あれ? 勇者ってこういうのだっけ 作:みども
聞くものすべての耳に不快感とそれ以上の恐怖を刻み込むおぞましい咆哮を響かせながら、夜の森を走り兎里めがけて巨体を生かした突撃を仕掛けてくる邪龍。
半分腐り落ちていながらも、尚いかなる名工が鍛え抜いた鎧よりも頑強であることを主張するで圧倒的な存在感を放つ龍鱗に覆われた前足を振り回す。
緩慢に見えるのは巨体ゆえのこと。
実際振り回すその前足の速度は、質量も相成り直撃どころか掠れるだけでも人の身体など挽肉になるほど破壊してさらにお釣りが山のように帰ってくるほどの破壊力を持つ。
しかし巨体だからこそ大ぶりで緩慢な動きとなる。
全盛期ならばいざ知らず、土の下より無理やり呼び覚まされた骸となり果てた身で繰り出す攻撃では、救命団にて団長ローズの拳を交わす特訓をボコボコにされながらもくぐり抜けてきた兎里にとって目を瞑ってでも躱せる攻撃である。
どれほど強力でも当たらなければ意味がない。
振るわれた前足は空を切り、地面の枯葉や土を舞い上がらせる強風を起こすにとどまる。
邪龍の前足を避けた兎里は、止まることなくその巨体に向けて駆け抜ける。
それに対して邪龍は、今度は地面を駆け回るゴキブリを潰そうとするかのように前足を地面に叩きつけてきた。
「デカいだけじゃ避けるのなんて──って、うおッ!?」
余裕を持って邪龍の前足とその手に伸びる鉤爪を逃れた兎里だが、叩きつけられたその前足の生み出す地面の振動を受け思わず足が止まってしまう。
邪龍の強烈な攻撃は地面に大きなくぼみを作り、避けた兎里をその余波で転がすほどであった。
地面を走り回る兎里の目線では、横の動作を明確に見分けられる振り回す攻撃よりも、直線的な動きをとり且つ躱しても衝撃で相手の姿勢を崩すこの手合いの攻撃の方が対応しにくい。
振り下ろしの攻撃が振り回しの攻撃より兎里にとって躱しにくいものであることを瞬時に見抜いた邪龍は、追い討ちをかけるように前足を逃げ回る兎里に対して次々に叩きつけてきた。
「うおおおぉ!? 危なっ──くそ、近づこうにもこれじゃ……!」
邪龍に勝る数少ない利点の1つである脚を生かして動き回る兎里を両腕で激しく地面に叩き追い回す邪龍。
その苛烈な攻撃は地を揺らし風を起こし、回避を続ける兎里のバランスを崩しにかかる。
一回や二回程度ならば躱し続ける程度造作もなかった兎里だが、邪龍の攻撃に体勢を崩され彼の間合いである拳の届く懐深くまで入り込むことができなかった。
このままではジリ貧だと判断し一度大きく下がって距離をとった兎里に、追い詰めていると思い気を良くしたネアが邪龍相手に地面を転げまわる兎里を嘲笑った。
「あはは! さっきまでの威勢はどうしたのよ変態治癒魔法使い! こいつを殴るとか言っていた割には、間合いにすら入れていないじゃない!」
「誰が変態治癒魔法使いだ! 僕の間合いが拳の届く範囲だと思うなよ!」
ネアの挑発を受け、兎里の額に青筋が立つ。
その矮小な体を潰してやると言わんばかりに突進してくる邪龍。
すると兎里は手のひらに治癒魔法を集中すると、その腕を引いて邪龍の肩に乗るネアめがけて治癒魔法の魔力の塊を投げ飛ばした。
「食らえ、治癒魔法弾!」
そう、投げ飛ばした。
魔力の塊を。野球のピッチャーよろしく豪快なスローイングで。
そして救命団の地獄の拷問訓練を乗り越え鍛え抜かれた兎里の肩の力を込められた治癒魔法の塊は、デタラメな豪速球となってネアの顔面にクリーンヒットした。
「ぎゃうん!?」
治癒魔法の豪速球を躱すことができず顔面にその衝撃をもろにくらうネア。
いかにネクロマンサーと吸血鬼の混血という特異な個体の魔物の彼女といえど、それを食らえば無傷では──肉体的には治癒魔法のおかげで無傷とはいえ、心理的には無傷では済まない。
果たして治癒魔法とはなんぞや?
