やはりTS転生した僕は奉仕部の一員にはなれない。   作:だるがぬ

18 / 19
生徒会選挙7話です。ギリギリ滑り込みセーフです。




17.いつかは握り拳とも握手できる日が来る。

 放課後は逃げ帰るように一人で教室を出て、帰ってからは自室でずっと考えていた。

 八千代知夜にできることは、なんだ。

 それが全然なくて結構本気でビビッている。あ、あれー? おかしいな。さっきまでは何でもできそうな気がしてたんだけど……。

 

 問題を考え直す。僕がやるべきことを定義する。

 

 まず、僕のせいで歪んでしまったであろう比企谷君と雪ノ下さんの間を修復すること。

 これはかなり難しい。そもそも目に見えて喧嘩している訳でもないのだ。正しく言うならすれ違い……とでもいうべきか。

 確か仲直りのきっかけは……比企谷君が本当に欲しかった理想を口にすることだ。その理想を、信念を。いまだ彼は持っているのだろうか。

 

 そしてもう一つ。

 雪ノ下さんの本音を引き出すこと。先の問題を解決したところで、そのあと微妙な関係になってしまったら何の意味もない。一つ目をクリアした上で、生徒会選挙を円満に終わらせなければならない。

 今と、未来と、その二つ。

 たぶんこの二つはそう遠くはない。ほとんど同じ問題で、同じ手段で解決できてしまえそうに思える。ただその手段が思い付かない。

 

 雪ノ下さん自身に答えを求める作戦は瓦解した。僕の策は既に破られた。

 なれば、どうするべきか。

 

 ♪ ~♪♪ ~

 変な音楽が耳を揺らした。携帯が振動している。電話だ。……電話、ほんとに嫌いなんだよな。宅急便とか携帯会社の着信ですら肝を冷やす。

 ただディスプレイに映る名前を見て、この電話は取らなければと思った。

 

「もしもし」

 

『こんばんは! あなたの義妹の小町です!』

 

 おい、どうせそれ他の人にも言ってるんだろ。僕は知ってるんだぞ。開幕からまあまあいいパンチを食らって少したじろいだ。

 

「……こんばんは。後ろのは聞かなかったことにするね……。それでこんな遅くにどうしたの?」

 

 もうそろ日が回る時間だ。就寝時間でもおかしくはない。しっかり寝ないと成長しないぞーと心の中でお説教しておく。

 

『それがですね。知夜さんにご報告と……あとお説教があります!』

 

「えぇっ!?」

 

 お説教されるのは僕だったらしい。

 今から怒られるのか。やっぱ電話取らなきゃよかった……。お叱りの電話ほど胃に痛いものもない。電話さえこの世になければ胃薬もいらないんじゃないかなぁ。そんな益体もない考えで現実逃避をしていると、小町ちゃんがポツリと呟いた。

 

『お兄ちゃんが、やっとぜんぶ話してくれました』

 

 ああ良かったと思う反面、少し背筋に寒気が走る。

 全部。全部とは。あー修学旅行のことですね。叱られることに、思い当たる節がありすぎた。

 

「いえ、あの……その度は誠に申し訳なく……」

 

 見えてないだろうに、深々と頭を下げる。日本人の性分が出てしまった。

 

『ほんとですよ! そもそも素直じゃないお兄ちゃんも悪いんですけど……。でも、お兄ちゃんが大馬鹿なら知夜さんは小馬鹿です!!』

 

 前例の無さそうな斬新なスタイルで小馬鹿にされた。怒られているのだからと思い突っ込むことはせず、はい……すみません、と返す。

 

 それから、堰を切ったように小町ちゃんのお小言が溢れだした。怒られた側がバツの悪い顔をしていると怒っている人は更に怒りが増すというが、どうやら小町ちゃんも例外ではないらしい。

 

『でもまぁ、よかったかなーとも思うんですよ』

 

 言いたいことをあらかた言ってしまって一息吐くと、それから小町ちゃんは優しげな声でそう言った。

 

『お兄ちゃんは何かと面倒くさいし、いつも皮肉ばっかり言うし、目を離すとすーぐ変なことするし、馬鹿だしアホだし八幡だし』

 

