「たった21g軽くなるだけですよ」
死を目前にしても、咲夜は笑ってそんなことを言うのだ。
出来るだけ窓に近づけたベッドに、月光が当たる。咲夜は寝たまま、窓から夜空を見上げた。
「見てください、お嬢様。月が綺麗ですよ」
「そうね」
月はどこも欠けておらず、惜しげもなくその体を晒している。静かな光を放ちながら、頂きに鎮座していた。
「一か月ぶりに満月を見た気がします」
「そうでしょうね」
昨日も明日も満月だった、なんて事は起こりえない。満月は一か月に一夜しか見ることが出来ないから。
「ところで、お嬢様。こんな夜更けに何か?」
「夜更けにって、貴女…」
吸血鬼に仕えていることすら忘れたか。夜が深まれば、吸血鬼が活動的になるのはいつもの事だろう。
「まぁ、貴女の顔を見ておきたくてね」
そう言うと、咲夜は顔を私に向けた。特段いつもと変わらぬ表情を浮かべながら。
「私は、今夜死ぬのですか?」
「貴女、毎日それを訊いてくるわね」
咲夜が寝たきりになってから、この質問は幾度となく繰り返されてきた。それが何だか咲夜に似つかわしくなくて、ずっと妙に思っている。
「どうなんですか?」
「…さぁね」
「隠さなくていいんです、お嬢様。とっくに覚悟はしていましたから」
咲夜は私から目を逸らさない。その目は、どれだけ歳を重ねてもあの頃と変わってはいなかった。嘘がつけない目だ。覚悟はしていると言いながら、目の前にある死を畏怖している。
「…明日は十六夜ね」
「そうですね」
私は溜息を吐いた。勿論私だって覚悟はしていた。だが、いざ迎えてみると、こたえる。
「最後にお願いをしても?」
「…まだ最後と決まったわけじゃないわよ」
「お嬢様は嘘がつけませんね」
それはお前だ。思わずそう言いそうになった。
「お願いって?」
「墓標は屋敷のお庭に建ててほしいのです」
「なんだ、そんな事」
むしろ他の何処に建てると思っていたんだ。咲夜の墓なのだから、この館内に建てるのは当たり前だろう。
「…それでは、確かにお願いしました」
そう言って、ゆっくりと咲夜は倒れた。私はベッドに上がり、咲夜の首に手を当てる。脈動を感じることは出来なかった。
「ねぇ咲夜。私、いい主人だったかしら?」
パチュリーは私を慰めた。何も言わずに、ただ私を抱きしめた。
「お墓を作ってあげないとね」
「そうね」
私は涙が出なくなるまで、パチュリーの肩に頬を埋めていた。程なくして、フランが地下から出てきた。フランの前だというのに、私はめそめそと泣いていた。
――質問の答えなんて、解りきっていた。私は主になるような器ではなかった。
本当に、自分の矮小さが嫌になる。いったい何処に、人間の死を悼む吸血鬼がいるだろう?私の覚悟なんて、所詮そんなものだった。
私はひとしきり自分に絶望したあと、遺言の通り、庭に咲夜の墓を建てた。大きな十字架を象った墓。このデザインはフランが考えたものだ。
なぜこんなデザインにしたのか、訊こうとして止めた。どうせただ十字架を付けただけだ、と返されるだけだから。
「…よっぽど辛いのね」
「気のせいよ」
パチュリーは無表情に私の心情を読んだ。わざと気丈に振る舞ってるんだから、あまりそういう事は言わないでほしいのだが。
一口、紅茶を含む。自分で淹れたものながら、ひどく味気ない。咲夜に紅茶の淹れ方を教えたのは私だから、ひどく味が変わるなんて事はないと思うのだけど。
――咲夜、貴女のせいで私は紅茶が嫌いになりそうよ。
はぁ、と一息吐いてからもう一度飲んだ。やはり味気ない。
「…長い付き合いになったわね」
「へ?」
パチュリーがぽつり、と言った。何の事だろうか。食べていたお茶菓子を取り落としてしまった。
「フランも美鈴も強い子よ。だけど、貴女は」
ぴたり、とその細い指が私を指す。なんだか私の芯を突かれた気がした。それも、ひどく無遠慮に。
「…何の事か、私には判らないのだけど」
「そう」
パチュリーが視線を本に戻す。最初から止めるつもりなど無かったのだろう。私は紅茶を喉に流し込んで、足早に図書館を去った。その夜、私は運命を見てみた。
咲夜の墓の前に、私は座り込んでいた。ぽつりぽつりと、咲夜と何かを話している。話しているうちに時間が経って、陽が昇ってくる。私は立ち上がって、陽光をその身に受けた。
――朝陽が綺麗ね、咲夜。
消えていく私は、そう言ったように見えた。
私は瞼を開けた。そのまま、棺桶の中で思案する。
あれは、何時の事になるんだろう?そんなに遠い事ではなさそうだけど。