ありがとうございます!!
今回は前話の樋口円香視点です。樋口の内面を読みたくない方は飛ばしてください(今後読み進めるに当たって支障はないです)
「ねぇ、ゴミ」
「え……?」
私が彼の髪に小さなほこりがついていることを指摘する。
今日の6限目は体育だったので、その着替えの時についたのだろう。いつもなら放っておいたかもしれないが、一緒に下校している人物が頭にゴミを乗せたままのアホなのは少し嫌だったので指摘をした。
いつものつまらない小ボケでも返ってくるかと思ったが、私の予想に反して彼は眉を八の字にして抗議の目線を向けてきた。
「ついにそんな直接的な暴言を吐くなんて! 今の僕は珍しくほんとに何もしてないよ!」
「え?」
暴言? この人は一体何を言っているの?
むしろ親切な行いをした直後に咎められてる私のほうが抗議をしたいんだけど。
と思ったが、確かに言葉が少し足りなかったかもしれない。彼のしょうもない勘違いを正すのは少し面倒だが、このテンションのままいられるのはもっと面倒だ。
「違くて。ゴミ、ついてる」
「あ、ゴミって本当のゴミのことね。なんだ、びっくりさせないでよー」
別に、びっくりさせようとなんてしてない。勝手に勘違いしただけでしょ。
「……ていうか、私がそんなこと言うように思う?」
どうでもいいけど、と心の中で付け加える
普段の私はそこまで攻撃的な言葉は言っていないつもりだ。礼儀正しいとは思うし、他人とも最低限のコミュニケーションはとっている。
しかし、よくよく考えたら彼と話してる時はどうも毒を吐いてる気がする。ひとえに、彼が馬鹿でドジなせいだと、私は即座に結論付ける。
「本気では言わないと思うなー。樋口、意外と優しいし」
「ふっ、何それ」
彼は馬鹿でドジだが正直だ。嘘をついているところなんて、10年以上の付き合いの中で一度も見たことがない。つまり、これは本心だろう。
意外と優しいとか持ち上げてくれているが、”本気では言わない” という部分に引っ張られて素直に喜べない。つまり、言いはすると思われているということ。
……そもそも彼に何を言われようが喜ぶことはないけど。
「どのへん?」
「何が?」
「だから、ゴミ。どの辺についてる?」
あぁ、その話に戻ったの。彼にとっては人を褒めることなんて日常茶飯事に過ぎないから、そうやって何事もなかったかのように切り替えられる。いつものこと。
そう、いつものこと。
「耳の上の……、一帯」
「いや、絶対伝えるの諦めたでしょ! 耳の上全域についてたらさすがにほかの人も教えてくれるって!」
文句を言いながら左耳の上あたりを手でわしゃわしゃと払う。しかし微妙に場所が外れているため、ほこりは見事に微動だにしない。
「違う。もっと後ろのほう」
「この辺?」
「行き過ぎ。あともう少し上」
「えー、難しい。どうせなら卵くらいのデカいゴミなら取りやすかったのに」
「つくわけないでしょ、そんな大きなの」
しっかりめに付着してると思ったのだろう。先ほどまでと違って摘まんで取る戦法に変えたようだ。しかし見事外している。正直、見ていてじれったい。頼まれたら手伝おうとは思っていたが、いっこうにお願いされる気配もない。これもいつものこと。
彼は人を頼らない。醤油を取るくらいの小さなことから、到底一人で持ち運べないような大きなものを持つことまで、彼はなんでも一人でやろうとする。
それが少しだけ不快だった。
私なんかじゃ彼を助けることができないと言外に示されている気がして。
私は小さくため息を吐いた。
「貸して」
頭の横でさまよっていた彼の手を右手で掴んだ。そのまま彼の手を目的地まで場所まで案内し、彼の人差し指と親指を私のそれらで挟んでゴミを取った。
「はい。これで終わり」
最初からこうしていればよかった。そうすれば彼の程度の低い誉め言葉も聞くことも、身勝手な嫌悪に陥ることも無かったのに。
彼は呆けたような表情で私を見てくる。
──今度は何?
