「たのんだよ、ピカチュウ」
レッドがボールの中へささやき、ピカチュウを繰り出す。
「ピカッ」
ピカチュウもいつになく真剣な様子で、ちいさな体を震わせながら電気をため、全身にほどよい緊張と興奮をほとばしらせていた。
場に出たばかりのピカチュウとイワークはほとんど消耗しておらず、コンディションでいえば互角。
タイプ相性ではイワークがおおきく有利。
正々堂々、一騎打ち。
ことここまでくれば、どれだけポケモンを育成したか、トレーナーはどれだけうまく指示を出せるかで勝敗が決まる。
道具やアイテムの小細工はきかない。
タケシは相性にまかせておそいかかることはせず、まずはレッドの出方をみているようだ。
わざわざいわタイプのジムにくさポケモンとでんきポケモンだけで挑戦してきたのが気になっているのだろう。
(どうしようかな?)
レッドが無意識のうちに額に手をやり帽子にふれた。
見た目のわりにイワークはすばやく、リーチもながい。
それにとてもパワフルだ、これでじめん技を出されたらでんきタイプのピカチュウはひとたまりもない。
(〝アイアンテール〟でどこまでいける?)
はがね技ならイワークの弱点を突けるけれど、この技は命中率もひくく、非力なピカチュウでは一撃でたおしきることはむずかしいだろう。
けれども、まずは。
「〝かげぶんしん〟」
補助技をつむ。
相手の一撃でたおされる可能性があり、こちらは何度もこうげきしなければいけないなら、回避率を高めていくことも重要だろう。
ヴ、とピカチュウの輪郭がぶれはじめ、何匹もの分身が四方に散る。
一目散に逃げるピカチュウが二匹。
すぐそばの岩に隠れたままでてこないピカチュウが一匹。
足取りもおぼつかない様子でうろちょろとせわしなく動いているのが、本体のピカチュウ。
いかにも分身の作り方を間違えたようであるけれど、それはフェイント。
「イワーク、〝ロックカット〟!」
岩石の体からよけいな凸凹を削り、空気抵抗をへらす。
すばやくなったということは、それだけ〝ロケットずつき〟の威力も増す。
次で仕留めきるための布石だ。
それをピカチュウがどこまでしのいで、〝アイアンテール〟を当てられるか、問題はそこにある。
けれど。
「〝ロケットずつき〟だ!」
それを簡単にゆるすほど、ジムリーダーは甘くない。
「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!」
爆発音と錯覚するイワークの大喝がとどろく。
レッドもおもわず体をすくませるほどの大音量が響きわたり、イワークの巨体が突撃。
「ピカ、ァ」
咆哮でおどろいたピカチュウの〝かげぶんしん〟が消え、千鳥足の本体があらわになった。
ピカチュウめがけて、いわへびポケモンが一直線に跳ぶ。
すかさずピカチュウが岩に逃れようとするが、間に合うかどうか。
イワークは自分がだしうる最高速度で最短の直線距離をつめ、衝突。
突進しながらとぐろを巻く動きで高められた破壊力は、障害物の岩とイワークの額の一点でぶつかり、たやすく巨岩を砕く。
「ピカチュウ!」
とっさにレッドが叫ぶ。
あの威力では、ピカチュウでは一度もたえられない。
「チュウ」
砕かれた岩の破片をうけたピカチュウが返事をする。
〝ロケットずつき〟はよけられたようだけれど、破片のダメージは無視できないほどおおきかった。
(足がにぶった……!)
