てけてけかなたさん   作:南澤まひろ

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最終話「ららばい」

最終話「ららばい」

 

 それは、お父さんが言ってたとおりの穏やかな別れだった。

 

――――

 

 眠りに誘われるように、ゆっくり閉じゆく瞳。

 そして、命の全てを昇華し終えたような穏やかな笑み。

「ありがとう、あなた」

 握っていたはずのきさらの手が、するりと毛布へと落ちてゆく。

「幸せ……でした……」

 その言葉を最後に――

「きさら……?」

 彼女の、全ての時間が止まった。

 

 ――――

 

 淡々と書かれた一節が、逆に鮮明なイメージを思い浮かばせる。

 まるで、本当に私が別れの瞬間に立ち会っていたみたいに。

 

 *  *  *

 

 お父さんが書いたお話は、やっぱりお父さん自身とお母さんをモデルにしたものだった。

 ピアノを得意としていた男の子が、体の弱い幼なじみの女の子に元気になれるようにと願い、曲を作って聴かせてあげるというのが始まりの部分。成長した二人はそのうち想いあうようになって、駆け落ち同然で北日本から関東の地へと住まいを移す。

 知らない土地での、二人っきりの生活。豊かではないけれど、お互い支え合って自分たちなりの幸せな日々を過ごしていた。

 そして、女性は男性との子供を身ごもることになる。でも、体の弱さが災いしてだんだん衰弱していく。

 なんとかして連絡をつけた肉親からは「堕ろせ」とも言われたらしい。それでも女性は「産みたい」って強く願った。

 

〈生まれてくる子の命を、どうして奪おうとするんですか!?

 この子は、私ときょう君の子供です。私ときょう君は、この子に生まれてきてほしいんです!〉

 

 その願いは受け入れられた。ただし「諦め」という形で。

 ほとんどの人に見捨てられてしまった中で、男性やずっと応援し続けてくれてた男性の妹、そしてその娘に支えられて女性は出産に臨んだ。

 その願いは叶って、元気な女の赤ちゃんが産まれる。その赤ちゃんを抱き上げることが出来た女性は、まるでそれに満足したかのように床に伏せってしまい、男性はなんとか元気づけようと、女性と娘を贈る曲を書き上げて二人のもとへと届けることができた。だけど、その願いも虚しく……さっきのシーンへと続いてゆくことになる。

 

 床に伏せるまでのお話は、お父さんやゆきおばさん、ゆい姉さんに聞いていたことと符合していた。

 たぶん、本当にあったことを書いたんだと思う。淡々と書いてあるそれは直接的で、とっても重かった。

 私は、それだけみんなに支えられて産まれてきたんだ。

 

 話はまだ続いていく。

 残された男性は、寂しさとショックのあまり音楽の作り方を忘れてしまう。娘との多忙な日々の中であがこうとするけど、泥沼にはまっていく一方。普通の職に就いても音楽を書きたいという欲望だけは忘れられなくて、自己嫌悪に陥ってゆく。

 

 止まらない負の連鎖の中で、男性は保育園児になった娘にねだられて久しぶりに川沿いの堤へ散歩に出かける。季節ごとに景色が変わるそこは男性と女性のお気に入りで、物語の中盤にはこの場面がよく登場していたほど。女性が妊娠したと告白するシーンもこの場所だったけど、女性が亡くなってからは思い出す辛さから行けなくなっていた。

 堤には一キロあまりの桜並木が続いていて、夏場のこの季節には鮮やかな緑のトンネルになっていた。娘がはしゃいで走り回っているうちに男性とはぐれてしまい、慌てて探そうとして逆に深いトンネルの中へと迷い込んでしまう。

 

 その中でさまよっているうちに、男性は一人の女性と出会う。それは、もういないはずの自分の妻。一瞬混乱した男性だったけど、女性はおかまいなしに男性を連れて歩いて会話を始める。それは音楽とともに忘れていた二人の「想い出」。見ている途中で娘に起こされて「夢」だと判ったけれど、失っていたはずの記憶が再現されたことで、欠けていた男性の心がほんの少しだけ満たされてく。その日から、休みの日には堤に行くことが日課になった。

 