「あの……ちょっと小町ちゃん?」

 

 ちょっと言い過ぎでは? 妹にここまでボロクソに言われたら、僕ならちょっと立ち直れそうにない。もっと愚痴出てくるのかな……と心配になっていると、小町ちゃんは柔らかい声に戻ってこう言った。

 

『そんなどうしようもない兄でも愛着は湧くんです。それで、それをお兄ちゃんらしいなぁって思えるのは妹の小町だけだと思ってました。だから……知夜さんが分かってくれたなら、ちょっと嬉しいんです』

 

 それは思い違いだ。僕は理解できている訳じゃない。ただ無駄に知識があるだけだ。比企谷君のことにしても雪ノ下さんのことにしても。理解したいとは、思うのだけど。

 

 黙っている僕のことをどう捉えたのかは分からないが、小町ちゃんは更に言葉を重ねた。

 

『できたらでいいんです。それでもお兄ちゃんのこと、よろしくお願いします』

 

 小町ちゃんは僕にゆっくりと語りかける。

 

「まあ、うん。……そうだね」

 

 答えに詰まった。頼む相手がたぶん違う。僕じゃ彼を底無し沼に連れ込んでしまうだけだ。それは彼の幸福足り得ない。

 

 ただそれでも。完全に関わりを捨ててしまいたいとは思えない。それでは僕が歪めてしまった責任を取れない。みっともなく引き摺った僕の唯一の感傷だった。どうすれば、その責任を取れるだろうか。

 

『それだけでした! おやすみなさい!』

 

 小町ちゃんは恥じらうようにそう捲し立てた。

 

「うん、おやすみ」

 

 電話を切って、ベッドに寝転がる。

 今日は問題を解くつもりでいた。だが、それどころか条件が一つ増えてしまった。

 環境も条件も複雑に絡み付いていて、そして何よりも人の気持ちが難しくてややこしくなっている。

 

 雪ノ下さんの意図を彼が知れるようにしつつ。

 僕の望みを叶えて。

 かつ関わりが失われないようにする。

 そんな方法を、探せ。

 

 

 × × ×

 

 

 ないんだな、それが。

 いやマジでない。一晩考えて、翌日教室に来てもなお思いつかない。やっぱ無理ゲーじゃない? 

 

 もう雪ノ下さんが会長になっちゃえば? とも思うけど、それで奉仕部が無くなるのであればそれは僕が望む結末にはなり得ない。

 雪ノ下さんが会長で、由比ヶ浜さんが副会長で、比企谷君が庶務。そんな未来もあるのだろうか。やけに現実感がなくて、どうにも想像し得なかった。

 

 だが、僕の望みを叶えることは、雪ノ下さんの決意に傷を付け踏みにじることと同義だ。昨日あれだけ傷付けておいて、また同じことを繰り返すのか。それが僕には恐ろしかった。

 ままならない。どうも難しすぎる。

 

「今日はここまで。八千代、昼休み職員室へ」

 

「へ? あ、はい」

 

 あまりにも簡素な呼び出しで現実に引き戻される。現国の時間は既に終わっていた。きっとこの単元の授業から目を逸らしたかったのだと思う。

 

 その後の授業をいくつか終えて職員室へ向かうと、僕を呼んだ先生……平塚先生はデスクにいた。僕を見つけると、手招きをして呼ぶ。

 

「来たか。せっかくだから奥を使おう」

 

 そういって奥の応接間へと案内された。ここに来るのは初めてで、少し緊張が走る。

 

「まあ座りたまえ」

 

「は、はぁ……」

 

 パーテーションで区切られたその一角には日が当たり、厳粛な職員室らしからぬ模糊とした雰囲気であった。ソファーに腰掛けると、僕の上がった肩も少しだけ落ち着く。

 

「煙、いいかね?」

 

「ええまあ」

 

 曖昧にそう答えると、平塚先生は煙草を取り出してそれに火を付けた。ゆっくりと煙を吸って、吐き出す。紫煙が上空にうっすらと漂った。

 

「今日は覇気がなかったな」

 

 そう言って灰を落とす。心当たりがあった。

 

「……いつもはあるように見えますか?」

 

 つい話を逸らしてしまう。保健室での一件であれだけ無様を晒しておいて、また頼ってしまうというのが億劫だった。

 

「ん? まあ……ないな」

 

 ないのかよ。自覚はあるけど面と向かって言われるとは。戦闘のインフレに着いていけずに新世界前で船から降ろされそう。ゴムゴムのー整理解雇(リストラ)! 

