ソニアにとって発端となった日から今まで、ずっと旅は続いている。
「ズィマー? ドクターと競うのは良いけど、無理はやめてよね」
「アタシの心配をする前にセルゲイはさっさとロドスから出られるようになるべきじゃ、ないのか?」
「いやー、メイヤーさんがロケットパンチ仕込むって言うからノリノリで加担したらアーミヤさんに怒られちゃってね」
「なにやってんだオメー……それで飯食うのに難儀してるんじゃ世話ねーな」
食堂の端で、隣りに座って食事を取っている男はあのチェルノボーグで生き延びた仲間だ。武人の家系に生まれた彼はソニアの嫌いな貴族で、けれど他の貴族と違って良いところもあった。
最近起こした騒ぎはソニアも知っている。技術室の壁に穴をあけて、それで他のオペレーターと一緒に始末書を書かされたとドクターが笑っているのを小耳に挟んだから。
自分が言うべき事ではないとわかっていても、心に嘘はつけない。呆れた顔で、どうでもよさそうに振る舞ってるつもりで、内心でソニアは怒られた事を“共有”したオペレーターが羨ましくて仕方がない。
ソニアにとって、彼は特大の爆弾だった。
ウルサス学生自治団を率いる自分が決断すべき事を先に行って、本来ソニアが背負うべきだった罪を被せてしまった事。
最初は仲間達に冷たい目を向けられていたが、自分の身を顧みない献身と自己犠牲の末に勝ち取った本物の信頼。
彼のアーツが炎だった故に、終末の引き金を引いた昔の自分との対比を見せつけられる苦痛。
その炎に、ソニア自身も彼の操る強力な炎に危険な所を何度も助けられた事実。
『なあ、貴族様はアタシの代わりに集団を率いようと思わないのか?』
ペテルヘイム高校に居る時、ぽろりとそんな事を零した事がある。
『ソニア、僕はそこまで恥知らずじゃないよ。君がいなければ僕もナターリア様も、いずれは死んでたのだからね』
『オメーがそんなタマには見えねぇけどな』
『それに、僕は貴族だよ。僕が君の代わりにリーダーなんてやったら、また貴族と平民の世界に逆戻りさ』
曰く、僕は平民であるソニアの下に付いているから許されているのだと。今まで上に居た貴族が、対等どころか自分達の言う事に反論もせず働いているのが良いガス抜きになってすらいると。
そんな中でソニアを押しのけてリーダーになってしまえば、誰も得をしない未来がやってくるとセルゲイは断言していた。
『アタシしか、いないってのか』
『辛いか?』
『どうだろ、仲間を生かすのに必死で辛いかどうかもわからねぇ』
ソニアがセルゲイに見せた最初の弱音はこれだった。この日から、セルゲイは気持ち多めに気遣ってくれる事が多くなり、それに比例して夜に話すことが多くなった。
お互い眠れない身で外を警戒しながらの雑談だったが、彼がそうだと時々本気で忘れるくらいにはソニアの知る貴族像と違う男で、存外息抜きになった。貴族は嫌いだ、それでも彼だけは“例外”に置いてると気付いた時、無意識に特別扱いしていた事にソニアは酷く驚いた記憶がある。
「まあ僕もその内オペレーターになるから、その時はまた一緒に戦えるかも」
「……まだ、戦うってのか?」
「君達が戦っているのに後ろで引っ込むなんて出来ないさ」
手を不器用に動かし、スプーンでご飯を食べるセルゲイは事もなげにそう言った。目を瞑りいつもと同じ声色だった彼に対して、ソニアはあまり良い気分ではなかった。
チェルノボーグでセルゲイは多くを失い、その一端どころか大元にすらなっているのがソニアだ。もしあの時アンナに相談していれば、もう少しマシな結末があったんじゃないかと思っている。少なくともあんな凄惨な事にはならなかったはずだし、或いはセルゲイのような貴族が他にもいて──いやそれは高望みかもしれないが。
「きちんと戦えんのか?」
「まあ、ズィマーが思うよりはきっとね。教官にも及第点は貰ってるし」
セルゲイはチェルノボーグを脱出してからずっとソニアの事をコードネームで呼ぶ。また名前を呼んでほしいと何度も思って、けれどそれを直接言える程の図々しさを持ち合わせていなかった。
あの日あの時、意地でも一欠片の希望を持ったままでいれば。そうすればこうやって不器用にご飯を食べる事もなかったし、彼が