 緑のトンネルだった並木道が、秋には紅のトンネルに。

 紅のトンネルだった並木道が、冬には枯れ葉のじゅうたんに。

 枯れ葉のじゅうたんだった並木道が、春には桜色のトンネルへと変わっていって、男性の心のかけらも「記憶の夢」を見るうちに少しずつ埋まっていった。

 

 桜の見頃も終わろうとしていたある日、桜見物の人通りもすっかり無くなってしまった堤を歩いている男性と娘の前に、あの女性が現れる。自分の記憶の中には無い出来事に男性は混乱するけれど、娘が自分にそっくりな女性に懐くのを見て、今の時間をただいっしょに過ごそうと思う。

 女性と男性に手を繋いでもらいながら、楽しそうに歩く娘。叶うはずの無かったその光景を見て、男性は思わず胸を熱くする。やがて、いっしょに遊んでいるうちに疲れたのか、娘が女性の胸の中でうとうととし始める。そして、女性が子守唄――男性が最後に贈った唄を歌っているうちに眠ってしまい、ついに二人きりになった。

 

 やがて、男性の疑問の言葉に女性が口を開く。

 男性が忘れてしまったこの場所の想い出を護っていたということ。そして、二人のことをここで見守っていたということ。「心配かけないでくださいね」と拗ねる女性に、男性はただ泣き笑いをすることしか出来なかった。亡くなってもなお、自分のことをずっと想っていてくれたということ。そして、娘の成長した姿を見てくれたことが嬉しかったから。

 ただ「ありがとう」と繰り返す男性。それは、最期の時に女性が言ってくれたのに、自分が言えなかった言葉。それを伝えることで、ようやく男性の心の全ての欠片が揃った。

「私も、ありがとう」と返した女性は「きょう君の音楽が、空の上まで届くのを楽しみにしています」と言うと、娘の頭をそっと撫でなから男性にくちづけをし、舞い散る桜の中へと消え去っていった。

 

 帰り道、夕陽の光を浴びながら娘を負ぶって家へと帰る男性。やがて娘が目を覚ますと、女性と同じ唄を口ずさんであげる。寝ぼけまなこだった娘は喜びながらその曲のことを聞いて、男性は「お母さんとお前に作ってあげた曲だよ」と言い、少しずつ女性のことを話していく。再び心の中に湧き始めたメロディを、娘と空にいる女性のために書き上げていこうと思いながら。

 

 ――これが、お父さんが書き綴った物語。

 

 最後の一枚を読み終わって、表紙へと戻る。

『四季色の迷い路で』と書かれたタイトルを目にしてから、ふと見上げてみれば物語の中のような緑のトンネル。

「ふうっ」

 葉っぱの隙間から降り注ぐ光を浴びながら、私は小さく息をついた。

 この物語に込められていたのは、永遠の別れをしても忘れないものがあるという想い。

「ありがとう……か」

 男性が女性に告げたその言葉は、多分お父さんのお母さんへのメッセージ。それだけ、お父さんはお母さんのことをずっと想っていたってことなんだろう。

 とってもあたたかくて、純粋な想い。小説を読むのが苦手な私だけど、それをたくさん感じたくてずっと読み進めることが出来た。

「…………」

 向かい側の木に寄りかかっていたゆーちゃんも全部読み終わったみたいで、ぼーっと表紙を見ている。

「ゆーちゃん、読み終わった?」

「……えっ? う、うん。全部読んだよ」

 呼びかけてみると、我に返ったようにあわてて返事するゆーちゃん。それだけ、物語にはまりこんでいたのかもしれない。

「なんか、こう……お父さんのお母さんへの想いがいっぱい詰まってたね」

 実感を込めながら、私はコピー原稿を抱きしめた。

「うん。おじさんのかなたさんへの想いもそうだけど、お姉ちゃんへの想いも詰まっていたと思うよ」

「えっ?」

「なんていうのかな……主人公の男の人が夢から目を覚ますときって、いつも女の子が起こしていたでしょ? それに、最後のほうだといっしょに手をつないでて、それって夢と現実の架け橋みたいな感じだなって、そう感じたの」

