次からはなるべく早く出します。
さて、今回は時間を遡って幼少期の話です。
神楽があんな性格になったきっかけとなる、ある事件の序章です。
もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか
なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで
どちらが さきに かけつくか
どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろう
ここらで ちょっと ひとねむり
グーグーグーグー グーグーグー
これは ねすぎた しくじった
ピョンピョンピョンピョン
ピョンピョンピョン
あんまり おそい うさぎさん
さっきの じまんは どうしたの
懐かしい歌が聞こえる。父がよく歌ってくれていた歌だ。
父はけん玉が趣味で、けん玉遊びをしながらこの歌を歌っていた。
最後に聞いたのはいつだったか。
父はしがない商人だった。父は、故郷に家族を残して単身、帝都に渡った。そこで父は、外国から持ち込まれた珍しい品を売る小さな商店を営んでいた。一家の大黒柱たる家長が家族を置いて単身赴任など、この社会では異端扱いされて当然だった。結果、その子どもである私や家族にも風当たりが強くなるのは当然と言える。
父は物腰の柔らかい気弱な性格だったが、自分の信念は絶対に信じる自信過剰な性格でもあった。
私は、そんな父が好きだった。単身帝都へ渡った時には三日三晩泣き続けたほどだった。たぶん、人生で一番泣いた出来事だったし、これからもそうだろう。
しかし、父は死んだ。
1923年の9月に起こった関凍大震災の心労で寝込んだ父は翌年の3月にそのまま急逝してしまったのだ。
私は信じられなかった。当時12歳の私でも、あまりに実感が無さすぎる急報は、現実感を喪失させるとその時知った。
父の死後も何とか経営を続けていた商店も、ついに畳まれることになり、私たち家族はその手伝いを帝都に住む伯母に頼まれて、帝都へ行くことになった。
急すぎる出来事に幼心に放心状態だったように思える。
何はともあれ、そういったややこしい経緯を2人の幼なじみに説明し、別れを告げようとしたが、これがまた難しかった。
「じ、じゃあ、もう戻ってこないんですか……?」
燦燦と照らす太陽に照らされて、涙目になりながら私の顔を覗き込むのは幼なじみの櫻子だった。彼女とは大の仲良しで、もう1人の幼なじみの太助と一緒に日が暮れるまで近所の畑で遊んだりしていた。
「そういうわけじゃないって言ってるだろ?雪子も困ってるじゃないか」
そのもう1人の幼なじみの太助が面倒くさそうな顔をしながら櫻子の頭を軽く小突いた。
「いった!?ちょっと痛いですよ!乙女に暴力振るうなんて!」
大袈裟に痛がって頭を抱える櫻子に太助は肩をすくめながらこれまた面倒くさそうに叱りつけた。
「そんなに強く叩いてないぞ。その大袈裟な痛がりも辞めたらどうだ」
太助が忠告すると、櫻子が突っかかるのはお約束で、このやり取り自体、この一月だけでも数えきれないほどに目にしてきた。もはや伝統行事だが、それもしばらく見られないとなると、いよいよ寂しくなってきた。
「寂しいよ……お父さんも死んじゃったし……2人にも会えないなんて……」
めそめそと今にも泣き出しそうな私を見て、さしもの2人も口論を止めた。
嗚咽混じりになりながら、いよいよ本気で泣き始めそうな私を櫻子はそっと抱き締めてくれた。
「大丈夫ですよ、また直ぐに会えますって」
「本当……?」
「本当ですよ」
止めどなく溢れる涙を拭いながら櫻子の顔を見る。そこにはいつも励ましてくれる時の彼女の優しい顔があった。
「そ、そうさ、きっと直ぐに用事も終えて、磐國に戻ってこれるって」
同性の櫻子は色々察して優しく慰めてくれるが、年頃の男児である太助はこういう時いつもの小生意気な性格が何処へやらと言わんばかりに狼狽する。そこが、彼の不器用なところで、面白おかしいところでもあった。
「変なの」
フフッと笑みを溢しながらこう言って泣き止む。泣き虫な私は、こうしていつも2人に励まされていた。
いつの間にか3人とも笑っていた。
蝉の五月蝿い声が、いつまでも響いていた。
家族6人分の旅支度を済ませると私たちは朝イチの汽車で、帝都へ行く。実は、汽車に乗るのは初めてで私はかなり緊張していた。
「いいか、車掌に気を付けろよ。行儀が悪いと喰われてしまうからな」
笑いながらタチの悪い冗談を言うのは長男の和男だった。中学を出てからはいつも畑を手伝う働き者だったが、口を開くとすぐにホラを吹いたり、出鱈目を言ったりして私たち兄弟をからかっていた。