一手ごとにどんどん追い詰められていく。
なにもできずに封殺されてしまうかもしれない予感に、ぞくり、とレッドの背筋に冷たいものが走った。
弱気になるなと奮い立たせるけれど、はじめての正式なジム戦で、自分よりもはるかに経験のあるジムリーダーを相手にしているのだ。
「ピカ」
「えっ?」
ピカチュウが肩越しにレッドをみて、いつもトレーナーのほおをつついているように、ぺしぺしと地面を尻尾で叩く。
信じろ、といいたいのだ。
「……そうだね」
レッドが自分のほおを張って気合をいれる。
じんじんと熱をもって痛むほおが、ネガティブな考えをうち消して意識を現実に引き戻す。
ピカチュウは相棒を信じてまだあきらめていないのに、トレーナーが負けたつもりになっていてはいけない。
レッドがやる気を取り戻した、その瞬間だった。
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スマホロトムの画面がレッドの視界を埋めつくして邪魔したのは。
「えっ」
「うん?」
「ピカ?」
「GOAAAAAA????」
レッド、タケシ、ピカチュウ、イワークがいぶかしむ声をあげた。
ポケモンバトルにもスタジアムカメラの概念はあり、とりポケモンなどにバトルの邪魔にならない位置から撮影させるのはめずらしくないけれど、こんな真正面にまで来たりはしない。
「ちょ、ちょっと、邪魔になっちゃうから、ロトムくん、あの、タイム、タイムです!」
レッドが画面ではなくフィールドをみようとするたびに、すかさずスマホロトムが彼女の視界に割ってはいり、意地でも自分の画面をみせようとする。
「……なにをやっているんだ?」
「GOAAAAAAAAA……」
たまらずタイムを宣言したレッドと、これまで遭遇したことがないタイプのトラブルに、タケシとイワークが困惑した。
あれはスマホロトムによる妨害行為(自分の主人に対してだけれど)でいいのか、それともスマートフォンによる技術的なトラブルなのか判断がつかない。
けれども、タイムを宣言して一旦中止を求めるのは、挑戦者の正当な権利だ。
技を出す直前などの試合妨害ならいざしらず、この場合は問題ないだろう。
「なんでこういうことするの……!?」
ポジティブからネガティブへの感情の振れ幅がおおきすぎ、そして急に試合をとめられて、レッドの頭の中はぐっちゃぐちゃ。
すでにほとんど泣きかけている。
かわいい
切り抜きまった無しやね
おとなのおねえさん
¥450
帰りにこれでアイスを食べて
ニビジムってけっこう厳しいんだ 知らないけど
瞳にためた涙で流れていくコメント欄もみえていないし、そろそろ危ない。
「ロト……ミー」
それでもスマホロトムはなにかを伝えようとしているが、どうしてだか、いつも意思疎通につかうメモアプリを使用していない。
「な、なに……?」
レッドにポケモンのことばはわからないし、鳴き声だけでなにを伝えたいか、その雰囲気をつかむこともできなかった。
スマホロトムがずずいっと身をのりだして、ふたたび言う。
「
レッドの眼前には、生配信中のコメント欄がある。
おおくのコメントが通り過ぎていくが、
無言赤スパチャおじさん、アイス代をだしてくれたおとなのおねえさん。
そして。
Lightning tough guy
\4,000
マイナスをプラスに 相手の長所を自分の強みに変えるんだ ピカチュウ使いならできる
視聴者からのアドバイス。
セコンドからの助言や観客の野次とおなじように、こういうものはあまりとがめられない。
それでも、マナー違反とおもわれるようなものもあるから、注意が必要。
「ま、マイナスを……プラスに……?」
抽象的な例えだ。
つまりどういうことだろう、とレッドが混乱した頭でぐるぐる考えこむ。
こちらのマイナスは、ダメージで遅くなった足と、一撃でたおしきれない打撃力の不足。
相手の長所は、ロケットにも例えられるあのすさまじい破壊力をうみだすスピード。
レッドとピカチュウがもっていないものを、むこうはすべてもっていた。
(どうやってプラスに、強みに変える?)
頭の中が澄んで、思考が冴えていく感覚。
つきものが落ちた。
ピカチュウとレッドの強みは機動力だった。
自分たちの定石ばかりにこだわって、逆に相手のペースに引きずりこまれている。
けれど、足の速さはただの実行手段でしかない。
これまで勝ててきたのは、機転をきかせた作戦勝ちだったのに、いつのまにかそれをすっかり忘れてしまっていた。
「……やれる」
いつものペースで、いつものバトルをすればいいだけなんだ。
ステータスにまかせた正面戦闘だけがバトルじゃない。
ギャラドス戦では相手の〝ハイドロカノン〟の勢いを〝なみのり〟で利用して、スピードをのせた〝ボルテッカー〟で勝利をおさめたように。
「ありがとうロトムくん、らい……らいとにんぐ・たふがいさん?」
お礼は大事だ。
とくに、頼りになるポケモンとスパチャでアドバイスをくれる人には。
仕切り直し。
「バトル再開!」
ゴングが鳴る。
トレーナーもポケモンたちも初期位置にもどった状態からの再開。
(なぜ距離をつめてこない……?)