 

「じゃあ、普段通りじゃないですか」

 

 憎まれ口がつい出てしまう。すると平塚先生は煙草をもう一度吹かして立ち上がり、自分の席から持ってきたと思わしき缶を僕に投げた。落としかけたが何とかキャッチする。

 

「普段よりもないと言っているんだよ。ほれ飲め」

 

 MAXコーヒーだ。わざわざ買ってきてくれたのか。見ると、平塚先生は自分の缶コーヒーも持っていて、それは恐らくブラックだった。

 

「……そっちのやつがいいです」

 

「ん、まあ構わんが……」

 

 缶をトレードして、開ける。香ばしい豆の香りが鼻孔をくすぐり、そして口に含んでからは苦味が滲んだ。一息吐いて、平塚先生がソファーに座り直して僕に向き合った。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「別に……何も」

 

 目を逸らすと、平塚先生は仕方ないなと言わんばかりに苦笑してそれから僕の頭を掴んだ。ん、何か痛くない? いててててて、ちょっと待っていたいです。アイアンクローやめて。

 

「全く……いらんところばかり影響されおって」

 

 その言葉は、頭に食い込む爪よりもよっぽど心に刺さった。いらないところが似て、いらないところを似させてしまった。

 

「せ、先生。暴力反対……!」

 

 苦しげにそういうと、平塚先生はすぐに頭から手を離した。

 

「君はもっと素直な生徒だと思ってたがね」

 

 素直。言葉を咀嚼する。しかしそれを嚥下できそうには無かった。確かに僕は色々と直情的ではあるけど、素直と言われるのは違う気がした。僕はそんなんじゃない。

 

「違いますよ……他の方法を知らないだけです」

 

「では愚直だな」

 

 平塚先生はふふんと鼻を鳴らす。

 その言葉は先程のそれより、よほどすんなり僕の中に入ってきた。ああ、愚直はいいな。特に愚という字がこれ以上ない程しっくりくる。

 皮肉げな笑いがつい漏れてしまう。そんな僕を見兼ねてか、平塚先生はゆっくりと煙とため息を吐き出し、目線を上にやった。

 

「別に言えないなら、それはそれでいいんだ。ただ私は知りたいし、手を貸したいと思う」

 

 僕なんかよりもよっぽど素直な先生はそう言ってニカッと笑った。

 降参だ。そう言われてそっけない態度を取れるほど天邪鬼には成りきれない。愚直は愚直らしく、ぶちまけるしかないのだと悟った。

 

 少し考えて、どう言えばいいかわからなくて。だからそのままを語ることにした。

 

「……知りたかったんです。彼女が何を考えてるか」

 

 平塚先生は黙って僕の言葉を待っている。

 

「わざわざ色んな人に傷を付けて、それを知りたかったんです。でも、ダメでした」

 

 僕が用意した、雪ノ下さんの本音を聞き出す作戦はただの失敗に終わった。僕の骨折り損で、しかしくたびれ儲けたのは僕じゃない。彼や彼女に押し付けてしまった。

 

「……そうか。それで?」

 

 平塚先生は難しそうな顔をして、でも口調は柔らかく続きを促した。

 

「傷付ける覚悟は出来てたつもりなんです。大切に思うとはそういうことなんだと……昔、恩師に教わりましたから」

 

 そう言って平塚先生の目を見つめ返した。ほう、と感心したように先生は頷いた。

 

「いい教師に巡り会えたようだな」

 

 ええ本当に。きっと、修学旅行なんかよりずっと昔から、僕はその先生に救われています。

 

「本当に、かっこいい女の先生でしたよ。……独身でしたけどね」

 

 うぐっと平塚先生が胸を詰まらせた。こんなの、照れ隠し無しじゃ言えっこない。先生は自分のことだとは露知らず、やっぱりかっこつける女はそうなる運命なのか……とぶつぶつ呟いていた。