少なくとも魔力をぶん投げて敵の顔面に直撃させることにより結果は無傷で制圧するための魔法ではないだろう。
悲鳴をあげて大きくのけぞった彼女は、疾走する邪龍の肩から落ちる。
その操作する主人の悲劇に、邪龍は全く興味を示さずただ己の憎き敵の同胞を亡骸に変えてやると言わんばかりに減速すらせずに突進を続行した。
「操っているんじゃないのかよ!?」
邪龍のゾンビを操っているネアを気絶させれば止まると思っていた兎里は、止まる気配のない邪龍に悪態つきながら横に地面を転がることでその突進を間一髪のところで回避する。
直後に驀進した邪龍の巨体が生み出す破壊の余波が、強力な風圧となって兎里の体を吹き飛ばした。
「くっ!」
人間離れした身体能力を持つ治癒オーガこと兎里でも、不安定な体勢でこの風圧を食らえば踏ん張ることなど叶うはずも無く吹き飛ばされるしかない。
地面に激しく体を打ちつけながらも持ち前の治癒魔法で即座にコンディションを全快に戻しすぐさま立ち上がる兎里。
だが、まるでそれを待っていたかのようにいつの間にか突進を止めていた邪龍の巨大な尻尾が立ち上がったばかりの兎里に振るわれその身に強烈な一撃を叩き込んだ。
「なっ──グアッ!?」
回避も防御も間に合わなかった兎里は、巨大な尻尾の一撃を受けてネアを置いてきた方向に吹き飛ばされる。
通常の人間なら原型など止めないような攻撃だったが、救命団で鍛え抜いてきただけありなんとか兎里の体は骨折などの負傷こそしたものの原型は残り命も取り留めることができた。
「こんなの、団長の拳に比べれば痛く無いんだよ──!」
そして、回復魔法とは比べ物にならない効力を持つ治癒魔法は、基本的に命が繋がっていればたとえ戦闘不能な重傷であろうと即座に治癒して万全な状態に戻すことができる魔法である。
兎里には魔力さえ続けば軽傷も重傷も治癒魔法で癒せるので、負傷というのは無いのだ。
術者の傷を癒して即座に戦線復帰させるというのは治癒魔法の正しい使い方ではあるのだが、アコライトは前衛とかいうわけじゃ無いのだから治すなり殴りかかるあたりやはり使い方を間違っている。
……そう。
兎里は何を思ったのか、邪龍の巨大な質量に任せた尻尾の攻撃を喰らいながらもその怪我をすぐに癒し、逆に距離が詰められたのをチャンスと見て邪龍の巨体に拳を叩き込もうと突っ込んだのである。
「喰らえやトカゲ野郎が!」
もう人間の顔では無い。
治癒魔法を纏った兎里の黒騎士を沈めた時よりもさらに強力となった渾身の治癒パンチが、邪龍の右側の下腹部に叩き込まれた。
如何に龍鱗に覆われた邪龍の表皮でも、治癒オーガの拳ならば有効打になるだろう。
だが、人間離れしたその一撃をもってしても邪龍の鱗はかけることも凹むことも無く、兎里の拳に返ってきたのは硬い壁を殴るようなまるで効いていない手応えだった。
「硬いなぁ……」
あまりの手ごたえのなさに、苦い顔をする兎里。
しかし、そんなことをつぶやいている余裕などない。
肌に口を刺してくる五月蝿い蚊を叩き潰すように、腹を殴った兎里めがけて邪龍が前足を振り下ろしてきた。
「うおっ!? あ、あぶなかった……」
間一髪のところで回避に成功した兎里。
あと少し回避が遅れていたら死んでいただろう邪龍の攻撃に、一瞬でも気を抜いたら即座に殺されるほど強大な存在に1人で立ち向かっているということを改めて思い至り気を引き締める。
無力な人間をあざ笑うように、邪龍の朽ちかけている顔が嗤いを浮かべる。
術者であるネアの制御とは明らかに無関係な動きを見せてくる邪龍に、兎里はやはりネアが制御できていないのでは無いかという可能性を感じる。
だが、ネアに操られていようが独自に動いていようが、人間をやめたオーガである兎里にとっては遥かに強大な怪物を相手にしていることには変わりがない。