フシギダネと同様に間合いを長くとって距離を離したレッドをみて、タケシがあやしむ。
ピカチュウならば、遠距離の技はイワークに効きが悪いでんき技くらいだろう。
〝アイアンテール〟狙いなら近づいてくるのが普通のトレーナーだ。
よけつつでんき技で遠くからけずってくる作戦は考えにくい。
なにかするつもりだ。
けれど、タケシにも見当がつかない。
「その気ならのってやるまで。〝ロックカット〟!」
よりスピードと破壊力をたかめ、さらに追いつめていく。
これでいよいよ、回避することもむずかしい。
「おいで、ピカチュウ」
レッドが招くままに、ピカチュウが岩に隠れた。
この期に及んでなにを、とタケシが眉をひそめる。
「岩ごと叩きつぶせイワーク、〝ロケットずつき〟だ!」
「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!」
腹の底から震えるほどの大音声。
音の振動だけでダメージを与えられそうなほどで、観客の耳栓もそろそろ限界だ。
いわへびポケモンの名前のとおり、蛇めいて渦巻き状に体を巻いてイワークが突撃する。
この動きでからめとるように衝突することで、よけづらくダメージもいや増す。
それをピカチュウは、回避のそぶりもみせない。
岩のうしろに陣取ったまま、じり、と後ろ足をさげてまちうける。
イワークが岩を砕いた。
砕け散った破片にもまばたきすることなく、ピカチュウがはねた。
「〝アイアンテール〟!」
ピカチュウが硬い尻尾に力をまとわせ、鋼のように硬質になった尾を振るい、突撃するイワークの頭に叩きつける。
鋼と岩の激突。
衝撃波が〝じしん〟のようにジム全体を震わせた。
「押しきれ、イワーク!」
「ピカチュウ、うちくだけ!」
ロケットをおもわせるほどの推進力と突破力、鋼とよんでさしつかえない尻尾がぶつかりあう、つばぜり合い。
鋼と岩の摩擦で甲高い衝突音がジムにひびき、びりびりとトレーナーや観客たちの体を震わせる。
たがいに全力のパワーとパワーをぶつけあい、どちらが限界になって弾き飛ばされるかのチキンレース。
臨界点がおとずれた。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!」
イワークがピカチュウの〝アイアンテール〟で左に弾かれ、石垣に頭から衝突して、停止。
〝ロケットずつき〟の運動エネルギーと破壊力を逆に利用され、それで攻撃力を倍化させた〝アイアンテール〟がより深く効いた。
石垣に突き刺さった〝ひんし〟のイワークは目を回し、もう動けないだろう。
「……ピカチュウ」
ピカチュウがふるりと身を震わせて砂ぼこりをはらい、堂々とレッドのもとへ帰っていく。
タケシの手持ちはみな力尽き、レッドはまだピカチュウがフィールドに立っている。
試合、終了。
「勝者は……挑戦者、マサラタウンのレッド!」
審判が勝者を宣言し、レッドが右腕を突きあげた。
大番狂わせに観客と視聴者の歓声が飛び交う。
レッドは緊張から解放されてどっと汗がふきだし、それまでアドレナリンで動いていた体から力が抜けた。
くずれおちそうになるけれど、人前で勝者がやっていいことではない。
なんとか足に力を入れて、顔をあげる。
ジム戦に勝ったなら、まだやることがあった。
「よく戦ったな、挑戦者。いや、マサラタウンのレッド」
タケシがレッドに歩み寄り、手を差し出す。
「あ、ありがとうございます」
歓喜のあまり泣きだしそうになりながら、レッドも手をのばして握手した。
いわタイプのジムリーダーにふさわしいごつごつとした手に、柔らかく小さな手がつつまれて、何度か上下にふり、たがいに手を離す。
「これはニビジムを突破した証、ポケモン・リーグ公認のグレーバッジだ。きみに授けよう」
箱におさめられたバッジが照明にきらめき、にぶい輝きをはなつ。
「ジムバッジ……」
ほんものだ。レプリカじゃない。
はじめてうけとったジムバッジはずしりと重く、実際の重さよりも、その存在感に圧倒される。
バッジをもっているだけなのに、取り落としてしまいそう。
「きみは真剣勝負でジムリーダーを破った。誇りに思ってくれ」
レッドの心のうちにじんわりと温もりがひろがり、静かな感動につつまれる。
ゲームでも嬉しかったけれど、実際にもらってみれば、ずっと胸の奥に響くものがあった。
うっかり泣きそうになるけれど、ぐっと涙をのむ。
「ありがとう……ございます、ほんとうに」
土埃によごれたグローブで涙をぬぐい、まっすぐ顔を見てお礼をつげる。
レッドのほおは自然とゆるんで笑みがこぼれ、かがやかんばかりの泣き笑い。
彼女はジムを出てポケモンセンターに入っても、配信中なことをすっかり忘れており、ピカチュウにほおずりして甘える姿まで配信されてしまった。
油断しきって「えへへへへへ」とすりすりほおをピカチュウによせる無防備な様子は30分ほどつづき、帰りに売店でアイスを食べるまで気づかない。
そんなとこを配信してしまったことに驚いて悲鳴をあげたレッドの胸元で、ロケット・ペンダントのエーデルワイスがしずかにきらめいていた。
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