「うわっ! す、すみません!」
放課後、公園のブランコに揺られながら考え事をしていた僕は、背後から唐突にかけられた声に思わず肩を跳ね上げて後ろを振り向いた。既に夕方を告げるチャイムが鳴った後だとか、隣のブランコはまだ空いているだとか、そう言ったことには一切頭が回っていなかった。
瞬間、頭に軽い衝撃が走った。
「冗談よ」
「ふ、冬優子ちゃん……」
10年来の幼馴染である冬優子ちゃんが僕の頭にチョップしたまま、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
念のため周囲を見回すが、ブランコを譲ってほしそうにしている子供もその親も、もちろんどこにもいない。それどころか、人っ子一人いなかった。「隣、失礼するわね」と言い、僕の隣のブランコに腰かけ、ゆらゆらと軽く漕ぎ始めた。
「びっくりさせないでよ。てっきり知らない人に怒られるかと思ったよ」
「あんたの背中を見るとどうも驚かせたくなっちゃうのよねー。悪いかしら?」
「いや、悪いんじゃないかな……」
僕の抗議の視線を無視するかのように、冬優子ちゃんは足を大きく振って漕ぐ力を強めた。冬優子ちゃんの長い脚では漕ぎにくいようで、不自然に脚を折り折り畳んだりしていた。ブランコは子供用なので当然と言えば当然だ。
僕たちも、すっかり成長してしまった。そう強く実感した。
ある程度の高さまで到達した彼女は、無言に耐えかねてか、はたまた喋らない僕に気を遣ってか、漕ぎながら、風邪を斬る音に負けないように大きめの声で僕に言葉を投げかけてきた。
「今度は何考え込んでんのー? また好きな人が出来た? あんたも浮気者ねー」
その発言にぎくりと体を硬直させた。
彼女がここにきてから考え込んでいる仕草は見せてはいないつもりだったが、見破られていたようだ。十数年の付き合いのなせる業かなと思ったけど、男子高校生が夕方の公園で一人ブランコに乗っていたらそう取られてもおかしくはないか。
「……考えてたんだ。冬優子ちゃんのこと」
「……ふーん?」
漕ぐ足を止め、徐々に減速していくブランコ。鎖がたわみ、金具が軋む不健康な音が響く。
「あれからずっと、考えてた。僕にとって、冬優子ちゃんはどんな存在なんだろうって」
昔告白をしていた、という告白を受けた時、嬉しさよりも先に驚きが来た。その後、胸がバクバクと高鳴った。彼女のことを意識するようになった気もするし、変わらない気もする。もしもこれが冬優子ちゃん以外の誰かから言われたことだとしたら、ただの思い出になって終わっていただろう。
しかし、心の中に蠢く何かがそうはさせなかった。これが、「誰でもない誰か」と「黛冬優子」の違いだ。だから、あれから今日までの1か月、僕はその正体について考えていた。
ほどよくブランコの振り子の幅が短くなったタイミングで、冬優子ちゃんはローファーを地面に刺すように滑らせて、その動きを完全に止めた。舞い上がる土煙は夕陽に照らされながら、ゆっくりと漂い、次第に地表に落ちてゆく。
「大層な言いぶりね。それで、結論は出たの?」
チェーンを掴みながら体を倒し覗き込むように僕に顔を向ける。軽い調子で聞いてきたが、その顔はわずかに強張っていた。
「うん、出たよ。今ちょうど」
いや、違う。
もっと昔から、ずっと前から、僕の中に答えはあった。
気づかなかったのか、気づかないふりをしていたのか、それとも、それが何か分からなかったのか。僕には、今の僕には確かめようのないことだ。
「あら、そんないいタイミングでふゆは登場したのね」
「うん。というか、冬優子ちゃんの顔を見て、声を聴いて、分かったって感じかな」
「顔なら、
「でも、ちゃんと喋ったのは久しぶりだよ」
「そうだったかしら?」
「そうだよ」
互いに避けていた訳では無い、と思う。僕が恋愛相談を持ちかける直前は、むしろこれくらいの距離感だった気さえする。
そして、久しぶりの邂逅。10年以上隣で見続けていた顔を、聞き続けていた声を、真正面から受け止めた。その瞬間、この1ヶ月の僕はなんて簡単なことに悩み続けていたんだろう、なんで分からなかったんだろうと、そう思えた。
そうして見つけた答えは、きっと言うことに意味なんてない。冬優子ちゃんも返事は望んでいない。
それでも──。
「小さい時からずっと一緒だったよね」
「あんたが隣に越してきたのが5歳んときだっけ? もう12、3年になるのね」
「もうそんなになるんだね。そりゃいつの頃を思い出しても冬優子ちゃんがいるわけだ」
僕のアルバムは、同時に冬優子ちゃんのアルバムとも言えるくらいには一緒に写っているものばかりだ。僕の母が冬優子ちゃんに「そんなによく来るんならうちのカギ渡しておくわよ~」と言い出すくらいには、深い関係だった(冬優子ちゃんは小さい頃からまじめだったので流石に受け取らなかった)。
「悪かったわね、あんたの思い出に居座ってて」
「悪くなんてないよ。けど、それが当たり前になりすぎてて、冬優子ちゃんに対するこの気持ちがなんなのか、考えたことも無かったんだ」