「架け橋……?」

「多分、パソコンの中のかなたさんとおじさんの架け橋になったお姉ちゃんのことを書いたんじゃないかな」

「そっか……そうかもね」

 お父さんは、ちゃんと私への想いも書いていてくれたのかもしれない。そう思った瞬間、私の心の中があったかくなっていく。

「まったく、お父さんってばいっつも変なことしてるくせに、たまにこんなお話を書いちゃってさ」

 そんな憎まれ口を叩きたくなるほど、ほっぺたがゆるんで仕方ない。

「やっぱり、おじさんって小説家だったんだね」

「おやおや、ゆーちゃんまで意外そうデスネ?」

「ええっ?! そ、そういう意味で言ったんじゃないよー!」

 ゆーちゃんってば、すっかり慌てちゃってる。でもわかってるよ、いっつもマイペースなお父さんからいきなりこれを見せられれば、意外に思ってもしょうがないって。

「二人して、なにやってるんだ?」

「あらあら、なんだかにぎやかね」

 そんな風にゆーちゃんをいじってると、お散歩から戻ってきたお父さんとお母さんが声をかけてきた。

「あ、お父さんにお母さん。ゆーちゃんってばねー」

「わわっ! だめっ! だめだってばー!」

「こらっ、ゆーちゃんをからかったりしちゃだめでしょ?」

「むー、ちょっといぢってただけなんだけどなー」

「ほっ……」

 ケータイの中に入ってるとはいっても、やっぱりお母さんはお母さん。きっぱりとした声に、私はすぐに話題を打ち切った。

「で、読んでくれたかな?」

 そして、待ってましたとばかりにお父さんが聞いてくる。

「うん、全部読み終わったよ」

「私も、全部読み終わりました」

「そうか……で、どうだった?」

 どうだったかって聞かれても、言えることは一つしかない。

「お父さんってさ」

 たった一つの、純粋すぎる言葉。

「お母さんのこと、大好きなんだね」

「当たり前だろ。かなたは、今でもずっと俺の妻なんだからな」

 その純粋さが、お父さんが書いた物語に表れていて、

「うんっ。そのキモチが、物語の中にいっぱい詰まってた」

 そんな感想が、私の口から自然に出てきた。

「私も、そう思いました。かなたさんとお姉ちゃんへの想いが、たくさん込められてて」

「そうか……だったら、よかった」

 私とゆーちゃんの言葉に、ちょっと緊張していたお父さんの表情がほころんだ。

「たださ、どうしても身内びいきで見ちゃうってのもあるから、世間様がどう見るかはわからないよ」

「ああ、それはちゃんとわかってる。ある意味、これは家族に向けた手紙みたいなものだからな」

「手紙ですか?」

「うん。俺はかなたとこなた、ゆーちゃんにゆいちゃん、それにゆきに支えられて生きてきたからね。そのお礼として書きたいなって思ってたんだ」

 ゆーちゃんのつぶやきに、お父さんが優しく私たちに微笑む。

「あとで、ゆいちゃんにも見せてあげないとな。こないだ来たときに見たいって言ってたし」

「あの、お母さんに見せてもいいですよね?」

「ゆきにかい? なんか照れるなー。今まで面と向かって礼とか言ったことなかったから、なんて言われるかわからないし」

「だめよ。私たちへの手紙なら、ちゃんとゆきちゃんにも見せてあげないと」

「うーむ」

 ゆーちゃんとお母さんの言葉に、お父さんはまいったなーという感じで頭をかいた。

「……まあ、いっか。後で郵送でもしとくよ」

「お父さんってば照れ屋さんだねー。物語はこんなストレートなのに」

「ほっとけ!」

 おーおー、お父さんってば照れに照れちゃって。ケータイの中のお母さんも、ゆーちゃんも笑いたくて仕方ないって感じだね。

「それで、お母さんも読んだんでしょ? お母さんは、どう思った?」

「私? 私はね」

 そう言いながら、お母さんはお父さんのほうを見上げる。

「ずっと想ってくれているのも嬉しかったけど、ちゃんと前に向かって進んでいこうって気持ちが込められていたのが嬉しかったわ。想いだけに縛られることなく、ね」

「そっか……」

 お父さんと会うのを、とても嫌がっていたお母さん。会ってしまうことでお父さんがダメになってしまうんじゃないかって心配していたけど、やっぱり大丈夫だったでしょ?

