北条の野望 ~織田信奈の野望 The if story~   作:tanuu

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第16話 巨星墜つ

完全勝利とは言えないまでも、里見軍を追いやり、真里谷&小弓公方連合軍を撃破した北条軍は意気揚々と凱旋をする。小田原に戻る道中で兵も将も皆顔は晴れ晴れしていた。誰もが勝利の歓喜に湧き、お祝いムードが流れていた。そんな時だった。

 

北条氏綱倒れる。

 

この報はたちまち北条家中ひいては関東全土に広まることとなる。馬上にて意識を失い、落馬しかけ、一命はとりとめ意識は回復したが依然として危険な状態にあると医者が宣告した。今まで北条家を導いてきた英傑の突然の病に家中にはお通夜のような雰囲気漂っていた。論功行賞は全て後回しになり、家臣一同の意識は当主の安否にあった。

 

自分が文系だった事が悔やまれる。多少は病について分かるし、戦国より医療の進んだ現代から来たんだからして病名くらいはわかる。ただ、治療法も薬もあまり詳しくはない。

 

思い返せばそれらしき兆候はあった。声の覇気が薄れ、顔色があまりよくない日があった。あの時休むように言えば或いは…。いや、それでも出陣しただろう。気づけなかった事は本当に忸怩たる思いだ。

 

病状は中風(脳内出血に伴う麻痺等を起こす病。脳卒中の類似)だろう。化学薬もないこの時代は例えばインフルエンザとかでも悪化して死に至る可能性がある。それが中風とか癌とか肺炎とかになればなおのことだ。内科は特に解剖や麻酔も無いのだ。ろくな診察は出来ない。血管とか心臓の病だともうおしまいだ。大人しく死を待つしかない。

 

 

 

 

「これからどうなってしまうのでしょうか。不安ですわ」

 

屋敷の囲炉裏で鍋を食べている時に兼成が呟いた。その気持ちは北条家中の全員が抱いているものだろう。回復するのか、もしくは…。

 

「祈るしか無いだろうが…いずれにせよ氏綱様はご老体。そろそろご隠居頂く時期なのかもしれないな」

 

「となると次代の当主は…」

 

「氏康様だ。まぁ、若いが問題は無いだろうさ。若さならお前の異母妹の方が若い。それに人望能力共にある。北条の三代目としては申し分無いだろう」

 

「それは重々承知しておりますわ。心配なのはそこではなくて…」

 

「外交か」

 

頷く姿を見つつ、同様の感想を抱く。対上杉の武蔵、対古河公方の北下総、対里見の南下総に加えて最近は今川が駿東の返還を要求しており、きな臭い。前々から火種になりつつあった所ではあるが、そろそろ危ないか。下総は今小康を得ている。里見は上総の安定に尽力したいらしく、こちらには大規模に手を出してこない。

 

「古来より、当主の代替わりは敵勢力を勢いづかせる事が多いと相場が決まっておりますわ。ここもそうならないと良いですけれど」

 

「そう上手く行かないのが悲しいところだ」

 

話を聞くところによると氏綱様はここ数年、つまり私がここに仕官する前から既に急に老け始めていたという。長年戦場を東奔西走した疲労がつもり積もった結果だろうか。

 

「或いは、氏綱様は自らの老いを予感していたのかもしれないな。だから氏康様の元服を早めた。それもかなり」

 

通常ならもう一、二年遅い元服を昨年の春頃に終わらせているのはそういう事なのかもしれない。ちなみに、氏康様の幼名は伊豆千代丸らしい。可愛い。

 

「他の妹たちも随時元服させて一門衆に加えたり、家臣の娘や息子を早くから登用してるのもこのような時の為の布石だったという事になりますわね。それはまた随分と壮大な計画ですけれど」

 

それからは二人で憂い気に火を見つめていた。未知数すぎる未来がどうなるのかは、まだ分からない事だらけだった。

 

 

 

 

 

重苦しい雰囲気に包まれた小田原城へ登城する。例え当主が病でも仕事は変わらずある。詰所の空気も暗いが。心のどこかで誰しもが不安を感じている。食も細くなり日に日に衰え痩せていく姿を見ては、そうなるのも無理はなかった。城下の賑わいも心なしか常より無いように見えた。

 

「一条様、よろしいでしょうか」

 

廊下を歩いていると、女中に声をかけられる。

 

「はて、どうされたか?」

 

「氏綱様がお会いしたいと、馬屋にてお待ちです」

 

「馬屋?何故そのようなところに…」

 

「それは私も伺っておりませんので分かりかねます」

 

「そうですか、伝令ありがとうございます」

 

礼をして足早に向かう。何の用かは分からないが、あまり良い内容の用事では無さそうな事は分かった。病人は大人しく寝ていて欲しい。何してるんだか。

 

