楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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想い想われ

 

 

 地響きを立てて、穴蔵に建立した廃寺が傾く。

 鬼姫の怪力が、乱心、狂乱が、建物と地盤を諸共に破壊しようとしていた。彼女の膂力に掛かれば古びた建造物を崩落させるなど小枝を手折るように容易いのだろう。

 床を裂き、遂には柱を握り潰す。

 声が枯れ、喉から胃液と血を吐き、血の涙が垂れ流れては落ちる。彼女のパフスリーブの白いシャツはもはや赤黒く染まっていた。

 

「ここは少し騒がしいですね」

 

 世界を揺さぶるような力の爆発を事も無げに見限って藤色の髪の少女が言った。もはやどうでもよいと。

 今やその深い瞳に映るのは、無様に膝を屈する己の姿のみ。

 す、と細められた目は優しかった。いや、とても弱々しく、儚い。

 幾星霜、この時この瞬間を待ち望み、そうして窶れた心身でようやく、今。

 今、再会を果たした。

 少女の貌。泣き出す寸前の微笑が胸骨を抉る。

 幾人。あと幾人だ。

 俺は一体、どれほどの人々の心を冒涜したのだ。

 

「さあ、帰りましょう。地霊殿へ。あの温かな闇の中へ」

 

 差し伸べられた白い手、面前にある白磁のようなそれを見、また少女を見上げる。

 己の戸惑いすら、彼女は愛おしげに待つ。待ってくれる。

 だが。

 

「あぁっ、あぁぁあぁあ……!」

 

 とてものこと、すぐそこで頭を抱えて子供のように泣きじゃくる鬼の女性(ひと)を俺は看過できなかった。

 その長い爪を生やした手が、虚空に伸びる。何かを乞い求めて彷徨う。

 俺を掻き抱いて、いや童女のように縋った手。あの時彼女がまず真っ先に口にしたのは……安堵だった。

 ただ、ただ、あたたかい、と。涙を零すその姿が、あまりに憐れで、どうしようもなく労しくて。

 悪夢に魘され、苦しみ抜く彼女を放って去る訳にはいかぬ。

 彼女を助け────

 

「何を()()()いるんですか」

 

 視界一杯に満ちる美貌。少女の、白い顔。

 そしてさらにその三分の一ばかりを占めるのは、大きな紫紺の瞳。それが光を失くし瞳孔を眇める。

 

「どうして、()()()んですか」

 

 いや、視線はもう一刺し。彼女の胸元で経絡に繋がれた眼球からも。

 不可視の針、抉るように凄まじいまでの眼力。現実に、その視線には物理的な貫通力が伴っている。己の皮膚は確かにそれを感じている。

 その眼に、怒りが宿る。揺らめく光は狂おしいほどに熱い。骨の髄まで炙る、黒い炎が。

 ……なるほど確かに俺は、この身は責められるべきだ。責め苛まれ、適う限りの責め苦を味わうべきだ。

 しかし、彼女は違う。あのような苦しみに落される謂れなど。

 

「また考えた。また浮かべた。また、またぁ!! え、ははは、どうして考えるの。違うでしょう? 貴方が考えるべきなのはあの女じゃない。貴方が思うのは、心に留め置くのは、その想いで打鍵するのは、貴方に想われていいのは!!」

 

 己の両頬を包み、掴む柔手。その華奢な外見とは裏腹に、頭蓋を割れるだけの十分な握力を備えているようだった。

 骨の軋みが頭の中に響くのだ。

 

「……私だけ。ねぇ?」

「っ、かっ、は、ぁ……」

 

 眼球を囚われる心地。瞳と瞳が触れるほどの距離に在って、ただ心情ばかりが地平の彼方ほど遠い。

 少女の言わんとするところがわからない。

 理解できない。

 

「っ、む、無理もありません、ね。ええ、そう、そうですよ。貴方はこちらに来たばかりなんですから。理解なんて、でき、できないのは当たり前。今から、これから知ってください。知ってくれればいい。私のこと……」

 

 額を合わせ、少女は目を閉じる。祈るような、それは懇願だった。

 何を願われているのだろう。

 何故、こうまで、この少女は思い詰めて、悲しみに声を震わせて。

 

「古明地さとり。私の名前」

 

 頭の表層、皮下で血管が、骨の内で脳が圧し潰される。血流が停滞し、思考力が低下する。

 阿呆のように俺はただその音声を反芻する。

 こめいじ、さとり。

 

「は、ぁっ……! そうです。私、さとりです。さ・と・り」

 

 目前で喜悦が岩清水のように湧き出、溢れた。

 さとり、さん。

 

「あはっ、あははは、あははははは! はは、は、あ、ぁ、あぁっ……はい、はい、そう、さとりですよ。貴方の、貴方だけの……!」

 

