飾り気のない灰色のスウェットに丸眼鏡を装備した、完全オフモードの冬優子ちゃんがリビングの入り口に突っ立っていた。長く艶やかな髪には寝ぐせ一つ見当たらなく、常に気を張っているでお馴染みの冬優子ちゃんらしいなと思ってしまった。
「親戚から梨いっぱいもらってさ。冬優子ちゃんちにも分けようと思ってきたら、おばさんが『せっかくだからあがってけ』って」
僕の説明を聞いて大きくため息をついた冬優子ちゃんは、重い足取りでキッチンに行きお湯を沸かし始めた。
「んでー、当の
こぽこぽとお湯を注ぐ心地よい音を響く。瓶を開けたり陶器の蓋が閉まるような音も聞こえる。おそらく紅茶を入れているのだろう。
「買い物行ってくるって」
「お客と娘だけを残して買い物行くなっての。ってか、何かしらもてなしなさいよねー」
「もてなすで思い出したけど、お昼ごはんもここで食べて行ってって」
「……お昼までまだあと3時間くらいあるんだけど」
ソーサーに乗せたカップを二つ持ってきて僕の隣に腰かける。どうやら僕の分も淹れてくれたみたい。ありがとうと素直に感謝を述べつつ、小さじ一杯の砂糖を入れて口元に運ぶ。あ、美味しい。
その時、軽快な音楽が隣から、つまり冬優子ちゃんの方から聞こえてきた。メールか何かだろう。
「あれ、お母さんからだ。忘れ物か…しら……」
スマホを確認した冬優子ちゃんは、語調が弱まるのに比例して顔が赤く染まっていく。
「え、どうかしたの?」
「な、なんでもないわよ!」
依然顔を赤くしたまま、彼女はソファに自分のスマホを叩きつけた。なんて書いてあったんだろう……。
「あーもう、あっつ」
「あ、あはは、朝から元気だね」
手をパタパタとさせ顔を仰ぐ冬優子ちゃんをみて、素直に思ったことを口にしてしまった。言った後にしまったと後悔したが、時すでに遅く、気が付いたら冬優子ちゃんに両ほっぺをつねられていた。
「あんたがこんな朝っぱらから家に来るからでしょうが!」
「いふぁいいふぁい! ギブギブ!」
腕をタップして間もなく解放され、ジンジンと軽く痛む頬をさすりながら彼女を見ると「全く……」と零しながら紅茶を一口飲んだ。まるで典型的なツンデレみたいだと思ったけど、さすがにそれを口にすることは無かった。
「それで、どうなったのよ?」
「え、何が? 梨?」
「違うわよ。あんたの彼女よ、カ・ノ・ジョ。上手くいってんの?」
「彼女じゃないよ……。ま、まだ……」
僕がそう言うと、冬優子ちゃんは意地悪に笑った。
ファミレスで冬優子ちゃんに好きな子がいると打ち明けてから、既に2か月は経っていた。あれから何度か冬優子ちゃんに相談し、その度に的確なアドバイスやサポートをしてもらっていた。おかげで、その子とは少しだけ仲良くなれてきた。……気がする。
「あら、『まだ』とは言うじゃない。ってことは、進展はあるってことね」
「まぁ、ないこともないかな……」
「なによ、煮え切らないわねー。告白くらいはもうしたの?」
「え゛っ? コクハク⁉」
「はぁ? あんた、まだ告白してなかったわけ⁈」
僕の顔を覗き込むように睨みつける冬優子ちゃんに、僕は思わず唾を飲み込んだ。
「あー、えっと、実はそのことなんだけど……」
「何よ。怖気づいて告白できないとか、そんなヘタレたことぬかすんじゃないわよね?」
「えー、あー……」
そんなふざけたことをぬかすつもりだった。
生まれてこの方、人様に告白したことが僕にとって、告白は非日常の最たるものとなっていた。そのため告白するのことを考えるだけで緊張してしまい、頭が真っ白になるほどだ。告白されたことも当然の如くなく、そもそもどうやって告白したらいいかさえ分からないというのも原因の一つだろう。
