クラスでの用事も終了し、カバンを手に取って教室から出たところで透に話しかけられた。
「ん? あぁ、会長のことか。ちょっと文化祭関係のことでな」
俺は文化祭実行委員として、クラスメイトである生徒会長に時間を取ってもらって去年までの事例とか規約とかを色々確認したり相談に乗ってもらっていたのだ。
ふーん、とあまり興味なさそうに、床に置いていたカバンを拾い上げる透。
「いいね」
「いいねって、何がだ?」
「なんていうんだろう。マドンナーって感じ」
「言われてみれば、確かにそうかも」
マドンナなんて言葉、久しぶりに聞いた気がする。
おしとやかな頭もよくてきれいな黒髪ロングが似合っている生徒会長は、一昔前ならばそう称されていてもおかしくはなかっただろう。今の時代は……、何て言うのが正解なんだろう。
「私も目指そうかな、マドンナ」
「透が? ──無理なんじゃないかな」
透にマドンナと言う表現はなんとなく似合わないと思った。確かにこいつも、うーん、そう言うのは照れ臭いが、”綺麗”ではあるんだけど、オーラがありすぎて近づきがたいからな。
実際今も、放課後と言うこともあり廊下には生徒がちらほらいたが、こいつの周囲にだけぽっかり穴が空いてるかのよう近寄られない。嫌われていないことは、周りの熱を持った視線を見ればわかる。
「えー、なにそれ」
そんな視線を知ってか知らずか、透はかすかに笑いながら軽い返事をした。俺が眉をひそめ困惑した表情を作ると、透はそのまま言葉を続けた。
「なんかさ、君なら目指せるよとか、お前はもう俺のマドンナだよとか、そういうのないの?」
マドンナって目指してなるようなものなのか?
「俺がそんなこと言い出したら透は絶対引くじゃん」
「どうだろう。んー、引くかも」
引くんかい。
まぁ前者ならともかく、後者を本気で言ってるやつがいたら痛すぎるし、さすがに俺でも引く。自分が言うとしたらなおさらだ。
話はひと段落したが、透は依然俺のほうにただ目を向けている。あれ、教室の前にいたから、てっきり俺に何か用事でもあったのかと思ったけど、この反応からするに違うようだな。
「もしかして円香に用か?」
透がうちのクラスに来る理由の9割は円香だ。最近は俺への用事も増えた気がするけど、依然として透、円香、雛菜ちゃん(なぜかなめられてる)、小糸ちゃん(なぜか怖がられてる)の4人組の関係性には遠く及ばない。
「樋口? あー、うん、そうそう。樋口いるかなーって」
一瞬目が泳いだ気もするし随分と適当な返事だが、透が何を考えているかを考えることは無謀だしあまり意味もないことなのは、この10年で嫌と言うほど体感した。
「円香も委員会だぞ。メールとか来てるんじゃないか?」
「わかんない、充電なくて」
確かに教室の入り口で待っていた時も、スマホとかをいじらずにボーっとしてたな。俺がひとりでに納得しながら歩き始めると、透も一緒に歩きだした。
「あ、私も帰る。樋口いないし」
「すまん、俺も委員会なんだ。そろそろ行かないと円香に殺されちゃう」
「あれ、同じ委員会なんだ」
「これ三回は言ってるぞ。寄り道しないでまっすぐ帰れよ」
「だいじょーぶ。それ、お母さんにも言われたから」
「大丈夫じゃないから言われてるんじゃない?」
軽口をたたきながら委員会が行われる場所へ向かうも、なぜか透もついてくる。教室までは一緒に来るらしい。
「でもそっか。二人ともこれから忙しくなる感じか。マドンナ残念」
「ついにマドンナを自称し始めたか。初めて見たわ、そんな奴」
なんなら一人称をマドンナにしてる人も初めて見た。俺がマドンナって言わなかったことを意外と気にしてたのか? まさかな。
「じゃあさ、他称してよ」
「他称って──」
透は最近、こうやって俺をよくからかう。
真面目に取り合うとすごく照れてしまうのは自分でもわかっていた。だから、毎回うまいことを言ってやりすごしているのだが、今回はいい返しが思いつかない。おふざけだと分かっていてもマドンナという言葉は恥ずかしすぎる。今風で、それでいて恥ずかしくなくて、冗談っぽくも取れるいい表現はないだろうか……。
もう目的地に着いてしまったので何かしら返事はしないと。足りない語彙とわずかなラブコメの知識を総動員して、俺はそれっぽい返事をひねり出した。
「じゃあまた明日な、俺のフィアンセ」
なんとなくマドンナみたいなニュアンスで使ったけど、フィアンセの意味合ってたっけ。やっぱり読書とかしないと、こういうときにウィットに富んだ返しができなくて辛いな。
雛菜ちゃんにからかわれた時は「うるせー」とか「ほっとけ」とか適当に言っておけば万事解決なのに。透は無自覚っぽいから強気であしらいにくいんだよな。
「……やばい」
そんな呑気なことを考えていると、ぼそっと透が言葉をこぼした。声のするほうへ目を向けると、さっきまで俺の隣にいたはずの透はいつの間にか俺の後ろにいた。耳を真っ赤にして下を向いていた。
「え?」
想定していなかった反応を前に俺は少し固まってしまった。もしかして怒ってる? しまった、フィアンセって蔑称か何かだったのか。
「それ、だめだから。私以外に言うの」
「え、なんで?」
「なんでも」
透がうつむいたまま俺の背中にぐりぐりと頭を押し付ける。
「ちょ……」
大人っぽい透のそうした子供みたいな行動にただただ驚いた。
そして、その反応から純粋な怒りでないことは分かったが、似合わぬ行動をさせるほどの何かをしたことは事実なので、ここは素直に謝ったほうがいいのだろうとも思った。
「ごめん。意味分かってないで言っちゃった。本気にしないで」
「うん、そうかなって思ってた」
怒っていないことにひとまず胸をなでおろしたが、ぐりぐりは続く。安堵が通りすぎると、今度は透の子供じみた行動が、なんだかだんだんかわいらしく見えてきてしまった。このままいつまでもやられていると精神衛生上よくない気がしたので、俺はくるっと体を回転させて透を振り払った。
突然支えを失った透は、おっとっと、っと言いながらよたよたと数歩進み、やがてこちらへ振り返った。
「でも、ありがと」
月のような笑顔に、思わず顔が熱くなるのがわかった。俺の耳も赤くなっているに違いない。先ほどの透の紅潮とは違う意味だろうが、別にそれでもいいと思えた。
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