音声記録-彼が告白した罪-   作:まむれ

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アンナの場合

 アンナにとって、貴族は心の底から憎い存在だった。

 

『私はあなたを信用したりしません』

『……いつか信じてくれる日を、待ってる』

 

 ナターリアと共にやってきた男の貴族が、徐々に平民学生から頼られるようになりつつある最中にアンナが言い放った言葉を受けて、救いを得たような顔だったのを未だに覚えている。

 彼が活躍する度、周囲が拍手と共に賞賛の言葉を送りソニアが肩を叩く。それに笑顔を浮かべる貴族の男が、少なくとも“賞賛された事に”喜びを得ているわけではないと気付いたのは何度目だっただろうか。

 まあそんなことはアンナに関係なく、如何に今を生き抜いて死なずに明日の糧を得られるかが当時は目下の課題だった。

 自分と同年代の学生を生死のかかった場へ送る決定権を持っていたアンナは合理的だ。貴族の二人が入る前よりずっと何を残して何を捨てるかを選び続けてきた。

 だからソニアの連れて来た二人のうち少なくとも代わりがないナターリアはともかく、もう片方は使い潰す腹積もりだったのだ。戦闘力はソニアに比肩し得るレベルで、けれど貴族であることが最大の難点だった存在。本人が積極的だったのもあるが、危険な場所にも躊躇なく投入出来る点ではアンナにとって便利であった。

 

『私は貴族が嫌いです。普段からそう言っているのに、何故諾々と従うんですか?』

『僕が信用しているからかな。少なくとも無駄死にだけはさせないよね?』

『この非常時に、私はそこまで愚かではありませんよ』

『それはいい。あとは、貴族である僕がこの一大事に平民を守る事は当然というのもあるかな。恩義の有る人物とあらば尚更にね』

 

 男が当然と宣う事が本当であればどんなに良かっただろうか。そうすれば私達はこんなに困らなかったし、犠牲者がこれ程出る事も、ソニアが業を背負う事も無かったのに。アンナが明確に貴族という括りではなく“彼”を嫌いになったのはこの時だろう。

 

 その嫌悪が、憎悪に変わった事に理由はない。ただあの環境下で、もしあの男が貴族グループの中心に近しい存在となって纏めていれば。そうすれば自分は親友を突き落す事もなかったのではないかなんて逆恨みに近い考えをもってしまったからだ。それに、一大事に平民を守る事は当然の言葉が本当ならば、どうして貴族たちを止めてくれなかったのかと心が叫ぶ。食糧庫を占領したうえで、少ないご飯すらや医薬品なども取り上げる貴族たちを見て、何も思わなかったのか。隠れて過ごす生徒が見つかる度、悲鳴が学園に響き渡る事に何も感じなかったのか!

 

 ……アンナは頭では分かっていた。そんな事をすれば周囲から疎まれ、寝首を掻かれて命を落としていただろう事は。強者であろうとも睡眠は取らなければいけないし、数で押されれば如何な彼と言えど命を落としてしまう事は想像に難くない。理屈で納得できるからと言って自分の感情が納得できるかどうかは別問題。男が活躍する度に、アンナの中で憎しみの感情は大きくなっていき、されど無駄に命を散らせるくらいならば死ぬまで私達の役に立てと難題を押し付けて──その都度完璧にこなして戻ってくる。

 

『ごめん』

『何が、ですか?』

『君が、その、親友を亡くした話を聞いて……』

 

 言葉を選んでいるかのような言葉に、今まで冷静でいたアンナの頭は瞬時に沸騰し、気付いた時には目を伏せる男に全力の平手打ちを見舞っていた。

 

 当時、ウルサス学生自治団は貴族に襲われる学生を救う内に規模が大きくなっていた。両手で数えきれない人数から更に増え、必要な物資がそれだけ増えていく。そして、規模が大きくなったグループは消費される物資を見てジリ貧になるのではと貴族に下ろうとする派閥が出来た。不幸な事と言えば、派閥のリーダーが貴族に内通していて、よりにもよってそれがアンナの親友だった事だ。

 

 引き上げてもらえる? アンナ。

 …………………………

 アンナ……? ちょっと……何するのよ!

 ………………………………………………

 

 ソニアが助けた生徒の中には、こっそりと襲撃を教えてくれたり微量ながらも物資をわけてくれた貴族がいた事を証言する者もいた。それが、余計に拍車をかけてしまったのだろう。だからアンナは、内部のゴタゴタが最高潮に達した時の出来事で屋上の淵を掴む親友の指を剥したのだ。

 ソニアのやり方ではこの先やっていけないと思うのは自由、けれど貴族に下るなどアンナは無理だった。そもそも受け入れてくれるかどうかも定かでないのに賭けるのも嫌だったし、そう思うなら勝手に出て行ってくれればお互い不幸にならない。ついていけないからと出ていく者を止めるつもりなどさらさらなかったのに、あろうことか今まで共にしてきた仲間を売ろうとした親友を、アンナは許す事が出来なかったのだ。

 

 助けを求める親友の絶望をよそに、剥しやすそうだと思ったから小指から丹念に持ち上げた。冬の寒さにプラスしてコンクリートを掴んでいた親友の指は凍るように硬かったが、両手を使って一本一本を手早く剥した。

 片腕が離れて黙するアンナに目を見開く友人を尻目に、残った片手の指を持ちあげる。遂に支える事が出来なくなり、ふわりと親友の身体が宙へと投げ出され、小さくなっていくうちに自分が何をしたのか我に返ってへ腰を抜かした。

 自分は今、何をしたんだ……? 