 その間に、早口で事の顛末を述べてしまう。

 

「でも失敗して、それで、怖くなって。……どうしていいかわからなくなっちゃいました」

 

 傷を付けて、しかしそれには何の意味もなくて。では僕は大切な人達に何をすればいいのだろう。

 僕の言葉は、過程を省きすぎてもはや意味不明だ。しかし、これ以上の言葉を僕は持っていなかった。口に出す意思があっても、口下手がすぎる。僕はそういう奴だった。

 

「……君は本当に素直な生徒だよ。ただ、少し思い違いをしているがね」

 

「思い違い、ですか?」

 

 言葉の意味がよくわからなくて、そう尋ねてしまう。

 

「ああ。君の行動は君の感情に基づいてはいる。だが……うん、そうだな。回り道をしている」

 

 平塚先生は丁寧に言葉を選びながらそう言った。

 回り道とは。僕は僕の気持ちの赴くままに今まで行動してきたつもりだ。寄り道をした記憶などない。いや、寄り道をする余裕なんかなかった。

 だとしたら、やはり自分の感情を取り違えていたのだろうか。

 

「仕方のないことなんだ。誰だってそうなる。誰だって、他人を知るのも他人に知られるのも怖いのさ」

 

 人を知って、それが期待した物と違っていたら。きっとその人に失望して、手前勝手に期待して手前勝手に失望した自分にもっと失望する。

 誰かに自分を知られるのはもっともっと怖い。だって失望されるかもしれないから。それが相手の勝手な期待だとしても、裏切ってしまえば嫌われるかもしれないから。

 

 僕の臆病を見透かしたようにそう言うと、平塚先生は、今度は優しく僕の頭に手を置いた。そして、流れるように頭を撫でる。

 

「いいか。人を傷付ける覚悟とは、自分が傷付く覚悟をすることだよ」

 

「傷付く……覚悟」

 

 僕に足りなかったのはそれなのだろう。

 取り違えていた感情はそれなのだろう。

 前も、今も。無闇に人を傷付けてしまったのは、きっとその覚悟がなかったからだ。

 

 似たようなことを昨日、彼女に言われなかっただろうか。僕が出来ていなかったことを、指摘されなかっただろうか。

 ああ、僕はまだそれをやってない。

 怖くて逃げてしまった。彼と一緒に。

 

「何か思い付いたようだな。……君は聡いが、それ故に心配になるよ」

 

 聡いなんてことはない。心当たりがありすぎて、その内のどれかが該当してしまうだけだ。欠点だらけな自分に重なる部分が、すぐに見付かるだけ。そんなことを考えた。

 だが、聡いから心配とはどういうことだろう。

 

 平塚先生は話は終わりだと言わんばかりに立ち上がって、灰皿の底に煙草を押しつけて火を潰した。

 

「考え込むのは悪いことじゃないさ。……あまり、結論を急いてはいかんぞ」

 

「……大丈夫ですよ」

 

 考えるべきことなど、もう一つもない。

 

 反動をつけて勢いよくソファーから抜け出す。

 やってない宿題があった。それを先伸ばしにしたから、事態が複雑になって彼を岩屋に押し込めた。

 

 解決しなければいけないのは、最初からだ。きっと今回は始点から間違っていたのだ。

 そこを終わらせないことには、生徒会選挙なんて始まりようがない。

 僕はそこに気付けていなかった。

 

「僕のこと、二人に話します。……そのうち、平塚先生にも」

 

 平塚先生は一瞬目を丸くしたが、すぐに不敵な笑みをすると大きく胸を張った。

 

「ああ。私はいつでも待っているよ」

 

 少し恥ずかしくなって職員室から飛び出す。

 ふと振り向くと、先生はしかめ面をしながらMAXコーヒーを飲んでいた。どうやら甘すぎたようだ。

 僕も、缶に残ったコーヒーを一気に飲み干す。喉を通るえぐみで目が冴えた気がした。

 

 昨日の夜は小町ちゃんに怒られた。今日は平塚先生に忠告を受けた。

 その前から、彼女達を待たせていた。

 

