ニビシティというのは妙な街であった。
ヤマブキシティのように栄えているわけでも、シオンタウンのように特別な役割がなければ、マサラタウンのように風光明媚なわけでもなかった。
しかしこの街は、おおくの発明家や研究者を産み育てた。
オーキド博士に次ぐカントー地方のポケモン研究家として名高いフジ博士や、グレンタウンのジムリーダー・カツラ博士の出身地である。
それは、このニビシティにある科学博物館におおきな影響力があると考えられている。
カントー地方でこども時代をすごしたことがあるなら、学校の遠足などで一度はここに足を運んだ記憶があるはず。
入場料はまさかの「50円」という、良心的どころかこんな入場料で運営の足しになるのかあやしいが、その安さからこどもでも気兼ねなく見学できる場所。
月の石から太古の化石までまんべんなくとりそろえた展示物のラインナップは、カントー地方でも随一の充実っぷり。
「……ふえー……」
「……ピカー……」
今、レッドとピカチュウがみあげているのは、屋内で再現された火山の模型だった。
模型とはいうけれど、ふもとの森林まで再現されたこの《カントーの火山館》はジムとおなじほどのおおきさがあり、いくつもの棟にわかれたニビ科学博物館でもとくに目を引く展示だ。
目を火山模型の頂上からすそ野の森林におとしてみれば、鉢巻をまいたワンリキーたちが造園作業をしている。
森の奥の方をのぞいてみればイシツブテやそのトレーナーたちが火山の形を整えていた。
「……はえー……」
順路にしたがっていけば、次は《化石館》がある。
甲羅の化石の説明には《カブトプスの化石》とあった。
巻貝や頭蓋、根っこやコハクなどの化石もあり、カントー地方以外の場所で見つかった化石もおおく展示されているようだ。
太古から現代まで現存していた化石をもとの形にあわせているから多少不格好ではあるけれど、かつてこのようなポケモンたちが暮らしていたのだと考えると、感慨深いものがある。
「でも、これはやりすぎじゃないの?」
そうつぶやくレッドの視線の先には、奇妙な形の化石ポケモンがいた。
どう考えてもそうはならないだろう姿形に、考えなくても分かるほどおかしな説明文がつけられている。
「ガラル地方って、すごいとこなんだな……さすがチャンピオンタイム……」
「ピカピー?」
それは関係ないと思う、といったピカチュウのつっこみはレッドの耳に届かなかった。
肩にのっている相棒の声も聞こえないほど、この少女は集中している。
この妙な展示物たちは、ガラル地方の化石ポケモン研究第一人者による監修をうけたとの解説があるけれど、レッドにはどうもうさんくさくて信じられない。
シンオウ地方やイッシュ地方など、他の地方の化石ポケモンたちは、立派な名前の研究所などが監修・協力しているのに、ガラル地方だけなぜか「ウカッツ博士」と、個人名だった。
おそらく解説の人選を間違えているのだろうけれど、ソード・シールドの記憶もおぼろげなレッドは真偽をたしかめる術はない。
今のレッドはどこからどうみても、ひとりで遠出してきた12歳の少女だ。
歩きながらあちこちを見まわしては、気になるものがあればかじりつくように観察している。
「はー……」
瞳をきらめかせ感嘆のため息をこぼし、バトルの時と遜色ない集中力でながめていた。
ちいさなおのぼりさん、という他にない。
学芸員さんも傍目でにこにこ微笑みながらレッドを見守っているし、警備のヘルガーにいたっては、レッドのあまりの和やかさから完全なノーマークであった。
「ピカ……」
うちのレッドがすみません、とでもいうように、ピカチュウが学芸員さんとヘルガーに頭を下げた。
こんなに無防備では、相棒としても気が気ではないだろう。
きらきら輝くエフェクトさえみえてきそうなほど、レッドは興味津々。
化石館も見終わり、次の棟へ。
「宇宙館……!」
「ピッカ……!」
このニビ科学博物館の目玉。
格納庫をモチーフにしたおおきな建物の中には、宇宙に関連する展示ブースがつづく。
そしてなによりも目を引くのが、天井から吊るされた実物大スペースシャトルの再現モデル。
実物の月の石、シャトルを宇宙まで運ぶロケット推進の解説、宇宙服の展示など、展示ブースはそれぞれ特色のあるディスプレイをところ狭しとならべていた。