「でも、まさかここを最後の舞台にするなんて思わなかった。確かに想い出の場所だけど、そう君にはこんなに大事な場所だったのね」

 そう。物語の中に出てきた"堤"は、今ここにいる権現堤のこと。

「引っ越してくるときに満開の桜並木を見て、かなたと歩いただろ。書くことに詰まったときにはかなたがよく誘ってくれたし、こなたとも保育園帰りによく歩いた」

 お父さんはぐるりと辺りを見回しながら、懐かしむように言った。

 緑のトンネルが、どこまでも続いていく並木道。そっと吹く風が木々のざわめきを起こして、私たちを包むようにあたりに響いていた。

「だから、いつかここを舞台に小説を書いてみたいなって思ってさ。それで、かなたとまた会えたときに、こう……ふっと頭の中で繋がってね。最後の舞台はここにしようって決めたんだ」

 小さなときから、よくお父さんと歩いた大好きな道。

 私がかがみやつかさ、みゆきさんと歩いように、お父さんもお母さんといっしょにここを歩いて、思い出をいっぱい作っていたんだ。

「それで、読むときにここへ行こうって誘ったわけ?」

「んー、それもあるけど」

 そう言ったお父さんの表情が、少しだけかげる。

「今日は、みんなといっしょにいたかったからな。俺とかなただけがここに来てたんじゃ、こなたとゆーちゃんに悪いだろ」

「あっ……」

 そっか……だから、お父さんは二人で散歩するんじゃなくて、みんなで来ようって言ったのか。

「まあ、脱稿祝いのささやかな外出ってところだ」

「そういえば、まだ担当さんにはコレ送ってないの?」

「んー……もうちょっと、落ち着いてからかな。まだ〆切に余裕があるし、もう少し手元に置いておきたい気分だから」

「うぉうっ、いつも〆切に追われてる極悪人とは思えないお言葉っ!」

「ふっふっふっ、これからは〆切を健全に守る書き手になってやる!」

 ちょっとしんみりした空気を吹き飛ばすように、二人してはしゃいでみる。

「そう言っておいて、次には輪転機が回らなくなるほど〆切を破ったりして」

「ああっ! かなたっ、そんな昔のことは言わんでくれ!」

「そ、それはさすがにあぶないんじゃないかなーって……」

「……お父さん、前科持ち?」

 お母さんにゆーちゃんも、いっしょにノッてきた。やっぱり、私たちにそーゆー空気は似合わないよね。

「そ、それはそれとしてだ! 今日はせっかくだし、どうだ? みんなでどこかに食事でも行くか?」

 慌てて自分を取り繕うお父さん。でも、

「あー、それなんだけど」

 今回は、そのお誘いには乗れない。

「今日は、ゆーちゃんといっしょに料理しようと思うんだ。お母さんから習ったお料理、いっぱい作って食べてもらいたいし」

「むむっ、そうか。それはそれで楽しみだな」

 おお、お父さんの目の色が変わった。やっぱり手料理には弱いですなー。

「お母さんも、食べてくれるよね?」

「ええ、もちろん。期待してるわよ」

「き、期待されてるとちょっとキンチョーしちゃうなぁ……ゆーちゃん、いっしょにがんばろーねっ」

「うんっ!」

 ちゃんと、お母さんの技を覚えたってところを見せてあげないと。

 それが、私がお母さんにできる唯一のことだから。

 

 *   *   *

 

 かちゃかちゃと、食器がぶつかり合う音が鳴り響く。

 ゆーちゃんが洗い物をしている側で、私は洗い終わった食器を拭いて戸棚に戻していた。

「ふぃー、疲れたねー……」

「夕方からずっと立ちっぱなしだったからねー」

 二人して、ちょっとダウナーな声で話しあう。

 夕方にみんなで買い物に行って、お料理して、ごはんを食べ終わって、お風呂に入って後片付けをして、時計を見てみればもう九時。四、五時間も動きっぱなしならさすがに疲れるか。

