「え、ため息ついてた?」
「ついてたわよー、バカみたいに大きいの」
無意識の行為に僕は思わず口に手を当て、それを見て今度は冬優子ちゃんが鬱陶しげに小さくため息をついたが、それは祭りで賑わう人々の雑踏の中へと消えていった。
「ご、ごめんね……」
「まぁ今回は許してあげるわ。傷心中のあんたを励ますために来てるんだしね。ただ、ため息つくならふゆにバレないようにしなさい」
「うん、分かった。そうするよ」
そう言いながら僕は手に持っていた綿菓子を冬優子ちゃんの方に差し出し、彼女はそれを適当に手でちぎり口に運んだ。市内のお祭りが開かれたエリアに到着してまだ10分ほどしか経っていないが、既に満喫していると言っていい程度には買い食いをしていた。
「それにしても、一緒にお祭りに来るのなんて何年ぶりかしらね。浴衣も、随分と久しぶりに着た気がするわ」
冬優子ちゃんが腕を少し開き自分の浴衣を改めて見回した。最後に一緒に来たのは多分小学校6年生の時であったので、さすがに着ている浴衣もその時のとは違うものだった。
「確かにお互い友達と行ったりしてたしねー」
僕は中学時代の友達に想いを馳せた。特に仲の良かった人たちは受験で地元から離れて行き、それに伴って疎遠になってしまっていた。みんな元気にしてるかな。
「いやあんた、他に言うことがあるでしょ」
「え、言うこと?」
腕を広げたままジト目を向ける冬優子ちゃんだったが、今の流れで特に言わないといけない話題が思い当たらず、僕は顎に手を当てて考え込む。
「……まぁいいわ。流石にフラれたばかりの男にそれを言わせるのは悪いわよね」
その言葉を聞いて、冬優子ちゃんが何を言わんとしているかがわかった。しかし、同時に言葉の槍が僕の胸に深く突き刺さった。
僕は先日、好きだった子に告白した。
そして、見事に玉砕した。
『ごめんね、その、いい人だとは思うんだけど、そういう目で見れないというか……。友達のままじゃだめ、かな?』
僕はその言葉に何とも返せず、約半年にわたる僕の恋はここで終了した。
あれから1週間経ち、沈みっぱなしだった僕を見かねた冬優子ちゃんがこうしてお祭りに誘ってくれたというわけだ。
そんなスーパーいい人幼馴染がこうして浴衣で着飾ってきてくれたわけで、そんなときに僕が掛けるべき言葉は一つしかないことは、よく考えると明白だった。
「うん、似合ってるよ、冬優子ちゃん。いつにも増してかわいいよ」
「っ! 別に、無理して言わなくていいのに」
「無理になんて言ってないよ。ほんとにそう思ってるって」
「……ありがと」
口を尖らせるいじらしい冬優子ちゃんであったが、直後訪れた沈黙に耐えかねてか僕の背中に軽く平手打ちをしてきた。
「だぁ! こういうのはふゆたちじゃなくて適当なカップルがやっとけばいいのよ! ほら、たこ焼き売ってるわよ! 次はあれ食べましょ!」
「そういえばあの子、たこ焼きが好きって言ってたなぁ……」
「だからそういう辛気臭いのはやめなさいって」
「うん、さすがに冗談だよ。行こっか」
僕と冬優子ちゃんは年齢も忘れ、無邪気に祭りを満喫した。射撃で無双する冬優子ちゃんや、金魚すくいで一匹も掬えずに凹む冬優子ちゃんなど、見ていて面白いものはいっぱいあったが、それはまたいつかの機会に。
それから、数時間後。
この祭りの目玉である花火の時間が目前に迫っていた。
僕たちは、それを見るために人気の少ない神社まで来ていた。
「ごめんね、昔花火見てたあそこが今はもう入れないなんて知らなくて……」
「ほとんど整備されてない場所だったし、仕方ないわね。なーんか時代を感じちゃうわー」
僕の予定では、小学生時代によく花火を見ていた秘密基地的な雑木林に行くつもりだった。あそこは花火会場からも近く、その割に人が全くいなかったので、花火を見るには最高の場所だった。しかし、それも昔の話のようだ。
現在は封鎖されており、冬優子ちゃんに教えてもらった別の穴場である神社に来ていた。
「足、大丈夫? 結構歩かせちゃったよね」
