やはりTS転生した僕は奉仕部の一員にはなれない。   作:だるがぬ

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修学旅行三日目、前編です。
修学旅行編は次が最終話です。


9.そうして彼もしくは彼女は檜舞台を踏む。

 昨日は帰るなり泥のように眠って、シャワーを浴びて、また寝た。

 で、起きたら今日になってた。支離滅裂な気もするが、これが昨日宿に帰ってからのすべてだ。

 二日目ともなると、慣れからか今度はすんなりと寝付けた。

 

 ただし寝起きは最悪だった。まだ夢見心地のまま体を起こすと、脳がグラグラと往生際悪く揺れる。

 

「すぅ……むにゃ……」

 

 少しづつ意識が明瞭になっていくと同時に、誰かの寝息が耳に入る。どうやらまだ寝ている人もいるようだ。このまま聞いているのはなんだか忍びない。

 

 起こさないようにそっと部屋を出た。

 まだ日は登っていないようで、廊下の時計を見ると時刻は5時の少し前を指していた。

 朝ここを立つと、夜は別の宿に泊まる手筈になっている。そのため今朝は荷造りをする必要があるのだが、何もこんな早く起きることもないだろうに。

 

 どこで時間を潰そうか。

 頭の中に浮かんだのは大浴場であった。思えばこの二日はシャワーで済ませている。身体と違って内面は男なのだから当然ではあるのだが、せっかくなのだから広い浴場で足を伸ばしたいと思うのも、やはりまた当然なのであった。

 

 大浴場へと足を運ぶ。中から物音は聞こえない。

 

「ど、どうも」

 

 暖簾をくぐりオズオズと中へ。動きはブリキのようにぎこちないが、しかして心はライオンのように勇ましい。いや、これは錯覚だった。外見こそ容姿の整った少女であるが中身が伴っていない。まさに案山子だ。

 

 誰もいなかった。好都合だ。

 人が起きてこないうちにお風呂に入ってしまおう。

 

 例によって例のごとく入浴シーンはカット。最大の敵は自分自身の体であることをすっかり忘れていた。

 ただその気苦労よりも、大きな浴場で広々と手足を伸ばして天井を見上げた清々しさが僅かに勝った。

 

 そのよい気持ちのまま、ドライヤーで髪を乾かす。

 ブオオオと機械の風の音が響く。

 

「だーれだ! あっちょっ、落ち着いて落ち着いて」

 突然塞がれた視界にびっくりして両腕を上に突き出す。ドライヤーを落とした。コンセントが抜け音が止まったことで女性の声が聞こえるようになり、何とか落ち着きを取り戻す。

 まだ目の前はほとんど見えない。柔らかい手のひらの感触に顔が暑くなる。無理やりひっぺがそうとするが、断固として離れない。

 

「ズルはダメだよズルは。ちゃんと誰か当ててくれないと」

 

「……海老名さん」

 

「せーいかーい!」

 

 そういうと海老名さんは僕の顔から手を離す。そしてニヒッと笑った。これだけ声を聞かされればさすがにわかる。

 

「海老名さんもお風呂?」

 

「そ、目覚まそうと思ってね。……ねえチヨチヨさ、今日の自由行動どうするの?」

 

 誰と行くのか、という意味だろう。決めていないのだから、答えようもない。

 奉仕部の面々からは、特に誘われていない。……いや、もしかしたら昨日部屋に戻ってから、由比ヶ浜さんに声をかけられたのかも知れない。けれど、昨夜の記憶がほぼないのでわからなかった。仮にそうだとしても、おそらく断っているはずだ。今の僕ならそうする。

 

「今日は、一人でぶらぶらしよっかなって」

 

 正直に答えた。昨日の朝の僕では、考えられなかっただろう。彼らと関わる機会を自分から捨てるなんて。

 

『あんた、何がしたいの?』

 

 三浦さんの一言が、頭にこびりついて離れない。頭にモヤがかかっているみたいだ。昨日考えてもその答えは出そうになかった。

 だから今日は、一人になって考えてみようと決めた。

 

