「ウルサスの子供たち」を読んで、イースチナとその友達の話を書きたくなったので、書きました。

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【注意】
・この作品は「アークナイツ」の二次創作であり、原作ゲーム様とは関係ありません。
・残酷な描写を含みます。
・上記の描写を含みますが、特定のキャラクターを貶めたり侮辱する意図は一切ありません。
・可能な限りキャラクター設定と原作シナリオに忠実に書いたつもりですが、ミス等あるかもしれません。その場合にはご指摘いただけるとありがたいです。
・筆者は日本語版プレイヤーであり、中国語版シナリオは確認できていません。
・原作で詳細な描写のないキャラクターの独自設定を含みます。
以上のこと、ご承知おきください。

また、先に「ウルサスの子供たち」のイベントシナリオをすべて読んでから読むことをお勧めします。



真理

 

 ぐしゃ、と内臓の潰れる音がして、生ぬるい体液の感触が頭の中で跳ねた。不気味な大鎧に身を包んだ異形の戦士が、糸の切れた操り人形のようにくずおれる。死者の憎しみが流れ込むのを私は知る。暗闇に滑り落ちていくような、彼の悲しみがわかってしまう。彼は泣いているのだ。無念だと泣き喚いているのだ。

 彼がどういう人間なのかを私は知らなかった。全身を覆う黒い鎧は、彼の履歴をも覆いつくしていた。彼は匿名の誰かで、レユニオンの兵士で、私たちの敵で、いまは戦闘中で、だから殺す。それだけを私は知っていた。

 けれど、死の瞬間に、彼の悲しみだけは否応なく知らされるのだ。彼がどんな人間だったのかは永遠にわからないけれど、レユニオンの兵士としてこの戦場に立つだけの理由があったことを、私はもうわかっている。

 アーツで人を殺すというのはそういうことで、それはもちろん、遠く離れた安全圏から、鎧も盾も貫いて命を握りつぶすなら、それ相応の代償を払わなければならない。

 皆、アーツを使うたび、この苦しみに耐えているのだろうか。殺したぶんだけ、悲しみと憎しみを抱え込んでいるのだろうか。その答えを私は知らない。

 このことは誰にも話すつもりがない。

 もしこれが、私の異常なのだとしても、この苦しみは受け入れたいと思うから。アーツを使い、誰かを殺すたび、私は痛みを感じなければならない。

 そうでないと、人を殺しているのだと忘れてしまいそうだから。

 実のところ、初めて殺した瞬間を、私は思い出すことができない。覚えているのは可笑しな方向に曲がった手足と、ゆっくりと広がっていく血だまりの光景だけ。それは取り返しのつかなくなってしまったあとのことで、つまり殺しそのものではなくて、死を覚えておくという義務を、私は永遠に果たせない。

 

 ◆

 

 幼いころから、物事を考えるのは好きだった。知らないものを見つければ、その場に座り込んで、何時間でもあれこれと弄っているような子供だった。砂時計を眺めては何十回もひっくり返し、父の懐中時計で秒数を数えてみたこともあった。ポーリャおばさんが家に訪ねてきたときなど、指輪の宝石がどうにも不思議で、手鏡で光を当てて母に叱られたものだ。

 初等学校に上がったころから、推理小説を読むようになった。父は読書家で、娘のそうした傾向を大いに喜んだから、読む本に不自由することはなかった。書斎にあった古典の作品から、翻訳されたばかりのヴィクトリアの最新小説まで、私は手当たり次第に読んでいった。

 本は世界を広げてくれた。尽きることのない知識と、謎と、思索がそこにはあった。

 私は知識を愛した。謎を愛した。思索を愛した。その果てに、真理があることを私は素朴に信じていた。

 五年生に上がるころには、同世代の友達よりも自分が賢いことを自覚していた。称賛をもらうことは珍しくなかった。私にとっては、自分が皆より賢いことは当たり前だったから、そのことについて何かを思ったりはしなかった。嫉妬を買うこともたまにはあった。けれど、おおむね私は友人に恵まれたと思う。多いというほどではなかったけど、いつも五、六人は一緒に行動する仲間がいた。