 古明地さとり。淡い藤色の、儚げな少女。対面した当初纏っていた静寂はほどけて消え、今は無邪気な笑声を上げる。

 

「だって、また、貴方が想ってくれるんです。やっとこうして、触れて、感じて……貴方の“声”が今こんなに近くにある。もっと……」

 

 その細い両腕が首に縋り、我が身を包んだ。

 先程とは一転なんとも力弱く、まるで子供がぬいぐるみを抱くようだ。でないと眠れない、そう駄々を捏ねるような。

 

「呼んでください。忘れないように。私に刻み込んでください。貴方の“声”」

 

 さとり、さん。

 戸惑いながら無意識にも少女の名を思考はなぞった。

 その度、じわりと熱が首筋を濡らした。少女の涙は止め処なく溢れ返った。

 不理解は今以て極点に上り詰め、下がる気配もない。

 だが、一つ。たった一つだけ、理解した。自覚した。

 俺はきっと置き捨てたのだ。

 無情に無慈悲に卑劣にも。

 誰かの想い、誰かの願い、向けられ浴びせ掛けられそして……差し出された、無垢な愛から。

 逃げたのだ。

 だから、追われる。

 ならば当然ではないか。

 この少女も、かの人も、あの人もなにもかも。

 こんな俺を追って、ここに在るのだ。

 

「はい」

「…………」

「異なる御世の、異なる幻想郷から私は貴方を求めてここに来ました。私の元居た世界の貴方は、貴方はもう……」

 

 肩を掴む指が強張る。

 下を向いた少女の押し殺した嗚咽を聞く。

 

「っ、また一からやり直しましょう。私達。大丈夫ですよ。私、今度は間違えませんから」

 

 ひたりと、少女の左手が己の右手に合わさった。指を絡め、しっかりと握られ。

 水色のブラウスの袖口。そこからするりと何か、黄色の細長い触肢のようなものが伸びて────それは掌を貫いた。

 

「ぎっ……!?」

「これで」

 

 己の手ばかりでなく、触肢は少女の左手までも貫通する。

 するりするり、意思を持った生物のように触肢は我々の手に巻き付き、絡み付いてしまった。

 鋭い痛みが電撃めいて走る。中指骨の合間を抜けた触肢は血が通っているらしく時折微かに震え、骨を捩る。

 

「っ!」

「痛い、ですね」

「これ、は、一体……!」

「心が重なりましたね」

「心……?」

「はい、こうすれば」

 

 傷口で触肢がのたうつ。

 裂き開かれた肉と皮膚、骨が、体鳴楽器の如く激痛を震撼させた。

 痛い。痛い。痛い。

 

「ふふふ、私も。おんなじ気持ち、です」

 

 甘露を口に含むように少女は囁いた。

 その眼が滲む。光が遠退く。

 

「これからはずっと一緒ですよ。全て一緒に、心は一緒です。痛みも、快楽も、喜びも、愛しさも。私が貴方の安らぎになりますから、だから」

 

 触肢が伸びる。少女の衣服、身体あらゆる場所から無数に蠢き、鎌首をもたげて現れる。

 

「どうか、私の安らぎになってください」

 

 膨大な数の触肢、彼女の第三の眼、その大量の視神経が全身を覆う。

 それはもはや蚕の繭だ。

 幼体を保護する為の揺り篭。優しい牢獄。

 俺はもう逃れられ────

 

「!」

 

 その時、突如俺は足首を掴まれた。

 万力を思わせる強靭な握力。それは。

 

「いくなぁぁぁああぁああぁあっ!!!」

「ぐっ、あ、がぁっ……!?」

「!? 放しなさい! 放せ勇義!」

 

 実にあっさりと足首の骨は砕けて散り、程なく皮膚は裂け肉は千切れた。

 右足が破断する。

 ふと見れば、泣きじゃくる鬼姫の手に足首は黒い革靴ごと居残っていた。

 

「いかないで、いかないでおくれよぉ……」

 

 童の声がする。痛みも忘れるほど憐れな、悲しい声が。

 光に没する。

 紫紺色の輝きが無数の粒となり、垂れ桜が枝をもたげるようにして廃寺を払う。

 消し飛ばす。

 

「この人に想われていいのは私だけよ。わかる? わかりなさい。わかるのよわかれ勇義ぃ!!」

 

 怨念の声が響く。

 彼女の聖域を冒した者への赫怒が視界を焼いた。

 痛みが脳天を衝く。罪悪という名の痛覚が俺の罪を叫ぶ。(おまえ)の蒙昧がまたしても誰かを傷付けたぞ、と。

 情けないことに、鬼姫の無事すら確認できぬまま俺はそこで意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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