「えっと、これで最後だよ」

「うん、りょーかい」

 最後の食器を受け取って、ふきんでふきふき……よしっ、完了。

 私は鶏大根を入れていた大皿を戸棚に戻して、少し湿った手をエプロンの裾で拭いた。

「お疲れさま、二人とも」

「いやいや、これくらいえんやこらだよー」

 手をひらひらとさせながら、ノートPCの中にいるお母さんに返事する。

「二人とも、腕を上げたわね。これならこれから好きな人が出来たとき、いい武器になるわよ」

「す、好きな人だなんてっ……」

「おや? ゆーちゃんは誰かいるのですかな?」

「ううんっ、そうじゃなくて、今まで考えたことなかったから」

 んー、確かにゆーちゃんからしたらまだ早過ぎることなのかもしれないね。

「ふふっ、好きな人だけじゃなくて、お友達に食べてもらうのもいいんじゃないかしら。よくうちに遊びに来る――えっと、岩崎さんや田村さんに食べさせてあげるとか」

「あっ、そうですね。みなみちゃんや田村さんに食べてもらうのもいいかも」

「そういう目的があれば、これから先もっと伸びるはずよ」

「そっか。かなたさん、ありがとうございますっ!」

 嬉しそうに、ぺこりとPCに向かっておじぎするゆーちゃん。お母さんも優しい笑みを浮かべて「いえいえ」と頭を下げた。

 最初に見つかったときはパニクってたお母さんだけど、ゆーちゃんは新しいお姉さんが出来たみたいに喜んでたし、お母さんもまるでもう一人の娘みたいにかわいがってたし……ゆーちゃんとお母さんを会わせてあげられて、ホントによかった。

「お母さんはさ、お父さんのために料理の腕を磨いていたの?」

「え、えっ?」

 ありゃりゃ、お母さんってばわかりやすいほど顔が真っ赤になっちゃって。

「う、うん……私は、お料理でしかそう君のことを支えてあげられなかったから……だから、いっぱい勉強して、いっぱい作って、喜んでもらおうって……」

「そっかー、お父さんも果報者だね。お母さんにこんなに想ってもらえるなんて。んで、お母さんはお父さんのどんなところが好きだったのカナ?」

「えっと、それは、その……優しいお話を書いてくれて、私とずっといっしょにいてくれて……それに……私を、ずっと守ってくれたから……」

 おー、顔はもうゆでだこ寸前。お母さんってば、どうしてお父さんの話とか振るとこんなにわかりやすくなるんだろうね。

「おいおい、かなたをいじるのはそれくらいにしとけよー?」

「あ、お父さん」

 仕方ないなーという感じで笑いながら、お父さんが居間から戻ってきた。

「ほっ……」

 むぅ、お母さんってばあからさまにほっとしちゃって。でもいいか、お母さんの想いのことも知ることができたもんね。

「そんで、用意はできたの?」

「おう、バッチリだ。ちゃんと布団敷いといたぞ」

「お布団?」

 きょとんとしながら、お母さんが小さく首をかしげた。

「ああ、みんなで川の字になって寝ようって思ってな。それに……さ」

 言いにくいのか、お父さんは苦笑しながらそこで言葉を濁した。

「……そっか」

 だけど、お母さんはそれを察して寂しそうに笑う。

 

 だって、今日がみんなでいられる、最後の日だから。

 

「だからこそ、みんなでいっしょに寝ようって思ってな」

「そう。だったら、私もごいっしょさせていただくわね」

「当たり前だっての。お前がいなけりゃ始まらないんだから」

 さっきとは違って、明るく笑う二人。それは、長年連れ添った夫婦みたいに自然だった。

 でも、それも当然だよね。長く離れていたって、お父さんとお母さんは小さい頃からずっといっしょだったんだから。

「とゆーわけで、パジャマに着替えて片付けも終わったみたいだし、みんなで居間に行きますか」

「はいっ」

「おいーす」

 返事をしながら、台所の電気を消して居間に入る。居間にはびしっと三組の布団が敷かれていて、お父さんは真ん中の布団に座ると、その枕元にお母さんがいるノートPCとマイクを置いた。