 友人たちはみな尊敬に値する人たちだったし、私に対して素朴な好意を向けてくれた。だから私は、その想いにできるだけ応えようとしていた。平等に、誠実に、丁寧に。けれど、誰一人、私と同じ目線をもっている人はいなかった。彼女らにとって、世界は退屈で、本は古典の授業で嫌々読まされるか、勉強や教養のために読むものだった。そのことを私は軽蔑しなかったけれど、ただ、薄闇のような寂しさをいつも感じていたように思う。

 

 ヴィカは、きらきらと輝く星空のような眼をした女の子だった。万人の目を引くような美人というわけではなかったけれど、吸い込まれるような瞳が、彼女の太陽のような笑顔に色を添えて、ときおりぞっとするほど美しい姿を見せるのだった。そのことを私だけが知っている。彼女が心からの笑顔を見せるのは、私の前でだけなのだから。

 ヴィカは推理小説なんて読まなかった。文章が苦手で、成績もそれほど良くはない。古典の居眠り常習犯といえば彼女を指す代名詞だったくらいだ。ヴィカはきれいなものや可愛いものが好きだった。カバンには、少ないお小遣いを貯めて買ったキーホルダーをいくつも付けていた。それぞれに来歴があるらしく、ニコニコと説明する姿にいつも見惚れたものだ。

 ヴィカは推理小説なんて読まなかった。推理小説が好きだということを、私は彼女に話さなかったから。私は彼女が喋るのを聞いているのが好きだった。自分の趣味が理解されるという期待を、私はもったことがなかった。読書は孤独で、私だけの世界で、良いも悪いもなく、それはただそういうものなのだと思っていたのだ。

 だから放課後の教室で、彼女がその本の名前を口にしたとき、私は心底驚いた。

「知っているんですか。しかし、なぜですか。ヴィカは……あまりそういうものは読まないかと思っていました」

「読まないよ。でも、あなたが前に読んでいるのを見たんだ。それで」

 ヴィカは少し恥ずかしそうにそう言ったのだった。

「前にって、一年以上前じゃないですか。覚えていたんですか」

「私はさ、アンナみたいに頭がいいわけじゃないから」とヴィカは少しうつむいた。「むつかしくて、こんなに時間がかかっちゃった、んだ」

「どうして、そんな」

「でもね、私はあなたの好きなものを知りたかったの」

 それまでの私にとって、世界とは、他者とは、知る対象であって、逆ではなかった。私のことを理解してくれる者は誰もいなかったから。私と同じものを見ている人はどこにもいなかったから。

 けれどヴィカは、私を知ろうとしたのだ。優等生のアンナ、物静かで優しいアンナではない、私を知ろうと思ってくれたのだ。

「私はちゃんと読めたかわからないけど、主人公のアレクセイが、事件をスマートに解決していくのは本当にカッコいいと思ったの。それでね……」

 ヴィカの読みはでたらめだった。伏線を見落とし、筋道を読み違え、セリフを曲解し、キャラクターにありもしない設定を読み込んでいた。けれど、そんなのは些細なことだった。彼女は私を知ろうとしてくれたのだ。苦手な文章を、一年もかけて、読み込んでくれたのだ。ボロボロになった表紙からは、彼女の苦労のあとが読み取れた。そうしてそれが、この私に向けられたものだということが、どれほどうれしかったか。

 ヴィカは特別だった。私を知りたいと思ってくれたのは、彼女しかいなかったから。

 

 ◆

 

 数年が経ち、私とヴィカは歳を重ね、私は少しだけ優しく、ヴィカは驚くほど賢くなった。ヴィカと私は相変わらず親しくしていたけれど、クラスが分かれて、会う機会は少なくなっていた。そのころには、ヴィカにも私以外に友人がいたし、私も相変わらず行動を共にする友人を数人もっていた。

 レユニオンがやって来て、チェルノボーグを蹂躙し、私たちを学校に閉じ込めたあの日、私を頼ってついてきた十数人を、私は見捨てられなかった。ヴィカとその友人は私を頼り、私は応えた。解放されるまでなんとか生きようと、そのときは素朴に思っていた。崩壊していく秩序の中で、私たちはせめて、まともでいようという思っていた。

 私たちのグループは、比較的大きい勢力ではあったけど、全員にじゅうぶんな食糧が行きわたるほどには強くなかった。リーダーのソニアの力と、それに伴う評判、恐怖が私たちに食糧をもたらし続けたが、敵対者を恐れさせるその力は、身内の恐怖をも駆り立てた。

