※二人は付き合ってます
「誕生日おめでと」
カラオケボックスについて1時間くらい経った頃、円香が唐突に小包を渡してくれた。手触りの良い布袋が金色のリボンで止められており、一目見てプレゼント用に準備してくれたものだと分かった。
「え、ありがとう! 開けてもいい?」
「開けないと見れないでしょ」
十数年の幼馴染生活によって培われた円香翻訳辞典によると、今の発言は『早く開けてほしいな♡』という意味なので、遠慮なく包みのリボンを解くことにする。……ただしこの辞書はよく誤訳するので、ほんとうに呆れられてる可能性もそれなりに高い。
「わー! かっこいい!」
「色々と幼いんだから、たまにはこういうの着たら?」
プレゼントを広げると、それは質のよさそうなネイビーのジャケットだった。同じような服を着回しがちな僕がずいぶん前に『新しい服とか買わないとなぁ』って言ったのを覚えていてくれたのかな。プレゼント自体もすごい嬉しいが、そのことがなにより僕を笑顔にさせた。
「ありがと! 大事にするね! これで僕もオシャレさんだ!」
「なんでもいいけど。隣を歩く私に恥をかかせなかったら」
早速着ていた上着を脱ぎ、円香から貰ったジャケットを丁寧に羽織ってみる。今日はシンプルな──オシャレな人のシンプルさと言うよりは、ただ無難な服を着てるだけだが──服装をしていたので、コーディネート的には全然問題ない。というより、僕の今持っている服に合いやすいものを彼女が選んでくれたのだろう。最高か?
円香、なんやかんや僕のことをちゃんと見てくれてたんだ。僕も円香のことをちゃんと見ないと。そう思い、感謝の意も含めて、僕は彼女に熱のこもったキラキラした視線を向けた。
「……何? それじゃ足りない?」
「あ、いやいや! そうじゃなくて!」
変な勘違いをさせてしまった。流石に奇行だったかなと思ったところで、僕の脳にあるアイデアが下りてきた。もしかしたら僕も天才なのかもしれない。
「そうだ! せっかく誕生日なんだし、僕から何かお願い事してもいい?」
「は?」
円香は眉間に皺を寄せて、ゲテモノを見るような不機嫌な顔を浮かべた。少しだけ心が折れそうになるが、ここで負ける僕ではない。
「ねーいいでしょ! 1つだけだから!」
僕の狙いは1つ。年に一回のせっかくの誕生日を利用して円香にうんと甘えてもらいたい! 自分から甘えるのが苦手な円香がそんなことをしたら……、うん、可愛すぎて僕は死んでしまうかもしれない。
「え、普通に嫌だけど」
「お願い!」
両手の皺を合わせ、必死にお願いしてみる。意外と円香は押しに弱いから、気持ちを込めてちゃんとお願いしたら折れてくれるかもしれない。
彼女は僕をしばらく見つめ、やがて諦めたかのように大きくため息をついた。
「……何するか、私が決めてもいいなら」
「……趣旨違くない?」
「あなたの自由にさせるとか、ありえないから。とんでもないものが来そう」
「うーん、まぁいっか!」
思ったよりも信用がなかったことに凹みつつも、気持ちを切り替えていく。当初の思惑とは違う形にはなったが、むしろ円香がどういうお願いをするかは気になるので結果オーライだ。
「じゃあ、頭撫でるとか、そんなのでいい? ……もしあなたがしたいならだけど」
尻すぼみに声が小さくなっていったが、あまり乗り気ではないのだろうか。もしそうなら無理やりやらせるのは忍びないので、取りやめようと思うのだが、どうだろうか。でも──ただの僕の願望かもしれないけど──今のは乗り気じゃなかったというよりは、別の感情のような気がした。
「……円香、頭撫でてほしかったの?」
「嫌なの?」
「いや! 全く!」
否定はされなかった。自覚の有無はともかく、自分の中にそういう願望が多少なりともあったのかもしれない。彼女に撤回される前に、僕は円香の頭に手を差し出し、優しく撫でた。力強い緋色の髪であるが手触りは繊細で、撫でているこちらも心地よくなっていった。円香は特に何も言葉を出さず、ただジッと撫でられ続けていた。
3分ほど経った頃だろうか、彼女の口から弱弱しい言葉が漏れた。
「めんどうくさい女だって、そう思ってるでしょ?」
「え? いや、思ってないけど」
マイナスであり、負い目の感情。
もっとしっかり話を聞いて、正面からちゃんと受け止めてあげないといけなかったかもしれない。
僕の後悔をよそに、言葉は続けられる。
「嘘。私があなただったら、とっくに私を見放してる」
その言葉を聞いて、僕は思わず奥歯を噛み締めた。彼女から震えが伝わってきて、思わず強く目を閉じた。
心が痛くなった。
涙が溢れそうになった。
僕の言葉が有無を言わさず切り捨てられたことはどうでもいい。ただ、円香が自分自身のことをそこまで卑下していること、そして、自分のことを見放そうとしていることが、どうしようもなく辛かった。
この言葉はきっと、自分自身に向けられた刃だ。吐き出せば吐き出すほど、円香は自分を傷つけてしまう。
僕は円香の頭においた、動きの止まった手を下ろし、そっと彼女の手に重ねた。