 結局、愚かなまでに直線的な僕にやれることなどほとんどない。いつもそうだ。考えても考えても、彼と違って何も思い浮かびやしない。

 

 奉仕部のために。三人のために。

 彼らのこれからのために。

 その答えになっているかは分からない。

 

 それでも八千代知夜がやるべきことはきっと。

 原点に戻れば、自ずと見つかった。

 

 

 × × ×

 

 

 放課後、僕は由比ヶ浜さんと共に奉仕部に来ていた。

 

「や、やっはろ~」

 

 由比ヶ浜さんが静かにその扉をスライドさせた。

 後に続いて、僕も中へ入る。

 その部室には雪ノ下さんだけが斜陽の中で佇んでいて、どこか一枚の絵画のようだった。

 

「来た……のね」

 

 雪ノ下さんが呟いた。彼女は僕と由比ヶ浜さんを見て、それから比企谷君の幻影を見るように視線を僕らの後ろに向けた。

 しかし、そこに彼の姿はない。きっと今頃は材木座君と悪巧みでもしていることだろう。

 

「そのね。ゆきのんとちよちよに、言っとかなくちゃって思って」

 

 由比ヶ浜さんが言いづらそうに体を捩る。

 僕も言うべきことがあった。ただ、タイミングがわからなくて先を譲る形になってしまった。

 

「あたし……選挙でるよ。それで……ゆきのんに勝つ」

 

 その声は小さく掠れるようなものであったのに、やけに大きく響いた。雪ノ下さんは目を大きく見開き、それからポツリと言葉を洩らした。

 

「あなたが、やる必要は……」

 

 由比ヶ浜さんは大きく首を横に振って、彼女の言葉を否定した。

 

「それでも、やるの」

 

 その横顔は決意に満ち溢れていて、そこに入り込む余地などない。

 きっと彼女と僕の願いは似ている。

 この部活を守りたい。その想いは似ている。

 だがきっとその解決法では結局、この部活は失われてしまうのだろう。

 

「二人ともちょっといい?」

 

 見ていられない気がして割り込んだ。きっとこれを続けた先にあるのは断崖絶壁だ。そこに落ちるなら、彼女よりも適任がいる。

 

「何? まさか八千代さん、あなたも……」 

 

 雪ノ下さんがこちらを訝しむような目で見る。思わず苦笑が洩れた。そう思われても仕方ないか。

 そんな僕を見て、由比ヶ浜さんは何かを悟ったのか雪ノ下さんを宥めるように手を前に出した。心の中で感謝しつつ、話を切り出す。

 生徒会選挙よりも前に、解決しておかなければならなかったことがある。

 

「ううん。もっともっと前のこと。……修学旅行のこと」

 

 僕がそういうと、由比ヶ浜さんはハッとしたような顔になって、それから伏し目がちに俯いた。責められる前の子どものようで、その姿にまた苦笑してしまう。やはり言葉にしなければ伝えられないのだ。

 

 由比ヶ浜さんが、おずおずとこちらを見る。雪ノ下さんだけが、ただ僕に射るような視線を向けていた。

 

「あれは……。あの嘘告白は……間違ってた」

 

 これが僕なりの精一杯だった。伝えることの難しさを改めて認識する。何をどう伝えればいいのだろう。

 

「……間違い、とは?」

 

 雪ノ下さんは視線を逸らすことはない。どう言おうか迷った。どの角度から見ても間違えていて、とても一言では言い表せない。

 彼ごと欺瞞を許容したことか。

 人のやり方を奪ったことか。

 性別を偽っていたことか。

 今までそれを告げなかったことか。

 きっと、全部間違えている。

 

「……何もかもだよ」

 

 有りのままをそう告げた。

 雪ノ下さんを見ると、彼女は僕ではないどこかを見ていた。

 

「あなたはどうして……」

 

 控えめにそう問われた。彼女はそれを誰がやろうとしたのか感付いている。僕の答えを通して、彼の答えに確信を持つつもりでいる。

 葉山君のグループの在り方を守ったのは僕で、それを最初にやろうとしたのは彼だった。

 僕が欺瞞を保とうとしたのは、葉山君達のことじゃない。きっとそれは彼も同じで、その想いを共有した。してしまったのだ。

 うわべだけの物に意味はないと、果たしてそう言っていたのは誰だっただろうか。

 