「じゃあさ、私たちと一緒に行かない?」

 

 そう誘われる。彼女も彼女でやはり告白されるのを避けたいのだろう。できる限りの手を打とうしている。

 海老名さんは一瞬暗い目をした、ように見えた。しかしそれは見間違えだったのか、次の瞬間にはいつもの海老名さんに戻っていた。

 

「それで、ボーイズの熱い青春を二人で見届けようよ! 男子達の恋のキューピットになろう!!」

 

「う~んと……えとごめん、それは興味ないかも……。男女で仲良くしてる方がいいというか……」

 

「いやいやー、チヨチヨって、実はもう興味もってるんだよ? ヒキタニ君との仲がいいのも、はやはちを間近でみたいっていう潜在意識からなんだよ!」

 

 嫌だ……そんな潜在意識は嫌だ……。

 それにしても仲がいい来たか。比企谷君と喋ってるところを、海老名さんにあまり見られた覚えがない。どこで判断したんだ。そう思って聞いてみると。

 

「え、だって、おんぶされてたじゃん」

 

 はい? おんぶ? いつ、どこで? なんで?

 混乱している僕に、海老名さんが答えを告げる。

 

「ほら昨日、お化け屋敷から出てきたとき」

 

 ……聞きたくなかった。聞かなきゃよかった。

 恥ずかしくてもうお嫁にもお婿にも行けない。

 何とも言えない心境になった。

 

「うぅ……」

 

 うなだれる僕。それをみて海老名さんは、僕の両肩にポンと手を置く。

 

「気が変わったら、いつでも言ってね」

 

 そう言って僕の背中から離れた。

 気が変わるとは、今日の同伴のことなのか、それとも男子同士の仲を取り持つことなのか。少しだけ考えてしまった。

 

 そのあと、そろそろ湯浴みしようと思ったのかおもむろに上着を脱ぎだそうとする海老名さんを見て、自分の荷物をひったくるように持つと大浴場を後にした。

 

 

 × × ×

 

 

 はてさて、先ほどは男性同士の恋愛について説かれたが、この鴨川には見渡す限り男女のカップルしかいなかった。まるで数学の問題か、はたまた物理学の実験かのように二人組が等間隔で並んでいる。全員爆ぜろシナプス。

 

 なぜ鴨川に来ているのかというと、一人になりたかったからだ。奉仕部や海老名さん達とほぼ会わないであろう場所があまり思い付かず、ここに来た。

 ついでに聖地巡礼の意味もある。京都を舞台とする作品は結構多い上に、体感だがどれも特徴が強くて記憶に残りやすい。

 

 では、聖地巡礼がてら鴨川デルタにて、浮かれたカップルたちにロケット花火での天誅を下そうかと妄想した矢先、同じように恨めしそうな目で川辺を見つめる巨体の学生と目があった。

 

「けぷこんけぷこん! やあやあ、そこにおわすは我が盟友にして盟友の盟友、八千代氏ではないか! やはり我らは京の都と共鳴しているようだ!」

 

 こんな喋り方をする知り合いを、僕は一人しか知らない。

 

「ざ、材木座君……」

 

「然り。我こそは剣豪将軍材木座義輝である!!」

 

 今日はまた一段と気合いが入っている。

 女性の前では素を隠しきれないはずの材木座君であるが、僕の前では設定をあまり崩すことはない。

 

 原因は修学旅行の少し前へと遡る。

 何日前のことかはもう忘れてしまったが、材木座君が部室に自作小説のプロットを持ってきたのだ。

 由比ヶ浜さんは読みきれずにリタイア。雪ノ下さんと比企谷君は隅々まで目を通した上で酷評した。

 となると残されたのは僕。そして僕は。

 

『ま、まあ面白そうじゃない?』

 

 何を血迷ったか、そんなことを口にしたのだった。日和見主義が完全に裏目に出た。

 材木座君は当初見たこともない僕に思いっきり萎縮していたが、それを聞くや否や手のひらをひっくり返し僕を盟友と呼ぶに至ったと言うわけである。

 