僕は神社の縁側のようなところに腰かける彼女の足に目を向ける。神社に到着したときに少し庇ったような歩き方をしていたので気になっていたのだが、やはり鼻緒の部分にこすれたような跡があった。
この神社は、当初行こうとしてた雑木林から多少離れており結構歩かせてしまった。彼女の足にダメージを与えてしまったと、僕は自身の計画性の無さと気遣いの出来なさに肩を落とした。
「あぁ、これ? まぁ確かに痛くないことはないけど、そんなのこの格好する時点で覚悟してたからヘーキよ、ヘーキ」
興味なさそうに手を軽く振ったのは、おそらく僕を落ち込ませないためだろう。しかし、そんな気遣いもまた、今の自分にはダメージとなってしまった。そして、そんな面倒な思考をしている自分が、また嫌になる。完全に負のスパイラルに入ってしまった。
「はぁ……、上手くいかないな。せっかく久しぶりに冬優子ちゃんとお祭りきたのに……」
「ため息厳禁」
萎んでいく僕の言葉を遮るように、冬優子ちゃんは肘で僕を小突いて注意した。
「それに、別に上手くいくもいかないもないでしょ。幼馴染とのお出かけなんて、そんな重苦しくとらえなくていいのよ。ていうか、誘ったのふゆだし」
冬優子ちゃんは、しゃくりと右手に持っていたりんご飴の最後の一口を食べる。買っていた食べ物はこれで無くなった。
この場に存在するのは、僕と、冬優子ちゃん。
そして、僕のどうしようもない劣等感だけ。
「なんかさ……」
「……うん」
「もう、ずっと、自信がなくて。告白が上手くいったら、少しは自信が持てるんじゃないかって。自分のこと、もっと好きになれるんじゃないかって、淡く期待してた節もあるんだ。結局フラれちゃったけど」
自分の根底にあった醜い感情の一つを吐露した。
こんなもの、人に言わないほうがいいということは自分でも分かっていた。彼女を好きになった気持ちは本当だったけど、そんな打算めいた思惑が自分の中にあったと自覚したとき、僕はどうしようもなく自分が嫌いになった。
人を好きになろうとして、ほんとは自分を好きになろうとしていた。それを知って、僕は自分が、もっと嫌いになった。
パキッ
何かが折れる音が隣から聞こえ、渦巻く負の感情から少し気が逸れた。
それは、冬優子ちゃんがりんご飴が刺さっていた割りばしを折った音だ。彼女の視線もそこに向いている。僕は、彼女の目の中にはいなかった。
「周りの存在を自信の拠り所にするのは、おすすめできないわね」
冬優子ちゃんにしては珍しい、感情の読み取れない平坦な口調だった。
重々しく、砕けた割りばしをゴミ袋にしまう。彼女のスマホがバイブするが、それを片手間で停止させる。そして、一拍置いて言葉を続けた。
「自信ってのは読んで字のごとく、自分を信じるってことなのよ。告白して自信をつけるんじゃなくて、告白を成功させるような努力をして自信をつけなさいって」
ぐぅの音も出なかった。
自分の中に強い芯を持っており、完成された理想像である『ふゆ』を貫き続ける彼女から出たその言葉には、到底高校生が出せるものとは思えない重みが存在していた。
そして、その重みに、僕は圧し潰されそうになった。
項垂れた僕は膝に腕を乗せ、地面に向かって言葉を吐き出す。
「そうだよね……。その通りだ。やっぱ冬優子ちゃんはすごいね」
「……すごいのは、あんたよ」
思いもよらぬ返しに彼女の方を振り向くと、そこには澄んだ琥珀色の瞳が、貫くようにこちらに向けられていた。
潤んだ瞳は辺りの少ない光を受け入れ、乱反射している。
その美しさに、僕は思わず息を飲んだ。
「あんたがいてくれたから、ふゆは頑張れてるの。あんたのおかげで、ふゆはふゆでいられるの」
「僕の、おかげ……?」
「あんたってば、ほんっとに何も覚えてないのね……」
話が掴めず混乱する僕に、呆れるように息を漏らす冬優子ちゃんだった。
しかし次の瞬間、優しく、どこか憂いに帯びた表情で笑っていた。
「あんたよ」
「な、なにが?」
「ふゆが告白した、唯一の人」
「え?」
何を、言っているのだろうか。
聞き間違え、ではなさそうだ。言葉ははっきりと聞き取れた。となると、おかしいのは僕の頭なのか。
だって、そんなはずない。冬優子ちゃんが、僕に告白していた……?