 ただ僕の答えはそこにない。

 

「仲良くして、ほしかったんだ」

 

 僕と彼が。僕と彼女らが。

 もしくは君たち三人が。

 理解が及ばないといった顔で彼女らが僕を見た。あのときも、今も。どこまで行っても自己満足なんだろうなと、そう思った。だが言葉など所詮そんなものだ。

 

「それは……答えになってないわ」

 

 困惑したように雪ノ下さんが呟く。その通りすぎてぐうの音も出ない。

 でもこれ以上の理由なんてない。

 その他の理論や理屈など結局は装飾品にすぎない。装備品は装備しなければ利用価値がないと、その辺の村人も言うだろう。だから、つけない。それに意味を持たせない。

 

「いや、それでも……これしかないよ」

 

 由比ヶ浜さんがただ短く「そっか」とだけ呟いた。どう思われているのか分からず、それを知る努力を放棄してきたことに気付いた。

 その由比ヶ浜さんは顔を上げて、僕の目を見る。瞳は潤んで、体だと震えていて、だからこそ力強さがあった。

 

「あのね、ちよちよ」

 

 これはきっと、あのとき出てこなかった言葉の続きなのだろう。そう確信した。

 

「一瞬ね、本気かと思ったの。でも多分そうじゃないんだなって……ヒッキーの顔見たらわかっちゃった」

 

 あの内実をすべて混ぜ込んだような苦々しげな表情は僕の脳裏にも焼き付いている。

 聡いというのなら僕なんかより彼女の方がよっぽど聡いのだろう。誰よりも機微に敏感で、誰であろうと変化を察知してしまう。

 

「ほんとにごめん」

 

「ううん謝らないで。あたしはね、何もできなかっから」

 

 寂しげに呟くその姿には確かに後悔が滲んでいた。

 やけに内罰的に見えた最初の態度はきっとこれのせいなのだと感じた。

 由比ヶ浜さんはそれから僕を見て、笑いかけた。

 

「それとね。言ってくれてありがとう」

 

 感謝されることをした覚えはない。それにまだ、言ってないことがある。

 雪ノ下さんは俯いたまま言葉を発しない。顔を上げてほしくて、何を言えばそうしてくれるだろうと考える。

 

「雪ノ下さん」

 

 考えても一向にわからないから、名前を呼ぶことにした。その瞳に炎はなく、上がった顔には諦めたような微笑が浮かんでいる。

 

「まだ、何か?」

 

「うん。雪ノ下さんにも由比ヶ浜さんにも、まだ言わなきゃいけないことが一個あって」

 

「それは何?」

 

 何かを期待するような素振りはなくて、だからこそ気軽に言ってしまえるのだと思った。

 だが実際に言葉が出てこない。口はただ空くだけで、喉からは音もなく息だけが漏れ、歯はカチカチと震える。

 目頭は熱く、視界は歪み、二人が霞んで見える。

 

「ぼ、くは」

 

 どうにか言葉を紡ぐ。

 本音を言うことは恐ろしい。否定されるのは自己の存在に関わる死活問題だ。

 だから誰もが何も持っていないフリをして自分を守る。付け入る隙が無いように見せ掛ける。

 

 他人の本音を暴こうとしてしまった。白日の元に晒そうとしてしまった。自分のことも出来ていないのに、雪ノ下さんにそれを求めてしまった。

 そんなことは許されない。

 

 スカートを強く握って震えを止めた。細い指で目を擦って歪みを消した。ふくよかな胸を叩いて勇気を出した。喉仏のない喉を押し込んで言葉を無理やり吐き出した。

 

「僕は、男なんだ」

 

 

 × × ×

 

 

 正直、それから何を話したかあまり覚えていない。

 たどたどしくて支離滅裂な、論理も因果もない戯れ言のような独白を、長い長い時間をかけてゆっくりと語り終えた。

 

 雪ノ下さんは僕を見て、決まりが悪そうに呟く。

 