「ま、そんなことだろうと思った」
「よ、よくわかったね」
「そりゃ分かるわよ。何年あんたの幼馴染やってると思ってんのよ」
冬優子ちゃんはそう言って、だらけていた足を折り畳み、ソファの上に体育座りをする。膝に顎を乗せて、視線を正面に向けてリラックスしてはいるものの、言葉も少し柔らかくなり、相談に乗ってくれるモードに入ったように見えた。
「こ、告白ってさ、どうやってすればいいと思う?」
告白という言葉を口にするだけで顔が火照っているのが分かり、そのこと自体に恥ずかしさを覚えた自分が情けなくなった。
「そう言うのは自分で考えなさいよ。どんなものだろうと精いっぱい考えたやつの方が向こうも嬉しいわよ」
膝を抱えている彼女の拳が、きゅっとズボンを握っていた。
今までのどのアドバイスよりも、どこか力強さを感じた。もちろん今までのも真摯でためになるものだったが、今日のは魂が籠っていた。
「まぁしいて言うなら、まっすぐぶつけなさい」
冬優子ちゃんは膝に頭をこてんと乗せ、隣にいる僕の目を見つめる。その瞳には確かに僕が映っているが、どこか遠くを見ているようで、なんだか見透かされているようで、僕は気恥ずかしくなり目を背けた。
僕は紅茶を一口飲み、背もたれに体重を預ける。
「そういうものなのかな」
「少なくとも、ふゆはそうだわ」
重たく瞬く彼女に、どことなく既視感を覚える。しかしその正体に思い当たりがなく、まさしくデジャブだろうと自分を納得させた。
ぽた、ぽた、と一定の間隔でシンクを打つ水の音がやけに気になる。
喉元まで出かかった言葉は、一度飲み込まれ、そして結局押し返されるように口から飛び出した。
「……冬優子ちゃんはさ、どういう言葉で告白されることが多いの?」
「やめなさいよ、告白されまくってるみたいな前提で言うの」
「されてなかったっけ?」
ジト目を向ける彼女をよそに、僕は記憶を掘り起こす。これには思いあたりがいっぱいあった。
中学生の時から数えても、少なくとも片手じゃ足りないくらいには告白されていたような覚えがあるんだけど。冬優子ちゃんは見た目もすごい可愛いし、ふゆモードのときなら人当たりもいいしで、モテない要素は無いと思う。もちろん、素の冬優子ちゃんも素敵だけど。
「告白され……てるのかしら? そりゃまぁ、されたことくらいはあるけど、他の人がどれくらい告られてるか分からないから比べようがないわね」
「へーやっぱすごいなぁ。ちなみに告白したことは?」
「……ある、けど」
目を背け、前髪をくるくるといじる冬優子ちゃんの横で、僕は開いた口が塞がらなかった。15年ほど付き合ってるが、彼女から誰かに矢印を向けているところを見たことがなかった。
「そうなんだ! 僕の知ってる人……って聞くのは流石に失礼だね。ちょっと参考までにさ、何て告白したかを聞いてみたいんだけど、どうかな?」
とは言ったものの半分は興味本位だ。恐る恐ると言った調子で冬優子ちゃんの調子を伺うと、「あー」とか「うー」とか呻きながら視線をあちこちに移動させていた。
当時のことを思い出しているのか、頬をわずかに紅潮させていて、それはまさしく恋する乙女と言って差し支えないものだった。
「気軽に言ってくれるけど、ふゆにも恥じらいってものがねー……」
「そうだよね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
会話が止まり閑かさが残る。
家の外からバイクが通りすぎる低い音が響く。手持ち無沙汰になり頭を軽く掻いたところで、冬優子ちゃんも全く同じ動作をしているのが見えた。彼女もそれに気が付いたようで、互いに目を見合わせて、二人して笑った。