「ちょ……っ!」
「見放したり、嫌いになったりなんてしないよ。僕は円香が
目を見つめ、精いっぱい心を込めて伝えた。
「感情を出すのが苦手でついついトゲのあることを言っちゃうけど、心の底は誰よりも優しくて、いつもみんなを、そして僕を見てくれている、そんな円香のことが大好きだから」
気の利いたことなんて言えない。
後世に語り継がれるような名言なんて言えない。
僕はただ、思っていることをまっすぐにぶつけることしかできない。そんな無力な自分でも、円香にさえ思いが届けば、それでよかった。
僕の言葉を聞き、円香は目を逸らして俯いた。ショートヘアーの隙間から垣間見える頬はわずかに紅潮しているような気もした。彼女の煌びやかな髪が、そう映したのだろうか。
「……閉じて」
「え?」
「目、閉じて」
呟かれた言葉に従い、僕は訳も分からないままに目を瞑った。他にもサプライズプレゼントでもあってその準備でもするのかなとか、この流れで渡されたものに対して大きな声で喜んでいいものだろうかとか、そんな呑気なことを一瞬考えていた。
しかし、一向にアクションがない。何なら、音も特にしない。目の前にいるはずの円香は、特に動いてもいないみたいだ。
疑問に思い、何か言葉を出そうとしたが、それをすることは出来なかった。
僕は、温かい感触に包まれたから。
僕は、抱きしめられていたから。
背中に回された腕は、決して僕から離れまいと強い力が込められていた。
「開けないで」
「……うん」
僕の肩に乗せられた顎が揺れ、声が体に染み渡った。
僕のすっかり速くなった鼓動が伝わってしまっているのではないかと思うと恥ずかしくて仕方ないが、顔が熱くなっているのはその恥ずかしさが由来ではないだろう。
「あなたがその目を開けなければ、どこにも残らない。私が私だって証拠は、誰も確認できない」
「……哲学的だね」
僕は今、何をすべき何だろうか。
ぶらりと垂れ下がった腕と閉じられた瞼に力に、無意識に力を入れていた。
このハグは、円香の精いっぱいの愛情表現だ。
僕はこの愛を正面から受け止めてしまっていいのだろうか。それとも、彼女の言葉に従い、『誰でもない存在』の愛として、なされるがままに従うべきなのだろうか。
色々な可能性について考えを巡らし、そして、やめた。
僕が今すべきことは、考えることじゃない。伝えることだ。円香が僕にとって、どれだけ大事な人なのかを。
「でも、抱きしめかえしたらきっと誰かわかっちゃうよ。その人はきっと、僕が大好きな人だからさ」
「きっと気づかない。あなたはバカで、鈍感だから」
「……気づくよ」
彼女の背中に腕を回した。ビクッと動揺する感触が腕に伝わったが、僕は気にせず力を込めた。
「やっぱり、円香だ」
「なんで……」
円香のその疑問は、僕が彼女の意向を無視して抱きしめ返したことについてだろうか。でも、そうするに決まってるじゃないか。僕は器用な人間じゃない。思いをストレートに伝える以外のコミュニケーションは、僕には出来ない。
「あたりまえだよ、恋人なんだから。大好きな人に抱きしめてもらって、分からないわけないよ」
『誰でもない存在』からの愛を、僕は受け取ることが出来ない。僕が大好きなのは、ずっとずっと、ただ一人だ。
「僕は、円香が好きなんだ。だからこの気持ちは、正体の分からない『誰か』じゃなくて、円香に受け取ってほしい」
抱きしめてる腕に力が入りすぎていたことに気が付き、少しだけ緩めた。その際、円香が少しだけ寂しそうに声を漏らした気がするのは、気のせいだろうか。
円香は僕の胸に顔をうずめ、服の背中部分をぐいっと引っ張った。彼女は、自分がどうすればいいのか悩んでいるのかもしれない。
僕はいつまでも待つよ。
だから──
「ゆっくり進もう。二人で、ちょっとずつ」
「……」
額を僕の胸に押し付けた円香が、しばらくして離れた。未だに目を閉じたままなので、彼女がどんな表情をしているかが僕には分からない。笑顔でいてくれればいいなと、そう思った。
「……開けて」
その声に従い、僕は目を開ける。久しぶりに見た円香は、僕の記憶の中の彼女よりも赤く染まっており、まっすぐな瞳をしていた。わずかに潤んだ瞳は、宝石のように輝いていて、そして儚かった。
こぶし一つも空いていない距離にあったその顔が、徐々に近づいてくる。
そのまま彼女との距離が0になるまで、そう時間は掛からなかった。
0のまま、時間は流れる。
そして、優しく触れあっていた唇が、離れた。
「私も、あなたが好き」
重なった手のひらが、絡み合うように、溶けあうようにつながれていく。指と指の隙間から感じる円香の体温を通じて、僕の心に彼女の言葉が染み渡る。
「受け取ったよ、あなたの気持ち」
樋口のソロ曲、めちゃくちゃいい~
『重ねた 手のひらに 今さら言葉はいらない』って歌詞が、「いつだって僕らは」の樋口パート『手と手をほら 重ねていこう 気持ち全部 ぶつけてみよう』の部分からの(彼女と周りの人たちとの関係性の)進歩進展を感じられて最高でした(オタク早口)