「ごめんなさい。知識としてはあるのだけど、実際に会ったことはなかったから……その、どう声をかけていいのか」

 

 そりゃそうだろうな。僕だって自分以外見たことがない。

 拒絶されるのを恐れていたが、どうやら飲み下すのにそもそも時間がかかるようだった。

 

「あ、あたしも……。でも、ちょっと安心したかも」

 

「安心?」

 

 意味がわからなくてそのまま聞き返す。

 

「うん。あたしね、ちよちよに避けられてるのかなーって思ってたから。ほら、新幹線のとき居心地悪そうにしてたし、部屋にもあんまいなかったし。お風呂も一人で入ってたし」

 

 ポロポロと思い出が出てきたようで由比ヶ浜さんは一つ一つ確認するように言う。

 すると、雪ノ下さんも思い当たる節があるのか少しずつ口を開いた。

 

「確かに、あの時はホテルのロビーに居たわ。買い物の時は着替えを嫌そうにしていたし……。思えば依頼の理由も少し変だったわ」

 

 ボロボロとボロが出てくる。いや、出すぎじゃない? 僕誤魔化すの下手くそすぎない? 

 ただ、今までの未熟な立ち回りのお陰か得心はいったらしい。

 由比ヶ浜さんは咀嚼するようにうんうんと頷いて口を開いた。

 

「あのね、まだよく分かってないんだけど……でもね」

 

 そういって右手を僕の方へと差し出す。握手を求めるように。

 

「あたしも、仲良くしたい」

 

 それは多分、僕だけに向けられた言葉ではないのだろう。それが嬉しくて、でも手は僕に向いてるのだと思うと気恥ずかしくて。

 

「あっとその……照れちゃうから」

 

 そう口にした。実際照れる。そんなホイホイと握手をするのはルロイ修道士ぐらいでいい。

 

「ち、ちよちよかわいい……! て、そっか、抱きついたりしちゃダメなんだよね。あ、かわいいとかも言っちゃダメかな!?」

 

 由比ヶ浜さんはおろおろと僕の前で慌てふためいている。自戒してくれてよかった。僕の心臓が持たなそうだ。

 

「はぁ……八千代さん。由比ヶ浜さんに配慮を求めるのは難しそうね」

 

 やれやれといった様子で雪ノ下さんが、由比ヶ浜さんを眺めている。そこに諦観に似た笑みはもうない。むしろ盛大に呆れていた。

 その様子がおかしくて、なんだか笑ってしまった。たくさん笑うと涙が出る。だからきっと頬を伝うこれは安心感から来る涙などではなく、笑いの不可抗力だ。決して泣いてなんかない。ほんとに。

 

「ご、ごめん! やっぱ嫌だった!?」

 

 由比ヶ浜さんがハンカチで僕の顔を拭おうとして、それからその手を引っ込めて、ゆっくりとハンカチだけを差し出した。

 付かず離れず。まだどこかしこりは感じるが、離れていないならそれでいい。

 

「そんな気にしなくていいよ。ある程度慣れてきたもん。バスタオル巻いてお風呂入ったり、更衣室の空き時間把握したり」

 

「なかなかに懸命な努力ね……」

 

 雪ノ下さんが難しそうに唸っている。

 ああやっと、女三人。いや一人男だけど。

 やっと姦しくなれた。

 

「今日はもう帰ろっか」

 

「あ、うん。……てもうこんな時間!?」

 

 バスの時間に遅れるからと、由比ヶ浜さんは帰り支度を手早く始める。

 慌ただしいその姿に、雪ノ下さんと二人で目を合わせて苦笑した。

 

「じゃあ、また明日ね!」

 

 来たときとはうってかわって、由比ヶ浜さんは元気に扉を開けて飛び出していった。

 

「私たちも出ましょうか」

 

「うん」

 

 荷物をまとめ、席を立つ。

 開け放たれたままの扉から出ると、冷たい風が頬を撫でる。まだ僅かに濡れている目元がひんやりとした。悪くない冷たさだ。

 

 雪ノ下さんは扉を閉めて、しかし一向に鍵を差し込まなかった。

 こちらを伺うように見ると、一つ嘆息をしてそれからゆっくりと語りだした。

 