 ちなみに比企谷君の盟友としても認定されたらしく、盟友(比企谷君)の盟友(僕)と呼ばれることもある。ええいややこしい。

 

「材木座君はどうしてここに?」

 

「はぽん。我はこれより鞍馬にて天狗と修行致す。生半可な気持ちでは身が入らぬ故、こうして番どもを眺め、憎しみの念を強めに来たというわけだ」

 

 キャラ作りもここまで来れば天晴れ。周りの視線という艱難辛苦に打ち勝つ御膳上等の入れ込みようだ。いけない、僕も釣られてしまっている。クッ……右目と右腕と右脚が疼く……。左脳に重大な欠陥があると見た。

 

「そういうお主は?」

 

「えーっと、まあ似たような理由かな……」

 

 カップルを見に来たというわけでもないのだが、英気を養いに来たという意味では近しい。僕は、自分が何をしたいかを考えるためにここに来た。

 

「やはり貴殿も『選ばれし者』であったか……。ど、どうだ、わわわ我の修行につ、付き合ってみんか」

 

 選ばれし者安売りしすぎだろ。一人で鴨川来ただけだぞ。あと材木座君のお誘いは正直そんなに悪くはないのだが、他を断ってしまっている以上承諾は難しい。

 

「ごめん。今はちょっと、一人になりたいんだ」

 

 使い倒された陳腐な台詞ではあるが、まさに今この通りの心境だった。

 

「で、では仕方あるまい……。何か、お悩みのようだな」

 

 材木座君がそう言ってくれる。優しいな。その優しさを別の人に向ければ、中二病でも恋ができるかもしれない。

 

「んーそうだね、自分を見つめ直す必要がある、というか」

 

 これまた凡庸な台詞だ。自分でいっといてなんだが、こいつは海外旅行から帰ってきたあと『人生が180度変わりました!』とか言いだしそう。浅い人間性に涙が出てくる。

 材木座君は何か真剣に考え込むと、神妙な顔をして口を開いた。

 

「ふむ、では我から一つ助言をしよう。……好機は目の前にぶら下がっておる。それを逃さぬことだな」

 

 ……それ、丸パクりじゃん。

 彼はぶ厚いコートを翻し、高笑いをしながら鴨川上流へと歩きだした。

 人の視線が痛いのでやめてくれませんかね……。

 

 

 × × ×

 

 

 さて、材木座君と別れた僕のその後はというと。

 学業の神でお馴染みの北野天満宮へと足を運んでいた。

 

『あそこには宝物殿があってな……。我とも因縁深い遺物がある。暇なら寄っておいて損はない。何、木を隠すなら森の中だ。見つかることもあるまいよ』

 

 とは別れ際の材木座君の言葉である。

 言われるがままに流されている気もするが、他に行く宛もないので、素直に従ってここに来た。

 

 木を隠すなら森の中、とはまさにその通りらしく、北野天満宮は多くの学生でごった返していた。

 

 受験は控えてはいるが、間近という訳でもない。この大盛況のなかで参拝する気にもなれず、遠目に眺めて何となくご利益に預かった気分だけもらっておく。

 

 とそこに、お参りを終えたらしき人物と目があった。ポニーテールで青みがかった髪の目付きが鋭い女子生徒だ。

 

「げっ確かあんた……」

 

「こんにちは、川崎さん」

 

 挨拶した僕をみると、川崎さんは視線をキョロキョロとさ迷わせた。僕が一人で来ているとは思ってないらしい。

 

「比企谷君ならいないよ?」

 

「は、はぁ!? あ、あいつなんかぜ、全然関係ないから!」

 

 分かりやすすぎる。そういや文化祭の後だもんな。『愛してるぜ川崎』とかどっかの阿呆が大声で叫んだもんだから、意識してしまっているのだろう。サキサキのヒロイン力が高すぎる件について。

 

「……変かな? 一人でいたら」

 

 そう聞くと、川崎さんは冷静さを取り戻したらしく、こほんと一つ咳払いをした。

 

「別にそういうわけじゃないけど……。なんかあんたら、気が合ってそうだったから」

 