「ふん、そんなの嘘だい。兄ちゃんこそ汽車が怖いくせに」
生意気な口を利きながら和男の足に蹴りを入れているのは次男の紀之だった。まだ、尋常小学校に通う無鉄砲な子どもで、親や先生は手を焼いていた。
「いてぇ!何しやがる!」
危うく荷物を落としそうになりながら和男は紀之に突っ掛かろうとした。
「何だい、お前たち。これから汽車に乗るってのに暴れないでおくれよ」
少しくたびれた顔をした母が苦虫を噛み潰したような顔をしながら2人を注意する。父の事業の成功を祈って、女手1つで5人の子どもを育ててさらに朝から晩まで働いて……そして今回の虫の知らせだ。やつれるのも無理はない。さしもの無鉄砲2人組も察して静かになる。帝都まで行くには汽車に半日間揺られなくてはならない。8歳になる紀之はともかく、まだ2歳の妹の和子は少し心配もあったが、姉の滝子が面倒を見てくれることになっていたし、荷物は男2人が持ってくれる。
といっても、6人分の衣類と伯母への土産くらいでそんなに量はないが。
汽車は定刻通り、午前6時きっかりに出発した。帝都までの直通はないため、王坂で一旦乗り換える。そこからはまた6時間ほど汽車に揺られる。旅費は父の店を手伝っていた伯母が出してくれたが、あまり父の店も繁盛していたわけでもなく、伯母もそこまで裕福でなかったため、必然的に乗るのは三等車となった。赤い帯と車体にあるロの字が印象的だった。
車内では特に何事もなく、王坂に到着した。乗り換えの時に次男の紀之が乗り遅れそうになるなど、多少のアクシデントはあったが、無事に帝都に辿り着くことが出来た。
時刻は既に6時を回り、街は夕焼けに染まっていた。
「やぁやぁよく来たね。お疲れさん、ささ上がんな」
伯母は優しく私たちを出迎えてくれた。伯母の家は父の商店の2階にあった。父の手紙によると、事務所を兼任しているらしい。
「慣れない長旅に疲れたろう。今日は休んで明日から働いとくれ」
「いえいえ、あの人が死んで、お義姉さんも苦労しているでしょう。どうかこき使って下さいな」
そう言いながら母は伯母に土産を渡した。伯母は笑いながら土産を受けとると母に冗談を返した。
「何を言ってるんだい。無茶言って田舎から呼びつけたのはこっちなんだから、そっちこそ文句の一つでも言ってみたらどうだい」
母と伯母はほとんど同時に吹き出した。見る人が見れば険悪にも見える2人だが、実際はかなり仲が良かった。と、言うのも2人は父も含めた3人で小さい頃によく遊んでいた、いわば幼なじみだったそうだ。そのため、義理の姉妹というよりは親友に近かった。
「なぁ、母ちゃん。父ちゃんの店見に行ってもいいか?」
2人のやり取りを尻目に、紀之が尋ねてきた。私も見たかったので、紀之に便乗して頼んでみることにした。
「お母さん、私も見に行ってもいい?」
母は少し困った顔をした。それもそうか。今の店の主は一応は伯母なのだから。母は助け舟を欲して伯母に目配せをした。伯母は「そうだねぇ」と、わざと大袈裟に悩んだようなフリをすると、
「別に構わないよ。ただし、売りに出すものもあるから品物には触るんじゃないよ」
笑顔で了承してくれた。私たち兄弟は伯母の優しい笑顔が好きだった。私と紀之は我先にと1階に降りていった。店は8畳くらいの広さで、天井まで届く高い棚にところ狭しと品物が並んでいた。その中には海外の画家が描いた絵や、ティーセット、アンティークのレコードプレーヤー、ブリキの玩具や柱時計まで、まるで宝の山のようにも思えた。
夕焼けがガラス戸のステンドグラスに射し込んで、店内を幻想的に照らしていた。まるで絵画のような美しい光景に紀之と共に見惚れていると、伯母が声をかけてきた。
「キレイだろ?この時間は夕日が射し込んで、一層キレイに見えるんだ。だけど、この店でキレイなのはそこだけ。あいつろくに掃除もしなかったんで、ホコリだらけだし、棚も乱雑すぎてまるで整理されてねぇ。何度直しても、何度掃除してもすぐにそうなるから、いつからか諦めたけどね」
伯母は肩をすくめて心底呆れたように呟いた。実際、父は昔から片付けが苦手で、自分の領土を侵犯されるとすぐに腹を立てて、その後しばらく拗ねるクセがあり、家族も手を焼いていた。確かに、店内はホコリだらけで、商品も乱雑に置かれ、まるで秩序がないように見えた。
「でも、色んなモノがあって宝箱みたいで面白いからいいじゃん」
紀之が伯母に言うと、伯母は声を上げて笑った。
「宝箱とはよく言うね。確かに、こんなにあるんだから、掘り出し物の一つでもあるかもね」
「ふーん……」