「比企谷君は知っていたのよね」

 

「まあ、成り行きでね」

 

 どう言おうか迷ってそんな言葉がついて出た。

 雪ノ下さんは遠い目をして、扉に鍵を差し込む。

 その鍵を回すより先にポツリと呟いた。

 

「彼は本当に、誰でも救ってしまうのね」

 

 そんな寂しげな顔を見てられなくて、つい本音が。僕の本音が洩れてしまう。

 

「雪ノ下さんにも、僕は救われたよ」

 

 修学旅行のずっと前から。何年も前から。僕は君たちに救われている。それが伝わらないことも知っているけど、口に出さずにはいられなかった。

 

「いえ、私は何も……」

 

 鍵を回すその手が止まった。

 

「救われる時はさ、なんていうか。勝手に救われてるもん何だと思う」

 

 勝手に救われて、勝手に助かって。僕はきっとそうなんだ。彼らがどう思っていようが、それが答えなのだと思う。これもきっと、一種の自己満足だ。

 

「そう、なのかしら。私にはわからないわ」

 

 ガチャリと錠の落ちる音がした。

 それが気に食わなくて、つい直接聞きたかったことがつい出てしまう。

 

「雪ノ下さんはさ。何で……いや、何になりたいの?」

 

 何で生徒会長になりたいの? と聞こうとして踏み止まる。土足で踏みいることが怖かった。後半の言い直しも怪しいものだが。

 

「それもわからないわ。けど……そうね。私の姉さんいたでしょう?」

 

 雪ノ下さんはその心の壁から顔を覗かせた。それがもう嬉しくて。でも陽乃さんが話に出てきて顔をしかめてしまう。

 僕がつい苦い顔をしたのを見て彼女は少しだけ楽しそうにクスクス笑った。

 

「あなたが姉さんに喧嘩を売ったときは、本当に肝を冷やしたわ」

 

「いやいや、喧嘩売ってないよ? ……ないよね?」

 

「いいえ。間違いなく吹っ掛けていたわ」

 

 二人で笑って、それからため息を吐いた。何故だかわからないけど、僕も雪ノ下さんと同じぐらいあの人に苦手意識があるようだ。

 

「あの人は何でも持っていて……。きっと、それが羨ましかったのね」

 

 雪ノ下さんはそういって自分の影を見た。その中に、何となく比企谷君がいるような気がする。彼がどことなく影っぽい人間だからかもしれない。……ちょっと失礼かな。まあいいか。

 

「私も、何かを持ちたかった」

 

 何かとは、何だろうか。

 だがこれこそが彼女のなりたいものなのだろう。

 そう言って廊下の先を見た。そこに何を見ているのかわからなくて掛ける言葉を持てない。

 だから、借りることにした。

 

「んんっ!」

 

「そのわざとらしい咳払いはなに……?」

 

 雪ノ下さんが怪訝な表情をする。その顔をよく向けられている人に心当たりがあった。

 声を低くして、片方だけ口角を上げて。

 こんな感じだったかなと思い出してその言葉を吐く。

 

「アイデンティティ? はぁ~? 往々にして個性個性言ってるやつほど個性がねえんだ。だいたいちょっとやそっとで変わるもんが個性なわけあるかよ」

 

 雪ノ下さんは青筋を立てながらニッコリとアンバランスに笑った。

 

「言葉使いが乱暴な上に顔が変だわ。誰谷君の真似か知らないけれど、不快だから二度とやらないで頂戴」

 

「は、はい……! ごめんなさい……」

 

 氷の女王の微笑みは背筋さえも凍てつかせる。

 怖い。ちょー怖い。すんません調子乗りました。本当にごめんなさい。

 でも、彼女にはそんな凍りつくほど綺麗な笑みの方が似合ってるなぁと。そんなことを考えた。

 そんな彼女のチャームポイントを、彼女自身が好きになってくれたらいいなと、そう思う。

 

 困難は分割せよと、どっかの修道士が言っていた。

 分割して、その一つを正せたような。そんな気がした。

 

 





感想、ここすきなど首を長くして待ってます。
貰えると励みになりますので是非ください(直球)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。