なんてことない、たまたまシンクロしただけ。
でもきっと、こういうのの積み重ねが今の僕たちの関係を作っているんだろう。
「それにしても、なんで色んな人の告白断ってきたの」
「なんでかしらね。なーんかどれもいまいちピンとこなかったのよねー。はぁ、ふゆもそろそろ青春したいわー。あんたのお守りなんてしてないで」
「あはは、冬優子ちゃんならすぐできるよ。かわいいし優しいし、今まで色んな人に告白されてるくらい魅力的な人だもん。僕が保証するよ」
あんたの保証なんて役に立たないわよ。
そんな軽口が飛んでくるだろうと思っていた。そういうつもりで言葉を発した。
しかし返ってきたものは、まったく違うものだった。
ソファについた僕の手、その甲に何やら柔らかい感触を繰り返し感じた。
そちらに目を向けると、冬優子ちゃんに人差し指で軽く小突かれていた。
「ねぇ──」
そのまま、僕はゆっくり、ゆっくりと、彼女の顔の方へ視線を上げる。視線を上げるにつれ、喉が閉まっていくのが知覚できた。胸の底の、奥深くに沈み込んでいた何か、その存在感は主張され、僕はそれを無視した。
目の前に在るのは、抱えた膝に乗った、わずかに僕を見上げている端正な顔立ち。
その頬は赤く染まり、目もわずかに潤んでいる。先程恋する乙女と形容した表情、それよりも遥かに深く焦がれていた。
「──だったらふゆと付き合ってみる?」
優しく、切なく、言葉が彼女の口から零れ落ちた。
その瞳から目が離せない。締まった喉は息すら許さない。指の一本さえ感覚がない。
僕は、完全に動けなかった。
早鐘のように打つ心臓以外は。
「……あ、っと……」
情けない、言葉とも呼べないようなものが喉から転がり落ちた。
その瞳に僕を映し続けていた冬優子ちゃんはやがて足をソファから投げ出し、背もたれに体を預けた。見上げた顔からは、当然のように表情は読み取れない。
「……告白のセリフよ。昔、一度だけ言ったっていう」
「え? あっ、えっと……あ、なるほど!」
一瞬、いや数秒間、彼女が何を言っているのか分からなかった。しかし、少しだけ冷静になった僕のポンコツな頭は、やがて一つの記憶を最近のフォルダから引っ張り出した。
『ちょっと参考までにさ、何て告白したかを聞いてみたいんだけど、どうかな?』
誰でもない、僕自身が聞いたことだったじゃないか。
「どう、少しはドキドキした?」
「いや、なんというか、……はい、ドキドキしました」
「ふふ~そうでしょ」
赤みのさした冬優子ちゃんの頬がくいっと上がる。してやったり、とでも言いたげだ。僕は上気した顔を冷ますように頬を軽く叩いた。鼓動の早さに目を瞑れば、いつもの僕に戻っただろう。
「ドキドキしといてなんだけど、あんまり、その……告白っぽくなくない? まっすぐぶつけなさいって言った割にはなんか…」
「誰がどう聞いても告白でしょうが! 直接言うのは恥ずかしいけど精いっぱい思いを伝えたっていう、乙女のいじらしい告白場面でしょ! アニメとかでもよくあるでしょ!」
「あんまり恋愛が絡むアニメ見ないしなぁ」
照れ隠しでしかない僕の言葉に、握りこぶしを作り高々と語る冬優子ちゃん。どこか他人事に語るその熱量に押されつつも、普段からサブカルチャーにそこまで触れていない僕にはあまり分からないものだった。
好きな人が出来て若干ながら恋愛についても敏感になる前の自分だったら、それがそもそも告白であることにすら気が付かなさそうだな。
「……ほんとは、もうちょっとちゃんと言うつもりだったのよ。でも、あんたが……」
「え、僕?」