「感謝の一つくらい言ったら?」
「え、あ、そうだね。ありがとう!」
私に言われて感謝を述べる彼は、どことなく歯切れが悪い。私が眉をひそめたのに気が付いたのか、彼は言葉を続けた。
「いや、樋口の手、温かいなと思ってさ」
彼はそう言いながら手をぐーぱーと開閉した。
それと連動するように私の右手も開閉する。彼の感触がそのまま私の手にも伝わっている。
そう、手を掴んだままだった。
というか、握りしめていた。
「──っ!」
私はとっさに手を振り払った。
「あぎゃっ‼」
その拍子に彼の手が彼自身の顔に直撃したが、そんなことはどうでもいい。
無意識だった。私はもしかしたらとても恥ずかしいことをしていたのではないか。
平均より低めで、私と変わらない程度の身長にも拘わらず、大きくてごつごつとしていた彼の手を、私はあろうことか優しく握りしめていた。
私はそのまま顔を彼から背け、袖で顔を隠した。
顔を彼に見られたくなかった。もしも紅潮でもしてるようなら勘違いされると思ったから。そして、その判断は正解だったと、自分の顔に触れてから思った。
心臓が高鳴っている。そのことに気が付いた自分にまたもや嫌気がさした。
「樋口はぶーぶー言いながら結局助けてくれるよね」
数回深く呼吸をし何事もなかったかのように彼のほうへ顔を向けると、あっけらかんとそんなことを言った。彼の表情も声も変わらない。
変わったのは、私だけ。
ほんと嫌になる。
「別に助けてない」
本心だ。あれは私が私のために勝手にやったことだ。
それに、いつも助けてるのは彼のほう。自分からは助けを求めないくせに、他人には大いにおせっかいを焼く。
重い荷物を持ってるときにひょっこり現れて持ってくれる。何か失くしたときは私よりも一生懸命探してくれる。今だって、さりげなく車道側を歩いてる。
多分、彼には助けてる自覚がない。そうしていろんな人を手助けしてる。たちが悪いことこの上ない。
彼のそういうところ、ほんと嫌い。
「樋口のそういうとこ、ほんと好きだな」
「──え?」
心臓が、大きな音を立てて跳ね上がった。
今までにないくらい目も見開いてるに違いない。
熱い。
体の芯から何かが湧き上がってくる気がする。
その熱にやられたのか、喉もやたらとカラカラに思えた。
スき? スキって、好き? 私のこと?
なんでこのタイミングで? なんでそういうこと言うの? ありえない。
先ほどまで掴んでいた彼の手の感触が無意識に思い出されて、自然と手に力が入った。しかし、そこにあるのは自分の手だけ。彼の温かみは、もう記憶以外には残っていない。
何か、何か返事をしないと。少しばかり動揺していることさえ悟られたくない。
でも、何て言えば……。
私は彼が嫌い。
今まさにそう考えていた。ありのままにそれを、ただ言えばいいだけ。
脳みそがぐるぐるとかき回されている私に追い打ちをかけるように彼は言葉を続ける。
勘弁して。
「なんというか、お母さんみたいでさ」
……は?
…………は?
「え、どうした樋口。ついに目力で人を殺す術を習得したの?」
「……ゴミ」
「えぇ⁈ 本気のトーンじゃん⁈ 待って、殺さないで!」
彼は私から数歩距離を取り、わたわたと慌てふためいている。そんな時、少し先の路地から見知った顔が出てきた。こちらには気が付いていないようだ。
「あ、小糸ちゃん! 助けて、樋口に殺される!」
「ぴぇ⁉」
彼も小糸に気が付いたようで、半泣きになりながら小糸のほうに駆けて行った。状況を一切把握していない小糸は、急に猛ダッシュしてくる彼にビビッてそのまま走ってどこかへ行ってしまった。
風の音が耳に届き、髪がたなびく。
こんなに風が強かったんだと、今更ながら気が付いた。
「期待した私、ほんとゴミ」
自分の口から無意識に出たその言葉を、私は聞かなかったことにした。
伝えなければ、言葉にしなければ、聞かなければ、思いは誰にも届かないと知っていたから。