「まだ、電気は消さなくてもいいよな。まだ9時過ぎなんだし」

「そだねー」

 私とゆーちゃんも、それぞれ両端の布団にぽふんと寝転がる。

 そして、お母さんを見つめたまま沈黙が流れて……

「……しかし、改めてこうやると、話す話題が見つからないというか」

「そ、そうなんだよね。毎日いっぱいお話してたから」

 お母さんが来てから、ほとんど毎日しゃべり尽くしちゃったからなー。

「あら、そう? 私はまだお話したいことがあるんだけど」

「えっ?」

「あなたたちの、これからのこと。今までのことはいっぱい話したかもしれないけど、これからのことは話してなかったでしょ?」

「あ……そういえば、そうかも」

「だから、それを聞かせてくれないかしら」

 にこにこと笑いながら、お母さんは私たちの顔をぐるりと見回した。

 これからのこと、かぁ……

 改めて考えてみると、確かにずっと話してなかったっけ。

「俺は、これまでと同じように小説を書き続けるよ」

 何を言おうか迷っていると、いの一番にお父さんが口を開いた。

「まだまだ書きたいこともいっぱいあるし、何より、昔かなたと約束したからな。いっぱい物語を書いて、それをそっちへ手みやげとして持って行くって」

 お父さんは、少し寂しそうに……だけど、しっかりとお母さんにそう言った。

「ふふっ、楽しみにしてるわ。でも、健康には気をつけてね? 徹夜ばっかりしてたら、体を壊しちゃうから」

「わかってるよ。まだまだこなたのウエディングドレス姿を見るまでは……って、いかんいかん、こなたはずっと結婚しないでウチにいるんだった」

「ちょっ、お、お父さんってば勝手に決めないでよっ!」

「そう君、娘の巣立ちっていうのは突然やってくるんだから、覚悟はしておいたほうがいいわよ?」

「ううっ、それだけはイヤだ……」

 穏やかにたしなめるお母さんと、血涙を流しそうな勢いで私を見るお父さん。手放したくないからって、娘の将来を勝手に決めないでほしーなー。

「……でも、言われたとおり無理はしないようにするよ。まだ、こなたとゆーちゃんをしっかり見守ってあげないとな」

「ええ。あまりにも早く来すぎたら、一ヶ月はお説教とごはん抜きですからね」

「そいつは手厳しい」

 そう言って、笑いあう二人。

 でも、きっと大丈夫だよ。お父さんって、約束だけは破らない人だから。

「じゃあ、今度はゆーちゃんだな」

「えっ、私ですか?」

 二人の会話を見つめていたゆーちゃんが、急に話を振られてあたふたし出した。

「ええ。よかったら、ゆーちゃんも聞かせてくれる?」

「えっと、えっと……私も、物語を作りたいなって……」

「そっか。ゆーちゃん、絵本を作ったりしているものね」

「はいっ」

 お母さん、ゆーちゃんの趣味も知ってたんだ……そういえば、今もゆい姉さんに何か作ってるんだっけ。

「かなたさんがおじさんのために作っていたように、私もゆいお姉ちゃんにって作っていて……そしたら、いろいろな人に見てもらいたいなって、そう思ったんです」

「そう。もしよかったら、私にもいつか見せてね」

「はいっ、もちろんです!」

 笑顔でめいっぱい応えるゆーちゃん。体がちょっと弱くても、その元気があればきっとできるよね。

「それじゃあ……最後は、こなたね」

 くるりと、ゆーちゃんから私のほうへと振り向くお母さん。

「私は……」

 だけど、なかなか頭の中がまとまらない。

 将来のことなんて、まだまだ先だと思っていた。だけど、改めて言われてみると、高校生活もあと半年ちょっとしかないんだ。

「……ごめん、まだわからないや」

 そして、出てきたのは心配をかけてしまうような言葉。

「これからどうしようとか、そういうのはほとんど考えたことなかったから……ごめんね、ちゃんとしたことが言えなくて」

 お気楽にずっと考えていたことが、こんなに辛いだなんて思わなかった……

「こなた、あまり気にすることじゃないわ」

「えっ?」

 変わらずに明るいお母さんの言葉に、私は伏し目がちだった顔を上げた。

「まだまだ、こなたは十八歳なんだから。これからしたいことを見つけても、まだ遅くない歳だもの。ゆっくり、自分のペースで考えればいいの。したいことをして、その中で自分の未来に繋がるものを見つけていけばいいじゃない」

「お母さん……」

「そうね。じゃあ、質問を変えましょうか。こなたは、これから何がしたいの?」

 これからのこと……それだったら、いっぱい言える。

「お父さんとゆーちゃん、ゆい姉さんやきー兄さんと楽しく過ごして、かがみやつかさ、みゆきさんと楽しく遊んで、学校でも楽しく過ごして……いろいろ辛いこともあるかもしれないけど、それ以上に楽しいことをいっぱいやりたい」