 川崎さんからもそう見えてるのか。なんだか気まずい空気になってしまったので、話題を変えよう。

 

「川崎さんは、学業の神様に用事?」

 

「うち、今年弟が受験だから」

 

 ブラコンさんめ。そういや比企谷君も妹のために来てたはずだ。似た者同士ですねこの人たち……。

 何となくほんわかした。

 

「そっか、弟さん受かるといいね」

 

 大志くんが総武高に受かるのは知ってるけど、そんなことを言ったって信じてもらえるわけがない。未来のことだ。

 

 じゃあ、といって踵を返し宝物殿へと向かう。

 川崎さんも軽く手を上げて、見送ってくれた。

 

「あ、そうだ」

 

「え、な、なに?」

 

 唐突に振り向いた僕に、川崎さんが困惑する。

 別にたいしたことでもないのだが、せっかくなので聞いてみよう。

 

「次、どこ行けばいいと思う?」

 

「いやあたしに聞かれても……。自分の行きたいとこ行けば?」

 

 わらしべ長者、失敗。

 でもこれでいい。人の言うままにしていては、わざわざ一人になった意味がない。

 

「わかった。ありがと」

 

 そういって今度こそ川崎さんと別れた。

 ありがとう川崎さん。きっかけにすぎないけど、少し決心がついた。

 

 僕と向き合いにあそこへ行ってみよう。

 

 

 × × ×

 

 

 嵐山は、景色に定評のある観光名所である。

 秋である今は真っ赤な紅葉が山々を煌々と彩っていた。平時であればその光景は圧巻のものであるのだろう。しかし、今の僕にはそれらがすべてセピア色に見えていた。 

 

 道々に食べ物屋が並んでいる。まるで祭りのように京都名物のグルメがあるが、今は素直に食べたいと思えなかった。

 とはいえ人間お腹は空くもので、ぐーと腹の虫が鳴る。もう昼過ぎだ。適当に2,3個食べ物を買うと、無理やり口に放り込む。匂いも味もよくわからない。

 それほどまでに気が重くなっていた。

 

 天龍寺を素通りし、真っ直ぐと道を進む。

 そこには、お目当ての青色のトンネルがあった。

 竹林の道だ。

 竹は葉を風で鳴らし、その細いシルエットから飛び出た木漏れ日が僕の顔を斑模様に染め上げる。

 暖かな日差しとは裏腹に、空気と、僕の心は、底の底まで冷えきっていた。

 

 なぜここに来たのか。

 僕が、どうするべきかを問うためだ。

 

 足元の灯籠を見つめる。まだ夜ではないから、明かりはあまり目立たない。等間隔で設置されたそれは、鴨川のカップル達を想起させた。

 この道はどこまでも続くように見えて、まるで終わりのない迷宮のようだと感じる。僕の心も迷宮に捕らわれてしまったようで、いくら考えても自分のやるべきことがわからなかった。

 

 いつまでそうして立ち尽くしていただろうか。

 考えてもわからないならもう戻ろうと、道を引き返すと──

 

「あれ、ちよちよだ!」

 

「昨日ぶりね、八千代さん」

 

「……よう」

 

 奉仕部の面々がそこにいた。

 女子二人は、微笑みかけてくれる。

 

「……こんにちは」

 

 会いたいとも思っていたし、会いたくないとも思っていた。何か気のきいたことでも言おうかと考えたが、どう接したらいいのかいまさらわからなくなって、適切な言葉が浮かばなかった。

 

「ここ、いい景色ね」

 

 雪ノ下さんは、辺りを眺めてそう語りかけてくる。

 比企谷君も同じ気持ちのようで、どこか優しい面持ちで竹林を見回していた。

 

「うん。雰囲気は好きかな」

 

 寂しげに呟いた。比企谷君だけが僕の表情の陰りに気付いたのか、訝しむような視線を向ける。

 

「一人なのか?」

 

「一人は、悪いこと?」

 

 比企谷君の質問に対し質問で返す。これは意地悪な質問だ。彼が否定できるはずもない問い掛けだ。

 