5分くらい歩いて馬屋に着くと、既に馬に乗った氏綱様がいた。ここ最近では珍しくシャキッとしており、目も壮年の輝きを取り戻しているように思えた。

 

「おお、来たな」

 

「ただいま参りました。何用でござりましょうか。御体はもうよろしいのですか」

 

「うむ。今日はいささか気分が良い。少し出かける。着いて参れ」

 

「は、はぁ。仰せとあらば喜んで」

 

何処へ行く気なのだろうか。さっさと馬を進ませる主に置いていかれないように急いで馬上の人となるのだった。

 

街中を進んでいく。城下では病床に臥せっていると噂の城主の姿にあちらこちらから歓喜の声が聞こえる。それに応えながらゆっくりと南下していく。小田原城の南は海であるが、そこから更に南西つまり伊豆の方へ向かい始めた。小田原城近くの海岸は砂浜だが、少し伊豆に近付くと断崖絶壁が増える。

 

 

 

 

 

氏綱様は崖の上で馬を降り、海を見つめていた。

 

「綺麗な海だ。儂が幼き頃、亡き父上に連れられて見た伊豆の海と何一つ変わっておらぬ」

 

その目は目の前の海ではなく、どこか遠い追憶の彼方にある光景を見ていた。

 

「…のう」

 

「はっ」

 

「何故お主を連れ出したか疑問に思っとるだろうな」

 

「…はい」

 

「お主と話しておきたかったのはあるな。儂の家臣たちは昔から知っておる。そのあり方もな。お主とは巡りあってよりあまり時が経っておらぬからの。だが、本当はな、聞きたかったのよ、お主が何処から来たのか」

 

「それがしは土佐より…」

 

「取り繕わんでも良い。娘は気付いておらなんだが、儂は気付いておるぞ」

 

その言葉にハッとして顔を見る。その言葉に咎めるような気配はなく、静かにこちらを見ていた。

 

「何故、そう思われたのですか」

 

「勘じゃ。勘。長年生きとると不思議と勘が生まれる。それで、お主は誰だ。何処より来た。答え次第によっては斬らねばならぬ。間者であったら困るからな。なに、偽っておった事を咎める気はない。正直に申してくれ」

 

「…遥か彼方の遠い場所より」

 

「詳しくは言えぬか」

 

「…申し訳ございません。北条のお家に害とならない所であるとは誓いますが」

 

「その言葉、信じるぞ。我が娘の信じたお主の言葉をな」

 

「ありがとうございます」

 

「まぁ、儂には言わんでも良い。だが、いつか娘には、話してやってくれ」

 

「はい」

 

「お主には期待しておるぞ。きっと、娘を導いてくれるとな。確固たる理由無き勘だがな」

 

波が岩を打つ。その音だけがやけに大きく聞こえる。

 

「もし、万が一の事があれば北条の夢も、何もかも捨てて良い。ただ、娘達を守ってくれ。若き才ある者よ。その才に溺れてはならぬぞ。驕らずおれば必ずそれを生かせる」

 

「ご忠告、しかと受け止めましてございます」

 

「精進せよ」

 

そう言うと、崖の一番先まで歩んでいく。

 

「…のう」

 

「はっ」

 

「儂は何かを為せたのか。この世に残る何かを。武士として産まれたからには、何かを成したいという野望の炎が心を燃やすのよ。死に際してそれが一番気になっておった」

 

「死に際す等…滅多な事を申されてはなりませぬ」

 

「良い良い。自らの肉体の事は自分が一番よく分かっておるわ。我が命の灯火、そう長くはないであろう。…まぁ、よい。死に行く老人の独り言よ。忘れてくれ」

 

決して忘れられる筈など無かった。自分は北条氏綱のことを、英傑だと思ってきた。今川氏親や武田信虎、強大な上杉一族相手に戦い抜いてきた英雄だと思っていた。それは間違ってはいないかもしれないが、何処かで等身大の人物として見れていなかったのではないかと思った。文献や小説に書かれた人物として心の何処かで見ていたのではないかと。

 

当然の事なのだ。人は生きていれば悩むし、苦しむし、後悔もする。そんな当たり前の事を忘れかけていたのかもしれない。だからこそ、その悩みには真摯に答えるべきだと、そう思った。

 

「氏綱様の名は、永久に語り継がれるでしょう。初代関東王、北条氏康の父にして、その躍進の礎を築き上げ、民を重んじる心を教えた偉大なる英雄として、久遠に。世が変わり、人が変わり、時代が変わろうとも」

 

彼は、その言葉に驚いたように目を丸くしてこちらを振り返った。しばらくこちらを見つめていたが、ふっと小さく笑い腰の刀を取った。そしてそれを躊躇いもなく、海へ投げ入れる。その行いの意味を簡単にこれだと断言することは出来なくて、ただひたすらにその光景を見ていた。