 楽しいことばっかりなんて、わがままかもしれない。だけど、これが自分の正直な気持ち。

「そう。こなたには、そうやって楽しく過ごしたい人がたくさんいるのね」

「うんっ。みんな大好きだから。お父さんも、ゆーちゃんも、ゆい姉さんも、きー兄さんも、かがみも、つかさも、みゆきさんも、黒井先生も、みんな、みーんな大好きっ!」

 子供に戻ったみたいに、お母さんにいっぱい伝えたいことがあふれ出していく。

 ……いや、違う。

「それに、ずっと私を見守ってくれたお母さんも、大好きだよっ!」

 子供に戻ったんじゃない。

 私は、いつまでもお父さんとお母さんの『子供』なんだ。

「私も、こなたのことが大好きよ」

 そう言ったお母さんの笑顔が、何故か震えるように映る。

「それに、みんなのことが大好き」

「うんっ!」

 ほっぺたを流れ落ちるしずくをぬぐいながら、私は精一杯うなずいた。

「……ごめんね。あなたのそばに、ずっといることができなくて」

「ううん、大丈夫。こうやって、お母さんがここに来てくれたんだもん」

 きっと、普通なら叶わなかったこと。お母さんが私たちといっしょにいたいって願ってくれたから、こうやって過ごすことが出来たんだ。

「だから……忘れないよ。お母さんと過ごしたこと、絶対忘れないから」

「俺も、ずっと忘れない」

「私も、かなたさんとのことは忘れません」

 涙をぬぐって、みんなで笑顔。

「私も、みんなとのことは忘れないわ」

 目が潤んでいたお母さんも、めいっぱい笑ってそう言ってくれた。

「私たちは、家族ですもの」

「うんっ」

 そうだよね。

 私たちは、一緒に過ごした家族だもん。

 

 それから、みんなで話したいことをずっと話しあった。

 友達のことや、ゆい姉さんときー兄さんのこと。お父さんとお母さんの馴れ初めや、ゆーちゃんや私の大切な子のこと。

 ずっとずっと話していって……だけど、体がだんだんついていかなくなっていく。

 

「ふぁ……」

 疲れのせいか、頭の中の眠気がだんだん強くなっていった。

「大丈夫?」

「う、うん……だいじょーぶ」

 ゆーちゃんのほうを見てみると、ゆーちゃんもうつらうつらと首をゆらしている。

「おいおい。あんまり眠いようだったら、眠ってもいいんだぞ」

 私の頭を優しく撫でながら、お父さんが小さな声で言う。

 ……お父さんの手って、今でもおっきくてあったかいんだ。

「う、ううん。まだ大丈夫だよ」

「でも、明日も講習があるんだろ?」

「大丈夫だってば」

 まだ、眠ることはできないよ。

 お母さんのこと、ちゃんと見送ってあげなくちゃ……

「だめよ、こなた。ちゃんと寝ないと」

「だって……だって……」

 子供の頃、お父さんにしていたみたいにぐずる。

 もうすぐ、お母さんがいなくなっちゃうから……

「そうね……だったら、子守唄を唄ってあげましょうか?」

「子守唄……?」

「そう」

 やさしくほほえみながら、おかあさんがわたしのことをまっすぐみる。

「最後に、唄わせてくれないかしら。初めての子守唄」

「最後で……初めて……」

 たぶん、これがおかあさんのさいごのおねがい。だけど……

「おかあさん……ねてるあいだに、いっちゃやだよ……」

 わたしは、ちゃんとおかあさんのことをみていてあげたいのに。

「大丈夫」

 だけど、おかあさんはにっこりわらってくれた。

「私は、あなたたちのことをずっと見守っているから」

「ほんと……?」

「これからも、ずっとね」

「……じゃあ、こもりうた……おねがいしても、いい?」

 おかあさんのことばに、わたしはあんしんしてそういえた。

「ええ」

 おかあさんはそっとめをとじると、すうっといきをすいこんだ。

 

 

 おかあさんのうたごえが、やさしくみみにとどく。

 

 