「悪くねえよ。むしろボッチいいことだぞ。他人と一緒にいても疲れるだけだしな」

 

 比企谷君がそう言うと、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんが少し、悲しそうな顔をして下を向く。

 彼は気付いていないようで、更に口を開く。

 

「でも、そういう依頼じゃなかったろ」

 

 それは責めているというより、同情しているような口調であった。彼には僕が、志半ばにして他人と相容れることを諦めたように見えているのだろうか。

 

「依頼は、もう達成されてるよ」

 

 依頼の目的の一つは、修学旅行のストーリーに関わらないようにすることだ。

 今僕は、それを悩んでいた。

 本当に僕は、関わらないままでいいのかと。

 だから、依頼はもうその意味も効力も持たない。

 達成というよりは、破棄に近い。

 

「そんなことは……。あなたはそれで、納得しているの?」

 

 雪ノ下さんが不安げに見つめてくる。これで依頼を終えていいのかと、納得がいっていないのはきっと彼女自身のことだ。

 

「うん、いいの。それより、もう一つの依頼の方が大変なんじゃない?」

 

 そう言って話を逸らした。だが、それはただの論点ずらしなどではなく、彼らにとっては図星のことであった。

 

「……まあな」

 

 比企谷君はそういって嘆息をついた。

 雪ノ下さんや由比ヶ浜さんも似たようにため息をついたり、苦笑いをしている。

 

「でもさ、戸部っちのあれ。ここならよさそうじゃない?」

 

 由比ヶ浜さんが努めて明るく言う。

 

 そう、こことは、戸部君の告白場所だ。海老名さんが、告白される場所でもある。

 それを今三人が決めようとしていた。

 

「……みんな、頑張ってね」

 

 逃げるように、今度こそ道を引き返した。

 後ろ髪を引かれる気持ちをグッと堪える。

 すれ違ったとき、誰かが僕に腕を伸ばしていることに気づいて、足を早めた。

 その腕は、僕に触れることなく戻っていく。

 ほんとに僕は、どうしたいんだろうな。

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 宿に戻った僕は、気まずい夕食を終えたあと、部屋に戻る気にもなれず外をブラブラと歩いていた。

 

 すると、知っている影が二つ。葉山君と比企谷君だ。

 気付かれないよう後をつけて、川辺に辿り着く。

 

 ……何をしているんだ、僕は。こそこそつけ回すような真似をして。

 

 そうしているうちに、二人の声が聞こえる距離まで来てしまった。

 

「つまりお前は、変えたくないんだな」

 

「……ああ、そうだ」

 

 今の関係を。

 戸部君の告白によって、その関係が壊れることを、葉山君は恐れていると、そう言った。

 それは彼が、海老名さんと共有した想いだった。

 そして、戸部君の覚悟と海老名さんの臆病さのどちらも選べない彼には、自分の想いを叶える手段はない。

 

「君にだけは、頼りたくなかったんだけどな」

 

 葉山君がそう呟く。

 比企谷君は、いまこの瞬間に、覚悟を決めたのだ。

 両手が塞がった葉山君の代わりに、彼らの関係を保つことを。

 

 僕にはまだ、わからない。

 関わるべきか、関わらざるべきか。

 最初は傍観者に徹するつもりで、でも徹しきれなくて。三日間迷いに迷って、今ここにいる。

 

 修学旅行前に固めた覚悟はいとも簡単に融解して、固め直すのに失敗した。

 どうするべきか、僕にはまだわからない。 

 

「こんばんは。葉山君と悪企み?」

 

 白々しく、そう言って近づいた。

 わからないから、知るために距離を詰めた。

 

「八千代か……」

 

 比企谷君が目の前にいる。

 その声は重たい。彼の意志の強さを象徴しているようだった。

 少し先に目をやると、川辺にいたはずの葉山君は、声が聞こえない程度の距離を保ちながらこの場を離れていた。

 

「なにかあるなら、手伝うよ」

 

 どうしていいかわからないから、その判断を他人に委ねた。自分の意思への全権を易々と手放した。

 