セルゲイは、救助されたと解るや否や悔しそうな表情でソニア達に頭を下げた。僕はとても酷い事を君達に強いてしまった、許されるとは思わないけど、謝罪をさせてほしい。
まず、それを聞いたソニア達は困惑した、何の事かサッパリ心当たりがない。セルゲイがロドスの隊員に頼んで席を外してもらい、ウルサス学生自治団だけを残してから理解した。つまりは彼が意識を失う直前の話であり、ソニアにとってはむしろそうさせてしまった事を謝りたいくらいだった。
ラーダは右肩に触れてそんなことないと否定したし、ソニアも詫びることじゃねえと一蹴した上でむしろ感謝を伝えた程。ナターリアはあなたのせいではないと言って、ロザリンとアンナは目を逸らした。セルゲイの顔は晴れない。結局、詳細な検査があるからと隊員が来るまで重苦しい沈黙だけがその場に残ったのだ。
「そんな顔をしないでくれよ」
「変な顔してたか?」
「すっごくね」
過去の事ばかりを考えていたからだろう、困り顔のセルゲイがソニアの顔を覗く。思わぬ接近に思わず押し返し──
「あ」
「っおい!」
バランスを崩して椅子から転げ落ちそうになったセルゲイの左腕を掴み、ウルサス族特有の力で引き戻す。そうすると、今度は力加減がわからずに彼の身体がソニアの方へと倒れた。
「そんな動揺するなんて思わなかった、ごめん」
「ああ、いいさ」
セルゲイの身体は温かった。頬から首筋を通って視線は右肩へと向かう。そこが、ソニアの罪の証の一つだった。セルゲイの左腕を掴む手へ自然と力が込められ、その場所へと頭を近づける。
「……離してくれると助かるけど?」
「わ、わりぃ」
ふと、困惑した声でソニアは我に返った。自分が今何をしようとしたのか、思い返して羞恥に頬が赤く染まる。
「まあ、そんなんだしオペレーターなんていいじゃねえか。足手纏いになって守られるセルゲイなんざ見たくねぇぞ」
そう、コイツを守るのは、守っていいのは、アタシだけだ。
百歩譲って学生自治団の皆なら、渋々ではあるが引き下がろう。だが、どこぞの馬の骨ともわからぬオペレーターにセルゲイを任せるのは嫌なのがソニアの正直なところ──例えそれが、贖罪の機会が奪われたと無意識下で感じていても──だ。
ソニアは考える。だって、アタシはセルゲイの一部だから。あの日からずっとずっとずっと、セルゲイがあの事を負い目に感じているのであれば、ソニアにはてんで見当違いの事で、むしろこの激情を思えば頭を下げる彼に言った言葉は正しくソニアの心の底からの本心。
本は良く読むからそれについては知っていた。危険な環境下、男女が互いに生死を賭けて何日も助け合えばどうなるか。貴族嫌いの自分にとって例外中の例外、そんな男に親友のアンナにだって見せたことも話した事もない胸中を吐き出した秘密の共有者ならば。
端的に言って、ソニアはセルゲイの事が好きだった。それを自覚したのは皮肉にも、“ズィマー”とコードネームで呼ばれるようになってからだ。仲間がいなくなった時よりも酷い喪失感、チェルノボーグで徹底的に破壊されて再構成された価値観が、また一撃の下に粉砕されたような、そんな衝撃だった。
またよく通るテノールで、ソニアと呼んでほしいのに彼は最後の行動で皆を傷付けたと一歩引くようになった。
それだけならまあ、本当に、千歩譲って我慢しよう。だが、事もあろうにナターリアとロザリンとアンナには、ソニアのようにコードネームで呼ぶ事なんてしなかった。いや、ロザリンとアンナとはあまり話さなくなったんだったか。ラーダとソニアだけ、よりにもよって、自分の名前を呼んでくれなくなった。
寂しかった、辛かった、この程度で一線を引く程度にしかアタシ達の事は考えていなかったのか。仲間だと思ってくれているならば、尚更アタシ達の心を酌んでほしかった。
雁字搦めだ。言えば解決できるのは間違いない。でも、もし、もし、もし万分の一でもセルゲイが自分の望む答えを口にしてくれなかったらどうなるかわからない。
歪んだ恋心を抱えたままロドスでも戦ううちに、ソニアはある考えを閃く。
見ようによっては、特別扱いされているのではないかと。
あの状況でセルゲイが皆に強いたと自称する事は、場に居た全員に起こった事なのに、自分とラーダだけは名前を呼ばなくなった。それくらい心にダメージを負ったと考えられるのではないか?