 その問いに答えられるものはこの屋上のどこにもいない。

 結局、旗頭を失ったことでその派閥は瓦解し、ウルサス学生自治団はソニアを中心とする一つのグループに戻れた。親友を助けていればどうなっていたか想像できるからこそ、あれが最善だと理解してしまって心から後悔を抱く事が出来ない。

 

『だから、なんですか!』

『……』

『あなたがもし貴族派の中心になっていれば! そうすれば私は! 私は……!』

 

 今まで隠してきた感情を、無神経に逆撫でされたアンナは激怒した。

 お前さえいなければ、そうすれば私は親友を殺す事なく事態を解決出来たかもしれない! そのお前が! なんのつもりで私に頭を下げるのか! 

 

 普段は理知的なアンナからは想像も出来ない感情の嵐が、脳内に浮かんだまま喉と直結してあらんかぎりの罵声をこの世に生み出していく。この場に他の面々が居れば意識を奪ってでも止めただろう程、聞くに堪えない罵声を。

 

 ──それでも彼は欲していたかのように受け止めて、ただ頭を下げてアンナの怒りを助長させる。

 

 喉が枯れる程叫んだ。

 ソニア達が異変を察知してアンナを強引に止めるまで、持てる語彙力の限りを尽くして貶しめた。

 それでも、それでも。アンナの心は晴れることなく、憎しみは比例するように大きくなった。

 

 そのまま心から恨んで、いっそ理性をかなぐり捨てて死地へ追いやってやればどれ程楽であっただろう。

 けれど高校を脱出して新たな地獄へ踏み出したアンナにとって、彼は使い勝手の良い駒ではなく代えの利かない大事な仲間となっていたのだ。

 自分達がやるべき咎を、真っ先に背負い込んで心を少しでも軽くしようとしていた事、皆でご飯を食べる中で一人だけ周囲の警戒に行くと言って姿を消していた事。それを代わろうとしても頑として譲らなかった事。それ以外にも数々の出来事が、彼が憎き存在であると共に地獄を共にした同胞だとアンナに認めさせる。

 貴族達を許す事はこの先もあり得ないが、彼とナターリアに限れば仲間であると感情とは別に胸を張って言えてしまうのだ。

 

 それでもアンナが表面上は彼を憎むのは、それが望みだからにほかならない。

 意識を戻していの一番に謝罪した彼が三人にその言葉を否定された時の顔が、アンナが罵声を浴びせた時の顔と真逆であることに気付いた。

 その後、アンナは一度だけ彼と二人で話す機会を作った。自分の考えが正しいかどうかを確かめて、その後の身の振りを決めなければならない。

 

『アンナはまだ貴族が憎い?』

『もちろんです』

『僕の事は?』

 

 しばらくはとりとめのない雑談を咲かせ、紅茶がなくなる頃の一瞬の静寂。だしぬけの問いかけは何かを期待するような声。

 

『────』

『そう、か……』

 

 アンナの返答を聞いた彼は落胆するような態度に反して、手を当てて隠れていた口の端が釣りあがっているのが見えた。

 

 この日から、アンナは彼と接する時間を徐々に減らしていく。ゆっくりと、自然消滅を装うかのように話すことを止め、食事を共にすることもなくなった。ラーダ──グムが寝る前に彼を連れてくることがあったから絶縁状態にまではならなかったが。

 

 彼が憎い。それは貴族だからだ。

 彼が憎い。それは貴族の義務を嘯いたからだ。

 彼が憎い。それは彼が略奪を繰り返す貴族の仲間を止めなかったからだ。

 彼が憎い。それは親友をこの手で殺す間接的な原因となったからだ。

 彼が憎い。平気で地雷を踏み抜いてくる暗愚さが。

 彼が憎い。あれだけ私達に尽くしてもなお自分を悪者だと思っている自罰的な心が。

 彼が憎い。私をこんなに辛い気持ちにさせるのに、それを望み続けているのが。

 彼が憎い。こんな役目を押し付けて、ソニア達とは話して楽しそうにしているのが。

 

 彼が憎い。彼が憎い。彼が憎い。彼が憎い。彼が憎い。彼が憎い。彼が憎い。彼が憎い。

 

 彼が憎い。あの時散々に詰った事を謝りたいのに、その機会を与えてくれない。

 

  ……セルゲイが憎い。ウルサス学生自治団の茶会は、いつも空席が出来るから。本当は、仲良くなりたい。助けてくれてありがとうと、言いたいのに。

 

 親愛か憎悪か、どちらが本当の気持ちなのかアンナ自身も判らなくなるほど何度も言い聞かせてきた。

 

「セルゲイ、あなたは……」

 

 四方が鉄に覆われたロドスの個室で、アンナは読んでいた小説をパタリと畳んで机に置く。最近、ラーダが寝室にセルゲイを連れてくる回数がどんどん増えている。それでも毎回ラーダを挟むのがソニアとアンナである事に変わりはなく、やめろと言っても聞いてくれない。セルゲイにも断る事を覚えろと説教しても曖昧な笑みを浮かべて煙に巻くばかり。

 

 私はいったいいつまで彼の事を憎めばいいのでしょうか。

 

 ぼんやりと窓から空を見上げるアンナの問いに答えられる者は、どこにもいなかった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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