もしかして、ちゃんと告白しようとしてた冬優子ちゃんを僕が変にからかってしまった、とか? 正直そんな記憶がないけど、もしそうだとしたら本当に最悪なことをしたことになる。今の冬優子ちゃんの様子から考えると、その恋は実っていないようだし、謝っても謝り切れない。
でも、僕は気が付いてしまった。
心の奥の、底深くにいる、最悪の自分。
その恋が実ってないことで、どこか安心してしまっている自分もいることを。
長年の幼馴染が誰かのものになってしまうのが少し寂しいという、僕のみみっちい独占欲だろうか。
本当に、みみっちい。僕の恋愛相談を真摯に聞いてくれている冬優子ちゃんと比べたら、よっぽど矮小で下種で、哀れな人間だ。本当にいやになる。
「やっぱなんでもないわ。ともかく、ふゆがした告白はこれだけね。相手との関係値ないとただのヤバい奴になるし、参考にならなさそうで悪いわね」
「あ、いやいや! そういうパターンもあるんだって知れてよかったよ! すごい、こう、グッときたし!」
「……一応言っておくけど、例えふゆがあんたを好きだったとしても、好きな人がいて、あまつさえその相談を受けてる状況下で告白なんてしないからね」
「大丈夫! 分かってるよ!」
冬優子ちゃんはやれやれと呆れたような、でもどこか喜んでいるような笑顔を小さく見せた。
分かってる。
冬優子ちゃんは義理堅い。約束は必ず守るし、裏切らない。例え好きな人がいたとしても、その人の弱みに付け込んだりしないだろう。
冬優子ちゃんは優しい。卑劣な策略を張り巡らせて、自分だけが幸せになるような道は選ばないだろう。
でも、分からない。
なぜ、今の彼女の笑顔からは「無理している」と感じてしまうのか。
分からない。
僕は、僕の心臓は、なんでまだ早いのだろうか。
分からない。
分かれない。
「ちなみにさ、それって誰に言ったの?」
無意識だった。気が付いたら、言い終わっていた。
僕の質問を聞いて、冬優子ちゃんは眉をひそめて人差し指を顎に当てて少しだけ考えるような動作をした。
口を半開きにして、いかにも失敗しましたと考えているような僕の表情には気が付いていない様子だ。
やがて、彼女はその指を自分の唇に軽く押し当てた。
「秘密♡ 一回聞くの辞めたのにもう一回聞くなんて~男らしくないですよ~」
ふゆモード特有の甘い声。しかし言っていることは非常に痛いところをついていた。
「う、それもそうか…」
「気になるの~?」
「う、うん、まぁ」
なぜ気になるのか、分からない。
「……へぇ」
彼女は目を見開き、驚いたような感心したような表情を浮かべるも、それ以上は何も言わず、いつの間にか空になった2つのカップを持ち、流しへ向かった。カップがシンクに置かれる音の後、少し開いていることに気が付いたのか、彼女が水道をキュッと固く締めて、こちらへ戻ってきた。
「まぁ、今は自分のことに集中しなさい。ふゆの終わった恋なんて、成人してからのんびりお酒でも飲みながら話しましょう」
直後、冬優子ちゃんの母親が帰ってきた。
いつの間にか1時間以上も話していたみたいだ。結構な時間買い物に出ていた母親に対して冬優子ちゃんは恨めしそうな視線を向けていたのがやたらと印象に残っている。
そのままお昼ごはんを一緒に食べ、僕の持ってきた梨を食べ、3人で少しだけ昔の話をして、僕は帰った。
『ねぇ、だったらふゆと付き合ってみる?』
その言葉が、頭の中でリフレインしていた。
それがなぜかは、分からない。
幼馴染冬優子あるある
幼馴染に好きな人がいると分かったらボディタッチとかをしないようにするけど、今までの癖でついやってしまって自己嫌悪する。