2人で同じ反応をするとまた、棚を物色し始めた。相変わらず、統率がなく乱雑な配置だが、なぜか惹かれる棚があった。吸い寄せられるようにその棚を見ると、乱雑な棚の中に光るモノが見えた。光は大量の品物の奥から漏れ出ているようで、私を呼んでいるように見えた。邪魔な品物を退かすと、さらに光が強くなった。光の正体が気になった私は夢中で棚の奥を探っていった。
とうとう光に到達し、それを手に取った。それは古びて埃を被ったけん玉だった。私はそのけん玉に既視感を覚えて、その正体を探ろうと記憶を手繰り寄せようとしていると、伯母がその答えを提示してくれた。
「あら、それあの人のけん玉じゃないか」
はっと息を呑みながら、後ろから聞こえた声に振り替えると、そこには仰天した顔つきの伯母の顔があった。
手元のけん玉は、先ほどの光が嘘のようなほどみすぼらしいナリをしており、光沢もなく、塗装すらも所々剥げているいかにも中古品のような形貌をしていた。
「あ、あの人って……もしかしてこれ、お父さんの?」
驚嘆の声を上げる私に伯母は「そうだよ」と一言言ってから話してくれた。
「あの人、自己管理が杜撰でね。財布とか、店の在庫表とか、よく失くしてたんだよ。大事なモノほど失くすんでホント困ってたんだよ」
それから伯母は近くにあったネコの置物を手に取ると、懐かしむように呟いた。
「それで、いつだったか『俺のけん玉がない』って言い出して、2階はもちろん、店の中や裏の倉庫も探したんだけど、結局見つからなくて……諦めようって言ったらあの人見たことないくらいに悲しい顔してね。あたしも居た堪れなかったよ」
ネコの置物を手の中でしばらく弄くり回した後、元あった場所にそっと戻した。そして、父の顔を思い浮かべたのか、静かに微笑むその目には涙が滲んでいるように見えた。
「伯母さん……」
「なんてな。しんみりさせちまってスマンね。そろそろ夕飯にしようか」
伯母はブリキの玩具で遊んでいた紀之にもそう言うと少し注意してから裏の台所へ行こうとした。
「お、伯母さん!」
しかし、私はその前に聞きたいことがあった。
「ん?」
「あ、あのさ……このけん玉貰ってもいい?」
ようはこれは父の形見だ。私も小さい頃はこれを使ってよく父と遊んでいた。父との想ひ出といえばこのけん玉なのに、どうしてそれを忘れていたのか。私は自分が情けなくなって涙目になりがら伯母に訴えていた。伯母はそれを察したのかどうかはわからないが、ふっと表情を緩めると
「いいよ。そんなんじゃ、貰い手もなさそうだしね。大事にするんだよ」
許してくれた。こうして、父の遺品のけん玉は私のものとなった。
その日の食事はいつもより静かだった。相変わらず、和男と紀之は騒がしかったが、母や姉は疲れた様子で食事をしていた。私はというと、夕方の父のけん玉の一件で何となく煮え切らない気持ちを抱いていた。今まで実感の無かった父の死が、遺品を前にして急激な現実感をもたらしていたのだ。ふいに、床の間にある父の仏壇が目に入った。遺影を見ても、家族の人数分の線香を見ても、数少ない店の来店者や支援者などから贈られたささやかなお供え物等を見ても、現実として受け止められそうに無かった。
だが、それが現実だ。まだ12歳の私には酷だったのかもしれないが。
「どうしたんだい?具合でも悪いの?」
母が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。母に心配されたのも、させたのも何となく恥ずかしくなった私は「食欲が無い」と言って、先に眠ることにした。母と伯母の心配そうな顔が、逆に私の心を抉った。
布団に入ってもしばらく寝付けなかった。布団の中で何度も寝返りを打つと、ふいに背中の辺りに違和感がした。居間から漏れる電灯の光にかざして見ると、それは父のけん玉だった。食事の前に布団に置いといて忘れていたのを思い出した。
そこで私は確信した。このけん玉が父の死を私に実感させたのだと。そして、父の死を信じたくない私はそれを無意識に忘れようとしたのを。そして、それを自覚しながら忘れようとしている自分がいるのに酷い嫌悪感を感じた。
自分の気持ちが信じられないのが、こんなに辛いことだとは知らなかったし、知りたくもなかった。
私は布団の中で、隣の部屋にいる家族に聞こえないように必死に声を抑えて泣いた。
泣き虫な私を、慰めてくれる親友はそこにはいなかった。
キリがいいのでここで終わります。
たぶん、次回以降もこのくらいの長さになると思います。
続きは速めに出します(がんばります)。
さて、次回は事件の始まり。帝都で不穏な動きが起こります。
果たしてどうなるのか、乞うご期待ください。