あれか……なーんかカジノの親父に感謝されて困惑したなぁ」
「そりゃそうだろ。マフィアに娘を人質に取られてたのをお前が助けたんだから。あれが無かったら親父さんはそのままブタ箱行き確定だったし、娘さんは海外売り飛ばされるところだった。お前がのした組織の人間がいなかったらやばかったぞ」
そうは言われても素直に喜べなかった。
確かに助けることは出来た。親父さんも娘さんもお互いの無事を喜びあいながら、何度も俺に御礼を言ってきた。
でもさ……ちょっと突入まで数時間あったから、肉まん買いに横浜の中華街を歩いてたら道に迷って、ついた先には拳銃持った兄ちゃんがいる。刺青に、サングラスにピアスの三タテ。
そして足もとには少女が縛られてたってなったら即通報ものだろ。
見回りをしていた警官を助けに呼んだら、観光に来ていた警視総監様、護衛してた先輩の武偵までやってきて大騒ぎになったんだぞ……。
あとはあれよあれよという間に娘さんが人質だったとか親父さんが脅されてたって判って、警視総監の娘と親父さんの娘が親友。
総監特権発動で異例の感謝状まで貰う始末。
元の動機が肉まん求めてました、なんて言える空気は霧散していた。
「偶然だよ。俺はただ――」
「何言ってるんだよ。裏の裏まで読んでなきゃあの場面での成功はなかった。謙遜のし過ぎは逆に嫌味だぞ」
これだ。最近はこの不相応な評価が辛かった。
黒歴史の件なんてまさにそれだ。腹が痛くて帰ったら賞賛の嵐。どう反応すればいいのか判らない。
事実は事実だ。父と娘、二人の人生を救った。
きっとそれは誇らしく、素晴らしい。
しかし胸にシコリのようなものが少しずつ溜まっていた。
……我ままだけど、俺の実力じゃない。過大評価は好きじゃない。
「……裏なんてない、あるのは平べったい表だけだ」
「ケイ……本当にどうしたんだ? 顔色も悪いし……」
「武偵って仕事に色々悩んでるんだよ……」
「そうか……(麻薬少女の件にしろ、ケイは犯人も大切に想う奴だし、まだ迷っているのか。俺が相談に……いや、逆にダメだ。ケイの目標は正義の理想形……そう思えてしまう未熟な俺じゃ、むしろ悩みを増やしちまう……。理想に燃えて現実に行動できる武偵なんて…………あ)」
キンジがいきなりポンッと手を叩いた。
どうしたんだ?
「ならうちの兄さんに相談するのはどうだ?」
「お前の?」
「ああ、現役の武偵だし俺もたまに相談するんだ。いいアドバイスをもらえると思うぜ」
キンジの断言する言葉に彼の兄に対する厚い信頼を感じた。
兄貴の話はたまに聞く。
正義感が強くて、凄腕の武偵なのにおにぎり一つで依頼を受けたこともあるとか。基本的にいい人そうではあるな……。
そうだな、ちょっと聞いてみようか。
「じゃあ頼むわ」
「了解。兄さんは仕事の関係で移動が多いから早目に出した方がいいからな。今の住所は――」
キンジに住所とアドレスを聞く。
ただこういうことは携帯のメールで相談するのは失礼だろう。
大人の人だし、ちゃんと手紙にしたためて送ろう。
そうして俺は相談の手紙を出すことにした。
手紙の書き方は詳しくないが、一生懸命書こう。今の現状を切実に……。
■ ■ ■ ■
横須賀市浦賀某所。
プロファイルリング新理論、FBI射撃術、医学大全――様々な専門書を取りそろえ、
そう女性だ。
ブラウンの髪を三つ編みに纏めた姿は非常に見目麗しい姿であった。
道を歩けば振り向かない男はおらず、その横顔は同姓ですら溜息をついて見惚れてしまう。
だが名前は遠山金一。染色体はXY。生物学的には男性。
女装癖があるのではなく、それが
キンジが性的興奮をトリガーに能力を極大化させるHSS(ヒステリアサヴァンシンドローム)。
金一――通称カナはそれとは別に女装することで発動することができる。
何故この状態なのか?