冬優子ちゃんとは、一緒にいるだけで楽しかった。離れていても、僕は常に彼女のことを考えていたのかもしれない。一人で買い物に行ったときに、「これ冬優子ちゃん好きそうだなー」とか「今度会った時これのこと教えてあげよー」とかは頻繁に頭によぎっていた。
今までは気にも留めなかった感情。もし気に留めていたとしても、当時はそれが分からなかったかもしれない。
けど、恋をして、恋だと分かって、恋が終わって、気が付いた。
「僕も、冬優子ちゃんが好き
そして、きっと今も──
「そう……」
陽が沈む音が聞こえそうなほど、辺りはぴたりと静かになった。生温い秋風が肌を撫でつけ、不快感が体の芯を巡った。
これは自己満足だ。
彼女が僕にかつての思いをぶつけてくれたのには、僕を励まし自信をつけさせるためという理由があった。しかし、僕の告白には、彼女にとって何の意味も持たない。
そんなことは分かってる。けれど、言いたかった。前に進みたかった。この気持ちを僕1人が持ったまま老いていけるほど、きっと僕は強くないから。
そして、僕は今でも、以前告白したあの子のことが好きでもある。僕が告白してから時間も経ってもいない。そんな状況で、僕は冬優子ちゃんに全てを告げることはできなかった。
僕は、最低の男だ。
僕のエゴに彼女を巻き込んで、そのまま轢き殺してしまうのではと不安でいっぱいになる。先ほどまで普通に見れていた彼女の顔に、急に
「気に病む必要はないわ。あんたが忘れちゃうような、気が付かないようなへっぽこな告白しか出来なかった私に問題があるだけ」
「そんな、違うよ。僕が、僕が自分の気持ちにもっと目を向けてたら……」
気づいてないだけでなく覚えてすらいない。僕が言うのは本当の本当におこがましいが、10年一緒にいた幼馴染に告白をして、それが相手の記憶にすら残っていないというのは、一体どれだけの苦しみを彼女に与えてしまったのだろうか。
そして、このことを悔いていること自体が彼女を傷つける。悩めば悩むほど、彼女にとってはそれが茨のごとく締め付ける。
自分の愚かさ、弱さ、幼さ。そういったものを握る潰すかのように、僕は拳に力を込めていた。
「もう、遅いわよ……」
「……ごめん」
「……お互い様ね」
彼女は大きく息を吐いた。
空の色が橙から藍に変わっていく。先ほどよりも冷えた風が砂と彼女の髪を巻き上げる。夕焼けが薄れた現在、彼女の頬に赤みなどなく、ただ透き通るような肌色があるだけだった。
「あんたが、さ。もしまだ……」
「ん?」
「いや、何でもないわ」
止まっていたブランコから勢いよく降りて、僕の正面にあった手すりのような囲いに腰かける。
「ちゃーんと言えるようになったじゃない。好きだって。前は
「うん、言えた」
言われてみれば、確かにそうだ。思い人に告白した時は緊張のあまり噛みすぎて、ちゃんと伝えるのに5分はかかった程だ。
でも、言えた。すんなりと、自然に、言葉に出来た。
「ふゆが、相手だから?」
「……分かんない。この前、一世一代の告白をしたからかも」
「そう。失恋が成長させた、ってやつかしらね」
失恋が成長、か。
よく聞くフレーズではあるが、実に勝手な言葉だと思う。
勝手に好きになって、相手に「人を振る」という重荷を押し付けた挙句、その行為を正当化する。相手からしたら勝手に踏み台にされたも同然だ。
そして、僕がそう思っていることを分かっていながら冬優子ちゃんはそのフレーズを選んだのだろう。いつもの、信頼が根底にある冗談だ。ほんとにいい性格してるよ。そういうところが好きだし、好きだった。
「もしそうなら、相手に申し訳ないね」
冗談めいた口調で、僕は言った。一瞬目を見開いた冬優子ちゃんだったが、すぐに揶揄うような軽い笑みを浮かべた。
「あら、言うようになったじゃない」
「冬優子ちゃんのおかげだよ」
そう言いながら改めて正面にいる冬優子ちゃんを見据える。まもなく地平線に沈む夕日をその背に隠し顔が陰になっている彼女だが、けれども表情は晴れやかなものだった。
その表情に、僕は少しだけ救われた。
失恋が強くするというのが勝手な言葉だとするならば、振ったことさえ覚えていない少女の笑顔に安心している僕は、一体なんと形容すればいいのだろうか。
冬優子ちゃんへの思いも、告白してフラれたあの子に対する思いも、違った種類の好きを持ち続けてハッキリ出来ない自分は、一体なんと形容すればよいのだろうか。
彼女の影の中で、僕は自分を嘲笑う。
「前話したこと、覚えてる?」
「前って、どのこと?」
不意に変わった話題に驚きつつも心当たりを探すが、曖昧な検索条件では引っかかるものも引っかからない。またしても何かを忘れているのかと、僕は少し冷汗をかいた。
「二十歳になったら、お酒でも飲みながら恋バナしましょうってやつよ」
「それのことね。もちろん覚えてるよ」
覚えてる。
彼女に好きな人がいて、告白もしていて、フラれていたという話を、その時初めて聞いた。気がつけば、あれから季節はもう二度も変わった。
でも、僕はもうその相手が僕だったというのも知ってしまっているわけで、今更何を言おうとしているのか、僕にはよく分からなかった。
「そん時になったら、言いたいことがあるわ」
「……今じゃ──」
──今じゃダメなの?