「ふゆはさっき自信の拠り所がどうとか言ったけど、せめてあんたがそう思えるきっかけくらいはくれてやるわ」
未だ混乱を続け、声すら出せなくなっている僕。
確かな声で、力強く、僕に向かって言葉を投げかける冬優子ちゃん。
まもなく花火が上がるのだろうか、遠くから賑やかな声や祭囃子が微かに聞こえてくる。日はとっくの昔に落ちており、昼間は煩わしいセミの鳴き声も、今は鳴りを潜めている。
この場には、
「ふゆが、あんたにどれだけ助けられたか知らないでしょ? クラスの女子に陰湿なちょっかい掛けられた時、あんたにどれだけ励まされたか。私の夢がちょっとしたことで潰えたとき、あんたにどれだけ支えられたか」
冬優子ちゃんは浴衣の胸元を強く握りしめる。奇しくも同時に、僕は自分のズボンを握り締めていた。呼吸のタイミングさえも重なり、僕らの境界は曖昧になっていく。
震える言葉と共に脳内に流れ込むのは、彼女との思い出。
冬優子ちゃんにとっては、苦しいはずの思い出だった。
忘れるわけがない。
あんなに憔悴した冬優子ちゃんを、もう二度と見たくない、もう二度とそんな目に会わせないと、僕は固く誓ったから。
「最初、あんたが恋愛相談を持ち掛けてきたとき、ふゆは嫉妬したわ。でも、次第にそんな気持ちはなくなっていった。好きな人のことを考えぬいて、一生懸命になれるあんたを、やっぱりすごいと思った。そんなあんたを、いや、そんなあんただからかっこいいって思った」
止まらない。
僕だけじゃない。同期する二人の間を、走馬灯のように十数年分の思い出が交差する。
「少なくとも、自分の感情なんてどうでもよくて、あんたがあんたの好きな人と結ばれるために本気で応援できるくらいに、あの時のあんたは輝いてたわ」
僕が、輝いてた?
僕が、かっこよかった?
冬優子ちゃんの言葉に遅れて、顔が熱くなる。
顔だけじゃない。体も、心も、眩むほどに熱い。
熱が、僕の心の中にある ”僕” を溶かしていった。
「自信持ちなさい。あんたはすごいやつよ」
冬優子ちゃんはこちらに身を乗り出して、僕のすぐ傍に手をついた。
夏に溶けた冬優子ちゃんの香りが、僕の鼻をくすぐった。わずかに重なった指先に感じる熱は、果たしてどちらのものだろう。
「なによりあんたは、あんたがすごいって思ってるふゆが惚れてた男なのよ。あんたが自信持たなかったら、ふゆまで恥かくんだから。しょうもない男に惚れた女にしないでほしいわ」
「ふ、ふゆこ、ちゃん……」
やっとの思いで出した声は、弱弱しくかすれており、彼女の耳に届いたかさえ怪しい。
「何も言わなくていいわ」
冬優子ちゃんは僕の声に反応してか、僕の左胸に軽く手を置いた。触れているのか触れていないのかさえ、見ていなければ感じ取れないほど優しく、だが、その存在は何よりも強かった。
しかし、まっすぐと僕に向けられた瞳には、果たして僕が映っているのだろうか。そう思わせるほど、彼女は儚く、弱弱しく、遠くを見ていた。
「昔のことよ。別にフラれて傷ついてるあんたを横から掻っ攫おうなんて思ってないわ」
触れあっていた冬優子ちゃんの指が離れていく。接点が徐々に小さくなり、やがて0になる。
「……っ」
息を漏らす。精いっぱいの、僕の感情。
花火開始のアナウンスが、僕たちの耳に届く。
「もうすぐね」
花火のことだろう。彼女は花火が上がる方角へと顔を向ける。
明かりの乏しいこの神社では、彼女の横顔からは何も読み取れない。
「こういうのってさ、花火が上がるのと同時に言って、聞こえなかったことにするのが定番よね」
遠くで重い破裂音が鳴り、何かが打ち上げられる。
「でも、ふゆの言葉は消させない。ごまかしたりなんてしない。なかったことになんてしない」
空気を斬る音が響き、天高くにそれが届く。
「だから、あんたも忘れないで」
花火が、宙に咲く。
音が、空に轟く。
照らされた君の儚い笑顔を、僕は忘れられるわけがなかった。
次回、黛冬優子編最終回