 ヴィカが連れてきた幾人かと、私についてきた幾人かが、恐怖に駆られてソニアを襲撃し、返り討ちにあって二度と飢えと渇きの心配をしないでよいところへ行ったその日、私は最初に、浮いた分の食糧の配分について考えたのだった。

 自分が何になってしまったのか、その時にもっとよく考えるべきだった。人間であることと、生きていることは違うと。

 考えることは、私の天性だ。けれど、私はそれゆえに、何かのために考えたことがなかった。考えるということはそれ自体が目的であって、私にとっては常に正しいことだった。

 貴族出身の学生たちが占拠していた食糧庫が燃えた夜、ヴィカは数人を引き連れて、校内の調査に向かっていた。

 

 曇天の底を立ち上る炎が焼いていた。至るところで悲鳴と怒号が飛び交い、私は床に転がる誰かの身体を無感動に乗り越えていった。死体も、見慣れてしまえばそこらに転がる机の残骸と区別をつけることがなくなっていく。どちらも本来の機能を失い、いまは通行の障害となっている。その思考に、私は違和感をもつことができなかった。

 食糧庫の炎上はすでに起こったことで、取り返せない以上は前提となるべきである。ヴィカが向かった西校舎を目指して駆けながら、私はグループの参謀として、なすべきことを考えていた。

 食糧の絶対的な不足はもはや避けられない。解決策は脱出、人口の減少、略奪に絞られる。脱出はきわめて困難であり、人口の減少または略奪が可能な方法ということになる。人口の減少とは、私たちのグループの人数の削減を意味し、略奪とは、他のグループを間接的に削減することであるため、両者は事実上同じ価値をもつ。自分たちが生きるか、他者を生かすかの違いでしかない。ここで、組織を率いる者は、その利益を第一に考える義務を負う。ゆえに、私にとっては略奪が唯一の解となる。さて、その達成のために、私はより可能性の高い選択をしなくてはならない。可能性を検討するためには、情報を収集する必要があり――

 西校舎の四分の一は、爆風によって吹き飛んでいた。あたり一面に黒焦げの有機物が散乱していたから、躓かないように慎重に歩く。五階の校舎の廊下に差し掛かったあたりで、私はよく知った声を聞いた。

「誰……⁉」

「ヴィカですか。私です。アンナです」

「良かった、駆け付けたのがあなたで」とヴィカは言ったのだった。「引き上げてもらえる?」

「待ってください、いま――」

 その瞬間、私はためらってしまったのだ。崩れかけた床板を支える下階の梁に、大きなヒビが走るのを私は見てしまったのだ。ポロポロと落ちる木片を見てしまったのだ。いま、ヴィカは一人で、不安定な床板につかまっていて、彼女を引き上げるには、私も身を乗り出す必要がある。その意味を、私は考えてしまったのだ。

 私は死を見すぎた。剥き出しの生存競争に長く身を置きすぎた。猜疑心にかられ、恐怖に怯え、食糧を人間の血で汚して啜る地獄に慣れてしまった。そうして、私の思考はこの状況にあって駆動し続け、いつの間にか、地獄に適応的な回路を形成していた。

 床板が砕ければ、あるいは、梁が崩壊すれば、二人とも死ぬ。ここに留まれば、少なくとも私は――

「アンナ……?」

 正常な思考ではなかったのかもしれない。あの状況で、どうして正気などという贅沢を享受できただろう。それでも、考えたのは私で、動けなくなってしまったのも、ほかならぬこの私だ。

 私は、計量するべきでないものを、天秤にかけた。

 ヴィカの生命の確率と、自分の生命の確率を、計算した。

 沈黙がどれほど続いたのかはわからない。ことによるとそれは一瞬だったのかもしれない。けれど、彼女に、その意味がわからなかったはずがない。ヴィカは――私のことを知っていたのだから。彼女だけが、私を知っていたのだから。