うわー、うわー、とレッドはあっちへいってはため息をつき、こっちへいってはため息をついていた。
レッドはせわしなく見て回っているが、天井に張り付いて監視しているクロバットはちらりと視線を送っただけで、あの少女は問題ないと判断したのか、他の見学者に目をうつす。
「ほわー……!」
そんなレッドは今、スペースシャトルのレプリカの足元にいる。
スペースシャトル、
引退当時の姿をまねたレプリカには、たび重なる大気圏突破・突入でつくられた塗装の焦げ跡、おびただしい数の修理の痕跡までもが再現されていた。
アホ毛も子犬の尻尾めいてぶんぶんと左右に振っていた。
ピカチュウも、言葉もなく魅入っている。
そんな時だった。
「……?」
レッドは隣にたつ見学者が気になったのだ。
「ピ?」
ピカチュウも相棒の様子が変わったことに気づき、そちらに目をむけた。
真っ黒なコートを羽織り、黒い山高帽をかぶって、赤いポケットチーフを華やかな
身長140センチのレッドよりも、頭ふたつ分は背が高い大柄な人。
あまりにもおおきな存在感に、レッドの気を引いたのだろう。
レッドがかじりつくほど魅力的な展示品にかこまれながらも、ひと際カリスマを放っていた。
「きみは、トキワのもりのピカチュウだな」
視線に気づいた男性はピカチュウの出身地をひと目であてると、優しく顎の下をなでる。
「ピ、ピ、ピ、ピ……チュウ……♪」
突然のことにのがれようとしたでんきねずみポケモンだけれど、よほど気持ちよかったのか、あっという間に抵抗をあきらめて、なでられるままにころころと笑い始めた。
「ぼ、ぼくにもここまで甘えてくれないのに……!?」
レッドはそういって驚くけれど、ピカチュウはうかつな彼女のことを相棒にして保護者の目線でみているから、そもそもピカチュウが甘えられる対象としていないのがおおきい。
けれども、ひと言交わしただけなのにここまで無防備な姿をさらすのは、考えにくいことだ。
「私もむかしは、あの森を泥だらけになってまで駆けずりまわってな。ピカチュウをつかまえようと躍起になったものだ」
厳つい面立ちをなつかしさにゆるませ、親しみのある微笑みをみせながら、男性がピカチュウの頭を最後にひとなでする。
「……ねずみとり少年?」
眉毛のないこのいかめしい人が、幼いころにむしとり少年めいた格好をしている想像をしたレッドが、小首をかしげながらそう告げた。
そんなレッドのほおをピカチュウが硬い尻尾で、ぺちん、とはたく。
「ピカ」
「ご、ごめんなさい……おじさ」
「チュウ」
「え、えーと……コートの人?」
おじさん呼ばわりしようとしたレッドをピカチュウが保護者として叱り、なんとか無難な呼び方に着地。
いくら事実であってもおじさんおばさん呼ばわりはかなり失礼と受け取られてしまうことがあり、レッドはなんのてらいもなくおじさん呼ばわりをしてしまうなど、とても迂闊なところがある。
「なに、おじさんでけっこうだ。近ごろは本を読むのもつらくなってきた」
そういうと男性はニビ科学博物館のパンフレットを持ち上げ、紙面を近づけては離し、離しては近づけ、老眼になったかのような仕草をみせる。
「えーと、じゃあ……おじさんは、ひとりでなにをしに来たの?」
「ピ カ チ ュ ウ」
「あう」
さっそく失礼なことをいったレッドのほっぺたを、ピカチュウが前足でぐりぐりと押しこむ。
そんなおかしなコンビにおじさんも微笑みながら肩を震わせて、
「たいしたことはない。仕事でニビシティまで来たついでに、私もこのスペースシャトルをみたくなったのさ」
こどものように目を輝かせながら、スペースシャトルをみあげた。
シャトルのロマンに魅入られながらも、自信のある人間にしかできない深い喜色の笑みを浮かべている。
これを、カリスマと呼ぶのだろう。
あふれんばかりの自信をみなぎらせながらも、こどものように人懐っこい笑顔をみせていた。
「はー……」
現にレッドも感嘆するほど。
バトル以外でこんな顔をみせるのは、とてもめずらしい。
「……まぁ、ほんとうにみたいものはみれなかったのだが」
こういう場面では、人が自分に憧れることになれているものにしかできない、肩をすくめる仕草をみせた男性がちいさくつぶやく。