ラーダはまあしょうがないだろう。あの地獄を生き残った仲間で、ソニアと同じくセルゲイの一部で、何より彼の心をツギハギだらけと言え救助された時まで支えた功労者。
だからそこさえ妥協してしまえば、むしろ他の三人より大事にされている気がしなくもない。
今まで仄暗いままだった感情が、一転して冬の快晴もかくやと言わんばかりに晴れ渡ったのは、ソニア自身も現金だと自覚している。
その日、アンナから訝し気に思われるほど上機嫌に布団に入ったソニアは良い夢が見れそうだと瞼を閉じ──太陽も上がらぬ早朝に飛び起きてトイレへ駆け込むことになる。
夢の中で高校の友人達が、“処分”した仲間達が語りかけてくるのだ。
もう一人の自分が、「罪を忘れるな」と食糧庫での出来事を何度も夢の中で再現して軽挙妄動を嘲笑う。
生き残った仲間達が、心底失望したような顔で口々にソニアへ罵声を浴びせかけ、最後にセルゲイが残念そうな顔で口を開き──
限界だった。洗面台の淵に手をかけて、胃の中から身体を駆け上がって来たモノを盛大にぶちまける。去り際の駄賃だとばかりに咥内を酸っぱい味で占拠し、そのせいでまた込み上げてきてもう一度吐いた。
口を濯ぎ、憔悴した表情のまま、ロドスの艦内を足早に駆け抜けてセルゲイの部屋へ突撃した。ぐっすりと眠る彼を叩き起こし、一言断ってから胸を借りて静かに目を濡らした。
事情もわからずただ起こされただけなのに、夢の中と違ってセルゲイは優しかった。要領を得ないソニアを宥めすかし、背中をさすって言葉を聴きだした。
また同じ事があったら、深夜でも来ていいよ。僕とズィマーの仲じゃないかと。甘美な言葉が耳から身体へ入り込み、即効性の毒の様にソニアを満たした。名前は呼んでくれなかったけれど、この充足感の前では些末だ。
そんな事を思い出すと、やっぱりセルゲイをオペレーターにするのは、出来れば見送りたいところだった。
優しいセルゲイは、高校の時のように他のオペレーター達を分け隔てなく守るだろう。それはいけない。その立ち位置はチェルノボーグを共に生き延びたソニア達専用の場所だからだ。
「……体調悪いんじゃない? さっきから上の空になってばかりだし」
「ちょっと、な。セルゲイがオペレーターになるって言うから、考え事が」
「だから僕はそんな弱くなんかないってば。心配性だなズィマーは」
「でもオマエの背中を任せられる奴なんざどれ程……」
「保護者じゃないんだから……」
嘆息混じりの声に、アタシは思わず笑ってしまった。
「チェルノボーグの時みたいな無茶は、すんじゃねぇぞ」
本心であり、多分に私情の混じった、酷い願望だった。セルゲイの身を案じて言っているわけではない、ただ、己の特別性を失いたくないから出てきた醜悪な気持ち。笑顔を取り繕おうとして、中途半端になった笑顔をソニアは向ける。
結局、ソニアがどう思っていようと決めるのはセルゲイで、更に言えばロドスだ。こんな理由を誰かに言える訳もなく、オペレーターになるのを見ているしか出来ない。
「……あんな風にするのは、君達だけさ。なんたって僕は──」
と、全く考えていなかった方から言葉がナイフとなってソニアの胸を刺してきた。
ああ、そんな嬉しい事を言わないでほしい。ソニアは自分は今変な顔をしていないだろうかと必死で表情筋を制御しながらそんな心配をした。
きっと、今日の夜は悪夢を見て、そしてセルゲイの部屋に行くだろうとソニアには確信があった。