「アンナ、どうしたの、早く――」

 私は正気ではなかった。たった一人の友達を助けることをためらったのだから。

 違う。私は正気だった。正気だったのだ。間違いなく。正気だったからこそ、私は、計算を終わらせることにした。私は自分の意志も行為も、この上なく明瞭に理解していた。

 計算してはならぬものを天秤に載せることを望まないのであれば、天秤の片方を、壊してしまえばよいのだと。

「待って、アンナ、何をするつもり……⁉」

 私はゆっくりと手を伸ばし、床板にかかった彼女の指に触れ、そして――

 彼女の手が離れた。その瞬間、音は消え、彼女は言葉を発さず落ちていった。手を伸ばしても届かないとわかっていた。私は手を伸ばさなかった。

 私はそうやって、落ちていく彼女をただ見ていた。

 吸い込まれるような瞳が、彼女の太陽のような笑顔に色を添えて、ぞっとするほど美しい姿を見せた。私は目を背けた。

 世界に音が戻ったとき、ヴィカだったものは血だまりの中で、何も見ていなかった。

 

 私は嘘をついた。あと一歩間に合わなかったのだと。

 誰も私の報告を疑わなかった。あの場所で、ヴィカを含む四人の仲間が死んだ。他の場所でも六人の仲間が死んだ。私の計算は、この人員削減で、一週間ほどの猶予が生まれたと告げていた。

 

 初めて人を殺した瞬間を、私は覚えていない。

 

 だから私は、ヴィカの最期の思いを、受け取っていない。

 

 ヴィカの死体を確認してすぐ、私たちのねぐらになっていた教室で、彼女の持ち物をより分けて、まだ使えるものを分配する作業が始まった。無駄にできる資源はわずかもなかったのだ。

 私がこっそりぬいぐるみを自分の背嚢に入れたことに、ソニアが気づかなかったはずはない。それでも、彼女は何も言わなかった。

 

 チェルノボーグを出てからロドスに保護されるまでの、長い長い苦難の旅路の中で、身を軽くしようと考えたのは数えきれないほどだった。それでも私は、ヴィカのものだったぬいぐるみを捨てることができなかった。これを失ってしまえば、私は自分の罪を思い出すことができなくなってしまうのではないかと恐れたのだ。それは眼前に迫る死よりも、なお恐ろしい想像だった。

 罪を忘れてしまうこと。自分が罪びとだと認識できなくなること。罪を忘れ、幸福に生きてしまうこと。

 どうしてそれを人間だと呼べるだろうか。

 

 ◆

 

 戦場に向かうときは不思議と心が落ち着いている。死ぬかもしれないことは理解していても、それを恐れるということを、どこかで私は納得していないのかもしれない。

 確率の女神は、平等に不公正だ。それでも、進む者は、彼女の助力を得られることがある。進もうが、留まろうが、死は一瞬で訪れる。けれど進んだときにだけ、幸運が幸運たり得ることがあるのだ。

 指示に従い、高台に私は陣取る。余人には理解できない大局観でもって、私たちの指揮官は戦場を睥睨し、支配している。過去数十回の戦闘を通して、私はそのことを知っている。

 アーツの射程内に敵の先鋒が到達したと、張り巡らせた探知網が警告を発した。身体に液体が巡るように、すべての先端から流れ出すように、私はアーツを思い浮かべる。数十メートル先で、白面をつけたレユニオンの兵士が、私の手によって、死ぬ。一人死ぬたびに、私はその死を背負い込む。

 アーツで殺した二百人以上の死を、私は覚えている。唯一、この手で殺した友達の死を、私は永遠に知ることができない。

 もし、真理があるとすれば、それは永遠に知りえないのだろう。知ることも、思考によって至ることも不可能な場所。確率を計算し、情報を整理し、推論を重ね、そうした遊戯の中では決してたどり着けない場所。

 私にとっての届かない真理は、ヴィカという名前をもっている。

 鈍痛のような、火傷のような悲しみが頭の中に流れ込む。怒りが、悲しみが、叫びが、渦となって逆流し、憎い憎いと頭蓋の中でわめきたてる。血が沸騰するような絶望を、皮を剥がれるような叫びを、ゆっくりと腐っていくような焦燥を、私は受け入れる。

 私はその悲しみに酔うことができない。私が本当に欲しい痛みは、もうどこにもない。

 呼吸を整えて、次の敵を殺す準備を始める。

 あの曲がり角の向こうに、ヴィカの顔を見たことは一度もない。

 

 




読んでくださった方、ありがとうございました。

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