「ほんとうにみたいもの? 展示品はぜんぶあるはずですけど……」
改修などで閉鎖されている棟もなく、外部に貸し出している展示品もないから、ニビ科学博物館で常設展示できるものはすべて表に出ていた。
「いや……むかしはここに、ロケットが吊るしてあった」
「ロケット?」
レッドが展示ブースの解説文を思い出す。
スペースシャトルを宇宙に連れていくためのロケット推進のブースターのことを、おじさんはいっているのだろう。
「ああ。この複製とは違う、実物のロケットがここにあったのだ」
コートの男は瞳をふせ、まぶたの裏にその姿を思い浮かべていた。
「ほんものの、ロケット……」
たしかロケットは使い捨て。
きっと回収されたものがここに展示されていたのだとレッドが見当をつけた。
そうなれば、ここに持ち運ばれたころにはぼろぼろだっただろうし、表にはそれほど長くディスプレイされていなかったはず。
「短い間だったが、あの姿は私の記憶に刻まれている。いつ思い返しても、胸の奥から力が湧いてくるほどに」
科学とロマンの結晶。
レッドがみた資料映像では、ロケットブースターは見るものに力強い印象を与え、勇壮なまでの迫力でスペースシャトルを飛ばしていた。
「夢、ですか?」
「夢……そうだな、夢だ。きみにもそういうものがあるだろう?」
そういわれたレッドは、自分の肩にのるピカチュウを見つめた。
さきほどから彼女を叱ってばかりの相棒は、なにかを催促するように、ぺしんぺしんと尻尾で背中をおす。
「……旅をして、みんなでポケモンバトルをして……色んな人を楽しませたい、です」
レッドがそういうと、ピカチュウは自分の相棒を誇るように口の端を持ち上げ、フシギダネはかたかたとボールを震わせ、スマホロトムは赤いジャケットのポケットから顔をのぞかせた。
ちいさな彼女はすこし気恥ずかしそうにしているけれど、夢を追うものにしかできない瞳のきらめきと、自信たっぷりのかがやく笑顔をみせる。
「いい目をしている。それに、ポケモンたちもきみに懐いているな」
コートの男は内ポケットに手を伸ばし、なにかをとりだす。
「ピカ?」
ピカチュウがそれをよくみれば、おおぶりのロケット・ペンダント。
エーデルワイスの銀細工がほどこされたアンティークの逸品。
「これは……?」
うまく状況を飲みこめないレッドが、おじさんに聞いた。
「エーデルワイスの花言葉は『勇気』だ。持っていくといい、きみにこそ必要なものだろうからな」
差しだされたロケット・ペンダントをレッドが受け取ると、博物館の照明でエーデルワイスの意匠がきらめく。
きっとすごく高いもので、とても貴重なものだろうとは、彼女にも想像がつく。
「で、でも……」
「気にするな。どうせ倉庫のこやしになっていたのだ、売るなり捨てるなりしてくれてもかまわん」
「ぐうっ」
そう言われると弱いのがレッドだった。
年ごろの少女として美しいアクセサリーに興味はあるし、それがタダで手に入るとなればなおさらで、持病のもったいない病までもが刺激されてしまう。
「あ、ありがとう、ございます」
おずおずといった様子で受けとり、じっくりとながめる。
コートのおじさんは倉庫のこやしといっていたけれど、みればみるほど高級品に思えてくる。
「さらばだ、
レッドがロケット・ペンダントをながめていると、おじさんはそう言い残し、おおきな背中をみせながら去っていく。
ここでこんなイベントに遭遇すると思わなかったレッドは、しばし思考が追いつかない。
「……あ、え、えっと、さようならー!」
ようやく出てきた言葉は、ありふれた別れの挨拶だった。
ちいさな声とはいえ叫んでしまい、ぎろりと監視のクロバットが少女をにらみ、レッドはびくりと震えて怯えてしまう。
「ピカー?」
どうして名乗ってもいないのにレッドの名前を知っているんだろう、と腕を組んで考えこんでいたピカチュウだったけれど、考えても答えは出ない。
彼がトキワジムのジムリーダーにしてロケット団の首領、サカキであったことをレッドたちが知るのは、ずっと後の話。
コートのおじさん……いったいだれなんだ……!
次回は、ファッションが上半身は裸だったりジャケットを着ていたり、肩書がジムリーダーだったりポケモンブリーダーだったりと、色々と安定しないニビジムのジムリーダー戦の予定です。