 いっしょにしたゲームのなかの、やさしいこもりうた。

 

 

 おとうさんのてのぬくもりと、おかあさんのうたごえ。

 

 

 それが、わたしのことをそっとつつんでくれた。

 

 

 すうっと、とじていくめ。

 

 

 さいごにみたのは、おかあさんのほほえみ。

 

 

 さいごにきいたのは、おかあさんのうたごえ。

 

 

 おかあさんのあいにつつまれて……

 いしきが、すうっととおざかっていく。

 

 

 おやすみなさい…

 おかあさん……

 

 そして……

 

 

 ありがとう。

 

 

 お母さん。

 

  *   *   *

 

「んっ……」

 目に飛び込んできた光に、寝返りをうつ。

 光って……朝なのかな……って、朝?!

「っ!」

 その事実に、眠気が一気に覚めて起きあがる。

 そして、枕元にあったPCを見たけど……

「あっ……」

 そこには……何の変哲もない、デスクトップの画面が映っていた。

「おはよう、こなた」

「……お父さん?」

 見ると、お父さんが隣の布団に座ったまま私のほうを向いていた。

「ずっと、起きていたの?」

「ああ」

「お母さんのこと、見送ったの?」

「もちろん」

 カーテンの隙間から入ってくる陽の光は、お父さんの寂しそうな笑顔を照らしていた。

「笑顔で、手を振りながら行ったよ」

 そう言いながら、お父さんはそっと光のほうを見上げた。

 そこはきっと、お母さんが還っていったはずの場所。

「そっか……」

 私も、お父さんと同じようにそこを見上げる。

「最後に、伝言だってさ」

「……なんて?」

「女の子にうつつを抜きすぎないこと」

「……それは、お父さんにじゃん」

「次に、一夜漬けはほどほどに」

「うっ、それは……」

「それと……元気に暮らしてね、だって」

「元気に……もちろんだよね」

「ああ、元気に暮らさないと」

 まったく、お母さんらしいや。最後まで私たちのことを心配してるなんて。

「かなたも、きっと見てるからな」

「そうだね」

 ずっと見守ってくれるって、約束してくれたもんね。

「さてと、そろそろゆーちゃんを起こしてあげようかね」

「そうだね。ゆーちゃんにも、ちゃんと伝えてあげないと」

 私は立ち上がって、ゆさゆさとゆーちゃんのことを揺り動かした。

「ゆーちゃん、朝だよ。ゆーちゃーん」

 

 こうやって、私たちはまた普通の日常に帰っていく。

 

  *   *   *

 

「おーい、弁当代持ったか?」

「うん、ちゃんと持ったよ」

 ポケットのお財布を確認しながら、トントンと革靴のつま先で土間を蹴る。よし、これで準備OK。

「済まんなー、弁当作るのすっかり忘れてたよ」

「ごめんね、お姉ちゃん」

「いやいや、大丈夫だよ。私だって頭からすぽーんと抜けてたしさー」

 どうしてもぼーっとしちゃって、頭の中にちゃんと物事が入らない。うーん、こりゃ夏期講習もやばいかな。

「ほんじゃま、行ってくるねー」

「おう、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん!」

「はーいっ」

 見送ってくれている二人にしゅたっと手を上げて、私は玄関のドアを開けた。

「おおっ、いい天気だー」

 見上げてみれば、雲一つ無い青空。

 風もカラッとしてて気持ちいいし、走ってるうちにぼーっとしたのも治るかな。

「んしょっと」

 自転車のスタンドを上げて、ころころと自転車を転がす。

 あとは門を開けたら、外に出て閉めて……

「…………」

 そう思ったまま、門にかけた手が止まる。

 ……そっか。

 ずっと、見守ってるって言ってたっけ。

 もしかしたらと思いながら、ドアに向かって小さく手を振る。

 

「行ってきます」

 

 そのまましばらくドアを見つめて……えいやっと、自転車に飛び乗った。

 さてっと、心配かけないように、今日もがんばりますか!

 自転車のペダルを踏み込んで、私は通学路をゆっくりと走り出した。

 

『行ってらっしゃい』

 

 白い翼を生やしたお母さんが、玄関前で手を振っていた姿を心に焼き付けながら。




もうちょっとだけ、続きます。
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