その言葉を、僕は飲み込んだ。
だって彼女の、冬優子ちゃんの目は高校生になって初めて、
「今はダメ。今は、ダメなの」
いつの間にか彼女の手は拳を作っていた。俯いた視線の先には、ただ何もない地面が広がっているだけ。だが突然ぐいっと突然顔を上げた。その目はじっと僕を捉えて離さない。透き通るガラス玉のような瞳は、力強さと裏に哀しさを内包してるように見えた。
「あんたは、今までの殻を脱ぎ捨てて、前に進もうとしてる。いつまでも私の後ろで丸くなってたあんたじゃなくなった。でも、私は違う。私には出来ない。私には、まだ、できないの……」
「……冬優子ちゃん」
それは違うと、僕は言いたかった。けれど、彼女が一睨みを利かせてそれを阻止した。
「だから、これはケジメ。20歳までに、私は、私の生き方を決める。あんたに顔向けできる人間になる。だから、その時になったら、もう一度だけ言わせてほしい」
何を、とは聞かなかった。
「……うん、ありがとう」
僕も同じだ。
冬優子ちゃんと並んで歩いても恥ずかしくない男になりたい。彼女のように、強さと優しさを兼ね備えた人になりたい。そして、彼女が弱ったときに、真に助けてあげられる人になりたい。
この思いに嘘はない。
だが、僕たちの関係に時間が必要なのも事実だ。互いが互いに抱える後ろめたさを、溶かす時間が。
「だから、さ」
冬優子ちゃんがボソッと声をこぼした。さっきまでの力強さが嘘のように、小さな声だ。彼女は腕を組んだり頭を抱えたりと忙しそうに体を動かした。
しばらくそれが続き、やがて決心したかのように僕に向かって小さく手招きした。
不思議に思いつつブランコから立ち上がり、正面の冬優子ちゃんに向けてゆっくりを歩み始めた。
「それまで、せいぜいその辺の女でも侍らせてなさい」
「うわっ!」
あと1歩で冬優子ちゃんの真ん前に到着するというとき、彼女はそう言って僕の制服のネクタイをグイっと力強く引っ張った。あまりの突然さに、僕は思わず目を閉じてしまった。
直後、柔らかい感触が、頬に触れた。
ゆっくりと目を開けると、すぐ目の前にはこちらをじっと見つめ、自分の唇を手の甲で軽く抑えている冬優子ちゃんがいた。
僕のほうまで熱が伝わってくるくらいに顔が真っ赤なのは、きっと夕陽のせいではないと思う。
いや、熱が伝わってきていたわけではない。僕自身が火照っていた。僕が何をされたのか、分かってしまったから。
高鳴る動悸が体を地面に縫い付けてるような感覚に陥った。硬直している僕は、ひと際熱を持った頬を触れることさえできなかった。
口をパクパクさせる僕に代わって、彼女の人差し指が僕の頬に触れた。そのまま3度、その指は優しく僕を打った。
「よ、や、く」
その甘い声は、彼女の指に打たれて僕にゆっくりと溶けていった。
僕が我に返った頃には、冬優子ちゃんは既に立ち去っていた。
それから、1年と数カ月後。
黛冬優子は、アイドルになる。
冬優子編、いったん終わりです。
色んなシチュエーションを考えた中で、既に終わった恋に感情が振り回される冬優子ちゃんが一番筆が乗ったのでこの形にしました。誰のせいでもないモヤモヤを抱えた幼馴染2人の青春もそれはそれでリアルかなって思います
コメントや評価も本当にありがとうございます。結構人を選ぶかもと思った冬優子編に対して肯定的だったので嬉しかったです。
次は誰にするか迷ったんですが、今回あまり恋愛成分を補充できなかったので、今まで書いた3人のアフターないしパラレルをちょっと書こうと思います。いちゃこらしてもらうぜ。
次回もよろしくお願いします。