「なんもねぇよ。……何でよく知らないことをそう簡単に手伝うなんて言えんだ」

 

 比企谷君は、ささくれ立っている。

 葉山君との話が、彼の心を揺さぶっていた証拠だった。

 

「……比企谷君との仲だからね」

 

 そう、嘘をつく。

 戸塚君も、由比ヶ浜さんも、三浦さんも、海老名さんも、材木座君も、川崎さんも。みんな揃って似たようなことを言うのだ。僕と比企谷君は仲がいい、と。

 それは甘言で、僕は文字通りそれに甘えて見て見ぬふりをしていた。

 

「そういうんじゃ、ねえだろ」

 

 そうだ。僕らは、そういうのじゃない。

 金閣寺で、似たような台詞を聞いた。顔を背けた比企谷君が照れているなんて、そんなわけ無いことは知っていたのに。知らないふりをしたのは、僕だ。

 

「……飲み物一本奢っただけで、そんな、優しくする必要はねえよ」

 

 恩返しなんていう言い訳を抱えた。

 本当は、もっとシンプルで、わかりやすくて、簡単な気持ちだったはずなのに。小心者の僕は、心の中ですらそれを明言することを避けて、大義名分にすがってしまった。

 勝手に期待して、勝手に裏切られるのは怖いから。

 だから、目に見えやすい恩なんて形を、人間関係に当てはめた。

 だからこれは、薄っぺらい欺瞞で、決して友情などではない。

 僕は、間違いなく嘘つきだった。

 

「……うん」

 

 彼に疑いの余地を作っていたのだ。

 『こいつは恩返しのために近づいてるだけで比企谷八幡本人に興味や好意はない』と、彼はそう思い込もうとしている。

 彼の心を揺さぶり、見えない傷をいくつも付けた。

 

「だから、手伝う必要なんかねえよ。……そっちの方が効率的だ」

 

 比企谷君その言葉を聞いているうちに、勇気が生まれてきた。

 僕が最初に抱いた勇気とは、全然反対の方に働こうとする勇気が。

 物語に関わることを、肯定する勇気が。

 

「わかった。じゃあ、手伝わない」

 

 手伝わない。誰が、君が傷つく手伝いなんてするもんか。

 君のやることは手伝わない。だから僕が、全部やる。

 

 青春には、勝者と敗者が存在する。

 何も持っていないなどと嘯く彼は、敗者ではない。

 彼には確かな居場所があるのだから。そしてそれを、僕は持っていない。

 僕は、奉仕部ではない。

 

 だから、僕がやる方が…………効率的だ。

 

「……部屋、そろそろ戻った方がいいぞ。見られたら困るだろ」

 

 女子がこんな時間に、男と一緒に見られると困るだろうと。そういっていた。

 確か、雪ノ下さんの言葉だったか。原作で、そんなことを比企谷君に言っていたはずだ。

 

「もう戻るよ。でも、そこは心配しなくても大丈夫」

 

「は? それはどういう」

 

 比企谷君の口に添えるように人差し指を立てる。彼の言葉はそこで詰まり、喉の奥へ返っていく。

 本当に、大丈夫。

 だって僕は。

 僕は。

 

()()()()()()()()

 

 初めて、一人称を口にした。

 それは意地だった。僕の意地だった。

 ()とは八千代千夜であって、僕ではないから。僕は僕だという証明をするために、今までずっと、私などという一人称は一度たりとも使わなかった。

 

「……ぇ?」

 

 困惑している比企谷君を置いて道を歩きだす。

 比企谷君がついてくる気配はない。

 それでいい。そこで、僕のやることを見ていてほしい。

 

 観客席から飛び出して、ステージに上がった。

 主役の彼を引き摺り下ろし、スポットライトの光を奪い取らんとする。

 ここからは僕が演者で、彼は観客だ。

 だから唄おう。代役と悟られないほど気丈に、大胆に。

 彼よりも高らかに、歌い上げてみせよう。

 これは曳かれ者の小唄。

 強がることすらできない僕からの、青春を後ろ向きに、しかし前へとひた走る君達への賛美歌だ。

 

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