殴ってもまるで効いていない。治癒魔法を投げつけてもおそらく効く可能性は無いだろう。
殴ってもダメだったとなるとどうすればいいのか。
邪龍攻略の糸口がつかめ無い兎里の額から、彼の焦りを示すように汗が一筋流れた。
邪龍が大きく息を吸い込む。
逃げ道を塞いだ毒のブレス。
その前兆を邪龍が見せ、兎里はすぐに動いた。
「させるかぁ!」
毒だろうと治癒魔法を駆使する兎里には関係無い。
だが、邪龍のブレスの軌道にはネアが魔術研究などをするために隠れ家としていた洋館がある。
そこにはネアに操られていたためやむなく治癒魔法を使って気絶させた村人たちがまだいる。
躱そうとも飛びかかろうとも、止めなければ村人たちがブレスの餌食になってしまう。
それだけはさせてたまるかと、兎里は殴っても効かない相手に無謀にも飛び込んでいった。
兎里の拳など避ける価値も無いと言わんばかりに、動き出した彼を無視して息を吸い込む邪龍。
すぐさま邪龍との距離を詰めた兎里は、歯を食いしばり手加減なしの全力の治癒パンチを下腹部に叩き込む。
だが、拳に返ってきたのはやはり壁を殴るような感触のみ。邪龍には答えた様子がかけらも無く、息を吸い込む動作も止まる気配が無い。
「止めろおオォォォ!」
それでも諦めるものかと、兎里が拳を叩き込む。
効いている感触などないのに、我武者羅に殴り続ける。
しかし、邪龍を止めるには弱すぎる妨害だった。
無情にもその口は開かれ、毒のブレスが放たれる。
「止め────」
「ブルォォォオオオオオ!!」
降り注いだ一帯を死の世界に変えてしまう邪龍のブレス。
それが兎里と洋館めがけて放たれる直前、その雷鳴は突如として夜の森に響き渡った。
「えっ──?」
混乱する兎里の目に映ったもの。
それは、邪龍のブレスが洋館に降り注ぐ惨劇では無く、その邪龍に雷を纏った巨体で強烈な体当たりを敢行したサイのような姿をした一体の魔物だった。
よほど強力な攻撃だったのだろう。
兎里の拳では傷1つつかなかった邪龍の鱗はサイの魔物の突進により蜘蛛の巣状の亀裂が走り、ブレスを放とうとしていた邪龍の口から毒の塊ではなく悲鳴を上げさせた。
「ヴキュオゴオオオォォォォォォ!!」
明らかに苦悶から来る咆哮。
邪龍の身体が揺れ、サイの突進に押されるように動く。
兎里の拳も受け付けなかった鱗を砕かれた。
サイの魔物がなんなのか兎里にはわからなかったが、それでもここが勝機であると兎里はひとまずサイの魔物のことは横に置いておき邪龍のヒビの入った腹めがけて渾身のストレートを叩き込んだ。
「ここだあああぁぁぁ!」
今度こそ壁を殴ったような感触では無い。
ひび割れた龍鱗が砕かれ、身体の髄に響く強烈な一撃が邪龍に対して叩き込まれた。
原作との相違点です。
原作においてはアルクさんが操られたことで不利に陥った兎里たちは一度体勢を立て直すために撤退し、翌日に村人たちが村に戻った後の館にて戦闘してアルクさんを取り戻してからネアの復活させた邪龍と対峙してします。
(拙作では兎里が獅子奮迅の働きをして村人とアルクさんをまとめて気絶させ、反撃作戦の決行日に焦ったネアが邪龍の封印を強引に解いて呼び起こしたことにしています。そのためネアは兎里が異世界人である境遇などを知らず、欠片程度はあった邪龍の制御は全く無い状態です。目覚めた邪龍は先代勇者と同郷である兎里の纏う『異世界人のにおい』を嗅ぎ取り、かつて己を封印した存在の同郷の者として初っ端から『コロシテヤル』のロックオンを兎里に限定しています。己を起こしたネクロマンサーも、ブルリンやアマコも、村人たちのことも、当然ながら巻き込まれた魔族のことも一切認知していません。館を狙ったのは、そこからも感じ取れる己を封じた憎き存在『先代勇者の刀』を滅ぼしたかったから)