数日後に迫った依頼のための準備として少々HSSを発動させる必要があったためだ。
今まで以上の難敵を相手にせねばならない。少しでも成功率をあげるための案を、考えていたところ、ちょうど大石啓からの手紙がきたのだった
『友人が最近、武偵の仕事について悩んでいるから相談に乗ってほしいんだ。手紙を送るらしいからアドバイスをしてくれないか?』
愛する弟キンジからの連絡だ。
宛名は大石啓。
「さて、噂の超新星新人、大石啓くんの悩みなんだから、ちゃんと返さないといけないわね」
最近、武偵たちの間で噂される新進気鋭の武偵。たった一年足らずで、凄腕武偵の称号である二つ名も正式に決まった。
そんな超人じみた彼にも人並みの悩みがあるというのだ。
ここは先輩武偵としてキチンとアドバイスしないと! と手紙の読み始める。
『きっとこういうことを相談することは迷惑かもしれません。でも私の低能では判りません。
こんなダメな私ですが単刀直入でいいます。私は武偵を辞めたいです。小心者なんです。
万事塞翁が馬、とは言いますが流されるままではいけない。
他が私を賞賛する。ですがただの偶然です。私の実力ではない、みんな勘違いなんです。
他者の評判が辛い。自分の力じゃないのに、過剰な評価が辛い。でも喜んでいる人もいる。
あんなに自分を持ちあげられると……もうどうすればいいのか……。
にぱーと笑う少女の笑顔が自分の進むべき道を惑わせる。積み重なる零が辛い。
良い職業だと思います。でも小市民な自分は貯まっていくものの重さに耐えられないんです』
自虐が過ぎる――それがカナの感想だった。
想いだけが先行して書きなぐった字は本心を吐露しているともいえる。しかし――
「聞いた話だと様々な事件を解決したのに、勘違いなの? 結局、なにがいいたいのか……んん?」
カナはそのとき不自然な文の形態――違和感を感じた。
医学にも通じた彼女。医学知識も豊富で、患者の心を癒すために心理学だって学んでいる。
だがこの文には医者としてより、武偵としての本能が囁いた。
字面に惑わせるなと。
犯罪者にも優しさを振りまく少年。優秀な武偵。ただ感情だけで書きなぐった手紙を送るのか?
あまりにも幼い文面の真意を読み解こうとする。
そしてHSSの優秀な頭脳は隠された意味を見抜いた。
「……あははははははは! なるほど、そういうことだったんだ。お茶目な少年なのね♪」
良く見れば簡単なこと。普通なら失礼だが、そこは武偵。
武偵なら挨拶代わりの暗号付きの手紙など日常茶飯事だ。
「横じゃなくて縦読みね。二行目の縦読み。『きん事が者んぱい』……つまり『きんじがしんぱい』。優秀な啓くんならキンジのHSSには気付いているでしょう。不安定なキンジの能力はまだ発展途上。正義感ばかり強くて、ちょっとした挫折で武偵の道を諦めるかもしれない。あの子の精神的な弱さを見抜いていたのね……」
深読みのし過ぎではないか――否。
優秀な武偵なら相談するにしても、相手の実力を見極めるのは当然。それは作法だ。例え知り合いの兄で武偵でも本心を吐露するなら最低限の実力は持っているよな? というジャブのようなもの。挨拶だ。
キンジはHSSの力を好んでいない。
キンジのHSSは本能的に女性を護るべき対象とする。
その女性の味方をするというHSSの弱点を利用され、ワザと性的興奮を与えられる。
弱い女性は男相手のケンカに使ったり、都合のよい用心棒にキンジを使った。
正義感の強いキンジだが『独善的な正義』は自身の主義に反する。そのためキンジは女性嫌いになった。
それでも武偵という職業に憧れはあったし、カナにも尊敬のまなざしを送っていた。
しかしカナは思う。
いつか、それが仇になるのではと。
もし自分に不幸があり、死んだとき……周囲の人間が彼を責めたら? 無責任な言葉を投げかけたら?
実際に今、準備している任務では一時的に
自慢の弟。きっと大丈夫……。でも不安は付きまとう。
そのとき、頼りになるのは背中を預けあった戦友たちだ。
大石啓はそれを見抜いていた。敵にすら涙を流す少年は友人の未来を案じていたのだ。それならこの手紙の意味も見えてくる。
「重要なのは文字の意味じゃない。書き殴った手紙全体にから伝わる心の不安定さ、悩み。キンジの危うさを案じていたのね……。どこまでも優しい少年。キンジ……良友に恵まれたわね……」
口元を緩め、カナはマリア像のごとく慈愛に満ちた表情で微笑む。
大石啓はキンジの不安定で不確かな『正義』に悩んでいた。想いだけが先行した幼い気持ちを危ぶんでいた。
二つ名を与えられる武偵。でもその二つ名は縁をなにより大事にする変わった名前。
「
カナは手紙を書き始める。
その相手は大石啓。ただしキンジへの想いを裏に仄めかしていた。
数日後――遠山金一は世間的には死ぬこととなる。浦賀沖海難事故で……。
そして心無いメディアは『船に乗り合わせていながら事故を未然に防げなかった無能な武偵』と遠山金一を非難する。親類のキンジも巻きこんで……。
二人の武偵は己の未来を決めることとなる。