 

「そうか……それは、良かった」

帰るか。そう言って笑いながら、馬へと戻っていく。慌ててそれを追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その晩、北条氏綱の容態は急変した。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜間は静まっている城は煌々と明かりが灯り、慌ただしく女中たちが走り回る。一門衆や家臣団は大広間に集められた。誰もが身動きをとらない。まばたきの音さえ聞こえてきそうな静寂の中、上座に敷かれた布団に伏している氏綱様の荒い息が聞こえる。

 

城に戻って半刻もしないうちに再び倒れそれよりかれこれ半日近く意識を失ったままだ。このまま目覚めないのではないか。誰もが、その最悪の想定を行っていた。

 

あの時、こうなることを察していたから、私を連れ出したのかもしれない。己の最期に、まだ関わりの少なかった家臣と会い、その性根を確かめたかっただろうか。己の娘の為に。

 

 

「ここは…城か」

 

息苦しそうな声が聞こえる。その場にいる全員が顔を上げる。

 

「殿!」

 

「お目覚めですか!」

 

「良かった。良かったですぞ!」

 

「お主ら、うるさいわ。最期くらい静かにさせてくれ」

 

ゆっくりと言う声はどうしようもないほど衰えてが感じられて、否応なしに全員に終わりを実感させた。

 

「父上!お目覚めしたばかりです。あまりお話にならないで下さい。今医者を…」

 

「よい」

 

「でも、父上!」

 

「氏康…いや、伊豆千代…。もっと近くへ来てくれ。もう、目も霞んできた」

 

「はい…はい。私は、ここにおります」

 

「彦九(為昌)、菊王(氏尭)、松千代(氏政)、藤菊(氏照)、助五(氏規)、乙千代(氏邦)、三郎(後の上杉景虎)…。お主らで、ここにはおらぬ他の小さな妹たちと共に、北条の家を…伊豆千代を守ってくれ。よいな」

 

布団の周りに集められた氏康様の妹様たちが頷きながら涙を流している。

 

「父上、お願い。逝かないで。私には当主はまだ早すぎる」

 

「お主はもう、十分に当主になれる。優秀な家臣も多くおる。彼らを頼り、信じ、いつの日か北条の旗を、関東の大地全てに…。誰も苦しまぬ世を…必ず…」

 

「必ず、必ず成し遂げるから、生きてその日を見て!」

 

「すまんが、それはできぬ。…おばばも良いな、娘を頼む。儂は一足先に父上にお会いする」

 

「任せるがよい。おばばはまだ死ぬ気は毛頭ない」

 

「我が、家臣たちよ。我が亡きあとの家を頼む」

 

「「「「「「この命捧げましょう!」」」」」」

 

みんな泣いている。私も泣いている。

 

「ああ、安心した。儂は少し疲れた。眠る事とする」

 

その眠りはきっと…。誰もがそれを理解して、震えている。

 

「すまぬな…お主に、辛い重荷を背負わせた。父として、当主として残してやれる物は多くない。なおも二つの戦線で小競り合いが、続く。この乱世の宿業を押し付けてしまったな…。すまない…。お前たちには、姫としての幸せを掴んで欲しかった…。もし、夢叶わぬ時は…必ず生きて、幸せを掴め。北条の夢も捨てて良い。ただ生きて、幸せを…」

 

「父上!」

 

ゆっくりと痩せ細った手で、氏康様の頬に触れる。

 

「あぁ、儂はこの乱世一の果報者よ。愛する娘に囲まれて逝けるのだ。これ以上の幸せはない」

 

「お願い、お願い、死なないで!父上…」

 

「氏康…伊豆千代…私の、娘。私の、た、から…」

 

「父上!父上!!」

 

氏康様はゆっくりと力を失うその手を抱き締める。自分が流した涙を拭って見ると、そこには穏やかな笑みを浮かべて、生きているかのように眠る氏綱様の姿があった。

 

乱世の男たちは、姫を置いて、逝ってしまう。慟哭の満ちる大広間で、そう思った。偉大なる相模の英雄は家族を愛し、去っていった。

 

「お主には期待しておるぞ。必ず娘を導いてくれる」

 

その言葉が耳の中で響く。必ず、その期待に応えてみせる。娘を思う父親の自分に向けられた最後の言葉を無視など出来るはずもない。あらゆる手を使って、血も涙も無くしても、北条三代の夢を成し遂げるのだ。

 

だけれど、今日この時だけは、その死を悼んで涙を流させて欲しい。この悲しみの感情は消えてはいけないのかもしれないと、そう思った。

 

 

 

 

 

戦国関東の英傑、北条氏綱死去。戦に明け暮れた生涯だったが、その終わりは家族に囲まれた穏やかな死であった。享年54。

 

そして、時代は動き出す。


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